ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

イエスの贖いの犠牲を備える際にエホバ神はユダヤ人に対して対して暗闇や地震で怒りを表明された

(1)ゲッセマネでのイエスの祈り
(2)刑柱上のみ子は苦しみの杭の上でさんざんに嘲られたがイエスはイスラエル人の罪の許しを神に祈られた
(3)イエスが刑柱上にあった時臨んだ三時間の闇の意味するもの
(4)聖なる所の垂れ幕が引き裂かれるという異兆の意味すること
(5)比ゆ的な地震が意味する事柄
(6)贖いの犠牲の取り決めに基づいてエホバ神に祈りによって罪の許しをお願いする
(7)イエスの死の記念式に出席することによりキリストの贖いに対する感謝を示す


 今年、2020年4月7日(火)は、年に一度のイエスの死の記念式です。その日が近づく今、エホバ神がご自分のみ子を犠牲にするにあたって感じられた怒りと苦しみを振り返るのはふさわしいことです。


0jesus on the stake9
エスが刑中の上で苦しみの死を遂げられた時にエホバ神はどのように感じられましたか





 まず、イエスの最後の日に起きた出来事は、確かに父エホバ神とみ子イエスが異なる方であることが分かります。そして、その時、エホバ神とイエスは異なる人格的な存在として、異なる感情を表明されました。

 ルカ22章と23章に注目してイエス・キリストとエホバ神が贖いの犠牲を備えるにあたってどのような感情的な犠牲を払われたかを感がましょう。そして、そのことに対する感謝をどのように表せるかも考えましょう。

(1)ゲッセマネでのイエスの祈り

 ルカ22章からは、贖いの犠牲を備えるにあたっての、イエスの苦悩が分かります。イエスが処刑される前の晩に、ゲッセマネの園で、前途に迫った苦しみの杭の上での死に至る非常な痛みと苦しみの試練を考えて、神に祈られたことが記されています。(マルコ14:32-36)

  イエスは、この時に、血のように汗が地面に滴り落ちたと書かれています。(ルカ22:44)


0jesus prayer3
処刑前日イエスは苦しみのあまり血のような汗を流された




 実際にあまりのストレスと苦悩のために、血のような汗を流す、血汗症という病気があるそうです。イエスは一時的にそのような症状が出たのかもしれません。


 
 イエスは、ゲッセマネの園で、このように祈られました。「父よ,もしあなたの望まれることでしたら,この杯をわたしから取り除いてください。しかしやはり,わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように」。(ルカ22:42)

  ですから、この時点で、エホバ神のご意志とイエスの望みとは少し異なっていたことが分かります。「わたし(イエス)の意志」と「あなた(エホバ)のご意志」が異なっていたことが分かります。


0jesus prayer5
エスはご自分に対してではなく天のみ父エホバ神に願いを述べられました


 

 では、ここでエホバ神にご意志であれば、取り除いていただきたいと願われた「この杯」とは何でしょうか。

 イエスは、その時、人類の救いのために贖いの死を遂げなければならないことをご存知でした。イエスは聖書全体を読んで理解しておられましたし、天でエホバ神から説明も受けていました。(ヨハネ15:15) 

 
エスは人類のための贖いの犠牲となることを拒否されたのではありませんでした。(マタイ20:28)イエスは、「友のために自分の魂をなげうつこと,これより大きな愛を持つ者はいません」と言われて、ご自分の追随者たちの救いのためにご自分の命を捨てようとしておられました。(ヨハネ15:13) 


 しかし、イエスは、「わたしには受けるべきバプテスマがあります。それが終わるまで,わたしはどんなにか苦しむことでしょう。」と言われたことがありました。(ルカ12:50)それで、イエスは、贖いの犠牲を備えるために非常に苦しまなければならないことも認識しておられました。


 イエスは、天で幾十億年も前に、宇宙が存在する前からみ父によって全創造物の最初に「初子」として創造されました。(コロサイ1:15)そして、み父と長い期間、共に過ごされ、エホバ神が創造の業をする際に、そのもとで働かれました。エホバ神とみ子の間には、強い愛情がありました。(箴言8:30。ヨハネ17:24)


 エホバ神は優しい方だったので、その期間、ご自分に忠実なみ子に不当な苦しみを味あわせることはありませんでした。イエスは天でいつも、喜びや楽しみを経験され、苦しまれたり、辱められたりするような経験をされたことはありませんでした。

 ですから、宗教指導者たちから、鞭うたれ、侮辱され、苦しみの杭の上で、くぎを打ちこまれ、極度の痛みと苦しみを経験されることは、イエスにとっても初めての経験であり、決して容易に耐えられるようなことではありませんでした。(ルカ18:32,33。マタイ26:37,38)




0jesus was whipped
エスは鞭打ちの痛みと侮辱と卑しめの苦しみを経験された



 
そして、イエスは苦しみを受けることを受け入れておられてそのことを何度も予告されていました。(ルカ9:22)それで、イエスを悩ませられたのは、ご自分の死に方だったと考えられます。

 一般に人は、「神の栄光よりも人の栄光を愛」する人が多いかもしれません。(ヨハネ12:43)しかし、イエスは、ひたすら神に栄光がもたらされるようにと願っておられました。(ヨハネ7:18)

    しかし、宗教指導者たちは、イエスを殺そうとする理由として次のように言いました。「りっぱな業のためではなく,冒とくのために,つまり,あなたが人間でありながら自分を神とするからこそ,わたしたちは石打ちにするのだ」。(ヨハネ10:33)

    でも、イエスは、ご自分の事を神とは主張されませんでした。イエスは反対者に答えて、「あなた方は,父が神聖なものとして世に派遣されたわたしが,自分は神の子だと言ったからといって,『神を冒とくしている』とわたしに言うのですか。」と言われていました。(ヨハネ10:36)

 ですから、イエスが取り除いてくださいと願われた「この杯」は、神の栄光を第一に求めてきたご自分が、神であると主張する冒とく者として死ぬことだったと考えられます。

 
 それで、イエスは贖いとして死ぬこと自体は、受け入れておられましたが、非常に重大な罪とみなされている冒とくの罪で処刑されることは、イエスにとっては、非常に大きなストレスであったと考えられます。

  それで、イエスは、み父にとってはどんなことであっても、不可能なことはない、つまり、事態がどんな展開になっても、エホバ神の目的は必ず、成し遂げられるという信仰をみ父に対して抱いておられたので、ご意志であるなら、この事態を変えていただきたいと祈られました。(マタイ19:26)


 エホバ神は、この時、イエスが不従順の罪を犯したとはみなされませんでした。園のイエスにみ使いを遣わしてイエスを強められました。(ルカ22:43)

 しかし、イエスは、苦しみの杯を飲むことは喜ばしいこととは思いませんでしたが、ご自分の願いではなく、み父エホバのご意志が行われるようにと祈られました。

 たとえ、ご自分が苦しむことになってもみ父に従順に従うことが最善の結果をもたらすという確信を抱いておられたからです。(ヘブライ5:8。ヨハネ14:28)



 イエスは、エホバ神に対してなんと強い信頼と、崇敬の気持ちを持つておられたことでしょう。


 

 ですから、確かにみ子はみ父を崇拝し、全幅の信頼を寄せておられ、完全に従順でありたいと願っておられたことが分かります。

    イエスは、ご自分が苦しんで死ぬことになっても、必ずみ父は三日目にご自分を復活させてくださるという全幅の信頼を持っておられました。(ルカ9:22)



 
み子イエスは、み父の傍らで全世界とそれに満ちる物すべての創造に長大な時間を共に携わられたので、そのようなみ父に対する全幅の信頼をすでに持っておられました。(箴言8:30)


 しかし、そのみ子のみ父に対する確信は、ご自身がヤイロの娘や、友人ラザロなど幾人かの人々を復活させた時に強められたことでしょう。(ルカ8:50-55。ヨハネ11:441-44)

 そして、イエスは、当然、ご自分よりもみ父を愛しておられました。み父を「心をこめ,魂をこめ」て愛しておられました。(ルカ10:27)み父がご自分よりも偉大な方であると考えておられました。(ヨハネ14:28)神のご意志は、ご自分の考えが行われるよりも勝れた最善の結果をもたらすという確信を抱いておられました。

 それで、自分にとって苦しいことでも、
ご自分はみ父のご意志に従って、み父のご意志が優先されて成し遂げられることを望まれました。そして、ご自分がそのような仕方で死ぬことになっても、エホバ神の目的と人類の救いが達成されると確信しておられました。


  こうしたことから、エホバ神とみ子イエスは人格とお考えが異なる二者であることが分かります。イエスは、み父エホバに従属する方です。イエスが父なる神と同じ神なのではありません。


 そして、人類のためにみ子が苦しみの死を遂げて贖いの犠牲を捧げるということは、基本、み父エホバ神のお考えであることが分かります。そして、み子はみ父に従順に従ったということが分かります。(ヨハネ3:16,17)



(2)刑柱上のみ子は苦しみの杭の上でさんざんに嘲られたがイエスはイスラエル人の罪の許しを神に祈られた


 ルカ23章によると、み父とみ子がやはり、幾らか異なる感情を抱かれたことが分かります。そこでは、イエスが刑柱にかけられた時、周りにいた支配者たちや兵士たちから愚弄されたことが記録されています。イエスがキリストならば、自分を救ってみろと言われました。(ルカ23:35,37)

0jesus was abused by religious leaders on the stake
エホバ神の指示のもとに備えられたキリストの贖いの犠牲はイスラエル人から評価されず刑柱上のイエスはののしられた





 でも、イエスは、人類のためにご自分の体を贖いとして差し出そうとしておられました。エホバ神は苦しみの杭で処刑されることにより、イエスの体で贖いを備え、人類に永遠の命の救いの土台を据えることを意図しておられました。(ヨハネ3:16)


 ですから、イエスは苦しみの杭の上での死という状況から逃れようとはされませんでした。(マタイ26:53,54)


 そして、イエスご自身は、自分を処刑しようとする者たちに関してみ父にこう祈られました。「父よ、彼らをお許しください。自分たちが何をしているのかを知らないのですから。」(ルカ23:34)イエスユダヤ人の無知を考えて、ユダヤ人に非常に同情的でした。




0jesus on the stake15
エスはエホバ神にご自分を処刑しようとする者たちの罪の許しをお願いした



(3)イエスが刑柱上にあった時臨んだ三時間の闇の意味するもの

 ところが、第六時ごろから第九時ごろまで、闇が全地に垂れこみました。(ルカ23:44)


 西暦1世紀当時のユダヤ人は,日中を日の出で始まる12時間とする時の数え方を用いました。ですから、異常な闇が続いたのは、真昼の12時ごろから午後3時ごろです。(ヨハネ11:9)



0jesus on the stake14

 

 エスが刑柱にかけられた正午から午後三時ごろまで全地が闇に閉ざされたー三時間の闇はエホバ神の怒りの表明 




 さらに、エスが息を引き取られた時に、聖なる所の至聖所と聖所の区切りの垂れ幕が上から下まで切り裂けました。さらに、地震が起き、岩塊が割れました。(マタイ27:45,51)



  これらの現象は、エホバ神が引き起こしたもので、この闇も、エホバ神が生じさせたものです。エホバ神は、ご自分の怒りを表明されました。(エレミヤ13:16。マタイ22:13)


 エホバ神は昔エジプトに三日間闇を送って、エジプトに対するご自分の不興を表されたことがありました。(出エジプト10:21,22)

0three dark days in egypt
エホバ神は昔エジプトに3日闇闇が覆うようにされてエジプトに対する不興を表された



 また、闇は、人々の業が邪悪であり、「光」であるみ子を憎んで殺害した人々に対して、エホバ神が怒りと憤りを抱いておられ、いずれ裁かれることを示しています。(ヨハネ3:19,20)

 また、「光」であるみ子の処刑は、イスラエル人に神からの導きとなる「光」がなくなって霊的な闇になったことも示していたと思います。(ヨハネ8:12)


(4)聖なる所の垂れ幕が引き裂かれるという異兆の意味すること

 イエスが刑柱にかけられた時には、聖なる所の垂れ幕が上から下まで引き裂かれました。

 
聖なる所の垂れ幕が引き裂かれるということも、エホバ神が、怒りのゆえに、モーセの律法契約をまもなく、廃棄されることを示していました。伝道の書には、「引き裂く」ことと「捨てる」ことに近い意味があることが示唆されています。(伝道の書3:6,7)


   また、詩編によると、エホバ神が
神を忘れる者たちを「引き裂く」とは、神が彼らを無残な仕方で滅ぼすことを意味しています。(詩編50:22) 




0temple curtain was torn down
聖なる所の垂れ幕が真っ二つに裂かれたことはユダヤ教の体制に対する憤りのためにまもなく神がそれを終わらせることを意味する
 


 実際、エホバの神殿のあったエルサレムは、エホバ神に捨てられ、西暦70年には、ローマ軍がやってきて、エルサレムを火で焼き、百十万人のユダヤ人が無残な仕方でローマ軍によって殺されました。

(5)比ゆ的な地震が意味する事柄

 イエスが息を引き取られた時に、地震が起き、岩塊が割れました。(マタイ27:45,51)この異兆は何を意味しているのでしょうか。

 昔、モーセの権威に反抗したコラとその家族が、いわゆる地震が起きて地面が二つに裂けて呑み込まれたことは、神の憤りの表明でした。(民数記16:31,32)ここでも、地震がある意味、神の怒りの表明として用いられています。





0korah perished1

 

エホバ神は地震はご自分の憤りを表すものとして用いられた

 

 


 啓示の書の中では、比ゆ的な地震が、神の怒りと関連しています。啓示6章には、「大きな地震」が起きることが予告されていて、人々は、「み座に座っておられる方」と「子羊」の「憤りの大いなる日が来た」こてを恐れて隠れようとしています。(啓示6:16,17)

  この地震は、北の王の南の王に対する総攻撃の大患難を意味すると考えられますが、それは、ある意味、エホバ神とイエス怒りと憤りの表明です。もちろん、大患難は、国際的な大紛争であり、文字通りの地震ではありません。しかし、聖書は、地震と神の怒りと憤りを結び付けていることが分かります。


 ですから、エホバ神は、人類に対する深い愛から、キリストの贖いの犠牲を備えられました。イエス・キリストは、人類の代わりに神の憤りを受けられました。


 イザヤ53章には、イエスが贖いの犠牲を捧げられることを示す預言があります。「彼はわたしたちの違犯のために刺し通され,・・・わたしたちの平安のための懲罰が彼に臨み,彼の傷ゆえにわたしたちのためのいやしがあった。・・・エホバは,わたしたちすべての者のとががその者に出会うようにされた。」(イザヤ53:5,6)


0jesus on the stake9
罪のないイエスはわたしたちの罪の身代わりとして苦しみの死を遂げられた




  ですから、贖いの取り決めは、人類が当然受けるべき懲罰をみ子イエスが身代わりとなって受けてくださるというエホバ神の愛の取り決めです。このキリストの贖いの犠牲に信仰を抱く人々には、永遠の命という報いがあります。(ヨハネ3:16)

 イエスの苦しみの死は、エホバ神の愛に基づく取り決めでしたが、神のみ子イエスユダヤで、ユダヤ人たちから憎まれ、侮辱され、侮られ、苦しみの死を遂げるという不当な仕打ちを受けられました。ご自分の最愛のみ子が受けられた仕打ちに対しては、エホバ神は怒りと憤りを抱かれました。


 それで、エホバ神は、そのことに対する怒りと憤りの表明として異常な闇や地震などの異兆を引き起こされました。

 それで、エホバ神は、人類のために贖いの犠牲を備えるために、ご自分の最愛の独り子に不当にもさんざんに卑しめられて非業の死を遂げるという経験をさせることを忍ばなければなりませんでした。このことは、実際は神の怒りと憤りを生じさせました。

 それで、イエスは無知ゆえに罪を犯していたとして、ユダヤ人に同情的でしたが、エホバ神はイエスとは幾らか異なる怒りの感情を表明されました。このことからも、エホバ神とみ子イエスが異なる感情を抱かれる別個の人格的な存在であることが分かります。

 わたしたちは、エホバ神が人類の救いのためにキリストの贖いの犠牲を備えるにあたって、怒りや苦しみを忍んでくださったことを感謝できます。

(6)贖いの犠牲の取り決めに基づいてエホバ神に祈りによって罪の許しをお願いする

  
私たちは、エホバ神との是認された関係を持つために、キリストの贖いの犠牲に頼ることが必要です。私たちは、聖書の教えを知らなかった時に、殺人や淫行や偶像崇拝や心霊術などの神の律法の違反を行ってきたかもしれません。(ペテロ第一4:3)また、そうしたことがなくても、私たちは皆アダムから罪を受け継いでいます。


 私たちは、キリストの贖いに頼ることによって、罪を許され、いわば私たちの外衣をイエスの血で洗って白くすることができます。天的な希望のクリスチャンも、地的な希望のクリスチャンも、神の目に清い立場を持っていることを表す白い外衣を身に着けるためには、キリストの贖いの犠牲に頼ることが必要です。(啓示3:4,5;4:4;7:14)

 イエスは苦しみの死を遂げられた後、復活されて、天の大祭司としてわたしたちとエホバ神の仲介者として働いてくださいます。(ヘブライ4:14,15)ですから、わたしたちは、キリストの贖いの犠牲の取り決めに頼って、エホバ神に祈り、私たちの罪の許しをお願いすることができます。


0ask god for forgiveness of sin
エホバ神にキリストの贖いの犠牲に基づいて罪の許しを求めるならば神の怒りから守られ永遠の命に導かれる



  このキリストの贖いの犠牲は、今この事物の体制の中でも、神の是認と保護を得るための、唯一の手段です。

 わたしたちはいわば、アダムから受け継いだ罪という海でおぼれている人のようです。エホバ神が投げてくださっている救命具は、キリストの贖いの犠牲です。わたしたちはこの比ゆ的な救命具につかまることにより、おぼれ死んでしまわないようにすることができます。

 キリストの贖いの犠牲に頼って、罪を犯しても、神の許しを得ることができます。そして、引き続き、神の是認と保護を得続けることができます。

(7)イエスの死の記念式に出席することによりキリストの贖いに対する感謝を示す

 
 わたしたちがエホバ神が備えられたキリストの贖いの犠牲に頼っていることを示すひとつの手段は、イエスの死の記念式に出席することです。

 キリストは、人生で最後の晩に、弟子たちと最後の晩餐にあずかられました。その時、イエスは、ご自分の弟子たちに、ご自分の死を記念し続けることを命じられました。(ルカ22:19。コリント第一11:25)



0jesus memorial ceremony
キリストはご自分の死の記念式をご自分の再臨の時まで守り行うよう命じられた


 無酵母パンはイエスの体を表していて、杯のぶどう酒は、エホバとイエスの弟子たちが新しい契約を結ぶために流されたイエスの血を表しています。(コリント第一11:23-26)



0wine and bread
酵母パンはイエスの体・ぶどう酒は新しい契約の発効のために流されたイエスの血を表す


 多くのキリスト教会は、毎週、イエスの表象物にあずかります。でも、イエスはご自分の死の記念式を年に一度行われる過ぎ越しの機会に制定されました。(ルカ22:15,19)過ぎ越しの犠牲は、イスラエル人が昔エジプトから救い出されたことを記念して、年に一度祝われていました。(民数記28:16)


0passover
過ぎ越しの祭りはユダヤ人の暦の1月14日に年に一度だけ祝われたのでイエスの死の記念式も年に一度祝うのが正しい



 イスラエル人はエジプトから救い出された時に、神とモーセの律法契約を結びました。それは、古い契約と言う事ができました。(エレミヤ31:31,32)それで、年に一度の過ぎ越しの祭りの時に、イスラエル人は、自分たちが神とのモーセの律法契約すなわち古い契約を結んでいることを思い起こしました。


 しかし、神はその古い契約に代わって、イエスを仲介者として、新しい契約を結ばれました。(ルカ22:20)でも、イエスの弟子たちは、古い契約に代わって、イエス・キリストを仲介者とするエホバ神との間で新しい契約に入りました。

 新しい契約に入っているクリスチャンは、将来天の神の王国の成員として、不滅の霊者として復活させていただきます。そして、天の神の王国政府の成員として、将来、この地上をまず1,000年間支配して、人類が人間としての完全さを得るよう助けます。(啓示20:4-6)


 それで、今年2020年は、イエスの死の記念式の日付は、4月7日(火)となります。エホバの証人が、年に一度だけキリストの死の記念式を守っていることは、聖書的です。キリストの贖いの犠牲の取り決めに感謝している望まれるクリスチャンと人々は、エホバの証人の死の記念式に出席することができます。

 イエスの死の記念式の場所と時間は、エホバの証人に尋ねることができます。コロナ騒動で、大きな集まりの自粛が要請されているので、エホバの証人はその要請に応じて集まりを行うはずなので、各地でそれぞれ証人にお尋ねください。

 あるいは、自分たちの信仰の仲間がある程度の人数いるのであれば、自分たちで、無酵母パンとぶどう酒を集まった人々の間で回すことができます。そのようにして、キリストの死の記念式を開催するよう取り決めることもできると思います。

 イエスの体を表す無酵母パンと、イエスの死を表すぶどう酒にあずかるのは、キリストの王国に入るという希望をエホバ神から与えられている聖霊で油そそがれたクリスチャンだけです。

 この地上の楽園で、永遠の命を享受するという希望を与えられているクリスチャンは、表象物にはあずかりません。ただ、パンとぶどう酒が回されるのを見守ることができます。

 イエス・キリストとそのみ父エホバ神がわたしたちの罪のための贖いの犠牲を備えるために払ってくださった精神的感情的な犠牲に感謝して、イエスの死の記念式に出席しましょう。(ヨハネ第一2:2)


 


 


  

近年の状況にもかかわらず米国との平和を追い求めて憲法九条を守るべきか

 三島由紀夫は、神道信者であり、日本が米国の軍事力に依存せずに、自立をして、自国の軍隊で自衛するべきだという考え方から、憲法九条に反対していました。そのためには、日本が戦争のできる国家になる必要があると考えていました。

 以下に聖書に基づいたわたしの考え方を説明します。わたしは、憲法九条はとても良い原則で、日本を守ってきたし、その原則はこれからも日本を守ると思います。

 わたしは、基本、日本が米国の軍事力に頼るべきではないという三島の考え方には同意しますが、憲法九条を廃棄するならば、日本は、米国を初め、他国と戦争をする国家になってしまうと思います。ですから、憲法九条をなくしてしまうという三島の主張には、賛同できません。

 しかしながら、三島が憲法九条廃止を唱えて、切腹自殺を遂げた時とは、異なる状況が今日、見られます。日本は、その後、日航機123墜落事故、相次ぐ地震津波、台風や大洪水、原発放射能漏れ事故など、いろいろな国難に直面しています。

 その一部は、米国による攻撃ではないかという疑惑が持たれており、ある疑惑については、明白な証拠があるようです。三島の切腹自殺の時とは異なる状況が見られるようになっていますが、では、このような以前とは異なる状況で、日本は憲法九条を廃止して、米国と戦争のできる国家になるべきなのかを考えてみます。

 
(1)三島由紀夫憲法九条に反対していたのはなぜか


 

  三島由紀夫は欧米に反感を抱いていました。彼は太平洋戦争に敗北したことを悔しく思っていました。そして、憲法九条が米国から押し付けられた憲法だと考えて、それゆえにも憲法九条に反対していました。



  さらに三島は、自衛隊が日本を守るべきであって、自衛隊天皇と国連に忠誠を保つようにすることを提案していました。



 さらに、三島は、このままだと自衛隊は、米国の傭兵になってしまうと言っていました。


(2)聖書が勧めている平和主義と中立主義はどのようにすることか


  確かに、聖書的には、国家が他の軍事強国に頼って軍事同盟を結んだり、軍事的に頼ることを勧めてはいません。それは、エホバ神から見るとご自分に頼るのではなく、軍事強国を愛人のように頼ることで霊的な淫行であり、売春だからです。(エゼキエル23:5-18)


 とりわけ、聖書は、エホバ神に頼るのではなく、軍事強国である霊的なエジプト米国に軍事的に頼らないように戒めています。(イザヤ31:1)また、あちらこちらの軍事強国と軍事同盟を結んで頼ることを戒めています。それは、とりわけいわゆる愛人の国家の怒りを招くことでしょう。

 聖書は、国家が同士が軍事同盟を結ぶことを霊的な淫行と言っています。ですから、軍事同盟を結んだ国家は、いわゆる霊的な愛人ということになります。もし、さまざまな国家と軍事同盟を数多く結ぶならば、それらの愛人の諸国家は、憤激することになると思います。


