ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

エホバの証人の解釈

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1-2)モーセの権威が表わしていたのは統治体ではなくイエス・キリスト

エホバの証人の統治体の兄弟たちは、荒野で反逆したイスラエル人を裁いたモーセの権威を持っていると主張されています。そのために、統治体の兄弟たちや、統治体によって任命された長老たちの権威に従わなければ、エホバ神に裁かれてしまうと示唆されます。 …

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1-1)モーセの権威を持っているのは統治体ですかそれともイエス・キリストですか

エホバの証人の統治体は、大会でも、ものみの塔の研究記事の中でも、ご自分たちの権威を強調なさいます。そのことを裏付ける聖書的な根拠として、荒野でイスラエル人を導いていたモーセとアロンの権威に逆らった一部のイスラエル人が、神罰で命を失ったこと…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(31)勘違いで表象物にあずかると証人から排斥されてコラのようにエホバから裁かれるというのは正しいか

統治体の兄弟たちは、わたしがエホバの証人として表象物にあずかり始めた時、ある程度、注目されていたようです。 イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(25)統治体に手紙を書いた後ルームメイトを組むのを妨害した地域監督は事故死する それは、今思う…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(30)なぜ原水事件の時地元の会衆の長老は間違った判断をしたのか

なぜ、エホバの証人の長老たちは、原水事件の時に、わたしと別の姉妹が異なる主張した場合に、証言の信頼性の度合いは同じはずなのに、その姉妹の方の言葉だけを正しいとして受け入れたのでしょうか。しかも、わたしの方には、証拠があったにもかかわらずに…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(28)エホバの証人の世の終わりの預言は成就するか

今日、エホバの証人の中では、新たに表象物にあずかり始める人はその立場の真正さを疑われる場合が多いです。また、エホバの証人の預言の解釈と異なる解釈を受け入れる油そそがれたクリスチャンはエホバの証人からおおむね受け入れられません。 聖書の預言に…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(26)わたしヨハネは原水事件のために再び正規開拓者から降ろされる

わたしは大群衆の長老たちによって、わたしにとっては比較的賃料が高いマンションにひとりで住むようにさせられました。大群衆の長老たちからは、はっきり分かっているだけでも、少なくとも、ふたりの長老により、ルームメイトを組むことを妨げられました。…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(22-2)長老が自分と異なる成員の意見を尊重するべき理由

ヨハネです。 会衆の長老が成員が自分と異なる意見に基づいて、神の律法に違犯しない決定を下す場合、それを尊重するべきであることを考えてみたいと思います。エホバ神がご自分の導きに反するパウロの決定を受け入れられたことがありました。 (1)長老たちは…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(21)雑魚寝事件その後-長老がヨハネがパートナーを組むのを妨害し経済的な困難を経験する

ヨハネです。今回述べる経験は、雑魚寝事件の後にわたしが経験したことです。 イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(17)エホバの証人の会衆での雑魚寝事件 (1)雑魚寝事件の後に親の勧めで英語の勉強のために他県に引っ越す 雑魚寝事件があった後、両親…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(16-3)一般の証人が愛を示したり正直であるよう努力していることと統治体の指導の間違い

わたしは(16-1)で、証人の偽証のために、会衆内の立場が悪くなった経験を話しました。 でも、今回の記事の中では、証人たちが皆偽証をするわけではなく、一般的に正直であり,また愛を示すように努力をしていることも付け加えておきます。 さらに、このこと…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(16-2)会衆の二人の証言が関係が食い違う場合にものみの塔誌で勧められていた事と聖書が勧める対処策

この(16-1)では、わたしが以前交わっていた会衆で、長老たちの前で、わたしと他の姉妹の証言が食い違ったという出来事を話しました。そのために、わたしは偽証したとされ、長年、補助開拓者や正規開拓者として奉仕することが認められませんでした。 今回は、…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(16-1)ひとりの証人の偽証によって会衆で不公正に裁定された私ヨハネの経験

ヨハネです。次にお話しするのは、大群衆の長老たちがイエスの右手の上の星ではなく、キリストから自動的奇跡的に導きを受けているわけではないことを示す経験です。この経験は、わたしヨハネ自身も、間違っていたことなので、あまり話したくもないことなの…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(10-2)証人はどうなるかが予想され傍観者はどうすれば賢明か

エホバの証人の統治体は、まもなく国連が諸宗教を攻撃して、滅ぼし、その後、エホバの証人が攻撃され、神は攻撃する者たちを滅ぼし、この事物の体制が終わり、楽園がスタートすると解釈しています。わたしは、この証人の解釈は間違っていると考え、聖書から…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(15-2)人間に対しては相対的に服従しエホバ神とイエスに絶対服従を示す

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(15-1)でわたしヨハネが、聖書的に正しい言葉を語ったために、証人の正規開拓者を降ろされ、そのことが地域大会の劇に扱われた経験を話しました。 今回の記事では、(1)クリスチャンは聖霊で油そそがれたクリスチャ…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(15-1)わたしヨハネが七つの星が監督であるという解釈のために経験したこと

