ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(26)わたしヨハネは原水事件のために再び正規開拓者から降ろされる

 わたしは大群衆の長老たちによって、わたしにとっては比較的賃料が高いマンションにひとりで住むようにさせられました。大群衆の長老たちからは、はっきり分かっているだけでも、少なくとも、ふたりの長老により、ルームメイトを組むことを妨げられました。そのうちに、わたしはある程度は経済的に、やっていけるようになりましたが、そこで、ひとつの事件が起きました。


 同じマンションに住むエホバの証人の姉妹から浄水器を通さない原水の水を浄水と偽って分けられました。そのこと自体は、実際、さほど大きな問題ではありませんでしたが、わたしがその事実を長老に話した結果として、わたしは反対に、正規開拓者を降ろされました。また、その正規開拓者の姉妹は、その結果かどうかは分かりませんが、エホバの証人の大会の実演に用いられ、高められました。


 そして、長老たちは、わたしが表象物にあずかって、聖霊で油そそがれたクリスチャンであるという立場を表明することを望んでいませんでした。彼らは、わたしがそのようにすることをできるだけ目立たなくさせようとしました。それは、わたしの聖霊で油そそがれたクリスチャンとしての立場が疑われたからだと思います。 


(1)浄水器を通さない原水を証人から分けられる


 わたしはとても腸が弱く、すぐに下痢をしました。それで、良い水か悪い水かで腸が大きな影響を受けました。同じマンションに住んでいる正規開拓者の姉妹がお宅にとても高額の浄水器を持っておられました。それで、その姉妹のところに、空のタンクを持って行って浄水器の水を分けてくれるように頼みました。その姉妹は、わたしが腸がとても弱いことをご存知で、わたしが頼みに行くと分けてくれました。


 わたしはその姉妹の親切だと思って感謝していたのですが、わたしのマンションに来て、その水を飲んだわたしの研究生が、この水は浄水器で浄化された水ではなく原水だと言いました。その人は、ご自分が水に非常に敏感で、分かると言われました。


 それで私は、浄水器の業者に水が浄水か原水かどのようにして確かめられるかを尋ねました。そうしたら、試薬で確かめられると言われました。たぶん、水のペーハーを確かめる試薬であったのだと思います。わたしは以前浄水器を持っていて、その試薬を持っていました。それで、それを使って調べると、その水は原水だという反応が出ました。


 わたしはその姉妹に、なぜ原水を浄水と偽ってわたしに分けたのかと非難しました。その姉妹は、私が言ったことを半分否定しませんでした。そして、その姉妹はわたしに他の機会に食事や物品の差し入れをしたということを指摘しました。確かに、それは事実でした。でも、その姉妹は一言も謝罪はされず、ただそのことを見逃すように求めたと思います。


 彼女は「意地悪をしてごめんなさい。もうしません。これからはいい水をあげます。」とは言われませんでした。実際、親切であるべきエホバの証人の姉妹が、そうした意地悪をするのは、あってはならないことだと私には思えました。普通は、信じられないことでした。


 その姉妹は、浄水の水を分けるのは、過分のご親切なので、浄水された水を分けたくないのであればわたしにそう言えば良かったわけです。それをわざわざ原水をわたしにくださるというのは、とても意地悪だと思いました。


 でも、確かにその姉妹にとてもよくしていただいていたので、わたしはその姉妹がご自分が意地悪をしたことをはっきり認めて謝罪をしてくださっていたら、それで見逃していたと思います。でも、彼女が私に謝らなかったので、私は、あやふやにしてただ見逃すのはいやだと思いました。


 でも、そういうことを姉妹が認めるとなぜそのような意地悪をしたのかということが問題になります。姉妹はそのことを認めることができなかったのではないかと思います。エホバの証人の姉妹の中では、そのような意地悪は決してあってはならないことだったと思います。


 その姉妹は、迫害のために離婚になっていた姉妹でしたが、ご主人が再婚されておらず、淫行がなかったので、その当時、まだ、神の目には、再婚は許されないという状況にありました。そのことを話しておられました。そして、姉妹は、会衆の別の正規の若い独身姉妹が、その独身の長老兄弟にアピールしているのを気にしておられました。


 わたしのマンションに住む姉妹は、独身の正規開拓者の長老たちを何度も食事招待をして親切にしていました。その姉妹は、長老たちに厚遇してもらいたかったんだと思います。あるいは、その正規開拓者の独身長老と結婚したいと願っておられたのかもしれません。