 それで、国家は、他国に軍事的に頼るのではなく、必要な時には、自国を自国の軍隊で自衛をするのが正しいと思います。しかし、上で述べたように、聖書は武器に頼ることも勧めてはいません。昔のイスラエルの王たちに、神は戦車や馬に頼って増やさないようにと言われました。
(イザヤ31:1。申命記17:16)軍馬を持つこと、すなわち、軍事力を持つことを禁じることはありませんでしたが、それを増やしたり、それに頼ることがないようにと戒められました。


  一番賢明なのは、イエスが勧めておられる通り、平和外交に頼って、他国と平和的な関係を築いて戦争を避けていることです。それが長い目で見て、一番、結果がいいです。

 戦争に巻き込まれるなら、多くの優秀な人材を失い貴重な物質資産を失う結果になります。さらに、いつたん戦争をすると敵対国の間で長年にわたる敵対感情が産まれ、それはなかなか消えません。
損失がありません。



  そして、そのように平和と中立を保つことは、聖書の神エホバの助けがあって初めて可能だと思います。今は、危機的な時代であり、かってなく、悪魔サタンと悪霊が世界中で戦争を奨励していますから、全能の神エホバの助けがなければできないと思います。


 日本は、偽りの神、すなわち、天照大神の背後にある悪霊や仏像などの偶像に頼って、エホバ神の助けを得ずに、平和憲法を守ろうとしているので、それはとても難しいことでした。(申命記5:8-10)安倍首相は今年も伊勢神宮に初詣に行かれて、天照大神を崇拝していることを示されたので、首相の行われることは、今後もうまくいかないと思います。


0isejinguu
2020年も安倍首相は伊勢神宮に初詣され天照大神に頼っていることを示されたのでエホバ神からの助けはなく彼の企ては失敗するでしょう


 

 
 そして、昔イスラエルやユダの王たちが
エホバ神の崇拝を第一にしてエホバ神に忠実にするよう努力をしていた時には、イスラエルは国家の平和と経済的な繁栄を享受しました。(列王第一4:20,21)エホバ神の助けを享受する政治の仕方が、国家にとって最善の道だと思います。



 そして、大いなるバビロンである米国と共に軍事行動をとるのは聖書の中で非とされています。(啓示17:1,2)ヨーロッパ諸国の多くが、従来の平和主義を投げ捨てています。米国と共に、全地で軍事行動をとっています。とりわけ、中立主義であった北欧も信仰の弱まりと、背教のために従来のキリスト教の方針を捨てて、生活状況が徐々に悪くなっています。


(3)世界的な反米感情の高まりとそれが意味する事柄


  現在全世界で、反米感情が強くなっているというのが現状です。反米勢力はとりわけ中東で強くなってきています。今回、イランの軍司令官が米国によって殺害された時に、その司令官の葬式で、大勢集まったイランの人々は、「アメリカに死を」と叫びました。その反米感情の強さに驚かされます。


  それで、ダニエル11章は、北の王と南の王が三度の国際紛争を起こすことを予告しています。最初は、中東の北の王が南の王の本土を総攻撃して、勝利することになっています。(ダニエル11:25,26)一応、停戦の形になることが予告されています。



 確かに、イランなど中東の状況を見ると、そのような聖書で預言されている出来事が起きる流れになっているのではないかと思います。


  
わたしはそのようになることを望んでいるわけでは決してありません。米国の中にも非常に大勢のエホバに信仰を持つ聖書に忠実なクリスチャンたちがいることをわたしは知っているからです。そういうことになれば、わたしは米国に住むそうしたクリスチャンたちのためにとても気の毒だと思うと思います。



 しかし、啓示の書の中には、大いなるバビロンが「
地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」と述べられています。(啓示18:4)わたしは米国についてこの聖書の言葉がどこまで、どのように当てはまるのかは分かりません。しかし、聖書は「知られないで終わる秘密はない」と言われているので、いずれ明らかになると思います。(マタイ10:26)


(4)日本が起こした太平洋戦争とその後の影響


 日本は、昔から毎年のように地震や洪水などの災害が起きています。これは、米国あるいは他の国々が、環境改変兵器を使用しているからなのかもしれません。それが、もし、万が一、日米間の緊張のためだとしたらなぜなのでしょうか。

  それは、日本が米国を始めとした連合国と戦争を行ったからです。日本は、米国に対して真珠湾攻撃という先制攻撃を行って、米国人に犠牲者を出しました。日本は、戦争が終わって七十五年も経った今でも、沖縄戦で犠牲になった人々のことや、広島、長崎で原爆を落とされて苦しんで死んだ人々のことを考えて、悲しい思いになります。そして、日本人の中には米国のことを恨む人々も存在するでしょう。


 それは、米国側でも同じことです。米国でも、真珠湾攻撃、またその後の日本との戦闘、また、沖縄戦で、死亡した兵士たちのことを覚えて悲しい気持ちになると思います。また、日本に対して恨みに思うと思います。ですから、国家による殺人は、何十年にもわたって、また、何世代にもわたって敵意と憎しみを残します。


 わたしは、
日本が始めた太平洋戦争について考察してみましたが、日本にはまったく正義はなかったと思いました。日本は、天皇制を中心とした大日本帝国の拡大のために、自国から中国で満州事変を引き起こしました。そして、日中戦争を始めました。


 
 日本はその当時、天皇制で、軍部が大きな影響力を振るっていました。わたしは、天皇が中心で軍部が天皇を中心にして権力を振るうという政治体制は、良くなかったと思います。


 米国側は、日本に日中戦争をやめて中国から撤退するように日本に要求しました。それは、まったく正当な要求でした。日本がその当時していたことは、北朝鮮がしていることよりも、程度がはなはだしかったです。北朝鮮は少なくとも、現時点では、他国の領土を侵略はしていません。日本は、北朝鮮を非難するのですから、当時の日本が諸外国から非難されても当然でした。


 でも、日本は中国を侵略して、米国がそれをやめるようにという正当な要求をしても、それを聞かず、かえって自国から米国に真珠湾攻撃をして戦争を始めました。


 
単に、神道天皇崇拝と天照大神崇拝と、大日本帝国の領土の拡大のために、ああした流血行為を始めたとしか考えられません。日本がまったく間違っていました。それで、わたしは日本の敗北は自業自得のように思えます。ですから、わたしは日本人は、その点で恨みに思うべきではないのではないかと思います。


 そして、日本には、安土桃山時代と江戸時代、また、明治時代の初期、そして、昭和の戦争前と戦争中に無実のクリスチャンに対する迫害と流血の歴史がありました。江戸時代にも繰り返し、クリスチャンたちは殺され、日本からキリスト教徒は根こそぎにされました。そのことに対するエホバ神の怒りも残っていたと思います。


0zabiel
ザビエルの後日本に来た宣教師たちやクリスチャンの信者たちは日本政府により迫害された




 エホバ神はご自分に信仰を持ち、頼る者たちを愛されているので、このようなことをするならば、日本はただではすまないことは予期すべきことでした。

0Nagasaki 26 Martyrs_of_Japan_Memorial
安土桃山時代の二十六人のクリスチャンたちの処刑を初めとして日本政府は日本のクリスチャンの迫害を続けて日本からクリスチャンをほとんど根こそぎにした




  しかも
、日本は、昭和天皇の治世の始めは、国家を挙げて神道天皇崇拝に邁進していました。すなわち、天照大神の背後にいる悪霊の崇拝に没頭していました。このことも、エホバ神の目に正しいことではありませんでした。

 それで、その当時の状況は、キリスト教の神エホバが、天照大神の背後にいる悪霊崇拝に邁進していた日本を保護するというような状況は少しもありませんでした。


 それで、日本は、太平洋戦争の最後に、二つも原爆を落とされて、国土の二百以上の都市に空襲を受ける結果になったのでしょう。



(5)1985年日本航空123機墜落事件


 さらに
、太平洋戦争は、1985年に日本航空123が群馬県高天原山の尾根に墜落した事件を引き起こしたのではないかと思います。その日は真珠湾攻撃の12月8日を反対にした8月12日であったこともそのように考える理由のひとつです。その事件を調査した人が、日本政府は秘密裏に原爆の開発をしていて、その航空機は核物質を運んでいたと言われています。

 
 ですから、日本は、その当時も、反米感情を抱く人たちが政府内にいて、秘密裏にそうしたことが行われていたのかもしれません。つまり、太平洋戦争に対する反省と、天皇制に伴う軍国主義が間違っていたという認識が政府内に十分なかったということになります。わたしは、日本政府の中には、キリスト教を信仰する政治家もいたと思いますが、そういう政治家は少なかったと思います。


 日本政府は核兵器の製造を秘密裏にしていましたが、それは米国に知られることにもなったのでしょう。また、日本政府は民間機が核物質を運んでいたことが国民に知られることも望まなかったでしょう。


 わたしは、まだこの日本航空123機の墜落に関して、真相が十分わかっているわけでなく、全体像を考え抜いていませんが、まず、訓練中の自衛隊誤爆であったと考える人もいます。また、米軍の護衛艦からのミサイル発射の標的になったのではないかと考える人もいます。十分には分かりませんが、両方ともあったのかもしれません。


 いずれにしても、日本政府の中枢にいる人々は事故の真相をご存知だったでしょう。先ごろ亡くなられた元中曽根首相は真相を一番、ご存知だったかもしれません。それで、中曽根首相は、あの事件の後、靖国神社公式参拝されていますから、おそらく、米国も関係しており、反米感情を強くされるような事実があったのではないかと推測します。


 ですから、中曽根元首相もやはり、現安倍首相と同様で、天照大神を崇拝する神道信者であり、また、仏教の霊魂不滅を信じている方でした。


 日本政府と自衛隊は、その航空機が核物質を積んでいたことを知られたくなくて、最後には、その核物質を拾える場所に墜落するよう、自衛隊機がてミサイルを発射するように取り計らったのではないかと思います。また、その墜落地点の上空では、それを視察に来た米軍機やロシア機を地上のミサイルによって撃ち落とすようなことが行われたのかもしれません。


 もし、日本航空機に搭乗していたおよそ500人もの無実の人々を助けないように見殺しにしたのであれば、それは日本政府の犯罪だと言えると思います。核兵器の製造などは、国民に知らせないでするべきではありませんし、核物質を民間航空機に運ばせるようなこともするべきではありませんでした。

 政府が国民に秘密裏に物事を行うようにすると、いろいろな問題が起こります。もし、そうであれば、日中戦争を引き起こした時に、当時の日本の関東軍は、欺きを用いましたが、日本政府は依然として同じ体質を持っていると言えるかもしれません。


 もし、その事件に、米国が最初にミサイルをその民間機に発射するようなことが行われたのであれば、それはやはり平時における攻撃です。結局、米国は、真珠湾攻撃の恨みをまだ抱いていたということなのかもしれません。


 もし、万が一、そういうことであれば、日本政府はそのことを米国政府にはっきり言って、抗議するのが当然でしょう。さらに、万が一、米国が日本の民間機を攻撃するようなことをしたのであれば、日本国内に米軍基地を置いて、日本の防衛を任せたりするべきではないと思います。


 わたしは、米国は、世界一の軍事大国であり、経済大国なので、日本政府は、米国との平和な良い関係を求めるのが実際的だと考えます。さらに、米国には、キリスト教の聖書に忠実に従うクリスチャンも多いです。


 しかし、米国人の中に、今でも真珠湾攻撃を恨んでいる人々がいるということは、米国は、日米安保に従って日本を真実には守らないと思います。それで、日米安保はやめて、国内から米軍に撤去していただいて、平和条約を結ぶのが賢明だと思います。



 
そのために、その航空機の墜落地点で、日本の自衛隊によるミサイル発射装置が使用され、その墜落地点を確認に来た複数の米国の戦闘機数機またロシアの戦闘機を撃ち落としたのかもしれません。わたしは日本航空123機の墜落について調べましたら、そのような事情が背後にあったように思いました。

 こういうことが平時に起きたのだとしたら、驚くべきことです。これは、全く日本と米国の間の戦争と同じです。日本は憲法で戦争を放棄したはずです。わたしは、このことは、日本政府は米国と率直に話し合うしかないのではないかと思います。

 先日、イランによってカナダ人が大勢乗っていた航空機がミサイルで撃墜された時には、カナダの首相は、諜報機関など手をつくして事態の原因を調べました。そして、その原因を国民に隠さず発表し、後にイランがカナダ人の大勢乗った飛行機を誤って撃墜したことを認めました。


 カナダ政府が事態の原因を調べて、そのことをカナダ国民に隠さなかったことは良かったと思います。カナダの首相は、はっきりとイランに異議を唱えることができ、その上で国家としてどのように行動するかを判断、決定できます。


 日本政府は反米感情を隠していて、米国に秘密裏に核兵器を開発していて、そのことを必死で知られまいとしたのでしょうか。それは、日本政府が自国の国民を殺したことになるでしょう。でも、後で確認に来た米軍の飛行機などを撃ち落としているので、その原因にやはり、米軍も関係していたのだろうかと思います。

 でも、米国のトランプ大統領が、日本も核兵器を持っていいのではないかと言われているので、米国は、その事件の真相が分かっているのではないかと思います。いずれにしても、秘密にしなければならないこともあるとはいえ、できるだけ事実を明らかにして、その上で政府も国民も判断し、決定するようにした方がいいと思います。


 いずれにしても、これでは、日本政府と米国政府の関係は、戦争状態にあると言っても、いい状態で、米国から日本が秘密裏に攻撃されても、それはありうることです。日本が秘密裏に行動していて、米軍機を撃ち落としたのであれば、それを米国政府は知らないとか分からないということは決してないでしょう。

(6)東日本大震災津波福島原発事故

 

 その後、日本は2011年東日本大震災が起きました。とりわけ,日本の場合は、東日本大震災は米国によって引き起こされたのではないかということを示す証拠があります。米国はそれを認めないかもしれません。東日本大震災は、おそらく、米国の核兵器によって引き起こされたのかもしれません。東日本大震災震源地の海域で、放射能レベルがとても高くなっていたからです。



 すると、日本は、東日本大震災では、米国により、約2万人弱の無実の人々が亡くなったということになります。しかし、日本航空機123機の墜落事件に関連して、日本と米国は交戦状態になっているのではないかと思います。そうであれば、そうした攻撃を米国が行ったとしても、不思議ではないです。

 これは、平時に起きたことなので、日本人は、ほとんど看過できないと感じるかもしれません。このことからも、もし、日本で何かが起きたとしても、米国は本気で日本を守る気がないということを証明しているので、日米安保はやめて平和条約に変更した方がいいことを示していると思います。


 これは、やはり、日本政府は黙っているのではなく、米国にはっきりと異議を唱えるべきだと思います。これは、米国大統領の中でも、比較的に平和主義の傾向も少しはあるオバマ大統領の政権下で行われました。


 オバマ大統領は、訪日して平成天皇にも敬意を払ってくださったはずです。また、安倍首相と共に、広島を訪問して核兵器をなくそうとする気持ちを表明したはずです。しかし、オバマ大統領のそうした言葉は偽りであったのか、何らかの圧力で気持ちが変わったのかもしれません。あるいは、やはり、日本政府が反米感情を隠しているように、米国政府の側にも強い反日感情を持つ人がいるというのが事実であるのでしょう。


 さらに、日本政府が、天照大神を崇拝しているのであれば、過去に歴史を通して、その背後にある悪霊のお告げから影響を受けました。今日でも、日本政府は、神官の占いに頼ったりするかもしれません。同様に、米国政府も交霊会などに参加したり、霊媒に相談して、その影響を受けるようなこともあるのではないかと思います。(啓示18:24)


 そのようなことがあれば、米国の大統領も期待を裏切るような驚くような行動をとることもあるかもしれません。しかしながら、CIAが霊能者に信頼して相談することがあることがネット上にあります。そうすると、CIAと身近な大統領も霊能者の影響も受ける可能性は高いでしょう。


  啓示の書は、大いなるバビロン
の「心霊術的な行ないによってあらゆる国民が惑わされた」と書かれています。(啓示18:23)ですから、心霊術に影響されていることを述べています。



 これは、日本は米国を非難はできません。日本も神道天照大神の背後にある悪霊を崇拝しており、天皇は神社の神官のお告げなども参考にしたりするはずだからです。そのお告げは悪霊から来ています。どちらも、悪霊の影響を受けるままになっているからです。日本政府は、昨年末も天照大神の崇拝を全国を挙げて挙げて行い、聖書的な見地から言えば、異教の崇拝に邁進していることを示しました。


 日本政府が、まことの神ではなく悪霊に頼っているのであれば、米国政府がそうであることを非難はできません。悪霊は、聖書によると、全地の王たちを戦争に駆り立てています。(啓示16:13,14)


 また、福島の原発事故は、米国のインターネットのハッカーグループアノニマスがウィルスをしかけて原発が作動しないようにしたのかもしれません。
フランスでも似たようなことが起きていたからです。フランスではアノニマスは逮捕されました。アノニマス、米国政府と協力してそうしたのかもしれません。


 
しかし、アノニマス原発に反対で彼らの観点からすると良い動機でそうしたのかもしれません。あるいは、彼らは独自に行動したかもしれません。いずれ、明らかになる時が来るでしょう。



 そうすると、なおのこと、日本は米国に対して反感や敵意が強くなるとしても当然のことでしょう。
日本は、米国によって引き起こされたと考えられる東日本大震災のためのために米国を憎むはずです。



 でも、なぜ、米国がその攻撃を行ったのかを考えてみると、日本が真珠湾攻撃で米国の先制攻撃をしかけて、米国民を殺害したからです。日本に対する憎悪が残っていたのでしょう。また、日本は、その時、急速な経済成長を続けており、そのことに対して米国側が脅威に感じたのかもしれません。


 それで、もし、日本政府が聖書の預言を知るならば、現在は米国の同盟国であっても、もし、反米側が勝利を得る時が来ることを聖書が預言しているのであれば、いずれ、将来いつか反米側につこうと考えるとしても、人間のふつうの感情として、ありえることだと思います。


 
しかし、東日本大震災福島原発事故については、いわば平時の先制攻撃と言えるので、ひきょうなことだと言えると思います。しかしながら、日本も日中戦争を始めた時には、中国人をだまして、中国にいた日本の関東軍がしたことを中国がしたと欺いて、平時に戦争を始めました。また、真珠湾攻撃も先制攻撃でした。それで、日本も米国と同じくらいひきょうな悪いことをしました。


 人間政府は国家神である悪霊に影響されるので、偽りや欺きが用いられる場合があります。しかしながら、すでに述べた通り、悪霊に惑わされないためには、一切戦争にかかわらないことが必要です。


(7)環境改変兵器による台風と地震や火山の噴火と熱波や飛行機の墜落など?

 他の日本で現在頻繁に起きる台風と、地震や火山の噴火や熱波については、環境改変兵器も存在するとは言え、それを持つ国々は複数なので、必ずしも米国がそうしたとは言えないかもしれません。


 また、環境改変兵器に関しては、わたし自身は最新武器や機械の専門家ではないので、その機序が十分良く分かっていません。このことについては判断があまりできないというのが正直なところです。


 また、わたしはその環境改変兵器を中国が日本に対して使ったとしても驚きません。日本は、そうされてもおかしくないような悪いことを戦時中に中国を始めとした東アジアに行ったと思います。また、台風に関しては、確かに温暖化は、台風の発生頻度を高くし、また、台風の勢力をより大きなものにしているのかもしれません。



(8)日本とキリスト教の神エホバとの歴史的な関係


 日本は、戦国時代から江戸時代、明治時代の初期に至るまで、クリスチャンたちを激しく迫害してきました。そして、昭和天皇の時にも、クリスチャンを迫害し、また、アジアにいる何千万もの人々を殺害しました。それで、そうした日本の過去の罪は、エホバ神のみ前にまだ残っていると思います。


 それで、日本が今日、戦争だけは避けるといういい点があっても、現在、悪霊の神と偶像を崇拝し、エホバ神に頼っていないので、次々と国難にあい続けているとしても不思議ではないと思います。



 そして、わたしは今、中国や東アジアの諸国が太平洋戦争で、日本が行ったことに対する復しゅうのため、日本を攻撃してきて、日本が太平洋戦争で、殺したのと同じだけの数の日本人を殺すという復しゅうをしていないので、感謝すべきことだと思います。


 ですから、日本がしてきたことがある程度大目に見られているのであれば、米国が日本にした害悪にも目をつぶることができるのではないかと思います。日本人が過去に殺した人々が属する諸国家が日本に戦争をしかけてこないのであれば、日本も米国に戦争をしかけないようにした方がいいのではないかと思います。


 でも、エホバ神は日本が過去に行ったクリスチャンに対する残虐な迫害と、諸国家の人々の血を流したことについて、米国、あるいは別の形で、ご自分の怒りを表明されると思います。


 日本政府は、過去に、クリスチャンたちを殺害することによって、エホバ神に対する憎しみを表したので、そのことに対する復しゅうは、三代、四代先の子孫にもたらされるということがあるでしょう。 (出エジプト20:4)そして、日本は、繰り返し、天照大神を崇拝し、偶像崇拝を行って、エホバ神に不敬と憎しみを表しているからです。


 それで、反米感情を募らせるよりも、日本は、聖書の神エホバとの関係を正すようにして、過去に犯した罪を許していただいて、神への祈りを聞いていただけるようにした方がいいのではないかと思います。その方が、永遠の命に導かれることになります。エホバ神を崇拝する時、死んでも、将来復活するという希望があります。(使徒24:15)


 日本は、過去に犯した流血の罪の結果を刈り取っていると思います。しかし、それは、米国にも起こります。しかし、それは他の諸国家にも起こると思います。エホバ神は命の与え主であり、命を尊重する方だからです。


 ですから、自国になされた害悪は、その当然帰すべきところに対して、エホバが復しゅうされることにお任せしておけばいいと思います。(ローマ12:19)エホバ神が行動されます。ですから、日本としては、米国の平和産業から輸入をして良い関係を保つように努力していればいいのではないかと思います。


(9)オーストラリアに起きている森林火災の原因

 オーストラリアに2019年から2020年まで、長期間森林火災が非常に数多く起きて広範囲の地域が燃えてしまいました。これは、確かに壊滅的な国難です。この森林火災の大半の原因は、人的なもの、すなわち放火です。

 オーストラリア人のとりわけ若者が放火していて、警察に多数の人々が逮捕されたと報道されています。オーストラリアは、米国との軍事同盟に頼り、米国に追随して、戦後もベトナム戦争イラク戦争など、数多くの戦争に派兵してきました。


 政府がそのように行動すると、国民は反政府的になるのではないかと思います。とりわけ、若者は、政府に影響を受けますから、政府が武力に頼っていれば、暴力的・破壊的な行動をしても、構わないと考えると思います。


 国家の戦争は、国民の考え方や生活態度に大きな影響を与えます。日本も戦前は、たくさんの戦争にかかわっていたので、殺人率を初めとして犯罪発生率がとても高かったです。家族内、男女間の猟奇的な殺人事件も多かったです。戦後、日本が戦争をしなくなって、犯罪発生率は徐々に低下してきました。ですから、国家が戦争をしないということは、国民が平穏に生活するようにその精神状態に大きく影響します。


 このことを考えても、日本は、近年の非常に難しい、実際、信頼を裏切られる行動を取られ、さらに、多数の国民も犠牲になったとはいえ、憲法九条を守った方が良い結果になると思います。


 戦争が起こるとその犠牲者は数万人、数十万人では済まなくなります。日本が過去において、エホバ神の崇拝者にしたこと、そして、日中戦争、太平洋戦争で、何百万人、何千万人もの海外の人々を殺害したことを考えるならば、日本が被っている被害は小さなものだともいえるのではないかと思います。


 ですから、日本政府は憎しみに動かされて反米の態度をとり、反米戦争に加わるのではなく、イエスが勧められた憲法九条に従って、より良い結果を刈り取るようにお勧め致します。


 反米感情に巻き込まれて殺人を犯すことをするのではなく、平和に生活し、命を尊重することを勧められるエホバ神に尊重するようにお勧めします。



 

0Nihon_Kenpo
日本国憲法九条はキリスト教の原則とも調和します




 
 
 





憲法9条に頼ることによって国家の存続を危うくするのかー三島由紀夫の改憲論

   日本政府が天皇制に戻って、憲法9条を廃止したいと願っています。三島由紀夫は、切腹自殺を遂げましたが、彼は、憲法9条を削除して、改憲し、天皇制を復興したいと願っていたからです。

 

 三島由紀夫は、自身、神風特攻隊になりたかったのです。そして、神風特攻隊となった者たちがとても純粋で美しいと考えていたので、そのことが間違いだったことになるので、天皇人間宣言を面白く思っていませんでした。それで、実は、切腹自殺をする前に天皇を殺したいという気持ちも持っていたということを聞いた人の話もあります。

 

