イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(13-3)北の王が山のコミュニティを攻撃し滅ぼされ楽園が始まることとイエスの再臨開始時期について
(1)北の王が山のキリスト教のコミュニティーを軍事攻撃をして神により滅ぼされ楽園がスタートする
北の王の軍勢は、山に逃げているクリスチャンのコミュニティーを攻撃します。(エゼキエル38:1,8,15,16)北の王が「聖なる民を破滅に至らせ」ることが予告されています。(ダニエル8:24新世界訳改訂版)ですから、その時点で残っている天的な希望の者たちは皆殉教することになるでしょう。
聖霊で油そそがれたクリスチャンは皆最後は北の王によって殉教します
その後、エホバ神は神の王国によって天変地異を引き起こし北の王の大軍を壊滅させます。(ダニエル11:44,45。エゼキエル38:19-23)ダニエル8章には北の王に関する預言があります。その預言によると、北の王は、「人手によらずに打ち砕かれることになります。」でも、これは、「遠い将来に関するもの」です。(ダニエル8:24-26;11:45)そして、神の王国の支配下で地上の楽園が始まることになります。
神は神の民を攻撃する軍隊と神の民を擁護しない人々を天変地異によって滅ぼします
神の王国の支配下でパラダイスがスタートします
(2)聖書の預言は成就に時間がかかる
しかしながら、この預言が成就するためには、非常に長い時間が経過するものと思われます。
わたしは、神の王国が完成することは望みますが、これらの諸国家間の紛争に関する預言が成就することを望んでいるわけではありません。わたしの立場は天気予報官が嵐を予告したとしても、それを望んでいるわけではないのと同じです。
諸政府は、ご自分たちの自由意志で行動していきます。もちろん、政治指導者は、聖書預言を考慮することはできると思います。私も、聖書預言がどのように成就していくかに関心があり、世界の情勢を注視しています。
当然のことながら、私自身が世界情勢を、操作してそのようなことが起きるようにするわけではありません。聖書預言の中には、クリスチャンが迫害され、軍事攻撃を受けることが予告されています。(マタイ24:9)わたしがそのようになるように望むとか指示するわけでは決してありません。
そうした紛争が起きないように努力をすることはあります。それで、世界の情勢はわたしの意志や努力とは関わりなく進展していきます。
しかしながら、聖書預言のある部分では、王国宣教を熱心に行うことなど、神の民が積極的にかかわることのできる分野があります。(マタイ24:14)
また、まだ十分に研究できていないのですが、将来、神に忠実な油そそがれたクリスチャンが聖書からの音信を発表して、それが諸国民の行動に影響を与えることもあるでしょう。なによりも、神の民はエホバ神に祈り、その祈りがエホバ神によって聞き届けられ、物事が動いていくことはあるでしょう。
この預言は、ダニエルの時代には、「遠い将来に関するもの」でしたが、わたしたちの時代には、もう少し近い将来でしょう。でも、預言によると、「真夜中に,『さあ,花婿だ! 迎えに出なさい』と叫ぶ声」があがる時に、「10人の乙女」の多くの者たちは霊的に「眠り込んで」しまうほどです。(マタイ25:1,5新世界訳改訂版)
ですから、このダニエル11章の預言が成就するには、大変長い時間が経過するのでしょう。そして、災害は忘れた頃にやってくると言われるものです。クリスチャンは神の是認を得て救いを得るために信仰に基づいた忍耐と「用意をして」常に目ざめていることが必要です。(ルカ12:40)
そして、実際試練の時も忍耐して、目ざめており忠実を保つ聖霊で油そそがれたクリスチャンも将来も存在することを聖書は予告しています。(啓示3:10。エゼキエル44:15新世界訳改訂版)
(3)ダニエル11章の預言のどの時点でイエスは天で王として即位されるか
わたしはイエス・キリストが天で王として即位されるのは、三度目の紛争、すなわち大患難の前後の時期になると考えます。そのように判断する聖書的な理由は幾つかあります。福音書では、イエスに臨在に関するイエスの言及は以下のようです。「人の子の臨在は,東から出て西に輝き渡る稲妻のようだからです。どこでも死骸のある所にはワシが集まります。」(マタイ24:27,28新世界訳改訂版)
ですから、イエスはご自分の王としての天での臨在に伴って大量の死骸が出て、ワシがその死体に集まると言われました。それは、どの時点での出来事のために大量の死骸が出るのでしょうか。
イエスは大患難の時大量の死骸が生じてワシが集まることを予告された
大患難とは北の南に対する最後の三度目の総攻撃を意味する
イエスは、ワシと死骸について語られる直前に、「その時,世界の始めから今まで起きたことがなく,いえ,二度と起きないような大患難があるからです。」 と言われました。(マタイ24:21新世界訳改訂版)ですから、大量の死骸が出るのは大患難の時です。
そして、一番大量の死骸が出るのは、三度目の北の王の南の王に対する総攻撃の時です。ですから、三度目の最後の北の王の南の王に総攻撃が大患難を意味しています。
山に逃げる必要があるのは、「二度と起きないような大患難があるからです。 」とイエスが理由を説明されています。(マタイ24:21新世界訳改訂版)大患難に関するイエスの言葉は、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」が登場するのを見たなら、山に逃げるように言われた言葉の後にあります。(マタイ24:15,16新世界訳改訂版)
ですから、このことからも、三度目の最後の北の王の南の王に総攻撃が大患難を意味していることが分かります。
イエスの臨在と、大患難で大量の死骸が出ることが結び付けられているのですから、イエスの臨在が始まるのは、三度目の北の南に対する総攻撃が行われる前後になるのではないかと思います。
まだ、小預言書、福音書のイエスの預言の解釈が十分ではないと感じています。でも、次回は特に小預言書からどの時点でイエスが王になるはずかを分かっている範囲でご説明したいと思います。
イエスが王権を手にして戻って来られた後に、奴隷級を任命することになっています。(マタイ24:46)ですから、それは、奴隷級がどの時点で任命されるのかを示すことにもなります。
それで、引き続き聖書預言の解釈の努力を続けて、自分の聖書預言の解釈が、聖書全体と調和したものとなるように、検証を続けていきたいと思います。 また、大患難の前に共に山に逃げる仲間を集めていきたいと思います。