ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

日本が太平洋大戦中に犯した流血の罪の神からの許しと被害者からの許しをどのようにして得られるか​​




 わたしたちの祖父や父親の時代に、日本は、日中戦争や太平洋戦争で、何百万人、ひょっとすると何千万人ものアジアの人々の血を流しました。わたしは、日本人が、自分たちの父祖によって流されたアジアの人々の血の罪が命の与え主に対する罪であり、その罪を神に対して、また被害者に対してどのように償えるかを考えるべきだと思います。
 
 
 
 また、とりわけ、アジアの人々の命の血が流されたことを、自分たち日本人の失われた命を悲しむように悲しんで、覚えるべきだと思います。
 
 
 
​(1)すべての国の人の命が同等であるという聖書の教えと戦時中の日本人の考え方​
 
 
 
 聖書のキリスト教は、人類は創造者なる神から創造された一組の夫婦アダムとエバの子孫であつて、すべての国と民族の人々の神のみ前での価値は平等だと教えています。
 
 
 「1人の人から全ての国の人を造って地上全体に住まわせ …ました。」とあります。(使徒17:26)そして、聖書の教えでは、創造者が命の源であり、神は、他の人の命を奪うならば、その責任を問われます。(創世記9:5,6。ローマ14:12)
 
 
 
 
​人類は最初の人間夫婦アダムとエバから派生しているので …​

国籍や民族が異なってもその命の価値は同じ
 
 
 
 
 
  しかし、進化論の場合、ある民族と、別の民族は、進化の程度が異なっているということになります。上下があることになります。そして、日本人は、何千年もの間、天皇制が続いたために、戦前や戦時中は、天皇が神の子孫だと信じていました。そして、古事記日本書紀を真実の歴史だと信じていました。
 
 
 
 


​戦前の日本人はたいていイザナミイザナギの夫婦の神が日本を作り天皇は神の子孫であると信じていた​
 
 
 
 
 
 
 また、その当時の日本政府の思想教育の影響を大きく受けていました。日本人は、神の子孫によって治められている神国だと信じていたので、自国の国民が東アジアの人々よりも優れているという考え方をしていたと思います。
 
 
 
  しかも、太平洋戦争の前までは、日本は他国との戦争で連戦連勝だったので、とりわけ、自国の人々が優れているという考え方をしていたと思います。そのために、日本人は、その当時、人間は異なる国籍や民族であっても、その命は貴重でありその命の価値は同じであるという考え方をしてはいませんでした。
 
 
 
 日本人の場合、仏教徒神道信者か進化論者が多数派を占めています。キリスト教の聖書を信じる人は日本人の中では、ほんとに少数派です。そして、仏教も神道も基本的に命の与え主の万物の創造者なる神という概念がありません。
 
 
 
​(2)第二次世界大戦中のドイツのナチスヒットラーの行動の背後にあつた思想​
 
 
 
  第二次世界大戦の時に、ヒットラーは聖書やさまざまな宗教の教えについて調べました。そして、聖書の黙示録について、独自の解釈の仕方をしていました。伝統的に、ドイツは、カトリック教会の影響の強い国でしたが、その当時、ドイツ人は、ヒットラ―の率いるナチス党の思想教育に大きく影響されました。また、ヒットラーも戦争遂行のために、あらゆる手段を使って、自分が信じる思想をその当時のドイツ人に吹きこみました。
 
 それでその時代、ドイツ人はドイツ人が他の民族よりも優秀であると考え、他の国籍の人々の命を奪うことをなんとも思いませんでした。また、ヒットラーユダヤ人を劣等民族だとして、ユダヤ人を根絶するべきだと考えていました。
 



        ヒットラーの著書「我が闘争
ゲルマン民族が一番優れていて支配する立場にあると教えた
日本の神道が日本人支配の帝国を戦時中に唱道したのと似ている


 
 
