異教の帝国の支配下にいるクリスチャンたちは独立を求めることなくどのように迫害や圧政に対処したらいいのか
【見出し】
(1)アルメニア人はオスマントルコの支配に協力して繁栄していた
(2)イエスはご自分が捕縛されても剣をとって戦うように勧められなかった
(3)話し合いや投票や請願などの平和的な方法は認められている
(4)平和的な方法では事態を解決できなかったらその場所を逃れる
わたしは移動先として銅の国の山岳国アルメニアを検討してみました。
アルメニア人は、一時異教のイスラム教のオスマントルコ帝国のもとで繁栄していました。でも、アルメニア人は徐々に聖書の知恵の言葉から離れて、暴力的軍事的に行動するようになりました。
その結果、アルメニア人は、19世紀の終わりと20世紀の初めに、100万人から150万人のアルメニア人が幾度かの虐殺で命を失う結果になりました。
では、聖書はどこか他の異教の国のもとで住んでいる難民が住んでいる場所の政府に対してどのように行動するように勧めているでしょうか。聖書の原則を説明します。
(1)アルメニア人はオスマントルコの支配に協力して繁栄していた
アルメニアは世界で最初のキリスト教国を作って一時は大いに繁栄しました。でも、ローマ帝国によって大アルメニア王国が滅ぼされてしまったために、アルメニア人は、各地に離散しました。でも、異教徒に寛容なペルシャ王朝のもとで繁栄していました。
聖書の中でも、エホバ神を崇拝していたユダヤ教のエステルやモルデカイなどがペルシャの王権に服し協力して平和に過ごし繁栄していたことが記されています。(エステル9:29-31;10:2,3)
そして、箴言にも、「我が子よ,エホバと王を恐れよ。変化を求める者たちと掛かり合いになるな。 彼らの災難は余りにも突然に起こるので,変化を求める者たちの消滅にだれが気づくであろうか。」という言葉があります。(箴言24:21,22)
それで、王が異教の政権であっても、軍事的に蜂起したり、暗殺などの方法で政権の転覆を求める人は突然の消滅というような災難が起きると警告されています。
モルデカイもエステルもこの聖書の箴言の言葉を知って従っていたはずです。ですから、エステルやモルデカイがペルシャ帝国の中で特権を与えられたとしても、ユダヤ人たちはペルシャを倒して、自分たちが政権をとったり、ペルシャをユダヤ人の王国にしようとは考えなかったのです。
さらに、ペルシャ政府の役人だったハガイやネヘミヤもペルシャの支配権に服して、ペルシャの王と協力してエホバの崇拝を推進しました。
(2)イエスはご自分が捕縛されても剣をとって戦うように勧められなかった
さらに、1世紀にイエスは、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人に対してローマ帝国に対して反抗して剣をもって戦うことを戒めました。
イエスは剣をとって戦ってご自分の捕縛を妨げようとしたペテロに対して次のように命じられました。「剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。」(マタイ26:52)
イエスは剣をもって戦ってご自分を守ろうとしたペテロに剣を用いて戦うことのないようにと戒められた
クリスチャンは、剣をとって戦って他の人を傷つけたり、殺したりすることを禁じられています。そして、ローマ帝国にふさわしい税金を払って平和的に服するようにと勧めました。(ローマ13:7)
また、イエスはピラトに証言された時に、ご自分の王国が「この世のもの」ではないと言われました。
クリスチャンの王国は目的を達成するために剣で戦うことはしない
そして、「わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。」と言われました。(ヨハネ18:36)
戦争をして戦闘能力で強い者が政権を奪取するのは、サタンの世の王国の方法です。しかし、イエス・キリストはクリスチャンに対して武力をもって政権を奪取するというようなことを決して勧めなかったのです。
イエスの追随者たちは、王国の良いたよりを宣べ伝えることにより、エホバ神とイエスキリストに従って平和的に生活します。
イスラエルが神との特別な契約関係にあった時には、イスラエルは異教の諸国家と戦って政権を確立しました。