 そして、わたしはかなり会衆で目立たないようにされていましたが、長老たちは、わたしが雑誌の配布など奉仕でがんばっていることは知っていました。奉仕報告を見れば分かるでしょう。独身の正規の長老兄弟がそのことを私に言われました。


 私としては、その兄弟が年下ということもあり、全く異性としては関心はありませんでした。でも、その正規の姉妹は、その主宰監督の独身兄弟がわたしに注目していたことに気づいていて、面白くなかったのではないかと思います。


 エホバの証人の中では、男性よりも女性の数が圧倒的に多く、魅力的な独身姉妹がたくさんいます。多くの独身の姉妹たちは結婚を望んでおられるので、独身の長老や独身男性の特開者や正規開拓者が会衆にいる場合、姉妹たちの間で少し、競争みたいなことが生じることがあります。


 その姉妹は、別の正規の若い姉妹がその独身兄弟にアピールしていることを気にしていることを私に話されたので、わたしがその点で、その姉妹の味方だと考えておられたんだと思います。


  でも、わたしはその姉妹がもし、完全独身の立場だったら、彼女がその兄弟に好意を持っていることに、協力もしたと思います。でも、わたしは同じマンションのその正規の姉妹がまだ神の目にまだ独身でなかったのに、独身の長老兄弟たちに過度に親しくするのを少し不愉快に思っていました。


 

  その姉妹がわたしにはっきりと謝罪しなかったことと、そのことが少し不愉快だったこともあり、その水の件をその独身長老に話しました。


 でも、わたしは後でその姉妹が、ご主人が再婚したということを言われたので、それなら、姉妹は自由に結婚できますとその姉妹に言いました。それで、わたしはその姉妹と兄弟の仲に反対していたのではなく、聖書の原則が踏みにじられているように感じていやでした。


(2)わたしがその当時正規開拓者を再び降ろされ油そそがれた者としての立場を疑問視される


 わたしはその独身の主宰監督にわたしが経験した水の問題について知らせました。わたしは自分の研究生の証言についても、試薬で確認をしたことも話しました。するとその兄弟は、不愉快な顔をされて、ご自分によくしてくれる姉妹がしたことでもあったからではないかと思いますが、水が悪かったくらい小さなことなので、気にしないで流すようにと私に言いました。わたしは幾らかそれは良い判断かもしれないと感じました。


 ところが、その後、長老たちは、その正規の姉妹に事情を確認しました。するとその姉妹は、うそを言われて事実を完全否定をされました。その時も、以前と同じように、わたしと別の姉妹の証言が食い違った時に、長老たちに気に入られている姉妹の証言だけが、正しいこととして受け入れられました。また、わたしが、その姉妹を陥れるためにうそを言ったということになったと思います。そのために私は正規開拓者を降ろされました。


  その正規の姉妹は、その後、大会で実演の特権が与えられました。その姉妹は、独身の兄弟の主宰監督にとても親切にしていたので、その特権が与えられたのではないかと思いました。その姉妹が特権を与えられたのは、原水事件の後だったと思います。


 その後、その正規開拓者の姉妹は、大会の実演の特権が与えられた後のことだったと思いますが、わたしひとりの前で、ご自分がうそを言ったことを認めて、ご自分がとても悪かったことを示唆しました。その姉妹も良心が痛んだのではないかと思います。でも、もし現在、万が一、その姉妹がそのことを確認されたなら、そのことを認められるかどうかは分かりません。


 でも、わたしはだいぶ後になって、背教者としてエホバの証人から排斥されることになりました。わたしはエホバの証人の間は、そのことを全然他の人に口外しませんでした。それで、その姉妹は、そのことを現在、確認されても、わたしにそのことを認めたり、謝罪をすることもないと思います。 背教者になるのであれば、その当時、そのように言って、わたしが正規開拓者を降ろされる結果になるようにされた良かったくらいに考えておられるかもしれません。



 さらに、わたしが会衆の長老たちにルームメイトを探すのに反対して画策したかということを尋ねたことも長老たちは、おもしろくなかったと思います。そして、その後、わたしが表象物にあずかろうとした時、長老たちは、わたしが他の会衆の兄弟たちが見ている前で表象物にあずからないようにしようとしました。