 また、ドイツでは、ナチス党のヒットラーの崇拝が促進されました。いわゆる、ヒットラーの神格化が行なわれました。これは、日本の中で、天皇を神とする天皇崇拝が戦前に促進されたのと似ています。
 
 
​ 

​日本で天皇崇拝が推進されたのと同じくドイツではヒットラー崇拝が推進された​


 
 
 また、ナチス党は、占星術やオカルトに大きく影響を受けていました。ある占星術者は、ヒトラーお抱えの預言者としても活躍したということです。


エリック・ヤン・ハヌッセン
 
 
 
 
 


​​ヒットラーの時代に心霊術者がヒットラーのお抱えの預言者として影響を与えた​​
 
 
 
 聖書は、占いや魔術などを信じないように警告しています。(申命記18:9-12)
 
 
 
​聖書は占いや魔術などの心霊術を禁じている​​
 
 
 
 
 
 
 ヒトラーの片腕であったヒムラー民族主義的オカルティストに傾倒し、配下の親衛隊と古城でオカルト行為を行っていたということです。彼は、カトリック教徒でしたが、キリスト教や聖書を退け、異教に傾倒しました。 
 
 
 
 
 
 
 
 


     Bundesarchiv, Bild 183-S72707 / CC-BY-SA 3.0
​​ヒトラーの片腕ヒムラーキリスト教を退けオカルトに傾倒して残虐行為を行なった​​
 
 
 
 
 
 
 
 また、ヒトラーは表面上こそキリスト教徒でしたが、内々の談話では「聖書がドイツ語に翻訳されたのはドイツ人にとっての不幸」「ローマ帝国が滅んだのはフン族ゲルマン民族のせいではなくキリスト教のせいである」等と聖書やキリスト教に対して否定的でした。
 
 
 
 


帝国議会ナチス式敬礼を受けるヒトラー(白い演壇の一つ下、黒い演壇で敬礼に応えている)ベルリン1941年
Bundesarchiv, Bild 183-B06275 / Heinrich Hoffmann / CC-BY-SA 3.0
​​ヒットラーは聖書やキリスト教に否定的だった​​
 
 
 
 
 
 
 ヒットラーが聖書やキリスト教を拒否し、ナチスの高官たちが、心霊術とオカルトの影響を受けたことは、ドイツ国民がユダヤ人を始めとした諸国民の大量の血を流すことにつながりました。それで、わたしたちが何を信じるかはわたしたちの行動に大きな影響を及ぼします。とりわけ、心霊術などの悪霊崇拝の影響を受けるままにするのは危険です。
 
 
 
 しかしながら、ドイツ民族は、歴史的にキリスト教から強く影響を受けていた事あり、戦後、ドイツ人は、戦争犯罪に徹底的に向き合いました。
 
 
 
​(3)日本人は自国の人々の命に関してだけでなく他国の人々の命に関しても悲しむべき​
 
 
 
 日本人は、太平洋世界大戦中の原爆や、空爆沖縄戦で自国の人々の命が奪われたことをとても悲しく思います。それは、当然のことです。しかし、エホバ神の目にとって、太平洋大戦中に、日本人によって命を奪われたアジアや米国や他の国々の何百万、何千万人もの人々の命は、日本人の命と同様に貴重なものです。
 
 
 
 創造者のみ前で、人間の命の価値が同じであるために、エホバ神が日本人の以前の世代の人々が日本人以外の人々の命を奪ったことの責任を問われるということもあると思います。
 
 
 
https://youtu.be/-z5M_MnM2VM
(わたしは韓国との領土問題についてはまだ考えていないのですが、この動画が戦争犯罪について述べることをアジア人の視点から考えてみるべきなのは正しいと思います)
 
 
 
 
 ですから、日本人は、戦時中に日本人によって他の国民や民族の人々の命が失われたことを、自国の人々について悲しむのと同じように悲しむべきだと思います。そして、贖いの犠牲に頼って、命の与え主に罪の許しを求めることが必要だと思います。


