金正恩委員長に方向転換のお勧めと信仰を持つ方々にお祈りのお願い
先日、北朝鮮の金正恩委員長に収容所に収容されているクリスチャンの開放をお願い致しました。金正恩委員長はさほど、聖書の神の実在について強い確信をお持ちでないと思います。それで、ネットで見いだされる情報と聖書から付加的な情報をお知らせします。
(1)アイスランドの忠実さの例に関する補足
聖書の神エホバが歴史を通して実在しておられて、国家の忠実さに助けを与える例としてアイスランドが経済危機を乗り切った例を挙げました。
しかしながら、先回記事を投稿した時点では気づいていないことがありました。アイスランドの首相は2009年より2013年まで、ちょうど金融危機の時は、同性愛結婚をしていた女性首相であったようです。
聖書は同性愛をクリスチャンに認めていません。(ローマ1:26,27)そのアイスランドの首相は教会員ではなかったのかもしれません。それはまだ現在、確認できていません。わたしはこのことについて付け加えたいと思います。
確かに、アイスランドがレズの首相を選んだのですから、アイスランド国民が聖書の正しい基準から離れていると言えました。また、聖書の神にとってアイランドの政治のトップが神や聖書に忠実かどうかは神にとって重要なことです。
アイスランドでは、結婚しないで、子供を作ること、すなわち淫行が国民の間ではびこっているとのことです。それで、全体的に聖書の神に対する信仰や聖書の原則に対する忠実を投げ捨てるようであれば、やはり、アイスランドに神の是認と助けと祝福は徐々に失われていくと思います。
でも、今のところ、アイスランドはEUに加わっておらず、戦闘や流血に参加することを避けています。戦争をしないで、平和を守るということについては国民全体で誇りと安心感を抱いています。また、現在の首相は同性愛者ではありません。
しまた、アイスランドは、聖書に基づいて軍隊を持たず平和と中立の立場をとってきた期間も長いです。そのために、アイスランドは今でも、聖書の原則に対して忠実であったために、そのための神の助けと祝福を今でも刈り取っているのではないかと思います。
しかし、アイスランドの国民全体が聖書の神への忠実を投げ捨てていくようであれば、エホバ神はアイスランドに国難が臨むようにされる可能性があります。今からアイスランドがどうしていくかを見ていく必要があります。
(2)北朝鮮の収容所で行われている拷問
また、先回、北朝鮮の政治犯収容所で行われている拷問に関してネットで見た情報をお知らせします。金正恩委員長はご存じないということもあるかもしれません。
「保衛部は逮捕した信者を眠らせず、5日間ぶっ通しで暴力を振るいます。そうすれば、やっていないことでもやったと答えてしまうのです。5人がかりで丸太で殴られるのですから。目撃した人の話では、冷凍拷問というのがあるそうです。服を全部脱がせて冷凍室に閉じ込めるというものですが、ほとんどの人が低体温症で死んでしまうそうです。鉄格子に手を縛り付けて、足が地面につかないようにして放置するという拷問もあります。ろくに食事も与えずに暴力を振るい続ければ、数日で死んでしまいます。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20170422-00070184/
もし、上記のような拷問が、北朝鮮の人々が単に聖書に対する信仰を持つために行われているというのであれば、とりわけそれは問題だと思います。
https://youtu.be/1y0yhV6IT7o
(3)わたしたちと世の罪を許す根拠となるキリストの贖いの犠牲
また、ひょっとして金正恩委員長はご自分と北朝鮮の国民の罪は大きすぎて、エホバ神が許しくださるか確信が持てないと思っておられるかもしれません。しかし、エホバ神はわたしたちの罪を許す根拠としてキリストの贖いの犠牲を備えてくださいました。
エホバ神は、わたしたちの罪のための罰を罪のなかったイエス・キリストの上にもたらされました。イエスはわたしたちの罪のための罰を代わりに負ってくださいます。(イザヤ53:4,5)
私たちの罪の身代わりとして罪のないイエス・キリストが苦しみの死を経験し神に贖いの犠牲を捧げてくださった
そのために、どんなに重大な罪であっても、エホバ神のみ前に身を低くして、キリストの贖いの犠牲に基づいて罪の許しをお願いするならば、エホバ神は罪を許してくださいます。(ヨハネ第一2:1,2)
そして、罪の許しをお願いしたなら、再び同じような罪を犯さないように懸命な努力が必要です。
(4)捕虜をとても残酷に扱った古代アッシリアとその首都ニネベの人々
エホバ神は、わたしたちが正しい生き方をしようとする努力に答え応じてくださる方です。昔流血の国家アッシリアが中東に存在していました。アッシリアは本質的に軍事強国で、とても残酷な国民で大量の人間を殺害していました。
古代アッシリアに関する歴史的な彫り物は、アッシリアの恐るべき残忍さと強欲さを示しています。アッシリア帝王の一人,アシュルナシルパルは反逆した幾つかの都市に科した処罰を次のように説明しています。
「わたしは彼の都市の城門の前に,それよりも高い柱を建て,反乱を起こした首領らすべての皮をはぎ,彼らの皮でその柱を覆った。ある者らをわたしはその柱の中に封じ込め,ある者らを柱の上で杭に突き刺した。……また,わたしは役人ども,反逆した王室の役人どもの手足を切断した。……わたしはある者たちの手や指を切り取り,ほかの者たちの鼻や耳や指(?)を切り落とし,多くの者の目をえぐり出した。
わたしは生きた者どもで一本の柱を,頭でもう一本の柱を作り,彼らの頭を都の周りの柱(木の幹)に縛り付けた。彼らの若者たちや乙女らをわたしは火の中で焼いた。……二十人の男をわたしは生け捕りにして,彼の王宮の壁に埋め込んだ。」―「アッシリアとバビロニアの古代の記録」,D・D・ラッケンビル著,1926年,第1巻,145,147,153,162ページ。
浮き彫りにはしばしば,鼻や唇に刺し通した鉤に綱を付けて引かれて行く捕虜や,槍の先で目をえぐり出されている捕虜の姿が描かれています。このように,アッシリア人の戦いには極端に残虐な仕方で敵を責めさいなむという特徴がありました。彼らはそうすることを誇りとし,それを念入りに記録しました。
アッシリアは諸国を侵略略奪する軍事強国で捕虜を残酷に扱った
その残忍さが知られていたことは,彼らにとって軍事上有利に働き,彼らは攻撃をする際にその進路にいた人々の心に恐怖の念を吹き込み,抵抗力をくじきました。
(5)エホバ神は残虐な行いを容認されず隣人を自分自身のように愛するよう求めておられる
しかし、エホバ神はそうした残虐な行いを容認されない方でした。聖書の中でエホバ神はそうした行いを非としていることを表明されています。
ローマ書には、「あらゆる不義・邪悪・強欲・悪に満たされ,ねたみ・殺人・闘争・欺まん・悪念に満ち,・・・神を憎む者で,不遜,ごう慢,またうぬぼれが強く,有害な事柄を考え出す者・・・自然の情愛を持たず,憐れみのない者」であることを非としていて、「こうした事を習わしにする者は死に価する」と述べられています。(ローマ1:29-32)
聖書の神エホバは人間を創造してくださった方ですから、ご自分の像に創造された人間が互いに愛し合って親切にするよう求められています。(ガラテア5:14)
エホバ神は人間が互いを自分自身のように愛することを求めておられる
(6)ニネベに滅びを宣べ伝えた預言者ヨナ
預言者ヨナがニネベに対して滅びを宣べ伝えたのは、西暦前九世紀後半ごろと考えられています。
ヨナの宣べ伝えたことを聞いたニネベの王は、国民に呼びかけてこう言いました。「人も家畜も粗布で身を覆うように。力をこめて神に呼ばわり,各自自分の悪の道から,その手の暴虐から引き返すように。まことの神が翻ってまさに悔やまれ,その燃える怒りから離れて,我々が滅びないようにしてくださることはないとだれが知っているだろうか」(ヨナ3:8,9)
(7)古代ニネベ遺跡がある現在のイラクの都市モースル
昔のニネベは今のイラクのモースルMosulという都市の川をはさんだ対岸の丘に遺跡があることが有名です。イラクのモースルとはアッシリア語やクルド語でニネベを意味しています。
(モスル, 英語: Mosūl, クルド語: MusilまたはNineveh, アッシリア語: ܢܝܢܘܐ, 'Ninewa')
イラク北部の都市モースルはイスラム教スンニ派が多いのですが、モースルは、ネストリウス派キリスト教徒の歴史的な中心地です。現代の都市モースルのティグリス川の東岸の丘クユンジクもしくは、ネビユナス(預言者ヨナの意)に古代のアッシリアの首都ニネベがありました。そこには、ヨナやナホムを含む数名の旧約聖書の預言者たちの墓があるとされています。
現在でも、モースルではネストリウス派キリスト教徒のアッシリア人が主要な少数民族となっています。
モースルのクユンジクの丘には、アッシリアの王セナケリブの宮殿の跡地があります。アッシリアの王セナケリブの名は聖書の3つの書歴代第二と列王第二とイザヤ書に全部で13回出てきます。セナケリブはユダのヒゼキヤ王の時に、エルサレムを脅かしましたが、み使いによって兵士が全滅してニネベに逃げ帰って暗殺された王として有名です。(イザヤ37:36-38)
モースルの人口は、1987年の66万あまりから2002年には、174万弱まで激増しました。2014年6月以降の過激組織ISILによる統治とその後の2017年にかけてのモースル奪還作戦の戦闘によってモースル市街は荒廃し、復興は遅れています。
Dair Mar Elia south of Mosul, Iraq's oldest monastery of the Assyrian Church of the East, dating from the 6th century.
Dair Mar Elia (Syriac: ܕܝܪܐ ܕܡܪܝ ܐܝܠܝܐ, Arabic: دير مار إيليا), also known as Saint Elijah's Monastery, was a Christian monastery just south of Mosul, in the Nineveh Governorate, Iraq.
It was founded in the late 6th century, It belonged to the Church of the East, an ancient branch of Eastern Christianity, and then to the Chaldean Catholic Church. and its monks were massacred by Persian forces. damaged during the invasion of Iraq in 2003, and was later demolished by the Islamic State of Iraq and the Levant (ISIL) in 2014.
昔、ニネベの王がエホバのみ前に身を低くして、暴虐と悪を行うことをやめて、生き方を変えるよう自分も努力し、国民にも呼びかけました。すると、エホバ神は最初はニネベをすぐに滅ぼすお考えだったのですが、ニネベの人々が悪と暴虐を改めたのを見て、予告された滅びを彼らに臨ませるのをやめられました。(ヨナ 3:2‐6)
当時のアッシリアの王はアダド・ニラリ3世だったのかもしれないと考える人もいます。そして、歴史の記録によれば,アダド・ニラリ3世の後の王たち、すべてアダド・ニラリ3世の子であるシャルマネセル4世,アシュル・ダン3世,およびアシュル・ニラリ5世が支配した時期は,アッシリアの侵略的活動はあまり行われていませんでした。
ヨナの言うことを聞いてへりくだったのかもしれないアッシリアのアダドニラリ3世
ですから、アダド・ニラリ3世の父親とその子供たちの王たちの世代にアッシリアは、エホバ神に幾らか考慮を払ったのかもしれません。
(8)西暦前7世紀頃預言者ナホムはニネベに再び裁きの音信を伝えた
しかし、後になって預言者ナホムが再び、アッシリアの流血に対して厳しく非難しました。それは西暦前七世紀ころと考えられています。アッシリアの首都ニネベはナホムにより,「自分の穴」を「かき裂いた動物」の獲物で満たしている「ライオンのねぐら」,および「流血の都市」として描写されています。ナホムはエホバがニネベを攻めると預言しました。(ナホム2:11,12; 3:1)
アッシリアは再び残虐な悪の道に戻ってしまいました。それで、ナホムがニネベに裁きを宣明してしばらくしてからアッシリアはバビロンとメディアによって滅ぼされてしまいました。ヨナの時代から200年以上経ってからです。
バビロニア年代記は,バビロンの王ナボポラッサルとメディア人キャクサレスとの連合軍による攻囲の後にアッシリアの首都ニネベが陥落したことを詳述しています。「その都を彼らは廃丘や(がれきの)山にした」と記されています。(「古代近東テキスト」,J・B・プリッチャード編,1974年,305ページ)こうして,残忍なアッシリア帝国は終わりを迎えました。
それで、エホバ神は、私たちがどのような生き方をするかをご覧になっておられます。ご自分の言葉に対してどのような態度をとるかをご覧になります。もし、ご自分の言葉に従って悪い生き方から離れるなら、ご自分が預言者に宣言させた滅びの警告でさえ撤回されるのです。
金正恩委員長は北朝鮮をその支配下に置かれています。ですから、金正恩委員長が先頭に立って北朝鮮の人々が生き方を変えて、エホバに敬意を払い、収容所から神に信仰を持つ人々を開放し、暴虐と悪の道から離れるならば、エホバは金正恩委員長を尊重されると思います。
それで、エホバ神に敬意を払い、エホバの崇拝者たちに親切に扱うようにお願い致します。
さらに、この記事をご覧になった聖書の神エホバに信仰を持つ方々に北朝鮮の収容所に捕らわれているクリスチャンたちが解放されて自由に神を崇拝できるようにお祈りをお願い致します。
わたしヨハネだけでなくできるだけ大勢の信仰を持つ方々が祈ることによってエホバ神に祈りを聞いていただける可能性は高くなると思います。よろしくお願い致します。
北朝鮮の金正恩委員長にお知らせしお願いしたい事
最近、テレビで金正恩委員長が、北朝鮮にとても広大な温室や温泉スキーリゾートを建設されたという動画があると知りました。それは、北朝鮮の飢きんを解決し、観光客を招いて外貨を稼ぐための方策になるので、とてもいいことではないかと思いました。それは、金正恩委員長の手腕と親切と知恵を表していると思います。