 その会衆の王国会館は、後方が二階になっていて、一部が小さな独立した部屋になっていました。長老たちは、記念式のために集会に行った時、わたしが一階の広い集会場ではなく、二階の小さな部屋で、たったひとりで、表象物にあずかるようにとわたしに言いました。わたしは、表象物にあずかるのは、その立場を公表するためもあるので、そのことは、拒否しました。そして、二階の他の出席者もいる所で、表象物にあずかりました。


 わたしが、その姉妹を陥れるために、うそを言ったことになったので、わたしが聖霊で油そそがれたクリスチャンであるという立場が、長老たちにより、疑問視されることになったと思います。


(3)審理委員会などでふたりの証人の証言が食い違う場合どのように対応できるのか


 以前もお話ししましたが、ものみの塔の出版物の中にも、審理委員会などで、ふたりの証人の証言が食い違う場合、どちらかが、正しいことを語っているわけです。また、どちらかが偽りを語っている場合もあることを思いにとめなければならないという指摘がありました。それは、どちらが正しいことを言っているかは分かりません。


 検索語句が正しくないのかもしれませんが、どこにそのことが書かれているのか今回は指摘できませんが、確かにそのような記載が出版物にあるのを見たことがあります。



 それで、昔は、使徒ペテロがアナニアとサッピラの偽りを奇跡的に見抜きましたが、今日そうすることはできません。(使徒5:1-11)

 




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使徒ペテロはアナニアのうそを奇跡的に見抜きましたが今日そういう奇跡は起きません





そして、ソロモン王はふたりの売春婦の証言が食い違った時に、一方のうそを見抜きましたが、そんなことは誰もができるわけではありません。(列王第一3:16-27)



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今日ソロモン王のようにふたりの売春婦のうちひとりがうそをついていたことを見破るようなことができる人はほとんどいません





 ですから、そのような場合は、エホバ神にゆだねて、その問題を保留にして、どちらに対しても、手厳しい処置をとらないようにするということしかできないと思います。あるいは、実際、意地悪ではありますが、大きな問題ではないので、長老たちは私たちの双方がとにかく、仲良くするという仕方で、解決を図ることもできたと思います。


 でも、長老たちは、わたしが一方的にうそを言い、その姉妹は事実を言ったとみなされ、わたしに陥れられようとした被害者とみなされたのではないかと思います。わたしだけを、正規開拓奉仕を降ろすという裁きをされました。でも、エホバ神は、ほんとうのことをご存知なので、最終的には、ご自分の方針に従って裁かれることになると思います。



 その正規の姉妹は、わたしが表象物にあずかっているということをご存知でしたが、イエスの右手の上にある七つの星は、大群衆の長老であるとされていたので、聖霊で油そそがれたクリスチャンであるわたしの是認を得ることよりも、大群衆の長老の前で良い立場を得ることを優先して求められたのだと思います。



 その姉妹は、会衆内の長老からの良い評判を失いたくなかったのでしょう。実際、そのような意地悪は証人たちの間で普通に起こることではありません。おおむね姉妹たちは、親切です。でも、エホバの証人の会衆の中で、姉妹たちが長老たちから良い心証を得るというのはとても重要なことです。それでその姉妹は、長老たちの前で素敵な姉妹として面目を保ちたかったんだと思います。


   でも、実際は、永遠の命を得られるかどうかは、イエスの霊的な兄弟たち、すなわち聖霊で油そそがれたクリスチャン男女に愛ある親切を示すかどうかにかかっているとイエスは、言われました。(マタイ24:45,46)

  

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永遠の命を得られるかどうかは羊のようにイエスの兄弟たちに親切を示すかどうかにかかっているとイエスは言われた





 ですから、表面的に、聖霊で油そそがれたクリスチャンをなおざりにして会衆の長老たちの心証を良くすることは、当面は好都合であると思えても、長い目で見れば、エホバ神の是認と祝福を失う結果になると聖書は述べています。



(4)長老の言うことすることが自動的奇跡的に正しいこと良いことにならないのはどうしてか


 エホバの証人の会衆では、長老とりわけ主宰監督の権力がとても強いです。なにしろ、今でもそうだと思いますが、その当時は、大群衆の長老たちもイエスの右手の上にある七つの星だとみなされていました。


