四人のみ使いたちは、大川ユーフラテスにつながれていましたが、そこからほどかれます。(啓示6:13-15)その後、二億の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)四人のみ使いは人々の三分の一を殺すために用意されていたと述べられています。(啓示9:15)

 四人のみ使いの解放は人々の三分の一を殺すという状況につながります。しかし、四人のみ使いの中には、懲らしめられて悔い改める者がいるはずです。今回は、その理由を説明したいと思います。

(1)エゼキエル書の中にあるレビ人が偶像崇拝に陥るために神から打たれるが神に仕えることができるという預言

 エゼキエル書の中には、高い山の上に建設されるエホバの神殿の幻があります。それは、エホバの崇拝と奉仕がいったんストップされ、その後復興する時に成就すると言えます。なぜなら、そこの祭壇は「使い始め」のための犠牲が捧げられることになっています。ですから、その祭壇はいったん使用がストップしており、その後使用を再開することが分かります。(エゼキエル43:26,27)



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エゼキエルの新しい神殿では偶像崇拝に陥るが悔い改めて受け入れられるレビ人の存在が予告されている





 さらに、その神殿には、困難な時の間、エホバに忠実に仕え続けるザドクの祭司と、偶像崇拝に陥るレビ人がいることが預言されています。(エゼキエル44:10,15)

 エゼキエル44章の中には、次のような預言があります。レビ人たちは、「イスラエルがその糞像を慕ってさまよったときに,わたしから遠く離れて行った」と述べられています。(エゼキエル44:10)

 さらに、レビ人は、「その糞像の前で民に仕えつづけ,イスラエルの家にとってつまずきのもととなってとがを犯させたので,それゆえに,わたしは彼らに向かって手を上げた」と,エホバは言われています。(エゼキエル44:12)

 すなわち、全地の人々が「糞像を慕う」、すなわち、偶像崇拝に陥ることが預言されています。(エゼキエル44:10)全地の人々が陥る偶像崇拝は、啓示の書では野獣の崇拝です。(啓示13:6-8)しかし、全地が野獣の崇拝に陥る時、ザドクの子らの祭司は、忠実に祭司の仕事を継続します。(エゼキエル44:15)


 しかし、「レビ人」の中には、彼らが悔い改めるので、その罪を許されて神に仕える立場に回復される者たちがいます。(エゼキエル44:10-14)しかし、偶像崇拝に陥った「レビ人」は、「祭司」として奉仕することは許されなくなります。(エゼキエル44:13)すなわち、彼らは神の王国に入るという希望に関しては、その特権を失います。



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エゼキエルの預言ではレビ人が偶像崇拝に陥り祭司としての立場は失うがレビ人として引き続き奉仕することが許される






 しかし、エホバ神の憐みにより、「大群衆」の一員の神の奉仕者という立場には回復させられます。ですから、エホバ神に不忠実になって苦難を経験することになっても、その災いを生き残り、偶像崇拝を悔い改めて許される奉仕者たちが存在します。ですから、四人のみ使いたちの中には、苦難を経験した後、野獣の崇拝、すなわち偶像崇拝を悔い改めて、神に引き続き受け入れられる者たちがいるはずです。


(2)古代バビロンから逃れる者たちが神エホバの復しゅうを語り告げることが預言されている


 四人のみ使いたちはすべてが皆、背教しているわけではありません。啓示17章には、ヨハネが七人のみ使いの一人によって、聖書の預言の説明を受けることが示唆されています。(啓示17:1,2,7)

 この七人のみ使いの一人とは、第六のラッパを吹くことになるみ使いでしょう。(啓示9:14,15)おそらく、ヨハネは大いなるバビロンの中で説明を受ける「四人のみ使い」の中に含まれている忠実なクリスチャンを表わしているのではないかと思います。ヨハネは忠実に神の原則を守るクリスチャンを表わしています。


  そして、神の民を迫害した軍事強国に対して神の裁きの言葉を語ることは、決して、背教してはいません。昔預言者たちは、神の民に対する迫害と流血に対する「復しゅう」を語り告げました。


 エレミヤ書には、「バビロンの地から逃げる者と逃れる者たちが,わたしたちの神エホバの復しゅうを,その神殿のための復しゅうをシオンで語り告げる声がする」という預言があります。(エレミヤ50:28)それで、昔はバビロンの地から逃げる者によってエホバの神殿のための復しゅうが語られました。そして、エホバの神殿のための復しゅうを語ることは、エホバの目に正しい事です。