北朝鮮の新しい温泉スキーリゾート
聖書は「自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。」と命じています。(マタイ7:12)わたしたちは誰もお腹をすかせていたいと思う人はいませんから、金正恩委員長も北朝鮮の人々に食糧を備えたいと願っておられると思います。北朝鮮の人々の飢えを少しでも緩和したいと願って、温室を作られたんだと思います。
自分にして欲しいことを他の人にするということは、言い換えると隣人を愛するということです。聖書はまた、「隣人を自分自身のように愛する」ことを求めています。(ルカ10:17)
わたしは、金正恩委員長は北朝鮮を平和に存続させて経済発展をさせたいと願っておられると思います。今回は、その目的を達成するために金正恩委員長が気づいておられない必要なことをお伝えしたいと思います。また、お願いを申し上げたいと思います。
お知らせしたいことは、国家が国難を避け、さらに、平和を保ち経済的に発展していくためには、国家の指導者が聖書の神エホバとの関係を良いものとしなければならないということです。
金正恩委員長はクリスチャンではないとは思いますが、欧米に留学した経験がおありですし、祖父の金日成主席のお母さまはクリスチャンで主席の外祖父はキリスト教長老会の牧師ですし、北朝鮮の平壌にも数多くのクリスチャンたちがいます。それで、キリスト教の聖典聖書については幾らかはご存知だと思います。
聖書に描かれていることによれば、聖書の神エホバは万物の創造者です。また、その方は、ご自分に信仰を持つ人々を愛され、気遣われます。クリスチャンたちの祈りを聞かれます。また、まだクリスチャンでない人々の祈りも聞かれることがあります。(詩編65:2)
聖書の神エホバは・・・
すべてのものの創造者です
神は時代を越えて生きておられ、国家に注目されます。そして、神は国家の支配者に注目されます。そして、国家がどのようなことをしているか、また、ご自分に対してどのような態度をとっているかをご覧になります。
金正恩委員長は国家の苦難を乗り越えていきたいと思っておられると思います。世界中の諸国家は、他の強大な軍事強国から脅かされることがあります。それは、自国の対処能力を越えています。では、どうしたらいいでしょうか。
(1)ユダのゼデキヤ王はアッシリアの脅威を退けることができた
昔ユダのヒゼキヤ王の時、軍事強国アッシリアがユダの首都エルサレムを攻め囲んだことがありました。ユダの他の諸都市はアッシリアの王セナケリブに奪われました。そしてエルサレムは陥落寸前でした。
その時、ヒゼキヤ王は、アッシリア王から自分が崇拝する神エホバを侮る手紙を受け取りました。ヒゼキヤ王は、その手紙をエホバ神の神殿に持って行ってエホバの前に広げて、神エホバに救いを祈り求めました。
昔ユダの王ヒゼキヤは軍事強国アッシリアの侵略の脅威に直面して聖書の神エホバに祈って頼りました
するとエホバ神はヒゼキヤ王の祈りを聞かれました。エホバ神はみ使いを遣わして一晩でアッシリアの兵士185,000人を打ち倒しました。それで、アッシリアの王セナケリブはニネベに逃げ帰りました。(イザヤ37:36,37)
ですから、聖書の神エホバはご自分に忠実に従い依り頼む政治支配者の救いを求める祈りをご意志であれば聞き届けてくださいます。もちろん、ヒゼキヤ王はとても神と神の律法に長年忠実な王でした。
そして、エホバ神はいつも画一的にこれと同じ仕方で政治支配者の祈りに聞かれるわけでもありません。さまざまな方法で祈りを聞かれることがあります。
(2)神に従うよう努力を払うアイスランドは経済的に神の助けを得ました
このような例は現代にもあります。アイスランドはとても小さな国ですが、アイスランド国教会のキリスト教信者が74.1パーセントに達する キリスト教国です。アイスランドは、国土防衛は警察隊と沿岸警備が担っている世界でも希少な「軍隊を保有していない国家」です。
アイスランドの首都レイキャビーク
ですから、アイスランドは、武器をとって戦うことのないようにいうクリスチャンに対するイエス・キリストの命令を長年極力当てはめています。(マタイ26:52)ですから、アイスランドの人々は救いを聖書の神に依り頼んでいます。
それで、アイスランドは経済的には、とても好調です。2006年時点で国全体の(GDP)は少なかったのですが、国民1人あたりのGDPでは世界5位でした。さらに国際競争力も高く、ヨーロッパ1位となっており、小国ながら特筆すべき経済力を持っていました。
しかし、2008年9月から起きた世界金融危機のために国内の銀行が危機に陥りました。それでアイスランド政府は10月6日には非常事態を宣言しました。それで、アイスランドは破たん寸前となっていました。
ところが、アイスランドの通貨が為替市場で安くなったことが、水産物などの輸出を促進してアイスランドの輸出額はGDPの59パーセントにまで達し、順調に景気が回復しました。この通貨安は観光業に恩恵をもたらし、2011年度には観光客が約56万人、2016年は約180万人へと増えました。そのため2013年には経常収支が黒字を回復し、2016年は経済成長率は7.2パーセントになりました。
ですから、2013年時点で、EU諸国は経済危機に苦しんでいましたが、アイスランドは金融危機から脱して、EU平均を上回る経済成長となりました。
わたしは、これは偶然にもたらされた結果ではないと思います。わたしは、聖書の神エホバに信仰を表明しており、平和的な国家アイスランドが経済的に崩壊してEUに加盟せざるを得ないようになるのはエホバ神のご意志ではなかったと思います。アイスランドの人々は経済的な危機に直面して神に祈られた方もいたのではないかと思います。
ですから、アイスランドは、聖書の神エホバを崇拝することを自称しており、戦争をせずに諸国家と平和を保つ点で、聖書に従ったので、聖書の神エホバの助けを得てアイスランドは経済的な危機を乗り越えられたのだと思います。
それで、金正恩委員長はヒゼキヤ王のように、またアイスランドのように聖書の神の助けを得たいと思われないでしょうか。
(3)北朝鮮が聖書の神の是認を得るのに妨げになっている事柄
しかしながら、北朝鮮がエホバ神の是認を得るのに妨げになっていることがあります。政治犯収容所収監者と看守、国際監視団体が収集した情報などを総合すると、北朝鮮の12カ所の政治犯収容所に3万人余りのキリスト教徒が収監されていると言われています。そして、収監されたクリスチャンの中には、処刑された人もたくさんいるとお聞きしています。
米国国務省がウェブサイト上で発表した2017年版の「信仰の自由に関する国際報告書」によると、北朝鮮の政治犯収容所には8~12万人が収監されており、この内の相当数が宗教的な理由によるものであるとされています。報告書では、北朝鮮では2017年の1年間に、宗教活動をしたという理由から119名が処刑され、770名が収監されたとのことです。また、宗教を理由に87名が失踪し、48名が強制移住させられ、44名は身体的に負傷したとされています。
当然、聖書の神エホバは、私たちが他の人々の命を尊重することを求められます。それは、人間は、神の特質を一部与えられているからです。それで、罪を犯す前のアダムは、「神の子」と言われています。(ルカ3:38)
罪を犯す前のアダムは神の特質を一部与えられていたので神の子と呼ばれていました
人間は将来地上の神の子になるので神にとって貴重です
そのためわたしたちは他の人の命を尊重する必要があります
ですから、神に信仰を抱く地上の人々は、将来、キリストの贖いに基づいて罪が取り除かれ、地上での「神の子」と呼ばれる正当な立場に立つことになります。(ローマ 8:21)ですから、地上の人間は、将来神の子供としてとても大切な立場に立つことになるので、神にとって人間の命は、基本、貴重です。ですから、他の人間の命を奪う殺人を神は基本禁じています。
とりわけ、ご自分に信仰を抱くクリスチャンを迫害したり、その命を奪ったりすれば、その政治支配者の助けを求める祈りを聞かれることはありません。(イザヤ1:15)
それで、聖書の神エホバ神はご自分に信仰を抱き、頼って従うクリスチャンに対してはとても親切ですが、反対にご自分に対して不敬な態度をとる人々に対しては敵対され、その政権を滅ぼされるかもしれません。
それは次の昔の日本の政権の事例から分かります。
(4)日本でクリスチャンを殺害して次の年に死んでしまった豊臣秀吉
例えば、昔豊臣秀吉という日本の政治支配者が、日本を武力で統一した後、李氏朝鮮 と明を侵略した時がありました。その頃西暦1597年豊臣秀吉は、大阪と京都にいた外国人の宣教師たちと日本人のクリスチャンたち26人を長崎まで長距離を歩いて行かせて処刑しました。これらの26人のクリスチャンたちは、大阪と京都の中心的なクリスチャンたちであったと考えられます。次の年に、秀吉は病死しました。
豊臣秀吉が殺害した26人のクリスチャンを記念する長崎の施設と記念碑
秀吉自身は、自分の病気が仏像を元あったお寺から遠くのお寺に移したためその仏像のたたりだと考えました。でも、その仏像を元に戻す処置をとった次の日に秀吉は、死んだので、仏像が移されたためのたたりではありませんでした。
さらに、豊臣政権は一応天下を統一していたにもかかわらず、豊臣家は滅ぼされ、徳川幕府に取って代わられてしまいました。ですから、その秀吉の死は、秀吉に処刑されたクリスチャンたち、また、そのクリスチャンたちの殉教についての話を伝え聞いたクリスチャンたちの祈りが聞かれたのではないかと思います。
聖書の中にも、祈りが聞かれて神の崇拝者を殺害した王が死ぬ結果になったという記述があります。1世紀に、イエスの十二使徒のひとりヤコブを剣で殺害した王ヘロデは演説していた時に、虫にかまれて死んだのですが、聖書はみ使いが彼を打ったと述べています。(使徒12:21-23)
そして、彼が死ぬ前に、会衆によってペテロが救出されるようにと熱心な神への祈りがささげられていたことが記録されています。(使徒12:5)ですから、ヘロデ王は、会衆の誰かの祈りが聞かれて、み使いによって打たれたのかもしれません。
しかしながら、誰一人、復しゅうを祈り求めなくとも、「もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら,神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。」と書かれています。(コリント第二3:17)聖書には、天的な希望を持つクリスチャンに、神の聖霊が宿っているので、「神の神殿」であると述べられています。
つまり、天的な希望を持つクリスチャンの場合、現在エホバ神の子とみなされています。親であれば子供が殺されて黙っていることはありません。エホバ神はご自分の霊的な子供をとても愛しておられるので、その命を奪うならば、その殺人者に復しゅうされます。(ガラテア3:26-29)
ヤコブの場合は、天的な希望を持っていましたし、もしかすると、豊臣秀吉が殺害した26人の殉教者の中にも、聖書の神が是認されていた真正な天的希望のクリスチャンが含まれていたのかもしれません。
さらに、申し上げますと、20世紀の初めから、朝鮮半島でエホバの証人の兄弟たちが良心的兵役拒否のために何年も何十年も投獄されて、中には死んだクリスチャンもいたことを私は知っています。また、クリスチャンたちは、戦前は、北朝鮮に建てられた日本の神社で天皇崇拝を強制されて、それを拒んだために、迫害されています。
また、どの程度の迫害が行われたのかは十分に分からないのですが、李氏朝鮮の時にも迫害が行われたとされています。
その中に、真正な天的な希望を持つクリスチャンが含まれていたのかもしれませな。すると、第二次世界大戦の後に北朝鮮と韓国に分裂し、北朝鮮では、朝鮮戦争の時には、民間人も含めて1,300,000人もの人々が死ぬというような国難が北朝鮮に起きることをエホバ神が許されたのも、そこに原因があったのかもしれません。
(5)金正恩委員長にお願いしたい事
ですから、金正恩委員長にお願いしたいことは、収容所に捕らわれているクリスチャンたちを皆収容所から解放していただきたいということです。
金正恩委員長はキリスト教徒は、帝国主義者で、米国や韓国に騙されて操られているとお考えなので、キリスト教徒を嫌われるのでしょうか。キリスト教は米国の宗教ではありません。キリスト教の本聖書は、中東やヨーロッパで書かれました。
聖書は神についてこのように述べています。使徒ペテロはこう述べました。「神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります。」(使徒10:34,35)
エホバ神は、最初の先祖アダムからあらゆる国民・民族を作られたので、あらゆる国民に対して公平な方です。ですから、キリスト教徒は米国あるいは日本あるいはどこかの国の帝国主義を支持することはありません。
聖書を信じるクリスチャンは欧米だけでなく中国などアジアを含めて全世界に存在しています
私自身は、今のところ、世界中のあらゆるクリスチャンの中に、良いクリスチャンも悪いクリスチャンも含まれていると考えています。ですから、キリスト教徒は、あらゆる国民の中に存在しています。どこか特定の国が帝国を築いていくことに賛成するわけではありません。
聖書はクリスチャンに剣をとって戦うことのないように、また、政府に服するように勧めています。(マタイ26:52。ローマ13:1)ですから、聖書に忠実なクリスチャンであれば、金正恩委員長を暗殺することは決してありません。また、暴力的なクーデターに加わることもないはずです。殺人や淫行を避けてまじめに働くよう努力をするはずです。神の律法に反することでなければ国家の要求に協力するはずです。
わたし自身は、アジア人です。欧米のキリスト教徒たちは、聖書に従っているクリスチャンもいるし、そうでないクリスチャンもいると考えています。聖書に従うクリスチャンは帝国主義でも資本主義でもありませんし、ただ米国と韓国にだけクリスチャンがいるわけではありません。北朝鮮のクリスチャンたちは米国や韓国に操られているのではなく、神と聖書に従いたいと願っていると思います。
Some of the 65 brothers who gained early release from prison after the South Korean Supreme Court ruled that their stand of conscience is not a crime.