 三島由紀夫は、自身、二二六事件で亡くなった人の死霊に影響されていたのではないかと考えていました。しかし、聖書は死んだ人の霊ではなく、悪霊が存在していると述べています。しかも、聖書はそれぞれの国の背後に悪霊の君が存在することを明らかにしていますから、三島由紀夫は、日本の背後にある悪霊から影響をされていたのかもしれません。

 

 今回の記事では、聖書の原則に従う時には、聖書の神エホバの助けがあることを示す事例を説明したいと思います。

 

 

(1)三島由紀夫改憲


 三島由紀夫は、日本国憲法の9条を削除して改憲してしまうべきだと考えていました。三島は、外国の軍隊は決して日本の「時間的国家の態様を守るものではないこと」を自覚するべきだとしていました。


 
他の軍事強国が自国を必ずしも守ってくれないというのは、三島の言うとおりです。軍事強国は自国の益を第一に行動しますから、お金のために小国を守ることもありますが、状況によってはその小国を同時に軍事攻撃することもあります。



 
聖書によると、アッシリアイスラエルを守る結果になったことも書かれていますが、同時に、アッシリアは北のイスラエルを滅ぼしたことが書かれています。また、エジプトは、ユダを守ろうとしたこともありました。でも、エジプトは同時にユダの王ヨシアを殺しました。ですから、他の軍事強国をあてにするのは確かに、賢明ではありません。


 しかし、相手国がかたくなな戦闘的な国家で、憲法9条に従って、平和外交に頼ってもうまくいかない時には、もし、神とイエスに従うために、平和外交の努力をしたのであれば、エホバ神は、その神とイエスに従った努力を認めて、そのクリスチャン、また、その国家を助けてくださると思います。

 
(2)問題が生じた時平和交渉で解決できることや神のみ手が働くことを示す事例
 
 最近、紹介しましたが、2008年、カダフィ大佐独裁政権としてリビアを支配していた時に、カダフィ大佐の息子がスイスで暴力事件を起こして逮捕されました。そのことに怒ったカダフィ大佐は報復としてスイスに対し、石油輸出を禁止し、また、二人のスイス人のビジネスマンを逮捕しました。
 

f:id:littleyohane:20200106132311j:plain

スイスのメルツ大統領ー彼はリビアとの平和交渉を努力して神の助けを得た

 
 スイスのメルツ大統領は、2009年、リビアを訪問して、カダフィ大統領に謝罪をしました。結局、二人のスイス人は、時間はかかりましたが、無事に釈放されました。メルツ首相の平和的な対応の仕方はうまくいきました。
 
 
 
 また、2009年にスイスは国民投票でモスク(イスラム教礼拝所)の塔の建設禁止を決めました。わたしはこれは、国家の憲法などに信教自由が規定されていれば、国家によってはそうしたことについての決定はさまざまだと思います。また、柔軟性がないとスイスの決定を非難したいと考える人もいるかもしれないと思います。
 
 
  しかし、多くのスイス人の観点からすると、キリスト教の神に対する忠実のためにモスクの塔の建設を認めたくないという決定だったのだと思います。
 
 
 それに対して、カダフィ大統領は、「モスクを破壊する不信心で節度を欠いた国だ」とスイスを非難し、すべてのイスラム教徒に対し、スイスへのジハード(聖戦)を 遂行するよう求めました。また、大佐は「スイス人と働く者は背教者」とし、イスラム世界 のあらゆる空港へのスイス航空機の着陸阻止や同国製品などの不買、排斥運動を呼びかけたということです。
 
 
SWIswissinfo.ch
 
 
 しかしながら、結局カダフィ大佐は、2011年にリビアで起きた内戦で死亡し彼の政権は崩壊してしまいました。しかし、スイスは内戦での負傷者をスイスの病院で手当てをする処置をとりました。また、リビアの反政府勢力にNATOが関係していたようですが、スイスはNATOにも加盟してはいません。それで、スイスとリビアの関係は改善されていきました。
 
 
SWIswissinfo.ch
 
 それで、スイスは聖書と調和した平和主義と中立主義で問題を乗り越えることができました。


  スイスはリビアふたりのスイス人のビジネスマンをすぐには開放しなくても、自国を脅かしても、リビアに対して軍事的な措置を取りませんでした。すすなわち、スイスは自分で復しゅうしませんでしたが、エホバ神が行動してくださったのではないかと思います。

  スイス政府としては、聖書に従って最善を尽くして平和外交の努力を払って、リビアに対して武力を用いたりすることはなかったので、エホバ神はスイスが守られるように助けてくださったと思います。ですから、一時的にスイスの大統領が辱められるとしても、聖書の原則に従った価値があったと思います。
 
 
 このことは、アフガニスタンで医療活動や灌漑を行って干ばつを乗り越える利他的な助けを差し伸べていた中村哲さんがイスラム教のモスクを建設した後に、銃撃を受けて死亡したのとは対照的ではないかと思いました。中村さんは、クリスチャンですから、モスクの建設に携わるのは偶像崇拝になり神へ不忠実を示したことになってしまったと思います。
 
 
 ですから、神に忠実を保つ時に、神からの助けがあり事態を乗り越えることができますが、不忠実になると事態を乗り越えることができるように見えても、神からの助けを失ってしまいますから、結局自らに災いを招いてしまうように思います。
 
 
(3)日本国憲法9条に従っても国家の存立が危うくならない事
 
 
 三島は日本国憲法第9条の条文が「国家としての存立を危ふくする立場に自らを置くもの」であると断じています。そして、いかなる戦力(自衛権・交戦権)保有も許されていない憲法第9条第2項を字句通り遵守すれば、「国家として死ぬ」以外にはないと述べています。
 
 
 
 しかし、三島はクリスチャンでありませんから聖書の神への信仰を持っていませんでした。神エホバに忠実を保つならば、エホバ神はご自分の原則に忠実な国家やクリスチャンに対してその大きなみ手によって助けを差し伸べてくださいます。それは、スイスの事例も示しています。
 
 
 
 
 ですから、聖書の勧める平和主義と中立主義を行う時に、『国家としての存立を危うくする立場に自らを置くもの」ではありませんし、また、そうする時に、「国家として死ぬ」以外にはないということはありません。
 
 
 結局、神に従うためにさまざまな苦難に直面するとしても、神の助けによってその苦難から抜け出すことができます。スイスに起きた出来事はそのことを示しています。ですから、聖書と調和した憲法9条に神への信仰を持って従う時に、神は日本を助けてくださるはずだと思います。
 
 
 
 ですから、私たちは、絶対に聖書の原則に従わない方が結果が良くなると考えるべきではないと思います。
 
 
 
 
 聖書の原則に従わないならば、神の是認を失いますので、神からの目に見えない助けを失ってしまいます。反対に、エホバ神は私たちより物事をずっとご存知ですので、私たちが苦難にあう時に、それに対する対処法をご存知です。エホバ神は神に忠実な国家や人々のために物事を動かして助けを与えてくださったり、対処するための知恵を与えてくださると思います。
 
 
 
 
 「義なる者はたとえ七度倒れても,必ず立ち上がる」と聖書は述べています。ですから、神に忠実に従おうと努力するクリスチャンが7回苦難にあっても、神の助けによってそこから抜け出して立ち上がることができます。(箴言24:16)



 さらに、聖書は「まことの神を恐れる者たちが神を恐れていたために良い結果になる」と述べています。(伝道の書8:12)
 
 
 
 聖書は、聖書の原則に従うクリスチャンたちが苦難に遭わないと保証はしていません。そのために、死者という犠牲も出るかもしれません。しかし、歴史を大きく見ていくと、聖書の原則に従っている方が、その後、何十年もときには、何百年経っても良い結果を刈り取ります。
 
 
 
 ですから、紛争が起きる時、戦争に頼らないで話し合いによって紛争を解決する努力をするという憲法9条は、基本聖書に調和しており良い結果になると思います。そして、武力によって紛争を解決することをしないために、相手国から占領されることがあっても、その国民の命と資産は保全されます。
 
 
 
 例えば、アイスランドも軍隊を持っていなかったので、太平洋世界大戦中に英国軍と米軍に占領されました。しかし、後になって米軍基地は撤収することになりました。
 
 
 
 
 日本でさえ、米軍は、占領統治をやめて、マッカーサー将軍は本国に帰ることになりました。降伏しても、後程、自治権が戻ってきたのであればそれで良かったのではないかと思います。ですから、日本の場合でさえ、遅くなりましたが平和主義が助けになりました。
 
 
 わたしは日本政府や自衛隊は、戦前の天皇が崇拝され、政府や軍隊が実権を握る形態に戻って、日本帝国を拡大しようと考えるべきではないと思います。


 日本は、戦時中、天皇崇拝と神道を推進しました。神道は、古事記日本書紀という書物に基づいています。古事記日本書紀の冒頭は、小学生でも作り話であるということが分かる偽りが含まれています。そうした偽りをひとつの国家の基に置くのは、良いことではないと思います。
 
 
 
 
  自民党が最近作った新しい憲法草案も、天皇を政治の長にするという規定が含まれていたのではないかと思います。それで、天皇中心で戦争をしていた戦前の日本が良かったと考えておられるのではないかと思います。



 これは同性愛者で神道天皇崇拝者であった三島由紀夫とほとんど同じ考え方ではないかと思います。それで、戦前日本が行っていた多大の流血の反省は実際にはないのではないかと思えます。
 
 
 
 日本は、明治から大正、昭和に至るまで、数百万人、あるいは数千万人の人びとの血を流していると思います。日本は同じような罪を繰り返さないようにするべきだと思います。そして、その罪をキリストの贖いの犠牲に基づいて、エホバ神に罪の許しをお願いするべきだと思います。


(4)聖書の神はエホバはご自分を崇拝することを公言しご自分の教えに従う国家やグループを助けて祝福される


 今、何世紀ものあいだ聖書の神を崇拝していることを公言し、努力をしてきた欧米が、その信仰と努力を放棄しつつあるという状況があります。欧米は、その状況のもたらす結果をそのうちに経験することになると思います。
 しかしながら、欧米諸国は今でも、世界でも経済のトップレベルにある諸国家が多いです。それは、欧米諸国が聖書の神エホバろ崇拝することを公言してきて、国によって度合いは違いますが、過去に何世紀にもわたって聖書の神に従い、その原則に従う努力をしてきたので、その益を刈り取ってきたのだと思います。

 一方、日本は戦後、諸外国に対して平和主義を取ってきました。また、国民に対して親切にしました。そのこと自体は、愛ある賢明な対処の仕方でしたが、それは、聖書の神エホバ神に対する崇拝を中心にして行われませんでした。そのために、努力をしても、聖書の神を崇拝している諸国家に先を越される結果になっていると思います。


 全知全能の神エホバはご自分に対して信仰を表明する国民に助けを与えられますが、他の宗教を奉じる人々には基本助けを与えられないからです。



 ですから、日本は努力を払ってもその努力の結果が、無駄になることがあります。偶像崇拝をしており、その宗教が神道や仏教であり、また、進化論や無神論だからです。偶像は、国家にも何の助けを与えませんし、悪霊に頼ると、滅亡に巻き込まれる結果になります。



 日本のダーウィンの進化論を受け入れる人々や無神論者は、自らを賢いと考えています。しかし、実際は、論理的・理性的な思考力に欠けます。また、日本の進化論者や無神論者は道徳的な規範を投げ捨て、そのために、その生活の質は低下します。


 ですから、スイスのように、あるいは他の国家のように、聖書の神を崇拝していると公言している諸国家の方が、賢く、あまり、努力をしなくても上になるという結果になります。


 わたしは米国は、そのキリスト教が背教しつつあると思いますし、米国でも進化論者や無神論者が増えてきています。また、近年はとりわけ流血の国家となつていると思います。


 しかし、それでも米国の人々の中には、聖書の神を崇拝するよう努力を払ってきた人々が従来、数多く存在してきたと思います。そのためにも、ある程度は、聖書の神エホバ神の祝福と助けが米国にあったと思います。そのためにも、ある程度は米国が経済的にも祝福を得た部分もあったのではないかと思います。

 
 
 日本の実情は、神道や仏教などの偶像崇拝に頼り続けており、聖書の神エホバ神に頼るクリスチャンは、日本の中で少数派であるというのが現状です。そのために、日本は平和を求め親切を行うという神の目に良いことを行いながら、神の目には良い立場を持てていないという現状があります。
 
 
 最近国を挙げて行った大嘗祭でも、日本はエホバ神の大きな怒りを買ってしまいました。このままでは、大きな国難が日本に臨んでもおかしくはないと思います。
 
 
 三島由紀夫は決して賢明な生き方をしたとは言えません。彼は自分の才能を無駄にする自滅的な生き方をしました。また、憲法9条を廃して天皇制を回復して軍国主義を採用しようとする彼の考え方も、決して実際的なものではありません。
 
 
 
 キリスト教イエス・キリストが勧められる原則に従うことが神の助けと祝福が得られるので結果がいいです。過去において神道天皇制に従ってきた日本が最終的にどんな結果を刈り取ったかは、天皇に政治の実権を与える過去の日本の神道中心の政治システムが賢明でなかったことを示しています。決して、以前の賢明でない政治のシステムに戻ることのないよう日本の政治に携わる方々にお勧めします。


  また、キリスト教の価値を認めて、キリスト教の神エホバに頼って、その助けと益を享受されるようお勧め致します。
 
 


憲法9条を廃止して天皇制を復活するべきかー三島由紀夫の主張とキリスト教の見方

(1)三島由紀夫は割腹自殺を遂げて憲法九条を廃棄させたかった


 わたしは今回、日本人の自殺について調べていて、三島由紀夫が割腹自殺を図ったことに注意をひかれました。それで自衛隊と関係した三島由紀夫がどんな趣旨で割腹自殺を図ったのか、Wikiの「三島由紀夫」や「三島事件」「檄 (三島由紀夫)から詳細を調べました。



 三島由紀夫は、1970(昭和45年)1125陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内で総監を人質にして総監室を占拠後、最後の声明文である「檄」を撒布してバルコニーから演説しました。彼の目的は、自分の衝撃的な死によって自衛隊を決起させて軍事クーデターを起こして憲法九条をなくして自衛隊を日本国軍にし、天皇制に戻してもらいたいという意図があったようです。




0Mishima_Yukio_1970


1970年自衛隊の市ヶ谷駐屯地から演説している三島由紀夫
檄を配り割腹自殺を遂げる
三島は何を主張していたのか




 彼は神道信者であり軍国主義者でした。また、残された彼の「檄」などの言動からすると彼は天皇を日本の偶像として崇拝し、憲法9条を含む日本国憲法を廃棄したいと望んでいました。


 三島は、自衛隊が軍事クーデターを起こして、戦前のように天皇崇拝を復興することを望んで割腹自殺というような人々の感情をゆさぶる行動に出たようです。


今回の記事では、三島が割腹自殺によって主張したかった政治的主張についてとりわけ、考察したいと思います。 


(2)三島由紀夫はどんな人物だったか・どんな考え方をしていたか


  彼が残した遺書風のメモには、「限りある命ならば永遠に生きたい. 三島由紀夫」と書かれていました。ですから、彼は死ぬことによって永遠に生きる霊魂になると信じていたのではないかと思います。ですから、彼は、自殺をすることを決して恐れなかったのでしょう。


 三島由紀夫学習院高等科を首席で卒業し、卒業式では総代を務め、昭和天皇から銀時計を賜りました。また、東京帝国大学に入学しました。彼は神風特攻隊に入りたいと考えていましたが、新兵検査で落ちて、兵隊としてとられず、終戦を迎えました。


 三島由紀夫代表作は小説に三島自身の両性愛的な傾向と性的な不能を告白した仮面の告白』や、人妻の姦通を描いた美徳のよろめき』 などがあります。また、二・二六事件銃殺刑に処せられた青年将校と、神風特攻隊員のが、天皇人間宣言に憤り、呪詛する様を描いた『英霊の聲』(えいれいのこえ)という短編小説があります。


 ですから、確かに三島由紀夫は、神道と仏教の国日本の国の人らしい、とても日本人らしい日本人でした。彼が、神道信者であり、天皇を崇拝するべきだと考えていたこと、あるいは日本を崇拝し、守ることが大切だと考えていたこと、また、死者の霊が存在していて、死者の霊は死後に永遠に生きていると信じていたことが彼の作品群や残された「檄」からうかがわれます。


 

(3)悪霊の影響を受けていたらしい三島由紀夫


 三島由紀夫の「英霊の声」を三島から受け取った人が彼の7回忌にこのように語っています。


 『昨夜一気に書き上げた。出来上がってしまったのだ」と渡されたのだが、一読して全身の血が凍る思いがした。どういう気持から書いたのかと聞くと、ゾッとする答が返って来た。「手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々から低いがぶつぶつ言う声が聞える。大勢の声らしい。耳をすますと、二・二六事件で死んだ兵隊達の言葉だということが分った」怨霊という言葉は知ってはいたが、現実に、公威(三島の本名)に何かが憑いている様な気がして、寒気を覚えた。』


 聖書は死んだ人は感情も意識も無くなっていると述べています。(伝道の書9:5,6)しかし、聖書は邪悪な霊者すなわち悪霊が存在していることを明らかにしています。彼らはエホバ神が最初に作られた自由意志を持つみ使いでしたが、神に反逆して堕落した悪霊です。(ユダ6創世記6:1,2)



 

0evil angels
元は神のみ使いだったが人間を真の神から引き離そうとしている悪霊たちが存在している



 悪霊に影響されて、人は声が聞こえたり、幻を見たり怖れを感じることがあります。(ヨブ4:14,15)悪霊は真の神への信仰に反する事柄を促進するために霊媒などを通して人に影響を与えることがあります。(レビ19:31)


 悪霊は、三島を支配し「英霊の声」を書かせて、天皇崇拝を復興させ、日本が再び戦争を行える国にして日本を災いに巻き込みたいと考えたのではないかと思います。三島が切腹自殺というような狂気の行動に走ったのも、悪霊の影響があった可能性があります。

 

 

 

(4)三島由紀夫の日本を崇拝するべきだという考え方


 三島はその切腹の前に書かれた檄の中で、「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか」と語っていました。


ですから、三島は日本を愛していて、日本を大切にしたり守るということは何よりも大切にされるべき価値があると考えていました。いわゆる、日本を崇拝の対象にするべきだと言っていたとも言えるかもしれません。



 わたしも日本はとても良いところが多い国だと思います。日本は、戦後は、憲法9条に従っておおむね戦争にかかわることを避けてきた平和な国です。また、政府は日本人の年配者や困窮している人々にとても優しく、2145667 人の人に生活保護を与えています。これは日本政府が社会的な弱者にとても親切であることを示しています。日本社会では助け合いと協力がなされていると思います。


 おおむね日本人は、行儀が良く、マナーをよく守ります。殺人者や粗暴な人は諸外国よりは多くはないのではないかと思います。親切な日本人が存在していて、戦後はとりわけJICAなどの取り決めに従って発展途上国の人々のために利他的献身的に尽くしてきた日本人も少なくありません。


   また、ギャンブル依存症を抜け出すのを助けるボランティアグループや貧しい子供たちを助ける子供食堂や学習援助のボランティア・グループなど他の人を助ける利他的な努力をする人々、被災地の人々を助けるボランティアをする人々も各地に存在します。



  また、難民を国際的に利他的に助けたことで有名な緒方貞子さんはキリスト教系の方です。また、最近の震災などの災害で民間で先頭に立ってボランティアの援助を行っているのは、エホバの証人キリスト教会の方々です。日本ではクリスチャンの人口はほんの1,2%なんですが、そういう人々ががんばっています。


 
こういうボランティアのキリスト教系の人々は、天皇制の強かった戦前にはいなかったのではないかと思います。




  また、自然も美しいです。




0mt-fuji

0Japanese beautiful place
日本は自然も美しい





 しかしながら、日本はマイナスの局面もあります。日本の歴史を調べてみるとその最初から、権力争いのために殺人と争いを続けてきました。日本の主な宗教である仏教と神道は日本が流血や自殺を避けるように助けてきませんでした。



 どこの国でもそうですが、日本にも昔は剣を使う武士がいました。また、戦時中は、暴力的横暴に振舞う憲兵や警察が存在していました。豊臣秀吉の時にも、外国を侵略しました。また、明治・大正・昭和と外国を侵略して多くの戦争を行い、大量の血を流しました。



 また、日本で人気のあるヒーローのひとりは天下を統一した豊臣秀吉です。わたしは最近まであまり認識していませんでしたが、彼は日本にキリスト教を伝えるためにやってきていた宣教師たちと日本の信者たちの中心になるメンバーを処刑しました。



 豊臣秀吉は、無抵抗のクリスチャンたちを、長崎で処刑したキリスト教徒の迫害者でした。江戸時代もキリスト教徒は厳しい
弾圧を受けました。




0toyotomi hideyoshi military man
日本のヒーロー豊臣秀吉キリスト教徒の迫害者である流血の軍人
日本ではそのような人がヒーローになっている




 秀吉は、自分では仏像のたたりと考えていたのですが、次の年、病気になって回復せず、死にました。わたしは秀吉が殺害したクリスチャンの中には、いわゆる神殿級、つまり真正なエホバの油そそがれた者が含まれていたので、エホバ神が秀吉を滅ぼした可能性が高いのではないかと思います。(コリント第一3:16,17。サムエル第一26:9)また、彼の政権は天下をとっていたのに、滅ぼされてしまいました。


 また、ギャンブル依存や薬物依存から抜け出すよう助けるキリスト教系の民間の利他的な努力が払われている一方で、政府はギャンブルを促進する法律を制定しようとしています。わたしの記憶では、韓国も北朝鮮も台湾でもギャンブルの一部を禁止していますが、日本の従来の良い習慣を政府が先頭に立って捨てるという傾向も見られます。

 ですから、いい所があるとは言え、日本を崇拝し一番大切にするというのは間違っていると思います。日本は基本キリスト教の規範がありません。日本が誇るべき日本国憲法が制定されたのは、その当時日本で非常に数少ないクリスチャンの首相の影響があったからです。


0shidehara kijyuro
戦後最初のクリスチャン首相幣原喜重郎憲法9条憲法に入れるようマッカーサーに提案した






(5)三島由紀夫天皇を崇拝するべきだという考え方


  三島
は檄の中で、憲法9条全部を削除して、その代わりに「日本国軍」を創立し、憲法に「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される」という文言を明記するべきであると主張していました。


  三島は神道信者であったので、天皇を崇拝するべきだと考えていました。彼は、天皇神道天皇制を護るために、儀式を重要に執り行うべきだと考えていました。そして、自衛隊の一部が文官ではなく天皇に第一に忠誠を誓うべきだと考えていました。


 彼はまた西欧文明と結びついているとしてキリスト教に反対している反米の人でした。彼は、昭和天皇が自分は人間であると宣言したこと、篠原喜重郎が昭和天皇にそのような宣言をするよう天皇に勧めたことを快く思っていませんでした。しかし、彼は自衛隊で割腹自殺を図る前に、昭和天皇を殺したいとも思ったということを聞いた人もいるようです。


 それで、自衛隊の隊員が戦時中に神風特攻隊のように天皇のため、また、日本国のために自分の命を捧げていることを「至純の魂を持つ」として称えています。すなわち、それが純粋で美しいことだと賞賛しています。しかし、天皇は私たちの第一の忠誠を示されるに値する存在でしょうか。



 昭和天皇ご自身が「人間宣言」をされたように天皇は、ただの罪を犯す場合もある人間に過ぎません。昭和天皇ご自身が戦時中のご自分の決定に誤りがあったのではないかと大変悩まれたのです。




 そして、そのもっとも大きな責任をご自分の親しい臣下近衛文麿にあったと考えられましたが、全体的に言って日本が戦争をしたこと、もっと早く戦争を終わらせなかったことは間違いであったと考えておられたのです。天皇の間違いは大きなものでした。



 結局、昭和天皇がご自分のため、日本のためと考えて命を捨てた若者が間違った仕方で命を捨てたことを認められたのです。このことで、三島は昭和天皇を恨んでいました。三島は天皇を崇拝して死ぬということが間違っているとされるので、天皇人間宣言をしたことを快く思っていませんでした。


 でも、実際、天皇は、太平洋戦争をしたことに大きな間違いがあったと認めておられました。ですから、間違いをすることのある現人神ではない天皇を崇拝するのは間違っています。



 しかし、
わたしヨハネも同様に間違いをします。イエス・キリスト以外アダムの子孫は皆罪人で誰一人完全な人間はいないからです。(ローマ5:12)その時点で最善なことは何なのかをご存知であるのは、全知全能の神エホバだけです。(箴言2:6)神エホバを崇拝することだけが、正しいことです。後になって後悔することがありません。

 

 

