第六のみ使いがラッパを吹いた後に四人のみ使いが解放されます。(啓示9:15)その後、万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)この二億の騎兵隊のについてのエホバの証人の解釈はどのようなものでしょうか。今回は、その解釈では、どうしておかしいのか説明したいと思います。


(1)エホバの証人の初期の歴史


 エホバの証人にはこのような歴史があります。19185月,ものみの塔協会の会長JF・ラザフォードとその仲間7人に,連邦政府の逮捕令状が出され、彼ら8人は米国ジョージア州アトランタの連邦刑務所に送られました。それから9か月後,8人は釈放され、19195月,巡回控訴裁判所は,判決を破棄しました。



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エホバの証人の八人の兄弟たちは第一次世界大戦に自分たちの立場のゆえに投獄された






 後に政府は起訴を取り下げ,ラザフォード兄弟とその仲間たちは無罪ということになりました。その後、兄弟たちは活動を再開し,1919年と1922年にオハイオ州シーダーポイントでの大会によって鼓舞され、伝道の業にまい進することになりました。


(2)四人のみ使いの解放に関するエホバの証人の解釈


 エホバの証人は、自分たちの経験に聖書の預言が成就したと考えました。上記のエホバの証人の経験は、まず、「四人のみ使い」が「大川ユーフラテス」での捕らわれから解放されたと解釈されています。すなわち、エホバの証人聖霊で油そそがれたクリスチャンたちが証人の言う「大いなるバビロン」すなわち、偽りの宗教によって捕らわれ、その後解放されたことを意味すると解釈しています。


 しかしながら、その当時のラザフォード兄弟の経験に限って言うならば、彼らは偽りのキリスト教の団体、すなわち彼らの言う「大いなるバビロン」に迫害されたというよりは、実際は米国政府に迫害されたという方が、より正確なのではないかと思います。


 さらに、その後、エホバの証人が聖書の真理をいっそう理解するようになったことを、エホバの証人は、大いなるバビロンの捕らわれから徐々に解放されてきたとも解釈しています。


(3)当時のエホバの証人のほめられるべき状況


 当時のエホバの証人の統治体の指導により、全世界のエホバの証人は、聖書に従う良心的兵役拒否の立場を取りました。それは、立派な事であったと思います。また、彼ら統治体の兄弟たちが、無罪になつたのは、公正なことであり、良い事であったと思います。



 エホバの証人は当時得られていた自分たちの聖書の理解に従って神の律法に従うよう最善を尽くしていました。ですから、わたしは彼らに確かに限定的なエホバ神の是認と支持と助けがあったのではないかと思います。




 




(4)いなごと二億の騎兵隊に関するエホバの証人の解釈


  それで、エホバの証人は、「いなご」級をエホバの証人聖霊で油そそがれたクリスチャンであると解釈しています。(啓示9:3)例えば、エホバの証人の発行した「啓示の書-その壮大な最高潮は近い」という書籍の中には、「油そそがれたヨハネ級の人たちはイエスの導きのもとで率先する一方,熱心な大群衆は全人類の歴史上最も破壊的な騎兵隊の突撃に彼らと共に加わります!」と注解されています。




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エホバの証人はいなごは聖霊で油そそがれたクリスチャンを表わすと解釈している





 ですから、この二億の騎兵隊を、「いなご」級の指導の下に宣べ伝える業に加わる「大群衆」、つまりこの地上で永遠の命を受ける希望を持つクリスチャンの奉仕者だと解釈しています。(啓示9:16)


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エホバの証人は騎兵隊を大群衆の奉仕者と出版物を表わすと解釈している





 また、その馬の蛇の尾が損なうことについてはこのように注解されています。「ヨハネ級の人たちと大群衆は,何年もの間に配布した何十億冊もの聖書や書籍,ブロシュアーや雑誌に収められている,その尾に対応する,人を刺す音信を後に残してきました。」と述べられています。




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騎兵隊の蛇の尾が人々を損ない殺すことを証人の出版物に適用するのはふさわしいですか






 

 ですから、二億の騎兵隊は、証人たちがイエスが天で王になられたと考える西暦1914年以降、宣べ伝える業に熱心に加わってきた地的な希望を持つクリスチャンたち、また彼らによって配布された膨大な出版物を表わしていると解釈しています。


 ですから、エホバの証人はこの二億の騎兵隊の馬は、霊的な戦いに関係したものだと考えています。さらに、その馬たちが人々を殺すというのは、霊的な死をもたらすのだと解釈しています。


 この解釈は、エホバの証人にとってはわくわくさせる解釈です。しかし、この二億の騎兵隊を、大群衆の奉仕者また、彼らが配布する出版物とする解釈は正しいでしょうか。それは聖書と調和した解釈でしょうか。


(5)エホバの証人の間違いがそれほど大きくなかったとわたしが考える理由


  しかしながら、エホバの証人の解釈は、例え、間違っていても、確かに熱心に宣教を行なうように励ましました。その解釈の間違いは、エホバの証人の熱心な宣教の働きにつながりました。そして、そのことは、多くの人がキリスト教や聖書を知るきっかけになったので、そんなに結果の悪い間違いではありませんでした。


