ヨハネのブログー聖書の預言と希望

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イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(32)大いなるバビロンの教理のために証人から排斥されるがヨハネのブログを始め聖書研究を続ける

  わたしは東京で、エホバの証人の会衆に交わりながら、聖書朗読を続けていました。エホバの証人の根幹になっている教えのひとつに、啓示の書に登場する大娼婦大いなるバビロンが偽りの宗教組織全体であるという教えがあります。しかし、わたしは東京でその大いなるバビロンが米国であることに気づきました。


 その後、実家に戻りました。そのことは、以前記事にしたので、お読みください。



イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(29)わたしヨハネは大いなるバビロンが米国であることにどのようにして気づいたか


 今回の記事では、わたしが実家に戻った後、どのようなことを行ったのかをお話しします。


(1)大いなるバビロンが米国であるという解釈を統治体に知らせる


 わたしは実家に戻って、自分の発見した聖書の預言の解釈について考え続けました。実家ではテレビがあったので、わたしは世界情勢について情報を得ることができるようになりました。また、図書館の本を借りて読んだりして自分の解釈に関係した情報を得るようにしました。



 そして、わたしは実家の会衆の長老たちに大いなるバビロンが米国であるという自分の聖書の解釈を説明した文書を作成して、提出し、何人かに読んでいただきました。何人かの地元の長老がわたしの文書を読んでくださいました。


  その時は、長老たちは最初はわたしの論議に反論しませんでした。ひとりの若い長老はその文書を何度も読んだと言われました。実家の会衆のひとりの高齢の長老兄弟はひょっとして、わたしの解釈も一理あると考えてくださっていたのかもしれませんが、わたしに良くしてくださいました。それで、聖書的な根拠を示した文書を提出したことは、排斥される時期を少しだけ遅らせることになったようです。


 わたしが大いなるバビロンが米国であるはずだということを気づいたのが、東京で、おそらく20039月頃だったと思います。それから、排斥されるまで、およそ5年くらいはエホバの証人としてとどまっていたことになります。現在、大いなるバビロンの実体に気づいてから、早くも16年も経ってしまいました。


 そして、同じような文書をその当時、米国ニューヨークエホバの証人の本部に郵送しました。 そして、さらに研究を進めた文書をニューヨーク本部を訪問して、ベテル奉仕者に渡して、統治体の兄弟たちが確実にその解釈を知ることができるようにしました。


  わたしはできれば、そのことについて統治体の兄弟たちと英語で論じたかったのですが、それはできませんでした。統治体の兄弟たちは普通とてもお忙しいので、わたしが本部に前もって連絡することもなく、突然行ったせいもあると思います。


 でも、思うに統治体の兄弟たちは、七つの星に関しては、そうかもしれないと考えた兄弟たちもいたかもしれませんが、大いなるバビロンの実体が南の王であるというわたしの見解にはついていけないと考えられたのではないかと思います。大いなるバビロンが偽りの宗教の組織であるという解釈は、エホバの証人の教理の根幹部分にあるからです。


 わたしは最初は聖句をノートに書いて研究していました。でも、後になって中古のパソコンを手に入れて、それをワープロにして自分が研究した結果を文書として作成するようになりました。さらに、ものみの塔ライブラリーのCDも利用するようになって、わたしの聖書研究は進みました。でも、最初からネットはしてはいませんでした。


(2)大いなるバビロンの実体についての理解のための背教という理由で排斥される


 ところが、ひょっとしてわたしを擁護してくださっていたのかもしれない長老兄弟は、ご高齢で亡くなってしまわれました。後になって会衆に特開者のご夫婦が派遣されましたが、その長老兄弟にわたしは文書を提出していませんでした。


 それで、特開者の長老兄弟がわたしの聖書の解釈について尋ねた時に、自分が組織とは異なる解釈を信じていることをわたしは認めました。それで、その特開者の兄弟が中心になって、わたしはその会衆から背教という名目で排斥されました。つまり、大いなるバビロンの実体の理解がエホバの証人の組織と異なっているという理由で排斥されました。そして、地元の会衆の長老たちは最後には、統治体の解釈に固くついたと思います。


 わたしはその自分の解釈は、聖書に基づいていると考えていたので、自分で聖書に基づいていて正しいと考える解釈のために、エホバの証人から排斥されることはちっともショックではありませんでした。それで、エホバ神はわたしと共にいてくださっていると考えていました。


