ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(11-2)ラッセル兄弟の1914年説がなぜ間違っているのか

 先回の記事で、ラッセル兄弟の西暦1914年説が現在のエホバの証人の教理の土台となっていることと、現在のダニエル11,12章の証人の預言の解釈の説明は、ラッセル兄弟がしたものではなくて、後で付け加えたものだということについて話しました。

 

 今回の記事では、(1)聖書に忠実で正確な預言の解釈をする努力をする聖書研究者が奴隷級としてイエスから任命されるはずであること、(2)忠実を保つ努力をやめるならばキリスト教の組織も消滅していくこと、(3)わたしヨハネラッセル兄弟の1914年説が間違っていると考える理由(4)わたしヨハネエホバの証人に希望する事について話したいと思います。

 

(1)どんな聖書研究者が奴隷級としてイエスから任命されるはずか

 

 エスはその多くの聖書研究者の中から、フィラデルフィア会衆の成員のようなクリスチャンを任命されるのではないかと思います。

 

 イエスは、どのような聖書研究者を任命するでしょうか。どちらかというと、イエスは、できるだけ聖書に忠実に基づいた正確な解釈をするよう努力している神の「奴隷」を任命するのではないかと思います。(啓示3:8新世界訳改訂版)

 

 将来に起きることをイエスから正確な啓示を与えられる聖書研究者は、「世界中で生じる試練の時」をイエスから保護され、それを忍耐して忠実を保つならば、その後にイエスから奴隷級として任命されることになるのではないかと思います。(啓示3:10新世界訳改訂版)

 

 わたしはラッセル兄弟は生きておられる間、最善を尽くして研究をされて、今日のわたしたちは兄弟の聖書研究から益を得ていると思います。でも、そのラッセル兄弟も聖書全体をその当時理解しておらず、ダニエル11,12章について間違った理解をしておられました。

 

  ですから、ラッセル兄弟の存命中は、まだ、聖書の理解が十分に与えられる時が来ておらず、イエスラッセル兄弟を忠実で思慮深い奴隷として、すべての持ち物をゆだねるまでにはいかなったのではないでしょうか。

 

 

 こんにち、聖書預言のさまざまな解釈があります。しかしながら、神の奴隷として努力をしているある者が分配していた霊的な食べ物が、聖書の正確な預言の解釈であったかどうかは時がたたなければ分かりません。そのために、イエスは、「誰でしょうか」と問いかけて、わたしたち聖書研究者がその忠実な努力を続けるようにと励まされているのではないかと思います。

 

(2)忠実を保つ努力をやめるならばキリスト教の組織も消滅していく

 ガマリエルという名のパリサイ人は、初期クリスチャングループについて客観的な意見を述べて、擁護しました。「今のところ,この人たちに手出しせず,放っておきなさい。この計画や活動が人間から出たものであれば,それは阻止されます。しかし,それが神からのものであれば,阻止することはできません。手出しするなら,神に対して戦う者となってしまいかねません」。 (使徒5:38.39新世界訳改訂版)


 ですから、あるキリスト教グループが神に忠実であろうと努力するなら、神の後ろ盾があるでしょう。でも、神に忠実であり続ける努力をやめてしまったり、そのキリスト教グループの背後に神の後ろ盾がなくなれば、その勢力は衰えてしまうでしょう。でも、ガマリエルの言った通り、神が背後にいて後ろ盾になっているのであれば、そのキリスト教グループは存続するよう助けられることになるでしょう。


 それで、基本的に、あるキリスト教グループが存続するかどうかは、そのキリスト教グループが神に忠実であるよう努力するかどうかにかかっています。「管理人に期待されているのは忠実であることです。」と述べられています。(コリント第一4:2)この「管理人」とは古い新世界訳で「家令」と訳されていた語です。(ルカ12:42新世界訳改訂版)


  また、クリスチャンが神に頼って、神に忠実であるよう努力をする時、エホバ神とイエスの助けがあるなら、あるキリスト教のグループは存続すると思います。(詩編115:9,11)


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あるクリスチャンのグループが神に忠実であろうと努力をするなら神がサポートされて存続するでしょう






(3)わたしヨハネラッセル兄弟の1914年説が間違っていると考える理由


 わたしは、以前も述べたことがありますが、聖書の預言は、最初に説明されてその後にその通りになった時に、初めてエホバ神に栄光をもたらすのではないかと思います。すなわち、イザヤ書には、エホバ神が、「結末を初めから,まだ行われていないことをずっと前から予告する」と言われています。(イザヤ46:10新世界訳改訂版)


 エホバ神は、イエスがどの時点で王になるのかを「その日と時刻 」は明らかにしないかもしれません。(マタイ24:36新世界訳改訂版)、イエスが天で王になるタイミングを地上の出来事によってクリスチャンが見分けることができるようにされるでしょう。


 イエスは、神の王国が近いことは、「イチジクの木やほかの全ての木 」が芽を出していれば、夏が近いことが分かるのと同じ仕方で、分かると言われました。(ルカ21:29-31新世界訳改訂版)



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エスが天の王になる日時は分からないが夏が近いことはイチジクの芽が出たことから分かるように出来事から分かる





 それで、聖書は時の大きな流れを予告し、どのように世界情勢が動いていくか、神の民はどの時点で行動しなければならないのか、また、この事物の体制がどのように終わることになるのかを「初めから」「ずっと前から」予告するのではないかと思います。

 

 

