ヨハネのブログー聖書の預言と希望

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イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(19-1)聖書の「みだらな行い」「恥知らずな行い」とは何を意味するか

  ヨハネです。このシリーズの17で話した「エホバの証人の会衆での雑魚寝事件」の後、証人の組織に復帰された姉妹が、性の不道徳は行っていなかったけれども、排斥になったと言っておられました。このシリーズの18では、なぜわたしがその雑魚寝事件で、性の不道徳があったと考えたかを説明しました。そして、たとえ、下半身の性的結合を意味する性の不道徳がなくても、その姉妹が排斥され得たと考えられる理由を説明しました。


 そして、聖書的に性の不道徳と汚れは何かを説明しました。今回は、聖書でみだらな行ないとは何を意味するかを聖書から考察してみます。みだらな行ないは、聖書的に、性の不道徳よりも、広い範囲の意味を持っています。


(1)みだらな行ないとは何を意味するか


 「みだらな行ない」という語は、神の王国を受け継ぐことができない業のひとつとして出てきます。この語は、新世界訳の改訂版では、「恥知らずな行い」という語に訳されています。(ガラテア5:19新世界訳改訂版)


 その語は、ギリシャ語でaselgeia アセルゲイア、英語ではloose conduct(ふしだらな振る舞い古い新世界訳)あるいは、brazen conduct(恥知らずの振る舞い新世界訳改訂版)と訳されています。ストロングの聖書用語索引では、aselgeia アセルゲイアは、 licentiousness となっています。


 洞察の本では、ギリシャ語アセルゲイア(みだらな行ない)は,「放縦奔放恥じ知らずの行ない行為の卑わいさ」とも訳されるかもしれないと述べられています。そして、licentiousness という英語は、あるオンライン辞書によると、「放縦、放逸、わいせつさ、みだらさ」という意味です。それで、 ギリシャ語アセルゲイアの語のlicentiousnessという訳語は、ほぼ正しく意味を伝えています。


    この「みだらな行ない」また、「恥知らずな行い」は、聖書的に言うと、単にいわゆる下半身の性的な結合、セックスだけを意味してはいません。まず、ペテロはソドムの人々の間で行われていた同性愛行為を「不法な人々の恥知らずな行い」と述べています。(ペテロ第二2:7新世界訳改訂版)この聖句の「恥知らずな」という訳語の元のギリシャ語も、aselgeia アセルゲイアです。ですから、聖書では、同性愛者の間で行われる性行為も「みだらな行ない」とされています。



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聖書は同性愛もみだらな行ないに含めています





 エゼキエル22章では、近親相姦の行為が「みだらな行ない」と呼ばれています。(エゼキエル22:10,11新世界訳改訂版)エゼキエル23章では、「」を「若い頃の乳房をなで回す」ことも「みだらな行い」と呼ばれています。(エゼキエル23:21新世界訳改訂版)



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Halga seducing his own daughter Yrsa, by Jenny Nystrom (1895)
聖書は近親相姦もみだらな行ないに含めている




 ですから、聖書の中では、同性愛行為、近親相姦、裸の胸をなで回すことはみだらな行ないとされています。


(2)「みだらな行ない」ギリシャ語のアセルゲイアに対応するヘブライ語ジンマーの意味


 この「みだらな行ない」「恥ずべき行い」は、ヘブライ語の原語は、zim・māh ジンマーとなっています。そして、洞察の本によると、ギリシャaselgeia アセルゲイアが、ヘブライ語zim・māh ジンマーに対応する語であるとされてます。それは、妥当で受け入られるのではないかと思います。 


 このヘブライ語ジンマーについてバイブルハブで確認すると多くの英訳聖書はこのジンマーの訳語を'wickedness'と訳しています。 また、みだらやわいせつという意味の'lewdness' や堕落、腐敗、悪行という意味の'depravity'という訳語を与えている英訳聖書もあります。(レビ18:17)


 聖句によっては、集団強姦に関してこのジンマーが出てきて、多くの聖書がみだらやわいせつという意味のlewdnessの訳語を当てています。(裁き人20:6)また、売春がジンマーだと言われています。(エレミヤ 13:27エゼキエル23:44)


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売春もみだらな行ない恥知らずの行い





 また、流血や殺人に関連してジンマーという語が用いられています。ですから、流血も邪悪さという意味のジンマーそのものであると言っているのかもしれません。また、流血にみだらやわいせつという意味のジンマーが伴うと言っているのかもしれません。(詩編 26:910。エゼキエル22:9。ホセア6:9


 ヘブライ語聖書では、ジンマーは殺人や流血に関連しても用いられている語なので、単なるみだらな性の不道徳よりも広い意味で使われているかもしれません。



 こうしてヘブライ語のジンマーについて検討してみると、ストロングの聖書用語辞書では、ジンマーの意味をA plan, device, wickednessとしていますが、ジンマーはa plandeviceよりも、wikednessという訳語を当てるのが妥当で、邪悪さの度合いの強い意味があると考えられるのではないかと思います。


 しかしながら、次の項目で述べますが、ジンマーを予定や計画や方策という意味に訳していい場合もあります。


(3)結婚していない異性に恋心や情欲を抱いて言い寄ることもジンマーとされている



 ところが、聖書によると「みだらな行ない」は、結婚関係外の身体的な性行為以上のことを意味するという記述があります。既婚者が、配偶者以外の異性に対して性的な情欲や恋心を抱いて、性的な関係を結ぼうとする動機で、過度に交友を追い求めることもジンマーであると言われています。それは、ヨブの言葉に示されています。


         ヨブは次のように述べています。「もし私が女性に心を引かれ,仲間の戸口の所で待ち伏せしていたなら,私の妻が別の男のために粉をひき,ほかの男たちが私の妻と関係を持つがよい。私は,恥ずべき行いを,裁かれて処罰される過ちをしたことになるからだ 。」と述べています。(ヨブ31:9-11新世界訳改訂版)


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ヨブは妻以外の異性に情欲を燃やして交わりを求めることもみだらな行ないだと言った






 ヨブは、配偶者でない「女性の心をひかれ」て淫行を求めて待ち伏せするような行為も、恥ずべき行い裁かれて処罰される過ちと述べています。この「恥ずべき行い」はヘブライ語zim・māhです。そして、ヨブは、若い女性に対して不適切な関心を向けること」をしないと言いました。(ヨブ31:1新世界訳改訂版)



 このことは、配偶者でない女性に情欲を抱き続けることについて、イエス女性を見続けて情欲を抱く人は皆,すでに心の中で姦淫をした」という言葉とも調和しています。(マタイ5:28新世界訳改訂版)


 ですから、ヨブによると「恥ずべき行いzim・māh、単に性の不道徳をするだけでなく、そのことを追い求めて不道徳な目的で計画したり予定したりすることも含んでいます。

 

 

  ですから、そのエホバの証人の地元の会衆で雑魚寝事件を起こした姉妹は、性の不道徳という理由ではなく、みだらな行ない、また、恥ずべき行いという理由で排斥されたかもしれません。このヘブライ語ジンマーは、単なる性の不道徳よりも広い意味があって、文字通りの性の不道徳に至る計画やプランなども非とする言葉です。エホバの証人の出版物にこのことは、明記はされていませんが、エホバの証人の方針は聖書と調和しています。