 なぜなら、聖書は明らかに主に世界帝国の移り変わりに注目しているからです。ですから、啓示の書に預言されている緋色の野獣と大娼婦の抗争は、やはり双方とも政治的な実体であるという理解は間違いがないと思いました。

 

 

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聖書の預言は世界帝国の移り変わりにフォーカスし政治的な実体に注 目している



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                 大娼婦も緋色の野獣も両方が政治的な実体のはず

 

 

 


  さらに、世界情勢を調べて、わたしの聖書の解釈は現実の世界の情勢とも合致していると考えました。エホバの証人の統治体の解釈の方が、世界の現実と遊離していると考えました。




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米国と国連軍が血に酔っている状況は今の世界に起きている




 それは、わたしが人間である統治体ではなく、エホバ神に従うためにトラブルを経験することを意味しました。(使徒5:29)自分で正しいと考える聖書の理解を固守することは、エホバ神に喜ばれていたはずです。(ペテロ第一2:19,20)


    もし、エホバの証人の組織からわたしが排斥されると、エホバ神の目から見て正しい立場に立つ人がわたしひとりになって、エホバの証人の組織全体がエホバから非とされる立場に立つことになると思いました。



 おそらく、エホバの証人の組織にとってはわたしの排斥はマイナスになったのではないかと思います。一世紀のエルサレムの長老団は、自分たちと異なる意見を持っていたパウロを排斥しなかったからです。


 その排斥処置は、統治体の意向もあったのではないかと思います。結局、おそらく、エホバの証人の統治体はその解釈をおおむね受け入れるのが難しかったんだと思います。


 エホバの証人は、大いなるバビロンが偽りの宗教の世界帝国であるという教理がその根幹になっているからです。そのために、エホバの証人キリスト教会を初め、聖書以外の宗教の習慣を禁忌します。


   エホバの証人アメリカ合衆国について特集していた日本語の1976年年鑑の記述には、協会の二代目の会長ラザフォード兄弟が、投獄された時に、大いなるバビロンとして考えたキリスト教の僧職者たちに対して、徹底的に戦おうと考えたということが書かれています。(1976年年鑑114-115ページ)




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エホバの証人ローマカトリック教会を初めとして偽りの宗教組織が大いなるバビロンだと解釈している

確かにローマカトリック教会はぜいたくかもしれないが現在流血に酔ってはいない




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エホバの証人はラザフォード兄弟の頃から大いなるバビロンは自分たち以外の宗教組織だという解釈で自分たちの教理を作り上げている






 それで、大いなるバビロンが偽りの宗教で、いつかはエホバから滅ぼされるという解釈で、エホバの証人の聖書の解釈全体が固く塗り固められています。それでちっとやそっとの聖書的な論議では、エホバの証人のその教理を論駁することはできないと考えました。



 

(3)エホバの証人から排斥されないようにという祈りが聞かれなかったことは霊的な祝福につながる




 わたしは一応エホバの証人から排斥されないようにと祈りました。でも、その祈りは聞かれず排斥されてしまいました。200811月でした。今20198月で、排斥されてからおよそ11年ほどになります。でも、わたしは排斥されても、エホバ神に対する信仰を失わず、かえってエホバ神はわたしと共にいてくださっていると考えていました。


 証人から排斥されたので、エホバの証人として伝道したり、集会の準備をしたり、集会に出席する時間を自分の聖書研究に当てることができるようになりました。それで、排斥されたことは、わたしに聖書研究を行う時間を産み出すことになりました。そして、エホバ神に祈り続け、自分のその解釈が正しいのかどうかを聖書朗読を続けて研究して検証を続けました。

 

 

 

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排斥されたので集会や野外奉仕の時間を聖書研究に当てたため聖書の理解が進んだ





 その結果、わたしの聖書に対する理解は急速に深まりました。それで、聖書からの霊的な祝福という点では、わたしにとっては証人から排斥されたことが益になりました。それで、エホバ神への祈りが聞かれない場合に、その方が益になるということがあります。



 一方、わたしはエホバの証人の間で長年培ってきた人的なネットワーク、親しい友人たちを失ってしまいました。そして、とりわけ、エホバの証人の統治体のためにわたしが払ってきた敬意や労はすべて無駄になりました。


