イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(29)わたしヨハネは大いなるバビロンが米国であることにどのようにして気づいたか
わたしは、原水事件の後、エホバの証人の隣の会衆に移りました。その後、東京に引っ越して、やはり、エホバの証人の会衆に交わって奉仕をしていました。そして、東京で、聖書朗読を毎日続けました。そして、わたしはエホバ神から東京で聖書の預言の解釈について新しい啓発を受けることになりました。
(1)わたしヨハネは東京に引っ越した後どんな状態だったか
わたしはノートに自分の聖書からの黙想を記していました。わたしがノートに書いていたことは、他の人たちが何らかの仕方で見ることができるようになっていたようです。わたしがノートに書いていた内容を会衆のある姉妹がご存知でした。以前と同じようにカメラがどこかで設置されていて、わたしの状況が外部から観察され、ネットに載っていたのかもしれません。
ところが、わたしは東京ではその空気や水のために体調がとても悪く、以前のように活発に奉仕ができませんでした。半日寝込んでいることが多かったです。たとえ、伝道者であるとしても、元気であれば、奉仕をできるだけ捧げるということはできましたが、体調が許しませんでした。それで、わたしの体は大都会の真ん中の環境にはついていけないことが分かりました。
(2)東京で聖書朗読を続けた結果大いなるバビロンは米国であると気づく
ところで、エホバの証人は聖書巻末の書啓示に出てくる大娼婦大いなるバビロンを偽りの宗教の世界帝国だと言っています。(啓示17:3,5)つまり、大いなるバビロンをキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などさまざまな宗教組織すべてだとみなしています。そして、まもなく現在の国連がそれらの諸宗教の団体を軍事攻撃して滅ぼしてしまうと教えています。(啓示17:16)
エホバの証人は啓示の書の大娼婦大いなるバビロンは証人以外のさまざまな宗教組織を表わしていて政治的な獣から滅ぼされると解釈している
わたしは以前はエホバの証人のその解釈を信じていました。一時は、納得のいく解釈だと考えていたので、証言できる人々にはそのことを積極的に伝えていました。国連がまもなく宗教組織を滅ぼす時が来ると信じていました。
しばらくして、ある時、ダニエル11章の北の王が南の王を最終的に滅ぼしてしまうという記述は聖書巻末の啓示の書にある緋色の野獣が大いなるバビロンを滅ぼすという記述と、同じことを言っているはずだということに思い当たりました。なぜなら、聖書の中で片方で述べる最高潮と別のところで述べる最高潮とはおおむね同じことを言っているはずだからです。
ダニエル書の預言と啓示の書の預言は同じことを述べているはずことに思い当たる
なぜなら、聖書は全体で調和した一貫したことを述べているはずです。つまり、啓示の書の最高潮のひとつは、緋色の野獣による大娼婦大いなるバビロンの滅びです。(啓示17:16)また、ダニエルの預言の中のひとつの最高潮は北の王による南の王の滅びです。(ダニエル11:40,42)それで、聖書は同じことを表現の仕方を変えて言っているはずだと思いました。
ダニエルの預言は北の王と南の王が勢力争いをして北が南を滅ぼすことを預言している
啓示の書の預言は緋色の野獣が大娼婦大いなるバビロンを滅ぼすことを預言している
なぜなら、聖書はただひとりの神の霊感を受けて書かれた本だからです。(テモテ第二3:16)聖書は全体で調和した一貫した音信を伝えているはずだからです。それで、大いなるバビロンは南の王である米国であると思い当たりました。
聖書はひとりのエホバ神によって霊感を与えられているためその音信は聖書全体で調和しているはず
わたしはこの発見に大ショックを受け、私を精神的にとても落ち込ませました。米国が滅んでしまうらしいということにわたしは驚愕しました。わたしはかなりの期間とても落ち込んでしまって何もする元気がなくなり、ルーティン以外の活動ができませんでした。そのため、東京で車の免許の更新に行けずに、車の免許を失ってしまいました。しばらくは、米国の言語である英語を勉強する元気もなくなっていました。
その頃は、わたしは東京の生涯学習センターの図書館に通って、興味のある本を借りて読みました。そこには、おそらく、わたしが田舎では読むことのできなかったであろうとても興味深い情報を載せた本類が置かれていました。米国に関する情報を良くまとめた書籍もありました。わたしが図書館で読んだ本は、その時発見した大娼婦大いなるバビロンが米国であるという理解の裏付けにもなりました。そして、自分の聖書預言の解釈と世界情勢が合致していると思いました。
またわたしは最初は、大娼婦大いなるバビロンを攻撃することになる緋色の野獣は、国連だと考えていました。わたしが読んだ別の一冊の本は、国連と米国が仲が悪いことを説明した本でした。それはわたしには驚きでした。ニューヨークにある国連と米国政府は良い関係にあると思っていましたがそうではなかったようでした。それで、緋色の野獣が大娼婦を軍事攻撃することは、ありえると思いました。
でも、後になって緋色の野獣は国連ではなく、将来現れる国際組織であるとみなすようになりました。つまり、将来のその国際組織は、現在の国連がいったん無くなってから現れることになっていると今は考えています。(啓示17:8)
