ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

聖書の神エホバはどのような神ですかーエホバに従うならどのような結果になりますか

 
 聖書の神エホバはどのような神ですか。聖書の神エホバに従うなら、どのような結果になりますか。
 
 
 
(1)聖書の神エホバ神に従う時結果は良くなる​
 
 
 
 神に従う道は基本的に命の道です。格言には、「わが子よ,・・・私のおきてを心から守ってほしい。そうすれば,長く生きて平和な日々を送れる」とあります。(格言3:1,2新世界訳改訂版)さらに、伝道の書は、「真の神を畏れる人たちが良い結果を得る」と述べています。(伝道の書8:12新世界訳改訂版)

 
 
 ですから、基本的に聖書の教えに従うならば、わたしたちの命の日を長くし、より平和な日々を送ることになります。
 
 
 
  しかし、聖書は神に従う時、命が失われたり、短くなる場合があることを否定してはいません。イエスはご自分に従うクリスチャンたちが迫害され、「苦難を味わい,殺され」る時がくることを予告されました。(マタイ24:9)しかし、「困難で危機的な」「終わりの時代」にリスクのない生き方は存在しません。(テモテ第一3:1)
 
 
 
 どんな生き方をしても、落とし穴があったり、欺かれて命を落としたりする危険があります。


 エホバ神の導きや助けがない生き方をするのは、今の危機的な真っ暗な時代に、懐中電灯もなしに歩くことになぞらえられます。その生き方は、おおむね。死亡率が高いと思います。また、神からの将来の永遠の命の保証も得られません。聖書の神に信仰のない人々はそのような気の毒な生き方をしています。
 
 
 
 
 
​この危機的な時代に神の導きと助けなしに生きるのは暗い夜道をライトなしに歩くのになぞらえられる-落とし穴に落ちる可能性が高い​
 
 
 
 
 
 
 一方、エホバはご自分について、「あなたのためになる生き方を教え,あなたを導いて正しい道を歩ませる 」と言われています。(イザヤ48:17)神と共に歩むのは、小さな幼子が父親と手をとって危険な道を歩むことに似ています。経験のある父親のおかげで幼子には見えない危険や落とし穴を避けることができます。
 
 
 
 


​神と共に歩むのは幼子が子供を気遣う愛ある父親と共に歩むのに似ている
-危険や落とし穴を避けることができる​
 
 
 
 
 
  また、神の目に正しい生き方、愛に基づいた生き方をすることに、リスクが伴っても、そのような生き方をする価値があります。さらに、私たちがエホバ神に信仰を持ち、頼る時、全体的、また最終的には、生存率が高くなります。
 
 
 
 
  なぜなら、エホバ神は愛の神で、ご自分に聞き従う人々が今の時代であっても、幸福で平和な生活を送ることを望んでおられるからです。(ヨハネ第一4:8)神に仕える生き方は、将来の永遠の命につながるだけでなく、現在の生活の上にもエホバ神の祝福を得られます。
 
 
 
 聖書は、「神への専心はあらゆる面で有益です。今の生活と将来の生活が祝福されるからです。」と述べています。(テモテ第一4:8)
 
 
 
 私自身、エホバの証人として生活している間、神との良い関係を持つよう努力し、幾らかの問題に直面しながらも、神からの祝福と助けをいつも感じていました。そして、エホバの証人から排斥されてからでさえも、たとえ問題が起こるとしても、自分に対する神の祝福は、ずっと感じています。
 
 
 ですから、神に敬虔な態度で神に専心し続けることは益があります。神に全き専心を捧げるならば、エホバ神から見守られ、わたしたちが抱える問題に関してエホバ神は喜んで助けてくださるのです。(歴代第二16:9)わたしは決してお金持ちではありませんが、将来の希望があり、おおむね幸福です。
 
 
 
 そして、世の信仰のない人々が、神の言葉を知らないために、さまざまな苦難に直面しているのを見るにつけ、神の言葉を知っていることは自分が落とし穴に落ちるのを防止し、大きな益になっていると感じます。そして、わたしはどんな苦難に直面しても頼ることのできる方がいるのは、大きな強みです。
 
 
 
 でも、わたしたちが総合的に、良い結果を得るためには、エホバ神への信仰を保って、その助けをいただく必要があります。では、聖書は、エホバ神がどのような神であると描写しているでしょうか。エホバ神から祈りを聞いていただくためには、どのようにする必要がありますか。
 
 
 
​(2)エホバ神はすべての物を創造された全能者なる愛の神​
 
 
 
 日本人の場合、死んだ先祖を神として崇拝する場合が多いです。例えば、靖国神社では、日本のために貢献して命を落とした兵士や他の人々が崇拝されています。また、天皇を神の子孫として崇拝する場合もあります。また、山や木などの自然界の事物を神として崇拝することがあります。
 
 
 
 


日本人は死んだ先祖や偉人を崇拝する場合が多い​
 
 
 
 
  しかし、聖書の神エホバ神は、人間ではありません。人間は聖書の中で「死にゆく人間」が「草」や「野の花」のようにはかないと述べられています。(詩編103:15)






​​                        人は必ず死にます​​​ 


Guymartin1 
​​人間は野の草や花のようにはかなく短命で終わります
​人間を崇拝しても頼れない​




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  また、聖書は人間は死ぬと「土に戻る 」と述べています。(創世記3:19)ですから、死者に祈っても、何にもなりません。土に戻っている人は生きている人間のために何もすることができません。聖書の神は、人間が死んで神になったわけではありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Toshihiro Gamo
 
原典
English: Japanese book "Asahi Historical Photographs Library: War and People
 
1940-1949 Vol.4" published by Asahi Shimbun Company. 
 