  それで、三島由紀夫は、日本と天皇を崇拝する神道を促進するべきだと考えていました。そのため、三島由紀夫は、憲法九条を廃止して、戦前の天皇制を再び、施行するために、自衛隊に決起して軍事クーデターを起こしてほしいと考えて、あのような過激な行動に出ました。

 

 しかし、昭和天皇ご自身が、日本を戦争に追い込んでいったことを大変悔やんでおられ、ご自分の判断と決定に間違いがあったのではないかと悩まれました。ですから、天皇も間違いをする人間に過ぎません。昭和天皇ご自身が、人間宣言をしたのですから、天皇を崇拝する天皇制に戻るのは、賢明ではありません。

 

 人間を崇拝することは、後になって、後悔をもたらすだけです。ただ、万物の創造者エホバを崇拝することだけが、最善の決定をいつもくだすことができ、良い結果をもたらします。

 

 三島由紀夫は、自分自身では、二二六事件で死んだ士官の死霊がついているのではないかと考えていました。聖書は、死霊ではなく、国家の背後に悪霊が存在していることを明らかにしています。それで、三島由紀夫は、悪霊の影響によってああした自滅的な行動に走ったと思います。

 

 一方、憲法九条は戦後初めてのクリスチャン首相であった幣原喜重郎の影響によって成立した条項でした。それで、憲法九条は、生命尊重と平和主義の聖書と調和しています。第二次世界大戦の時に、聖書に従って平和と中立に努力をした北欧は、貴重な人材と国土の資産を守って、戦後、世界でもっとも豊かな国々としてとどまりました。

 

 それで、流血と自殺を非としていない神道と仏教に従うのではなく、生命を尊重し、平和を守ることを勧める聖書の教えに従う方が、より健全で、結果がいいと思います。さらに、自分で復しゅうするのではなく、平和を求めるやり方は、聖書の神エホバの助けを得ることができます。ですから、憲法九条を守る方が、健全で、エホバの是認と助けを得ることができると思います。

金正恩委員長に方向転換のお勧めと信仰を持つ方々にお祈りのお願い

  先日、北朝鮮金正恩委員長に収容所に収容されているクリスチャンの開放をお願い致しました。金正恩委員長はさほど、聖書の神の実在について強い確信をお持ちでないと思います。それで、ネットで見いだされる情報と聖書から付加的な情報をお知らせします。


(1)アイスランドの忠実さの例に関する補足 


  聖書の神エホバが歴史を通して実在しておられて、国家の忠実さに助けを与える例としてアイスランドが経済危機を乗り切った例を挙げました。


 しかしながら、先回記事を投稿した時点では気づいていないことがありました。アイスランドの首相は2009年より2013年まで、ちょうど金融危機の時は、同性愛結婚をしていた女性首相であったようです。 


 聖書は同性愛をクリスチャンに認めていません。(ローマ1:26,27)そのアイスランドの首相は教会員ではなかったのかもしれません。それはまだ現在、確認できていません。わたしはこのことについて付け加えたいと思います。


 確かに、アイスランドがレズの首相を選んだのですから、アイスランド国民が聖書の正しい基準から離れていると言えました。また、聖書の神にとってアイランドの政治のトップが神や聖書に忠実かどうかは神にとって重要なことです。


 アイスランドでは、結婚しないで、子供を作ること、すなわち淫行が国民の間ではびこっているとのことです。それで、全体的に聖書の神に対する信仰や聖書の原則に対する忠実を投げ捨てるようであれば、やはり、アイスランドに神の是認と助けと祝福は徐々に失われていくと思います。


 でも、今のところ、アイスランドEUに加わっておらず、戦闘や流血に参加することを避けています。戦争をしないで、平和を守るということについては国民全体で誇りと安心感を抱いています。また、現在の首相は同性愛者ではありません。


 しまた、アイスランドは、聖書に基づいて軍隊を持たず平和と中立の立場をとってきた期間も長いです。そのために、アイスランドは今でも、聖書の原則に対して忠実であったために、そのための神の助けと祝福を今でも刈り取っているのではないかと思います。


 しかし、アイスランドの国民全体が聖書の神への忠実を投げ捨てていくようであれば、エホバ神はアイスランド国難が臨むようにされる可能性があります。今からアイスランドがどうしていくかを見ていく必要があります。



(2)北朝鮮の収容所で行われている拷問 


  また、先回、北朝鮮政治犯収容所で行われている拷問に関してネットで見た情報をお知らせします。金正恩委員長はご存じないということもあるかもしれません。


 「保衛部は逮捕した信者を眠らせず、5日間ぶっ通しで暴力を振るいます。そうすれば、やっていないことでもやったと答えてしまうのです。5人がかりで丸太で殴られるのですから。目撃した人の話では、冷凍拷問というのがあるそうです。服を全部脱がせて冷凍室に閉じ込めるというものですが、ほとんどの人が低体温症で死んでしまうそうです。鉄格子に手を縛り付けて、足が地面につかないようにして放置するという拷問もあります。ろくに食事も与えずに暴力を振るい続ければ、数日で死んでしまいます。」


https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20170422-00070184/ 



 もし、上記のような拷問が、北朝鮮の人々が単に聖書に対する信仰を持つために行われているというのであれば、とりわけそれは問題だと思います。

https://youtu.be/1y0yhV6IT7o

 





(3)わたしたちと世の罪を許す根拠となるキリストの贖いの犠牲 


 また、ひょっとして金正恩委員長はご自分と北朝鮮の国民の罪は大きすぎて、エホバ神が許しくださるか確信が持てないと思っておられるかもしれません。しかし、エホバ神はわたしたちの罪を許す根拠としてキリストの贖いの犠牲を備えてくださいました。


  エホバ神は、わたしたちの罪のための罰を罪のなかったイエス・キリストの上にもたらされました。イエスはわたしたちの罪のための罰を代わりに負ってくださいます。(イザヤ53:4,5)


0jesus sacrifice
私たちの罪の身代わりとして罪のないイエス・キリストが苦しみの死を経験し神に贖いの犠牲を捧げてくださった





 そのために、どんなに重大な罪であっても、エホバ神のみ前に身を低くして、キリストの贖いの犠牲に基づいて罪の許しをお願いするならば、エホバ神は罪を許してくださいます。(ヨハネ第一2:1,2)


 そして、罪の許しをお願いしたなら、再び同じような罪を犯さないように懸命な努力が必要です。



(4)捕虜をとても残酷に扱った古代アッシリアとその首都ニネベの人々


 エホバ神は、わたしたちが正しい生き方をしようとする努力に答え応じてくださる方です。昔流血の国家アッシリアが中東に存在していました。アッシリアは本質的に軍事強国で、とても残酷な国民で大量の人間を殺害していました。


0ancient map
古代アッシリアは捕虜をとても残酷に扱う異教の神を崇拝する軍事強国だった





 古代アッシリアに関する歴史的な彫り物は、アッシリアの恐るべき残忍さと強欲さを示しています。アッシリア帝王の一人,アシュルナシルパルは反逆した幾つかの都市に科した処罰を次のように説明しています。 



 「わたしは彼の都市の城門の前に,それよりも高い柱を建て,反乱を起こした首領らすべての皮をはぎ,彼らの皮でその柱を覆った。ある者らをわたしはその柱の中に封じ込め,ある者らを柱の上で杭に突き刺した。……また,わたしは役人ども,反逆した王室の役人どもの手足を切断した。……わたしはある者たちの手や指を切り取り,ほかの者たちの鼻や耳や指(?)を切り落とし,多くの者の目をえぐり出した。



 わたしは生きた者どもで一本の柱を,頭でもう一本の柱を作り,彼らの頭を都の周りの柱(木の幹)に縛り付けた。彼らの若者たちや乙女らをわたしは火の中で焼いた。……二十人の男をわたしは生け捕りにして,彼の王宮の壁に埋め込んだ。」―「アッシリアバビロニアの古代の記録」,D・D・ラッケンビル著,1926年,第1巻,145,147,153,162ページ。 



浮き彫りにはしばしば,鼻や唇に刺し通した鉤に綱を付けて引かれて行く捕虜や,槍の先で目をえぐり出されている捕虜の姿が描かれています。このように,アッシリア人の戦いには極端に残虐な仕方で敵を責めさいなむという特徴がありました。彼らはそうすることを誇りとし,それを念入りに記録しました。




0assyrian king-Assurbanipal
アッシリアは諸国を侵略略奪する軍事強国で捕虜を残酷に扱った




0assyrian soldier behavior

 

Assyrian soldier, using a dagger, about to behead a prisoner from the city of Lachish. 
Detail of a wall relief dating back to the reign of Sennacherib, 700–692 BC. From Nineveh, Iraq, 
currently housed in the British Museum


  その残忍さが知られていたことは,彼らにとって軍事上有利に働き,彼らは攻撃をする際にその進路にいた人々の心に恐怖の念を吹き込み,抵抗力をくじきました。



 (5)エホバ神は残虐な行いを容認されず隣人を自分自身のように愛するよう求めておられる



  しかし、エホバ神はそうした残虐な行いを容認されない方でした。聖書の中でエホバ神はそうした行いを非としていることを表明されています。


 ローマ書には、「あらゆる不義・邪悪・強欲・悪に満たされ,ねたみ・殺人・闘争・欺まん・悪念に満ち,・・・神を憎む者で,不遜,ごう慢,またうぬぼれが強く,有害な事柄を考え出す者・・・自然の情愛を持たず,憐れみのない者」であることを非としていて、「こうした事を習わしにする者は死に価する」と述べられています。(ローマ1:29-32)


    聖書の神エホバは人間を創造してくださった方ですから、ご自分の像に創造された人間が互いに愛し合って親切にするよう求められています。(ガラテア5:14)



0love each other
エホバ神は人間が互いを自分自身のように愛することを求めておられる



(6)ニネベに滅びを宣べ伝えた預言者ヨナ



 預言者ヨナがニネベに対して滅びを宣べ伝えたのは、西暦前九世紀後半ごろと考えられています。



 

0jonah and nineveh 1
預言者ヨナの神による裁きの音信を聞いてニネベの人々は悔い改めた





    ヨナの宣べ伝えたことを聞いたニネベの王は、国民に呼びかけてこう言いました。「人も家畜も粗布で身を覆うように。力をこめて神に呼ばわり,各自自分の悪の道から,その手の暴虐から引き返すように。まことの神が翻ってまさに悔やまれ,その燃える怒りから離れて,我々が滅びないようにしてくださることはないとだれが知っているだろうか」(ヨナ3:8,9) 




(7)古代ニネベ遺跡がある現在のイラクの都市モースル



  昔のニネベは今のイラクのモースルMosul
という都市の川をはさんだ対岸の丘に遺跡があることが有名です。イラクのモースルとはアッシリア語やクルド語でニネベを意味しています。


(モスル, 英語:  Mosūl クルド語MusilまたはNinevehアッシリア語ܢܝܢܘܐ, 'Ninewa')


  イラク北部の都市モースルはイスラムスンニ派が多いのですが、モースルは、ネストリウス派キリスト教徒の歴史的な中心地です。現代の都市モースルのティグリス川の東岸の丘クユンジクもしくは、ネビユナス(預言者ヨナの意)に古代のアッシリアの首都ニネベがありました。そこには、ヨナやナホムを含む数名の旧約聖書預言者たちの墓があるとされています。


 現在でも、モースルではネストリウス派キリスト教徒アッシリア人主要な少数民族となっています。


  
モースルのクユンジクの丘には、アッシリアの王セナケリブの宮殿の跡地があります。アッシリアの王セナケリブの名は聖書の3つの書歴代第二と列王第二とイザヤ書に全部で13回出てきます。セナケリブはユダのヒゼキヤ王の時に、エルサレムを脅かしましたが、み使いによって兵士が全滅してニネベに逃げ帰って暗殺された王として有名です。(イザヤ37:36-38) 



0stele_of_Sennacherib_Nineveh_Istanbul
ニネヴェで発見されたセンナケリブ石灰岩の石碑。トルコイスタンブル考古学博物館
セナケリブの軍勢185000人がみ使いにより一晩で殺されセナケリブがニネベに逃げかえったことで有名




 モースルの人口は1987年の66万あまりから2002年には、174万弱まで激増しました。20146月以降の過激組織ISILによる統治とその後の2017年にかけてのモースル奪還作戦の戦闘によってモースル市街は荒廃し、復興は遅れています。

0Saint_Elijah's_Monastery


Dair Mar Elia south of Mosul, Iraq's oldest monastery of the Assyrian Church of the East, dating from the 6th century. 
Dair Mar Elia (Syriacܕܝܪܐ ܕܡܪܝ ܐܝܠܝܐArabicدير مار إيليا), also known as Saint Elijah's Monastery, was a Christian monastery  just south of Mosul, in the Nineveh GovernorateIraq.
It was founded in the late 6th century,  It belonged to the 
Church of the East, an ancient branch of Eastern Christianity, and then to the Chaldean Catholic Church. and its monks were massacred by Persian forces. damaged during the invasion of Iraq in 2003, and was later demolished by the Islamic State of Iraq and the Levant (ISIL) in 2014.

モスルの南にある西暦前6世紀の東方正教会エリヤのための男子修道院だったが2014年にISILに破壊された





 


 昔、ニネベの王がエホバのみ前に身を低くして、暴虐と悪を行うことをやめて、生き方を変えるよう自分も努力し、国民にも呼びかけました。すると、エホバ神は最初はニネベをすぐに滅ぼすお考えだったのですが、ニネベの人々が悪と暴虐を改めたのを見て、予告された滅びを彼らに臨ませるのをやめられました。(ヨナ 3:2‐6)



 当時のアッシリアの王はアダド・ニラリ3世だったのかもしれないと考える人もいます。そして、歴史の記録によれば,アダド・ニラリ3世の後の王たち、すべてアダド・ニラリ3世の子であるシャルマネセル4世,アシュル・ダン3世,およびアシュル・ニラリ5世が支配した時期は,アッシリアの侵略的活動はあまり行われていませんでした。


0Adad-Nirari_stela
ヨナの言うことを聞いてへりくだったのかもしれないアッシリアのアダドニラリ3世





 ですから、アダド・ニラリ3世の父親とその子供たちの王たちの世代にアッシリアは、エホバ神に幾らか考慮を払ったのかもしれません。

(8)西暦前7世紀頃預言者ナホムはニネベに再び裁きの音信を伝えた


 しかし、後になって預言者ナホムが再び、アッシリアの流血に対して厳しく非難しました。それは西暦前七世紀ころと考えられています。
アッシリアの首都ニネベはナホムにより,「自分の穴」を「かき裂いた動物」の獲物で満たしている「ライオンのねぐら」,および「流血の都市」として描写されています。ナホムはエホバがニネベを攻めると預言しました。(ナホム2:11,12; 3:1)


0nahum
ヨナが宣べ伝えてから200年余り経ってナホムがニネベに再び裁きの音信を伝えた



 アッシリアは再び残虐な悪の道に戻ってしまいました。それで、ナホムがニネベに裁きを宣明してしばらくしてからアッシリアはバビロンとメディアによって滅ぼされてしまいました。ヨナの時代から200年以上経ってからです。 




バビロニア年代記は,バビロンの王ナボポラッサルとメディア人キャクサレスとの連合軍による攻囲の後にアッシリアの首都ニネベが陥落したことを詳述しています。「その都を彼らは廃丘や(がれきの)山にした」と記されています。(「古代近東テキスト」,J・B・プリッチャード編,1974年,305ページ)こうして,残忍なアッシリア帝国は終わりを迎えました。



0Cylinder_of_Nabopolassar_from_Babylon

 

Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg)
バビロンの王ナボポラッサルの円筒印象


 

 それで、エホバ神は、私たちがどのような生き方をするかをご覧になっておられます。ご自分の言葉に対してどのような態度をとるかをご覧になります。もし、ご自分の言葉に従って悪い生き方から離れるなら、ご自分が預言者に宣言させた滅びの警告でさえ撤回されるのです。


 金正恩委員長は北朝鮮をその支配下に置かれています。ですから、金正恩委員長が先頭に立って北朝鮮の人々が生き方を変えて、エホバに敬意を払い、収容所から神に信仰を持つ人々を開放し、暴虐と悪の道から離れるならば、エホバは金正恩委員長を尊重されると思います。


 それで、エホバ神に敬意を払い、エホバの崇拝者たちに親切に扱うようにお願い致します。


 さらに、この記事をご覧になった聖書の神エホバに信仰を持つ方々に北朝鮮の収容所に捕らわれているクリスチャンたちが解放されて自由に神を崇拝できるようにお祈りをお願い致します。


 わたしヨハネだけでなくできるだけ大勢の信仰を持つ方々が祈ることによってエホバ神に祈りを聞いていただける可能性は高くなると思います。よろしくお願い致します。

北朝鮮の金正恩委員長にお知らせしお願いしたい事

最近、テレビで金正恩委員長が、北朝鮮にとても広大な温室や温泉スキーリゾートを建設されたという動画があると知りました。それは、北朝鮮の飢きんを解決し、観光客を招いて外貨を稼ぐための方策になるので、とてもいいことではないかと思いました。それは、金正恩委員長の手腕と親切と知恵を表していると思います。



0north korean spring resort
北朝鮮の新しい温泉スキーリゾート



 聖書は「自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。」と命じています。(マタイ7:12)わたしたちは誰もお腹をすかせていたいと思う人はいませんから、
金正恩委員長も北朝鮮の人々に食糧を備えたいと願っておられると思います。北朝鮮の人々の飢えを少しでも緩和したいと願って、温室を作られたんだと思います。



自分にして欲しいことを他の人にするということは、言い換えると隣人を愛するということです。聖書はまた、「隣人を自分自身のように愛する」ことを求めています。(ルカ10:17)


 

 わたしは、金正恩委員長は北朝鮮を平和に存続させて経済発展をさせたいと願っておられると思います。今回は、その目的を達成するために金正恩委員長が気づいておられない必要なことをお伝えしたいと思います。また、お願いを申し上げたいと思います。



 お知らせしたいことは、国家が国難を避け、さらに、平和を保ち経済的に発展していくためには、国家の指導者が聖書の神エホバとの関係を良いものとしなければならないということです。



 金正恩委員長はクリスチャンではないとは思いますが、欧米に留学した経験がおありですし、祖父の金日成主席のお母さまはクリスチャンで主席の外祖父はキリスト教長老会の牧師ですし、北朝鮮平壌にも数多くのクリスチャンたちがいます。それで、キリスト教聖典聖書については幾らかはご存知だと思います。


 聖書に描かれていることによれば、聖書の神エホバは万物の創造者です。また、その方は、ご自分に信仰を持つ人々を愛され、気遣われます。クリスチャンたちの祈りを聞かれます。また、まだクリスチャンでない人々の祈りも聞かれることがあります。(詩編65:2)




0god in heaven
聖書の神エホバは・・・
0beautiful mountains and flowers
すべてのものの創造者です



 神は時代を越えて生きておられ、国家に注目されます。そして、神は国家の支配者に注目されます。そして、国家がどのようなことをしているか、また、ご自分に対してどのような態度をとっているかをご覧になります。



 金正恩委員長は国家の苦難を乗り越えていきたいと思っておられると思います。世界中の諸国家は、他の強大な軍事強国から脅かされることがあります。それは、自国の対処能力を越えています。では、どうしたらいいでしょうか。


(1)ユダのゼデキヤ王はアッシリアの脅威を退けることができた


 昔ユダのヒゼキヤ王の時、軍事強国アッシリアがユダの首都エルサレムを攻め囲んだことがありました。ユダの他の諸都市はアッシリアの王セナケリブに奪われました。そしてエルサレムは陥落寸前でした。


 その時、ヒゼキヤ王は、アッシリア王から自分が崇拝する神エホバを侮る手紙を受け取りました。ヒゼキヤ王は、その手紙をエホバ神の神殿に持って行ってエホバの前に広げて、神エホバに救いを祈り求めました。



0hezekiah's prayer

昔ユダの王ヒゼキヤは軍事強国アッシリアの侵略の脅威に直面して聖書の神エホバに祈って頼りました




 するとエホバ神はヒゼキヤ王の祈りを聞かれました。エホバ神はみ使いを遣わして一晩でアッシリアの兵士185,000人を打ち倒しました。それで、アッシリアの王セナケリブはニネベに逃げ帰りました。(イザヤ37:36,37)





0hezekiah1
エホバ神はヒゼキヤの祈りに答えてみ使いを遣わしてアッシリアの兵士18,5000人を殺しエルサレムを救われました



ですから、聖書の神エホバはご自分に忠実に従い依り頼む政治支配者の救いを求める祈りをご意志であれば聞き届けてくださいます。もちろん、ヒゼキヤ王はとても神と神の律法に長年忠実な王でした。



 そして、エホバ神はいつも画一的にこれと同じ仕方で政治支配者の祈りに聞かれるわけでもありません。さまざまな方法で祈りを聞かれることがあります。



(2)神に従うよう努力を払うアイスランドは経済的に神の助けを得ました


 このような例は現代にもあります。アイスランドとても小さな国ですが、アイスランド国教会キリスト教信者が74.1パーセントに達す キリスト教国です。アイスランドは、国土防衛は警察隊沿岸警備が担っている世界でも希少な「軍隊を保有していない国家」です。



0Reykjavik
アイスランドの首都レイキャビーク

 

0icelandic police

Helgi Halldorsson

 
アイスランドの警察隊のひとり




 ですから、アイスランドは、武器をとって戦うことのないようにいうクリスチャンに対するイエス・キリストの命令を長年極力当てはめています。(マタイ26:52)ですから、アイスランドの人々は救いを聖書の神に依り頼んでいます。

0iceland Hallgrimskirkja jpg.

