ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

祈りを聞かれたわたしヨハネの経験と世界の苦難を緩和するための祈りの重要性

​祈りを聞かれたわたしヨハネの経験と世界の苦難を緩和するための祈りの重要性



​(1)祈りを聞かれたわたしヨハネの経験​​
 
 
 
 私たちはあらゆる事柄について祈るべきです。聖書は「絶えず祈ってください」と勧めています。(テサロニケ第一5:17)
 
 
 
   わたしも、ある祈りに関しては、劇的に聞かれることを何度も経験してきました。例えば、台風などの被害が大きくならいないようにという種類の祈りは、劇的に聞かれることがよくあります。わたしは以前は台風が毎年来る地域に住んでいたので、台風についてはよく祈りました。
 
 
 
 すると、ある場合は、わたしも驚きましたが、台風が気象衛星の天気図から突然、ほとんど消えてしまったことがありました。そのことを話すと、ある人はそうなったことを認めてくださいました。また、別の時には、台風がある地域からすごいスピードで過ぎ去って被害が大きくならなかったり、ほとんどなかったりしたこともあります。
 
 
 
 


台風に関する私の祈りは聞かれることが多いです
 
 
 
 
 
 
 
 ある地域がすでに甚大な被害を受けたので、今度はそこには台風の被害がないようにと祈ると、台風がその地域をそれたりしたりしたことも何度もあります。
 
 
 
 しかし、ある祈りが劇的に聞かれるのは、台風関係だけではありません。気の毒に思う他の人々のために祈ると、それらの人々のために少しだけすぐに事態が良い方向に動いたことが分かったりします。他の個人的な事な祈りも、すぐに、あるいは、時間をある程度かけた後、聞かれたりします。
 
 
  例えば、ずいぶん前のことですが、冬のコートを春になってからセールで格安で買いました。でも、もう冬が過ぎていたので、そのコートを着るチャンスがありませんでした。


 それで、寒くなってこのコートが着れるようにと祈りました。すると、季節外れに寒くなって雪が降って、そのコートをその時に着ることができました。エホバ神は信仰を持つ人々の必要を不信仰な人々の必要よりも優先されます。
 
 
 
 わたしが捧げるある種の祈りが劇的に聞かれるのは、一応、わたしはエホバ神に専心していて、神の律法を守り、偶像崇拝や淫行などを避けているからだと思います。


 でも、わたしも不完全ですから、若い時から、完全に神の基準に適合してきたわけではなく、今もそうであるわけではありません。でも、足りない部分は、キリストの贖いの犠牲に基づいて、エホバ神に罪の許しをお願いします。 
 
 
 
 また、他の信仰を持つ人によって自分の個人的なことについて祈っていただくと、やはり、少しだけ事態が良い方向に動いていくということが何度もありました。複数で祈ると祈りが聞かれやすくなるようです。


 イエスは複数の人の祈りが聞かれやすいことを次のように言われました。「
地上にいるあなたたちのうちの2人が,どんな重要な事柄でも,同意して願い求めるなら,天にいる父によってその通りになります。」(マタイ18:19)

 

 

  

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ふたりか三人の神に是認されたクリスチャンが祈る時に神はその祈り

           を聞いてくださる

 


 
 わたしももちろん、気の毒に思う他の地域の人々のために祈ります。でも、わたしは台風などの際には、通常、エホバ神に信仰をもって祈る人がその地域にいる場合に、聞いてくださいと祈ります。それで、その災いが起きる地域の人々が自分で信仰をもって自分たちの上に熱心にエホバ神の憐みを祈り求めるのが当然だと思います。
 
 
 
 私も、世界のすべての災いについて祈っているわけにはいかないからです。四六時中あらゆることについて、祈ってばっかりいなければならなくなり、通常業務ができなくなります。でも、祈りはそうしてもいいくらい重要ではあると思います。そして、わたしがすべての重要なことについて気づいているわけではないと思います。
 
 