 親しい友人たちを失ったことは、確かに大きな痛手でした。その後、自分が困難に直面した時、それまでは実際的な助けになってくれていた証人たち、とりわけ姉妹たちからの支援は得られなくなりました


 でも、わたしが排斥された時にもエホバの証人たちの中には、わたしの解釈が正しいと感じている兄弟姉妹がいるように思いました。わたしが証人の中で、一番親しくしていて行き来していた同い年の姉妹は、わたしの意見と同じことを言っていました。でも、会衆が違っていて、私は排斥されたために、その姉妹と連絡できなくなりました。その姉妹は、もともと膠原病を患っていて体の弱い姉妹だったのですが、その後亡くなってしまいました。



  わたしはエホバの証人から排斥されているので、基本的にエホバの証人の成員と話をすることができません。また、エホバの証人の集会では、自分の理解を話すことができません。それで、集会に行っても、面白くありませんし、エホバの証人の集会に行こうという気持ちはあまりないのですが、イエスの死の記念式だけは、エホバの証人の集会に出席しています。


 なぜなら、イエスは表象物に毎週あずかるようにとは命じられませんでした。イエスは、昔の過ぎ越しの祭りの時期に年に一度だけ、祝うようにと命じられたと思います。キリスト教会で、年に一度だけ表象物にあずかるようにしている教会はありません。それで、イエスの死の記念式の時だけは、エホバの証人の集会に出席しています。


2019年主の記念式シリーズ(1)初期クリスチャンは日ごとあるいは週ごとに表象物にあずかっていましたか【新共同訳・回復訳・Biblehub



(4)聖書の研究を独自に続けて増し加わる聖書の理解という祝福を受ける


  わたしは実家にいたおかげで、部屋代や生活費を稼ぐ必要がなかったので、少し働くだけで後の時間を聖書研究に当てられたのは良かったです。そのため、私の聖書の研究は急速に進みました。仏教徒の母には感謝をしなければなりません。


 わたしは、それまで、エホバの証人の教えをそのまま聖書の教えだと信じてうのみにしていたのですが、聖書の研究を続けました。つまり、エホバの証人の教えが、聖書がほんとに聖書にのっとっているかを検証していきました。


 すると、自分が聖書の教えだと信じていたことは、ある教えは、やはり正しいと分かりました。今までもお話ししたことがあるようにエホバの証人から学んできた創造者の存在、進化論の間違い、聖書が神の言葉であること、殺人や淫行や輸血や心霊術などを避けるという神の律法の重要性、霊魂不滅説や地獄の教理の間違いなどは正しかったと考えています。そうした確信は、エホバの証人と交わっていなければ得られなかったと考えるので、その点では、エホバの証人の組織に感謝しています。



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万物の創造者が存在されるという証人の教えは真実

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聖書が神の言葉であるという証人の信念は正しい






 また、聖書の研究を続ける点で、エホバの証人の洞察の本などの出版物や、その他の出版物や集会で学んだことは助けになりました。最初は分からなかったことも、聖書全体が一貫して調和しているはずだという考え方で、解釈していくと、次々に分かっていくように思いました。


 それで、やはり、イエスが約束してくださったように、エホバ神のもとから「真理の霊」「真理を伝える聖なる力」が送られてわたしの理解を導いてくださったのではないかと感じています。イエスは、「真理を伝える聖なる力が来ると,真理を十分に理解できるように導いてくれます。」と言われたことがありました。 (ヨハネ15:26;16:13)



 旧版の新世界訳では、その聖句は、「真理の霊が到来するとき,あなた方を真理の全体へと案内するでしょう。」と言われています。それで、聖書の研究を続けて、聖書全体が調和していて、一貫していることをますます理解するようになりました。


 実際、わたしが聖書を解釈する際の手法のひとつは、聖書全体がおひとりの神によって霊感が与えられているので、互いに一貫しているはずだという信念に基づいています。そのようにして、聖書を解釈することによって、聖書の理解がどんどん進んでいきました。


 わたしは証人から排斥されたおかげで、聖書の研究に打ち込むことができたので、聖書に関する新たな宝石のような洞察をさまざまに得ることができて、エホバ神に感謝しています。わたしは自分がエホバの証人の統治体よりも、聖書をより理解できていると考えています。


