ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1-2)モーセの権威が表わしていたのは統治体ではなくイエス・キリスト

エホバの証人の統治体の兄弟たちは、荒野で反逆したイスラエル人を裁いたモーセの権威を持っていると主張されています。そのために、統治体の兄弟たちや、統治体によって任命された長老たちの権威に従わなければ、エホバ神に裁かれてしまうと示唆されます。

 

 しかし、先回の「イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1)統治体はモーセの権威を持っていますか」の中で、モーセのような預言者は、イエス・キリストであって、私たち霊的なイスラエル人はとりわけ、イエス・キリストの権威に従わなければ、イエスに裁かれてしまうことを説明しました。

 

 今回の記事では、イエスモーセのようにどのようなクリスチャンを裁かれることになるのかを説明したいと思います。イエスが啓示の書の中で、霊的なイスラエル人の七つの会衆に語っておられる音信を検討したいと思います。

 

 

(1)統治体がイエスの右手にある七つの星とは天的な希望を持つ長老たちを表しているという解釈は正しいですか


     エホバの証人の統治体は、七つの会衆に対するイエスの音信に関連して、イエスの右手にある七つの星とは、とりわけ、長老でなる天的な希望を持つクリスチャンを表しているとみなしています。(啓示1:16新世界訳改訂版)そのために、エホバの証人の統治体は、イエスの完全な制御下にあるのは、ご自分たち、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちであり、ご自分たちに従うことを求められます。



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エスの右手の上の七つの星とは天的な希望の長老たちですか




 では、まず、七つの会衆とはどのような実体を表していたでしょうか。イエスは、「主の日」に、天的な希望を持つクリスチャン全体に語られました。(啓示1:10新世界訳改訂版)そして、その中で、七つのタイプの会衆に対して語られています。七つの会衆とは、「主の日」の男性も女性も含む天的な希望を持つクリスチャンたちで構成されています。(啓示1:5,6新世界訳改訂版)


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七つの会衆とは主の日の天的な希望を持つ男女を含むクリスチャン会衆を表す





 例えば、テアテラ会衆には、「かの女イゼベルのような女性のクリスチャンが含まれていたので、七つの会衆の成員の中に女性も含まれていたことが分かります。(啓示2:20)



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七つの会衆の成員にはテアテラのイゼベルのような天的な希望の不忠実な女性の成員も含まれている






 そして、イエスは、「七つの星は七つの会衆の使いたち」を表すと言われています。(啓示1:20新世界訳改訂版)証人たちは、イエスは、「七つの会衆の使いたち」を通して、七つの会衆の個々の成員に音信を伝えているとみなしています。そして、統治体は、七つの会衆の使いたちとは、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちを表すとみなしています。


(2)啓示の書のイエスの右手にある七つの星また七つの会衆の使いたちとは誰ですか


  ところが、七つの星、すなわち七つの会衆の使いたちとは、男女を含む天的な希望を持つクリスチャンであるということが、聖句を検討すると分かります。 


 イエスは、エフェソス、スミルナ、ペルガモン、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアにある会衆の使いに語りかけておられます。(啓示2:1,8,12,18;3:1,7,14)そして、どの会衆の使いたちにも、「あなた」と呼びかけて、それらの会衆の状況を知っていると述べられています。


 さらに、エスは、その会衆の使いたちに対して、忠実であることを励まされて、もし、忠実であれば、 その人に「私の神の名と,私の神の都市すなわち天の神のもとから下る新しいエルサレムの名と,私の新しい名 」を記すと約束されています。(啓示3:12)


 ですから、七つの会衆の使いたちに差し伸べられているのは、「新しいエルサレム」の一員になるという希望、つまり、天的な希望です。ところで、天的な希望を差し伸べられるのは、長老だけ、また、男性だけではありません。会衆の一成員に過ぎない女性も天的な希望を差し伸べられて、「新しいエルサレム」の構成員になるという将来の希望を持っています。



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七つの会衆の使いたちには聖なるエルサレムの構成員になるという希望が差し伸べられる
会衆の使いたちは天的な希望を持つ男女のクリスチャンを意味する






 ですから、イエスの右手の上にある「七つの星」また、「七つの会衆の使者たち」とは、七つの会衆の一部の成員を表しているわけではありません。



 「7つの金のランプ台」で表わされる七つの会衆とは、天的な希望を持つクリスチャンたちを組織を全体的に表現しています。(啓示1:12新世界訳改訂版)


 一方、イエスの右手の上にある「七つの星」と、「七つの会衆の使者たち」とは、男女を含む天的な希望を持つ個々のクリスチャンたちを表しています。(啓示1:20新世界訳改訂版)そして、イエスは、会衆の使いたちを通して、会衆の成員に語っているというよりは、会衆の使いたち自身に、音信を伝えているというのが正しいです。


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エスは右手の上の七つの星つまり七つの会衆の使いたちに対して音信を伝えられた
七つの会衆の使いたちとは天的な希望を持つ忠実また不忠実な男女のクリスチャン






(3)七つの会衆の使いたちは性別や長老であるかどうかにかからわずイエスに忠実であることが求められている



 しかしながら、七つの会衆の天的な希望を持つクリスチャンがすべて、天的な希望をとらえるのではありません。イエスは、「忠実」であるなら、神の王国に入ることができると約束されています。(啓示2:10新世界訳改訂版)ですから、男女にかかわらずイエスの指示に従って忠実を保つ天的な希望を持つクリスチャンだけが天的な希望を捕らえることができます。