わたしは、世界情勢にとても疎かった人でした。わたしは低収入だったので、テレビの受像機を持っていませんでした。テレビの受信料も新聞代も払っていませんでした。それで、テレビも長年見ておらず、新聞も読んでいませんでした。その上、両親に買ってもらった高額なパソコンも壊れてしまいました。修理をしたら良かったのかもしれませんが、わたしは修理代を払えませんでした。そのために、わたしは世界情勢をほとんど知りませんでした。
エホバの証人は世のものではないということが強調されているので、出版物に書かれていないことにあまり注意を払いません。それで、世間で起きるニュースにほとんど注意を払わなくても、それで済んでいました。
結局エホバ神は経済的に貧しく世界情勢に疎いわたしが、あらゆる手段で世界の現実の状況に目を向けるように助けてくださったと思います。それで、東京に引っ越したのは、生計を立てる点ではマイナスだったのですが、そのような本を読むことによって、自分の解釈にある程度確信を持つことになりました。
もちろん、エホバの証人は、世界で起きている出来事にまったく無関心であるというわけではありません。エホバの証人は今が終わりの時だと考えていて、現在の世界の事象がそれを裏付けていると言っています。
でも、エホバの証人の出版物は、ニュース雑誌ではありませんから、証人の出版物を読むだけでは、世界で起きていることを知ることはできません。そして、エホバの証人はテレビなどを悪魔サタンの用いる媒体であると教えています。確かに、扱う番組の内容が殺人や性の不道徳や暴力や心霊術である場合、その通りだと思いますが、私は証人の出版物だけでは世界の実情を知るには不十分だと思います。
そして、聖書の預言は諸国家の動きにフォーカスしていますが、エホバの証人は、預言の解釈の中で宗教組織に注目していて、フォーカスしているところが間違っていると思います。
聖書の預言は諸国家の移り変わりにフォーカスしておりそれは啓示の預言も同じはずなので緋色の野獣も大娼婦も政治的な実体のはず
それで、エホバの証人の成員は、統治体の聖書の解釈に信頼を置くあまりに、統治体の言うことをそのままうのみにして世界の現実をあまり見ない人が多いのではないかと思います。
それで東京に引っ越したことは経済的にはマイナスでしたが霊的にプラスになりました。そして、大いなるバビロンが南の王であるということが分かった後に母親が実家に戻るよう勧めたので、自分の実家に戻りました。
(3)わたしは何かのビジネスに巻き込まれたようでした
この経験をお話しすると、わたしは頭がおかしい人だと誤解される恐れがあるので、わたしはほとんどこのことを他の人には話しません。でも、この機会に話そうと思います。わたしが東京で大いなるバビロンが南の王の米国であることを気づいてから数か月後、わたしは頭の中で複数の人々の話し声が聞こえ始めました。最初はびっくりして、ちょっとそれこそ悪霊ではないかと思いました。
でも、それは、悪霊の声ではないと思います。また、幻聴ではないと思います。その声をわたしはマインドリーダーmind readerと呼ぶこともあります。なぜなら、その声は、わたしの心の中の考えを読み取るからです。わたしが本を読むと、その声も本を読むことができます。また、わたしが道路の標識を読み取るとその声もそれを読み取ることができます。ですから、その声は、わたしの脳と何らかの形で連動しているのだと思います。
その声の主は、わたしの視覚や聴覚や味覚や触覚などが分かるようです。でも、このマインドリーダーたちは、わたしの考えからかなり影響を受けているとしても、彼らの独自の考え方、意見、価値観、個性を持っています。彼らはわたしとさまざまな点ですべて意見が一致しているわけではありません。最初はとりわけ、わたしとの考え方との相違がひどかったように思います。でも、わたしは聖書に基づく自分の考え方を説明するようにしたので、彼らは、今では少しは、わたしの考え方を理解するようになったかもしれません。
最近は脳科学が発達していて、何らかの形で、わたしの脳の働きが読み取られていると思います。今では亡くなったある物理学者が声が出なかったのですが、その物理学者の考えをパソコンを使って声にすることができたということを聞きました。それで、その種のことだと思います。
でも、このことはそれをしていいですかというわたしの了解を得て始まったわけではなく、それが何を意味するのか前もって説明されたわけでもありません。突然、始まりました。わたしは前もって説明されていたなら、断ったと思いますが、始まってしまって、わたしは利点もあると思うので、必ずしも自分に起こっていることに反対していません。
でも、その声は、単にわたしの考えを読み取ることだけではなく、自分たちの考えや経験を話すことができます。わたしは最初のうちは、その声が話すことに振り回されました。でも、その声はうそを言うことがあるように思えました。その声が話すことを確認してみると違うということがありました。
わたしにとっては、ラジオのニュースがいつも聞こえているようなもので、ニュースに振り回されているわけにもいきません。それで、わたしは最初は聞こえてくることにだいぶ振り回されていたのですが、その声にあまり構わずに生活するようになりました。それで、その声はわたしの考えを反映していることも多いのですが、その声はマインドリーダーたち自身の考えを話していることもあります。