 
日本語: 朝日新聞社「朝日歴史写真ライブラリー 戦争と庶民1940-1949 第4巻」より。
 
なお、この写真は既に公表済である。 護送バスの中のA級戦犯たち
 
​​死者を崇拝しても・・・​​
 
 
 
 
​​土に戻っており生きている人のために何もできません​​
 
 
 
 
 
 一方、聖書の神は、「永遠」の昔から「永遠」の将来にわたって生きておられる方です。(詩編90:2)神は、この世界に時間が存在する前から存在しておられた方です。
 
 
 
  聖書の最初の本創世記には、「初めに,神は天と地を創造した」と書かれています。(創世記1:1)エホバ神は万物の創造者です。エホバ神は人間の住む地球や太陽系が含まれている宇宙全体を創造されました。(詩編148:3,5;146:6)
 
 
 
 
 


​エホバ神は太陽と月と星を創造された万物の創造者




永遠に生きておられる全能者​​
 
 
 
 
  エホバ神はまた天の星と地球と、その上に存在するあらゆる植物と動物と海の生物を創造されました。
 
 
 
 
                                       
 


​​エホバ神は地と海の創造者​​
 
 
 
​海とその中の生き物と・・・​
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​地上の動物と植物を創造された​​
 
 
 
 
 神はご自分について、「膨大な活力と驚異的な力を持っている」と言われています。(イザヤ40:26)エホバ神は、全宇宙を造られた計り知れないエネルギーを持たれる方です。全宇宙の物質のエネルギーは、エホバ神のエネルギーの一部が物質化したものです。
 
 
 
 ですから、エホバ神は「全能者」で、どんな人間も、また、悪魔サタンや悪霊たちにしても、誰もエホバ神の力に対抗することはできません。(啓示4:8)もちろん、わたし自身はか弱い人間ですが、エホバ神はか弱い人間をご自分の僕として用いてご自分のご意志を行わせることができます。
 
 
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(3)エホバ神はわたしたちの命の源​
 
 
 
 
  さらに、エホバ神は、太古の昔に中東の「エデンの園」に最初の人間夫婦アダムとエバを創造されて置かれました。(創世記2:15)現在、地上に生きているあらゆる国籍と民族の人々は、アダムとエバの子孫です。ですから、エホバ神はわたしたちの「命の源」です。(詩編36:9)
 
 
 
 


​​人類は最初の人間夫婦アダムとエバから派生してきた​​
 
 
 
 


 
Tomb of Eve, photograph found in The story of a Pilgrimage to Hijaz by Nawab Sultan Jahan Begam, Calcutta 1913, p. 86-87
 
サウジアラビアのメッカの西70kmにはエバの墓とされる墳墓があるー上図は1913年の写真ーエバエデンの園から追放されてアラビアで生活したことも考えられる​​
 
 
 
 
 
​  エホバ神は、人間の体の造りと、人間が心身ともに健康に暮らせるかについて、誰よりも、人間自身よりもご存知です。ですから、人間は、将来エホバ神によって天で不滅の霊者として、また信仰のない人々は、この地上で人間として復活させられます。それで、人が死ぬのは悲しいことですが、私たちはエホバ神による死者の復活の約束があるので、過度の悲しみに飲み込まれないようにできます。(ヨハネ5:28,29)



(4)エホバ神はサタンと悪霊の崇拝に反対される 



     悪魔サタンや悪霊を崇拝しても、彼らは人間の福祉を願っているわけではないので、現在と将来の命を失う結果になるだけです。彼らは「人殺し」で人間の命のことを決して大切に考えてはいません。(ヨハネ8:44)






​サタンはアダムとエバから永遠の命を奪った人殺しで人間の幸福を願ってはいない​



 
 また、悪魔サタンや悪霊は死者が霊として生きているという偽りで人間をだまして、自分たちを崇拝させるよう取り計らっています。(ヨハネ8:44)
 
 
 


​アダムとエバは罪を犯したために老人になり死んで土に戻った​

 
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昔悪霊は死んだ預言者サムエルのふりをしてサウル王の前に出てきた​
意識のある死者のふりをしているのは悪霊



Tojo before the International Military Tribunal for the Far East
 
 死んだ人の霊を慰めるという目的で大勢の人を殺害した人を記念するなら悪霊を崇拝することになりエホバの不興を買う
 
 
 
 
​​(5)エホバ神はご自分を偶像になぞらえて崇拝されることは受け入れられない
 
 
 
 人間はエホバ神に近づくと、滅びてしまいます。ですから、私たち人間はエホバ神を、見ることができません。 (出エジプト33:20)ですから、何か目に見える物をエホバ神になぞらえるのはとんでもないことです。
 
 
 
 
  神をどんな物体になぞらえることができません。エホバ神は、「私はエホバ。それが私の名。私は・・・自分の栄誉をどんな彫像にも与えない。」と言われています。(イザヤ42:8)エホバ神は、偶像をご自分になぞらえて崇拝するのをきらわれます。
 
 
 
 
 
上の図は雷の神―エホバ神はご自分を上の雷の神など何かになぞらえて崇拝されることを認められない​​
 
 
 
 
 
 
 エホバ神は、霊の体をお持ちです。また、光の神とも言われています。「神は光であり、神の中に闇は全くない」と聖書に書かれています。(ヨハネ第一1:5)霊者のみ使いはエホバ神を見たり話をしたりすることができます。
 
 
 
 


​​エホバ神は天におられる光の神​​
 
 
 
 
 
  エホバ神だけが私たちの崇拝に値する創造者なる全能の神です。わたしたちはエホバ神だけを崇拝しましょう。
 
 
 

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