第六のみ使いがラッパを吹くと、神の前にある黄金の祭壇の角の間から出る一つの声が、第六のラッパを持つみ使いに、「大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使いをほどきない」という言うのが聞こえました。(啓示9:14)すると、その四人のみ使いは「大川ユーフラテスのところ」すなわち、大いなるバビロンから解放されることになっています。(啓示9:15)

 この預言と調和する預言が他にも幾つかあります。今回の記事では、大いなるバビロンに捕らわれになった神の民を解放することを預言している預言を考慮したいと思います。

(1)啓示17章にあるヨハネ級にみ使いが預言の説明を行なうという予告


 啓示17章には、七人のみ使いの一人が大いなるバビロンの実体とそれに関連した預言について、ヨハネ級に説明するということが述べられています。(啓示17:1,7)七人のみ使いとは、「最後の者」です。(啓示15:1)


 使徒ヨハネはこの時、パトモス島に捕らわれになっていました。しかし、ヨハネはこの説明を受ける時、幻の中で大いなるバビロンにいて、そこで行われていることを見聞きします。そして、ヨハネの場合、見聞きしたことを七つの会衆に当てて巻き物に書いて知らせるようにという命令を受けました。(啓示1:11)


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使徒ヨハネはパトモス島で最後の者の一人から預言の説明を受けた
 


 

 それで、ヨハネ自身は、捕らわれになっていたパトモス島から解放されることが示されていました。また、啓示18章では、神の民が大いなるバビロンから出るようにという命令が与えられています。(啓示18:4)このことは、大いなるバビロンに捕らわれになっている神の民のために、最後の者が派遣されて、神の民に聖書の預言を説明することを示しているのではないかと思います。


 そして、大いなるバビロンに捕らわれている神の民は、霊的に立ち上がり、大いなるバビロンから解放されることになることが示されているのではないかと思います。


(2)啓示11章にある二人のみ使いが自分の足で立つという預言


 最後の者たちは、神によって大いなるバビロンに遣わされて、「二人の証人たち」に対して、聖書の預言の説明をするのではないかと思います。


 それで、二人の証人たちは、聖書の説明を受けて、「神からの命の霊が彼らに入り」、「自分の足で立ちあがり」ます。すなわち、聖書の正確な知識と、聖書の預言の理解を与えられ、奮起させられます。そして、彼らは、「雲のうちにあって天に上っていく」という預言があります。(啓示11:11,12)


 この「天に上っていく」とは、決して文字通り、昇天するという意味ではありません。ヨハネは、開かれた戸が天にあるのを見て、声が、「ここに上れ。必ず起きることをあなたに示そう」と言うのを聞きました。(啓示4:1)それで、ヨハネが比ゆ的に天に上っていくというのは、将来起こることについての啓示を受けたことを意味していました。





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二人の証人が天に上っていくとは将来の預言を理解できたことを示している
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なぜならヨハネが天に上ったことは将来の啓示の幻を与えられたことを意味していた

 

 それで、二人の証人が天に上っていくとは、聖書の預言の説明を受けることによって将来起こることについての理解を得ることを示しています。その結果、「二人の証人」は奮起させられ、自分たちの足で立ちあがり、大いなるバビロンから、出て行くことができるのはないかと思います。



(3)関連するエゼキエル37章にある預言


 エゼキエル37章の中にも、この状況を説明すると思われる預言があります。その幻の中で、谷あいの平原がすっかり乾いたイスラエルの全家の骨で満ちていました。それは、「自分たちの望みは滅び失せた」と考えていたイスラエルの全家でした。彼らは、あたかも「埋葬所」に置かれて死んだようになっていました。(エゼキエル37:1,2,11,12)


 エホバは、それらの「骨に対して預言」するようにエゼキエルに命じます。エゼキエルは命じられた通りにエホバの言葉を伝えます。(エゼキエル37:4)


 すると、骨がつながり、その上に筋と肉が生じ、皮膚がかぶせられました。さらに、エゼキエルは風が吹くように預言し、風が殺された者たちに吹き付け、彼らは生き返りました。そして甚だ大いなる群衆が立ち上がりました。(エゼキエル37:6-10)


 エホバはエゼキエルにイスラエルの全家に対して預言するように、命じて、「いまわたしはあなた方の埋葬所を開き,あなた方をその埋葬所から連れ出し,イスラエルの土地に導き入れる」と宣言されています。(エゼキエル37:12)

 


 

 そして、「わたしはあなた方のうちにわたしの霊を置くので,あなた方は必ず生き返り,わたしはあなた方をあなた方の土地の上に住まわせる。」とも預言されています。(エゼキエル37:14)そのようにして、イスラエルの全家は、その預言を語られたのがエホバであることを知るようになります。


 ここの部分を詳細に検討するのは別の機会にしますが、この預言は、昔はバビロンに捕らわれとなっていた神の民が解放されることによって成就しました。この預言は、この終わりの時に、大いなるバビロンに捕らわれになっている神の民にも成就するでしょう。








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エゼキエル書にはバビロンに捕らわれになっていた希望のなかった神の民が・・・
0God's people return to homeland
自分の足で立ちあがり故国に戻ることが預言されている








 大いなるバビロンに捕らわれになっていた神の民に預言の説明が行われ、さらに、エホバの介入により、捕らわれの状態が解放されるような状況の変転があることを示唆しています。そして、捕らわれになっていた神の民は故国に戻ることになります。