 少なくとも、エホバ神とイエス・キリストにしばらくの期間は、容認される解釈の間違いではないかと思います。そして、彼らが戦時中にとった良心的兵役拒否の立場は神の目に正しいものでした。そして、彼らが「義のために」迫害されたことは、彼らが限定的であれ、神に是認されていたことを示していたとも思います。(マタイ5:10-12)


(6)エホバの証人の解釈がなぜ間違っているのか


 わたしは、今まで説明してきたように、エホバの証人の解釈は、少し聖書と調和していないと思います。啓示の書を解釈するためには、できるだけダニエル書の預言を考慮して、調和させるようにしなければならないと思います。


 さらに、以前の記事で述べたように「いなご」は聖書の中で神の奉仕者を意味しているのではなく、神の民を軍事攻撃する諸国民の軍勢を意味していると思います。



(7)聖書が述べる騎兵とはどんな存在か


 騎兵隊という語は、聖書の中に、この啓示9章の中にしか出てきません。(啓示9:16)しかし、聖書は騎兵には何度か言及しています。エゼキエル23章は、文字通りではなく、預言です。そこでは、比ゆ的なサマリヤ、つまり、北の十部族のイスラエルを表わしていたオホラについて次のように述べています。オホラは、青い生地をまとった総督や,代理支配者たち―彼らはみな好ましい若者で,馬に乗る騎兵に「欲情を燃やしつづけた」とあります。(エゼキエル23:5,6)





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聖書の預言に登場するのはアッシリアの騎兵つまり諸国民の騎兵




 

 さらに、エゼキエル23章で、南のユダを表わすオホリバも北のイスラエルと同様に、アッシリア人の「趣味の非常によい服装をした総督や代理支配者,馬に乗った騎兵たち」に「欲情を燃やし」たことが記されています。(エゼキエル23:11-13)それで、聖書は預言的にアッシリアの騎兵たちについては述べています。しかし、「騎兵」を神の民の奉仕者を表わすという預言的な記述は聖書の中にはありません。



 また、聖書に何度も出てくるのは他に「ファラオのすべての軍勢に属する」「騎兵たち」です。(出エジプト14:28)聖書は預言的にも文字通りにもただ諸国民の騎兵たちに言及しています。ですから、騎兵隊が登場する場合、文字通りの諸国民の軍勢と解釈するのが妥当ではないでしょうか。



(8)二億の騎兵たちが乗っている馬によって殺されるという表現は何を表わすか


 現代の戦争で、文字通りの馬が用いられることはありません。では、その二億の騎兵隊が乗っていた馬とは何を表わしているのでしょうか。(啓示9:17)

 聖書の中で、馬とは昔の戦いの装備のひとつでした。昔は武器として剣や矢や槍が用いられましたが、この啓示9章の騎兵隊は剣や矢や槍を持っているとは描写されていません。しかしながら、啓示9章の馬は、その口から出る三つの災厄とその蛇のような尾によって人々を殺します。(啓示9:18,19)


 確かに、聖書は神権的な戦いに馬が用いられることを述べています。例えば、イエスを表わすと考えられる方が、「白い馬」に乗っているという描写が啓示の書にあります。(啓示6:2)また、詩編でも同じようにイエスは馬に乗って「乗り進め」と言われています。(詩編45:4)


 しかし、聖書の中には、宣べ伝える業や霊的な食物が記載された出版物によって霊的な死をもたらすという記述はどこにもないように思います。


 聖書はかえって宣べ伝える業によって、「命」をもたらすことを述べています。(テモテ第一1:10,11)しかし、この啓示の描写は人々が命に導かれることではなく、二億の騎兵隊の突進が人々の「三分の一」が殺される結果になることを述べています。(啓示9:17,18)


 聖書は「殺され」、とか「殺される」という場合、剣で殺されるということを描写しているのがほとんどです。(エゼキエル26:6。イザヤ14:19。エレミヤ18:21)少なくとも、宣べ伝える業によって「殺される」と述べる箇所は聖書の中にないのではないでしょうか。


 しかし、エゼキエル書には、霊的な意味で「殺された」人々の骨が谷あいの平原に満ちていたという預言的な表現はあります。(エゼキエル37:9)しかし、それは、宣べ伝える業によって霊的に殺されたのではありません。自分たちの違反のために文字通りバビロンに捕らわれになって意気消沈して、無活動状態になり比ゆ的に「殺された」状態にありました。


 それで、神の奉仕者の騎兵隊の突撃によって、人々が殺されるという表現があるのは、おかしいです。騎兵隊が、神の奉仕者であるならば、人々が生き返るという描写があってしかるべきでしょう。ですから、この二億の騎兵隊の突撃は、神の奉仕者の霊的な突撃を意味しているのではなく、文字通りの無数の軍勢により、人々が命を落とすという解釈をするのが妥当なのではないでしょうか。



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二億の騎兵隊は非常に多くの軍勢によって人々が命を落とすと解釈するのが妥当ではないか
 





 

 次回の記事で述べる予定ですが、私たちの意図が人々を誤導するものでなくても、やはり、間違った解釈は、最終的に非常に悪い結果につながります。ですから、エホバの証人がこの二億の騎兵隊に関しても、解釈を再検討されるようお勧めします。