 地上の王たちは、自国に何らかの災いが及ぶ場合に、自分たちの父祖の罪の応報が及んでいる場合があるかもしれないことを考慮する必要があると思います。
 
 
 
 
(4)ダビデの時代先代のイスラエル国民が行なった流血の罪のために飢きんが続いた​
 
 
 
 日本人は戦後、戦争に関わることを避けており、戦後七十年の間、流血に関わっていません。それにも関わらず、日本人は地震津波、台風、大雨などのために、毎年のように犠牲者が出ています。


  その理由のひとつは、日本人の先祖が行なった罪が、神の目にまだ残っているために、聖書の神は、日本人が戦後、ほとんど流血の罪を犯していないにもかかわらず、さまざまな災いをこうむることを許しておられるのではないかと思います。
 
 
 
  聖書のサムエル記第二によると、昔の流血の罪のために、流血の罪を犯していないイスラエルの世代に、天災が起きたという事例が記されています。ダビデの時代に「3年連続で飢饉が起き」ました。ダビデはエホバに相談しました。するとエホバは、ダビデの先代の「サウルとその一家」にあった「流血の罪」を指摘されました。「サウルがギベオンの人たちを殺したからである。」
 
 
 
 
 
 
 


ダビデは国家の問題をエホバ神に相談して対処した​​
 
 
 
 
 
 
 それでダビデはギベオンの人たちを呼び寄せて、「どんな償いをすれば,皆さんはエホバの民のために祝福を願ってくれますか」と尋ねました。イスラエル人はかつて彼らに危害を加えないと誓っていましたが、ダビデの先代の王サウルはギベオンの人々の血を流したのです。
 
 
 
 


​​エホバ神はギベオン人の流血の訴えを考慮されイスラエルに災いをもたらしていた​​
 
 
 
 
 
 ギベオンの人たちは、「サウルとその家の人たちのこと」はお金の「問題」ではないと言いました。ギベオンの人々は、「私たちを絶滅させようとした人,イスラエルの領土では生きていけないよう私たちを滅ぼし尽くそうとした人,その人の子孫の中から7人を私たちに引き渡してください。」と言いました。
 
 
 
 それで、ダビデは、サウルの子孫7人をギベオンの人々に引き渡し、「ギベオンの人たちは彼らの遺体を山でエホバの前につるし」、7人を処刑しました。「その後,神は国に関する願いを聞き入れた。 」とあります。(サムエル第二21:1-14)
 
 
 
 それで、ダビデがエホバ神の崇拝を第一にするように努力していたにもかかわらず、イスラエルに飢きんという災いが起きていたのは、先代のサウルの時に犯された流血の罪のためでした。ギベオンの人々に対する流血のために、エホバ神はイスラエル人に不興を感じておられ、イスラエルには飢きんという天災が起きていました。
 
 
 
  それで、ダビデはエホバ神に相談して、罪を犯された側のギベオンの人々の意向も聞いて、その通りにしたところ、エホバ神との関係が改善され、エホバ神は、国のためのダビデの祈りを聞かれるようになったということです。
 
 
 
 ですから、このことは、日本人の先祖が犯した流血の罪のために、日本人の子孫に災いが起こることがあることを、示しています。もちろん、日本も、日本の周辺国家もキリスト教国家ではありません。そして、今日、罪を犯した日本人の先祖の子孫を死刑にすることもできません。


 しかしながら、少なくとも、国家に災いが起きている場合、それを緩和するためには、エホバ神中心に解決したら良いことをこの事例は示しています。
 
 
 
​(5)政治指導者がとりわけ自分と人類の神との関係を考えるべきなのはなぜか​
 
 
 
 地上の王たちは、自国が災いを経験する場合に、まず第一に自分とエホバ神との関係はどうなっているかを吟味する必要があると思います。国家の代表者としての王や大統領や首相の神との関係は、その国家の現在と将来にとても大きな影響を及ぼすからです。
 