 それで、神の律法や聖書の基準を考慮することが強調されるのではなく、長老たちの言うことには、何でも疑うことなく、それが奇妙であっても、盲従するように教育が行われています。長老たちの指示することに盲従すれば、長老たちのすることは、自動的奇跡的に正しく良い結果になるという指導がなされていると思います。



 ですから、わたしたちが判断や決定をくだす時には、エホバ神に導きを祈り求めながら、聖書の原則や事例を考慮して、この場合にどのように当てはまるか熟慮をすることが必要だと思います。(箴言3:5,6)エホバの証人の会衆の長老の判断や決定がそうした熟慮をしないでなされる場合、時には、間違った判断と決定になり、エホバ神のご意志からははずれることになると思います。


 

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エホバ神の導きを祈り求めながら聖書の事例と原則を考慮しなければ正しい判断と決定にはならない





 さらに、エホバの証人の会衆内で、特権が欲しい証人が、食事招待をしたり、差し入れをしたりして長老たちによくすることもあります。地域監督や巡回監督、また、支部の監督の場合は、決して高給ではありませんが、ささやかな手当と会衆からの援助があります。


 でも、エホバの証人の地元の会衆の長老たちや奉仕の僕たちはキリスト教会の牧師たちのようにお金をもらって会衆の集会で話をしているわけではありません。無償で会衆で聖書から話をする労を払っておられるので、その自己犠牲的な労のゆえに感謝をするのはふさわしいことではあります。


 でも、エホバの証人の中では、長老たちの判断や決定がいつも自動的奇跡的に正しいものになるとみなされていて、長老たちが過度に高められていると思います。そのために、聖霊で油そそがれたクリスチャンであるわたしヨハネが不当な扱いを受けるという結果になったと思います。


 わたしが表象物にあずかって、天的な希望を持っていることを表明しても、地元の証人たちの間で敬意をもって扱われることはほとんどありませんでした。わたしは権威のない大群衆の姉妹のひとりに過ぎない扱いどころか、かえって下に見られていたと思います。エホバの証人の間では、新たに表象物にあずかる人々はおおむね間違った思い込みのゆえにあずかっているとみなされています。


 もちろん、天的な希望を抱くのは、人々の間で目立つためとか栄光を受けるためではありません。それで、そういうことは、あまり気にしませんでした。天的な希望の自覚を持つのは、自分とエホバ神との間の問題だからです。


(5)マンションで起きたストーカーの問題のために引っ越したが問題については口外しなかった


 わたしは、そのわたしにとって高い賃料のマンションから引っ越すことにしました。 そのマンションの大家さんは、エホバの証人でしたが、とてもよくしていただきました。でも、そのマンションでは、ストーカーの問題があったからです。


 わたしのマンションの部屋の屋根裏に何者かが侵入している音がいつもしていました。そこのマンションの作りは、玄関の外の廊下にあった置物の倉庫から、屋根裏に入れる作りになっていました。わたしはその問題を巡回監督に相談しましたが、解決しませんでした。その問題を避けるために、隣の会衆のアパートに引っ越ししました。また、引っ越したのは、家賃を少しでも低く抑えるためもありました。


 わたしは隣の会衆に移りましたが、その会衆でも、以前住んでいたマンションで起きたことは一切長老にも個々の成員にも話しませんでした。別の会衆で起きたことですから、話しても、事情が複雑で、理解されたり、信じてもらえない可能性がかなり高いと思っていました。


 たぶん、長老たちの権威がとても強いので、長老たちの意見だけが尊重された可能性が高かったと思います。わたしはその問題をエホバ神に委ねました。


 結局、証人たちの間で、天的な召しはほとんど終わったとされていたので、間違った思い込みをしているか、キリスト教会の間違った教理の影響を受けて、天的な希望を持つようになったと思われたのではないかと思います。そうしたことがものみの塔の記事で扱われました。


 

 でも、天的な希望を抱く姉妹の場合、兄弟たちと違ってほとんど好遇されないのは、他の姉妹も同じ状況のように思えます。また、わたしは他の兄弟姉妹たちに、自分の天的な希望について話すこともほとんどなかったので、ご存知だったのは、昔生きていた統治体の兄弟たちと日本の支部委員少数と、会衆の数少ない長老兄弟だちと少数の会衆の成員だけだったと思います。


