ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(15-2)人間に対しては相対的に服従しエホバ神とイエスに絶対服従を示す

 イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(15-1)でわたしヨハネが、聖書的に正しい言葉を語ったために、証人の正規開拓者を降ろされ、そのことが地域大会の劇に扱われた経験を話しました。

 

 今回の記事では、(1)クリスチャンは聖霊で油そそがれたクリスチャンにどのような立場を取るよう聖書は勧めているか、(2)長老たちが助言をする場合、ただ単に自分の権威に従うよう求めるのではなく、聖書の律法と原則を前面に出して、愛の気持ちから助言を与えるのが正しいことを論じます。

 

 さらに、(3)では、クリスチャンは人間に従うことは相対的に従うべきであって、上位の立場にある人間が神に不従順である場合は、絶対的に神に従うのが正しいことを話します。上位の立場の人の言うことが奇妙であっても盲従するということは間違っていることを話します。

 

 

(1)大群衆が聖霊で油そそがれたクリスチャンに敬意を払うことは聖書的に正しい


 聖書的に聖霊で油そそがれた監督と大群衆の監督とは同じ立場ではないと思います。聖書は大群衆が天的な希望のクリスチャンを中心に協力することを求めています。


 「油そそがれた者」に対して敬意を払わなければならないというのは、聖書に一貫して流れているポイントのひとつです。ダビデはサウル王が油注がれた者だったので、最善の努力を払って敬意を示しました。(サムエル第一24:6)

              

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ダビデはサウル王が油そそがれた者であるという理由で最善の努力を払って敬意を示したことは神に是認された





 また、大群衆は、聖霊で油そそがれたクリスチャンに敬意を払い、協力するように求めていることは、イエスの羊とやぎのたとえ話から明らかです。(マタイ25:31-34,40)

 

 

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大群衆の羊はイエスの兄弟に協力するように勧められている





 それで、その当時、なぜそのようなことが問題になったかというと、今もそうだと思いますが、その当時は、七つの星が聖霊で油そそがれた監督だけでなく、大群衆の監督も含むという解釈になっていました。解釈上、聖霊で油そそがれた監督と大群衆の監督が同じ立場に置かれていたと思います。イエスの右手が,イエスの霊的な監督を表すと解釈されていました。



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 エホバの証人の間では七つの星は監督たちだと解釈されている

この解釈は聖書的に不正確




 わたしは、イエスの右手の上にあるのは聖霊で油そそがれたクリスチャンの男女だと思います。決して大群衆の監督たちは含まれていないと思います。ところが、証人の統治体のその聖書の正確な理解からの微妙なずれのために、その当時、わたしの言葉が、大会の劇に使われて問題視されたんだと思います。

 



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エスの右の上の七つの星は天的な希望を持つ聖霊で油そそがれたクリスチャンの男女




 わたしが大群衆の長老の言うことよりも、統治体の兄弟たちの言うことを尊重するという言葉自体は、聖書的に正しい言葉でしたので、それが理由で、正規開拓者から降ろすというのは聖書的に不当だったと思います。それは、統治体の兄弟たちの不正確な聖書の解釈が引き起こしてしまった出来事だと思います。


   

(2)人間の命令や権威よりも聖書の律法や基準などを強調する必要がある


 聖書の律法や基準は無視したとしても、その助言の理由が理解できなくても、長老の権威に従うために、長老の言うことに盲目的に従わなければならないというような認識がその当時もあり、たぶん今もあると思います。ですから、大群衆の長老の権威が、神の言葉聖書の権威よりも上になっています。それは間違っています。


    イエスは、「人間の命令を教理として教える」こと、「神のおきてを無視して,人間の伝統を固守」することを非とされました。(マルコ7:7,8新世界訳改訂版)ここでイエスが言われた要点は、人間の命令よりも神のおきて、つまり、聖書が強調されるべきだということだと思います。ですから、人間である監督の権威と彼らの言うことが、聖書より強調されると間違っていると思います。


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聖書の言葉は他の人間の命令や言葉より高められなければならない




 わたしは、個人的な判断や決定に関しては、聖書的に正しいのは、わたしたち皆が、聖書の神の律法と基準に第一に従うことだと思います。


(3)エホバ神とイエスと聖書を第一にしなければならない


 服従の原則に関しては、確かに女性が男性に、男性がキリストに、キリストは神に従うべきだという原則があります。(コリント第一11:3新世界訳改訂版)この原則は、男性が、神とキリストに従わない場合は、女性は男性に対する不従順を意味しても、神とキリストに従わなければならないことを意味していると思います。第一の頭はエホバ神だからです。



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女性は男性に従いますが男性が神に不従順になる時には神に第一に従うのが聖書的





 また、基本的に、聖書は会衆の成員は、会衆の成員を教える立場に立つ長老に従うように指示しています。「皆さんを教え導いている人たちに従い,進んで応じてください」と聖書は助言しています。(ヘブライ13:7,17新世界訳改訂版)


 この場合も、長老からの助言は、聖書の神の律法や基準と調和している場合、従うべきだと思います。もし、長老が聖書の原則に不忠実であれば、会衆の成員はその長老に盲目的に従うのは間違っています。



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監督は間違った判断をすることがあり監督が言うことが聖書に調和している場合従うべき