でも、イエスが到来された後は、特定の国家、もしくは特定のグループが軍事力によって政権をとることはクリスチャンに勧められませんでした。
人々がどこの国家や民族に属していようと、まず、第一にエホバ神とイエスに従い、第二に自分が生活している地域の人間の上位の権威に従うことによって、神の取り決めに従うのが、クリスチャンのやり方です。
聖書はクリスチャンに対して、次のように勧めています。
「すべての魂は上位の権威に服しなさい。・・・ したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。」(ローマ13:1,2)
ですから、上位の権威が、宗教が異なり異教であっても、軍事クーデターや暗殺などによって上位の権威に逆らう立場をとることのないようにと助言されています。聖書は上位の権威に服するようにと勧めています。
ですから、聖書は、クリスチャンが離散して異教のある帝国のもとで暮らしている場合、その中で独立して国家を作ることを勧めてはいません。キリスト教の国家を建設する必要はありません。
現存する上なる権威の王に軍事的に反抗するようなことは勧めていません。かえって王を恐れるようにと勧めています。
(3)話し合いや投票や請願などの平和的な方法は認められている
年長者たちの話し合いや投票などで政権に立つ人を平和的に決めたりなど物事を決めるという方法は、聖書の中で認められている方法だと思います。
さらに、権威のある人にお願いをするという平和的な方法も認められています。(ルカ18:2-5)
神の王国の希望を持っていたアリマタヤのヨセフは、イエスを処刑するという行動をする投票をしないことによって自分の立場を明らかにしました。(ルカ23:50,51)聖書は自分の立場を表明する方法として投票を容認しています。
それで、投票が行われて民主的な方法で物事が決められていくことに聖書は反対していません。民主的な方法で、イエスを死刑にすることが決められたとしても、イエスはそれに武器をとって反対しようとはされませんでした。
「助言者が多いところには、救いがある/達成がある」という言葉があります。(箴言11:14;15:22)「相諮ることによって計画は堅く建てられる」とあります。(箴言20:18)
ですから、ひとりで決めるのでなく、複数で話しあって決める方が成功につながりやすいと聖書は述べています。
ですから、委員会や議会で平和的な話し合いで政策を決めていくことも聖書は認めています。
聖書はそのような平和的な方法で物事を決めて進めていくということは認めていますが、武力や権力で、血を流して無理やり政権を奪ったり運営することは勧めていません。
(4)平和的な方法では事態を解決できなかったらその場所を逃れる
では、もし、クリスチャンがどこかの都市で迫害されたり、軍事攻撃を受けて命を脅かされるなら、どうしたらいいでしょうか。イエスは、「人々がある都市であなた方を迫害するときには,別の都市に逃げなさい。」と助言されています。(マタイ10:23)
ですから、フランスのビシー政権がナチスが攻撃してきた時に、パリから逃げ出しましたが、それは聖書にも調和していました。そして、結果的にフランスは国家が滅亡することもありませんでした。
それで、どこか外国あるいはどこかの人々により、迫害されたり、軍事攻撃を受けるならば、それらの軍隊あるいはグループに軍事的に立ち向かうのではなく、その場所から他の場所に逃げることをイエスは助言されています。
これが、殺人という神に対する罪を犯さない方法です。命さえあれば、また、別の土地で、新しい生活を築くこともできます。以前よりももっと自由で産出的な生活を送れるかもしれません。
それで、異教の人々から迫害や攻撃を受けても、向かい打って戦うことなく、共存共栄するか、あるいは逃げて平和に過ごす生き方を聖書は勧めています。
でも、アルメニアではそのような方法がとられることなく、聖書で勧められていない方法が取られてきました。その結果、キリスト教国家が設立されて滅びるということが歴史の中で繰り返されています。
ですから、わたしがアルメニアに行くと同じことがまた起きて、わたし自身が難民にならなければならなかったりするかもしれないと思います。
それで、とりあえず、アルメニア以外の国々、中央アジアやその他の中近東の国々や地域も移動先として検討してみたいと思います。