第六のみ使いがラッパを吹いた後に四人のみ使いが解放されます。(啓示9:15)その後、万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)前回の記事で述べたようにエホバの証人は、この騎兵隊を大群衆の奉仕者であると解釈しています。しかし、聖書をもっと調べると、文字通りの軍勢を意味すると解釈する方が妥当です。


 そのように解釈する方がなぜ妥当なのか、そして、解釈の間違いがどのような重大な結果を招き得るのかを今回は、ご説明します。そして、エホバの証人の聖書の解釈者がもっと聖句を詳細に参照することをお勧めしたいと思います。


(1)聖書は文字通りの戦いに関して何度も馬に乗る軍隊に言及している


 聖書は確かに文字通りの戦いに関連して何度も文字通りの「馬」に言及しています。そして、それは、諸国民の軍事攻撃に用いられる馬です。日本やドイツなどでは、第二次世界大戦中でも馬が用いられ、現在でも馬は治安維持目的にインドなど一部の国で用いられています。しかし、近年に至るまで戦いに馬が使われるのが普通でした。

 エレミヤ6章には、「北の地からやって来る」「ひとつの民」が登場します。「地の最果てから来る,目覚めさせられた大いなる国民」です。「残虐な民」で、「彼らはに乗ります」それは、「戦人のように戦闘隊形を整えて」「シオンの娘」を攻めます。(エレミヤ6:22-26)


イザヤ5章にも,馬に乗る軍勢への言及があります。エホバは、「遠く離れた大いなる国民」「地の果てにいるその国民」に「口笛を吹かれ」ます。「すると,見よ,それは急ぎながら迅速にやって来ます」。「その馬のひづめは必ず火打ち石とみなされ」ます。(イザヤ5:26-28)


このエレミヤ6章とイザヤ5章で預言されているのは、昔は背教したイスラエルを攻めるバビロンの軍隊を意味していました。ですから、聖書が馬に言及している場合は、文字通りの軍事攻撃に言及している可能性が高いです。


(2)馬はその軍勢の攻撃スピードがとても速いことを意味する


 昔は軍人が馬に乗ることにより、軍隊の移動の速さがとても早くなりました。聖書の中では、古代の馬はたびたび兵車と共に言及されています。(エレミヤ4:13)例えば、イザヤ5章の騎兵隊は、「急ぎながら迅速にやって来る」と述べられています。(イザヤ5:26)さらに、エレミヤ4章のエホバ神が起こされる騎兵隊については、「その兵車は暴風のようだ。そのは鷲よりも速い」と述べられています。(エレミヤ4:13)

 


 ネットの情報によると、競走は自動車とほぼ同じ時速60キロで走ることができて、最高時速は77キロまで到達すると言われています。また、長距離レースでも時速54キロのスピードで競馬場を駆け抜けます。 また、鷲が獲物を見つけて急降下する時に、そのスピードが時速130キロに達することがあるという報告があります。

 

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競走馬は六十キロで走ることができる
騎兵隊の馬はその移動スピードの速さを示す



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 バビロンの騎兵隊は移動スピードがとても速かった





 エレミヤ4章の騎兵隊は、鷲よりもスピードがあってすばやく突撃してきます。それで、馬や鷲への言及は,その軍勢が,とても迅速に行動することを示しています。ですから、このことは、啓示9章で言及されている騎兵隊の移動のスピードがとても速いことを示しています。


 そして、昔の戦いの場合は、馬が兵車につながれて、軍人はその兵車に乗って矢を放ったりして、その兵車から戦いました。また、その兵車そのものが武器を装備していたこともありました。ちなみに、兵車と戦車とは同じものを意味しているようです。(裁き人4:13-16)



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古代の戦争では兵車が用いられた




  現代の戦争では、馬が用いられることはほとんどありません。啓示の書はしるしによって預言されています。(啓示1:1)ですから、啓示9章の馬は、文字通りのものではなく、象徴的な物で、動物の馬ではなく、何らかの移動と戦いの装備を表わしているでしょう。


 そして、啓示9章の騎兵隊の馬がその口と尾によって人々を殺せたことは、騎兵隊が移動のため乗り物に人々を殺すための装備を持っていることを示唆しています。(啓示9:16-19)


 それで、二億の騎兵を地的な希望を持つ大群衆の奉仕者と解釈するのは間違っていると思います。二億の騎兵隊は、北の王によって率いられているおよそ二億の軍勢を表わしているとみなす解釈が妥当です。その軍勢がいったん登場するならば、その行動はとても迅速です。このことは、大いなるバビロンの滅びが一日で到来するという預言とも一致しています。(啓示18:8)



(3)二億の騎兵隊と他の啓示の書の預言やダニエルの預言との調和


 当然、啓示9章の二億の騎兵隊に関する預言は、啓示の他の章とも調和しているはずです。啓示17章には、十本の角と緋色の野獣が「娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし」「火で焼き尽くす」ことが預言されています。(啓示17:16)


 ですから、啓示9章の二億の騎兵隊に関する預言は、啓示17章の預言が実際どのようになされるかを説明していると判断するのが妥当ではないでしょうか。



 さらに、ダニエル11章には、北の王が「終わりの時行なう最後の総攻撃について預言されています。その時、「北の王は兵車と騎手と多くの船とをもって強襲」し、その軍勢は、「多くの土地に入り,みなぎりあふれて通り行く」ことが預言されています。(ダニエル11:40)

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ダニエル書は北の王が無数の軍勢を率いて南を攻撃することを預言している





 この聖句では、「兵車と騎手と多くの船」と述べられています。これは現代の戦争なのですから、戦車や戦闘機や軍艦を意味しているのでしょうか。




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The Renault FT, the first "modern" tank