北朝鮮に対して剣を用いることが決してない投獄されていた韓国の65人のエホバの証人たち
聖書に忠実なクリスチャンは米国や韓国に第一に従うのではなく神に従い政府にも敬意を払って従います
それで、金正恩委員長に強制収容所に捕らわれているクリスチャンたちを開放して、彼らの命を尊重してくださるようお願いいたします。北朝鮮の中で、キリスト教徒が親切に扱われたら、彼らは、韓国に逃亡することもないはずです。
(6)北朝鮮のクリスチャンに親切にしたり聖書に従うことの利点と益
金正恩委員長ご自身にも、米国を始めどの国の代表者とも平和に敬意をもって接する努力をされるようお勧め致します。その方が、最近完成したスキー温泉リゾートにも観光客がたくさん来ることでしょう。外貨を稼ぐには、米国を始めどの国民とも平和に過ごすよう努力される方がいいです。
また、米国に敵対すると米国を刺激してリゾート施設も広大な温室も空爆にあって破壊され、せっかくの金正恩委員長の努力がだいなしになってしまう危険もあります。
アイスランドが観光客が増えたのは、EUと共に軍事行動に加わらなかったので、神の祝福を受けたこととともに、テロの怖れもほとんどないのであらゆる国民が安心して訪れることができたからです。
でも、ミサイルの発射を継続すると、いつ、ミサイルの発射が失敗して北朝鮮に落ちないかと観光客も恐れて来なくなるでしょう。また、ミサイル発射の報復で反対に米国からミサイルを撃ち込まれないかと恐れるかもしれません。
金正恩委員長が米国に敵対して核開発を継続してミサイルの発射をし続けると、ヨーロッパ諸国やアジアその他の諸国家からの大勢のお客さんを遠ざけてしまいます。
実際、これは以前のこのブログで申し上げたことがあると思いますが、聖書は他の軍事強国が自国より強大な軍事力で攻めてくると考えられる場合、敗北が予期されるので、身を低くして大使を遣わして和平を講ずるようにすすめています。
イエス・キリストは次のように言われました。「どんな王が別の王と戦いを交えようとして行進するにあたり、まず座って、二万の軍勢で攻めてくる者に、一万の軍勢で相対することができるかどうかを諮らないでしょうか。事実、それができないなら、その者がまだ遠く離れた所にいる間に、一段の大使を遣わして和平を求めるのです。」(ルカ14:31,32)
このイエス・キリストの助言はいつの時代も実際的です。敗北することが予期される戦いを始める前に結果を考えて、平和に過ごすことが勧められています。それで、最近までトランプ大統領は、北朝鮮と平和な良い関係を保つよことを考えておられたので、まだ今のうち、米国と和平をはかることができます。
さらに、戦争というものは、たとえ、勝利をしても、経済的な大きなコストがかかります。長年戦争にかかわらなかったアイスランドの例を考えても、平和である方が、神の祝福を受けて経済的にも結果が良くなります。
また、北朝鮮にキリスト教徒を収容して苦しめる収容所がたくさんあるということになれば、北朝鮮の評判も悪くなり、観光客もあまり増えないと思います。でも、その点で、収容所にいるクリスチャンたちを開放し、聖書の神エホバの是認を求めて行動されたら、経済的な困難を始めとしてさまざまな国難を克服する神からの助けが得られると思います。
また、エホバの是認を求められたら、神の助けによって金正恩委員長の身体的な健康も向上するということもあるかもしれません。
また、聖書はご自分に従うクリスチャンに復活と「永遠の命」を約束しています。(ヨハネ3:16)政治支配者の方々もどんなに権力を振るっておられても、いずれ病気になったり、年をとって衰えて最後には死にます。
わたしヨハネ自身、年をとって若い時のような体力がなくなっていますので、このような過程が続いていくなら、最後には死んで土になると思います。でも、私は聖書の神との良い関係を追い求めていますから、復活の希望があります。
老化と死がわたしたちの定まった将来であるという残念な状況から救い出せるのは万物の創造者であり、全能の命の与え主であるエホバ神です。神はできるだけ多くの人々に永遠の命を与えたいと願っておられます。
わたしたちの祈りが聞かれること、すなわち、聖書の神エホバが実在されることを示す証拠はいくつもあります。わたしは、この「ヨハネのブログ」の中で、その例を示していますので、確認されてください。
それで、北朝鮮にいるクリスチャンたちに親切にされて、その命を尊重し、収容所にいるそれらクリスチャンたちが北朝鮮のため、また、金正恩委員長のために喜んで祈るように取り計らわれるようにお願い致します。
日本のトップが行った大嘗祭という偶像崇拝に対するエホバの怒りをどうしたら和らげることができるできるか
昨年は、令和元年にあたって大嘗祭が、国家をあげて行われました。 これは、聖書的にいうと、天照大神、また、その背後に存在する日本の悪霊の君に対する偶像崇拝です。偶像崇拝は聖書の神エホバの怒りを引き起こします。
それで、今回の大嘗祭は、聖書の神エホバの激しい怒りを引き起こしたと思います。それはエホバ神の日本に対する好意と助けを失わせました。それで、日本に今後国難が待ち構えていると思います。
国家の命運は、基本、聖書の神エホバとの関係がどうであるかによって左右されると思います。過去において聖書の神エホバに不敬を表した国家は、災いにあっているケースが多いと思います。これは、単に、その国家が単にひとりのクリスチャン、あるいはひとつの宗教グループに良くすることによって決まるのではありません。あくまで、聖書の神エホバがどのように扱われるかによって、結果が出てくると思います。
今回の記事では、昔、古代バビロンで、国家を挙げて偶像崇拝が行われた後に、どんなことが起きたかを説明します。そして、今回国家を挙げて行われた大嘗祭という全国規模の偶像崇拝で引き起こされたエホバ神の怒りをどのようになだめられるかを考えてみますので、日本の政治に携わられる方々にご検討していただければと思います。
(1)古代バビロンで起きたことと現代日本で起きたことの相似
昔、バビロンでネブカドネザル王の偶像が建立された時、三人のユダヤ人だけが、その偶像に対して崇拝することを拒みました。その他のバビロン人は、皆、その像に対して偶像崇拝を捧げました。(ダニエル3:1-7)
しかし、古代バビロンでは、その場にいなかったダニエルを含めて四人だけ政府関係者に偶像崇拝を拒んで、まことの神を断固として崇拝していることを示した人がいたことになります。しかし、今回大嘗祭を行った日本の場合、古代バビロンよりも、まことの神に祈りを聞いていただける立場の人がいなかったことになると思います。
古代バビロンは、周辺諸国の人々を数多く殺害しました。また、ユダのエホバの神殿を破壊し、その当時は神との契約関係にあったユダの国民を大量に殺害しました。そして、国家ぐるみで大々的にバビロンの神々に対する偶像崇拝を推進しました。
古代バビロンでは、ネブカドネザルがまことの神の前にへりくだったので、バビロンは彼の時代には滅びませんでした。しかし、ネブカドネザルの後を継いだバビロンの王ベルシャザルは、過去にネブカドネザル王に起きたことを知りながら、国家ぐるみでエホバ神に不敬を示し、偶像の神をたたえながら宴会に浮かれました。
バビロンの王はエホバの神殿の器でぶどう酒を飲んで国家ぐるみで偶像の神をたたえた
バビロンは、その時に、メディア・ペルシャによって滅ぼされてしまいました。(ダニエル5:1-4)それで、エホバ神はご自分に対する不敬に反応されるということが分かります。
バビロンは偶像崇拝の伴う宴会にふけっていたその晩に倒されてしまった
エホバ神は感情をお持ちの神です。とりわけ、偶像崇拝と悪霊崇拝に対して怒りを抱かれます。そして、国家ぐるみで偶像崇拝を行う時に、エホバ神はその国家を滅ぼしてしまわれることがあります。古代バビロンは、ネブカドネザル王が神の神殿を破壊し、エホバ神の崇拝者を殺害し、さらに、偶像崇拝を国家ぐるみで行ったために、滅ぼされてしまいました。
エホバ神は命の源です。(詩編36:9)エホバ神にとってご自分の崇拝者の命はとりわけ貴重です。(詩編116:15)エホバ神はご自分の崇拝者たちがバビロンの攻撃によって失われたこと、また、ご自分のエルサレムの神殿が破壊されてご自分に対するはなはだしい不敬が示されたことをそのまま見逃されることはありませんでした。(エレミヤ50:28)
エホバ神は日本政府が長年にわたって行ってきたことを見ておられると思います。エホバ神は、物事を時代を越えて見ておられる神です。そのため、次のように言われます。「わたしエホバは全き専心を要求する神であり,わたしを憎む者については父のとがに対する処罰を子にもたらして三代,四代に及ぼす」と言われています。 (出エジプト20:5)
エホバの崇拝者に対する迫害や偶像崇拝はエホバ神に憎しみを表すことなので、エホバ神はその処罰を時代を越えてもたらされると思います。そして、今回、日本政府が国家ぐるみで偶像崇拝を行ったので、なおのことです。
日本の状況は豊臣秀吉の時また徳川幕府の時、また太平洋戦争中にクリスチャンに対する徹底的な迫害を行って、クリスチャンを徹底的に迫害し殺害してきました。ほとんど古代バビロンと同じ状況です。また、日本は、中国やアジアで多大の血を流しました。
このことをエホバ神は見てこられたと思います。エホバ神は日本政府が長年にわたって行ってきたことを見ておられると思います。そのため、昔のバビロンの時代の状況よりもさらにエホバの崇拝者が存在しないという状況です。それでは、エホバ神は日本に対して古代バビロンに起きたことが起きるようにされないでしょうか。
エホバ神は、「わたしを憎む者については父のとがに対する処罰を子にもたらして三代,四代に及ぼす」と言われています。 (出エジプト20:5)エホバの崇拝者に対する迫害や偶像崇拝はエホバ神に憎しみを表すことなので、エホバ神はその処罰を時代を越えてもたらされると思います。そして、今回、日本政府が国家ぐるみで偶像崇拝を行ったので、なおのことです。
(2)国家の政治のトップがまことの神に対する態度がこの国家の命運を左右する
昔の預言者たちは、王や国民が神に立ち返るよう努力を払いました。答え応じる人は少数でした。預言者たちが行う努力は、その国家に起こることにさほど影響しませんでした。国民全体に大きな影響を与えたのは、その国家の政治のトップの振舞いでした。
聖書の神はとりわけ国家の政治のトップがご自分に対してどのような態度をとるかに注目されます。聖書では、昔の王たちが聖書の神に対してどのような態度をとつたかに注目しています。
そして、政治のトップが聖書の神に敬意を払う時、エホバ神は、その国民がどうであるかをある程度無視しても、その国家に対して良くされました。(歴代第一29:22-25)そして、政治のトップが聖書の神に不敬を表す時、その国家には災いが起きました。先ほど説明したソロモン王の偶像崇拝のために次の王の時に起きたことはその例です。
ですから、今回の大嘗祭は、今後、エホバ神が日本全体に対して是認していないことを表明されても、少しもおかしくないということになると思います。すなわち、聖書の神が日本を保護することを差し控えられても当然のことになります。
何度も申し上げましたが、これから、日本に大きな災いが起きるとしたら、それは、新天皇と政治のトップの安倍首相や政界・司法・立法や自治体の代表者の方々、靖国神社を参拝される政治の高官の方々の責任だとわたしは申し上げます。日本全国ぐるみで行われた偶像崇拝は、万物の創造者エホバ神の是認と保護を日本から失わせ、エホバ神の怒りを引き起こしたからです。
(3)日本に待ち受けている国難を避けるために何をしたらいいのですか
それで、わたしは新天皇や皇族の方々がキリスト教の聖書の神の前にへりくだられて、敬意を払われるようにお勧め致します。キリストの贖いの犠牲に頼るならば、罪は許されると思います。「彼(イエス)はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの罪のためだけではなく,全世界の罪のためでもあります。」とあります。(ヨハネ第一2:2)
それで、大いに聖書の神エホバ神に対する敬意を示す努力を払われるようにお勧め致します。キリスト教の聖書の神エホバ神に対する敬意を表すことを国家ぐるみで大々的に行われるのがいいのではないかと思います。
昔預言者ヨナはエホバ神に命じられて後四十日でアッシリアのニネベが覆されると宣べ伝えました。すると、ニネベの王が自分が悔い改めて祈るとともに全国民にも悪と暴虐の生き方をやめてまことの神に心をこめて許しを呼び求めるよう勧めました。
ニネベの王は、エホバ神が怒りをとどめるチャンスにかけました。その結果、エホバはニネベの王や人々が悪から立ち返ったのをご覧になり、ニネベを滅ぼすご自分の考えを変えられました。そして、ニネベの滅びは延ばされることになりました。(ヨナ3:3-10)
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ニネベの人々はヨナの預言を聞いて全国的にまことの神に呼び求め生活の仕方を変えたのでただちに臨む国難を免れた
ですから、全国的にエホバ神の崇拝を促進するような法律などを制定するのがいいのではないかと思います。大嘗祭の偶像崇拝は全国的に大々的に行われたので、エホバ神を高める法律制定も全国的に大々的なものとして、エホバ神の怒りが和らげられるのに足る十分なものとすることが必要だと思います。そのようにすれば、エホバ神の怒りも幾らかはなだめられるかもしれません。
でも、豊臣時代と徳川時代に幕府が行ったクリスチャンに対する迫害は徹底的なものでした。また、戦時中も投獄や獄中死などクリスチャンに対する多大な迫害が行われました。その上、アジアの民間人や対戦国の兵士など日本政府により多大の流血が行われました。さらに、平成と令和の大嘗祭その他の偶像崇拝などが国家ぐるみだ行われているのですから、相当なことを行わなければ、前途にかなりの国難が待っていると言えるのではないかと思います。
ひょっとして、日本人のわたしが、聖書の預言の解釈を行っているために、国難が日本に起きていると考えられるでしょうか。イエスがユダヤで宣教を行われて、そのことそのものが原因で、ユダヤに国難が臨むことはありませんでした。イエスとイエスの弟子たちなど、エホバの崇拝者たちに対する迫害と流血が神の怒りを引き起こしてユダヤに西暦70年の国難が臨みました。
ですから、日本政府が最大限にエホバの怒りをなだめる努力を払わなければ、どんな国難が日本に臨むことになるかはわたしには予見できません。
そうしなければ、これから日本にまた国難が起きることになると思います。わたしは、以前申し上げましたが、ひとつの国家に起きる起こる災いはどこかの国による迫害や攻撃が主な原因というよりは、聖書神エホバとのその国家との関係が悪いために引き起こされると思います。
とりわけ、エホバにとってはその国家のトップが行うことが重要です。誰か個人がエホバ神に不敬なことを行ったことが主原因となるのではなく、国家ぐるみで行う偶像崇拝は、とりわけエホバ神の怒りを引き起こします。
それで、今後、日本に国難が起きることが予想されますが、その場合は、新天皇、また、皇族の方々、パーティーの際に、万歳三唱をされて天皇を神として崇拝することを国民に奨励された安倍首相、また一緒に偶像崇拝をなさった政治の関係者の方々の偶像崇拝が引き起こしたと言えると思います。
憲法9条に頼ることによって国家の存続を危うくするのかー三島由紀夫の改憲論
日本政府が天皇制に戻って、憲法9条を廃止したいと願っています。三島由紀夫は、切腹自殺を遂げましたが、彼は、憲法9条を削除して、改憲し、天皇制を復興したいと願っていたからです。
三島由紀夫は、自身、神風特攻隊になりたかったのです。そして、神風特攻隊となった者たちがとても純粋で美しいと考えていたので、そのことが間違いだったことになるので、天皇の人間宣言を面白く思っていませんでした。それで、実は、切腹自殺をする前に天皇を殺したいという気持ちも持っていたということを聞いた人の話もあります。
三島由紀夫は、自身、二二六事件で亡くなった人の死霊に影響されていたのではないかと考えていました。しかし、聖書は死んだ人の霊ではなく、悪霊が存在していると述べています。しかも、聖書はそれぞれの国の背後に悪霊の君が存在することを明らかにしていますから、三島由紀夫は、日本の背後にある悪霊から影響をされていたのかもしれません。
今回の記事では、聖書の原則に従う時には、聖書の神エホバの助けがあることを示す事例を説明したいと思います。
三島由紀夫は、日本国憲法の9条を削除して改憲してしまうべきだと考えていました。三島は、外国の軍隊は決して日本の「時間的国家の態様を守るものではないこと」を自覚するべきだとしていました。