(2)201910月の台風19号について祈りが聞かれた経験


  追記をします。2019年台風19号が1012日に日本全体、とりわけ関東地方に向かっていました。大型の勢力の強い台風ということになっていて、最大風速が最初は50kmはあり、最大瞬間風速は、最初は75kmくらいだったと思います。それで日本全体に壊滅的な打撃を与えることが心配されていました。



 スピードがのろくて30kmでした。それで、ネットの気象情報をチェックしながら何度も祈りました。

 

 

 とりわけ、日本には過去のはなはだしい流血の罪と現在の不信仰と偶像崇拝の罪があるので、これからも私は日本人が創造者に信仰を持つよう努力をし続けますから、キリストの贖い犠牲を適用して、自分を含め日本人の罪を許して台風のダメージが大きくならないように祈りました。


 いつも衛星画像をチェックしましたが、台風の勢力は少しずつ弱まっていきました。また、台風の雲の範囲は少しずつ小さくなっていきました。12日の夜は、メディアでは、一晩中雨が降り続けて、大変な雨量になることが心配されていました。


 12日の夜は眠たくて早く寝ましたが、夜中に風が激しかったので、床で台風がスピードが速くなって雨雲と共に早く過ぎ去るようにと祈りました。たぶん、それが夜中の真夜中12時の前だったと思います。でも、その祈りは、すでにもう何度もしていました。



 夜中2時半ころ起きると、外では雨も風もなかったので、ネットで気象庁のサイトを確認しました。


 すると台風のスピードは55kmになっていました。そして、雨雲は関東地方以西からほとんどなくなっていました。夜中の131216分には関東地方への大雨特別警報は警報に切り替えられていました。ですから、エホバ神はわたしの祈りを聞いてくださって台風がスピードを出して過ぎ去るようにしてくださったんだと思います。


 台風はその時には、東北地方で豪雨を降らせていました。ですから、東北地方の人のためにも祈りました。


 もちろん、今回も何らかの死者や家屋の被害や停電被害は出たと思います。でも、祈ってエホバ神をなだめてその助けを祈り求めたので、その災いは日本が壊滅するような極端なことにはならなかったと思います。


 おそらく他にも祈った人々がいたと思います。このような経験は何度もしました。祈って台風がものすごいスピード、70km80kmくらいのスピード早く過ぎ去るということも何度かありました。それで、台風関係の祈りは、必ずだいたいある程度は聞かれます。でも、通常、おざなりな一度だけの祈りではだめで、何度も祈らなければならないです。


 でも、このことは、不信仰な人は、認めないか、偶然だと考えたり、あるいはそれが起きたことは認めても、それでも、聖書とその神に反対すると思います。聖書の中で書かれていることは、人間社会の現実で、これは、聖書時代だけでなく、このわたしたちが住む現代にも起こりうることだからです。


 というのは、1世紀もイエスがさまざまな奇跡を行われました。それで、エルサレムの宗教指導者たちは、イエスがさまざまな奇跡を行っていることを認めざるを得ませんでした。(ヨハネ11:47,48)


 しかし、それでも、ユダヤ教の指導者たちは、物事を間違って推論して、信仰がマイナスになると考えて、イエスに反対し続けました。そして、最後には、イエスを杭につけて殺してしまいました。彼らは間違った推論をしたので、間違った行動をして、ユダヤの国に災いをもたらしました。 


 それで、これからも祈るとエホバ神は聞いてくださると思います。そして、わたしも人々が神への信仰を持つように努力をし続けると思います。でも、多くの人はやはり、起きたことを偶然だと考えたり、たとえ実際にそのようになったと考えても、信仰が自分たちにとって不利になると考えたりするんだと思います。


 あるいは、他の人は神の律法を守って偶像崇拝や性の不道徳をやめて、神を認めて生活するのがいやなんだと思います。それで、ある人々は奇跡的なことが起こることを認めても、その背後におられる神を認めることをしないと思います。あるいは神が働かれたということを認めず、偶然にそうなったと考え続けられると思います。

 
 
 
(3)祈ることによる益と必要性
 
 
 祈りは万能薬ではなく、それによって世界の問題が全部即座に解決するわけではありません。サタンが世界を支配し続ける間、神の王国が支配を始めるまで、世界の苦難はエンドレスだからです。
 
