啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(33)人間の顔と女の髪とライオンのような歯と鉄の胸当てと翼を持ついなごの軍勢
天から落ちた星が底知れぬ深みのかぎを開けるとたくさんのいなごが出てきます。(啓示9:1,3)いなごの軍勢には、人間の顔をしていていました。(啓示9:7)そして、女の髪のような髪がありました。そして、歯はライオンのようでした。(啓示9:8)鉄の胸当てのような胸当てを着けていました。(啓示9:9)いなごは、兵車のような大きな「翼の音」を立てました。(啓示9:9)
いなごの姿の描写についてどのような意味があるのか前回の記事に引き続いて考えてみます。
(1)いなごは人間の顔を持っていた
いなごは、顔は人間の顔のようでした。(啓示9:7)これは、何を意味しているのでしょうか。聖書は、「ティルスの指導者」が自らを「神」のようにみなしたことを示しています。(エゼキエル28:2)一方、人は、「神」ではないので、エホバ神であれ、偶像などの偽りの神であれ、何らかの神を崇拝します。
例えば、ハバクク書によると、「カルデア人」は、「無情で血気にはやる国民」でしたが、カルデア人が「持つこの力はその神による」と記されています。(ハバクク1:6,11)それで、カルデア人は、偽りの神を崇拝していて、その神によって力を得ていました。
エゼキエル書によると、ケルブは象徴的に四つの顔を持っていました。そして、その一つとして「人の顔」を持っていました。(エゼキエル1:10)これは、ケルブが不滅の存在ではないことを示すと共に、エホバ神の崇拝者であるという一面を持っていることを示しているのではないかと思います。
それで、「いなご」が「人間の顔」を持っていたということは、彼らがいずれかの神の崇拝者であることを示しているのではないかと思います。 (ヨブ14:20)とりわけ、「いなご」の軍勢は、「野獣」、あるいは「野獣の像」の「崇拝」者でしょう。(啓示13:12,15;14:9)
また、いなごの軍勢の場合、望ましくない顔の特質を持った兵士でしょう。人間は、「顔が不遜で,心の固い子ら」である場合もあります。(エゼキエル2:4)エレミヤ書は、「北の地からやってくる」ひとつの民が、「残虐な民」で「哀れむことをしない」不遜な民であると述べています。(エレミヤ6:23。ヨエル2:20)
それで、このいなごは、不遜で心の固い、何物をも恐れない勇敢で強力な兵士なのではないでしょうか。彼らがそのようになっているのは、彼らが野獣、あるいは野獣の像、あるいは北の王を崇拝し、「背教」したキリスト教を奉じているからではないかと思います。(ダニエル11:32)
しかし、エホバの是認を得ていないならば、永遠の命を得ることができず、また、戦って死ぬならば、平和に暮らしている時よりは命が短くなるでしょう。
そして、おそらくいなごの軍勢の兵士たちには、たとえ戦って死んでも、不滅の魂があるので、天国に行けるというような背教した聖書の教えが吹き込まれるのではないかと思います。聖書の間違った理解のために、彼らは勇敢に、また、残虐になってしまうのでしょう。
しかし、人間は、不滅ではなく、魂が滅びる時、土の塵になり、無意識、無存在になります。(創世記3:19。伝道の書9:5)さらに、彼らは野獣の崇拝者として戦って死ぬ時には、永遠の滅びを被る結果になるかもしれません。聖書は野獣の崇拝者が永遠の滅びを被ることを示唆しています。(啓示19:20;21:8)
(2)いなごは女の髪があった
そして、いなごには、女の髪のような髪がありました。(啓示9:8)これは何を意味しているでしょうか。コリント第一の手紙の中で、「女が長い髪をしていれば,それは彼女にとって栄光である」「女の髪は頭飾りの代わりに与えられている」と述べられています。(コリント第一11:15)
女は男である夫に服する立場にあります。(ペテロ第一3:5)女の長い髪は、女が服していることが誉れとなることを示しているのではないかと思います。
同様に、いなごは、ヘブライ語で「アバドン」、滅び、ギリシャ語で「アポルオン」、滅ぼす者という名がある王に服する立場にあります。(啓示9:11)
ダニエル書は北の王が「驚くような仕方で滅びをもたらし,必ず成功を収め」、「多くの者を滅びに至らせる」ことを預言しています。(ダニエル8:24,25)
ですから、「いなご」の軍勢は、まさに「滅び」また、「滅ぼす者」という名前にふさわしい北の王の崇拝者であり、北の王に、忠実に服することになるでしょう。そして、いなごの軍勢がその王である司令官に忠実に服するならば、それは、それは、彼らに彼らにとって「頭飾り」となり栄光となるのでしょう。
いなごは北の王に服し誉れが与えられているでしょう
それで、いなごはその王に対して服していることによって勲章などの褒章を与えられて大いに誉れが与えられることになるのではないかと思います。
(3)いなごはライオンの歯を持っている
いなごは、ライオンのような歯を持っていました。(啓示9:8)これは、何を意味しているのでしょうか。ヨエル書のいなご、神の民の「土地に上って来た国民」、「強大で,数知れない」国民も、「ライオンの歯」と「ライオンのあご骨」を持っています。そして、そのライオンの歯とあご骨を持ついなごの軍勢がぶどうの木やいちじくの木をむき出しにすることが予告されています。(ヨエル1:6,7)