アイスランドのレイキャビークのハットグリムス教会-アイスランドキリスト教




 

  それで、アイスランドは経済的には、とても好調です。2006年時点で国全体の(GDP)は少なかったのですが、国民1人あたりのGDPでは世界5位でした。さらに国際競争力も高く、ヨーロッパ1位となっており、小国ながら特筆すべき経済力を持っていました。


 

  しかし、
20089月から起きた世界金融危機のために国内の銀行が危機に陥りました。それでアイスランド政府は106には非常事態を宣言しました。それで、アイスランドは破たん寸前となっていました。



   ところが、アイスランド通貨が為替市場で安くなったこと水産物などの輸出を促進してアイスランドの輸出額はGDP59パーセントにまで達し、順調に景気が回復しました。この通貨安観光業に恩恵をもたらし、2011年度には観光客が約56万人2016年は約180万人へと増えました。そのため2013年には経常収支が黒字を回復し2016年は経済成長率は7.2パーセントになりました



  ですから、2013時点で、EU諸国は経済危機に苦しんでいましたが、アイスランド金融危機から脱して、EU平均を上回る経済成長となりました。



 わたしは、これは偶然にもたらされた結果ではないと思います。わたしは、聖書の神エホバに信仰を表明しており、平和的な国家アイスランドが経済的に崩壊してEUに加盟せざるを得ないようになるのはエホバ神のご意志ではなかったと思います。アイスランドの人々は経済的な危機に直面して神に祈られた方もいたのではないかと思います。



 ですから、アイスランドは、聖書の神エホバを崇拝することを自称しており、戦争をせずに諸国家と平和を保つ点で、聖書に従ったので、聖書の神エホバの助けを得てアイスランドは経済的な危機を乗り越えられたのだと思います。



 それで、金正恩委員長はヒゼキヤ王のように、またアイスランドのように聖書の神の助けを得たいと思われないでしょうか。



(3)北朝鮮が聖書の神の是認を得るのに妨げになっている事柄


 しかしながら、北朝鮮がエホバ神の是認を得るのに妨げになっていることがあります。政治犯収容所収監者と看守、国際監視団体が収集した情報などを総合すると、北朝鮮12カ所の政治犯収容所に3万人余りのキリスト教徒が収監されていると言われています。そして、収監されたクリスチャンの中には、処刑された人もたくさんいるとお聞きしています。



  米国国務省ウェブサイト上で発表した2017年版の「信仰の自由に関する国際報告書」によると、北朝鮮政治犯収容所には812万人が収監されており、この内の相当数が宗教的な理由によるものであるとされています。報告書では、北朝鮮では2017年の1年間に、宗教活動をしたという理由から119名が処刑され、770名が収監されたとのことです。また、宗教を理由に87名が失踪し、48名が強制移住させられ、44名は身体的に負傷したとされています。




 当然、聖書の神エホバは、私たちが他の人々の命を尊重することを求められます。それは、人間は、神の特質を一部与えられているからです。それで、罪を犯す前のアダムは、「神の子」と言われています。(ルカ3:38)




0adam god child
罪を犯す前のアダムは神の特質を一部与えられていたので神の子と呼ばれていました
人間は将来地上の神の子になるので神にとって貴重です
そのためわたしたちは他の人の命を尊重する必要があります




 ですから、神に信仰を抱く地上の人々は、将来、キリストの贖いに基づいて罪が取り除かれ、地上での「神の子」と呼ばれる正当な立場に立つことになります。(ローマ 8:21)ですから、地上の人間は、将来神の子供としてとても大切な立場に立つことになるので、神にとって人間の命は、基本、貴重です。ですから、他の人間の命を奪う殺人を神は基本禁じています。



 とりわけ、ご自分に信仰を抱くクリスチャンを迫害したり、その命を奪ったりすれば、その政治支配者の助けを求める祈りを聞かれることはありません。(イザヤ1:15)



 それで、聖書の神エホバ神はご自分に信仰を抱き、頼って従うクリスチャンに対してはとても親切ですが、反対にご自分に対して不敬な態度をとる人々に対しては敵対され、その政権を滅ぼされるかもしれません。


 それは次の昔の日本の政権の事例から分かります。



(4)日本でクリスチャンを殺害して次の年に死んでしまった豊臣秀吉



 例えば、昔豊臣秀吉という日本の政治支配者が、日本を武力で統一した後、李氏朝鮮 と明を侵略した時がありました。その頃西暦1597豊臣秀吉は、大阪と京都にいた外国人の宣教師たちと日本人のクリスチャンたち26人を長崎まで長距離を歩いて行かせて処刑しました。これらの26人のクリスチャンたちは、大阪と京都の中心的なクリスチャンたちであったと考えられます。次の年に、秀吉は病死しました。


0Nagasaki 26 Martyrs_of_Japan_Memorial

豊臣秀吉が殺害した26人のクリスチャンを記念する長崎の施設と記念碑






 秀吉自身は、自分の病気が仏像を元あったお寺から遠くのお寺に移したためその仏像のたたりだと考えました。でも、その仏像を元に戻す処置をとった次の日に秀吉は、死んだので、仏像が移されたためのたたりではありませんでした。


0toyotomi hideyoshi
日本の秀吉はキリスト教の宣教師の話も少し聞いたが仏教と神道から離れずクリスチャンたちを殺して次の年に病死した




 さらに、豊臣政権は一応天下を統一していたにもかかわらず、豊臣家は滅ぼされ、徳川幕府に取って代わられてしまいました。ですから、その秀吉の死は、秀吉に処刑されたクリスチャンたち、また、そのクリスチャンたちの殉教についての話を伝え聞いたクリスチャンたちの祈りが聞かれたのではないかと思います。


 聖書の中にも、祈りが聞かれて神の崇拝者を殺害した王が死ぬ結果になったという記述があります。1世紀に、イエス十二使徒のひとりヤコブを剣で殺害した王ヘロデは演説していた時に、虫にかまれて死んだのですが、聖書はみ使いが彼を打ったと述べています。(使徒12:21-23)



  そして、彼が死ぬ前に、会衆によってペテロが救出されるようにと熱心な神への祈りがささげられていたことが記録されています。(使徒12:5)ですから、ヘロデ王は、会衆の誰かの祈りが聞かれて、み使いによって打たれたのかもしれません。

0herod's death
天的な希望を持つヤコブを剣で殺害したヘロデ王はみ使いに討たれて虫にかまれて死んでしまいました



 しかしながら、誰一人、復しゅうを祈り求めなくとも、「もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら,神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。」と書かれています。(コリント第二3:17)聖書には、天的な希望を持つクリスチャンに、神の聖霊が宿っているので、「神の神殿」であると述べられています。


 つまり、天的な希望を持つクリスチャンの場合、現在エホバ神の子とみなされています。親であれば子供が殺されて黙っていることはありません。エホバ神はご自分の霊的な子供をとても愛しておられるので、その命を奪うならば、その殺人者に復しゅうされます。(ガラテア3:26-29)


 ヤコブの場合は、天的な希望を持っていましたし、もしかすると、豊臣秀吉が殺害した26人の殉教者の中にも、聖書の神が是認されていた真正な天的希望のクリスチャンが含まれていたのかもしれません。



 さらに、申し上げますと、20世紀の初めから、朝鮮半島エホバの証人の兄弟たちが良心的兵役拒否のために何年も何十年も投獄されて、中には死んだクリスチャンもいたことを私は知っています。また、クリスチャンたちは、戦前は、北朝鮮に建てられた日本の神社で天皇崇拝を強制されて、それを拒んだために、迫害されています。


 また、どの程度の迫害が行われたのかは十分に分からないのですが、李氏朝鮮の時にも迫害が行われたとされています。


 その中に、真正な天的な希望を持つクリスチャンが含まれていたのかもしれませな。すると、第二次世界大戦の後に北朝鮮と韓国に分裂し、北朝鮮では、朝鮮戦争の時には、民間人も含めて1,300,000人もの人々が死ぬというような国難北朝鮮に起きることをエホバ神が許されたのも、そこに原因があったのかもしれません。


(5)金正恩委員長にお願いしたい事



 ですから、金正恩委員長にお願いしたいことは、収容所に捕らわれているクリスチャンたちを皆収容所から解放していただきたいということです。



 金正恩委員長はキリスト教徒は、帝国主義者で、米国や韓国に騙されて操られているとお考えなので、キリスト教徒を嫌われるのでしょうか。キリスト教は米国の宗教ではありません。キリスト教の本聖書は、中東やヨーロッパで書かれました。


 聖書は神についてこのように述べています。使徒ペテロはこう述べました。「神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります。」(使徒10:34,35)



 エホバ神は、最初の先祖アダムからあらゆる国民・民族を作られたので、あらゆる国民に対して公平な方です。ですから、キリスト教徒は米国あるいは日本あるいはどこかの国の帝国主義を支持することはありません。


0various asian christians
聖書を信じるクリスチャンは欧米だけでなく中国などアジアを含めて全世界に存在しています




 私自身は、今のところ、世界中のあらゆるクリスチャンの中に、良いクリスチャンも悪いクリスチャンも含まれていると考えています。ですから、キリスト教徒は、あらゆる国民の中に存在しています。どこか特定の国が帝国を築いていくことに賛成するわけではありません。



 聖書はクリスチャンに剣をとって戦うことのないように、また、政府に服するように勧めています。(マタイ26:52。ローマ13:1)ですから、聖書に忠実なクリスチャンであれば、金正恩委員長を暗殺することは決してありません。また、暴力的なクーデターに加わることもないはずです。殺人や淫行を避けてまじめに働くよう努力をするはずです。神の律法に反することでなければ国家の要求に協力するはずです。


 わたし自身は、アジア人です。欧米のキリスト教徒たちは、聖書に従っているクリスチャンもいるし、そうでないクリスチャンもいると考えています。聖書に従うクリスチャンは帝国主義でも資本主義でもありませんし、ただ米国と韓国にだけクリスチャンがいるわけではありません。北朝鮮のクリスチャンたちは米国や韓国に操られているのではなく、神と聖書に従いたいと願っていると思います。


0conscientious objector south korea
Some of the 65 brothers who gained early release from prison after the South Korean Supreme Court ruled that their stand of conscience is not a crime.
北朝鮮に対して剣を用いることが決してない投獄されていた韓国の65人のエホバの証人たち
聖書に忠実なクリスチャンは米国や韓国に第一に従うのではなく神に従い政府にも敬意を払って従います





 それで、金正恩委員長に強制収容所に捕らわれているクリスチャンたちを開放して、彼らの命を尊重してくださるようお願いいたします。北朝鮮の中で、キリスト教徒が親切に扱われたら、彼らは、韓国に逃亡することもないはずです。



(6)北朝鮮のクリスチャンに親切にしたり聖書に従うことの利点と益


 金正恩委員長ご自身にも、米国を始めどの国の代表者とも平和に敬意をもって接する努力をされるようお勧め致します。その方が、最近完成したスキー温泉リゾートにも観光客がたくさん来ることでしょう。外貨を稼ぐには、米国を始めどの国民とも平和に過ごすよう努力される方がいいです。


 また、米国に敵対すると米国を刺激してリゾート施設も広大な温室も空爆にあって破壊され、せっかくの金正恩委員長の努力がだいなしになってしまう危険もあります。


 アイスランドが観光客が増えたのは、EUと共に軍事行動に加わらなかったので、神の祝福を受けたこととともに、テロの怖れもほとんどないのであらゆる国民が安心して訪れることができたからです。



 でも、ミサイルの発射を継続すると、いつ、ミサイルの発射が失敗して北朝鮮に落ちないかと観光客も恐れて来なくなるでしょう。また、ミサイル発射の報復で反対に米国からミサイルを撃ち込まれないかと恐れるかもしれません。



 金正恩委員長が米国に敵対して核開発を継続してミサイルの発射をし続けると、ヨーロッパ諸国やアジアその他の諸国家からの大勢のお客さんを遠ざけてしまいます。



実際、これは以前のこのブログで申し上げたことがあると思いますが、聖書は他の軍事強国が自国より強大な軍事力で攻めてくると考えられる場合、敗北が予期されるので、身を低くして大使を遣わして和平を講ずるようにすすめています。


 イエス・キリストは次のように言われました。「どんな王が別の王と戦いを交えようとして行進するにあたり、まず座って、二万の軍勢で攻めてくる者に、一万の軍勢で相対することができるかどうかを諮らないでしょうか。事実、それができないなら、その者がまだ遠く離れた所にいる間に、一段の大使を遣わして和平を求めるのです。」(ルカ14:31,32)



 このイエス・キリストの助言はいつの時代も実際的です。敗北することが予期される戦いを始める前に結果を考えて、平和に過ごすことが勧められています。それで、最近までトランプ大統領は、北朝鮮と平和な良い関係を保つよことを考えておられたので、まだ今のうち、米国と和平をはかることができます。



 さらに、戦争というものは、たとえ、勝利をしても、経済的な大きなコストがかかります。長年戦争にかかわらなかったアイスランドの例を考えても、平和である方が、神の祝福を受けて経済的にも結果が良くなります。



 また、北朝鮮キリスト教徒を収容して苦しめる収容所がたくさんあるということになれば、北朝鮮の評判も悪くなり、観光客もあまり増えないと思います。でも、その点で、収容所にいるクリスチャンたちを開放し、聖書の神エホバの是認を求めて行動されたら、経済的な困難を始めとしてさまざまな国難を克服する神からの助けが得られると思います。


 また、エホバの是認を求められたら、神の助けによって金正恩委員長の身体的な健康も向上するということもあるかもしれません。



 また、聖書はご自分に従うクリスチャンに復活と「永遠の命」を約束しています。(ヨハネ3:16)政治支配者の方々もどんなに権力を振るっておられても、いずれ病気になったり、年をとって衰えて最後には死にます。



 わたしヨハネ自身、年をとって若い時のような体力がなくなっていますので、このような過程が続いていくなら、最後には死んで土になると思います。でも、私は聖書の神との良い関係を追い求めていますから、復活の希望があります。



 老化と死がわたしたちの定まった将来であるという残念な状況から救い出せるのは万物の創造者であり、全能の命の与え主であるエホバ神です。神はできるだけ多くの人々に永遠の命を与えたいと願っておられます。



 わたしたちの祈りが聞かれること、すなわち、聖書の神エホバが実在されることを示す証拠はいくつもあります。わたしは、この「ヨハネのブログ」の中で、その例を示していますので、確認されてください。

 

 それで、北朝鮮にいるクリスチャンたちに親切にされて、その命を尊重し、収容所にいるそれらクリスチャンたちが北朝鮮のため、また、金正恩委員長のために喜んで祈るように取り計らわれるようにお願い致します。

 

 

日本のトップが行った大嘗祭という偶像崇拝に対するエホバの怒りをどうしたら和らげることができるできるか

 

 昨年は、令和元年にあたって大嘗祭が、国家をあげて行われました。 これは、聖書的にいうと、天照大神、また、その背後に存在する日本の悪霊の君に対する偶像崇拝です。偶像崇拝は聖書の神エホバの怒りを引き起こします。

 

 

 それで、今回の大嘗祭は、聖書の神エホバの激しい怒りを引き起こしたと思います。それはエホバ神の日本に対する好意と助けを失わせました。それで、日本に今後国難が待ち構えていると思います。

 

 国家の命運は、基本、聖書の神エホバとの関係がどうであるかによって左右されると思います。過去において聖書の神エホバに不敬を表した国家は、災いにあっているケースが多いと思います。これは、単に、その国家が単にひとりのクリスチャン、あるいはひとつの宗教グループに良くすることによって決まるのではありません。あくまで、聖書の神エホバがどのように扱われるかによって、結果が出てくると思います。

 

今回の記事では、昔、古代バビロンで、国家を挙げて偶像崇拝が行われた後に、どんなことが起きたかを説明します。そして、今回国家を挙げて行われた大嘗祭という全国規模の偶像崇拝で引き起こされたエホバ神の怒りをどのようになだめられるかを考えてみますので、日本の政治に携わられる方々にご検討していただければと思います。

 

 

(1)古代バビロンで起きたことと現代日本で起きたことの相似

  昔、バビロンでネブカドネザル王の偶像が建立された時、三人のユダヤ人だけが、その偶像に対して崇拝することを拒みました。その他のバビロン人は、皆、その像に対して偶像崇拝を捧げました。(ダニエル3:1-7)


  しかし、古代バビロンでは、その場にいなかったダニエルを含めて四人だけ政府関係者に偶像崇拝を拒んで、まことの神を断固として崇拝していることを示した人がいたことになります。しかし、今回大嘗祭を行った日本の場合、古代バビロンよりも、まことの神に祈りを聞いていただける立場の人がいなかったことになると思います。


 

 古代バビロンは、周辺諸国の人々を数多く殺害しました。また、ユダのエホバの神殿を破壊し、その当時は神との契約関係にあったユダの国民を大量に殺害しました。そして、国家ぐるみで大々的にバビロンの神々に対する偶像崇拝を推進しました。


  古代バビロンでは、ネブカドネザルがまことの神の前にへりくだったので、バビロンは彼の時代には滅びませんでした。しかし、ネブカドネザルの後を継いだバビロンの王ベルシャザルは、過去にネブカドネザル王に起きたことを知りながら、国家ぐるみでエホバ神に不敬を示し、偶像の神をたたえながら宴会に浮かれました。

 

 



バビロンの王はエホバの神殿の器でぶどう酒を飲んで国家ぐるみで偶像の神をたたえた

 

 

 

 バビロンは、その時に、メディア・ペルシャによって滅ぼされてしまいました。(ダニエル5:1-4)それで、エホバ神はご自分に対する不敬に反応されるということが分かります。

 

 

バビロンは偶像崇拝の伴う宴会にふけっていたその晩に倒されてしまった


 

 エホバ神は感情をお持ちの神です。とりわけ、偶像崇拝と悪霊崇拝に対して怒りを抱かれます。そして、国家ぐるみで偶像崇拝を行う時に、エホバ神はその国家を滅ぼしてしまわれることがあります。古代バビロンは、ネブカドネザル王が神の神殿を破壊し、エホバ神の崇拝者を殺害し、さらに、偶像崇拝を国家ぐるみで行ったために、滅ぼされてしまいました。

 

  エホバ神は命の源です。(詩編36:9)エホバ神にとってご自分の崇拝者の命はとりわけ貴重です。(詩編116:15)エホバ神はご自分の崇拝者たちがバビロンの攻撃によって失われたこと、また、ご自分のエルサレムの神殿が破壊されてご自分に対するはなはだしい不敬が示されたことをそのまま見逃されることはありませんでした。(エレミヤ50:28)

 

 エホバ神は日本政府が長年にわたって行ってきたことを見ておられると思います。エホバ神は、物事を時代を越えて見ておられる神です。そのため、次のように言われます。「わたしエホバは全き専心を要求する神であり,わたしを憎む者については父のとがに対する処罰を子にもたらして三代,四代に及ぼす」と言われています。 (出エジプト20:5)


 エホバの崇拝者に対する迫害や偶像崇拝はエホバ神に憎しみを表すことなので、エホバ神はその処罰を時代を越えてもたらされると思います。そして、今回、日本政府が国家ぐるみで偶像崇拝を行ったので、なおのことです。


 

 日本の状況は豊臣秀吉の時また徳川幕府の時、また太平洋戦争中にクリスチャンに対する徹底的な迫害を行って、クリスチャンを徹底的に迫害し殺害してきました。ほとんど古代バビロンと同じ状況です。また、日本は、中国やアジアで多大の血を流しました。

 

 このことをエホバ神は見てこられたと思います。エホバ神は日本政府が長年にわたって行ってきたことを見ておられると思います。そのため、昔のバビロンの時代の状況よりもさらにエホバの崇拝者が存在しないという状況です。それでは、エホバ神は日本に対して古代バビロンに起きたことが起きるようにされないでしょうか。

 

 エホバ神は、「わたしを憎む者については父のとがに対する処罰を子にもたらして三代,四代に及ぼす」と言われています。 (出エジプト20:5)エホバの崇拝者に対する迫害や偶像崇拝はエホバ神に憎しみを表すことなので、エホバ神はその処罰を時代を越えてもたらされると思います。そして、今回、日本政府が国家ぐるみで偶像崇拝を行ったので、なおのことです。

 


(2)国家の政治のトップがまことの神に対する態度がこの国家の命運を左右する


  昔の預言者たちは、王や国民が神に立ち返るよう努力を払いました。答え応じる人は少数でした。預言者たちが行う努力は、その国家に起こることにさほど影響しませんでした。国民全体に大きな影響を与えたのは、その国家の政治のトップの振舞いでした。


 

 聖書の神はとりわけ国家の政治のトップがご自分に対してどのような態度をとるかに注目されます。聖書では、昔の王たちが聖書の神に対してどのような態度をとつたかに注目しています。

 

 そして、政治のトップが聖書の神に敬意を払う時、エホバ神は、その国民がどうであるかをある程度無視しても、その国家に対して良くされました。(歴代第一29:22-25)そして、政治のトップが聖書の神に不敬を表す時、その国家には災いが起きました。先ほど説明したソロモン王の偶像崇拝のために次の王の時に起きたことはその例です。


 

 ですから、今回の大嘗祭は、今後、エホバ神が日本全体に対して是認していないことを表明されても、少しもおかしくないということになると思います。すなわち、聖書の神が日本を保護することを差し控えられても当然のことになります。


 

  何度も申し上げましたが、これから、日本に大きな災いが起きるとしたら、それは、新天皇と政治のトップの安倍首相や政界・司法・立法や自治体の代表者の方々、靖国神社を参拝される政治の高官の方々の責任だとわたしは申し上げます。日本全国ぐるみで行われた偶像崇拝は、万物の創造者エホバ神の是認と保護を日本から失わせ、エホバ神の怒りを引き起こしたからです。

 

 

(3)日本に待ち受けている国難を避けるために何をしたらいいのですか


 

 それで、わたしは新天皇や皇族の方々がキリスト教の聖書の神の前にへりくだられて、敬意を払われるようにお勧め致します。キリストの贖いの犠牲に頼るならば、罪は許されると思います。(エス)はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの罪のためだけではなく,全世界の罪のためでもあります。」とあります。(ヨハネ第一2:2)



   それで、大いに聖書の神エホバ神に対する敬意を示す努力を払われるようにお勧め致します。キリスト教の聖書の神エホバ神に対する敬意を表すことを国家ぐるみで大々的に行われるのがいいのではないかと思います。



 昔預言者ヨナはエホバ神に命じられて後四十日でアッシリアのニネベが覆されると宣べ伝えました。すると、ニネベの王が自分が悔い改めて祈るとともに全国民にも悪と暴虐の生き方をやめてまことの神に心をこめて許しを呼び求めるよう勧めました。



  ニネベの王は、エホバ神が怒りをとどめるチャンスにかけました。その結果、エホバはニネベの王や人々が悪から立ち返ったのをご覧になり、ニネベを滅ぼすご自分の考えを変えられました。そして、ニネベの滅びは延ばされることになりました。(ヨナ3:3-10)

 

 

 

  • 0jonah and the ninevites
    ニネベの人々はヨナの預言を聞いて全国的にまことの神に呼び求め生活の仕方を変えたのでただちに臨む国難を免れた






       
    •  
    •  

  ですから、全国的にエホバ神の崇拝を促進するような法律などを制定するのがいいのではないかと思います。大嘗祭偶像崇拝は全国的に大々的に行われたので、エホバ神を高める法律制定も全国的に大々的なものとして、エホバ神の怒りが和らげられるのに足る十分なものとすることが必要だと思います。そのようにすれば、エホバ神の怒りも幾らかはなだめられるかもしれません。

 

 でも、豊臣時代と徳川時代に幕府が行ったクリスチャンに対する迫害は徹底的なものでした。また、戦時中も投獄や獄中死などクリスチャンに対する多大な迫害が行われました。その上、アジアの民間人や対戦国の兵士など日本政府により多大の流血が行われました。さらに、平成と令和の大嘗祭その他の偶像崇拝などが国家ぐるみだ行われているのですから、相当なことを行わなければ、前途にかなりの国難が待っていると言えるのではないかと思います。

 

 ひょっとして、日本人のわたしが、聖書の預言の解釈を行っているために、国難が日本に起きていると考えられるでしょうか。イエスユダヤで宣教を行われて、そのことそのものが原因で、ユダヤ国難が臨むことはありませんでした。イエスとイエスの弟子たちなど、エホバの崇拝者たちに対する迫害と流血が神の怒りを引き起こしてユダヤに西暦70年の国難が臨みました。


 

 ですから、日本政府が最大限にエホバの怒りをなだめる努力を払わなければ、どんな国難が日本に臨むことになるかはわたしには予見できません。



 

 そうしなければ、これから日本にまた国難が起きることになると思います。わたしは、以前申し上げましたが、ひとつの国家に起きる起こる災いはどこかの国による迫害や攻撃が主な原因というよりは、聖書神エホバとのその国家との関係が悪いために引き起こされると思います。

 

 とりわけ、エホバにとってはその国家のトップが行うことが重要です。誰か個人がエホバ神に不敬なことを行ったことが主原因となるのではなく、国家ぐるみで行う偶像崇拝は、とりわけエホバ神の怒りを引き起こします。

 

 

 それで、今後、日本に国難が起きることが予想されますが、その場合は、新天皇、また、皇族の方々、パーティーの際に、万歳三唱をされて天皇を神として崇拝することを国民に奨励された安倍首相、また一緒に偶像崇拝をなさった政治の関係者の方々の偶像崇拝が引き起こしたと言えると思います。

憲法9条に頼ることによって国家の存続を危うくするのかー三島由紀夫の改憲論

   日本政府が天皇制に戻って、憲法9条を廃止したいと願っています。三島由紀夫は、切腹自殺を遂げましたが、彼は、憲法9条を削除して、改憲し、天皇制を復興したいと願っていたからです。

 

 三島由紀夫は、自身、神風特攻隊になりたかったのです。そして、神風特攻隊となった者たちがとても純粋で美しいと考えていたので、そのことが間違いだったことになるので、天皇人間宣言を面白く思っていませんでした。それで、実は、切腹自殺をする前に天皇を殺したいという気持ちも持っていたということを聞いた人の話もあります。

 

 三島由紀夫は、自身、二二六事件で亡くなった人の死霊に影響されていたのではないかと考えていました。しかし、聖書は死んだ人の霊ではなく、悪霊が存在していると述べています。しかも、聖書はそれぞれの国の背後に悪霊の君が存在することを明らかにしていますから、三島由紀夫は、日本の背後にある悪霊から影響をされていたのかもしれません。

 

 今回の記事では、聖書の原則に従う時には、聖書の神エホバの助けがあることを示す事例を説明したいと思います。

 

 

(1)三島由紀夫改憲


 三島由紀夫は、日本国憲法の9条を削除して改憲してしまうべきだと考えていました。三島は、外国の軍隊は決して日本の「時間的国家の態様を守るものではないこと」を自覚するべきだとしていました。


 
他の軍事強国が自国を必ずしも守ってくれないというのは、三島の言うとおりです。軍事強国は自国の益を第一に行動しますから、お金のために小国を守ることもありますが、状況によってはその小国を同時に軍事攻撃することもあります。



 
聖書によると、アッシリアイスラエルを守る結果になったことも書かれていますが、同時に、アッシリアは北のイスラエルを滅ぼしたことが書かれています。また、エジプトは、ユダを守ろうとしたこともありました。でも、エジプトは同時にユダの王ヨシアを殺しました。ですから、他の軍事強国をあてにするのは確かに、賢明ではありません。


 しかし、相手国がかたくなな戦闘的な国家で、憲法9条に従って、平和外交に頼ってもうまくいかない時には、もし、神とイエスに従うために、平和外交の努力をしたのであれば、エホバ神は、その神とイエスに従った努力を認めて、そのクリスチャン、また、その国家を助けてくださると思います。