 
 
 聖書は「全世界は邪悪な者の支配下にあります 」と述べています。(ヨハネ第一5:19)全世界は、「天にいる邪悪な天使の勢力」とこの地に住む「悪人」の強い影響下にあるので、それらの者たちが存在し、また、悔い改めない限り、この世界の苦難は続きます。(エフェソス6:12)
 
 
 
 
 
​悪霊たちと神の律法を守らない人々が存在し続ける限り世界の苦難は続く​
 
 
 
 
 
 
 さらに、世界中の人々は、罪を犯したアダムとエバの子孫である罪人なので、全世界の人々が年を取り、病気になったり、事故にあったりして、死に続けていくことを私たちの誰も阻むことはできません。(ローマ5:12)
 
 
 
 
 
​​      人類は罪人になったアダムとエバの子孫なので・・・

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The grave of movie director Ozu Yasujirō (小津安二郎) at the Engaku-ji temple, Kita Kamakura.

​​人間が死に続ける事態を誰も止めることはできない​
 
 
 
 
 
 
 
 イエスが天で王として神から権威を授けられ、イエスの天的な希望の弟子たちが集められ、神の王国の政府の成員の数が揃って、天の神の王国が実現するまでは、人類の苦難の完全な解決はないからです。
 
 
 
 
 
 その時、イエスはこの地上から1,000年間サタンの影響を排除し、仲間の天の祭司たちと協力してご自分の贖いの犠牲を人類に適用します。(啓示20:6)そのようにして、人類が健康に永遠に生き続けられるように土台を据えられます。そのように神の王国によって神の支配が完全に行われなければ、人類の苦難はなくなることはありません。
 
 
 
 
 
 


​​神の王国の千年統治が始まって初めて人類の苦難は過ぎ去ります​​
 
 
 
 
 でも、祈りは現時点で、世界の苦難を緩和し、良い方向に向けたり、わたしたちとエホバ神との関係をより良いものにするのに貢献すると思います。 そして、祈りはわたしたちがあきらめてしまわないように助けます。
 
 
 
 
 祈りはわたしたちが最後までエホバ神に忠実を保ち、「忍耐」して救いにあずかることに貢献します。(啓示3:10)
 
 
 
 エレミヤ書にはこう述べられています。「単なる人に頼り,人間の力を当てにし,心がエホバから離れていく人は,災いを受ける。・・・エホバに頼る人,エホバを信頼する人は祝福される。 」(エレミヤ17:5,7)
 
 
 
 
 


​​エホバ神に頼って祈る信仰の人々はエホバ神から祝福を受ける​​
 
 
 
 
 
  ですから、物事は、わたしたちとエホバ神との関係が良いかどうかに依存して動く場合が多いと思います。エホバ神との関係が良ければ成功につながります。エホバ神との関係がよくないと、物事がうまくいかなくなると思います。
 
 
 
 
​(4)すぐに聞き届けられない祈りについてどう考えるか​
 
 
 
 でも、私もすぐには聞かれない祈りもあります。聖書によると、エリヤは雨が降るようにという祈りを聞いていただくために、同じことを七度祈ったと考えられます。(列王第一18:42-44)それで、祈りが聞かれるまで、辛抱強く何度も祈ることが必要です。簡単に一度だけ祈っただけでは聞かれないことがあると思います。その祈りに対するわたしたちの本気度も試されるでしょう。
 
 
 
 
 
​エリヤは雨が降るようにという祈りを七回祈ったかもしれない​

 
 
  さらに、エホバ神が存在しておられて、私たちの祈りが聞かれるという信仰が求められることもあると思います。聖書は、「神に近づく人は,神が存在し,熱心に仕えようと努める人たちに報いてくださる,ということを信じなければなりません。」とあります。(ヘブライ11:6)ですから、エホバ神に対する信仰は重要です。
 
 
 
  イエスはある祈りが聞かれなかったことの理由として「信仰が少ないからです」と説明されたこともあります。そして、「からしの種ほどの信仰があるなら,この山に,『ここからあそこに移れ』と言うとしても,それは移るのであり,何事も不可能ではありません 」と言われました。(マタイ17:20)
 