他の軍事強国が自国を必ずしも守ってくれないというのは、三島の言うとおりです。軍事強国は自国の益を第一に行動しますから、お金のために小国を守ることもありますが、状況によってはその小国を同時に軍事攻撃することもあります。
聖書によると、アッシリアがイスラエルを守る結果になったことも書かれていますが、同時に、アッシリアは北のイスラエルを滅ぼしたことが書かれています。また、エジプトは、ユダを守ろうとしたこともありました。でも、エジプトは同時にユダの王ヨシアを殺しました。ですから、他の軍事強国をあてにするのは確かに、賢明ではありません。
しかし、相手国がかたくなな戦闘的な国家で、憲法9条に従って、平和外交に頼ってもうまくいかない時には、もし、神とイエスに従うために、平和外交の努力をしたのであれば、エホバ神は、その神とイエスに従った努力を認めて、そのクリスチャン、また、その国家を助けてくださると思います。
- (2)問題が生じた時平和交渉で解決できることや神のみ手が働くことを示す事例
- 最近、紹介しましたが、2008年、カダフィ大佐が独裁政権としてリビアを支配していた時に、カダフィ大佐の息子がスイスで暴力事件を起こして逮捕されました。そのことに怒ったカダフィ大佐は報復としてスイスに対し、石油輸出を禁止し、また、二人のスイス人のビジネスマンを逮捕しました。
- スイスのメルツ大統領は、2009年、リビアを訪問して、カダフィ大統領に謝罪をしました。結局、二人のスイス人は、時間はかかりましたが、無事に釈放されました。メルツ首相の平和的な対応の仕方はうまくいきました。
- また、2009年にスイスは国民投票でモスク(イスラム教礼拝所)の塔の建設禁止を決めました。わたしはこれは、国家の憲法などに信教自由が規定されていれば、国家によってはそうしたことについての決定はさまざまだと思います。また、柔軟性がないとスイスの決定を非難したいと考える人もいるかもしれないと思います。
- しかし、多くのスイス人の観点からすると、キリスト教の神に対する忠実のためにモスクの塔の建設を認めたくないという決定だったのだと思います。
- それに対して、カダフィ大統領は、「モスクを破壊する不信心で節度を欠いた国だ」とスイスを非難し、すべてのイスラム教徒に対し、スイスへのジハード(聖戦)を 遂行するよう求めました。また、大佐は「スイス人と働く者は背教者」とし、イスラム世界 のあらゆる空港へのスイス航空機の着陸阻止や同国製品などの不買、排斥運動を呼びかけたということです。
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- しかしながら、結局カダフィ大佐は、2011年にリビアで起きた内戦で死亡し彼の政権は崩壊してしまいました。しかし、スイスは内戦での負傷者をスイスの病院で手当てをする処置をとりました。また、リビアの反政府勢力にNATOが関係していたようですが、スイスはNATOにも加盟してはいません。それで、スイスとリビアの関係は改善されていきました。
- SWIswissinfo.ch
- それで、スイスは聖書と調和した平和主義と中立主義で問題を乗り越えることができました。
- スイスはリビアがふたりのスイス人のビジネスマンをすぐには開放しなくても、自国を脅かしても、リビアに対して軍事的な措置を取りませんでした。すすなわち、スイスは自分で復しゅうしませんでしたが、エホバ神が行動してくださったのではないかと思います。
スイス政府としては、聖書に従って最善を尽くして平和外交の努力を払って、リビアに対して武力を用いたりすることはなかったので、エホバ神はスイスが守られるように助けてくださったと思います。ですから、一時的にスイスの大統領が辱められるとしても、聖書の原則に従った価値があったと思います。- このことは、アフガニスタンで医療活動や灌漑を行って干ばつを乗り越える利他的な助けを差し伸べていた中村哲さんがイスラム教のモスクを建設した後に、銃撃を受けて死亡したのとは対照的ではないかと思いました。中村さんは、クリスチャンですから、モスクの建設に携わるのは偶像崇拝になり神へ不忠実を示したことになってしまったと思います。
- ですから、神に忠実を保つ時に、神からの助けがあり事態を乗り越えることができますが、不忠実になると事態を乗り越えることができるように見えても、神からの助けを失ってしまいますから、結局自らに災いを招いてしまうように思います。
- (3)日本国憲法9条に従っても国家の存立が危うくならない事
- 三島は日本国憲法第9条の条文が「国家としての存立を危ふくする立場に自らを置くもの」であると断じています。そして、いかなる戦力(自衛権・交戦権)保有も許されていない憲法第9条第2項を字句通り遵守すれば、「国家として死ぬ」以外にはないと述べています。
- しかし、三島はクリスチャンでありませんから聖書の神への信仰を持っていませんでした。神エホバに忠実を保つならば、エホバ神はご自分の原則に忠実な国家やクリスチャンに対してその大きなみ手によって助けを差し伸べてくださいます。それは、スイスの事例も示しています。
- ですから、聖書の勧める平和主義と中立主義を行う時に、『国家としての存立を危うくする立場に自らを置くもの」ではありませんし、また、そうする時に、「国家として死ぬ」以外にはないということはありません。
- 結局、神に従うためにさまざまな苦難に直面するとしても、神の助けによってその苦難から抜け出すことができます。スイスに起きた出来事はそのことを示しています。ですから、聖書と調和した憲法9条に神への信仰を持って従う時に、神は日本を助けてくださるはずだと思います。
- ですから、私たちは、絶対に聖書の原則に従わない方が結果が良くなると考えるべきではないと思います。
- 聖書の原則に従わないならば、神の是認を失いますので、神からの目に見えない助けを失ってしまいます。反対に、エホバ神は私たちより物事をずっとご存知ですので、私たちが苦難にあう時に、それに対する対処法をご存知です。エホバ神は神に忠実な国家や人々のために物事を動かして助けを与えてくださったり、対処するための知恵を与えてくださると思います。
- 「義なる者はたとえ七度倒れても,必ず立ち上がる」と聖書は述べています。ですから、神に忠実に従おうと努力するクリスチャンが7回苦難にあっても、神の助けによってそこから抜け出して立ち上がることができます。(箴言24:16)
さらに、聖書は「まことの神を恐れる者たちが神を恐れていたために良い結果になる」と述べています。(伝道の書8:12) - 聖書は、聖書の原則に従うクリスチャンたちが苦難に遭わないと保証はしていません。そのために、死者という犠牲も出るかもしれません。しかし、歴史を大きく見ていくと、聖書の原則に従っている方が、その後、何十年もときには、何百年経っても良い結果を刈り取ります。
- ですから、紛争が起きる時、戦争に頼らないで話し合いによって紛争を解決する努力をするという憲法9条は、基本聖書に調和しており良い結果になると思います。そして、武力によって紛争を解決することをしないために、相手国から占領されることがあっても、その国民の命と資産は保全されます。
- 例えば、アイスランドも軍隊を持っていなかったので、太平洋世界大戦中に英国軍と米軍に占領されました。しかし、後になって米軍基地は撤収することになりました。
- 日本でさえ、米軍は、占領統治をやめて、マッカーサー将軍は本国に帰ることになりました。降伏しても、後程、自治権が戻ってきたのであればそれで良かったのではないかと思います。ですから、日本の場合でさえ、遅くなりましたが平和主義が助けになりました。
- わたしは日本政府や自衛隊は、戦前の天皇が崇拝され、政府や軍隊が実権を握る形態に戻って、日本帝国を拡大しようと考えるべきではないと思います。
日本は、戦時中、天皇崇拝と神道を推進しました。神道は、古事記や日本書紀という書物に基づいています。古事記や日本書紀の冒頭は、小学生でも作り話であるということが分かる偽りが含まれています。そうした偽りをひとつの国家の基に置くのは、良いことではないと思います。 - 自民党が最近作った新しい憲法草案も、天皇を政治の長にするという規定が含まれていたのではないかと思います。それで、天皇中心で戦争をしていた戦前の日本が良かったと考えておられるのではないかと思います。
これは同性愛者で神道の天皇崇拝者であった三島由紀夫とほとんど同じ考え方ではないかと思います。それで、戦前日本が行っていた多大の流血の反省は実際にはないのではないかと思えます。 - 日本は、明治から大正、昭和に至るまで、数百万人、あるいは数千万人の人びとの血を流していると思います。日本は同じような罪を繰り返さないようにするべきだと思います。そして、その罪をキリストの贖いの犠牲に基づいて、エホバ神に罪の許しをお願いするべきだと思います。
(4)聖書の神はエホバはご自分を崇拝することを公言しご自分の教えに従う国家やグループを助けて祝福される
今、何世紀ものあいだ聖書の神を崇拝していることを公言し、努力をしてきた欧米が、その信仰と努力を放棄しつつあるという状況があります。欧米は、その状況のもたらす結果をそのうちに経験することになると思います。 - しかしながら、欧米諸国は今でも、世界でも経済のトップレベルにある諸国家が多いです。それは、欧米諸国が聖書の神エホバろ崇拝することを公言してきて、国によって度合いは違いますが、過去に何世紀にもわたって聖書の神に従い、その原則に従う努力をしてきたので、その益を刈り取ってきたのだと思います。
一方、日本は戦後、諸外国に対して平和主義を取ってきました。また、国民に対して親切にしました。そのこと自体は、愛ある賢明な対処の仕方でしたが、それは、聖書の神エホバ神に対する崇拝を中心にして行われませんでした。そのために、努力をしても、聖書の神を崇拝している諸国家に先を越される結果になっていると思います。
全知全能の神エホバはご自分に対して信仰を表明する国民に助けを与えられますが、他の宗教を奉じる人々には基本助けを与えられないからです。
ですから、日本は努力を払ってもその努力の結果が、無駄になることがあります。偶像崇拝をしており、その宗教が神道や仏教であり、また、進化論や無神論だからです。偶像は、国家にも何の助けを与えませんし、悪霊に頼ると、滅亡に巻き込まれる結果になります。
日本のダーウィンの進化論を受け入れる人々や無神論者は、自らを賢いと考えています。しかし、実際は、論理的・理性的な思考力に欠けます。また、日本の進化論者や無神論者は道徳的な規範を投げ捨て、そのために、その生活の質は低下します。
ですから、スイスのように、あるいは他の国家のように、聖書の神を崇拝していると公言している諸国家の方が、賢く、あまり、努力をしなくても上になるという結果になります。
わたしは米国は、そのキリスト教が背教しつつあると思いますし、米国でも進化論者や無神論者が増えてきています。また、近年はとりわけ流血の国家となつていると思います。
しかし、それでも米国の人々の中には、聖書の神を崇拝するよう努力を払ってきた人々が従来、数多く存在してきたと思います。そのためにも、ある程度は、聖書の神エホバ神の祝福と助けが米国にあったと思います。そのためにも、ある程度は米国が経済的にも祝福を得た部分もあったのではないかと思います。 - 日本の実情は、神道や仏教などの偶像崇拝に頼り続けており、聖書の神エホバ神に頼るクリスチャンは、日本の中で少数派であるというのが現状です。そのために、日本は平和を求め親切を行うという神の目に良いことを行いながら、神の目には良い立場を持てていないという現状があります。
- 最近国を挙げて行った大嘗祭でも、日本はエホバ神の大きな怒りを買ってしまいました。このままでは、大きな国難が日本に臨んでもおかしくはないと思います。
- 三島由紀夫は決して賢明な生き方をしたとは言えません。彼は自分の才能を無駄にする自滅的な生き方をしました。また、憲法9条を廃して天皇制を回復して軍国主義を採用しようとする彼の考え方も、決して実際的なものではありません。
- キリスト教のイエス・キリストが勧められる原則に従うことが神の助けと祝福が得られるので結果がいいです。過去において神道の天皇制に従ってきた日本が最終的にどんな結果を刈り取ったかは、天皇に政治の実権を与える過去の日本の神道中心の政治システムが賢明でなかったことを示しています。決して、以前の賢明でない政治のシステムに戻ることのないよう日本の政治に携わる方々にお勧めします。
また、キリスト教の価値を認めて、キリスト教の神エホバに頼って、その助けと益を享受されるようお勧め致します。
26人の殉教とその後日本に起きた災いとの関係-エホバ神の観点から国家の問題を解決していく
(1)秀吉によって行われた長崎での26人のクリスチャンの殉教とその結果
スペインの漂着船サンフェリペ号の船員による秀吉から派遣された奉行に対する受け答えが秀吉に報告されました。
そのために、秀吉の命令で京都や大坂にいたカトリックのフランシスコ会の宣教者たちと修道士、また日本人信徒26人が長崎で処刑される結果になりました。
彼らは京都や大阪で捕らえられて左の耳たぶが切り落とされ、市内を引き回されました。その上、厳冬の中を大阪を出発してなんと長崎までの長期距離を歩いていくことを強制されました。道中で、それを見物した日本人はキリスト教に改宗することに対して怖れを持たされたことでしよう。
そして、彼らは長崎の丘の上で、槍で突き刺されて処刑されました。彼らは、道中でひとりでも死んだとは記録されていないので、道中、互いに世話をして、信仰の点で励ましあったのではないかと思います。実際、彼らを世話したクリスチャンたちも、処刑される結果になっています。彼らは互いへの真の愛も実証していました。
スペイン政府はマニラで事件を徹底的に調査したようです。船長はスペイン政府に報告書を作成して提出したようです。また、事情を知っている宣教師がスペイン政府に事情を説明する文書を作成したようです。
それで、日本で起きたことは詳細に報告されたので、事情を聞いた信徒が神に祈りをしたであろうことは容易に想像できます。
そのため、スペイン使節がマニラから秀吉の元へ送られ、漂着した船の積荷の返還と宣教師たち二十六人の遺体の引渡しが求めました。しかし、引き渡しは行われなかったということです 。それで、秀吉は、キリスト教徒に対する迫害に対する反省や後悔はみじんも見せませんでした。
当時、スペインで徹底的な調査が行われた時に、日本を武力制圧しようかという話もあったそうですが、日本にとっては幸いなことにスペインもイタリアもそうはしませんでした。
その時、イタリアやスペインのカトリックは日本に復しゅうはしませんでした。しかし、聖書には、「わたしの愛する者たち・・・神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」(ローマ12:19)
そして、事態の進展は、この言葉通りになったことを示しているのではないかと思います。
クリスチャンの殉教の何百年もの後に、エホバ神が復しゅうされるということはあり得ると思います。それで、ひょっとして、日本が第二次世界大戦の時に、全土で空爆を受けたことや二度の原爆投下を受けたことは、この時日本政府が犯した罪に対する罰が生じたのかもしれません。
それは、聖書に書いてあることではありませんから、断定はできません。もちろん、わたしは核兵器とその使用には基本反対です。 核兵器は良い人も悪い人も無差別に人の命を奪い、環境と健康を長期間にわたって害する武器だからです。
とにかく言えることは、第二次世界大戦当時、日本は、とりわけ神の目に偶像崇拝である神道を推進しており、エホバ神から保護をしていただける立場にありませんでした。そして、残念ながら、今日もそうした状況であるかもしれません。
(2)エホバ神は天的な希望のクリスチャンの血を流す政権や国家を滅ぼされる
聖書には、「もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら、神はその人を滅ぼされます。・・・あなた方はその神殿なのです。」とあります。(コリント第一3:17)それで、神の神殿、すなわち、天的な希望を持つクリスチャンの命を奪うなら、神はその復しゅうのためにその殺人者や殺人者の国家を滅ぼすことになります。
神の子イエスを殺害したために・・・
西暦70年にエルサレムはローマ軍によって滅ぼされてエホバ神の復しゅうが行われた
もちろん、エホバ神にとって信仰のない人の命も大切です。(創世記9:5,6)しかしながら、エホバ神はご自分に信仰を抱いて「呼び求める」人を重視されます。(ガラテア6:10。ローマ10:13)そのために、信仰の人々の願いや命をご自分に対して信仰を持たないで邪悪なことを行う人々の願いや命よりも優先されます。(箴言21:18。イザヤ43:3,4)
