イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(6)是認される油そそがれた者は証人の中にだけいるのですか
エホバの証人の統治体は、神に是認される聖霊で油そそがれたクリスチャンは自分たちエホバの証人の組織の中にだけ存在すると主張しています。そうなのでしょうか。考えてみましょう。
まず、証人たちは、自分たちの組織や統治体についてどのように考えていますか。
(1)統治体はご自分たちがどんな一世紀の型に倣っていると主張していますか
エホバの証人は、ご自分たちの組織は、初期クリスチャンの組織を模倣していると考えておられます。JW.orgのサイトのエホバの証人についてーよくある質問には、「エホバの証人の統治体とは何ですか」という項目に、『1世紀には「エルサレムにいる使徒や年長者たち」がクリスチャン会衆全体のために重要な決定をしていましたが,統治体はその型に倣っています。』と付け加えられています。(使徒 15:2) 統治体は、エホバの証人の組織を指導しています。
統治体の兄弟たちは、「エルサレムにいる使徒や年長者たちの型に倣って」いると考えています。それで、証人は、初期クリスチャンが、エルサレムにいる使徒や年長者たちによって一元的に指導されていたと考えています。
(2)証人たちは啓示の七つの星と七つの会衆は何を表すと主張していますか
ものみの塔の2012年には、「覚えていますか」というコーナーで、「啓示 1章16,20節の,イエスの右の手にある「七つの星」は,だれを表わしますか。」という質問に対して、「会衆内の,霊によって油そそがれた監督たち,さらに言えば,すべての監督たちを表わします。―10/15,14ページ。」と注解されています。
2019年1/15ものみの塔の「エホバの言葉は生きている」の『「啓示」の書の目立った点 ― 1聖句についての質問に答える』の中には、「七つの霊」という表現は何を示唆していますか。」という質問の中に、「七つの会衆」にあてられた音信は結果的に,全地の10万以上の会衆に集う神の民すべてに当てはまります。(啓 1:11,20)」と注解されています。
そして、統治体が、現代において、エルサレムにいる年長者団のグループを表していたので、統治体の指導のもとにあるエホバの証人の組織は、初期クリスチャン会衆全体に予表されていた組織であり、啓示の書の七つの会衆だと考えています。そして、統治体の兄弟たちの指導のもとにあるエホバの証人だけが、今日の神に是認されたクリスチャンの組織だと考えています。
わたしはエホバの証人が、初期クリスチャンに見倣うよう努力をしているのはいいことで、聖書的だと思います。多くのキリスト教会は、新約聖書から背教した後期のキリスト教会の伝統に従っています。でも、今日のクリスチャンのグループが従い見倣うべきなのは、確かに新約聖書に出てくる初期クリスチャンの会衆だと思います。
しかしながら、エホバの証人は、他のキリスト教の教会を含めて他の宗教の組織は、すべて、最終的には、神に裁かれて滅ぼされると考えています。そして、キリスト教会の人々が、皆、エホバ神から否認されていると考えています。そのためもあり、啓示の書の七つの会衆というのは、エホバの証人の組織だけであるとみなしています。
そのため、神に是認された聖霊で油そそがれたクリスチャンはエホバの証人の中でのみ、存在すると考えています。そのため、証人たちの組織から排斥されたクリスチャンは、神から裁かれた立場にあり、聖霊で油そそがれたクリスチャンの立場でなくなっていると考えておられるでしょう。
ご自分たちの組織から排斥したクリスチャンたちやその他のキリスト教の団体は、証人たちの観点から言うと、「大いなるバビロン」であるとみなしています。そのため、神から非とされており、まもなく、国連によって滅ぼされることになると考えておられます。
神から裁かれる大いなるバビロンは証人以外のキリスト教会と証人から排斥された人々ですか
しかしながら、神に是認される聖霊で油そそがれたクリスチャンはエホバの証人の組織の中にだけいるのでしょうか。
(3)一世紀のエルサレム会衆とアンティオキア会衆はそれぞれ自主的に活動していた
まず、初期クリスチャン会衆は、どのような形態で機能していたでしょうか。エルサレムの監督たちだけを中心にして活動していたでしょうか。聖書の記録、また、啓示の書は、必ずしも、初期クリスチャンがエルサレム会衆の監督たちだけを中心に活動していたわけではないことを示しています。
パウロとバルナバは、主にアンティオキア会衆を拠点として交わっていました。(使徒14:20-22;15:35)アンティオキア会衆のパウロは、人間としてのイエス・キリストと交わってきた真理において長い使徒たちが中心のエルサレム会衆の年長者団を尊重してはいました。(使徒16:4,5)
そして、割礼の問題の話し合いの結果、それに関しては、パウロとバルナバがエルサレム会衆の長老団から遣わされた代表者とされました。(使徒15:25,26)