 
(2)問題が生じた時平和交渉で解決できることや神のみ手が働くことを示す事例
 
 最近、紹介しましたが、2008年、カダフィ大佐独裁政権としてリビアを支配していた時に、カダフィ大佐の息子がスイスで暴力事件を起こして逮捕されました。そのことに怒ったカダフィ大佐は報復としてスイスに対し、石油輸出を禁止し、また、二人のスイス人のビジネスマンを逮捕しました。
 
 
 
 スイスのメルツ大統領は、2009年、リビアを訪問して、カダフィ大統領に謝罪をしました。結局、二人のスイス人は、時間はかかりましたが、無事に釈放されました。メルツ首相の平和的な対応の仕方はうまくいきました。
 
 
 
 また、2009年にスイスは国民投票でモスク(イスラム教礼拝所)の塔の建設禁止を決めました。わたしはこれは、国家の憲法などに信教自由が規定されていれば、国家によってはそうしたことについての決定はさまざまだと思います。また、柔軟性がないとスイスの決定を非難したいと考える人もいるかもしれないと思います。
 
 
  しかし、多くのスイス人の観点からすると、キリスト教の神に対する忠実のためにモスクの塔の建設を認めたくないという決定だったのだと思います。
 
 
 それに対して、カダフィ大統領は、「モスクを破壊する不信心で節度を欠いた国だ」とスイスを非難し、すべてのイスラム教徒に対し、スイスへのジハード(聖戦)を 遂行するよう求めました。また、大佐は「スイス人と働く者は背教者」とし、イスラム世界 のあらゆる空港へのスイス航空機の着陸阻止や同国製品などの不買、排斥運動を呼びかけたということです。
 
 
SWIswissinfo.ch
 
 
 しかしながら、結局カダフィ大佐は、2011年にリビアで起きた内戦で死亡し彼の政権は崩壊してしまいました。しかし、スイスは内戦での負傷者をスイスの病院で手当てをする処置をとりました。また、リビアの反政府勢力にNATOが関係していたようですが、スイスはNATOにも加盟してはいません。それで、スイスとリビアの関係は改善されていきました。
 
 
SWIswissinfo.ch
 
 それで、スイスは聖書と調和した平和主義と中立主義で問題を乗り越えることができました。


  スイスはリビアふたりのスイス人のビジネスマンをすぐには開放しなくても、自国を脅かしても、リビアに対して軍事的な措置を取りませんでした。すすなわち、スイスは自分で復しゅうしませんでしたが、エホバ神が行動してくださったのではないかと思います。

  スイス政府としては、聖書に従って最善を尽くして平和外交の努力を払って、リビアに対して武力を用いたりすることはなかったので、エホバ神はスイスが守られるように助けてくださったと思います。ですから、一時的にスイスの大統領が辱められるとしても、聖書の原則に従った価値があったと思います。
 
 
 このことは、アフガニスタンで医療活動や灌漑を行って干ばつを乗り越える利他的な助けを差し伸べていた中村哲さんがイスラム教のモスクを建設した後に、銃撃を受けて死亡したのとは対照的ではないかと思いました。中村さんは、クリスチャンですから、モスクの建設に携わるのは偶像崇拝になり神へ不忠実を示したことになってしまったと思います。
 
 
 ですから、神に忠実を保つ時に、神からの助けがあり事態を乗り越えることができますが、不忠実になると事態を乗り越えることができるように見えても、神からの助けを失ってしまいますから、結局自らに災いを招いてしまうように思います。
 
 
(3)日本国憲法9条に従っても国家の存立が危うくならない事
 
 
 三島は日本国憲法第9条の条文が「国家としての存立を危ふくする立場に自らを置くもの」であると断じています。そして、いかなる戦力(自衛権・交戦権)保有も許されていない憲法第9条第2項を字句通り遵守すれば、「国家として死ぬ」以外にはないと述べています。
 
 
 
 しかし、三島はクリスチャンでありませんから聖書の神への信仰を持っていませんでした。神エホバに忠実を保つならば、エホバ神はご自分の原則に忠実な国家やクリスチャンに対してその大きなみ手によって助けを差し伸べてくださいます。それは、スイスの事例も示しています。
 
 
 
 
 ですから、聖書の勧める平和主義と中立主義を行う時に、『国家としての存立を危うくする立場に自らを置くもの」ではありませんし、また、そうする時に、「国家として死ぬ」以外にはないということはありません。
 
 
 結局、神に従うためにさまざまな苦難に直面するとしても、神の助けによってその苦難から抜け出すことができます。スイスに起きた出来事はそのことを示しています。ですから、聖書と調和した憲法9条に神への信仰を持って従う時に、神は日本を助けてくださるはずだと思います。
 
 
 
 ですから、私たちは、絶対に聖書の原則に従わない方が結果が良くなると考えるべきではないと思います。
 
 
 
 
 聖書の原則に従わないならば、神の是認を失いますので、神からの目に見えない助けを失ってしまいます。反対に、エホバ神は私たちより物事をずっとご存知ですので、私たちが苦難にあう時に、それに対する対処法をご存知です。エホバ神は神に忠実な国家や人々のために物事を動かして助けを与えてくださったり、対処するための知恵を与えてくださると思います。
 
 
 
 
 「義なる者はたとえ七度倒れても,必ず立ち上がる」と聖書は述べています。ですから、神に忠実に従おうと努力するクリスチャンが7回苦難にあっても、神の助けによってそこから抜け出して立ち上がることができます。(箴言24:16)



 さらに、聖書は「まことの神を恐れる者たちが神を恐れていたために良い結果になる」と述べています。(伝道の書8:12)
 
 
 
 聖書は、聖書の原則に従うクリスチャンたちが苦難に遭わないと保証はしていません。そのために、死者という犠牲も出るかもしれません。しかし、歴史を大きく見ていくと、聖書の原則に従っている方が、その後、何十年もときには、何百年経っても良い結果を刈り取ります。
 
 
 
 ですから、紛争が起きる時、戦争に頼らないで話し合いによって紛争を解決する努力をするという憲法9条は、基本聖書に調和しており良い結果になると思います。そして、武力によって紛争を解決することをしないために、相手国から占領されることがあっても、その国民の命と資産は保全されます。
 
 
 
 例えば、アイスランドも軍隊を持っていなかったので、太平洋世界大戦中に英国軍と米軍に占領されました。しかし、後になって米軍基地は撤収することになりました。
 
 
 
 
 日本でさえ、米軍は、占領統治をやめて、マッカーサー将軍は本国に帰ることになりました。降伏しても、後程、自治権が戻ってきたのであればそれで良かったのではないかと思います。ですから、日本の場合でさえ、遅くなりましたが平和主義が助けになりました。
 
 
 わたしは日本政府や自衛隊は、戦前の天皇が崇拝され、政府や軍隊が実権を握る形態に戻って、日本帝国を拡大しようと考えるべきではないと思います。


 日本は、戦時中、天皇崇拝と神道を推進しました。神道は、古事記日本書紀という書物に基づいています。古事記日本書紀の冒頭は、小学生でも作り話であるということが分かる偽りが含まれています。そうした偽りをひとつの国家の基に置くのは、良いことではないと思います。
 
 
 
 
  自民党が最近作った新しい憲法草案も、天皇を政治の長にするという規定が含まれていたのではないかと思います。それで、天皇中心で戦争をしていた戦前の日本が良かったと考えておられるのではないかと思います。



 これは同性愛者で神道天皇崇拝者であった三島由紀夫とほとんど同じ考え方ではないかと思います。それで、戦前日本が行っていた多大の流血の反省は実際にはないのではないかと思えます。
 
 
 
 日本は、明治から大正、昭和に至るまで、数百万人、あるいは数千万人の人びとの血を流していると思います。日本は同じような罪を繰り返さないようにするべきだと思います。そして、その罪をキリストの贖いの犠牲に基づいて、エホバ神に罪の許しをお願いするべきだと思います。


(4)聖書の神はエホバはご自分を崇拝することを公言しご自分の教えに従う国家やグループを助けて祝福される


 今、何世紀ものあいだ聖書の神を崇拝していることを公言し、努力をしてきた欧米が、その信仰と努力を放棄しつつあるという状況があります。欧米は、その状況のもたらす結果をそのうちに経験することになると思います。
 しかしながら、欧米諸国は今でも、世界でも経済のトップレベルにある諸国家が多いです。それは、欧米諸国が聖書の神エホバろ崇拝することを公言してきて、国によって度合いは違いますが、過去に何世紀にもわたって聖書の神に従い、その原則に従う努力をしてきたので、その益を刈り取ってきたのだと思います。

 一方、日本は戦後、諸外国に対して平和主義を取ってきました。また、国民に対して親切にしました。そのこと自体は、愛ある賢明な対処の仕方でしたが、それは、聖書の神エホバ神に対する崇拝を中心にして行われませんでした。そのために、努力をしても、聖書の神を崇拝している諸国家に先を越される結果になっていると思います。


 全知全能の神エホバはご自分に対して信仰を表明する国民に助けを与えられますが、他の宗教を奉じる人々には基本助けを与えられないからです。



 ですから、日本は努力を払ってもその努力の結果が、無駄になることがあります。偶像崇拝をしており、その宗教が神道や仏教であり、また、進化論や無神論だからです。偶像は、国家にも何の助けを与えませんし、悪霊に頼ると、滅亡に巻き込まれる結果になります。



 日本のダーウィンの進化論を受け入れる人々や無神論者は、自らを賢いと考えています。しかし、実際は、論理的・理性的な思考力に欠けます。また、日本の進化論者や無神論者は道徳的な規範を投げ捨て、そのために、その生活の質は低下します。


 ですから、スイスのように、あるいは他の国家のように、聖書の神を崇拝していると公言している諸国家の方が、賢く、あまり、努力をしなくても上になるという結果になります。


 わたしは米国は、そのキリスト教が背教しつつあると思いますし、米国でも進化論者や無神論者が増えてきています。また、近年はとりわけ流血の国家となつていると思います。


 しかし、それでも米国の人々の中には、聖書の神を崇拝するよう努力を払ってきた人々が従来、数多く存在してきたと思います。そのためにも、ある程度は、聖書の神エホバ神の祝福と助けが米国にあったと思います。そのためにも、ある程度は米国が経済的にも祝福を得た部分もあったのではないかと思います。

 
 
 日本の実情は、神道や仏教などの偶像崇拝に頼り続けており、聖書の神エホバ神に頼るクリスチャンは、日本の中で少数派であるというのが現状です。そのために、日本は平和を求め親切を行うという神の目に良いことを行いながら、神の目には良い立場を持てていないという現状があります。
 
 
 最近国を挙げて行った大嘗祭でも、日本はエホバ神の大きな怒りを買ってしまいました。このままでは、大きな国難が日本に臨んでもおかしくはないと思います。
 
 
 三島由紀夫は決して賢明な生き方をしたとは言えません。彼は自分の才能を無駄にする自滅的な生き方をしました。また、憲法9条を廃して天皇制を回復して軍国主義を採用しようとする彼の考え方も、決して実際的なものではありません。
 
 
 
 キリスト教イエス・キリストが勧められる原則に従うことが神の助けと祝福が得られるので結果がいいです。過去において神道天皇制に従ってきた日本が最終的にどんな結果を刈り取ったかは、天皇に政治の実権を与える過去の日本の神道中心の政治システムが賢明でなかったことを示しています。決して、以前の賢明でない政治のシステムに戻ることのないよう日本の政治に携わる方々にお勧めします。


  また、キリスト教の価値を認めて、キリスト教の神エホバに頼って、その助けと益を享受されるようお勧め致します。
 
 


26人の殉教とその後日本に起きた災いとの関係-エホバ神の観点から国家の問題を解決していく

()秀吉によって行われた長崎での26人のクリスチャンの殉教とその結果


 スペインの漂着船サンフェリペ号の船員による秀吉から派遣された奉行に対する受け答えが秀吉に報告されました。


 そのために、秀吉の命令で京都や大坂にいたカトリックフランシスコ会の宣教者たちと修道士、また日本人信徒26人が長崎で処刑される結果になりました。


 彼らは京都や大阪で捕らえられて左の耳たぶが切り落とされ、市内を引き回されました。その上、厳冬の中を大阪を出発してなんと長崎までの長期距離を歩いていくことを強制されました。道中で、それを見物した日本人はキリスト教に改宗することに対して怖れを持たされたことでしよう。


 そして、彼らは長崎の丘の上で、槍で突き刺されて処刑されました。彼らは、道中でひとりでも死んだとは記録されていないので、道中、互いに世話をして、信仰の点で励ましあったのではないかと思います。実際、彼らを世話したクリスチャンたちも、処刑される結果になっています。彼らは互いへの真の愛も実証していました。


 スペイン政府はマニラで事件を徹底的に調査したようです。船長はスペイン政府に報告書を作成して提出したようです。また、事情を知っている宣教師がスペイン政府に事情を説明する文書を作成したようです。


 それで、日本で起きたことは詳細に報告されたので、事情を聞いた信徒が神に祈りをしたであろうことは容易に想像できます。


 そのため、スペイン使節がマニラから秀吉の元へ送られ、漂着した船の積荷の返還と宣教師たち二十六人の遺体の引渡しが求めました。しかし、引き渡しは行われなかったということです 。それで、秀吉は、キリスト教徒に対する迫害に対する反省や後悔はみじんも見せませんでした。



 当時、スペインで徹底的な調査が行われた時に、日本を武力制圧しようかという話もあったそうですが、日本にとっては幸いなことにスペインもイタリアもそうはしませんでした。


  その時、イタリアやスペインのカトリックは日本に復しゅうはしませんでした。しかし、聖書には、「わたしの愛する者たち・・・神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」(ローマ12:19)

 

 

 そして、事態の進展は、この言葉通りになったことを示しているのではないかと思います。


 クリスチャンの殉教の何百年もの後に、エホバ神が復しゅうされるということはあり得ると思います。それで、ひょっとして、日本が第二次世界大戦の時に、全土で空爆を受けたことや二度の原爆投下を受けたことは、この時日本政府が犯した罪に対する罰が生じたのかもしれません。



0Hiroshima after atomic bomb
原爆投下後の広島
豊臣秀吉の時の殉教から始めて日本政府のキリスト教徒に対する迫害と流血が続いたため日本に惨禍が起きることが神に許されたのではないか




 それは、聖書に書いてあることではありませんから、断定はできません。もちろん、わたしは核兵器とその使用には基本反対です。 核兵器は良い人も悪い人も無差別に人の命を奪い、環境と健康を長期間にわたって害する武器だからです。



 とにかく言えることは、第二次世界大戦当時、日本は、とりわけ神の目に偶像崇拝である神道を推進しており、エホバ神から保護をしていただける立場にありませんでした。そして、残念ながら、今日もそうした状況であるかもしれません。


(2)エホバ神は天的な希望のクリスチャンの血を流す政権や国家を滅ぼされる


 

聖書には、「もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら、神はその人を滅ぼされます。・・・あなた方はその神殿なのです。」とあります。(コリント第一3:17)それで、神の神殿、すなわち、天的な希望を持つクリスチャンの命を奪うなら、神はその復しゅうのためにその殺人者や殺人者の国家を滅ぼすことになります。

 

 

 


神の子イエスを殺害したために・・・

 


西暦70年にエルサレムはローマ軍によって滅ぼされてエホバ神の復しゅうが行われた
 

 

 

 

 もちろん、エホバ神にとって信仰のない人の命も大切です。(創世記9:5,6)しかしながら、エホバ神はご自分に信仰を抱いて「呼び求める」人を重視されます。(ガラテア6:10。ローマ10:13)そのために、信仰の人々の願いや命をご自分に対して信仰を持たないで邪悪なことを行う人々の願いや命よりも優先されます。(箴言21:18。イザヤ43:3,4)


 さらに、信仰を持つ人々の中でも、地上における語の神の子という立場にあるご自分に「忠節な」神殿級のクリスチャンを重要視されます。(ガラテア3:26-29。詩編116:15)



 実際、大いなるバビロンの南の王が滅ぼされることになるのも、天的な希望を持つ「聖なる者たち」の命を奪うという理由であると聖書は説明しています。(啓示17:6)


  しかしながら、日本は、豊臣秀吉の時に、クリスチャンたちを迫害してその命を奪っています。それらのクリスチャンの中に、天的希望を持つ「聖なる者たち」も含まれていたかもしれません。すると、エホバ神は、豊臣秀吉の政権が滅ぼされるようにされましたが、日本という国を終わらせようと考えられないでしょうか。

 

 



0Toyotomi_Hideyoshi
当時の豊臣秀吉による迫害その後の徳川幕府の迫害のためにエホバ神は日本をどのようにご覧になっているだろうか




 豊臣秀吉が殺害したクリスチャンたちは、とりわけ日本のキリスト教信者の中核になっていくであろうグループだったので、実際に豊臣家は、いったん天下をとったにもかかわらずまもなく滅ぼされてしまいました。



  豊臣政権を徳川幕府が受け継ぐことになり、そして、日本では天皇制となりました。歴代の天皇はある程度、キリスト教の神に敬意を払いました。でも、神道はやはり、クリスチャンたちを迫害して死者が出ました。しかし、太平洋戦争以降、ある程度、昭和天皇キリスト教の神の前にへりくだったので、ある程度、日本は平和を享受して存続しています。



 日本が戦後、流血を避けたのはエホバ神の目に良いことだったと思います。しかしながら、日本がキリスト教を軽んじて、偶像崇拝に進み神話を重んじ偶像崇拝を推進して戦前の天皇制を復活させようとしているのであれば、やはり、エホバ神は、日本に大変な災いを起こることを許されるのではないでしょうか。


 今の政府のトップや天皇がしておられることを見てみるとわたしは今後、日本にどんな災いが起きるのをエホバ神が許されてもおかしくはないかもしれないと考えています。



 わたしは日本政府がエホバ神に敬意を払わず、神道や仏教だけを優遇して、偶像崇拝を推進していき、これ以上、日本に大変な参事が起きないように希望しています。

 

  

(3)神は流血を次の世代の国民に問われて国家に災難が起きる場合がある-日本でのクリスチャンの殉教とその結果


 わたしは諸国家も含めてわたしたちに起きることは、まず第一にエホバ神との関係が大きく原因していると思います。それで、まずエホバ神との関係を改善するようにするのが効果的だと思います。自分たちが、エホバに祈りを聞いていただき保護していただける立場に立つようにすることが重要だと考えます。


 なぜなら、ダビデの時代に三年間イスラエルに飢饉が起きたことがありました。ダビデは、エホバに問い尋ねたところ、エホバ神は、先代のサウル王がイスラエルで神の崇拝の奉仕者となっていたキベオン人を殺害するという流血の問題があったということを言われました。その問題がそのままにされていたのでした。(サムエル第二21:1-2)


0david's prayer1
ダビデは国家の飢きんの問題でエホバ神に解決を仰いだ

0gibeonites
イスラエルの時代の初期にキベオン人は神の奉仕者となっていた

0saul bloodshed
ダビデは罪がなかったが先代のサウル王のギベオン人に対する流血の罪がエホバの是認を妨げていた
ダビデは対策を取り神への祈りが聞かれるようになった



 それで、ダビデとその時代のイスラエル人は直接流血を行ってはいなかったのですが、先祖の流血の罪のためにダビデの時代のイスラエル人に災いが起きていました。ダビデは、ギベオンにその問題について尋ねて言われる通りの対策を講じ、エホバ神はイスラエル人の祈りを聞かれるようになったということです。(サムエル第二21:3-6,14)



 ですから、とりわけ、ご自分の崇拝者に対する流血の問題に関しては、エホバ神は敏感で、その問題が解決しないのであれば、後代に至るまでその責任を問われること、その関係者や子孫に災いが起きるようにされる場合があることが分かります。


 それで、秀吉はその二十六人の殉教が起きた次の年に死にました。それは、秀吉が天下統一を行って、自分の権力に酔いしれ、朝鮮や中国の明に2度目の遠征を行った次の年でした。2度目の遠征の出発時に、秀吉は長崎でキリスト教徒を処刑するように部下に命令していったのです。



0toyotomi hideyoshi military man
有能な軍人豊臣秀吉キリスト教徒の殺害を命令してそれが実行された次の年に病死した






 秀吉が死んだのは、事情を聞き及んだスペインとイタリアの信仰の人々が祈ったからではないかと思います。しかし、日本ではその罪がそのまま放置され続け、さらに、その後も日本の政府によりキリスト教徒に対する迫害によって、キリスト教徒の命が奪われることが続きました。


 それで、日本は、エホバ神から不興を買っており、日本は神道と仏教だけを重んじて、エホバの崇拝を重んじなかったので、日本人は、真の神から離れていきました。さらに、明治時代以降も神の目に悪い流血を行い続けたのではないかと思います。


 それで、神道と仏教が日本を支配し続け日本ではキリスト教徒が増加しませんでした。そしてその後、日本は太平洋戦争の空爆や原爆投下、また、その後の自然災害などの災いを経験し続けているのではないかと思います。


 それで、国家に問題が起きる時に、エホバ神の観点を中心にして解決していくのが、一番、直接的で効果があるのではないかと思います。


 わたしは最近安倍首相がバチカンを訪問して、敬意を払ったということをお聞きしました。それは良いことだったと思います。そうであれば、その他の神の律法に従う努力を払っているエホバの証人やその他のキリスト教のグループにも平等に敬意を払うのが妥当であるのではないかと思います。



 また、神道や仏教を公に優遇するだけでなく、キリスト教のグループの便宜も図ってほしいと思います。


 過去の江戸時代、またそれ以降の日本政府のキリスト教徒に対する迫害は秀吉によって行われた迫害だけではありません。また、今後、取りあげたいと思います。

26人の殉教者の事件とその後日本に起きてきたこと-エホバ神の観点から国家の問題を解決していく必要

()秀吉によって行われた長崎での26人のクリスチャンの殉教とその結果


 スペインの漂着船サンフェリペ号は秀吉から修繕の許可を得て修繕し、修繕後、マニラに行きました。そして、日本に漂着したサンフェリペ船の船員が、秀吉から派遣された奉行に対する受け答えが秀吉に報告されました。


 そのために、秀吉の命令で京都や大坂にいたカトリックフランシスコ会の宣教者たちと修道士、また日本人信徒26人が長崎で処刑される結果になりました。


 彼らは京都や大阪で捕らえられて左の耳たぶが切り落とされ、市内を引き回されました。その上、厳冬の中を大阪を出発してなんと長崎までの長期距離を歩いていくことを強制されました。道中で、それを見物した日本人はキリスト教に改宗することに対して怖れを持たされたことでしよう。


 そして、彼らは長崎の丘の上で、槍で突き刺されて処刑されました。彼らは、道中でひとりでも死んだとは記録されていないので、道中、互いに世話をして、信仰の点で励ましあったのではないかと思います。実際、彼らを世話したクリスチャンたちも、処刑される結果になっています。彼らは互いへの真の愛も実証していました。


0Nagasaki 26 Martyrs_of_Japan_Memorial
長崎のゴルゴダの丘に似ている西坂の丘に建設された二十六聖人の記念碑とその後ろの記念館




 スペイン政府はマニラで事件を徹底的に調査したようです。サンフェリペ号の船長の航海日誌は奉行によって没収されてしまいましたが、その後、船長は新たにスペイン政府に報告書を作成して提出したようです。また、事情を知っている宣教師がスペイン政府に事情を説明する文書を作成したようです。


 それで、日本で起きたことは、詳細に報告されたので、事情を聞いた関係者は大変無念に感じたことでしょう。事情を聞いた信徒が神に祈りをしたであろうことは容易に想像できます。


 そのため、スペイン使節がマニラから秀吉の元へ送られ、漂着した船の積荷の返還と宣教師たち二十六人の遺体の引渡しが求めました。しかし、引き渡しは行われなかったということです 。それで、秀吉は、キリスト教徒に対する迫害に対する反省や後悔はみじんも見せませんでした。



当時、スペインで徹底的な調査が行われた時に、日本を武力制圧しようかという話もあったそうですが、日本にとっては幸いなことにスペインもイタリアもそうはしませんでした。


  わたしはこのことに関して、日本政府が欧米や日本のキリスト教徒やキリスト教会に謝罪をしたということを聞いたことがありません。それでは、エホバ神からの復しゅうは残ることになるのではないかと思います。


その時、イタリアやスペインのカトリックは日本に復しゅうはしませんでした。しかし、聖書には、「わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」(ローマ12:19)そして、事態の進展は、この言葉通りになったことを示しているのではないかと思います。


 イエスは神に信仰を抱くアベルや祭司ゼカリヤの殉教のために、一世紀のエルサレムの何百万人ものユダヤ人の死という災いが生じることを予告されました。イエスは、一世紀のユダヤ人に、「義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。」と予告されました。(マタイ23:35)