さらに、信仰を持つ人々の中でも、地上における語の神の子という立場にあるご自分に「忠節な」神殿級のクリスチャンを重要視されます。(ガラテア3:26-29。詩編116:15)
実際、大いなるバビロンの南の王が滅ぼされることになるのも、天的な希望を持つ「聖なる者たち」の命を奪うという理由であると聖書は説明しています。(啓示17:6)
しかしながら、日本は、豊臣秀吉の時に、クリスチャンたちを迫害してその命を奪っています。それらのクリスチャンの中に、天的希望を持つ「聖なる者たち」も含まれていたかもしれません。すると、エホバ神は、豊臣秀吉の政権が滅ぼされるようにされましたが、日本という国を終わらせようと考えられないでしょうか。
当時の豊臣秀吉による迫害その後の徳川幕府の迫害のためにエホバ神は日本をどのようにご覧になっているだろうか
豊臣秀吉が殺害したクリスチャンたちは、とりわけ日本のキリスト教信者の中核になっていくであろうグループだったので、実際に豊臣家は、いったん天下をとったにもかかわらずまもなく滅ぼされてしまいました。
豊臣政権を徳川幕府が受け継ぐことになり、そして、日本では天皇制となりました。歴代の天皇はある程度、キリスト教の神に敬意を払いました。でも、神道はやはり、クリスチャンたちを迫害して死者が出ました。しかし、太平洋戦争以降、ある程度、昭和天皇がキリスト教の神の前にへりくだったので、ある程度、日本は平和を享受して存続しています。
日本が戦後、流血を避けたのはエホバ神の目に良いことだったと思います。しかしながら、日本がキリスト教を軽んじて、偶像崇拝に進み神話を重んじ偶像崇拝を推進して戦前の天皇制を復活させようとしているのであれば、やはり、エホバ神は、日本に大変な災いを起こることを許されるのではないでしょうか。
今の政府のトップや天皇がしておられることを見てみるとわたしは今後、日本にどんな災いが起きるのをエホバ神が許されてもおかしくはないかもしれないと考えています。
わたしは日本政府がエホバ神に敬意を払わず、神道や仏教だけを優遇して、偶像崇拝を推進していき、これ以上、日本に大変な参事が起きないように希望しています。
(3)神は流血を次の世代の国民に問われて国家に災難が起きる場合がある-日本でのクリスチャンの殉教とその結果
わたしは諸国家も含めてわたしたちに起きることは、まず第一にエホバ神との関係が大きく原因していると思います。それで、まずエホバ神との関係を改善するようにするのが効果的だと思います。自分たちが、エホバに祈りを聞いていただき保護していただける立場に立つようにすることが重要だと考えます。
なぜなら、ダビデの時代に三年間イスラエルに飢饉が起きたことがありました。ダビデは、エホバに問い尋ねたところ、エホバ神は、先代のサウル王がイスラエルで神の崇拝の奉仕者となっていたキベオン人を殺害するという流血の問題があったということを言われました。その問題がそのままにされていたのでした。(サムエル第二21:1-2)
それで、ダビデとその時代のイスラエル人は直接流血を行ってはいなかったのですが、先祖の流血の罪のためにダビデの時代のイスラエル人に災いが起きていました。ダビデは、ギベオンにその問題について尋ねて言われる通りの対策を講じ、エホバ神はイスラエル人の祈りを聞かれるようになったということです。(サムエル第二21:3-6,14)
ですから、とりわけ、ご自分の崇拝者に対する流血の問題に関しては、エホバ神は敏感で、その問題が解決しないのであれば、後代に至るまでその責任を問われること、その関係者や子孫に災いが起きるようにされる場合があることが分かります。
それで、秀吉はその二十六人の殉教が起きた次の年に死にました。それは、秀吉が天下統一を行って、自分の権力に酔いしれ、朝鮮や中国の明に2度目の遠征を行った次の年でした。2度目の遠征の出発時に、秀吉は長崎でキリスト教徒を処刑するように部下に命令していったのです。
秀吉が死んだのは、事情を聞き及んだスペインとイタリアの信仰の人々が祈ったからではないかと思います。しかし、日本ではその罪がそのまま放置され続け、さらに、その後も日本の政府によりキリスト教徒に対する迫害によって、キリスト教徒の命が奪われることが続きました。
それで、日本は、エホバ神から不興を買っており、日本は神道と仏教だけを重んじて、エホバの崇拝を重んじなかったので、日本人は、真の神から離れていきました。さらに、明治時代以降も神の目に悪い流血を行い続けたのではないかと思います。
それで、神道と仏教が日本を支配し続け日本ではキリスト教徒が増加しませんでした。そしてその後、日本は太平洋戦争の空爆や原爆投下、また、その後の自然災害などの災いを経験し続けているのではないかと思います。
それで、国家に問題が起きる時に、エホバ神の観点を中心にして解決していくのが、一番、直接的で効果があるのではないかと思います。
わたしは最近安倍首相がバチカンを訪問して、敬意を払ったということをお聞きしました。それは良いことだったと思います。そうであれば、その他の神の律法に従う努力を払っているエホバの証人やその他のキリスト教のグループにも平等に敬意を払うのが妥当であるのではないかと思います。
また、神道や仏教を公に優遇するだけでなく、キリスト教のグループの便宜も図ってほしいと思います。
過去の江戸時代、またそれ以降の日本政府のキリスト教徒に対する迫害は秀吉によって行われた迫害だけではありません。また、今後、取りあげたいと思います。
26人の殉教者の事件とその後日本に起きてきたこと-エホバ神の観点から国家の問題を解決していく必要
(1)秀吉によって行われた長崎での26人のクリスチャンの殉教とその結果
スペインの漂着船サンフェリペ号は秀吉から修繕の許可を得て修繕し、修繕後、マニラに行きました。そして、日本に漂着したサンフェリペ船の船員が、秀吉から派遣された奉行に対する受け答えが秀吉に報告されました。
そのために、秀吉の命令で京都や大坂にいたカトリックのフランシスコ会の宣教者たちと修道士、また日本人信徒26人が長崎で処刑される結果になりました。
彼らは京都や大阪で捕らえられて左の耳たぶが切り落とされ、市内を引き回されました。その上、厳冬の中を大阪を出発してなんと長崎までの長期距離を歩いていくことを強制されました。道中で、それを見物した日本人はキリスト教に改宗することに対して怖れを持たされたことでしよう。
そして、彼らは長崎の丘の上で、槍で突き刺されて処刑されました。彼らは、道中でひとりでも死んだとは記録されていないので、道中、互いに世話をして、信仰の点で励ましあったのではないかと思います。実際、彼らを世話したクリスチャンたちも、処刑される結果になっています。彼らは互いへの真の愛も実証していました。
長崎のゴルゴダの丘に似ている西坂の丘に建設された二十六聖人の記念碑とその後ろの記念館
スペイン政府はマニラで事件を徹底的に調査したようです。サンフェリペ号の船長の航海日誌は奉行によって没収されてしまいましたが、その後、船長は新たにスペイン政府に報告書を作成して提出したようです。また、事情を知っている宣教師がスペイン政府に事情を説明する文書を作成したようです。
それで、日本で起きたことは、詳細に報告されたので、事情を聞いた関係者は大変無念に感じたことでしょう。事情を聞いた信徒が神に祈りをしたであろうことは容易に想像できます。
そのため、スペイン使節がマニラから秀吉の元へ送られ、漂着した船の積荷の返還と宣教師たち二十六人の遺体の引渡しが求めました。しかし、引き渡しは行われなかったということです 。それで、秀吉は、キリスト教徒に対する迫害に対する反省や後悔はみじんも見せませんでした。
当時、スペインで徹底的な調査が行われた時に、日本を武力制圧しようかという話もあったそうですが、日本にとっては幸いなことにスペインもイタリアもそうはしませんでした。
わたしはこのことに関して、日本政府が欧米や日本のキリスト教徒やキリスト教会に謝罪をしたということを聞いたことがありません。それでは、エホバ神からの復しゅうは残ることになるのではないかと思います。
その時、イタリアやスペインのカトリックは日本に復しゅうはしませんでした。しかし、聖書には、「わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」(ローマ12:19)そして、事態の進展は、この言葉通りになったことを示しているのではないかと思います。
イエスは神に信仰を抱くアベルや祭司ゼカリヤの殉教のために、一世紀のエルサレムの何百万人ものユダヤ人の死という災いが生じることを予告されました。イエスは、一世紀のユダヤ人に、「義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。」と予告されました。(マタイ23:35)
ですから、クリスチャンの殉教の何百年もの後に、エホバ神が復しゅうされるということはあり得ると思います。それで、ひょっとして、日本が第二次世界大戦の時に、全土で空爆を受けたことや二度の原爆投下を受けたことは、この時日本政府が犯した罪に対する罰が生じたのかもしれません。
それは、聖書に書いてあることではありませんから、断定はできません。もちろん、わたしは核兵器とその使用には基本反対です。 核兵器は良い人も悪い人も無差別に人の命を奪い、環境と健康を長期間にわたって害する武器だからです。
また、原爆が投下された長崎には、昔のキリスト教の信仰を受け継ぐクリスチャンが少数ながら存在していたかもしれません。しかし、国家が神の不興を被って災いを経験する場合、その国家に起きる災いは、神の目に義なる信仰の人々もある程度は巻き込んでしまいます。
とにかく言えることは、当時日本は、とりわけ神道を推進しており、エホバ神から保護をしていただける立場にありませんでした。そして、残念ながら、今日もそうした状況であるかもしれません。
わたしは日本政府がエホバ神に敬意を払わず、神道や仏教だけを優遇して、偶像崇拝を推進していき、これ以上、日本に大変な参事が起きないように希望しています。
(2)神は流血を次の世代の国民に問われて国家に災難が起きる場合がある-日本でのクリスチャンの殉教とその結果
わたしは諸国家も含めてわたしたちに起きることは、まず第一にエホバ神との関係が大きく原因していると思います。それで、まずエホバ神との関係を改善するようにするのが効果的だと思います。自分たちが、エホバに祈りを聞いていただき保護していただける立場に立つようにすることが重要だと考えます。
なぜなら、ダビデの時代に三年間イスラエルに飢饉が起きたことがありました。ダビデは、エホバに問い尋ねたところ、エホバ神は、先代のサウル王がイスラエルで神の崇拝の奉仕者となっていたキベオン人を殺害するという流血の問題があったということを言われました。その問題がそのままにされていたのでした。(サムエル第二21:1-2)
それで、ダビデとその時代のイスラエル人は直接流血を行ってはいなかったのですが、先祖の流血の罪のためにダビデの時代のイスラエル人に災いが起きていました。ダビデは、ギベオンにその問題について尋ねて言われる通りの対策を講じ、エホバ神はイスラエル人の祈りを聞かれるようになったということです。(サムエル第二21:3-6,14)
ですから、とりわけ、ご自分の崇拝者に対する流血の問題に関しては、エホバ神は敏感で、その問題が解決しないのであれば、後代に至るまでその責任を問われること、その関係者や子孫に災いが起きるようにされる場合があることが分かります。
それで、秀吉はその二十六人の殉教が起きた次の年に死にました。それは、秀吉が天下統一を行って、自分の権力に酔いしれ、朝鮮や中国の明に2度目の遠征を行った次の年でした。2度目の遠征の出発時に、秀吉は長崎でキリスト教徒を処刑するように部下に命令していったのです。
秀吉が死んだのは、事情を聞き及んだスペインとイタリアの信仰の人々が祈ったからではないかと思います。しかし、日本ではその罪がそのまま放置され続け、さらに、その後も日本の政府によりキリスト教徒に対する迫害によって、キリスト教徒の命が奪われることが続きました。
それで、日本は、エホバ神から不興を買っており、日本は神道と仏教だけを重んじて、エホバの崇拝を重んじなかったので、日本人は、真の神から離れていきました。さらに、明治時代以降も神の目に悪い流血を行い続けたのではないかと思います。
それで、神道と仏教が日本を支配し続け日本ではキリスト教徒が増加しませんでした。そしてその後、日本は太平洋戦争の空爆や原爆投下、また、その後の自然災害などの災いを経験し続けているのではないかと思います。
それで、国家に問題が起きる時に、エホバ神の観点を中心にして解決していくのが、一番、直接的で効果があるのではないかと思います。
わたしは最近安倍首相がバチカンを訪問して、敬意を払ったということをお聞きしました。それは良いことだったと思います。そうであれば、その他の神の律法に従う努力を払っているエホバの証人やその他のキリスト教のグループにも平等に敬意を払うのが妥当であるのではないかと思います。
また、神道や仏教を公に優遇するだけでなく、キリスト教のグループの便宜も図ってほしいと思います。
過去の江戸時代、またそれ以降の日本政府のキリスト教徒に対する迫害は秀吉によって行われた迫害だけではありません。また、今後、取りあげたいと思います。
豊臣秀吉はどのような宗教観を持っていたか・迫害をしていなかった時状況はどうだったか
日本は、徳川時代や、明治時代、大正時代、昭和時代に神のみ前に大きな罪を犯してきました。日本では戦国時代を終わらせて天下統一をした豊臣秀吉は、1587年にはバテレン追放令を出して、宣教師の国外退去命令とキリスト教宣教の制限を課しました。
後になって、秀吉はヨーロッパからのキリスト教の宣教者たちを含めクリスチャンたちに残酷な迫害を加え、殺害しました。しかし、今回の記事は、もともと豊臣秀吉が神道と仏教を重んじる宗教観を持っていたことを説明します。
そして、バテレン追放令を出す頃は、事実上、キリスト教の宣教を大目に見ていたことを説明します。表立った迫害はありませんでした。そして、その時に、秀吉の状況がどうであったかも調べたことを説明したいと思います。
そのような日本の歴史は今日に至るまで影響しているでしょう。日本の過去の歴史、とりわけ豊臣秀吉の時代を振り返ってみましょう。
(1)日本人の宗教の歴史的な背景
日本は、伝統的に中国や東アジア発の仏教の情報から長い間影響されてきました。日本では、6世紀の終わりごろから7世紀初めに、推古天皇のもとにあって聖徳太子が積極的に、仏教を取り入れました。そのように昔から、日本は神道と仏教が並行して行われていました。
キリスト教が日本に伝わるのは遅く、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが1549年に薩摩の鹿児島に来てキリスト教を伝えました。
豊臣秀吉は元来、主君の織田信長の政策を継承し、1586年には大坂城でイエズス会宣教師と会って、イエズス会に対して布教の許可証を発給しました。 豊臣秀吉は、1591年に東北地方の奥羽を平定して天下を統一し、戦国時代を終わらせたとされています。
しかし、秀吉は、九州遠征の途上、現在の福岡博多で、住民の強制的なキリスト教への改宗や神社仏閣の破壊、さらにポルトガル人により日本人を奴隷として売買するなどといったことが行われていたこと、また長崎がイエズス会領となっていることなどを聞きました。
それで、1587年に秀吉は通商の責任者とイエズス会の責任者を呼び出して、福岡の博多においてバテレン追放令を発布しました。バテレンとは、「神父」の意味です。それは、宣教師の国外退去命令とキリスト教宣教の制限を表明するものでした。
Hideyoshi Edict of expulsion of the Christian Padres September 18, 1587
秀吉は1587年にキリスト教の宣教者追放命令を出した
昭和8年に伊勢神宮の神宮文庫からバテレン追放令とされる文書と調和する日付の一日前の11か条の覚書が発見されたそうです。
その覚書の大意としては、大名に領地を治めさせているが、寺や百姓たちに、キリスト教徒になることを強制するのは道理に合わない、大名がキリスト教になることは、秀吉の許可を得れば許可するし、領土が狭いなら、大名は自由にキリスト教徒になっていいとしていました。そして、下の身分の者がキリスト教徒になることは問題にならないとしていました。でも、その覚書は、身売買は禁ずるとしていました。
