ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(27)証人の間で新たに表象物にあずかる人はどのようにみなされがちか

  イエスは、羊のようなクリスチャンは、イエスの兄弟のひとりに実際的な親切を示すことによって、永遠の命を享受することになると言われました。(マタイ25:37-40,46)ですから、真正なイエスの兄弟、つまり、真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンを見分けることは重要なことです。



 

 

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エスはご自分の兄弟に援助をする羊のようなクリスチャンに永遠の命を与えると言われた







 新約聖書に出てくる西暦一世紀の初期クリスチャンはほとんどが聖霊で油そそがれたクリスチャンでした。それで、今回の記事は真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンをどのように見分けることができるか、また、見分けることが重要であることを聖書の言葉から調べてみましょう。


(1)聖霊で油そそがれたクリスチャンの数は世界でどのような状況になっているか


 まず、エホバの証人は、初期クリスチャンの型に従って歩んでいると主張しています。2018年の奉仕報告では、8579909 がエホバの証人として毎月伝道に参加しています。エホバの証人の中で、聖霊で油そそがれたクリスチャンとして表象物にあずかっている人は全体からすると、割合が少ないです。2018年の総計では、全世界の記念式で表象物にあずかった人の数は、19,521人となっています。 ですから、天的な希望を持つクリスチャンは、エホバの証人の全体の500人に一人もいないことになります。



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全世界のエホバの証人の中で表象物にあずかるのは全体で一万九千人余りで五百人に一人もいない





 エホバの証人の傾向を分析したネットのサイトによると、2005, 2006年頃から記念式で表象物にあずかる人の数は増加傾向を見せているということです。



 また、世界中にいるキリスト教会の教会員は、ほとんど死後天に行くと信じており、いつも、パンとぶどう酒の表象物にあずかって、ご自分たちが聖霊で油そそがれたクリスチャンという立場にあることを表明されています。



 2016年の「ブリタニカ国際年鑑」2017年版による データによると、全世界の人口がおよそ74億人で、全世界のクリスチャン人口はおおよそ245000万人となっています。ですから、今世界中に聖霊で油そそがれたクリスチャンであり、天からの召しを与えられているみなしている男女は、少ないとは言え、かなりの人数がいると考えられます。



(2)エホバの証人の中で新たに表象物にあずかる人はその真正さを疑われる場合が多い


 上記したようにエホバの証人の中で、表象物にあずかる人の数は近年増加しています。例えば、20161月の研究記事の中には、「キリスト​の​死​の​記念​式​で​表象​物​に​あずかる​人​の​数​は,長年​に​わたり​減少​し​て​き​まし​た。しかし​最近,その​数​は​増加​し​て​い​ます。」という記載があります。


 エホバの証人はその状況を、以下のように説明しています。この記事には、「表象​物​に​あずかっ​た​人​の​数​に​は,自分​が​油そそが​れ​て​いる​と​誤解​し​て​いる​人​の​数​も​含ま​れ​て​い​ます。・・・ですから,表象​物​に​あずかっ​た​人​の​数​は,地上​に​残っ​て​いる​油そそが​れ​た​人​の​数​を​正確​に​示す​もの​で​は​あり​ませ​ん。」と説明しています。ですから、エホバの証人は、表象物にあずかっているクリスチャンの増加を、多くの場合、誤解や思い込みであるとみなしています。



 
ものみの塔19964/1号の「記念式をふさわしい仕方で祝う」には、以下のように新たに表象物にあずかる人たちに対する見方が書かれています。「間違って表象物にあずかる人がいるのはなぜでしょうか。忠実な人はみな天へ行くという以前の宗教的信条のためかもしれません。名誉心もしくは利己心,つまり,自分は他の人より功績があるという気持ちのためや目立ちたいという願望のためかもしれません。難しい問題や,地上での生活に対する関心を失わせるような悲劇的な事柄を経験して強い感情がわき起こった結果ということも考えられます。親しくしている人が天への召しを受けているから,ということもあるでしょう。」



 そのようにエホバの証人の間で、新たに表象物にあずかる人たちの真正さが疑われるのは、証人たちの間では、天的な希望への召しはほとんど終わっているとみなされているからです。ものみの塔20032/15号の「主の晩さんはあなたにとってどんな意味がありますか」という記事の中では、「1930年代までに,天的な級はおおむね選び終えられたことが明らかになっていました。」とあります。


 ですから、新たに表象物にあずかる人たちの真正さが疑われるのは、基本的にエホバの証人1914年説のためです。

 



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エホバの証人聖霊で油そそがれたクリスチャンの真正さが疑われるのは1914年説のため






 エホバの証人は西暦1914年にイエス・キリストが天で王に即位されたと信じられています。そして、1914年以降、天的な希望の人がたくさん集められたと考えられています。そして、だいたい1935年以降、エホバの証人は、野外宣教の主な対象として,地的な希望を抱くほかの羊に注意を向けてきました。ですから、基本的に天的な希望のクリスチャンの定員はほとんど既に満たされているとみなされています。

 

 

  それで、その記事の中では、「間違った思い込みをするのはなぜか」という見出しのもとに、「そのような召しを実際には受けていなかったことを知りながら,天的な王また祭司となる召しを受けた者のように振る舞う人を,神は好意をもってご覧になることはないはずです。・・・エホバは,レビ人であるコラを死罪に処されました。コラがせん越にもアロンの家系の祭司職に就こうとしたからです。」とあります。