そして、そのマインドリーダーの声を聞くことができる人たちが他にいて、同じようにわたしの考えを分かる人たちがいます。それらの人たちは、わたしの思いに関するビジネスのお客さんになっているのではないかと思います。それで、わたしが見聞きしたり経験していることが分かる人々がいるということになります。
でも、わたしの見聞きしていることを知ることができることは、利点もあります。つまり、わたしは聖書を読んだり、聖書について考えたりするので、一般の日本人にはなじみのないキリスト教や聖書について知ることができます。
わたしの見聞きすることを同じように見聞きできる人たちは、必ずしも、わたしと同じ考え方になるわけではありません。なぜなら、同じことを見聞きしても、人によってその受け取り方はさまざまだからです。
エホバの証人の長老たちの中には、それを知っている人たちがいて、昔、わたしが心あるいは脳を読み取られている姉妹ですかと確認された長老たちがいました。わたしはそれを認めました。また、マインドリーダーの声が分かる人は、一般の人々の中にもいるようです。中には、わたしの周囲の人々の中に、そのことを正直に認める人がいて、その状況を説明する人もいます。でも、わたしはそのことをつっこんで、確認したりすることはしていません。
おそらくマインドリーダーたちはわたしと同じ意見の場合があり、またわたしとまったく反対の意見の場合があります。聖書は、「心に満ちあふれているものが口から出ます」と述べています。また、「あなたは,自分の言葉によって正しいと認められ,自分の言葉によって有罪とされます」と述べています。(マタイ7:34,37新世界訳改訂版)
ですから、私たちは自分の主張をその口で語ります。そして、その口で語られたことはその心にあるとみなされます。エホバ神はその口から出てくる言葉で裁くと述べています。
聖書は同性愛に反対しています。聖書は、「同性愛行為に身を任せる人,同性愛にふける人」などの 「正しくない人が神の王国を授けられることはない」と述べています。 (コリント第一6:9新世界訳改訂版)
そのマインドリーダーたちは、おおむね同性愛を行っているということが多いです。わたしは聖書に従うクリスチャンですから、同性愛は反対で、そのことをはっきり口で表明しています。同性愛を唱道しながら、エホバ神からの是認と保護を受けることはできないと思います。
マインド・リーダーたちは同性愛を推進しているので神の是認と保護はない
中には、わたしの周囲の人々の中に、そのことを正直に認める人がいて、その状況を説明する人もいます。でも、わたしはそのことをつっこんで、確認したりすることはしていません。わたしは、ふだんは、そのことにほとんど言及しません。わたしの心を読み取ることができる人たちに、トラブルが及ぶ可能性があると考えたからです。
なぜかというと、大いなるバビロンが米国であるというわたしの解釈は、国家主義の強い普通のアメリカ人にとっては不快で受け入れがたいもので、反発を招くものではないかと考えたからです。わたしの解釈について知るようになる人は、わたしと全く同じ考え方をするわけではないので、その解釈に反発する人もいるのではないかと考えました。それで、わたしの聖書の解釈を知る人たちが、問題に巻き込まれるのではないかと考えたので、普通そのことについてつっこんで問いただしたりはしません。
でも、聖書は、エホバの「教え」を忘れず、神の「おきてを心から守る」ならば、「長く生きて平和な日々を送れる」と保証しています。 (格言3:1,2新世界訳改訂版)聖書に忠実につき従う人が不死身であるというわけではなく、イエスは一部のクリスチャンは苦難を経験し、迫害のために命を失うことさえあると言われました。またそれは世間で不人気な生き方かもしれません。
でも、神に頼り聖書に忠実に従う生き方は、総合的には、生存率が高い生き方であり、最終的には、救いという最善の結果をもたらす生き方だと思います。 (マタイ24:9,13) 基本的に聖書に忠実につき従う道は、命の道であり、神からの是認と保護を得られる道だと思います。
でも、信仰が欠如するとそのような考え方をしないと思います。
聖書に忠実につき従う道は歩む人が少なくても命につながる道
でも、この私が巻き込まれたことは、人によっては弊害があるように思います。女性の感覚が分かるので、性の不道徳に陥る人もいるようです。そのようにすると、エホバ神の是認と保護を失います。さらに、マインドリーダーたちの声を聞ける状態を保つために、食事をしない人たちがいるようです。栄養不良になるならば、その人の健康と良い感情を保つ点で、マイナスになります。
わたしは自分の裸を見ないようにしたり、自分の排泄物を見ないようにして、わたしの考えや経験を見聞きすることができる人たちにできる限り不快な思いをさせないようにしています。それで、わたしは自分が巻き込まれていることから、人々が益を受けても、弊害を経験しないように希望しています。
それで、わたしは東京で大いなるバビロンの実体が、ひとつの国家、米国であることに気づきました。そして、わたしは東京で、あるビジネスに巻き込まれました。そして、わたしはそのことを実家に帰って聖書を研究して考え続けました。(続く)