 
 
 


​​祈りを聞き届けていただけために少なくともからしの種粒のような小さな信仰も必要​​
 
 
 
 
 
 
 聖書には、「神は,私たちが神の意志に沿って願い求めることは何でも聞いてくださる」とありますから、エホバ神は愛の神であり、私たちの願いに考慮を払ってくださいます。。(ヨハネ第一5:14)また、エホバ神は、確かに私たちの祈りを聞く力を持っておられます。
 
 
 
 ですから、イエスは私たちに「常に祈り,諦めてはならない」ようにと助言してくださいました。(ルカ18:1)神のご意志に調和していると考えるならば、あきらめないで祈り続けることが必要です。私自身も、願っても今の所、聞き届けていただけていない祈りがあるので、あきらめないで祈り続けたいと思います。
 
 
  しかしながら、聖書は聞き届けられなかった祈りについても記述しています。ダビデは、姦淫を犯した後、神から子供が死ぬと宣告されました。(サムエル第二12:14)ダビデは、子供のために熱心に祈りましたが、その祈りは聞き届けられませんでした。また、パウロは個人的な身体的な問題に関して祈りが聞かれなかったようです。エホバ神は、パウロに対する過分の親切は十分だと言われました。(コリント第二12:9)
 
 
 いずれにしても、二人とも祈りが聞かれなくても、エホバ神のことを悪くは思いませんでした。(サムエル第二12:16-20。コリント第二12:7-9)自分の罪深さを反省していた事と、自分の祈りの多くがそれまでに聞かれてきて、エホバ神から十分祝福されていることを自覚していたからだと思います。
 
 
 
 
 さらに、エホバ神はパウロのその祈りを聞かれない方が、エホバの力がパウロに十分に働くと言われました。ですから、その祈りが聞き届けられない方が全体的な結果はその方が良いということもあります。ふたりは自分に対するエホバ神のご意志に異議を唱えませんでした。
 
 
 
   基本的にエホバ神はわたしたちの祈りを聞き届けてくださいますが、そのようにされない時に、理由があると考えられます。私たちは、エホバ神がわたしたちのために与えてくださった命や過分のご親切の祝福を考えると、エホバ神に対して感謝と賛美の気持ちを持ち続ける理由があります。
 
 
 
 
​(5)神に是認される立場を保ち重要なことについて祈りそのために努力する​
 
 
 
 誰かが、例えば、わたしがすべての重大な物事を把握しているとは限らず、わたしも、重要なことで見落としていることがたくさんあると思います。でも、世界にはとても重要なことがたくさんあります。それで、世界で祈るべき重大なことが起きていると気づく人が、そのことについてエホバ神に祈るべきだと思います。
 
 
 
  聖書は、「あらゆる種類の祈りと祈願を捧げ,どんな時も聖なる力に導かれつつ祈りましょう。祈ることを常に意識し,いつも聖なる人たち全てのために祈願を捧げましょう。」と私たちを励ましています。(エフェソス6:18)
 
 
 
 そして、各自はエホバ神に祈りを聞き届けていただきたいなら、神の律法を守り、神の言葉に従って、エホバ神の是認が保たれるように努力することが必要です。(格言28:9新世界訳改訂版)
 
 
 
 それで、自分が分かっている重要なことの解決について、自分の力だけに頼るのではなく、エホバ神に頼ることが必要です。「心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。どんな道を行く時にも神のことを考えよ。」と聖書は勧めています。 (格言3:5,6)エホバ神は私たちの誰よりも賢く、全能者なのですから、他の何者でもなく、エホバ神にその問題を知らせて、解決を仰ぐことが必要です。
 
 
 
 そして、祈ったならば、何でもその祈りに調和した行動をすることができます。各自の祈りに調和した行動は、エホバ神がその人の祈りをより一層、聞き届けやすくします。わたしたちは、全能の神エホバ神に信仰を保ち、キリストの贖いの犠牲に頼りながら、祈り続けていきましょう。
 
 
 


 
キリストの贖いの犠牲に頼りながら祈り続けていきましょう​
 

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