 ですから、クリスチャンの殉教の何百年もの後に、エホバ神が復しゅうされるということはあり得ると思います。それで、ひょっとして、日本が第二次世界大戦の時に、全土で空爆を受けたことや二度の原爆投下を受けたことは、この時日本政府が犯した罪に対する罰が生じたのかもしれません。



0Hiroshima after atomic bomb
原爆投下後の広島
豊臣秀吉の時の殉教から始めて日本政府のキリスト教徒に対する迫害と流血が続いたため日本に惨禍が起きることが神に許されたのではないか




 それは、聖書に書いてあることではありませんから、断定はできません。もちろん、わたしは核兵器とその使用には基本反対です。 核兵器は良い人も悪い人も無差別に人の命を奪い、環境と健康を長期間にわたって害する武器だからです。


 また、原爆が投下された長崎には、昔のキリスト教の信仰を受け継ぐクリスチャンが少数ながら存在していたかもしれません。しかし、国家が神の不興を被って災いを経験する場合、その国家に起きる災いは、神の目に義なる信仰の人々もある程度は巻き込んでしまいます。


 とにかく言えることは、当時日本は、とりわけ神道を推進しており、エホバ神から保護をしていただける立場にありませんでした。そして、残念ながら、今日もそうした状況であるかもしれません。


 わたしは日本政府がエホバ神に敬意を払わず、神道や仏教だけを優遇して、偶像崇拝を推進していき、これ以上、日本に大変な参事が起きないように希望しています。



()神は流血を次の世代の国民に問われて国家に災難が起きる場合がある-日本でのクリスチャンの殉教とその結果


 わたしは諸国家も含めてわたしたちに起きることは、まず第一にエホバ神との関係が大きく原因していると思います。それで、まずエホバ神との関係を改善するようにするのが効果的だと思います。自分たちが、エホバに祈りを聞いていただき保護していただける立場に立つようにすることが重要だと考えます。


 なぜなら、ダビデの時代に三年間イスラエルに飢饉が起きたことがありました。ダビデは、エホバに問い尋ねたところ、エホバ神は、先代のサウル王がイスラエルで神の崇拝の奉仕者となっていたキベオン人を殺害するという流血の問題があったということを言われました。その問題がそのままにされていたのでした。(サムエル第二21:1-2)


0david's prayer1
ダビデは国家の飢きんの問題でエホバ神に解決を仰いだ

0gibeonites
イスラエルの時代の初期にキベオン人は神の奉仕者となっていた

0saul bloodshed
ダビデは罪がなかったが先代のサウル王のギベオン人に対する流血の罪がエホバの是認を妨げていた
ダビデは対策を取り神への祈りが聞かれるようになった



 それで、ダビデとその時代のイスラエル人は直接流血を行ってはいなかったのですが、先祖の流血の罪のためにダビデの時代のイスラエル人に災いが起きていました。ダビデは、ギベオンにその問題について尋ねて言われる通りの対策を講じ、エホバ神はイスラエル人の祈りを聞かれるようになったということです。(サムエル第二21:3-6,14)



 ですから、とりわけ、ご自分の崇拝者に対する流血の問題に関しては、エホバ神は敏感で、その問題が解決しないのであれば、後代に至るまでその責任を問われること、その関係者や子孫に災いが起きるようにされる場合があることが分かります。


 それで、秀吉はその二十六人の殉教が起きた次の年に死にました。それは、秀吉が天下統一を行って、自分の権力に酔いしれ、朝鮮や中国の明に2度目の遠征を行った次の年でした。2度目の遠征の出発時に、秀吉は長崎でキリスト教徒を処刑するように部下に命令していったのです。



0toyotomi hideyoshi military man
有能な軍人豊臣秀吉キリスト教徒の殺害を命令してそれが実行された次の年に病死した






 秀吉が死んだのは、事情を聞き及んだスペインとイタリアの信仰の人々が祈ったからではないかと思います。しかし、日本ではその罪がそのまま放置され続け、さらに、その後も日本の政府によりキリスト教徒に対する迫害によって、キリスト教徒の命が奪われることが続きました。


 それで、日本は、エホバ神から不興を買っており、日本は神道と仏教だけを重んじて、エホバの崇拝を重んじなかったので、日本人は、真の神から離れていきました。さらに、明治時代以降も神の目に悪い流血を行い続けたのではないかと思います。


 それで、神道と仏教が日本を支配し続け日本ではキリスト教徒が増加しませんでした。そしてその後、日本は太平洋戦争の空爆や原爆投下、また、その後の自然災害などの災いを経験し続けているのではないかと思います。


 それで、国家に問題が起きる時に、エホバ神の観点を中心にして解決していくのが、一番、直接的で効果があるのではないかと思います。


 わたしは最近安倍首相がバチカンを訪問して、敬意を払ったということをお聞きしました。それは良いことだったと思います。そうであれば、その他の神の律法に従う努力を払っているエホバの証人やその他のキリスト教のグループにも平等に敬意を払うのが妥当であるのではないかと思います。



 また、神道や仏教を公に優遇するだけでなく、キリスト教のグループの便宜も図ってほしいと思います。


 過去の江戸時代、またそれ以降の日本政府のキリスト教徒に対する迫害は秀吉によって行われた迫害だけではありません。また、今後、取りあげたいと思います。

豊臣秀吉はどのような宗教観を持っていたか・迫害をしていなかった時状況はどうだったか

 

 日本は、徳川時代や、明治時代、大正時代、昭和時代に神のみ前に大きな罪を犯してきました。日本では戦国時代を終わらせて天下統一をした豊臣秀吉は、1587年にはバテレン追放令を出して、宣教師の国外退去命令とキリスト教宣教の制限を課しました。


 後になって、秀吉はヨーロッパからのキリスト教の宣教者たちを含めクリスチャンたちに残酷な迫害を加え、殺害しました。しかし、今回の記事は、もともと豊臣秀吉神道と仏教を重んじる宗教観を持っていたことを説明します。


 そして、バテレン追放令を出す頃は、事実上、キリスト教の宣教を大目に見ていたことを説明します。表立った迫害はありませんでした。そして、その時に、秀吉の状況がどうであったかも調べたことを説明したいと思います。



 そのような日本の歴史は今日に至るまで影響しているでしょう。日本の過去の歴史、とりわけ豊臣秀吉の時代を振り返ってみましょう。



(1)日本人の宗教の歴史的な背景


 日本は、伝統的に中国や東アジア発の仏教の情報から長い間影響されてきました。日本では、6世紀の終わりごろから7世紀初めに、推古天皇のもとにあって聖徳太子が積極的に、仏教を取り入れました。そのように昔から、日本は神道と仏教が並行して行われていました。


 キリスト教が日本に伝わるのは遅く、イエズス会フランシスコ・ザビエルが1549年に薩摩の鹿児島に来てキリスト教を伝えました。


(2)豊臣秀吉によって出されたバテレン追放令


 豊臣秀吉は元来、主君の織田信長の政策を継承し、1586には大坂城イエズス会宣教師と会って、イエズス会に対して布教の許可証を発給しました。 豊臣秀吉は、1591年に東北地方の奥羽を平定して天下を統一し、戦国時代を終わらせたとされています。



0toyotomi hideyoshi

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵)
秀吉は当初は宣教者に寛大だったが後に迫害して殺害するようになった




 しかし、秀吉は、九州遠征の途上、現在の福岡博多で、住民の強制的なキリスト教への改宗や神社仏閣の破壊、さらにポルトガル人により日本人を奴隷として売買するなどといったことが行われていたこと、また長崎イエズス会領となっていることなどを聞きました。


 それで、1587に秀吉は通商の責任者とイエズス会の責任者を呼び出して、福岡の博多においてバテレン追放令を発布しました。バテレンとは、「神父」の意味です。それは、宣教師の国外退去命令とキリスト教宣教の制限を表明するものでした。 



0Hideyoshi Edict of expulsion of the Christian Padres 1587
Hideyoshi Edict of expulsion of the Christian Padres September 18, 1587
秀吉は1587年にキリスト教の宣教者追放命令を出した

 



 昭和8年に伊勢神宮の神宮文庫からバテレン追放令とされる文書と調和する日付の一日前の11か条の覚書が発見されたそうです。



 その覚書の大意としては、大名に領地を治めさせているが、寺や百姓たちに、キリスト教徒になることを強制するのは道理に合わない、大名がキリスト教になることは、秀吉の許可を得れば許可するし、領土が狭いなら、大名は自由にキリスト教徒になっていいとしていました。そして、下の身分の者がキリスト教徒になることは問題にならないとしていました。でも、その覚書は、身売買は禁ずるとしていました。



 ですから、この覚書の段階では、事実上、キリスト教の強制改宗は容認しないものの、大名や身分の下の者が自由にキリスト教徒になっていいとする、信仰の自由を認めたものでした。


 でも、実際は、イエズス会は日本人を奴隷として売買することを禁止するようにポルトガルに呼びかけていましたし、すでに、1571年にポルトガル国王は奴隷交易がカトリック教会への改宗に悪影響を及ぼすことを懸念して日本人の奴隷交易の中止を命令していたそうです。そのことを秀吉は知らなかったかもしれません。



 そして、1587の覚書の次の日付のバテレン追放令の第一条では、「日本は自らの神々によって護られている国であるのに、キリスト教の国から邪法をさずけることは、まったくもってけしからんことである。」と書いています。


 ですから、秀吉は、日本は自らの神々によって守られている国であって、キリスト教を邪法と言っています。ですから、秀吉は、この段階で、神道古事記の神話の記述、すなわち、イザナギイザナミの夫婦の神が日本の国土を造り、イザナギが穢れを清めた時に、日本を守る神々が生まれたという記述を信じていたということが分かります。



 またその時に、秀吉は、大名は天下からの法律を守るべきだと言っていました。その方針は、聖書とも調和していました。聖書は、神の律法に反しない限り、上位の権威に服するようにと指示していたのですから、それに関する何らかの法律が制定されていたのであれば、大名が寺社を破壊するのは間違っていたでしょう。(ローマ13:1)


 また、第2条では、「宣教師は・・・日本の仏法を破っている。日本にキリスト教宣教師を置いておくことはできない」と述べ宣教師が20日間のうちに、国に帰るようにと指示しています。


 ですから、秀吉は、日本の仏法、すなわち仏教も擁護していました。ですから、この時代から、神道と仏教の2つを擁護するというあいまいな姿勢が日本に根付いていたことが分かります。しかし、秀吉は、貿易のために外国人が行き来をすることは認めていました。


 それで、豊臣秀吉は、完全に状況を把握していたとは言いがたいかもしれませんが、状況を調べてその状況に反応したということはできます。しかし、しばらくの間、キリスト教の宣教師は、禁令下にもかかわらず、その活動は黙認されていました。


(3)バテレン追放令を出していた頃の豊臣秀吉の状況



 1583年、秀吉は、大坂本願寺の跡地に大阪城を築きました。島津氏の問題を訴えるために大坂城を訪れた豊後キリシタン大名大友宗麟は、この城のあまりの豪華さに驚いたということです。

0Osaka_Castle_of_the_Osaka_summer
大阪城はキリスタン大名大友宗麟はその豪華さに驚いた
秀吉は繁栄を謳歌していた





 そして、この後、秀吉は島津氏と戦うために、 九州に遠征をすることになり、そこで、キリシタン大名の状況を知り、バテレン追放令を出すことになりました。

 秀吉は、1587年にバテレン追放令を出しました。しかし、秀吉はその時には、ある意味、キリスト教の信仰の自由を大目にみており、キリスト教徒を表立って迫害はしていませんでした。


 秀吉は、1588年、平安京に朝廷の臣下として、豊臣氏の本邸を構え「聚楽第」と名付けました。1588414には聚楽第後陽成天皇を迎え華々しくもてなしました。そして、徳川家康織田信雄ら有力大名に自身への忠誠を誓わせました。そして、他の有力大名も完全に秀吉に服従する意を表しました。秀吉は、全国に法律を施行しました。



0Emperor_Go-Yōzei
後陽成天皇は秀吉の本宅に招かれもてなしを受けた

                     後陽成天皇像(泉涌寺蔵、狩野孝信筆)





 イエズス会の宣教師たちは、この1588年の段階で、「この暴君はいとも強大化し、全日本の比類ない絶対君主となった。」と述べています。「この五百年もの間に日本の天下をとった諸侯がさまざま出たが、誰一人この完璧な支配に至った者はいなかったし、この暴君がかち得たほどの権力を握った者もいなかった。」と記しています



0Tenno_Juraku-dai_Gyoko-zu
秀吉は自分の本宅に天皇を招いてもてなし権勢を誇った


   

 

  さらに、豊臣が天皇を敬意を払って、自分に権威づけをしたこと、天皇が豊臣家を認め、それによって、他の大名が、豊臣家にある程度敬意を払ったことは、当時でさえも、天皇は武士よりも格が上だとみなされて権威を持っていたことが分かります。そして、秀吉は、神道天皇を重んじることが自分にとって当然、有利であると考えたことでしょう。



 また、秀吉や諸侯の軍人たちは、古事記などの神話を信じていて、日本が天皇の先祖の神によって造られたということや、天皇が神の子孫であるという記述を信じていたことが分かります。今日の日本の状況とあまり差がないのかもしれません。



(4)秀吉はスペインの遭難船の事件をきっかけにしてキリスト教に対して態度を硬化させる


 1596には、今の高知・土佐国スペインの船サンフェリペ号が漂着しました。その船には、七名の司祭が乗り組んでいたそうです。その時、乗組員は、船の修繕許可と身柄の保全を求めて使者に贈り物を持たせて秀吉の元に派遣しました。


 秀吉は奉行を差し向けました。秀吉は、船は海賊に違いなく、
ペルー、メキシコ、フィリピンを武力制圧したように日本も武力制圧を行うため、測量に来たに違いないこと、このことは都にいるポルトガル人ほか数名に聞いた という文書を奉行に持たせていました。



 奉行は、乗組員の持ち物を没収してしまいました。そして、船の乗組員が、奉行に世界地図を見せて、スペインの欧州、南北アメリカ、フィリピンにまたがる領土を示したようです。それで、奉行が、どうしてスペインはこのように広大な領土を持つに至ったのかを尋ねました。



 すると、乗組員は、スペインの王は、宣教師を世界中に派遣して、布教とともに征服することを事業としていると言いました。まず、スペインは、その土地の民を教化して、その後信徒を従わせて、兵力をもってその領土を加えてきたと説明したようです。これは、日本側の記録には、ありませんが、スペイン側の記録にあります。


成員がスペインなどのヨーロッパ諸国がキリスト教の布教と武力制圧をして国土を広げる政策をタイアップしていたことを認めてしまい、ポルトガル人の話を確証することになりました。ですから、秀吉が危機感を抱いて、外国に門戸を閉ざす政策をとったことにも、もっともな反応であったかもしれません。


しかしながら、そのスペイン船は海賊ではなかったので、それは秀吉の不当な判断でした。そして、船員が話したことは実情を話していたかもしれませんが、誠実な動機で、神に仕えていたキリスト教徒に迫害と苦難をもたらすことになりました。



 これがきっかけとなって、豊臣秀吉によるキリスト教徒への迫害である日本二十六聖人殉教が起きました。



 

EUの加盟国としてとどまるならばどのような結果になることが予想されるか

 英国の議会がEUとしてとどまるかどうか、どのような手続きでそうするかということで紛糾しています。そのことで、英国で総選挙が201912月に行われるようです。


 では、
EUの加盟国としてとどまることは賢明でしょうか。EUにとどまるならば、どのような結果になっていくでしょうか。


(1)EUの加盟国としてとどまることは賢明か


 EU啓示13章の最初の複合的な野獣になっていくならば、将来、イタリアやギリシャキリスト教の本拠地を軍事攻撃することに加わる結果になる可能性があります。(啓示13:1,2)


 わたしは以前、ヨーロッパ全体を協力体制に置くことを決して悪いことだと考えていませんでした。ですから、EUに対して否定的な見方を持っていませんでした。


 しかし、啓示13章を研究して、この海から登場する野獣がひとつの国家であるということに最近気づきました。そして、それは過去のさまざまな帝国の歴史を持つ地域からなるひとつの国家であると思いました。



0beast revelation132
一匹の野獣は基本ひとつの国家なので海から出てくる1匹の野獣はさまざまな国家からなるひとつの国家になるはず




 現在のところ、啓示13章のような複合国家になる組織、また、ひとつの国家はEU以外にはないのではないかと思います。それで、EUは、これから加盟国を増やしていけば、啓示13章の海から出てくる豹と熊とライオンの特徴を持ち、七つの頭と十本の角を持つ野獣になりえると思います。



0EU Julio Reis
聖書の預言からするとEUはその領土を広げてますます強大になり反キリスト教になっていくのではないか



 

 ヨーロッパ諸国は、反ロシアの主義で一致して、連合を組むようになりました。さらに、米国に対抗して、米国よりも強力な複合国家を形成するという考え方もありました。しかしながら、ヨーロッパ諸国の統合を積極的に推し進めたのは、米国でした。そのために、EUは、これからさらに加盟国を増やしていき、中東、その他の諸国も加えていく可能性があります。


 それで、啓示13章の複合の野獣は神を冒とくする名前を頭に持ち、なんと、「龍は自分の力と座と大きな権威を[その野獣]に与えた」と記されています。(啓示13:2)ですから、EUは悪魔サタンから権威と力を与えられることになります。

0beast revelation133
啓示13章の複合の野獣は悪魔サタンから権威と力を与えられる




(2)EUに加盟するヨーロッパ諸国にどのような状況が見られるか


 EUはヨーロッパ諸国の協力を推し進めるのですから、とてもよい計画のように見えます。しかし、そのような統合は弊害も大きいです。


 聖書の預言を考慮すると、将来EUは、キリスト教に敵対することになっていくことが予想されます。確かに、ヨーロッパ諸国の間で、従来のキリスト教からの離反が見られるようになっています。聖書は創造者の存在を教えています。しかし、19世紀にはダーウィンが進化論を提唱しました。そして、キリスト教が主流のヨーロッパ中で、進化論や唯物論を受け入れる人が増えています。それで、キリスト教からの背教が見られるようです。


 それで、将来、キリスト教会がさらに、神への忠実さを失い、また、神の律法に対する「違犯」と、聖書に対する離反と「背教」が見られるようになっていくのではないかと思います。(ダニエル8:1211:32)

 例えば、ベルギーでは、ほとんど100%カトリックプロテスタントです。ベルギーは19世紀には、永世中立国でした。でも、第二次世界大戦後、中立主義を放棄しました。そして、NATOEUに加わり、NATOEUが戦争に参加した時には、積極的に必ず、ベルギーも参戦しています。


 しかし、そのためではないかと思いますが、WHO2016年の統計によると、世界各国の自殺率ランキングでは、従来自殺率の高かった日本が7位でしたが、ベルギーが4位になっています。ですから、聖書に基づいたキリスト教の倫理観を放棄しているために、キリスト教の信仰が大変弱くなり、精神的な変調をきたす人が多くなっているのではないかと思います。


0belgium1
Ajay Suresh from New York, NY, USA
永世中立国だったベルギーはEUNATOに参加して毎回戦争に参戦しキリスト教の信仰が弱ったらしく日本より自殺率の高い国となった





 またスウェーデンノルウェーは、第二次世界大戦中に中立を保持したことで知られていて、その結果、国土の荒廃や、資産の損失を免れ、戦後は経済的な繁栄を享受しました。 ノーベル賞を授与する権威のある国際的に中立な国家としてみなされていると思います。


 そして、スウェーデンでは、福音ルーテル教会が全人口の八割を占めるキリスト教国家です。ところがスウェーデンの場合、ベトナム戦争に参戦し、1995EUに加盟していました。2001年以降、アフガニスタン紛争、リビア内線、対イスラム国戦争に参戦しています。


また、スウェーデンは、北欧及び
EU
諸国が攻撃された場合には「受動的な態度をとらない」と宣言しており、欧州連合戦闘群、すなわちEUの軍隊に参加しています。


 そして、スウェーデンはそのように平和主義と中立主義を放棄したために、2011年の犯罪発生率は、148万件で、日本の約13倍となっています。




0sweden stockholm

 

 

中立のキリスト教スウェーデンEU加盟国として近年の戦争に参戦して犯罪発生率が日本の13倍になり人心が荒廃することになっている







 日本も第二次世界大戦前後は、犯罪発生率、殺人率などもとても高かったのですが、戦後戦争に不参加の立場をとっているので、犯罪発生率と殺人率は低下してきました。しかし、過去に中立主義をとっていたにもかかわらず、聖書の教えに不忠実になってしまったスウェーデンに、その反対のことが起きています。 



(3)今後EU加盟国がどのようになっていくと予想されるか


 現在の傾向が続くならば、ヨーロッパ諸国はますますキリスト教や聖書に敵対的に、神に対して冒とく的な態度をとっていくことになるのではないかと思います。そのために、神は、自称クリスチャンたちに対する保護を差し控えられ、EUは最後はキリスト教の本拠地を軍事攻撃することになっていくのではないかと思います。


 その時、ローマカトリック教会ギリシャ正教会の本拠地を攻撃することになることには、十分の理由があるのだと思います。おそらく、彼らがそれまで行ってきた悪行が明らかになるのだと思います。



 しかし、それでも、彼らは聖書のキリスト教を代表している存在なので、彼らに対して軍事攻撃をすることは、聖書の神に対して喜ばれることにはなりません。とりわけ、軍事攻撃をする際に、僧職者などの命を奪わないように気をつけていても、やはり、その命を奪うことになる場合があると思います。そうすると、それは殺人であり、聖書の神に対して罪を犯すことになります。




 世界で従来のキリスト教、ローマカトリックギリシャ正教会に批判的な風潮が強くなっていく時に、EUの加盟国であると、加盟国の条約のために、それを望んでいなくても、キリスト教の僧職者に攻撃を加えたり、無実の人々に対する軍事行動をとらざるを得なくなる可能性が大きいです。



  ですから、EUに加盟していることは、明らかに弊害があります。それで、EUに加盟していない方が、聖書の神に対して罪を犯すのを避け、また、南の王との間で永続的に平和な良い関係を続ける結果になる可能性があります。



英国のEUからの脱退問題


 現在、英国がEUから脱退するかどうかを考慮していますが、わたしは反対することはしません。確かに、EU加盟国のドイツだけはとても経済的な状況がいいです。ドイツはヨーロッパ諸国の中で、経済的な状況は一番よく、また、経済的な発展を続けています。



 最近、ドイツの選挙で第三党になってしまいましたが、メルケル首相の先見の明のある進んだ賢明な判断や指導が経済的に良い結果を産んできたのではないかと思います。


 再生可能エネルギーの推進や高等教育の重視と無料化、さまざまな国々と平和外交を推進することなどは、良い結果を産んできたのではないかと思います。ドイツ政府は、シリア内戦でのかかわりでも、空爆は行わず、後方支援にとどめていて、流血をできるだけ避けたと思います。



  ドイツはメルケル首相が中国を訪問したりして、主義の異なる中国と良い貿易関係を求めたので、ドイツ車が中国で売れる結果になりました。ドイツ車が、その排ガスの能力ではなく、ドイツの国家と結び付けて考えられ、中国人に好意的に受け入れられたからです。



 それで、貿易で、国家の製品が売れるかどうかは、その製品の性能よりも、国家間の関係によるところが大きいです。日本車の方が、ドイツ車よりもクリーンな排ガスの能力があり、ほんとは中国の大気汚染対策にプラスになりますが日本と中国の関係悪化のために、日本車が売れなくなっています。ですから、企業の製品改善のための努力も国家の関係が悪くなるとだいなしになります。



 かぎは国家間の関係なので、敵対するのではなく平和を求める方が実際の利があります。 



 それでも、そのドイツもイスラム国のテロを経験しました。イスラム圏の国々からすれば、後方支援でも、同盟軍とみなされますし、空爆をしているのがどこであるかなど、あまり明確な区別はつかないかもしれません。一応、戦争に加わっている国家であるというだけで、憎悪を抱くことになると思います。



 そして、テロがあると、テロのあった地域は観光産業は言うまでもなく、経済活動が妨げられます。平和があってこその経済的な繁栄です。それで、後方支援でもテロなどの軍事行動の標的になります。



   ですから、ドイツの例を見ても、できるだけ米国・
EU
間の協定に縛られて軍事行動をすることを強制される状況から離れている方が、自国の平和と経済を守ることをできる結果になります。



(5)今後EUはどのようになっていくことが予想されるか



 しかしながら、メルケル首相は、EU合同軍の創設を提唱しています。そして、フランスなどその他のヨーロッパ諸国やEUの大統領などもEU合同軍の創設を提唱しています。



それで、どこかひとつの国が勝手な行動をとり軍事侵略をする時に、全体でその国家を懲らしめるならば、容易に平和を維持することができ、
EU
連合軍の設立は、いいアイディアのように考えられるのだと思います。