 エホバの証人の場合は、聖書の各書を、たとえば、ダニエル書や啓示の書やイザヤ書などを各々別個に解釈するように、取り組んでいると思います。そうすると、聖書の各本のつながりや調和が分かりません。


 でも、現時点で、わたしもまだ聖書を完全に全部を理解できているとは考えてはいません。研究の途上にあります。


(5)エホバの証人から排斥後にヨハネのブログを作成して自分の聖書の理解を公に知らせる


 わたしは排斥されてからしばらくして、20098月に自分のパソコンをネットにつないで、パソコンで作成した聖書研究の文書をブログの形でネット上で公表するようになりました。最初は、アメブロを利用し、さらにライブドアブログなどの他のブログで、「ヨハネのブログ」を出すようになりました。


 そして、わたしはネット上の情報を得ることができるようになりました。しかしながら、わたしが実家で、ネットを利用できたのは、しばらくでした。ここでは詳述しませんが、実家に母と住んでいた元オウム真理教の弟と仲間たちは、わたしにありとあらゆるいやがらせをして、わたしの聖書研究と、世俗の仕事を妨げました。弟とその仲間たちの妨害で、わたしはネットを利用できないようにされ、また実家の固定電話も利用できないようにされました。


 それで、わたしはそのようになってから実家の外のネットを利用して、ブログを出すしかありませんでした。それで、わたしは世界情勢は、ネットではなく、主にテレビに頼って情報を得るようにしました。


(6)聖書研究を続けることによってエホバの証人の教理との乖離が大きくなる


 しかし、私は、聖書研究を続けて、他のエホバの証人の幾つかの教理の中にも、さらに聖書的に間違いがあると考えるようになりました。そのひとつはエホバの証人1914年説です。


 キリスト教会の人々は、最初から1914年説は受け入れておらず、それは正しいことでした。そのようにして、わたしは聖書について、理解を深めていきました。


 さらに、エホバの証人は、社会問題についてあまり、深くタッチしない部分もあります。選挙に参加しないからです。でも、わたしは選挙について聖書に基づいて考えてみて、聖書は選挙に参加することを否定していないのではないかと思いました。今回はその点について詳述しませんが、上位の権威は、選挙に参加して、自分の意見を表明するように勧めており、聖書は上位の権威に従うように勧めています。(ローマ13:1)そして、選挙は、神の律法に違反することではありません。

 

 

Santeri Viinamäki

戦争や暴力によって社会問題を解決するのとは違って選挙は問題を解決する平和的な方法のひとつ

 

 



 もちろん、一番大切なのは、聖書の内容そのものであり、聖書の音信を広める事です。聖書から離れて社会問題だけに、頭をつっこむのは、クリスチャンがするべきではありません。また、クリスチャンは、今の事物の体制での努力によって、今の世界の問題がすべて解決することを期待はできません。


 今の世界は、悪魔サタンの支配下にあって、問題は複雑すぎて、解決は不可能だからです。(ヨハネ第一5:19)できることは、問題を緩和することだけです。それでも、少しでも、社会問題にかかわるならば、社会問題の緩和になり、それは、親切なサマリア人のように人々に実際的な助けを差し伸べることになります。(ヨハネ第一3:18)


(7)英語の勉強をして世界の社会問題について考える


 実家では、わたしは英語の資格試験にトライしました。そして、英語の勉強のために英検準一級と一級の試験にトライしました。英検の二次の面接試験は、時事問題について考え、英文を作り質問に答えるという形式のものでした。わたしは英検の二次試験の準備をすることは、さまざまな時事問題について調べたり、その時事問題ついて考える機会になりました。


 それで、英検の資格試験にトライすることは、自分の関心をさまざまな社会問題に広げて、その対策を聖書の預言や原則を考慮しつつ考えて、自分を成長させることにつながったと感じています。英検の資格試験にトライしていなければ、さまざまな社会問題や時事問題について考えることもなかったと思います。そして、英検準一級を取得した後、私は再び英会話の講師として教え始めました。


(8)今後のわたしの目標


 わたしは聖書研究の努力を続けて、聖書全体をさらに一層明快に理解できるようになりたいです。それで、聖書の研究を自分が死ぬまで続けていきたいです。それが現在のわたしに残された人生の目的です。