ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(51)二億の騎兵隊がどんな背教したキリスト教を受け入れていると考えられるか

  第六のみ使いがラッパを吹いた後に万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)この騎兵隊は赤と黄と青の胸当てをつけていて、神の裁きを遂行することを考えていることを示しています。(啓示9:17)そして、彼らの攻撃は、主に大いなるバビロンを攻撃することを目的としたものです。(ダニエル11:40。啓示17:16)

 彼らの多くは、背教したキリスト教を受け入れていると考えられますが、彼らはどんな教えが教えられているのでしょうか。今回の記事ではそのことを考えてみたいと思います。


1)歴史的なキリスト教会の背教と流血

 エスは、良いキリスト教はその産み出す実によって見分けられると言われました。「すべて良い木は良いを結び、悪い木は悪いを結ぶ。良い木が悪いを結ぶことはなく、また、悪い木が良いを結ぶこともできない。」と言われています。(マタイ7:17,18共同訳)



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エスは良いキリスト教であるかどうかはその産み出す実で分かると言われた
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 キリスト教の歴史の最大の汚点のひとつは、十字軍でしょう。十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことです。

 

 

 聖書ははっきりと殺人を禁じています。しかし、十字軍は、クリスチャンに殺人をすることを奨励したもので、はっきりと聖書から離れています。





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十字軍はクリスチャンに殺人と流血を奨励した戦いであり聖書から離れている




 一回目の十字軍は、イスラム教徒支配下の都市を攻略し、虐殺・凌辱・略奪を行いながらエルサレムを目指しました。さらに、エルサレムにおいても十字軍は城内のイスラム教徒やユダヤ教徒の虐殺と略奪を行いました。

 

 

  第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっています。また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなりました

 それで、カトリック教会は、聖書の中ではっきり禁じられている殺人と流血を行ないました。また、カトリック教会と正教会が互いに戦い合いました。


 カトリック教会の中で、十字軍の時代に大きな働きをしたのが、聖ヨハネ騎士団です。それは、11世紀に聖地エルサレムで設立された軍事力を備えたカトリック修道会です。聖ヨハネ騎士団は、テンプル騎士団とともに、十字軍国家の防衛の主力となりました。


 本来は修道会は、聖地巡礼に訪れたキリスト教介護に専念していましたが、やがて武装して巡礼者を警護するようになり、ついに本格的な軍隊へとなりました。 そして豊富な財力を背景に、長い期間、イスラム教徒との戦いに従事しました。




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1291年のアッコン包囲戦を描いた油絵。城壁上で斧を振り上げる赤い外衣が聖ヨハネ騎士団員。その横で槍を振るう白い外衣がテンプル騎士団員である。1845年、ドミニク・ルイ・パプティ作



 教皇ウルバヌス二世は、109511月にクレルモンで開催された教会会議の最後に、東方キリスト教国の苦難を訴え、異教徒に対する聖戦を呼びかけ、十字軍へ参加した者は罪が許されると宣言しました。 殺人を行なうならば、罪が許されるというのは、全く聖書から離れています。


 多くのキリスト教会は、それまでに何回ものキリスト教公会議を開催し、三位一体論を定め、聖像破壊論者の禁止を決めています。今日それらの教義は、カトリック教会や東方正教会の基礎的な教えとなっています。さらに、多くのプロテスタント教会も三位一体の教えを奉じています。


 しかし、三位一体の教えの産み出した実は、聖書の教えから離反した殺人と流血をはなはだしく行う十字軍でした。それで、伝統的なキリスト教会は、良い実を産み出してきたかどうか、聖書に従って来たかどうかを吟味しなければならないのではないでしょうか。

 しかし、反戦平和主義を貫いたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は2001年には十字軍による虐殺があったことを正式に謝罪したということです。また、彼はイラク戦争中に2003年、アメリカのジョージ・Wブッシュ大統領が「神」を引用してイラクでの戦争を正当化していたのに対し、「イラクでのこの戦争に正義はなく、罪である」と批判していたということです。ですから、ローマカトリック教会教皇の中にも殺人が異教徒に対するものであっても、聖書は容認してはいないことを知っている人がいます。




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ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は殺人がキリスト教に反していることを認めていた






 しかしながら、将来、南の王を攻撃する北の王に率いられる二億の騎兵隊にも、同じように聖書から離れた殺人と流血を容認する教えが教えられていると考えられます。



2)聖書は悔い改めずに殺人をする者は復活の無い完全な滅びをこうむると述べている


  確かに、聖書は一部のクリスチャンに天に復活するという希望を差し伸べています。しかし、それは、神の律法に違反しながらではその希望を捕えることはできません。それは、敵を殺すという殺人行為によって、捕えることはできません。

 新共同訳の黙示録には、次のようにあります。「おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」(黙示録21:8新共同訳)



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悔い改めずに殺人をする者は火と硫黄で燃える湖に投げ込まれるとは復活がない完全な滅びをこうむることを意味する




 NASBでは、その部分が以下のようになっています。But for the cowardly and unbelieving and abominable and murderers and immoral persons and sorcerers and idolaters and all liars, their part will be in the lake that burns with fire and brimstone, which is the second death.” それで、悔い改めずに殺人をする者は、第二の死つまり、復活のない死をこうむることになります。



 背教したキリスト教の教えに従って殺人と流血を行なう騎兵隊たちに、神は復活の希望を差し伸べられません。



(3)クリスチャンは野獣の崇拝に陥ることのないように努力をする必要がある


 聖書はクリスチャンが基本的に「上に立つ権威」、すなわち、支配者たちに敬意を払い従うようにと勧めています。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」と述べられています。(ローマ13:1新共同訳)


 上に立つ権威は、「神によって立てられた」ものなので、クリスチャンは、上に立つ権威、すなわち、自分を支配している政府に従うことは神が求めておられることです。(ローマ13:2)


 しかしながら、もし、上に立つ権威が神の律法で禁じられている殺人などを行なうように求めたとしたら、どうでしょうか。聖書は一世紀の使徒たちが神から命じられている宣教を禁じられた時、その当時の上に立つ権威であったサンヘドリンに従わなかったことを述べています。


  使徒たちは、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」と述べて、上に立つ権威を要求を退けました。(使徒5:29新共同訳)それで、一世紀の使徒たちは、上に立つ権威を敬意を払うとしても、野獣の崇拝には陥らないように努力をしたのです。




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一世紀の使徒たちは聖書に反する命令を上に立つ権威に命じられても神に従い野獣の崇拝に陥らなかった



  わたしたちは何をエホバ神がクリスチャンに求めておられるかをはっきり識別して、神のご要求に従いましょう。そのためには、聖書が何を教えているか正直な心で、調べてそれを柔和に受け入れることが求められると思います。