 
 
  たとえば、ユダ王国の時代に、ユダは大きな国家的苦難に直面しました。国家全体としては、神から離れている人も多くなっていましたが、ユダの王ヒゼキヤは、エホバ神との良い関係を追い求めていたので、神はヒゼキヤの祈りを聞かれて、国家的な危難を乗り越えることができました。(イザヤ39:5-8)
 
 
 
 
​​ヒゼキヤ王は国家的な問題をエホバ神に祈って乗り越えた​​
 
 
 
 また、エホバ神はヒゼキヤの時代には、ユダの終わりが臨まないと約束されました。(イザヤ6:5) エホバ神は、ご自分を恐れたヨシア王に同じことを約束されました。(歴代第二34:23-28)
 
 
 
  ですから、国家の指導者はご自分と神との関係を吟味して、エホバ神が不興を覚えられる偶像崇拝を行って、エホバ神が自国に関する自分の祈りを聞かれない状況を造り出していないか顧みる必要があると思います。
 
 
 
 
​ その場合、エホバ神に祈って贖いの犠牲に基づいて、エホバ神の罪の許しを求める必要があります。さらに、自国の国民に対しても、エホバ神との良い関係を追い求めて祈るように勧める必要があるかもしれません。






 預言者ヨナの時代に、ニネベの王は、神を恐れてその流血を悔い改めため、自国の国民にも悔い改めることを勧めたために、ニネベの滅びは何百年も延期されることになりました。(ヨナ3:5-10。ルカ11:32)



​ヨナが宣べ伝えることを聞いてニネベの王が悔い改めたのでニネベの滅びは延ばされることになった​

 
 
 
 それで、国家の指導者が国民に勧めること、また、国家の指導者の模範は、国民全体にとても大きな影響を及ぼすことになります。神からの処罰が臨むことがヨナの時代には、何百年も延期されました。それで、国家の指導者が聖書の神を恐れて行動するなら、国家の将来に長期間に及ぶ影響を及ぼすことになります。
 
 
 
​(6)国家の代表者が罪の許しを神に願うと同時に被害者の国民に流血の罪を謝罪を行う​
 
 
 
 ダビデの時代に起こった過去の国家の流血の罪に関して起きた出来事は、そうした罪をどのように解決していけるかを示していると思います。国家の代表者が、偶像崇拝を避け、エホバ神に罪の許しを願いつつ、流血を犯した周辺国家に対して、何をしなければならないかを尋ねて、それを実行することができると思います。
 
 
 
 日本の場合、戦争賠償はある程度は行っています。しかし、まず、命の与え主である神に対してその罪の許しを願うことが必要です。(ダニエル9:15,16)しかし、聖書の神に口先で、敬意を捧げたとしても、偶像崇拝を行うなら、その祈りは、まことの神創造者なるエホバ神に聞かれることはありません。
 
 
 
 そして、先祖の流血の罪を命の与え主なる神と被害を与えた国民に、許していただくためには、そのことと、調和して、日本人の先祖が行なった流血の罪に関して、謝罪を求められたなら、何度でも謝罪をすることが必要だと思います。
 
 
 
 今日、日本にさまざまな苦難が起こることを神が許されていることは、日本の過去の罪に原因があるかもしれません。日本は、太平洋戦争中の流血の罪に対する処罰は比較的軽いものであったと思います。
 
 
 
 日本人は、ダビデの時代のように流血の罪を犯した人々の子孫を処刑することはできません。しかし、私は、中国の人々やその周辺のアジア諸国の人々に先代の日本人がもたらしたはなはだしい苦しみと流血の罪を考えれば、少なくとも、周辺諸国に繰り返し謝罪を行うべきだと思います。


 
  可能であれば、現在の天皇が中国や周辺諸国に赴いて、戦争中日本人がもたらした苦しみと流血について、謝罪をされることを提案致します。
 
 
 
 
​​​​​​