   この聖句の中で
NASBESBともに、'overflow' という語を用いています。同じ聖句に、NRSVは、'pass through like a flood'という語を使っています。ですから、この言葉は北の王が人海戦術に訴えることを示唆しています。


 さらに、NASBは、その部分を”the king of the North will storm against him"と訳しています。また、ESBは、”the king of the north shall rush upon him゛と訳しています。(ダニエル11:40)この'storm''rush'という言葉は、北の王の南に対する最後の軍事攻撃がとても迅速に行われることを示唆しています。


 そして、飾りの地」、つまり、キリスト教の根拠地も「多くの土地がつまずきに渡される」ことも預言されています(ダニエル11:40,41)


  ダニエル書と啓示の書の預言は調和しているはずです。啓示9章の二億の騎兵隊は、この時行なわれる軍事攻撃の際の軍勢を表わしているのではないでしょうか。ダニエル11章は兵車と騎手と多くの船が用いられることを預言しています。啓示9章には、その軍隊の兵士の数が二億にまで達して、その攻撃がとても迅速に行われることを強調しているのではないでしょうか。


(4)聖書の他の預言の言葉と結びつける


 この二億の騎兵隊は、最初は北の王によって「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」として設立されます。(ダニエル11:31)啓示13章では、その国際組織は、「子羊のような二本の角」のある野獣によって提唱される野獣の像です。(啓示13:11-14,15)すなわち、大娼婦を荒廃させる緋色の野獣です。(啓示17:16)


 聖書が最大の注意を向けているのは、イエスが天で王として即位される「主の日」であって、そのことを証明するものとなる出来事に関して調和した預言をしていると考えられます。(啓示1:10)エスは、ご自分が天で王になられる時に関連して「大患難」を予告されています。(マタイ24:21)


 北の王はこの国際的な軍隊を率いて、南の王とその同盟国、また、「飾りの地」、すなわち、山に逃げていないキリスト教の拠点都市を攻撃することになっています。(ダニエル11:41)


  ですから、こうして預言を検討すると、北の王が「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を設立した時点で山に逃げ始めるのが賢明です。(マタイ24:15,16)なぜなら、北の王に率いられる軍勢が最後に軍事攻撃をする時には、その攻撃は非常に迅速に行われると予期できるからです。


 そして、その軍勢の数が圧倒的になるので、立ち向かうことは決してできません。ですから、その軍勢が現れた時には、クリスチャン会衆で山に逃げる行動を素早くとるのが賢明です。そのようにして私たちは自分たちの命を守ることができます。そして、山でエホバ神の崇拝を行なうことができます。


(5)心のままに聖書の預言を解釈するとエホバ神から敵対される


  私たち聖書の解釈者は誰もが間違いをします。現代では、奇跡的な「解釈」ということはないからです。


 

 私は、エホバの証人が聖書の律法に従いたいという願いを持っているということを知っています。そして、聖書の預言の解釈の場合も、聖書に基づいて解釈したいと考えていると思います。しかしながら、聖書の解釈をする際に、間違ってしまうとその結果は重大なことになります。その間違いを指摘されても、その間違いにとどまっていれば、エホバ神によって敵対される結果になります。


  昔、エレミヤやエゼキエルは、エルサレムがバビロンによって軍事攻撃を受けることを預言しました。エゼキエル13章によると、その時に、エホバ神の言葉を受けていないのに、「自分の心のままに預言する者たち」がいました。それらの偽預言者たちはエルサレムの荒廃はすぐに終わり、バビロンに捕らわれになっていたイスラエル人は、すぐに帰還できると預言しました。(エレミヤ27:16;28:1-4)


 彼らは、「エホバに遣わされなかったのに、『エホバのお告げは』と言って」いました。しかし、エホバ神は、彼らが「不真実を語り、偽りを幻で見たので、」「わたしはあなた方に敵対する」と言われました。

 

 

 私は、エホバの証人は、聖書に基づいて解釈したいと誠実な気持ちで考えていると思います。しかし、聖書的な根拠を十分調べることなく、二億の騎兵隊を地的な希望を持つクリスチャンと解釈するとします。その解釈が間違っていると「不真実」や「偽り」を「心のままに預言する者たち」とエホバ神からみなされ、エホバ神から「敵対する」と言われてしまう危険があります。


 すると、エホバの証人の本拠地が最後の北の王の攻撃に巻き込まれる「飾りの地」となる可能性があります。

 

 

(6)どのように聖句を解釈する際にエホバに依り頼むことができるでしょうか


 箴言は、「心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神を認めよ。そうすれば,神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」と勧めています。(箴言3:5,6)

  わたしたちはどのようにして、聖書を解釈する際に、自分の理解に頼らず、心をつくしてエホバに依り頼むことができるでしょうか。その語句について聖書の他の書がどのように述べているかを詳細にチャックして、その上で、その箇所を解釈する必要があるのではないでしょうか。


 聖書の解釈者がどのような時に間違うかというと、聖書の解釈をする際に聖書ではなく、現代の常識に頼る時に、間違います。さらに、自分たちの経験にあまりにも注意を向けすぎると間違います。


 ですから、聖書を解釈する時に、徹底的にエホバ神のみ言葉聖書に頼ることにより、徹底的にエホバに依り頼んで初めて、エホバ神からの是認と導きをいただけますし、エホバ神からの救いにあずかれるのではないでしょうか。そのようにして初めて、自分の理解ではなく、自分のすべての道において神を認めより頼んでいることになります。そして、神からわたしたちの道筋を導いていただけます。


 
 

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Trounce

聖書を解釈する際に徹底的に聖書のみに頼り神に全き信頼を寄せることが勧められます





 

 エホバの証人の聖書の解釈者たちが聖書を解釈する際に、もっと時間をかけて詳細に聖書を調べてみることをお勧めします。