啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(49)騎兵隊には復活がないと考えられる理由
第六のみ使いがラッパを吹いた後に万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)その騎兵隊は赤と青と黄の胸当てを着けています。(啓示9:17)その騎兵隊からもたらされる「三つの災厄によって人々の三分の一が殺され」る結果になります。(啓示9:18)
その胸当ての青い部分は、彼らの動機が神の目に一面、純粋で正しいことを示しています。さらに、彼らはエホバの王権と北の王の王権のもとで行動しているとは言えます。それでもなお、聖書をよく検討すると、神の律法を度外視して南の王に対する軍事攻撃に加わる二億の騎兵隊の前途には、完全な滅びが待っています。
今回の記事ではそのように考えられる理由について説明したいと思います。
(1)二億の騎兵隊は野獣すなわち北の王の崇拝者
聖書は、北の王に対する崇拝、つまり野獣の崇拝に陥り、南の王の軍事攻撃に携わる人々に、復活の希望がないことを示しています。なぜそう言えるのでしょうか。
まず、啓示9章1~3節に出て来る「いなご」の軍勢の王は、北の王です。いなごの軍勢は、北の王、すなわち、「底知れぬ深みの使い」が提唱して設立した軍事組織です。北の王は「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を提唱することが預言されています。(ダニエル11:31)
ヨエル書の中には「いなご」とは、エホバが「あなた方(イスラエル)の中に送ったわたしの大いなる軍勢」であると述べられています。(ヨエル2:25)ですから、いなごの軍勢とは、神が背教している神の民を処罰するために送る軍勢を意味しています。
いなごの軍勢の王は、滅びを意味するヘブライ語「アバドン」また、滅ぼす者を意味する「アポルオン」という名があります。(啓示9:11)その王は北の王です。なぜなら、ダニエル8章によると「驚くような仕方で滅びをもたらし,必ず成功を収めて,効果的に事を行なう」のは北の王だからです。(ダニエル8:24)
その軍事組織は、まずキリスト教の僧職者たちとキリスト教諸国を攻撃します。(啓示9:4)そして、いなごの軍勢は、後ほど、二億の騎兵隊として増大します。啓示17章によると、「十人の王」である「十本の角」はその権威を北の王によって設立された緋色の「野獣」に与えることになっています。(啓示17:12,13)
そして、彼らは今度は、その憎しみを大いなるバビロンに向け、「四方から」彼女を「攻める」ことになります。(啓示17:16。エゼキエル23:22-24)そして、「北の王」は、「南の王」に対して、「兵車と騎手と多くの船とをもって強襲する」ことが預言されています。(ダニエル11:40)
ダニエル書の中にも啓示の書の中にも北の王が全世界の権威を掌握することになることが預言されています。啓示13章によると、「地に住む者」たちは、海から出て来る「野獣」の「頭のひとつ」が「致命的な打ち傷」から回復するので、「第一の野獣」を「崇拝」します。(啓示13:3,4,8,12)この「致命的な打ち傷」から回復する「第一の野獣」とは北の王です。
二億の騎兵隊は北の王と緋色の野獣の崇拝者
ダニエル11章によると、北の王は「自分を大いなるものとしてあらゆる神の上に高める。」ことが預言されています。(ダニエル11:36)ですから、大いなるバビロンとその同盟国を攻撃するために突撃する二億の騎兵隊は、北の王と彼が設立する「緋色の野獣」の崇拝者です。
(2)野獣の崇拝者は火と硫黄による責め苦に遭わされる
彼らは野獣、すなわち、政治組織に盲従して、剣をとって戦います。ですから、彼らは野獣を崇拝していると言えます。野獣の崇拝者には、どのような前途があるでしょうか。
啓示14章には、「野獣とその像を崇拝して,自分の額または手に印を受ける者がいれば,その者は,・・・火と硫黄による責め苦に遭わされるであろう。」とあります。(啓示14:10)「火と硫黄による責め苦に遭わされる」とは何を意味するでしょうか。
「彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。・・・そこは野獣と偽預言者の両方がすでにいるところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。」とあります。(啓示20:10)ですから、野獣は火と硫黄の湖で責め苦を経験することになります。では、「火と硫黄の湖」とは何を意味するでしょうか。
火の湖とは、文字通りの火の燃える地獄ではありません。なぜなら、「死とハデスは火の湖に投げ込まれた。」とありますから、火の湖に「死とハデス」が存在しています。(啓示20:14)死とハデスという象徴的なものが「火の湖」にいるのですから、火の湖とは象徴的なものです。
(3)火と硫黄で燃える湖で表わされている第二の死とは何を意味するか
「火と硫黄で燃える湖」は「第二の死を表わしている」とあります。(啓示21:8)
では、第二の死とは何を意味しているでしょうか。天的な復活を経験するクリスチャンは、「第二の死」を経験しません。 「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」「聖なる者」は、「第一の復活にあずかる者」であり、「これらの者に対して第二の死は何の権威も持た」ないと述べられています。(啓示20:6)
このことと調和して、神の王国に入るクリスチャンは「不滅性」を持つ霊者として復活すると述べられています。(コリント第一15:50-53)ですから、彼らは天に復活した後は、二度と滅ぼされることがありません。このことから、「第二の死」とは、復活がない死、完全な滅びを意味していることが分かります。
神の王国に復活する者は不滅の霊者となるので第二の死を経験しない
第一の死という表現は聖書の中にはありません。しかしながら、第一の死とはアダムから受け継いだ死を意味すると考えられます。(ローマ5:12)第一の死の場合は、復活があります。(使徒24:15。ヨハネ5:28)しかしながら、第二の死をこうむる人の場合は、上述の通り二度と復活がない滅びをこうむります。
ですから、大患難で北の王と緋色の野獣を崇拝して戦う二億の騎兵隊が、戦って死ぬ時、「火と硫黄の湖」に投げ込まれるというのは、彼らが完全な滅びをこうむり復活がないということを意味しています。
南に対する最終攻撃に加わる者たちは復活せず完全な滅びをこうむる
しかしながら、彼らは上位の権威として「剣」を用いているとは言えます。(ローマ13:1,4)聖書は「上位の権威」を「神の奉仕者」と呼んでおり、わたしたちクリスチャンは彼らの奉仕や犠牲に感謝するべきです。(ローマ10:4)
わたしたちクリスチャンは、北の王の「剣」の行使によって、神の復しゅうが行われることで神に感謝することになります。しかし、クリスチャンは、北の王の二億の軍勢に決して加わってはならないのです。クリスチャンにすることが求められているのは、北の王が国際的な軍事組織を設立した時に、山に逃げることだけです。(マタイ24:15,16)