 それで、クリスチャンは地上で起きる出来事によって、イエスが天で即位される時を見極めることができるのではないかと思います。


 さらに、エホバ神が、ご自分の預言者に何を行われようとしているかを前もって告げられてから、聖書預言は成就していくと聖書に述べられています。聖書は「内密のこと預言者に啓示してからでなければ,主権者である主エホバは事を行わない 」と述べています。(アモス3:7新世界訳改訂版)


 ですから、十分に将来起こることを預言者に啓示されてから、聖書預言は成就していくと思います。しかし、このことはよく考えてみた後、そのように考えるようになりました。わたしも、以前は、証人たちの1914年説を受け入れていた一人です。


 それで、ラッセル兄弟は、三位一体説や霊魂不滅説や地獄存在説の間違いを指摘し、かなり聖書を正しく理解しておられたと思います。でも、ダニエル11,12章を今日証人が説明しているようには解釈していませんでした。ですから、エホバの証人のダニエル11章、12章の現在の解釈は、すべて後付けです。


 それで、ラッセル兄弟は、聖書について一般のキリスト教会よりも、正確に理解していましたが、兄弟の聖書の理解は十分ではありませんでした。前もってこの20世紀21世紀の進展を聖書預言から予見しておられませんでした。すると、ラッセル兄弟は、聖書を研究する努力を払われましたが、すべてのことは理解されていなかったということになると思います。

 

ラッセル兄弟は聖書の預言のすべてをその当時理解はしていなかつたので

エスからすべての持ち物を委ねられていなかったのではないか

 




 すると、ラッセル兄弟が生きておられた時には、まだ聖書が正確に十分理解されていなかった、つまり、ラッセル兄弟の聖書の解釈は、一部は正しいものでしたが、一部は間違っていたということになります。それで、ラッセル兄弟は、内密のことをエホバ神から十分に啓示されていなかったということになります。


 ですから、ラッセル兄弟は、ダニエル4章に基づいて解釈されて、わたしはその努力はa good tryだったとは考えますが、聖句の見落としがあったために、間違っていたと思います。わたしは、聖書の正しい解釈は、聖書全体を考慮しないと間違ってしまうと考えています。聖句の見落としがあると不正確な解釈になります。


 とりわけ、先ほども述べたように、イエスは「その日と時刻については誰も知りません。」と言われました。(マタイ24:36新世界訳改訂版)何の「日と時刻 」は分からないのでしょうか。イエスは、続く節で、「人の子の臨在 」について語っておられるので、イエスがいつ天で王になるかその日時は分からないことになっているのではないでしょうか。

 

エスはご自分の臨在の日時は誰も知らないと言われたので特定の時を予告したラッセル兄弟は間違っていたのではないか

 



 するととりわけ、イエスが天で王になる時について西暦1914年というように日時をはっきり予告することはできないはずなのではないでしょうか。その日時はイエス・キリストでさえご存知ないのです。


 ですから、とりわけ、ラッセル兄弟は、聖書全体を正確に理解しておられなかったので、ラッセル兄弟の聖書の解釈、1914年からイエスが天で臨在を開始されたという解釈は、聖句に基づいて考えられているとはいえ、間違っているでしょう。


 聖書を解釈する際に、聖句を見落としたり、聖書全体をリンクさせて解釈しないならば、聖句の解釈が間違ってしまうと、わたしは考えます。


 さらに、エホバ神は「初めから」「ずっと前から」、また、前もって「内密の事柄」を啓示されてから、預言は成就していくはずですから、言が成就してから行った事後の解釈というのは、不正確な、つまり間違った解釈である可能性が高いです。


 それで、まだ、イエス1914年に王として天で即位されなかったのではないかと思います。すると、ラッセル兄弟は、その時に、忠実な思慮深い奴隷として、任命されなかったのではないかと思います。つまり、イエスのすべての持ち物をゆだねられなかったのではないかと思います。ですから、現在の統治体はイエス・キリストからそこまで信任を受けていないということになるのではないかと思います。


 ですから、現時点では統治体が、ラッセル兄弟の間違った解釈を根拠にし続ける限り、統治体の兄弟たちが、必ず、聖書の正しい解釈をできるという保証はないと思います。


 すると、統治体の解釈について異議を唱えることは、決して、聖書の言葉に反しておらず、統治体は、聖書に基づいた論議に耳を傾けるならば、益を得られたのではないかと思います。しかしながら、統治体は、聖霊で油そそがれたクリスチャンの聖書的な根拠に基づく論議を退け続けているというのが実情です。


  私は証人にエホバ神のサポートは全然ないとは決して思いませんが、統治体が、聖書からの論議を拒否したり、もし、ある聖書の研究者の預言の解釈が成就していくのを見ながら、それをいつまでも否定するのであれば、エホバ神のサポートがいつまでもあるという保証はないのではないかと思います。

 

(4)わたしヨハネエホバの証人に希望する事

 

 しかしながら、ラッセル兄弟を始めとしてエホバの証人は、進化論と戦い、創造者に対する信仰と聖書が神の言葉であるという信仰を人々の間で育みました。の人々の間でも神に対する信仰を育んで社会が安定するのに貢献したのではないかと思います。

 

 さらに、エホバの証人は神の律法を守るように人々に奨励しました。それは一般の人々の間では人気がないことであっても、神の目には正しいことであったと思います。神の律法を守るという点では、おおむね一般のキリスト教会よりもエホバの証人の方がより忠実だと思います。また、エホバの証人は宣教に励み、その点でも神とキリストに対する忠実さを示してきたと思います。

 

 エホバの証人は、1914年説と一部の聖書の解釈では間違ってきましたが、そうした神の目に正しい褒められるべきところがたくさんあるので、わたしはエホバの証人が間違っている部分を改善する努力を払われるように切に望みます。