ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

後でもっと米国が日本に戦争は駄目だという意思表示をして欲しかったと考えられた昭和天皇ー昭和拝謁記

  昭和天皇との拝謁記によると、昭和天皇は、アメリカをはじめとする連合国の開戦以前の対応についても振り返っていたと記されています。

 

 

 昭和天皇は昭和2512月1日の拝謁で「之は私の勝手のグチだが」とことわったうえで、「米国が満州事変の時もつと強く出て呉れるか或いは適当ニ妥協してあとの事ハ絶対駄目と出てくれゝばよかつたと思ふ」と述べたと記されています。では、米国や国際社会は、日本に強く戦争は駄目だという意思表示をしなかったでしょうか。

 

(1)アメリカや国際社会の開戦以前に日本に中国侵略をやめるように勧めていた

 

 

 

 1931年、中国の日本軍関東軍が独自行動で満州事変を起こし中国への侵略を開始して満州全土を制圧して、1932年に満州国を建国しました。これに対して、中国政府は国際連盟満州国建国の無効と日本軍の撤退を求めて提訴しました。それを受けて国際連盟イギリス人リットンを代表とする調査団を派遣しました。複数の国籍の調査員からなるリットン調査団は1932年3月から6月まで調査し、リットン報告書をまとめました。報告書は日本の侵略と認定し日本軍に対しては満州からの撤退を勧告しました。


 1933年2月、国際連盟総会はリットン調査団報告書とその勧告を審議の結果、反対は日本のみ、賛成が42カ国で可決されました。これを受けて日本政府は1933国際連盟を脱退しました それで、国際社会は最初に日本に対して中国侵略をやめるよう勧告していました。




0Lytton Survey Team
国際連盟から派遣されたリットン調査団は調査し日本が中国侵略をやめるように勧告したが日本は連盟を脱退した




 しかし、中国での満州鉄道爆破は、中国によるものではなかったにもかかわらず、中国側のせいにして、中国に対して戦争を始めたのは、まったく日本の方が間違っていて、その点で、日本側に正しい部分はありませんでした。



  それで、国際連盟から非難を受け、中国から撤退するように勧告されたにもかかわらず、それに耳を傾けるどころか、国際連盟から脱退してしまったのですから、まったく日中戦争を始めた日本の側に、正義はありませんでした。そして、国際連盟の勧告を受け入れて中国から撤退するのが日本にとって正しい行動でした。

 

 

 そして、その後も日本は、日中戦争を推し進めていき、さらにフランス領インドシナ半島へ派兵しました。それで、米国は最初は、孤立主義のために日本軍の行動に強く干渉しなかったのですが、19417月から8月にかけての対日資産凍結と枢軸国全体に対する、石油の全面禁輸措置を行い、ABCD包囲網、すなわち日本に対してアメリカ合衆国America)、イギリスBritain)、中華民国China)、オランダDutch)による貿易制限を施行して、日本に対する不同意を示しました。

 

 

 日本は、戦前は、石油の9割以上を輸入に依存していました。最大の輸入先は米国で、輸入量の81.1%を占めていました。 当時、日本はとりわけ、石油の備蓄を一年分か一年半分しか持っておらず、石油が禁輸されるなら、戦争遂行を続けることはできませんでした。

 

 つまり、『ゼロ戦』戦闘機を持ってはいても、特攻隊がいたとしても、それを飛ばす燃料は短期間しか維持できませんでした。しかし、日本は冷静に状況を分析せず、後先を考えず、日米開戦に突き進みました。

 

 それで、アメリカを初め国際社会は、日本に正しく抗議を表明し、確かに、駄目だと言っていました。ですから、早期にその声に聞き従っているのが賢明でした。しかし、日本は長期戦になるなら、日本の勝利はおぼつかないと考えていましたが、短期決戦をするなら、勝利の可能性もあると考えて、その可能性にかけました。一部の冷静な見方をする政治家は、日米開戦をしても、勝利の見込みはほとんどないという現実的な見方をしていました。

 

 

 日米開戦を推進してきた近衛文麿でさえ、日米の軍事力の差、燃料の備蓄の差を考えたためだと思われますが、最終的に日米開戦には同意できず、近衛内閣は総辞職してしまいました。そのため、昭和天皇は、東條英機に組閣を命じました。これは昭和天皇が平和を望む気持ちがおありであったのであれば、まったくのミスキャストでした。

 

 

 それで、日米開戦のための路線づくりは、昭和天皇の言われた通り、近衛文麿によってしかれました。しかし、昭和天皇が平和を願っておられたのであれば、近衛文麿に三度組閣させたのことも、まったくのミスキャストで、判断が過まっていたと言えると思います。