イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(33)イエスの霊的な兄弟たちは奇跡では判断できない
神に是認される油そそがれたクリスチャンを見分けることは必要なことです。なぜなら、先回の記事にあるように聖書の中に示されているエホバ神やイエス・キリストの感じ方や言葉を考えると、天的な希望を持つことを表明するイエスの霊的な兄弟たちにふさわしい敬意を払った方がいいと思います。
表象物にあずかり天的希望を表明するクリスチャンにふさわしい敬意を表すのが正しい
彼らに親切に協力するかどうかで、将来永遠の命を受けるか永遠の死を受けるかが決まるからです。(マタイ24:45,46)
イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(27)目立たない油そそがれたクリスチャンに親切にするかどうかで永遠の命かどうかが分けられる
わたしヨハネの場合、わたしにかかわるビジネスに巻き込まれているために、奇跡を行っているとみなされる可能性があると思います。しかしながら、それは、悪魔サタンや悪霊による奇跡ではないと思います。
わたしは、魔術やオカルトに関係した物品を持ってはいませんし、心霊術者や霊媒に相談に行ったりして、悪魔崇拝や悪霊崇拝に関わることは避けています。(使徒19:19。レビ19:31)また、偶像崇拝は避けています。 (コリント第一6:9,10)エホバ神ではなく、死者を崇拝することもしません。(伝道の書9:5)
ですから、ヨハネに関わるビジネスは、心霊術に伴う奇跡ではありません。わたしはこれがどのようにして行われるのか十分理解していませんが、何らかの最新現代科学が関係しているのではないかと思います。
今回の記事では、神とイエスに是認される油そそがれたクリスチャンを彼らが行なう奇跡や強力な業では判断できない事について説明したいと思います。
(1)イエスや初期クリスチャンたちは奇跡を行えた
一世紀には、エホバ神はある神の僕をご自分が是認されていることを聖霊によるさまざまな奇跡しるしで確証を与えられました。エホバ神は背後でイエスをさまざまな仕方で支援されました。(ヘブライ2:4)エホバ神は天からの言葉でイエスがご自分の子であることを語られたこともありました。(マタイ3:17)また、イエスが神の子であり、メシアであることを、さまざまな奇跡としるし与えて人々に示されました。(ヨハネ1:32-34;20:30。使徒10:38)
エホバ神はイエスが神の子であることを証しするために多くの奇跡を行う力を与えた
イエスの奇跡やしるしを見た人は、神の後ろ盾のある人でなければ、そのようなことを行えないと判断しました。(ヨハネ3:2;9:30-33)
さらに、イエスは十二使徒たちに病気の人をいやしたり、死者を復活させたり、悪霊を追い出す権威を与えました。(ルカ3:14,15。マタイ10:8)また、イエスは七十人の弟子たちにも、いやしや悪霊たちを制御する権威を与えたことが記されています。(ルカ10:8,9,19)
例えば使徒ペテロは病気で死んだドルカスをよみがえらせました。(使徒9:36-41)また他に、使徒パウロも奇跡を行えました。(ヘブライ2:4。使徒4:16;5:12;14:3;15: 12。コリント第二12:12)
エホバ神はペテロにドルカスをよみがえらせる力を与えてクリスチャンたちに対するご自分の支持を示された
そのようにして、エホバ神は、彼らに与えた奇跡やしるしによって、イエスの弟子たちがエホバ神の是認と後ろ盾を得ていることの証明をされました。
(2)エホバ神が奇跡を行う力をイエスやイエスの弟子たちに与えたのはなぜか
エホバ神がそのような奇跡を行う力をイエスやイエスの弟子たちに与えたのはなぜでしょうか。それまで、エホバ神はモーセの律法下にいた肉のイスラエル国民との契約関係を尊重しておられました。けれども、イスラエル国民は、背後に神がおられる証拠を豊富に示したイエスを殺害しました。(マタイ27:25,26)また、イエスの弟子たちのある者たちを殺害しました。(マタイ23:37,38。ヨハネ19:7)そのようにして、イスラエル国民はエホバ神を退けました。