 



 

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エホバの証人の中で新たに表象物にあずかるクリスチャンはせん越なコラのように神から裁かれるとみなされているかもしれない

 



 

 エホバの証人は西暦1914年にイエス・キリストが天で王に即位されたと信じられています。そして、1914年以降、天的な希望の人がたくさん集められたと考えられています。そして、だいたい1935年以降、エホバの証人は、野外宣教の主な対象として,地的な希望を抱くほかの羊に注意を向けてきました。ですから、基本的に天的な希望のクリスチャンの定員は既にほとんど満たされているとみなされています。


 ですから、自分を新たに天的な希望に召されているとみなすのは、間違った思い込みの場合は、神の不興を買って、死罪に処される、すなわち、証人たちから排斥される結果になるとみなされているかもしれません。それで、エホバの証人の間では、最近になって自分を天的な召しを受けているとみなすのは、神に不興を買っているのではないかとネガティブな見方がされます。


 なぜかというと、とりわけ、証人の解釈によると、世の終わりが間近に迫っているためです。例えば、20145月号のものみの塔の研究記事にも、「まもなくサタンの事物の体制が滅び,神の組織は終わりの日を生き残ります。(テモ二 3:1) 」という記載があります。それで、エホバの証人の間では、世の終わりの直前になって、エホバが天的な召しに召されるはずがないとみなされています。



 そのためにエホバの証人の間では、近年になって新たに表象物にあずかっている人は、真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンであるかどうか疑われる場合が多いです。しかしながら、世の終わりが非常に間近いということは、わたしヨハネもだいぶ以前、ダニエル書を研究するまではそう信じていました。



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エホバの証人は彼らのハルマゲドンつまり世の終わりがとても間近いとみなしているために近年天的な召しを受けた人の真正さを疑う場合が多い





(3)真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンはその忠実さによって見分けられる


  真正の聖霊で油そそがれたクリスチャンは、主にその人の知識によってではなく、その忠実さによって見分けられるでしょう。「主人が,従者たちに必要な食料を適切な時に与えていくため,彼らの上に任命する忠実な管理人,思慮深い者はいったい誰でしょうか 」とイエスは言われたことがありました。「管理人に期待されているのは忠実であることです。」と述べられています。 (ルカ12:42。コリント第一4:2)


 その忠実さの中には、神の律法を守って不義を退けることが含まれます。また、忠実に聖書を研究し続けて、聖書の音信をふれ告げてイエスの弟子を作るようにという命令に従うことも求められます。(マタイ24:14,28:19,20)


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聖書を忠実に読んで研究し続けることはエホバ神に対して忠実さを示すひとつの証拠

 

 

 

(4)真正の聖霊で油そそがれたクリスチャンをどのように見分けたらいいのか-聖書に基づく真理を信じ不義と罪を退ける


 さらに、真正の聖霊で油そそがれたクリスチャンをどのように見分けたらいいのでしょうか。テサロニケ人への第二の手紙には、あるクリスチャンが、「真理を信じないで不義を喜びとしたことに対して裁きを受ける」と書かれています。(テサロニケ第二2:9-12)ですから、神に忠実なクリスチャンは、聖書の正確な知識に基づいた真理を信じることが求められています。さらに、神に是認をされるクリスチャンは、不義を喜びとするべきではありません


 ですから、真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンは聖書の真理を信じて愛することが求められます。つまり、聖書の正確な知識を取り入れ続けるよう努力をする必要があり、また、自分の生活の中で神の律法を尊重する努力をして、不義を退けることが必要です。他の人の生活にも不義を推進しないようにする必要があります。  


 ですから、聖霊で油そそがれたクリスチャンは、この世の神の律法に違反する人々の中で生活しなければなりませんが、クリスチャンでない人と結婚しないように、また、彼らの神の律法に違反す不法な行いを共にしないように、気をつける必要があります。(コリント第二6:14。マタイ19:6)


 それで、神に是認される聖霊で油そそがれたクリスチャンは、この世の人々からは不評を買うことになっても、自分の生活の中で性の不道徳や同性愛、殺人、心霊術など神の律法に反することを避けて、聖書の教えを唱道することが求められます。人々を「あらゆる不法から救い出し,・・・清める」ように努力することが求められます。(テトス2:14)


 そのような聖書的な基準を推進するよう努力を払っている聖霊で油そそがれたクリスチャンであれば、真正の油そそがれた者であるという証拠の一つを示していると言えます。


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性の不道徳などの神の律法違反を退け不義を退けることは真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンである証拠のひとつ-エホバの証人の統治体はこの点で努力をしている

 

 


  わたしはエホバの証人としてとどまってきた間も、聖書の道徳律を個人の生活の中で守るように努力をしてきました。また、会衆が清さを保つように個人でできることは行ってきました。そのようにして、不完全ながら、生活の中で神の律法違反である不義を退けるようにと努力を払ってきました。わたしはエホバの証人はこの点で努力を払ってきたと思いますが、私自身もその努力をして、真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンの証拠の一つを示してきたのではないかと思います。