 また、別の機会にどのように真正の聖霊で油そそがれたクリスチャンを見分けることができると聖書が述べているか考察したいと思います。


(6)多くの姉妹たちは特権を追い求めることなく聖書を当てはめ親切であること


 でも、この点でも、エホバの証人の名誉のために申し上げたいと思いますが、多くの姉妹たちは、別に特権があってもなくても、不平を言わず、聖書の教えを当てはめるよう努力をされていると思います。普通の伝道者の姉妹たちが、わたしにも個人的にとても親切にしてくださいました。その当時も、わたしに少額のお金をくださったり、車に乗せたり、家に呼んで食事招待してよくしてくださる姉妹たちもおられました。


(7)エホバの証人の中で必ずしも完全に公正なことがいつもすぐに起こるわけでない事


 それで、わたしはエホバの証人として二度、正規開拓者を降ろされましたが、どちらも不当な理由であり、それは、統治体の、イエスの右手の上にある七つの星が長老たちであるという聖書からはずれた教義の説明が関係していたのではないかと思います。長老たちが不当に過度に高められています。


 さらには、会衆の成員が、エホバ神を恐れて正直にするのではなく、会衆の長老たちの心証を良くしたいと願う余り、不正直であったことも原因していました。わたしたちの目には見えないエホバ神に対する信仰の欠如であったと思います。また、聖霊で油そそがれたクリスチャンの姉妹がとりわけ、エホバの証人の間で、低く見られていたからだと思います。


 そして、大群衆の長老たちに不当な誉れが帰せられる結果、大群衆の長老たちはご自分たちの権力を振るい、必ずしもその動機は愛ではない場合もあったと思います。


 それで、長老たちのすることが決して自動的奇跡的に正しい結果になるわけではありません。エホバの証人の中で起きる事が必ずしも、いつも完全に公正な事、神の目に正しいことが起きるわけではありません。排斥されたり、立場を降ろされたりすることもそうです。


 奇跡があった一世紀のように会衆内で、物事の真偽が完全に暴かれて公正がただちに行なわれるということもありません。(使徒5:1-9)奇跡は過ぎ去ったからです。(コリント第一13:8)ですから、エホバの証人の間の処置は聖書にかなった正しいものであったり、別の場合には不当なものであったりすることがあります。


 それでもわたしは、エホバ神に対する信仰を失いませんでした。わたしは不完全であり、賢明でなかったり巧みでなかったりしたかもしれませんが、わたしが神の目に悪いことをしようとする意図はないこと、不当な扱いを受けていたことはエホバ神はご存知だと思いました。わたしは自分がエホバ神の是認があればそれで良かったです。


 そして、聖書朗読をしていたので、ダビデが神の選民の国民の中で生活していながら、悪いことをしていなくても不当な経験をしたということを知っていました。(サムエル第一18:10,11)また、ヨセフも神に信仰を抱く家族の中で、肉親の兄弟たちに欺かれたり、ボテパルの妻のうそのために不当な扱いを受けたことも知っていました。(創世記39:13-20)

 




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ヨセフは神に信仰をいだく肉の兄弟たちによって不当な扱いを受けエジプトの奴隷とされた


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ヨセフはボテパルの妻のうそによって投獄されることになった





 昔の神の民の間で、いつも完璧に正しいことが起きてきたわけではありません。神に信仰を持つ人たちでさえ神の目に間違った行動をする場合があることを知っていました。そして、昔の神の民の間で、罪のない人が苦しみを経験すると言うことも起きていました。それで何も驚きませんでした。



 しかし、ダビデの場合も、ヨセフの場合も、エホバ神は、彼らが公正に扱われるように行動していかれました。ダビデの場合は、大きな罪を犯していましたが、エホバ神は彼のご自分に対する生涯の専心を評価されて、ダビデがふさわしく扱われように助けられました。


 それで、私はすべてのことをご存知のエホバ神が存在されるという信仰を引き続き抱いていました。確かに、エホバは何が起きているかご存知なので、エホバの証人の中でただちに正しく公正なことが行われなくても、エホバはわたしがしていることを見ておられて、何らかの形でいつか公正な事を行ってくださるかもしれないと考えていました。


 例え、わたしが生きている間に、そうした公正なことが起きないとしても、結局、エホバ神はわたしが死んだ後、将来、定められた時に、天に迎え入れてくださいます。そのようにしてエホバ神はわたしに報いてくださいます。わたしは隣の会衆のアパートに引っ越して、集会に出席し続け、奉仕をし続けました。