イスラエル人は神の子イエスを殺したため神との契約関係を失った
そのために、神と肉のイスラエル人の間の契約で合ったモーセの律法契約は破棄されました。代わりに、イエスを仲介者とする新しい契約が神とイエスの弟子たちの間で成立することになりました。(エレミヤ31:31,32)それで、エホバ神は、その大きな変化をイエスと彼の弟子たちにさまざまな奇跡を行わせることにより、確証を与えられました。
古い契約は神とイエスの弟子たちの新しい契約に変えられた
神はこの大きな変化を奇跡によって確証された
奇跡やしるしがその当時、必要であった理由は他にもあります。一世紀当初は、まだ聖書全体が完成していませんでした。また当時は、聖書は希少な本で、みんなが十分手に入れることも難しく、また、科学も考古学も発達していないという状況でした。
そのために、イエスの弟子たちが効果的に宣教を行うために、彼らが奇跡を行えることが必要でした。
さらに、時間の経過と共に、奇跡的な聖霊の賜物は必要がなくなってきていました。ユダヤ教の体制から、キリスト教の体制へと移り変わったことは、イエスと初期クリスチャンに与えられていたしるしによって十分証明されたからです。 そして、イエスから奇跡を行う力と権威を与えられた弟子たちの死と共に、奇跡の賜物は、過ぎ去っていきました。
それで、聖霊による奇跡は過ぎ去ることが予告されていました。(コリント第一13:8-11)そのために、誰が本当に聖霊で油そそがれたクリスチャンであり、エホバ神の後ろ盾を得ているかは、一世紀のように誰かが行なう奇跡で判断することは基本的にできなくなりました。
そして、今日、エホバ神とイエス・キリストがご自分の是認される僕にどんなことを求められているかは、今まで出した記事でご説明しました。
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(3)奇跡やしるしや強力な業は偽預言者も行えることになっている
今日、誰が神に是認された油そそがれたクリスチャンであるか判断する方法は一世紀と異なります。必ずしもそのクリスチャンが行なうしるしや異兆や不思議によって判断できないことを聖書は示しています。
イエスはご自分の名によって「預言し,・・・邪悪な天使たちを追い出し,・・・多くの強力な行い」をする人々を否認される場合があると言われました。(マタイ7:21-23)預言や悪霊を追い出すこと、多くの強力な行いは神に喜ばれるように見えるのに、このイエスの言葉は不思議です。
イエスは、そのようにしたある者たちに対して「不法なことをする人たち,離れ去りなさい」と言われます。(マタイ7:22,23新世界訳改訂版) このことは、真正な油そそがれたクリスチャンの場合は、「不法」つまり、「罪」を犯すことを退けている必要があることを示しています。(ヨハネ第一3:4)
さらに、イエスは「偽キリスト」や「偽預言者」が、「大きな奇跡や不思議なことを行う」とも言われました。(マタイ24:24新世界訳改訂版)ですから、神に本当に是認された聖霊で油そそがれたクリスチャンを奇跡や不思議を行なうことによっても見分けられないことが分かります。
パウロは「不法の者」に関して、「サタンの力によって,あらゆる強力な行い,偽りの奇跡,不思議なことを見せ」ると述べられています。(テサロニケ第二2:10。マタイ7:23新世界訳改訂版)この聖句からも、人目を引くような「強力な行い」や「奇跡」や「不思議なこと」を見せることだけが、真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンを証明するものとはならないということが分かります。
なぜなら、その奇跡や不思議なことや強力な業は、「サタンの力によって」行われる場合があるからです。
(3)神の僕だけでなく悪魔サタンと悪霊たちも人々に奇跡を行わせることができる