ですから、この覚書の段階では、事実上、キリスト教の強制改宗は容認しないものの、大名や身分の下の者が自由にキリスト教徒になっていいとする、信仰の自由を認めたものでした。
でも、実際は、イエズス会は日本人を奴隷として売買することを禁止するようにポルトガルに呼びかけていましたし、すでに、1571年にポルトガル国王は奴隷交易がカトリック教会への改宗に悪影響を及ぼすことを懸念して日本人の奴隷交易の中止を命令していたそうです。そのことを秀吉は知らなかったかもしれません。
そして、1587年の覚書の次の日付のバテレン追放令の第一条では、「日本は自らの神々によって護られている国であるのに、キリスト教の国から邪法をさずけることは、まったくもってけしからんことである。」と書いています。
ですから、秀吉は、日本は自らの神々によって守られている国であって、キリスト教を邪法と言っています。ですから、秀吉は、この段階で、神道の古事記の神話の記述、すなわち、イザナギ、イザナミの夫婦の神が日本の国土を造り、イザナギが穢れを清めた時に、日本を守る神々が生まれたという記述を信じていたということが分かります。
またその時に、秀吉は、大名は天下からの法律を守るべきだと言っていました。その方針は、聖書とも調和していました。聖書は、神の律法に反しない限り、上位の権威に服するようにと指示していたのですから、それに関する何らかの法律が制定されていたのであれば、大名が寺社を破壊するのは間違っていたでしょう。(ローマ13:1)
また、第2条では、「宣教師は・・・日本の仏法を破っている。日本にキリスト教宣教師を置いておくことはできない」と述べ宣教師が20日間のうちに、国に帰るようにと指示しています。
ですから、秀吉は、日本の仏法、すなわち仏教も擁護していました。ですから、この時代から、神道と仏教の2つを擁護するというあいまいな姿勢が日本に根付いていたことが分かります。しかし、秀吉は、貿易のために外国人が行き来をすることは認めていました。
それで、豊臣秀吉は、完全に状況を把握していたとは言いがたいかもしれませんが、状況を調べてその状況に反応したということはできます。しかし、しばらくの間、キリスト教の宣教師は、禁令下にもかかわらず、その活動は黙認されていました。
1583年、秀吉は、大坂本願寺の跡地に大阪城を築きました。島津氏の問題を訴えるために大坂城を訪れた豊後のキリシタン大名・大友宗麟は、この城のあまりの豪華さに驚いたということです。
そして、この後、秀吉は島津氏と戦うために、 九州に遠征をすることになり、そこで、キリシタン大名の状況を知り、バテレン追放令を出すことになりました。
秀吉は、1587年にバテレン追放令を出しました。しかし、秀吉はその時には、ある意味、キリスト教の信仰の自由を大目にみており、キリスト教徒を表立って迫害はしていませんでした。
秀吉は、1588年、平安京に朝廷の臣下として、豊臣氏の本邸を構え「聚楽第」と名付けました。1588年4月14日には聚楽第に後陽成天皇を迎え華々しくもてなしました。そして、徳川家康や織田信雄ら有力大名に自身への忠誠を誓わせました。そして、他の有力大名も完全に秀吉に服従する意を表しました。秀吉は、全国に法律を施行しました。
後陽成天皇は秀吉の本宅に招かれもてなしを受けた
イエズス会の宣教師たちは、この1588年の段階で、「この暴君はいとも強大化し、全日本の比類ない絶対君主となった。」と述べています。「この五百年もの間に日本の天下をとった諸侯がさまざま出たが、誰一人この完璧な支配に至った者はいなかったし、この暴君がかち得たほどの権力を握った者もいなかった。」と記しています
秀吉は自分の本宅に天皇を招いてもてなし権勢を誇った
さらに、豊臣が天皇を敬意を払って、自分に権威づけをしたこと、天皇が豊臣家を認め、それによって、他の大名が、豊臣家にある程度敬意を払ったことは、当時でさえも、天皇は武士よりも格が上だとみなされて権威を持っていたことが分かります。そして、秀吉は、神道の天皇を重んじることが自分にとって当然、有利であると考えたことでしょう。
また、秀吉や諸侯の軍人たちは、古事記などの神話を信じていて、日本が天皇の先祖の神によって造られたということや、天皇が神の子孫であるという記述を信じていたことが分かります。今日の日本の状況とあまり差がないのかもしれません。
(4)秀吉はスペインの遭難船の事件をきっかけにしてキリスト教に対して態度を硬化させる
1596には、今の高知・土佐国にスペインの船サンフェリペ号が漂着しました。その船には、七名の司祭が乗り組んでいたそうです。その時、乗組員は、船の修繕許可と身柄の保全を求めて使者に贈り物を持たせて秀吉の元に派遣しました。
秀吉は奉行を差し向けました。秀吉は、船は海賊に違いなく、ペルー、メキシコ、フィリピンを武力制圧したように日本も武力制圧を行うため、測量に来たに違いないこと、このことは都にいるポルトガル人ほか数名に聞いた という文書を奉行に持たせていました。
奉行は、乗組員の持ち物を没収してしまいました。そして、船の乗組員が、奉行に世界地図を見せて、スペインの欧州、南北アメリカ、フィリピンにまたがる領土を示したようです。それで、奉行が、どうしてスペインはこのように広大な領土を持つに至ったのかを尋ねました。
すると、乗組員は、スペインの王は、宣教師を世界中に派遣して、布教とともに征服することを事業としていると言いました。まず、スペインは、その土地の民を教化して、その後信徒を従わせて、兵力をもってその領土を加えてきたと説明したようです。これは、日本側の記録には、ありませんが、スペイン側の記録にあります。
成員がスペインなどのヨーロッパ諸国がキリスト教の布教と武力制圧をして国土を広げる政策をタイアップしていたことを認めてしまい、ポルトガル人の話を確証することになりました。ですから、秀吉が危機感を抱いて、外国に門戸を閉ざす政策をとったことにも、もっともな反応であったかもしれません。
しかしながら、そのスペイン船は海賊ではなかったので、それは秀吉の不当な判断でした。そして、船員が話したことは実情を話していたかもしれませんが、誠実な動機で、神に仕えていたキリスト教徒に迫害と苦難をもたらすことになりました。
これがきっかけとなって、豊臣秀吉によるキリスト教徒への迫害である日本二十六聖人殉教が起きました。
EUの加盟国としてとどまるならばどのような結果になることが予想されるか
英国の議会がEUとしてとどまるかどうか、どのような手続きでそうするかということで紛糾しています。そのことで、英国で総選挙が2019年12月に行われるようです。
では、EUの加盟国としてとどまることは賢明でしょうか。EUにとどまるならば、どのような結果になっていくでしょうか。
(1)EUの加盟国としてとどまることは賢明か
EUが啓示13章の最初の複合的な野獣になっていくならば、将来、イタリアやギリシャのキリスト教の本拠地を軍事攻撃することに加わる結果になる可能性があります。(啓示13:1,2)
わたしは以前、ヨーロッパ全体を協力体制に置くことを決して悪いことだと考えていませんでした。ですから、EUに対して否定的な見方を持っていませんでした。
しかし、啓示13章を研究して、この海から登場する野獣がひとつの国家であるということに最近気づきました。そして、それは過去のさまざまな帝国の歴史を持つ地域からなるひとつの国家であると思いました。
一匹の野獣は基本ひとつの国家なので海から出てくる1匹の野獣はさまざまな国家からなるひとつの国家になるはず
現在のところ、啓示13章のような複合国家になる組織、また、ひとつの国家はEU以外にはないのではないかと思います。それで、EUは、これから加盟国を増やしていけば、啓示13章の海から出てくる豹と熊とライオンの特徴を持ち、七つの頭と十本の角を持つ野獣になりえると思います。
ヨーロッパ諸国は、反ロシアの主義で一致して、連合を組むようになりました。さらに、米国に対抗して、米国よりも強力な複合国家を形成するという考え方もありました。しかしながら、ヨーロッパ諸国の統合を積極的に推し進めたのは、米国でした。そのために、EUは、これからさらに加盟国を増やしていき、中東、その他の諸国も加えていく可能性があります。
それで、啓示13章の複合の野獣は神を冒とくする名前を頭に持ち、なんと、「龍は自分の力と座と大きな権威を[その野獣]に与えた」と記されています。(啓示13:2)ですから、EUは悪魔サタンから権威と力を与えられることになります。
啓示13章の複合の野獣は悪魔サタンから権威と力を与えられる
(2)EUに加盟するヨーロッパ諸国にどのような状況が見られるか
EUはヨーロッパ諸国の協力を推し進めるのですから、とてもよい計画のように見えます。しかし、そのような統合は弊害も大きいです。
聖書の預言を考慮すると、将来EUは、キリスト教に敵対することになっていくことが予想されます。確かに、ヨーロッパ諸国の間で、従来のキリスト教からの離反が見られるようになっています。聖書は創造者の存在を教えています。しかし、19世紀にはダーウィンが進化論を提唱しました。そして、キリスト教が主流のヨーロッパ中で、進化論や唯物論を受け入れる人が増えています。それで、キリスト教からの背教が見られるようです。
それで、将来、キリスト教会がさらに、神への忠実さを失い、また、神の律法に対する「違犯」と、聖書に対する離反と「背教」が見られるようになっていくのではないかと思います。(ダニエル8:12;11:32)
例えば、ベルギーでは、ほとんど100%がカトリックかプロテスタントです。ベルギーは19世紀には、永世中立国でした。でも、第二次世界大戦後、中立主義を放棄しました。そして、NATOとEUに加わり、NATOとEUが戦争に参加した時には、積極的に必ず、ベルギーも参戦しています。
しかし、そのためではないかと思いますが、WHOの2016年の統計によると、世界各国の自殺率ランキングでは、従来自殺率の高かった日本が7位でしたが、ベルギーが4位になっています。ですから、聖書に基づいたキリスト教の倫理観を放棄しているために、キリスト教の信仰が大変弱くなり、精神的な変調をきたす人が多くなっているのではないかと思います。
Ajay Suresh from New York, NY, USA
永世中立国だったベルギーはEUとNATOに参加して毎回戦争に参戦しキリスト教の信仰が弱ったらしく日本より自殺率の高い国となった
また、スウェーデンやノルウェーは、第二次世界大戦中に中立を保持したことで知られていて、その結果、国土の荒廃や、資産の損失を免れ、戦後は経済的な繁栄を享受しました。 ノーベル賞を授与する権威のある国際的に中立な国家としてみなされていると思います。
そして、スウェーデンでは、福音ルーテル教会が全人口の八割を占めるキリスト教国家です。ところがスウェーデンの場合、ベトナム戦争に参戦し、1995年EUに加盟していました。2001年以降、アフガニスタン紛争、リビア内線、対イスラム国戦争に参戦しています。
また、スウェーデンは、北欧及びEU諸国が攻撃された場合には「受動的な態度をとらない」と宣言しており、欧州連合戦闘群、すなわちEUの軍隊に参加しています。
そして、スウェーデンはそのように平和主義と中立主義を放棄したために、2011年の犯罪発生率は、148万件で、日本の約13倍となっています。
日本も第二次世界大戦前後は、犯罪発生率、殺人率などもとても高かったのですが、戦後戦争に不参加の立場をとっているので、犯罪発生率と殺人率は低下してきました。しかし、過去に中立主義をとっていたにもかかわらず、聖書の教えに不忠実になってしまったスウェーデンに、その反対のことが起きています。
(3)今後EU加盟国がどのようになっていくと予想されるか
現在の傾向が続くならば、ヨーロッパ諸国はますますキリスト教や聖書に敵対的に、神に対して冒とく的な態度をとっていくことになるのではないかと思います。そのために、神は、自称クリスチャンたちに対する保護を差し控えられ、EUは最後はキリスト教の本拠地を軍事攻撃することになっていくのではないかと思います。
その時、ローマカトリック教会やギリシャ正教会の本拠地を攻撃することになることには、十分の理由があるのだと思います。おそらく、彼らがそれまで行ってきた悪行が明らかになるのだと思います。
しかし、それでも、彼らは聖書のキリスト教を代表している存在なので、彼らに対して軍事攻撃をすることは、聖書の神に対して喜ばれることにはなりません。とりわけ、軍事攻撃をする際に、僧職者などの命を奪わないように気をつけていても、やはり、その命を奪うことになる場合があると思います。そうすると、それは殺人であり、聖書の神に対して罪を犯すことになります。
世界で従来のキリスト教、ローマカトリックやギリシャ正教会に批判的な風潮が強くなっていく時に、EUの加盟国であると、加盟国の条約のために、それを望んでいなくても、キリスト教の僧職者に攻撃を加えたり、無実の人々に対する軍事行動をとらざるを得なくなる可能性が大きいです。
ですから、EUに加盟していることは、明らかに弊害があります。それで、EUに加盟していない方が、聖書の神に対して罪を犯すのを避け、また、南の王との間で永続的に平和な良い関係を続ける結果になる可能性があります。
⑷英国のEUからの脱退問題
現在、英国がEUから脱退するかどうかを考慮していますが、わたしは反対することはしません。確かに、EU加盟国のドイツだけはとても経済的な状況がいいです。ドイツはヨーロッパ諸国の中で、経済的な状況は一番よく、また、経済的な発展を続けています。
最近、ドイツの選挙で第三党になってしまいましたが、メルケル首相の先見の明のある進んだ賢明な判断や指導が経済的に良い結果を産んできたのではないかと思います。
再生可能エネルギーの推進や高等教育の重視と無料化、さまざまな国々と平和外交を推進することなどは、良い結果を産んできたのではないかと思います。ドイツ政府は、シリア内戦でのかかわりでも、空爆は行わず、後方支援にとどめていて、流血をできるだけ避けたと思います。
ドイツはメルケル首相が中国を訪問したりして、主義の異なる中国と良い貿易関係を求めたので、ドイツ車が中国で売れる結果になりました。ドイツ車が、その排ガスの能力ではなく、ドイツの国家と結び付けて考えられ、中国人に好意的に受け入れられたからです。
それで、貿易で、国家の製品が売れるかどうかは、その製品の性能よりも、国家間の関係によるところが大きいです。日本車の方が、ドイツ車よりもクリーンな排ガスの能力があり、ほんとは中国の大気汚染対策にプラスになりますが日本と中国の関係悪化のために、日本車が売れなくなっています。ですから、企業の製品改善のための努力も国家の関係が悪くなるとだいなしになります。
かぎは国家間の関係なので、敵対するのではなく平和を求める方が実際の利があります。
それでも、そのドイツもイスラム国のテロを経験しました。イスラム圏の国々からすれば、後方支援でも、同盟軍とみなされますし、空爆をしているのがどこであるかなど、あまり明確な区別はつかないかもしれません。一応、戦争に加わっている国家であるというだけで、憎悪を抱くことになると思います。
そして、テロがあると、テロのあった地域は観光産業は言うまでもなく、経済活動が妨げられます。平和があってこその経済的な繁栄です。それで、後方支援でもテロなどの軍事行動の標的になります。
ですから、ドイツの例を見ても、できるだけ米国・EU間の協定に縛られて軍事行動をすることを強制される状況から離れている方が、自国の平和と経済を守ることをできる結果になります。
(5)今後EUはどのようになっていくことが予想されるか
しかしながら、メルケル首相は、EU合同軍の創設を提唱しています。そして、フランスなどその他のヨーロッパ諸国やEUの大統領などもEU合同軍の創設を提唱しています。
それで、どこかひとつの国が勝手な行動をとり軍事侵略をする時に、全体でその国家を懲らしめるならば、容易に平和を維持することができ、EU連合軍の設立は、いいアイディアのように考えられるのだと思います。
しかしながら、EU加盟国として、EU合同軍に参加するならば、自国と関係のない紛争に参加することになり、それは、国民全体の生活のレベルを下げてしまいます。そして、それは、長い目で見て、国家の経済に良い影響を与えることはありません。
さらに、EUはますます強硬な連合国になっていくと考えられ、EUはひとつの合同軍を持つことになり、ますますひとつの国家の形態をとるようになっていくのではないかと思います。それで、EU諸国は、ますます啓示13章の海から出てくる複合の野獣の特徴を備えることになります。