 さらに、大群衆が天的な希望を持つクリスチャンに従ったり、協力する点でも、同じです。天的な希望を持つクリスチャンが、聖書的な律法や原則に従っていない場合、また、聖書を正しく解釈していない場合も、大群衆は天的な希望のクリスチャンに従うべきではないと思います。

 

 

 例えば、油そそがれた者ダビデが、神の律法に違反した時、預言者ナタンはダビデを戒めました。(サムエル第二12:5-10)


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ナタンは油そそがれた者ダビデが神の言葉に従わなかった時ダビデに盲従せずにダビデを戒めた




 人間に対しては相対的に従うべきだと思います。クリスチャンが絶対的に従うべきなのは、エホバ神とイエスです。(使徒5:29新世界訳改訂版)そして、聖書に第一に従うべきだと思います。聖霊で油そそがれたクリスチャンも第一にエホバ神、次にイエス・キリストの権威の下にあります。また、聖書を第一にする必要があると思います。


 

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聖霊で油そそがれた監督であってもその教えが聖書の律法と基準に調和しない場合は従うべきではない




 ですから、長老たちは、聖書の言葉を指摘して、聖書の言葉を適用するなら、このようにした方がいいのではないですかと、助言している本人が自分で推論して当てはめるような仕方で、助言するのであれば正しいと思います。長老は、自分の権威に従うことを強調するのではなく、会衆の成員の各々が聖書とエホバ神とイエスに従うように勧めるべきだと思います。


 もちろん、人は年をとると経験のゆえに自然知恵がついて賢くなります。聖書は、「経験のない人」が「聡明」さや、「知識」や「思考力」が欠ける場合があると述べています。(格言1:4新世界訳改訂版)ですから、監督たちがその年齢や経験のために、知恵ある助言をできる場合もあると思います。


 ですから、長老の助言に従うことが助言を求めた人の益になったり、保護や慰めになるから従うようにと勧められるのが正しいと思います。しかし、そのような根拠のために、ある行動を取るよう勧める場合は、そのようにするべき理由を説明するべきだと思います。ただ長老の権威に従うために従うのを求めるのは正しくないと思います。なぜなら、助言は助言される人に対する愛に基づいて与えるべきものだからです。


 また、もちろん、監督たちが求めることに、自発的に協力することは正しいと思います。例えば、彼らが取り決めるエホバの崇拝の促進に関係する大会や集会の取決め、宣教の取り決め、その他の取り決めには協力した方がいいと思います。組織的に協力して物事を行う方が、個人が独立してばらばらに行動するよりも、物事をスムーズに効果的に行えると思います。


 そして、エホバの証人の長老たちは、会衆で話をするからと言ってキリスト教会の牧師のようにお金の報酬を受けるわけではありません。それで、証人の長老たちの自己犠牲に感謝をするのがふさわしいというのも事実だと思います。(テモテ第一5:17,18)ですから、感謝のゆえに協力できると思います。


(4)その後どうなったか

 それで、その当時、わたしが20代だった時から、聖書の理解に関して、わたしと統治体の間で認識のずれがあり、わたしは後になって、私が30代の終わり頃になってイエスの右手の上にある七つの星が何を表すかについて統治体の兄弟に聖書から論じた手紙を書くことになりました。そして、手紙を書いた後、聖霊で油注がれているという自覚が強くなって、象徴物にあずかり始めました。


 それで、おそらく、エホバ神はわたしが少なくとも自分の観点からはエホバ神と聖書に忠実に従うように努力をしていることを見ておられて、後になってそのような聖書的に正確な理解をわたしに与えてくださったのだと思います。



 わたしを正規開拓者から降ろすことになった長老は、理由は知りませんが、後で排斥されてしまったことをお聞きしました。わたしは、その大群衆の長老は、聖書から少しずれていましたが、ある意味熱心で有能で家族を大切にされるもてなしの精神のある兄弟だったので、気の毒に思いました。実際わたしも食事招待でもてなしていただいたこともありました。



 その後にわたしは証人から排斥されたので、その兄弟が現在、どのようにされているかは知りません。ヨハネの経験は、また続きます。


(5)申し添えます


 確かに、エホバの証人は、組織崇拝の部分が一部あります。そして、聖書の解釈で一部間違っています。

 

 しかしながら、進化論を否定して創造者なる神の存在を教えていること、聖書が神の言葉であると教えて、信者が聖書に精通するように助けていること、性的な不道徳や偶像崇拝や殺人や輸血を非として神の律法に従うことを強調していることは褒められるべき点だとわたしヨハネはやはり考えていることを申し添えます。


 そして、証人が奉じている教理、三位一体の否定や心霊術の否定などの教理の多くは正しいと思います。



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エホバの証人の教理の一部が間違っていても創造者なる神エホバは存在されます



  さらに、証人たちの言うように将来、神の天の王国の下で地上はパラダイスになるというのも聖書の教えだと思います。でも、わたしは証人たちの言うように、まもなく楽園になるとは思いません。かなり遠い将来になると思います。


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証人の教えの一部は間違っていても証人の言う通り将来は地上はパラダイスになります







 このような経験をわたしヨハネがしたからといって、エホバ神が存在しないというわけではありませんし、聖書が真実であることが否定されるわけでもないと考えます。


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証人は基本性的不道徳を非としています
わたしたちがどんな経験をしても聖書は真実な神の言葉です