でも、アンティオキア会衆は、必ずしも、いわゆる、本部であるエルサレム会衆の支部のように行動していたわけではありません。アンティオキア会衆は、直接キリストから指示を受けていました。
例えば、割礼に関する会議が開かれる前のことですが、使徒13章によると、アンティオキア会衆には、バルナバ、シメオン、ルキオのマナエン、サウロつまりパウロなどの「預言者や教え手」がいました。(使徒13:1)そして、記録によると、「神が聖なる力によってこう言った。『バルナバとサウロを私のために取り分けなさい。』」とあります。(使徒13:2)
ですから、神は聖なる力を通して、アンティオキア会衆に直接指示を与えて、パルナバとパウロを宣教奉仕に派遣しました。ですから、アンティオキア会衆は、エルサレム会衆の下部組織としてエルサレム会衆の指示のもとに、パウロとバルナバを宣教者として送り出したのではなく、エホバ神から直接指示を受けて行動していました。
そのため、バルナバとパウロが、宣教者として任命され、派遣され、ローマ帝国の各地で良いたよりを宣べ伝えました。アンティオキア会衆は、エルサレム会衆の指示で動くのではなく、イエスの直接の指示のもとに動いていました。
神は、エルサレム会衆の監督に個人的に指示を与えることもありました。例えば、エルサレム会衆の監督のペテロは、キリストから直接幻を受けました。(使徒10:9-11)でも、神は、アンティオキア会衆にも直接指示を与えて、ご自分のご意志を行なわせました。
また、聖書はある程度、エルサレム会衆とアンティオキア会衆の監督たちが平等な関係にもあったことを示しています。ペテロやヤコブやヨハネなどが中心であったエルサレム会衆は、パウロとバルナバなどが構成員であったアンティオキア会衆と、区域分けをしました。
ガラテア2章に、「柱と見なされていたヤコブとケファとヨハネが,私とバルナバと握手を交わし,こうして私たちは異国の人々の所へ,彼らは割礼を受けた人たちの所へ行くことになりました。 」と記録されています。(ガラテア2:9新世界訳改訂版)
アンティオキア会衆とエルサレム会衆は区域を分けて平等に活動していた
これは、エルサレム会衆が、必ずしも、宣べ伝える区域をアンティオキア会衆に指示したわけではありませんでした。エルサレム会衆は、キリストがパウロに「異国の人々への使徒 」として任命したので、そのキリストの任命を追認していました。(ローマ11:13。テモテ第一2:7新世界訳改訂版)アンティオキア会衆は、エルサレム会衆の長老団に敬意を払っていたとは言え、区域を分け合って、対等の立場に立っていました。
それで、エルサレム会衆の監督たちは、イエスが自分たちだけを一元的に用いるのではなく、他のクリスチャンに対しても直接指示を与えることを認めていました。
そして、アンティオキア会衆のパウロとバルナバは、エルサレム会衆から指示されたからではなく、飢きんの時に、ユダヤに住む兄弟たちを物質的に援助したことが記録されています。(使徒11:27-30)それで、アンティオキア会衆は、エルサレム会衆の支部のようにその指示のもとに行動するだけではなく、自主的に行動していました。
さらに、一世紀に諸会衆は、聖書から論じるアンティオキア会衆を拠点にするパウロの手紙をあちこちから、受け取って読みました。それで、エルサレム会衆の長老たちからの手紙も読まれていましたが、神の霊感を受けて書かれた書物として重んじられていたのは、主にパウロの手紙でした。
初期クリスチャン会衆によって重んじられたのは主にアンティオキア会衆のパウロの手紙だった
ですから、一世紀の諸会衆は、エルサレム会衆の長老団の一方的な指示だけで動いていたわけでは決してありませんでした。アンティオキア会衆も独自に自主的に行動していました。
ですから、一世紀においても、少なくとも、二つの是認された中心となるキリスト教の会衆が存在しており、互いに独立して自主的に行動していました。もっとも、二つの会衆には協力関係と互いに対する敬意がありました。しかし、その二つの会衆は、本部と支部の関係ではありませんでした。
ですから、昔のエルサレム会衆の監督たちの状況は、今日、エホバの証人の統治体の兄弟たちが主張するような立場であったわけではありません。霊的には、アンティオキア会衆のパウロにかなり助けられていました。そして、初期クリスチャン会衆は、エルサレム会衆の監督たちの影響下にだけあったわけではありません。
それで、もし、昔、エルサレム会衆の指導の下にある世界的な会衆が、啓示の書の七つの会衆であるとすれば、アンティオキア会衆の影響下にあった世界的な会衆は、七つの会衆の外にあるのでしょうか。そうではないでしょう。一世紀当時のクリスチャン会衆の状況は、ただひとつの会衆の監督団の指揮下にはありませんでした。
イエスは、少なくとも、エルサレムとアンティオキア会衆の両方に直接指示を与えられました。ですから、証人の統治体が今日のキリスト教の組織、すなわち「七つの会衆」の唯一の中心となっているという理解は間違っていると思います。