そうすると、啓示13章の海から出てくる野獣に関する預言はEU加盟国に成就しつつあるように見えます。さらには、その預言は、啓示17章に登場する緋色の野獣に関する予言がEU加盟国に当てはまることになるのではないかと思います。海から出てくる野獣や緋色の野獣に属することは、エホバ神の目にとって望ましいことではありません。
海から出てくる複合の野獣に属することは勧められることではありません
2019年10月の台風19号に関するヨハネの祈りの経験
(1)2019年の台風19号についてわたしヨハネの祈りが少し聞かれた経験
わたしヨハネの祈りが少しは聞かれた経験について追記をします。2019年台風19号が10月12日に日本全体、とりわけ関東地方に向かっていました。大型の勢力の強い台風ということになっていて、最大風速が最初は50kmはあり、最大瞬間風速は、最初は75kmくらいだったと思います。それで日本全体に広範囲にわたって壊滅的な打撃を与えることが心配されていました。
75kmの風速ということになると、ハリケーンくらいなので、台風の進路の家屋はそこら一帯が崩れてしまうと思います。大型台風だったので、メディアによっては近畿地方から関東地方や東日本まで日本の大半が荒廃に帰す危険が心配されていました。
スピードがのろくて30kmでした。それで、ネットの気象情報をチェックしながら何度も祈りました。スピードが遅いので、長期間、大量の雨が降り続けることも心配されていました。
何度もエホバ神に祈りました。とりわけ、日本には過去のはなはだしい流血の罪と現在の不信仰と偶像崇拝の罪があるので、これからもヨハネは日本人が創造者に信仰を持つよう助ける努力をし続けますから、キリストの贖いの犠牲を適用して、自分を含め日本人の罪を許して台風のダメージが大きくならないように祈りました。
いつも衛星画像をチェックしましたが、台風の勢力は少しずつですが弱まっていきました。また、台風の雲海の範囲は少しずつ小さくなっていきました。でも、12日の夜は、メディアでは、一晩中雨が降り続けて、大変な雨量になることが心配されていました。
つい最近災害に見舞われて大変になった千葉の人が気の毒なので、これ以上そこに災害が起きないようにということも祈りに含めていました。そのことは、何度か祈りました。
12日の夜は眠たくて早く寝ましたが、夜中に床で目が覚めた時に風が激しかったので、布団で寝たままで台風がスピードが速くなって雨雲と共に早く過ぎ去るようにと祈りました。たぶん、その時の祈りは夜中の真夜中12時の前だったと思います。
その時は、床で祈ったのでそのまままた寝てしまいました。夜中2時半ころ目が覚めて起きると、外では雨も風もなかったので、台風が過ぎ去ったことが分かりました。ネットで気象庁のサイトを確認しました。
すると台風のスピードは55kmになっていました。そして、気象衛星の画像を見ると、台風の雲海と雨雲は関東地方以西からほとんどなくなっていました。夜中の13日12時16分には関東地方への大雨特別警報は警報に切り替えられていました。
ですから、エホバ神はわたしの祈りを聞いてくださって台風がスピードを出して千葉県や東京から過ぎ去るようにしてくださったんだと思いました。千葉では、その台風のためにダメージがひどくなったという報道はその後ありませんでした。
台風はその時には、東北地方で豪雨を降らせているとネットにありました。ですから、東北地方の人のためにも一度だけ、祈りました。でも、台風がスピードをあげて関東から過ぎ去ったので、もっとスピードを出して東北も過ぎ去るだろうからもう大丈夫だと考えて、もう安心してしまって、その後はもう祈りませんでした。台風のことは、もう注意を払わずに、ブログの記事の作成に注意を集中しました。
次の日になると、関東以東、東北地方では河川が決壊して、浸水被害になったところが多いという結果になったことが分かりました。それで、もっと東北の状況を確認するすべがあったら、祈ったかもしれないと思いました。もっとしつこく続けて祈っていれば、東北の人の被害は少しはましだったかもしれないと思って申し訳なく思いました。
また、夜中には、TVのニュース番組もありません。ネットで気象台の衛星画像を見ていても、実際地上がどのようになっているかは、分かりません。それで、東北の状態を確認するすべもありませんでした。
もちろん、とりわけ東北で、死者や家屋の被害や停電被害は出ました。でも、祈ってエホバ神をなだめてその助けを祈り求めたので、その災いは日本全体が壊滅するような極端なことにはならなかったと思います。
わたしがなぜ、エホバ神は、台風も制御できるはずだと考えるかというと、イエスが、人間として地上におられた時に、湖の船の上で、激しい暴風に遭遇された時に、暴風を制御されたからです。イエスは、「風を叱りつけ,湖に『静まれ! 静かになれ!』」と言われました。「すると風はやみ,湖面はすっかり穏やかになった。」という記述があります。(マルコ4:39)
イエスはあらしを静められた
エホバ神は気候を制御できるはず
ですから、エホバ神は台風やハリケーンでも制御される力をお持ちだと思うからです。ご意志ならば制御してくださるはずなので、一生懸命、エホバ神がその力を行使してくださるようにお願いしました。
一方、聖書の中には悪魔サタンが、激しい風を引き起こせるという記述があります。ヨブの時代に、「突然,荒野の方から激しい風が家の四隅に吹き付け,家が倒れ」ヨブの子供たちが、「下敷きになって亡くなった」と書かれています。(ヨブ1:19)
もちろん、地上で起こる台風やハリケーンやサイクロンがすべて悪魔サタンが引き起こしたものであるとは思いませんが、悪魔サタンもある程度はそうしたことが行なえるという記述はあります。
悪魔サタンは激しい風を引き起こすことはできる
その時に、おそらく他にも祈った人々がいたと思います。このような経験は何度もしました。祈って台風がものすごいスピード、70kmか80kmくらいのスピードで過ぎ去るということも何度かありました。東北地方でも以前、そういうことがあったと思います。それで、台風関係の祈りは、必ずだいたいある程度は聞かれます。今回も東北でそのようになれば良かったです。
でも、通常、エホバ神に聞いていただくためには、おざなりな一度だけの祈りではだめで、何度も祈らなければならないです。
でも、その地域ごとに自分の地域の人々のために祈ってその祈りが聞かれる人々が複数いるべきだと思います。そのように考えるのは次の経験からです。
(2)台風関連の別の経験
ある時に、もうすでに大洪水のダメージを受けた福岡と熊本に台風が向かっていました。それで、大きなダメージをすでに受けている福岡と熊本の人が気の毒なので、そこに台風の被害がないようにしてくださいと祈りました。すると台風は、鹿児島と宮崎にそれて、そこで、台風被害が発生しました。それで、鹿児島と宮崎の方には少し申し訳なく思いました。
祈ったところ台風は福岡と熊本を避けて宮崎・鹿児島方面を襲いました
それで、祈りは、ある場合、こちらが立てば、あちらが立たずという場合があります。利害が人によって地域によって対立します。ですから、基本的に、地域ごとに信仰の人が自分の地域のために祈るべきだと思います。
別の時には、台風被害のあった東北地方にまた台風が向かっていたので、わたしの住んでいる市でわたしが交わる二つの教会の人々が心配しました。それで、ひとつの教会では、米国人の牧師が東北のために台風について祈りました。また、別の日本の教会では、年配の女性の信者が東北の人のために台風の被害が大きくならないように祈りました。もちろん、わたしも同じことを祈りました。
すると、確か、その時には、台風はすごいスピードで移動していったと思います。それで、東北での台風の被害は決して大きくはなりませんでした。それで、どちらかというと、複数の信仰の人が祈ると、その祈りは聞かれやすいです。
(3)複数の信仰の義者が祈ると結果が異なるという聖書の事例
祈りが聞かれるための条件のひとつは、神のご意志にかなっていなければならないことが聖書に述べられています。(ヨハネ第一5:14)しかしながら、聖書の中にも「地上にいるあなたたちのうちの2人が,どんな重要な事柄でも,同意して願い求めるなら,天にいる父によってその通りになります」というイエスの言葉があります。(マタイ18:19)
イエスは天的な希望を持つふたりのクリスチャンが同意して祈り求めるなら基本的に聞き届けられると言われた
エホバ神はイエスのように謙遜でわたしたちの声に耳を傾けてくださいます
これは、天的な希望を持つクリスチャンについて言われていますが、これは地的な希望のクリスチャンの場合も同じ原則が当てはまるのではないかと思います。ですから、複数の人が祈るとエホバ神に聞いていただける可能性が高くなると思います。エホバ神はご自分に信仰をもって祈る人の声と願いを考慮してくださる謙遜で愛のある方だからです。
また、一世紀のエルサレム会衆では、少なくともふたりの中心的なメンバーが殉教していました。(使徒7:59,60;12:1,2)でも、ペテロの場合は留置場に入れられた時には、会衆の人々が複数で彼のために祈ったので、結果が異なりました。(使徒12:5-11)ペテロは、牢獄からみ使いによって解放されました。
聖書の中に、アブラハムがソドムの地域の人々のためにエホバ神がそこを滅ぼさないように頼んだことがありました。エホバ神は、ソドムに十人の義人がいれば、ソドムを滅ぼさないとアブラハムに請け合いました。(創世記18:32)ソドムには、アブラハムの甥のロトとその家族が四人住んでいました。でも、同性愛の町ソドムに住んでいた義人はその四人だけのようでした。
それで、エホバ神は、その町ソドムに天から硫黄と火を降らせて滅ぼすという決定をされました。(創世記19:24,25)それで、この昔の事例から考えて、ある町に十人の神に信仰を持つ義人がいれば、エホバ神は当面、その町を荒廃させるようなことは許されないのではないかと思います。
十人の信仰のある義人がいれば、その町に関する祈りは基本的に聞かれる可能性が高いのではないかと思います。ですから、各地域に聖書の神エホバ神に信仰を抱く人が存在するべきです。わたしは、すべての地域の人々のすべての利益を代表することはできないからです。
どこかを優先すれば、別のどこかは二の次になります。ですから、どこでも、エホバ神への信仰を、それも正確な知識を持ち、神の律法を守る人々が存在するように努力を払うべきであって、それらの人々に自分の住む地域について祈ってもらった方がいいと思います。
しかし、昔神の僕たちがさまざまな奇跡が起きていることを認めた人々の中には、それでも、神の僕たちに反対する人がいました。そして、聖書の中で書かれていることは、人間社会の現実で、これは、聖書時代だけでなく、このわたしたちが住む現代にも起こりうることです。
というのは、1世紀もイエスがさまざまな奇跡を行われました。それで、エルサレムの宗教指導者たちは、イエスがさまざまな奇跡を行っていることを認めざるを得ませんでした。(ヨハネ11:47,48)
しかし、それでも、ユダヤ教の指導者たちは、物事を間違って推論して、エホバ神とイエス・キリストに対する信仰がマイナスになると考えて、イエスに反対し続けました。(ヨハネ11:47,48)
イエスの時代の宗教指導者たちはイエスが奇跡を行ったことを認めはしたがその原因となっている全能の神の存在を認めなかった
そして、最後には、イエスを杭につけて殺してしまいました。その結果、その当時のユダヤはローマの軍隊に攻撃されて壊滅的な打撃をこうむりました。彼らは間違った推論をしたので、間違った行動をして、ユダヤの国に災いをもたらしました。
それで、これからも祈るとエホバ神は聞いてくださると思います。そして、わたしも人々が神への信仰を持つように努力をし続けると思います。でも、多くの人はやはり、起きたことを偶然だと考えたり、たとえ実際に奇跡のようなことが起きたと考えても、信仰が自分たちにとって不利になると考えたりする場合があると思います。
ある人々は、神の律法を守って偶像崇拝や性の不道徳をやめて、神を認めて生活するのがいやなんだと思います。それが自分の生活と自由を拘束すると考えるのではないかと思います。あるいは、ある人々は信仰のために迫害されることを恐れて、真理を否定し、信仰を持ちたがらない場合もあるかもしれません。(ガラテア8:12)
それで、ある人々は奇跡的なことが起こることを認めても、その背後におられる原因となっておられる神を認めることをしない場合があります。あるいは神が働かれたということを認めず、偶然にそうなったと考え続けると思います。
日本の場合、創造者なる神への信仰はとても低レベルです。仏教や神道や進化論と無神論が普通に日本社会で受け入れられているためです。日本は、死者の霊に対する信仰があるので、そうした神は存在すると考えていても、創造者なる神に対するキリスト教の信仰は一般の日本人にはほとんどないのが普通です。そのために、そのような結果になります。
わたしヨハネも、日本人の背景は良く分かります。でも、これからもあきらめないで、日本人の間で、信仰を築くよう努力をしていきたいと思います。
日本の神道の古事記は理性的に信じるに値しますかーキリスト教の創造者はどうですか
日本人は、非常に長い期間、天皇制が続き、日本政府が強力に神道教育を推し進めたために、戦前や戦時中は、天皇が神の子孫で、古事記や日本書紀を真実の歴史だと信じていました。
『古事記』は、西暦712年天皇の系譜や古い伝承を元明天皇の時に書き記し、編纂したものとされています。古事記は上中下の三巻になっています。そして、上巻に、日本がどのように始まったかが記述されています。
でも、わたしは現時点で、日本憲法の中で政治に携わらない天皇制のシステムが日本で認められていることに対して反対はしません。
日本の歴史の中で、天皇が長い間支配階級にあり、敬意を払われていたことは既成の事実だからです。天皇を始め皇族は日本と諸外国との平和と親善に貢献してこられました。そのことは、感謝するべきことです。
しかし、神道も仏教も基本的に万物の創造者なる神という概念がありません。天皇家の多くの方々が信じている日本の神様によって日本が造られ、天皇が神の子孫であるとという教えは、事実に基づかないまったくの偽りであると思います。今回はそのように考える理由をご一緒に考えたいと思います。
(2)非理性的な古事記の日本の成立の記述
古事記の上巻によると、兄妹のイザナギノミコトとイザナミノミコトが二人で海をかきまぜて、日本の島々を作り出し、そこで二人は結婚生活を送りました。
そもそもイザナギとイザナミは誕生したことになっているので、最初があるはずなのですが、古事記は、イザナギとイザナミがどのようにして存在するようになったのかは説明していません。そして、古事記では、神であるイザナギは、神武天皇の7代先祖とされています。神武天皇が実在する人間であるとすると、どこの時点で、神から人間に移ったのかという疑問が生じます。
また、イザナギやイザナミはどのようにして、天から泥水を垂らすために天の雲の上にいることができたのでしょうか。彼らが霊者という記載はありませんが、死んでしまう人間のような存在が雲の上にいることができたという記述はおかしいのではないでしょうか。
さらに、果たして天の鉾からしたたり落ちる泥水によって日本の島々を作ることができるでしょうか。さらに、古事記の中で、妻のイザナミが死んで黄泉の国に行ったことになっていますから、神なのに死ぬという点で人間と変わらないことになっています。もし、人間と異なる超人間的な存在であるのに、どうしてそれらの神々は死ぬのでしょうか。
そして、日本を作った神がイザナギとイザナミという神であれば、世界の他の大陸や島々はどうなりますか。それらの大陸を作った神々が存在したことになります。そうすると、古事記の記述からすると、世界の多くの大陸を作った神々がたくさん存在していることになります。
しかし、日本が造られた経緯について述べる記述はなぜ中国、米国、ヨーロッパなどを作った神々について言及していないのでしょうか。それらの地域が存在していることを古事記の上巻作成当時知らなかったのでしょうか。
また、中国の方が大陸が大きいのですから、中国を作った神の方が、上だということにならないでしょうか。それなのに、日本を作ったイザナギの娘の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が神々の住まいである高天原を支配するようになったのでしょうか。
イザナギがイザナミのいる黄泉の国から戻ってきた時、黄泉の汚れを洗い流した際にアマテラスオオミカミが左目から生まれたとされています。神が神の左目から生まれるでしょうか。父神の左目から生まれたというアマテラスは実在しますか。
さらに、この時、イザナギの右目や鼻からも神が産まれました。なぜ、黄泉の国のイザナミを恐れて逃げ帰ってきた時に、神々が産まれたのでしょうか。