(4)関連するミカ4章にある預言


 ミカ4章にはこのような預言があります。「今あなたが大声で叫びつづけているのはどうしてか。あなたのうちに王がおらず,あるいはあなたの助言者が滅びてしまったために,子を産む女に臨むような激痛があなたをとらえたのか。シオンの娘よ,・・・今,あなたは町から出て,野に宿ることになるからである。そしてあなたはバビロンまで来ることになる。そこであなたは救い出される。そこでエホバはあなたを敵の手から買い戻す。(ミカ4:9,10)


  この預言は、神に忠実なシオンの娘に関する預言です。シオンの娘は、信仰の仲間の本拠地が軍事攻撃を受け、多くのクリスチャンが殺され、また南の王の土地に捕らわれとなるというニュースを聞くことになり、苦しむことになるのでしょう。シオンの娘にとって助言者の役割を果たしていた者たちが滅びてしまったというニュースを聞くことになるのでしょう。



   真実に賢明な助言者なのであれば、滅びるというのは、おかしなことです。(箴言24:6)ですから、「助言者」が滅びるとは、その「助言者」が呪術や魔術やまじないや占星術に基づいた助言、もしくは道理にかなっていない愚かな助言を与える者であることを示唆しています。(イザヤ3:3;19:11;47:12-15)


   しかしながら、前の記事で説明したように、ある程度、聖書の正確な知識が欠如していた者たちは心霊術などの影響を受け、自らに愚かな助言を行ない滅びる結果になったのでしょう。しかし、シオンの娘にとって、信仰の仲間です。それは、シオンの娘に苦痛と激痛をもたらします。


 その時は、シオンの娘にとって、町から出て、野に宿るべき時です。(ミカ4:10)エスは、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が聖なる場所に立つのを見たなら、神に忠実なクリスチャンは山に逃げ始めるようにと助言されました。(マタイ24:15,16)それで、シオンの娘は、自分たちの仲間と共に、山かあるいは、野に移動するでしょう。



 その後、ミカ書によると、シオンの娘は、バビロンにまで行くことになります。そこでシオンの娘は、敵の手から買い戻され、救い出されることになっています。(ミカ4:10)ここでシオンの娘は、仲間が大いなるバビロンから解放されるように大いなるバビロンに派遣されて手助けをすることが預言されているのではないかと思います。


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シオンの娘は信仰の仲間が滅びた後バビロンに行って買い戻されることが預言されている




 

(5)関連するイザヤ43章にある預言


 イザヤ43章にもこのような預言があります。「あなた方を買い戻す方,イスラエルの聖なる方,エホバはこのように言われた。「わたしはあなた方のためにバビロンに人を遣わして,獄のかんぬきを下ろさせる。そして,船の中のカルデア人はすすり泣く。(イザヤ43:14)




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人が遣わされて何らかの理由でバビロンのかんぬきが下ろされることが預言されている




 

  それで、バビロンに人が派遣されて、何らかの物事の変転が起きて、獄のかんぬきが下ろされることになっています。そのようにして、神に忠実な信仰の人々が「買い戻される」ことが預言されています。この預言は、啓示9章のユーフラテスにつながれている四人のみ使いがほどかれるという預言を補って説明するものではないかと思います。



 おそらく、大いなるバビロンで内戦が起きる可能性があり、当局は捕えられている人々を人道上の理由で保釈せざるを得なくなるのではないかと思います。(啓示16:19)


 さらに、大いなるバビロンに捕らわれになっている「四人のみ使い」が解放される時、用いられる交通手段は「船」になるようです。(イザヤ43:14)また、その船は大いなるバビロンが準備した船になるのかもしれず、少なくとも、その同じ船に大いなるバビロンの人々が同乗しているのでしょう。


(6)関連するゼカリヤ10章にある預言



 ゼカリヤ書の中にも、捕らわれになった神の民が「エジプトの地」から、解放されるという預言があります。「わたし
は彼らをエジプトの地から連れ戻さねばならない。・・・また彼は苦難をもって海を通ることになる。海の中で波を打ち倒さねばならない。」と預言されています。(ゼカリヤ10:10,11)霊的な意味のエジプトは大いなるバビロンです。 (啓示11:8;16:19)




 
 
苦難をもって海を渡り霊的な意味のエジプトから連れ戻されることが預言されている
 

 

 



 ですから、神の民は解放される時、船で航海をして、「海」で苦難を経験しなければならないようです。おそらく、彼らが故国に帰る際に、高額な飛行機ではなく、格安な船便を用いることになるのでしょう。


 それで、これらの預言を考慮すると、エホバ神は、大いなるバビロンに捕らわれになっている神の民が立ち上がって故国に戻れるように少しの助けを与えられます。



  また、ダニエル書には、「
つまずきに渡されている時,彼らは多少の助けによって助けられる。」ことが預言されています。
(ダニエル11:34)エホバ神から遣わされた者の助けが「多少の助け」になるのではないでしょうか。(イザヤ43:14)


 聖書全体は調和しています。聖書の預言は、とりわけ終わりの時の神の民にどんなことが起こるかを預言しています。さらに、さまざまな聖書の預言は、ひとつの出来事の意味がよく理解できるように補足説明を行なっているはずです。


 神に忠実な民が捕らわれの苦難の中から解放されるというエホバ神の約束は、心温まるものです。エホバ神はご自分に信仰を置いて、忠実であろうとする神の民に落ち度があったとしても、預言の説明を行ない、霊的に奮い立つように助けて下さるのです。



  また、エホバの助けにより、捕らわれになっている神の民に有利な状況が生じることになるのでしょう。愛ある親切を示される憐み深いエホバ神を崇拝しましょう。とりわけ、わたしたちは預言が成就するのを見て将来エホバ神を賛美することができるでしょう。