貪欲に略奪を行ない・・・
そして、そのいなごの攻撃のために、「畑は奪略に遭い」「穀物は奪い取られ」「畑の収穫物がなくなって」しまいます。(ヨエル1:10,11)ですから、いなごの軍勢が、ライオンの歯を持つとは、行く先々で略奪と破壊を行なうことが示唆されているのではないかと思います。
さらに、詩編の中にも、詩編作者がライオンのように「むさぼり食う者たち」のただ中に取り囲まれたこと、そして、彼らの「歯は槍と矢」であり、「その舌は鋭い剣」であることが述べられています。(詩編57:4)それで、詩編の中でも、いなごがライオンの歯を持っていたことは、いなごの軍勢が槍と矢と剣のような武器を携えて、軍事攻撃を行なって奪略や暴虐を行なう事を示しています。
(4)いなごは鉄の胸当てをつけている
いなごの軍隊が、鉄の胸当てをつけていたことは何を表わしているでしょうか。(啓示9:8)ダビデが、「鉄や槍の柄で十分に武装している」ことについて述べたことがありました。(サムエル第二23:7)ですから、いなごが鉄の胸当てをつけていたとは、いなごが文字通り、鉄の胸当てをつけているのかもしれませんが、十分な防護の装備を備えていることを示しているのでしょう。(エフェソス6:14,15)
このように私は、いなごの軍勢とは、エホバの証人の解釈のように、エホバの証人の奉仕者ではなく、北の王に率いられた軍備を固めた恐ろしい「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」の軍勢を意味しているのではないかと思います。彼らは、「滅ぼす者」である彼らの王に忠実でしょう。そして、背教した教えの影響を受けているので、何物をも恐れないでしょう。
(5)いなごの姿は戦闘の備えをした馬に似ており翼があった
いなごの軍勢に関して、「いなごの姿は戦闘の備えをした馬に似ていた」とあります。(啓示9:7)いなごが、戦闘の備えをした馬に似ていたとは何を意味するでしょうか。イザヤ書には、「馬」と「車輪」のある「兵車」,もしくは、「戦車」が並べて述べられています。(イザヤ2:7;5:28;31:1)また、「乗用馬の引く戦車」という言葉もあります。(イザヤ21:7)いずれにしても,馬は戦いの装備を意味しています。
ですから、いなごが「戦闘の備えをした馬」に似ていたとは、いなごが武装をしていたことを示しているでしょう。そして、「彼らの翼の音は,多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走り行く音のようであった。」と描写されています。(啓示9:9)このことは、いなごの軍勢が「翼」を持っていることを示しています。
このことは、いなごの軍勢がとりわけ戦闘機を備えていることを示しているのではないかと思います。そして、北の王は、南の王を攻撃しようと出撃する際に地中海でキリスト教系のヨーロッパ諸国の海軍によって阻止され、致命的な打撃を受けます。ですから、北の王がその復しゅうのためにキリスト教諸国を攻撃する時に、戦闘機に力を入れることは予期できることです。
しかしながら、聖書が軍隊の「翼」に言及する場合、それは必ずしも空を飛ぶ武器を意味してはいません。ダニエル書には、バビロンを表わす「ライオンに似ていた」獣には、「鷲の翼」がありました。(ダニエル7:4)古代のバビロンは空軍を持ってはいませんでした。また、古代ギリシャを表わしていた「ひょうに似た」獣も「飛ぶ生き物の翼四つ」を持っていました。(ダニエル7:6)古代ギリシャの軍勢も空軍は持っていませんでした。
しかしながら、「天の鷲よりも速かった」という言葉があります。(哀歌4:19)このことは、鷲が翼のためにその突進するスピードが速いことを示唆しているでしょう。(ヨブ9:26)
ですから、キリスト教の本拠地を攻撃するいなごが「翼」の音がするということは、北の王の設立する「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が空軍に力をいれているかどうかはともかく、その攻撃が非常にすばやいことを示しているでしょう。
北の王の率いるいなごの軍勢は空軍が含まれているかもしれないがとてもすばやく攻撃するでしょう
(6)いなごの軍勢に直面したらどのように対応するのが賢明か
それで、啓示9章のいなごの王といなごの軍勢は、エホバの日に北の王と彼に率いられる軍勢が数が非常に多く、整った高額な軍事的な装備を持ち、貪欲であることを示しています。
それで、北の王に率いられるいなごのような兵士の軍勢は、司令官の北の王にとても忠実で、進路にあるものを無慈悲に奪略し、破壊していきます。しかしながら、「額に神の証印のない人々」を攻撃する際には、彼らの命を奪ってはならないという命令が出されることになるのではないかと思います。彼らは、その命令にも忠実に従うことが考えられます。
「いなご」の軍勢は、決して不滅の存在ではなく、神の不興を買うと、最終的には滅びてしまいます。しかし、侮ることのできない、恐ろしい軍勢です。
イエス・キリストは、神の律法に不忠実になったキリスト教の拠点が攻撃されようとするのを見るなら、「山に逃げ」初めて、大患難の戦闘から自らの身を守るように助言しています。(マタイ24:16)そのようなことが起きるのはまだまだ数十年も将来のことであるとは言え、私たちはその時が来る前から、山に逃げる準備をしていたらいいのではないかと思います。