尊い神であるなら、聖なることをした後に、聖なる者から生じるのなら少しは理解できますが、神が何か、汚れたことをした後に産まれたとされるのはおかしくないでしょうか。
そして、イザナギが娘に主神となるよう命じたのであれば、イザナギの方がアマテラスよりも、立場が上なのではないでしょうか。アマテラスを主神にした後、イザナギの立場はどうなったのでしょうか。古事記は説明していないようです。
神々は自然発生するのでしょうか。もし、そのような記述が事実であれば、世界には、日本のイザナギがみそぎをした時に自然発生した日本のアマテラスの神以外の神々が無数に存在することになってしまうのではないでしょうか。また、次々に自然発生する神々は、わたしたちの崇拝に値しますか。
しかも、日本を支配する神々は、神が汚れを清めた後に、自然発生したことになります。単に汚れを清めた後に、日本の神々が発生したのであれば、そのことは日本を他より勝っている立場に置くとは思えません。わたしはこの記述は、天皇の先祖が優れていて、世界を支配する立場になるという根拠になるとは思いません。
古事記の日本の神について述べる記述は明らかに到底理性的に受け入れられる記述とは言えません。
(3)古事記が述べる黄泉の国は存在しない
古事記では、妻のイザナミは死んで黄泉の国に行きました。『古事記』では、天上界にある神々の住む「高天原」と、地上の人間が住む世界と、地中にあるとされる黄泉の三つの世界があると教えています。黄泉の国が存在するのでしょうか。
しかし、日本の島々を産み出すほどの力のあったイザナミの神が、なぜ死ぬことになったのかはおかしいことです。死ぬのは人間です。死ぬのであれば神とは言えないでしょう。
イザナギは妻のイザナミが死んだ後に、黄泉に追いかけていきました。どうして、イザナミは死んで黄泉の国に行ったのに、夫のイザナギは生きていたのに、黄泉の国に行くことができたのでしょうか。そして、イザナギはイザナミが醜い姿をしていたのを見て逃げ帰りました。人は死ぬと、醜い姿で生き続けているのでしょうか。これも、あり得ない話ではないでしょうか。
また、イザナミは、夫に逃げられたので、「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言いました。それでイザナギは、「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言ったそうです。夫に逃げられたので人を一日大勢殺すと言った日本の神を尊敬できますか。これは、まるで悪霊のような特質をしているのではないでしょうか。
また、姿が醜くなったなら、夫婦としての愛が冷えたのでしょうか。また、神なら、死んだ者をよみがえらせることができるはずでないでしょうか。
そして、大抵の現代人は、地下に死者が住む黄泉が存在しないことを認めているのではないでしょうか。私たちは、火山が爆発してマグマが出てくるので、地球の内部はマントルが融解してできるマグマがあることを知っています。
そして、最新の研究によると、地球の中心は364万気圧・5500°Cという超高圧高温状態であるということです。ですから、地球内部にどんな物質世界、地下世界も存在しえません。ですから、黄泉の国は存在しないのではないでしょうか。
聖書は、確かに霊者が住む天界と人間が住むこの物質界が存在することを認めています。しかし、人間は死ぬと土に戻ると教えていて、死者が生活する世界が存在するとは言っていません。(創世記3:19)
聖書によると、死んだ人が活動している世界としての黄泉または陰府は実在しません。聖書が黄泉と述べる場合、文字通りの墓もしくは比ゆ的に死者がいる場所を意味しています。死者は意識がなく存在がなくっているので、死者の住む世界も存在しません。
そして、わたしたちが地球について知っている状況はこのことと一致しているのではないでしょうか。
(4)日本だけでなく全世界を創造された神エホバ
聖書によると、世界を創造されたエホバ神は、永遠の昔から存在しておられました。そして、永遠の将来にわたって存在していかれます。聖書は、神について、「あなたが地と産出的な土地を産みの苦しみによるかのように生み出される前から,実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です。」と述べています。(詩編90:2)ですから、エホバ神は不滅であり、時間を超越した存在です。
そして、この方が一人で全宇宙を創造されました。エホバ神は日本だけを作られたのではなく、全人類が生活している地球を含む太陽や星のすべてを、創造されました。ですから、エホバ神は地球全体を支配するただひとりの至高の神です。(詩編83:18)さらにエホバ神は、「聖なる者」、まったく汚れとかかわりをもたれない神聖な方です。(レビ11:45)
通常、何かが存在し始める時に、その設計者が知力を働かせて仕事をしなければ産み出されないというのが普通ではないでしょうか。メーカーが車やパソコンや電化製品などさまざまな製品を作り出しますが、メーカーは知力をフルに働かせて新たな物を創造します。
聖書は、エホバ神が「働き続け」られ、その労によって全世界を造り出されたと教えています。(ヨハネ5:17) 聖書は真の創造者について次のように述べています。「エホバ,あなたの偉業は何と多いのだろう。あなたは知恵によって全てを造った。地球はあなたが造ったもので満ちている。」(詩編104:24)
ですから、まことの神がその世界を創造された時、それは自然発生したのではなく、神は「知恵」をフルに働かせて無数の物を創造してくださいました。それは、人間世界で、設計者が創意工夫をこらして製品を作るのと同じです。
ですから、私たちは神が愛に基づいて知恵をふりしぼって世界を創造してくださったことに感謝できるのではないでしょうか。このような方こそ、わたしたちの崇拝を受けるのにふさわしい方ではないでしょうか。
聖書の記述は現実に起こることと調和しています。一方、イザナギが体を洗って汚れを落としただけで、神々が自然に産まれたという記述は、何もわたしたちに神に対する敬意を育みません。また、わたしたちが知っている世界の実情に反しています。
このことからも古事記に書かれている自然発生した神々の記述は、まったく、あり得ない作り話であると言えるのではないでしょうか。全宇宙を知恵をもって創造された神が存在されるという聖書の記述の方が理性的に受け入れられるのではないでしょうか。
古事記の中で神々や日本の成立について述べられていることは、神話であり、まったくの作り話であり、偽りで事実ではありません。その話はまったく不合理で、信じるに値しません。
でも、わたしは古事記に述べられている現天皇の先祖に関する記述がすべて作り話であるとは考えていません。古事記の中には、実際にあった史実も含まれているかもしれないと思います。ですから、今の天皇が古い歴史を持っているだろうとは思います。
でも、古事記に日本の神について書かれていることは、不合理で、実際に起きたことだとは決して思いません。それで、伊勢神宮などでは、多くの神々が祭られていますが、そのように神々の存在するという信仰の元になっている古事記の記述は、合理的な現代人が信じることのできる真実の記録だとは思いません。
それで、わたしは天皇制の存在と存続に反対はしませんが、古事記の神話の部分の記述は事実ではありませんし、その中に記述されている神々は、存在しないと思います。存在しない神を崇拝しても、何の益にもなりません。
聖書はこのように勧めています。「心を尽くしてエホバに仕えなさい。実体のないものに従おうとしてはなりません。そうしたものは役に立たず,救ってもくれません。実体がないからです。 」(サムエル第一12:20-21)
そのように現実に存在しない偽りの神を崇拝しても、日本が苦難に直面した時救ってはくれないでしょう。実在していないからです。また、そのようにすることによって、まことの神エホバ神に是認されることはありません。
まことの神はご自分について次のように言われています。「それは私エホバではないか。私のほかに神はいない。正しい神,救い主は,私以外にいない 」(イザヤ45:21)
エホバ神は実在しない神なのではなく、確かに存在しておられる救い主です。エホバ神だけが苦難に直面したご自分の崇拝者を救ってくださいます。私たちは創造者であり至高者であるエホバ神だけを崇拝しましょう。
日本の神道は世界の諸宗教の中でどのような位置にあるか
【目次】
全人類が派生してきたと教えている
アダムとエバは全人類の全人種の先祖です。アダムとエバは白人種ではありませんでした。アダムはアラブ系の人たちのようにある程度浅黒い皮膚の色をしていたと考えられます。なぜなら、アダムという語は、ヘブライ語の「土」という語と関連があるからです。アダムとエバは全人種を産み出せる遺伝的な素質を持っていました。
万有引力の法則と微積分を発見したニュートンは聖書の神を信じていた
Oren J. Turnerによる写真1947年
アインシュタインは宇宙に高度な何者かの知性が表れていることに畏敬の念を抱いていた
ですから、聖書の教える創造者の概念は、物事を緻密に論理的に考える科学者たちの思考にも耐えるものです。
ケプラーの法則を発見したケプラーはプロテスタントの信仰を持っていた
祈りを聞かれたわたしヨハネの経験と世界の苦難を緩和するための祈りの重要性
それで、寒くなってこのコートが着れるようにと祈りました。すると、季節外れに寒くなって雪が降って、そのコートをその時に着ることができました。エホバ神は信仰を持つ人々の必要を不信仰な人々の必要よりも優先されます。
でも、わたしも不完全ですから、若い時から、完全に神の基準に適合してきたわけではなく、今もそうであるわけではありません。でも、足りない部分は、キリストの贖いの犠牲に基づいて、エホバ神に罪の許しをお願いします。
イエスは複数の人の祈りが聞かれやすいことを次のように言われました。「地上にいるあなたたちのうちの2人が,どんな重要な事柄でも,同意して願い求めるなら,天にいる父によってその通りになります。」(マタイ18:19)
ふたりか三人の神に是認されたクリスチャンが祈る時に神はその祈り
を聞いてくださる
(2)2019年10月の台風19号について祈りが聞かれた経験
追記をします。2019年台風19号が10月12日に日本全体、とりわけ関東地方に向かっていました。大型の勢力の強い台風ということになっていて、最大風速が最初は50kmはあり、最大瞬間風速は、最初は75kmくらいだったと思います。それで日本全体に壊滅的な打撃を与えることが心配されていました。
スピードがのろくて30kmでした。それで、ネットの気象情報をチェックしながら何度も祈りました。
とりわけ、日本には過去のはなはだしい流血の罪と現在の不信仰と偶像崇拝の罪があるので、これからも私は日本人が創造者に信仰を持つよう努力をし続けますから、キリストの贖い犠牲を適用して、自分を含め日本人の罪を許して台風のダメージが大きくならないように祈りました。
いつも衛星画像をチェックしましたが、台風の勢力は少しずつ弱まっていきました。また、台風の雲の範囲は少しずつ小さくなっていきました。12日の夜は、メディアでは、一晩中雨が降り続けて、大変な雨量になることが心配されていました。
12日の夜は眠たくて早く寝ましたが、夜中に風が激しかったので、床で台風がスピードが速くなって雨雲と共に早く過ぎ去るようにと祈りました。たぶん、それが夜中の真夜中12時の前だったと思います。でも、その祈りは、すでにもう何度もしていました。
夜中2時半ころ起きると、外では雨も風もなかったので、ネットで気象庁のサイトを確認しました。
すると台風のスピードは55kmになっていました。そして、雨雲は関東地方以西からほとんどなくなっていました。夜中の13日12時16分には関東地方への大雨特別警報は警報に切り替えられていました。ですから、エホバ神はわたしの祈りを聞いてくださって台風がスピードを出して過ぎ去るようにしてくださったんだと思います。
台風はその時には、東北地方で豪雨を降らせていました。ですから、東北地方の人のためにも祈りました。
もちろん、今回も何らかの死者や家屋の被害や停電被害は出たと思います。でも、祈ってエホバ神をなだめてその助けを祈り求めたので、その災いは日本が壊滅するような極端なことにはならなかったと思います。
おそらく他にも祈った人々がいたと思います。このような経験は何度もしました。祈って台風がものすごいスピード、70kmか80kmくらいのスピード早く過ぎ去るということも何度かありました。それで、台風関係の祈りは、必ずだいたいある程度は聞かれます。でも、通常、おざなりな一度だけの祈りではだめで、何度も祈らなければならないです。
でも、このことは、不信仰な人は、認めないか、偶然だと考えたり、あるいはそれが起きたことは認めても、それでも、聖書とその神に反対すると思います。聖書の中で書かれていることは、人間社会の現実で、これは、聖書時代だけでなく、このわたしたちが住む現代にも起こりうることだからです。
というのは、1世紀もイエスがさまざまな奇跡を行われました。それで、エルサレムの宗教指導者たちは、イエスがさまざまな奇跡を行っていることを認めざるを得ませんでした。(ヨハネ11:47,48)
しかし、それでも、ユダヤ教の指導者たちは、物事を間違って推論して、信仰がマイナスになると考えて、イエスに反対し続けました。そして、最後には、イエスを杭につけて殺してしまいました。彼らは間違った推論をしたので、間違った行動をして、ユダヤの国に災いをもたらしました。
それで、これからも祈るとエホバ神は聞いてくださると思います。そして、わたしも人々が神への信仰を持つように努力をし続けると思います。でも、多くの人はやはり、起きたことを偶然だと考えたり、たとえ実際にそのようになったと考えても、信仰が自分たちにとって不利になると考えたりするんだと思います。
あるいは、他の人は神の律法を守って偶像崇拝や性の不道徳をやめて、神を認めて生活するのがいやなんだと思います。それで、ある人々は奇跡的なことが起こることを認めても、その背後におられる神を認めることをしないと思います。あるいは神が働かれたということを認めず、偶然にそうなったと考え続けられると思います。
どうしたらエホバ神に祈りを聞いていただけますか
(1)どうすればエホバ神との良い関係を築き祈りを聞いていただけますか
ペテロの命を救い事態を変化させた
エリヤは雨が降るように七度祈ったかもしれません
それで、祈りが聞かれるまで、辛抱強く何度も祈ることが必要です。簡単に一度だけ祈っただけでは聞かれないことがあると思います。その祈りに対するわたしたちの本気度も試されるでしょう。
聖書の神エホバはどのような神ですかーエホバに従うならどのような結果になりますか
エホバ神の導きや助けがない生き方をするのは、今の危機的な真っ暗な時代に、懐中電灯もなしに歩くことになぞらえられます。その生き方は、おおむね。死亡率が高いと思います。また、神からの将来の永遠の命の保証も得られません。聖書の神に信仰のない人々はそのような気の毒な生き方をしています。
-危険や落とし穴を避けることができる
人は必ず死にます
人間を崇拝しても頼れない
また、聖書は人間は死ぬと「土に戻る 」と述べています。(創世記3:19)ですから、死者に祈っても、何にもなりません。土に戻っている人は生きている人間のために何もすることができません。聖書の神は、人間が死んで神になったわけではありません。
永遠に生きておられる全能者
(4)エホバ神はサタンと悪霊の崇拝に反対される
サタンはアダムとエバから永遠の命を奪った人殺しで人間の幸福を願ってはいない
ヨハネの聖書の解釈の変更のために読者を動揺させたかもしれないことに対するお詫び
0world changing nations
ですから、どの国民であっても、北の王でも南の王でも、また、他の国家であっても、エホバ神ははなはだしい流血に反対され、その応報を受けるようにされるからです。(ローマ12:19)
0forgiveness for sins
それで、わたしが生きている間、聖書預言の研究に励んで、聖書の預言の意味をできるだけ解明し、できるだけ正確な預言の解釈にしたいと思います。
聖書はわたしたちの時代に聖書の知識が豊かに満ちあふれるようになると預言しています。ダニエル書には、「終わりの時」までに秘密にされていたことが、「多くの人」が「エホバの言葉」を求めて、巡り歩き,「真の知識が満ちあふれ」ることを預言しています。(ダニエル12:4。アモス8:12)
聖書は終わりの時に聖書に関する真の知識が満ちあふれることを預言している