啓示の書の中には、復活後のイエスが登場しますが、イエスの右手の上に7つの星があります。7つの星は7つの会衆の使者たちです。(啓示1:20新世界訳改訂版)エホバの証人の統治体は、イエスの右手の上にある七つの星は、聖霊で油そそがれた監督たち、さらに…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(12-1)証人の現在の聖書預言の解釈が動揺していること

今回は、(1)現在の証人たちの聖書預言の解釈はどのようになっているか、(2)ラッセル兄弟の1914年説が間違っているため統治体はまだイエスから奴隷級として任命されていない事について論じたいと思います。 (1)現在の証人たちの聖書預言の解釈 わたしは基本的…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(11-2)ラッセル兄弟の1914年説がなぜ間違っているのか

先回の記事で、ラッセル兄弟の西暦1914年説が現在のエホバの証人の教理の土台となっていることと、現在のダニエル11,12章の証人の預言の解釈の説明は、ラッセル兄弟がしたものではなくて、後で付け加えたものだということについて話しました。 今回の記事で…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(11-1)証人の教理の土台であるラッセル兄弟の1914年説

ある証人の大群衆の長老と思われる兄弟が、わたしヨハネが統治体に聖書的な論議の手紙を送ったことをどこかで知ることになられたようで、なぜ統治体に手紙を送ったのですか、聖書に対して不信仰ですと言われました。 その兄弟がそのように言われたのは、「ヨ…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(10-1)ユダヤ人から排斥されイエスはゼロからスタートされる

ヨハネです。正確な聖書の預言に関心のある聖霊で油そそがれたクリスチャンはエホバの証人の統治体が、正確な預言の解釈の論議を退けて、古い教えにとどまり続けるなら、どうしたらいいでしょうか。 (1)では、ゼロからスタートしなければならないことを説明…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(9)啓示の書の七つの会衆に忠実また不忠実な聖霊で油そそがれた男女が含まれているという聖書的な理由

ヨハネです。エホバの証人の統治体は、証人の組織の中だけに、神に是認された聖霊で油そそがれたクリスチャンが存在すると考えています。しかし、事実は、聖書研究を行い聖書に忠実に従う努力をする聖霊で油そそがれたクリスチャンが証人たちの組織以外にも…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(3)大群衆が統治体の聖書の解釈の間違いを指摘するのは聖書的に正しいですか

聖書的に聖書に関する解釈をすることが許されるのは一部の聖霊で油そそがれた長老であるエホバの証人の統治体の兄弟たちだけなのでしょうか。大群衆の兄弟たちがエホバの証人の統治体の兄弟たちの聖書の解釈の間違いを指摘することは神の目に許されることで…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(2)統治体が聖書の解釈で間違っている時どのように対応したらいいですか

わたしはエホバの証人の統治体の兄弟たちは、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老であると考えています。わたしは彼らの聖書解釈が聖書と調和している部分も多いと考えています。しかし、もし、彼らの聖書の解釈が間違っている場合、他の聖霊で油そそがれ…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1)統治体の権威に逆らうことはモーセの権威に逆らうことと同じですか

エホバの証人の統治体は、大会でも、ものみの塔の研究記事の中でも、ご自分たちの権威を強調なさいます。そのことを裏付ける聖書的な根拠として、荒野でイスラエル人を導いていたモーセとアロンの権威に逆らった一部のイスラエル人が、神罰で命を失ったこと…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(4)聖霊で油そそがれたクリスチャンの男女が聖書の解釈する点で平等なのはなぜですか

聖書的に、天的な希望を持つ女性が天的な希望の兄弟たちの聖書の解釈に異議を唱え、聖書から論じることはエホバ神の目に許されることなのでしょうか。考えてみましょう。今回は、このことを(1)から(5)の論点で論じます。 この記事は、シリーズで、今、(1)か…

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(5)聖霊で聖霊で油そそがれた長老の統治体が天的な希望の者による聖書の正しい解釈を退けることがありますか

男女を含めて天的な希望を持つクリスチャン、あるいは大群衆のクリスチャンが証人の統治体の聖書の解釈の間違いを指摘する事があるかもしれません。 「(3)大群衆が統治体の聖書の解釈の間違いを指摘するのは聖書的に正しいですか」「(4)天的な希望の女性が統…

啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(45)エホバの証人がもっと聖句を検討することをお勧めします

カテゴリ 第六のみ使いがラッパを吹いた後に四人のみ使いが解放されます。(啓示9:15)その後、万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)前回の記事で述べたようにエホバの証人は、この騎兵隊を大群衆の奉仕者であると解釈しています。しかし、聖書をも…

啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(44)二億の騎兵隊に関するエホバの証人の解釈ではなぜおかしいのか

第六のみ使いがラッパを吹いた後に四人のみ使いが解放されます。(啓示9:15)その後、万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)この二億の騎兵隊のについてのエホバの証人の解釈はどのようなものでしょうか。今回は、その解釈では、どうしておかしいの…