実際、昔から奇跡だけでは、それがまことの神エホバの崇拝であるかどうかを見分けることはできませんでした。
悪魔サタンや悪霊たちは、エホバ神と同じように自分たちの崇拝者たちに奇跡を行わせることができます。例えば、イスラエル人がエジプトにいた時、モーセは、エホバ神の後ろ盾により、さまざまな奇跡を行いました。モーセは杖を投げて、蛇に変えることができました。(出エジプト4:1-5)しかし、エジプトにいた魔術師たちも、同じことができました。(出エジプト7:10-12)杖を投げて蛇に変えることができたのです。
エジプトの魔術師たちもモーセと同じく杖を蛇に変えることができた
魔術師たちは、モーセには決してかないませんでしたが、さまざまな奇跡を行うことができました。ですから、悪霊たちも自分の崇拝者たちに奇跡やしるしを行わせることができたのです。
一世紀にもシモンという人は、魔術によって「注目」を集めるような大きな事を行なっていましたが、それはイエスの是認を得てはいませんでした。(使徒8:9-11;18-24)当然、魔術を行うことによって神とイエスの是認を証明することはできません。
聖書は、占いなどを含む心霊術や魔術も神の王国を授けられることのできない業であると述べています。(ガラテア5:19-21)なぜなら、それらは、悪魔サタンと悪霊たちによって行われているからです。
占いや魔術などの心霊術の背後には悪魔サタンと悪霊たちが存在する
悪魔サタンと悪霊たちも自分たちの崇拝者たちに奇跡を行わせることができる
ですから、エホバ神は、ご自分の力によって奇跡を行わせることができますが、悪魔サタンも悪霊も自分の崇拝者たちにさまざまな奇跡を行わせることができるのです。ですから、エホバ神は、ご自分に対する真の崇拝を奇跡によって証明することはやめられました。
(4)今日奇跡やしるしが必要でない理由
一世紀の末に聖書全体は完成したので、それ以上に奇跡的に神からの音信を付け加えることも取り去ることもしてはいけなくなりました。(啓示22:18,19)それ以降、後世のイエスの弟子たちは、すでに完成した聖書を研究することによって、聖書の正確な知識を探求できました。それで、奇跡的に神からの音信や預言が与えられる必要性はなくなりました。聖書の写本を参照すれば良かったのです。
一世紀の末に聖書が完成したのでもう奇跡的な音信を付け加える必要がなくなった
また、初期クリスチャンの熱心な宣教によって、ある程度聖書から離れていましたが、キリスト教がローマ帝国の国教とされました。さらに、ローマ帝国のキリスト教の団体は、熱心にローマ帝国の外に宣教活動を推し進めて、キリスト教を普及させていきました。それは、人々がキリスト教と聖書に親しむ機会を与えました。
そして、現代は、とりわけ、聖書は身近なものになっています。聖書は膨大な数全世界で頒布されています。無料で聖書を手に入れる人も多いです。また、ネットには無料のオンラインの聖書があり、IT検索ツールなどがあるので、ネット上で聖書を読むことができます。また、望めば、お金を払って書店やネットで紙製の聖書を手に入れられます。
また、ネットを用いて、聖書が歴史的に真実な記録であることを裏付ける豊富な情報に接することができます。それらは、奇跡的な助けの代替手段になっています。
また、現代医学の進歩や、物流の改善によって、医療や薬や薬用植物などを手近に利用できるようになっているので、いやしなどの奇跡の代替手段になっていると思います。病気になっても、奇跡的ないやしに頼るのではなく、神に知恵を祈り求めて、病気の治療のための実際的な方策を講ずることができます。
ですから、エホバ神はイエスや初期クリスチャンに奇跡を行う力を与えて、その後ろ盾となられましたが、聖書は偽キリストや偽預言者も奇跡を行えることを示しています。また、悪魔サタンや悪霊たちも彼らの崇拝者たちに奇跡を行わせることができるため、今日、エホバに是認される油そそがれたクリスチャンをその奇跡によって見分けることはできません。また、今日、奇跡はその代替になるものがあるために、奇跡は必要がなくなっています。