ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(23-1)クリスチャンの交わりが性の不道徳に導かれないように気をつける必要性

   クリスチャンが交わりを楽しむのは決して悪いことではなく良いこと楽しいことです。ユダの手紙には、初期クリスチャンがみなで「食事の席」を楽しんでいたことを示しています。(ユダ12新世界訳改訂版)でも、エホバの証人の間でも、交わりに関して一般的な世の傾向を強く受けることがあると思います。


 およそ30年前のことですが、エホバの証人のある会衆で、若い人の参加する交わりが開催され、それに関連して、排斥者と役長老と奉仕の僕の削除が行なわれたことがありました。まだ、他にもそうした事例はあるでしょう。


イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(17)エホバの証人の会衆での雑魚寝事件


 しかし、 クリスチャンは、一般の世の道徳基準とは異なって、健全であることを明らかにする必要があります。クリスチャンが交わりをする際にどのようなことを考慮するように聖書が勧めているかを調べてみます。


(1)聖書はクリスチャンが交わりをする際性の不道徳や偶像崇拝につながらないように戒めている


       クリスチャンが交わりをする際に考慮できる指針は、ペテロ第一の手紙の勧めにあります。ペテロはクリスチャンに仲間に次のように勧めました。「かつて皆さんは,恥知らずな行い,激しい欲情飲み過ぎ,ばか騒ぎ,飲み比べ,忌まわしい偶像崇拝にふけっていましたが,世の人々の好むことを行うのはもう十分です。堕落した放蕩の道を皆さんが人々と一緒に走り続けることはありません。」(ペテロ第一4:3,4新世界訳改訂版)


 ここでペテロが非としているのはどのようなパーティでしょうか。まずここで「恥知らずな行い」という訳語は、以前の新世界訳では、「みだらな行ない」となっていました。みだらな行ないとは、性的不道徳に限定されてはいませんが、集団強姦,売春などのはなはだしい性の不道徳を含んでいる言葉です。(裁き人 19:25; 20:6。エレミヤ 13:27。エゼキエル 23:44


 また、「みだらな行ない」とは、同性愛者の間で行われるような性行為も意味しています。(ペテロ第二2:6,7新世界訳改訂版)また、ヨブは、配偶者でない異性に性の不道徳を目的に言い寄ることも「みだらな行ない」と言いました。(ヨブ31:9,11新世界訳改訂版)


 ですから、神から非とされる「恥知らずな行い」とは、単に直接の身体的な接触を伴う性の不道徳だけではなく、それにつながっていくような態度や精神的な傾向をも意味しています。



 ですから、聖書の言葉は、クリスチャンが一般の人々と異なるエンターテイメントや生活スタイルをすべきであることを述べています。そのパフォーマンスの目的が激しく性的な欲情をかきたてたり、大酒やはめをはずした「ばか騒ぎ」や偶像崇拝を奨励するものであれば、それはクリスチャンがそのエンターティメントに参加するのはふさわしくないと言えます。



(2)例えばカトリック諸国のカーニバルとその影響


 世の人によって行われるエンターテイメントの中に、例えば、カーニバルなどがあると思います。カーニバル謝肉祭)というお祭りは、カトリックの諸国で、復活祭の前の準備期間である四旬節の前に33週間程催されるキリスト教の祭りです。今日ではブラジルのリオデジャネイロのカーニバル、イタリアのベネチア,フランスのニース,ドイツのケルンのカーニバルなどが世界的に有名です。 開催期間は毎年変動しますが1月下旬から3月初旬の間の冬になります。


 でも、日本の中央カトリック協議会のサイトでは、カーニバルは「教会とは直接関係ありません。」と述べられています。実際、それは聖書の中で開催するように命じられている祭りではありません。


    古代や中世期の信者たちは40日間断食をしたイエス・キリストに倣って、四旬節に肉食を断ったそうです。それで、四旬節の前にごちそうを食べて騒いだのがカーニバルの始まりのようです。


 

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Terry George

リオのカーニバルには偶像の伴うパレードが行われる
龍の像のように見えますが龍は聖書の中で悪魔サタンの象徴




 カーニバルでは、パフォーマーの服装は、肌も露わな、激しい性的な欲情をかきたてるものがあります。



 

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GTSA South America



リオのカーニバルではパフォーマーは性的な欲情をあおるような衣装で装う






 ちなみに、カーニバルで有名なリオは世界有数の犯罪都市でもあり人口10万人当たりの殺人発生件数は日本の25強盗発生件数は660とネットにあります。(2015年)


 

 2019年のカーニバルについての警察など関係各機関から出てきている数字によると、カーニバル期間中(31日から同6日)にはリオ大都市圏内で70件の銃撃戦が確認され、それによって被弾した人は23人で、そのうち12人が死亡しました。 その銃撃戦の数は昨2018年の同時期よりも15%の増加でした。また、カーニバル期間中サンパウロ州内で確認された殺人件数は33でした。また、主に観光客がターゲットにされるそうですが、盗犯の認知件数は2996でした


 リオのカーニバルの精神は、一年を通してリオの市民に影響を与え、リオの生活環境を最悪のものにしているようです。







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リオのカーニバルの際に乱闘や銃撃戦が頻発するため警察も出動する








 20143月に南米ボリビアの政府はボリビア4日間にわたり開催されたカーニバルで70人が死亡したと発表しました。4日間の日程で、3万人のダンサーと6000人の音楽隊が参加し、多数の観客が殺到しました。そのため、70人のうち37人は交通事故の犠牲者 で、少なくとも15人は殺人被害者だといわれています。



 ドイツでは、カーニバルの際に行われる淫行が、「謝肉節のさいの過ち」として広く知られていて、その理由で、離婚を求める夫婦が少なくないようです。ある国では、カーニバルのために、特定の時期の出生率が高くなるそうです。ですから、カーニバルの祭りが性の不道徳の発生率を高めているのは事実のようです。



 信仰のない世の人がそれを楽しむのは自由だと思いますが、それはエホバ神の不興を招きます。聖書は、「神について知ろうとせず,心が無感覚」な人々は、「道徳感覚がまひしていて,恥知らずな行いにふけり,あらゆる汚れた事柄を貪欲なまでに」行いますが、「神による命から遠く離れてい」ると述べています。(エフェソス4:18,19新世界訳改訂版)


 それで、クリスチャンは、一般の人々と同じ行動をとるなら、一般の人々と同じ実を刈り取ることになるでしょう。カーニバルでの放とうの行いは、乱闘や銃撃事件、飲酒による事故や暴力事件を招いています。クリスチャンも同じ経験をすることになるでしょう。

 

 しかも、そのような振る舞いは、エホバ神の是認と保護を失わせることになります。ですから、楽しむエンターティメントをよく選んで、その交わりが世の人と同じように性の不道徳に陥る結果にならないように配慮を払う必要があります。