  そして、昔エホバはバビロンを攻撃するメディア・ペルシャ人の王たちをみ言葉によって動かしたことがありました。「エホバはメディア人の王たちの霊を奮い起こされた。その考えは,バビロンに向けられているからである。これを滅びに陥れるためである。それはエホバの復しゅう,その神殿のための復しゅうだからである」という言葉もあります。(エレミヤ51:11)


(3)四人のみ使いたちの中には北の王に聖書の真の預言を説明する者たちがいるのかもしれない


 ペルシャ人のキュロスは、バビロンに対して確かに勝利を収めることが預言されていました。
(イザヤ45:1-3)それで、エレミヤの預言は、将来大いなるバビロンに対してエホバの復しゅうが語られることを示唆していました。そして、キュロスは純粋なエホバの崇拝者ではありませんが、ある程度、エホバ神に敬意を払っていました。


 同じようにおそらく、北の王は、ある程度、聖書の真実な預言にも注意を払うでしょう。
(ダニエル11:38)それで、聖書の預言を知る忠実なクリスチャンたちによって、北の王に聖書の預言を説明することが行われるのでしょう。それで、北の王は、聖書から逸れた教えも聞き、聖書に忠実な預言の説明も両方聞くことになるのでしょう。



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ダニエルがペルシャの王にも預言を説明したように四人のみ使いたちの中には北の王に預言を説明する者たちがいるのかもしれない
 

 

 


 それで、大いなるバビロンに捕らわれて解放されることになる四人のみ使いたちの中には、北の王に聖書の預言の説明をする機会がある者たちもいるのかもしれません。


 聖書の預言の説明を行なうことは、決して背教していることを意味してはいません。それは、昔預言者ダニエルがバビロンの王に対しても、ペルシャの王に対しても、聖書の預言の説明を行なっていましたが、それはエホバ神に是認されていたのと同じです。




(4)エレミヤの時代と大患難の直前の時代の違い


 しかしながら、この「復しゅう」を語り告げる業は細心の注意を払って行われなければならないと思います。古代バビロンを攻撃する業を行なう者たちが永遠の命を失うことははっきり明言されていないと思います。しかし、北の王と北の王によって設立された「野獣」の「像」を崇拝する者たちは、永遠の滅びが待っていることを聖書は明言しています。(啓示13:8;14:9-11;20:14,15)



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大患難で戦う者は火の湖に投げ込まるすなわち第二の死をこうむり復活がない



  その業に参加して、命を落とす者たちには、復活はないと考えられます。


 それで、クリスチャンにできる唯一の最善のことは、復しゅうはエホバに任せて、大患難の戦闘を避けるために山に逃げることです。(マタイ24:15,16)


(5)聖書の原則に忠実なクリスチャンに求められている事柄


 啓示の書には、「捕らわれの身となるはずの者がいるなら,その者は捕らわれの身となる。剣で殺す者がいるなら,その者は剣で殺されなければならない。ここが聖なる者たちの忍耐と信仰を意味するところである。」とあります。(啓示13:11)ですから、例え、捕らわれを経験しても、「剣で殺す者」とならないように忍耐と信仰が求められます。



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啓示の書には剣で殺す者は剣で殺されなければならないと述べている




 キリスト教の指導的な立場にある人々が捕らわれて解放される時には、クリスチャンに対する迫害と流血に対する復しゅうのために、大いなるバビロンに対して、剣をとって戦うことが世界的に人気のあることになるでしょう。しかし、聖書の原則に忠実なクリスチャンはそうしてはならないのです。


 啓示の書には、海から出た野獣とその第一の野獣である北の王に対して「地に住む者は皆」崇拝を捧げる時が来ると預言しています。しかし、「ほふられた子羊の命の巻き物には,彼らのうちのだれの名も,・・・書かれて」いません。(啓示13:8)野獣を崇拝して、それに盲従する者たちには、神とイエス・キリストの是認はありません。


 例え、大いなるバビロンによって捕らわれになるとしても、その復しゅうのために「剣で殺す者がいるなら」、その者は剣で命を落とす結果になります。それで、こうした事柄で神の基準を固守するためには、「忍耐と信仰」が求められます。(啓示13:9,10)


 例え仲間のクリスチャンが命を落としたとしても、自ら剣をとって戦うことは、殺人であり、それはエホバ神に忠実なクリスチャンには、許されていないのです。決して自分で「復しゅう」してはならないのです。(ローマ12:19)


 その場合、神に忠実なクリスチャンたちができることは、「公正」が行われるようにエホバ神に祈り、大患難を避けるために山に逃げる事だけです。(マタイ24:16)わたしたちは細心の注意を払って神の律法に従うように努力を払いましょう。



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その時クリスチャンにできる唯一の最善のことは山に逃げる事