 その点で、男性も女性もありません。パウロは、イエスの体を構成する成員としては、「男性も女性」も平等の立場にあると述べています。(ガラテア3:28新世界訳改訂版)そして、「家令に求められるのは,忠実であること」だと述べられています。(コリント第一4:2新世界訳改訂版)



 長老であること、男性であることが求められているのではありません。男女とも、第一にイエスに忠実であることが求められています。たとえ、男性であっても、長老であっても、イエスの命令と指示に不忠実ならば、神の王国に入ることはできません。ですから、大切なのはとりわけイエス・キリスト忠実であることです。


 このことを考えてみても、イエスがただ単に、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちだけを用いて通して、会衆の成員に音信を伝えたとは考えられません。イエスは、男女を含む聖霊で油そそがれたクリスチャンの個々の人に音信を与えたとみなすのが妥当です。


(4)エスはどんな聖霊で油そそがれたクリスチャンを否認されますか


 イエスの権威に逆らうならば、荒野でモーセの権威に逆らったイスラエル人のような経験をすることになるでしょう。では、イエスは啓示の書の中のアジア地区の七つの会衆にどのようなクリスチャンに敵対すると言われたでしょうか。


 それは、まず「初めの頃に抱いていた愛を失った 」者、「忠実であり続け」ることを死に直面してやめてしまう者です。(啓示2:4,10新世界訳改訂版)


 さらに、「偶像に犠牲として捧げられた物を食べ,性的に不道徳な行為をする 」者、「ニコラオ派の教えを固く守っている 人」です。(啓示2:14,15新世界訳改訂版)ですから、神の律法に違反する者は否認されるでしょう。さらに、個人に従うことを強調し過ぎて、神の言葉から離れてしまう者を否認されるでしょう。


     また、「性的に不道徳な行為をさせ,偶像に犠牲として捧げられた物を食べさせて」いる「あのイゼベルのような女性を容認している」者です。(啓示2:20新世界訳改訂版)さらに、「サタンの奥深い事柄」を 「知るように」なる者、すなわち、神の律法に違反する者です。 (啓示2:24新世界訳改訂版)


 また、「生きているといわれていますが,実は死んでい る」者、「行い」が「神から見て十分であるとは言えない」者、生ぬるく,熱くも冷たくもない」者など、すなわち、クリスチャンの責務に不熱心な者です。(啓示3:1,2,16新世界訳改訂版)


 以上のような神の律法を守らない者、愛を示す努力をしない者、クリスチャンの責務を果たすことをなおざりにする者たちは、イエスの権威に逆らっています。そのような者たちは、昔、モーセの権威に反逆した者たちになぞらえられます。


 昔神はモーセを用いて反逆者たちを裁かれました。同じようにイエスは、エホバの代表者として、以上のようなタイプのクリスチャンたちに対して敵対されます。


(5)エスはご自分に不忠実な天的な希望のクリスチャンにどのように敵対されますか


 モーセは神と自分の権威に不忠実であったイスラエル人に裁きを執行しました。では、イエスはご自分の権威に不忠実な天的な希望のクリスチャンにどのような形で敵対されるでしょうか。


   そのようなクリスチャンたちに対しては、イエスは、「ランプ台を取り去り 」、「口から出る長い剣 」で「戦い」、「病気にならせ 」、「姦淫をしている人たち 」を「大きな苦難に遭わせます。」また、「死に至る病気によって殺します 」(啓示2:5,16,22,23新世界訳改訂版)


   また、イエスが、「必ず泥棒のように来」る時に不意を打たれるでしょう。(啓示3:3新世界訳改訂版)また、イエスはそのようなクリスチャンを「口から吐き出」します。(啓示3:7新世界訳改訂版)


 すなわち、イエスは神の王国に入るという特権を不忠実なクリスチャンから奪います。さらに、聖書の言葉を用いてそれらのクリスチャンと戦います。さらに、それらのクリスチャンが霊的また身体的な病気にかかることを許されるかもしれません。


 さらに、「大きな苦難」に巻き込まれて命を失うようにされます。さらに、イエスが天で王になられる時に、不意を打たれ、準備ができていないために、やはり、神の王国に入ることができないでしょう。


 そして、このことは、昔、イスラエル人がモーセの権威に逆らった時に、さまざまな神からの裁きを受けたことになぞらえられます。ですから、モーセの権威に逆らった不忠実なイスラエル人が神の裁きを受けたことは、今日の不忠実な聖霊で油そそがれたクリスチャンが、イエスの権威に反逆するならば、イエスから神の王国の特権を奪われ、「大きな苦難」に遭わせられ、霊的・身体的な病気にかかるという形で、裁かれることを意味しています。


 基本的に、荒野でモーセの反逆して裁かれたイスラエル人の事例は、わたしたちが第一にイエス・キリストの権威に従わなければどんなことが起こるかを示しています。


 啓示の書は、イエスの権威に敵対する者たちが、荒野のモーセの権威を認めなかった者たちが、災いをこうむったように災いを経験し、命さえ失うことを述べています。ですから、エホバの証人の統治体の兄弟たちは、確かに神の言葉から語って神の律法に従うように勧めておられますから、その言葉に従わないなら、災いをこうむることもあるでしょう。


 しかしながら、第一の権威は、イエス・キリストにあります。ですから、他の天的な希望のクリスチャンや大群衆のクリスチャンが神の律法に従いながら、神の言葉に基づいて論じている場合、その人は、統治体と異なることを語っていても、イエスの言葉に従っていれば、神とイエスの不興をこうむって、神とイエスの是認を失うと言うことはありません。



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エスはみ言葉聖書によって語られ権威を行使されます


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統治体と論じていてもイエスの権威に従って聖書から論じていればイエスの是認を失うことはありません