 しかしながら、EU加盟国として、EU合同軍に参加するならば、自国と関係のない紛争に参加することになり、それは、国民全体の生活のレベルを下げてしまいます。そして、それは、長い目で見て、国家の経済に良い影響を与えることはありません。



 さらに、EUはますます強硬な連合国になっていくと考えられ、EUはひとつの合同軍を持つことになり、ますますひとつの国家の形態をとるようになっていくのではないかと思います。それで、EU諸国は、ますます啓示13章の海から出てくる複合の野獣の特徴を備えることになります。



 そうすると、啓示13章の海から出てくる野獣に関する預言はEU加盟国に成就しつつあるように見えます。さらには、その預言は、啓示17章に登場する緋色の野獣に関する予言がEU加盟国に当てはまることになるのではないかと思います。海から出てくる野獣や緋色の野獣に属することは、エホバ神の目にとって望ましいことではありません。



 

0beast revelation131
海から出てくる複合の野獣に属することは勧められることではありません

 

2019年10月の台風19号に関するヨハネの祈りの経験

(1)2019年の台風19号についてわたしヨハネの祈りが少し聞かれた経験


 
わたしヨハネの祈りが少しは聞かれた経験について追記をします。2019年台風19号が1012日に日本全体、とりわけ関東地方に向かっていました。大型の勢力の強い台風ということになっていて、最大風速が最初は50kmはあり、最大瞬間風速は、最初は75kmくらいだったと思います。それで日本全体に広範囲にわたって壊滅的な打撃を与えることが心配されていました。



 75kmの風速ということになると、ハリケーンくらいなので、台風の進路の家屋はそこら一帯が崩れてしまうと思います。大型台風だったので、メディアによっては近畿地方から関東地方や東日本まで日本の大半が荒廃に帰す危険が心配されていました。


 スピードがのろくて30kmでした。それで、ネットの気象情報をチェックしながら何度も祈りました。スピードが遅いので、長期間、大量の雨が降り続けることも心配されていました。


 何度もエホバ神に祈りました。とりわけ、日本には過去のはなはだしい流血の罪と現在の不信仰と偶像崇拝の罪があるので、これからもヨハネは日本人が創造者に信仰を持つよう助ける努力をし続けますから、キリストの贖いの犠牲を適用して、自分を含め日本人の罪を許して台風のダメージが大きくならないように祈りました。



 いつも衛星画像をチェックしましたが、台風の勢力は少しずつですが弱まっていきました。また、台風の雲海の範囲は少しずつ小さくなっていきました。でも、12日の夜は、メディアでは、一晩中雨が降り続けて、大変な雨量になることが心配されていました。


 つい最近災害に見舞われて大変になった千葉の人が気の毒なので、これ以上そこに災害が起きないようにということも祈りに含めていました。そのことは、何度か祈りました。


 12日の夜は眠たくて早く寝ましたが、夜中に床で目が覚めた時に風が激しかったので、布団で寝たままで台風がスピードが速くなって雨雲と共に早く過ぎ去るようにと祈りました。たぶん、その時の祈りは夜中の真夜中12時の前だったと思います。



 その時は、床で祈ったのでそのまままた寝てしまいました。夜中2時半ころ目が覚めて起きると、外では雨も風もなかったので、台風が過ぎ去ったことが分かりました。ネットで気象庁のサイトを確認しました。


 すると台風のスピードは55kmになっていました。そして、気象衛星の画像を見ると、台風の雲海と雨雲は関東地方以西からほとんどなくなっていました。夜中の131216分には関東地方への大雨特別警報は警報に切り替えられていました。


 ですから、エホバ神はわたしの祈りを聞いてくださって台風がスピードを出して千葉県や東京から過ぎ去るようにしてくださったんだと思いました。千葉では、その台風のためにダメージがひどくなったという報道はその後ありませんでした。


 台風はその時には、東北地方で豪雨を降らせているとネットにありました。ですから、東北地方の人のためにも一度だけ、祈りました。でも、台風がスピードをあげて関東から過ぎ去ったので、もっとスピードを出して東北も過ぎ去るだろうからもう大丈夫だと考えて、もう安心してしまって、その後はもう祈りませんでした。台風のことは、もう注意を払わずに、ブログの記事の作成に注意を集中しました。


 次の日になると、関東以東、東北地方では河川が決壊して、浸水被害になったところが多いという結果になったことが分かりました。それで、もっと東北の状況を確認するすべがあったら、祈ったかもしれないと思いました。もっとしつこく続けて祈っていれば、東北の人の被害は少しはましだったかもしれないと思って申し訳なく思いました。


 また、夜中には、TVのニュース番組もありません。ネットで気象台の衛星画像を見ていても、実際地上がどのようになっているかは、分かりません。それで、東北の状態を確認するすべもありませんでした。


 

 もちろん、とりわけ東北で、死者や家屋の被害や停電被害は出ました。でも、祈ってエホバ神をなだめてその助けを祈り求めたので、その災いは日本全体が壊滅するような極端なことにはならなかったと思います。


 わたしがなぜ、エホバ神は、台風も制御できるはずだと考えるかというと、イエスが、人間として地上におられた時に、湖の船の上で、激しい暴風に遭遇された時に、暴風を制御されたからです。イエスは、「風を叱りつけ,湖に『静まれ! 静かになれ!』」と言われました。「すると風はやみ,湖面はすっかり穏やかになった。」という記述があります。(マルコ4:39)




0jesus calms a storm
エスはあらしを静められた
エホバ神は気候を制御できるはず




  ですから、エホバ神は台風やハリケーンでも制御される力をお持ちだと思うからです。ご意志ならば制御してくださるはずなので、一生懸命、エホバ神がその力を行使してくださるようにお願いしました。


 一方、聖書の中には悪魔サタンが、激しい風を引き起こせるという記述があります。ヨブの時代に、「突然,荒野の方から激しい風が家の四隅に吹き付け,家が倒れ」ヨブの子供たちが、「下敷きになって亡くなった」と書かれています。(ヨブ1:19)


   もちろん、地上で起こる台風やハリケーンやサイクロンがすべて悪魔サタンが引き起こしたものであるとは思いませんが、悪魔サタンもある程度はそうしたことが行なえるという記述はあります。




0satan the devil5
悪魔サタンは激しい風を引き起こすことはできる





 その時に、おそらく他にも祈った人々がいたと思います。このような経験は何度もしました。祈って台風がものすごいスピード、70km80kmくらいのスピードで過ぎ去るということも何度かありました。東北地方でも以前、そういうことがあったと思います。それで、台風関係の祈りは、必ずだいたいある程度は聞かれます。今回も東北でそのようになれば良かったです。


 でも、通常、エホバ神に聞いていただくためには、おざなりな一度だけの祈りではだめで、何度も祈らなければならないです。


 

 

 でも、その地域ごとに自分の地域の人々のために祈ってその祈りが聞かれる人々が複数いるべきだと思います。そのように考えるのは次の経験からです。


(2)台風関連の別の経験


 ある時に、もうすでに大洪水のダメージを受けた福岡と熊本に台風が向かっていました。それで、大きなダメージをすでに受けている福岡と熊本の人が気の毒なので、そこに台風の被害がないようにしてくださいと祈りました。すると台風は、鹿児島と宮崎にそれて、そこで、台風被害が発生しました。それで、鹿児島と宮崎の方には少し申し訳なく思いました。



0kyusyu T.kambayashi
祈ったところ台風は福岡と熊本を避けて宮崎・鹿児島方面を襲いました






 それで、祈りは、ある場合、こちらが立てば、あちらが立たずという場合があります。利害が人によって地域によって対立します。ですから、基本的に、地域ごとに信仰の人が自分の地域のために祈るべきだと思います。


 別の時には、台風被害のあった東北地方にまた台風が向かっていたので、わたしの住んでいる市でわたしが交わる二つの教会の人々が心配しました。それで、ひとつの教会では、米国人の牧師が東北のために台風について祈りました。また、別の日本の教会では、年配の女性の信者が東北の人のために台風の被害が大きくならないように祈りました。もちろん、わたしも同じことを祈りました。


 すると、確か、その時には、台風はすごいスピードで移動していったと思います。それで、東北での台風の被害は決して大きくはなりませんでした。それで、どちらかというと、複数の信仰の人が祈ると、その祈りは聞かれやすいです。

 

(3)複数の信仰の義者が祈ると結果が異なるという聖書の事例


 祈りが聞かれるための条件のひとつは、神のご意志にかなっていなければならないことが聖書に述べられています。(ヨハネ第一5:14)しかしながら、聖書の中にも「地上にいるあなたたちのうちの2人が,どんな重要な事柄でも,同意して願い求めるなら,天にいる父によってその通りになります」というイエスの言葉があります。(マタイ18:19)




0pray together5
エスは天的な希望を持つふたりのクリスチャンが同意して祈り求めるなら基本的に聞き届けられると言われた



 

0jesus and a child1

エホバ神はイエスのように謙遜でわたしたちの声に耳を傾けてくださいます




 これは、天的な希望を持つクリスチャンについて言われていますが、これは地的な希望のクリスチャンの場合も同じ原則が当てはまるのではないかと思います。ですから、複数の人が祈るとエホバ神に聞いていただける可能性が高くなると思います。エホバ神はご自分に信仰をもって祈る人の声と願いを考慮してくださる謙遜で愛のある方だからです。




 また、一世紀のエルサレム会衆では、少なくともふたりの中心的なメンバーが殉教していました。(使徒7:59,60;12:1,2)でも、ペテロの場合は留置場に入れられた時には、会衆の人々が複数で彼のために祈ったので、結果が異なりました。(使徒12:5-11)ペテロは、牢獄からみ使いによって解放されました。



 聖書の中に、アブラハムがソドムの地域の人々のためにエホバ神がそこを滅ぼさないように頼んだことがありました。エホバ神は、ソドムに十人の義人がいれば、ソドムを滅ぼさないとアブラハムに請け合いました。(創世記18:32)ソドムには、アブラハムの甥のロトとその家族が四人住んでいました。でも、同性愛の町ソドムに住んでいた義人はその四人だけのようでした。



 それで、エホバ神は、その町ソドムに天から硫黄と火を降らせて滅ぼすという決定をされました。(創世記19:24,25)それで、この昔の事例から考えて、ある町に十人の神に信仰を持つ義人がいれば、エホバ神は当面、その町を荒廃させるようなことは許されないのではないかと思います。


 十人の信仰のある義人がいれば、その町に関する祈りは基本的に聞かれる可能性が高いのではないかと思います。ですから、各地域に聖書の神エホバ神に信仰を抱く人が存在するべきです。わたしは、すべての地域の人々のすべての利益を代表することはできないからです。




 どこかを優先すれば、別のどこかは二の次になります。ですから、どこでも、エホバ神への信仰を、それも正確な知識を持ち、神の律法を守る人々が存在するように努力を払うべきであって、それらの人々に自分の住む地域について祈ってもらった方がいいと思います。




 しかし、昔神の僕たちがさまざまな奇跡が起きていることを認めた人々の中には、それでも、神の僕たちに反対する人がいました。そして、聖書の中で書かれていることは、人間社会の現実で、これは、聖書時代だけでなく、このわたしたちが住む現代にも起こりうることです。


 というのは、1世紀もイエスがさまざまな奇跡を行われました。それで、エルサレムの宗教指導者たちは、イエスがさまざまな奇跡を行っていることを認めざるを得ませんでした。(ヨハネ11:47,48)


  しかし、それでも、ユダヤ教の指導者たちは、物事を間違って推論して、エホバ神とイエス・キリストに対する信仰がマイナスになると考えて、イエスに反対し続けました。(ヨハネ11:47,48)

 

 

エスの時代の宗教指導者たちはイエスが奇跡を行ったことを認めはしたがその原因となっている全能の神の存在を認めなかった

 




 そして、最後には、イエスを杭につけて殺してしまいました。その結果、その当時のユダヤはローマの軍隊に攻撃されて壊滅的な打撃をこうむりました。彼らは間違った推論をしたので、間違った行動をして、ユダヤの国に災いをもたらしました。

 

 それで、これからも祈るとエホバ神は聞いてくださると思います。そして、わたしも人々が神への信仰を持つように努力をし続けると思います。でも、多くの人はやはり、起きたことを偶然だと考えたり、たとえ実際に奇跡のようなことが起きたと考えても、信仰が自分たちにとって不利になると考えたりする場合があると思います。


 ある人々は、神の律法を守って偶像崇拝や性の不道徳をやめて、神を認めて生活するのがいやなんだと思います。それが自分の生活と自由を拘束すると考えるのではないかと思います。あるいは、ある人々は信仰のために迫害されることを恐れて、真理を否定し、信仰を持ちたがらない場合もあるかもしれません。(ガラテア8:12)


 それで、ある人々は奇跡的なことが起こることを認めても、その背後におられる原因となっておられる神を認めることをしない場合があります。あるいは神が働かれたということを認めず、偶然にそうなったと考え続けると思います。



 日本の場合、創造者なる神への信仰はとても低レベルです。仏教や神道や進化論と無神論が普通に日本社会で受け入れられているためです。日本は、死者の霊に対する信仰があるので、そうした神は存在すると考えていても、創造者なる神に対するキリスト教の信仰は一般の日本人にはほとんどないのが普通です。そのために、そのような結果になります。


 わたしヨハネも、日本人の背景は良く分かります。でも、これからもあきらめないで、日本人の間で、信仰を築くよう努力をしていきたいと思います。



 

 

日本の神道の古事記は理性的に信じるに値しますかーキリスト教の創造者はどうですか

 




 日本人は、非常に長い期間、天皇制が続き、日本政府が強力に神道教育を推し進めたために、戦前や戦時中は、天皇が神の子孫で、古事記日本書紀を真実の歴史だと信じていました。



    『古事記』は、西暦712年天皇の系譜や古い伝承を元明天皇の時に書き記し、編纂したものとされています。古事記は上中下の三巻になっています。そして、上巻に、日本がどのように始まったかが記述されています。



 
でも、わたしは現時点で、日本憲法の中で政治に携わらない天皇制のシステムが日本で認められていることに対して反対はしません。



 日本の歴史の中で、天皇が長い間支配階級にあり、敬意を払われていたことは既成の事実だからです。天皇を始め皇族は日本と諸外国との平和と親善に貢献してこられました。そのことは、感謝するべきことです。



 しかし、神道も仏教も基本的に万物の創造者なる神という概念がありません。天皇家の多くの方々が信じている日本の神様によって日本が造られ、天皇が神の子孫であるとという教えは、事実に基づかないまったくの偽りであると思います。今回はそのように考える理由をご一緒に考えたいと思います。



​(2)非理性的な古事記の日本の成立の記述​




 
古事記の上巻によると、兄妹のイザナギノミコトとイザナミノミコトが二人で海をかきまぜて、日本の島々を作り出し、そこで二人は結婚生活を送りました。





イザナミイザナミが日本の国土を作ったという教えは理性的に受け入れられますか​​








 
そもそもイザナギイザナミは誕生したことになっているので、最初があるはずなのですが、古事記は、イザナギイザナミがどのようにして存在するようになったのかは説明していません。そして、古事記では、神であるイザナギは、神武天皇の7代先祖とされています。神武天皇が実在する人間であるとすると、どこの時点で、神から人間に移ったのかという疑問が生じます。



 また、イザナギイザナミはどのようにして、天から泥水を垂らすために天の雲の上にいることができたのでしょうか。彼らが霊者という記載はありませんが、死んでしまう人間のような存在が雲の上にいることができたという記述はおかしいのではないでしょうか。



 さらに、果たして天の鉾からしたたり落ちる泥水によって日本の島々を作ることができるでしょうか。さらに、古事記の中で、妻のイザナミが死んで黄泉の国に行ったことになっていますから、神なのに死ぬという点で人間と変わらないことになっています。もし、人間と異なる超人間的な存在であるのに、どうしてそれらの神々は死ぬのでしょうか。




 そして、日本を作った神がイザナギイザナミという神であれば、世界の他の大陸や島々はどうなりますか。それらの大陸を作った神々が存在したことになります。そうすると、古事記の記述からすると、世界の多くの大陸を作った神々がたくさん存在していることになります。



 しかし、日本が造られた経緯について述べる記述はなぜ中国、米国、ヨーロッパなどを作った神々について言及していないのでしょうか。それらの地域が存在していることを古事記の上巻作成当時知らなかったのでしょうか。



 また、中国の方が大陸が大きいのですから、中国を作った神の方が、上だということにならないでしょうか。それなのに、日本を作ったイザナギの娘の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が神々の住まいである高天原を支配するようになったのでしょうか。



 イザナギイザナミのいる黄泉の国から戻ってきた時、黄泉の汚れを洗い流した際にアマテラスオオミカミが左目から生まれたとされています。神が神の左目から生まれるでしょうか。父神の左目から生まれたというアマテラスは実在しますか。







​​父の神の左目から生まれたアマテラスは実在する神ですか​​







   さらに、この時、イザナギの右目や鼻からも神が産まれました。なぜ、黄泉の国のイザナミを恐れて逃げ帰ってきた時に、神々が産まれたのでしょうか。





 尊い神であるなら、聖なることをした後に、聖なる者から生じるのなら少しは理解できますが、神が何か、汚れたことをした後に産まれたとされるのはおかしくないでしょうか。





 そして、イザナギが娘に主神となるよう命じたのであれば、イザナギの方がアマテラスよりも、立場が上なのではないでしょうか。アマテラスを主神にした後、イザナギの立場はどうなったのでしょうか。古事記は説明していないようです。




 神々は自然発生するのでしょうか。もし、そのような記述が事実であれば、世界には、日本のイザナギがみそぎをした時に自然発生した日本のアマテラスの神以外の神々が無数に存在することになってしまうのではないでしょうか。また、次々に自然発生する神々は、わたしたちの崇拝に値しますか。



 しかも、日本を支配する神々は、神が汚れを清めた後に、自然発生したことになります。単に汚れを清めた後に、日本の神々が発生したのであれば、そのことは日本を他より勝っている立場に置くとは思えません。わたしはこの記述は、天皇の先祖が優れていて、世界を支配する立場になるという根拠になるとは思いません。



 古事記の日本の神について述べる記述は明らかに到底理性的に受け入れられる記述とは言えません。





​​​(3)古事記が述べる黄泉の国は存在しない​



  古事記では、妻のイザナミは死んで黄泉の国に行きました。『古事記』では、天上界にある神々の住む「高天原」と、地上の人間が住む世界と、地中にあるとされる黄泉の三つの世界があると教えています。黄泉の国が存在するのでしょうか。



    しかし、日本の島々を産み出すほどの力のあったイザナミの神が、なぜ死ぬことになったのかはおかしいことです。死ぬのは人間です。死ぬのであれば神とは言えないでしょう。




 イザナギは妻のイザナミが死んだ後に、黄泉に追いかけていきました。どうして、イザナミは死んで黄泉の国に行ったのに、夫のイザナギは生きていたのに、黄泉の国に行くことができたのでしょうか。そして、イザナギイザナミが醜い姿をしていたのを見て逃げ帰りました。人は死ぬと、醜い姿で生き続けているのでしょうか。これも、あり得ない話ではないでしょうか。


  また、イザナミは、夫に逃げられたので、「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言いました。それでイザナギは、「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言ったそうです。夫に逃げられたので人を一日大勢殺すと言った日本の神を尊敬できますか。これは、まるで悪霊のような特質をしているのではないでしょうか。




 また、姿が醜くなったなら、夫婦としての愛が冷えたのでしょうか。また、神なら、死んだ者をよみがえらせることができるはずでないでしょうか。



 そして、大抵の現代人は、地下に死者が住む黄泉が存在しないことを認めているのではないでしょうか。私たちは、火山が爆発してマグマが出てくるので、地球の内部はマントルが融解してできるマグマがあることを知っています。




 そして、最新の研究によると、地球の中心は364万気圧・5500°Cという超高圧高温状態であるということです。ですから、地球内部にどんな物質世界、地下世界も存在しえません。ですから、黄泉の国は存在しないのではないでしょうか。







Kelvinsong
地球の内部は超高温なので黄泉の国は存在していません








 聖書は、確かに霊者が住む天界と人間が住むこの物質界が存在することを認めています。しかし、人間は死ぬと土に戻ると教えていて、死者が生活する世界が存在するとは言っていません。(創世記3:19)



 聖書によると、死んだ人が活動している世界としての黄泉または陰府は実在しません。聖書が黄泉と述べる場合、文字通りの墓もしくは比ゆ的に死者がいる場所を意味しています。死者は意識がなく存在がなくっているので、死者の住む世界も存在しません。








Richard Buckley, Mathew Morris, Jo Appleby, Turi King, Deirdre O'Sullivan, Lin Foxhall
​​人は死ぬと土に戻り存在しなくなるので死者の住む世界は存在しない​​









 そして、わたしたちが地球について知っている状況はこのことと一致しているのではないでしょうか。





​(4)日本だけでなく全世界を創造された神エホバ​



 聖書によると、世界を創造されたエホバ神は、永遠の昔から存在しておられました。そして、永遠の将来にわたって存在していかれます。聖書は、神について、「あなたが地と産出的な土地を産みの苦しみによるかのように生み出される前から,実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です。」と述べています。(詩編90:2)ですから、エホバ神は不滅であり、時間を超越した存在です。



 そして、この方が一人で全宇宙を創造されました。エホバ神は日本だけを作られたのではなく、全人類が生活している地球を含む太陽や星のすべてを、創造されました。ですから、エホバ神は地球全体を支配するただひとりの至高の神です。(詩編83:18)さらにエホバ神は、「聖なる者」、まったく汚れとかかわりをもたれない神聖な方です。(レビ11:45)



 

エホバ神おひとりが知恵を用いて全宇宙を創造された​







 通常、何かが存在し始める時に、その設計者が知力を働かせて仕事をしなければ産み出されないというのが普通ではないでしょうか。メーカーが車やパソコンや電化製品などさまざまな製品を作り出しますが、メーカーは知力をフルに働かせて新たな物を創造します。




 聖書は、エホバ神が「働き続け」られ、その労によって全世界を造り出されたと教えています。(ヨハネ5:17) 聖書は真の創造者について次のように述べています。「エホバ,あなたの偉業は何と多いのだろう。あなたは知恵によって全てを造った。地球はあなたが造ったもので満ちている。」(詩編104:24)




 ですから、まことの神がその世界を創造された時、それは自然発生したのではなく、神は「知恵」をフルに働かせて無数の物を創造してくださいました。それは、人間世界で、設計者が創意工夫をこらして製品を作るのと同じです。


  ですから、私たちは神が愛に基づいて知恵をふりしぼって世界を創造してくださったことに感謝できるのではないでしょうか。このような方こそ、わたしたちの崇拝を受けるのにふさわしい方ではないでしょうか。



  聖書の記述は現実に起こることと調和しています。一方、イザナギが体を洗って汚れを落としただけで、神々が自然に産まれたという記述は、何もわたしたちに神に対する敬意を育みません。また、わたしたちが知っている世界の実情に反しています。



 このことからも古事記に書かれている自然発生した神々の記述は、まったく、あり得ない作り話であると言えるのではないでしょうか。全宇宙を知恵をもって創造された神が存在されるという聖書の記述の方が理性的に受け入れられるのではないでしょうか。


 

(5)実在しない神ではなくわたしたちの救い主となってくださるまことの神を崇拝しましょう​





  古事記の中で神々や日本の成立について述べられていることは、神話であり、まったくの作り話であり、偽りで事実ではありません。その話はまったく不合理で、信じるに値しません。



 でも、わたしは古事記に述べられている現天皇の先祖に関する記述がすべて作り話であるとは考えていません。古事記の中には、実際にあった史実も含まれているかもしれないと思います。ですから、今の天皇が古い歴史を持っているだろうとは思います。



 でも、古事記に日本の神について書かれていることは、不合理で、実際に起きたことだとは決して思いません。それで、伊勢神宮などでは、多くの神々が祭られていますが、そのように神々の存在するという信仰の元になっている古事記の記述は、合理的な現代人が信じることのできる真実の記録だとは思いません。



 それで、わたしは天皇制の存在と存続に反対はしませんが、古事記の神話の部分の記述は事実ではありませんし、その中に記述されている神々は、存在しないと思います。存在しない神を崇拝しても、何の益にもなりません。



 聖書はこのように勧めています。「心を尽くしてエホバに仕えなさい。実体のないものに従おうとしてはなりません。そうしたものは役に立たず,救ってもくれません。実体がないからです。 」(サムエル第一12:20-21)




 そのように現実に存在しない偽りの神を崇拝しても、日本が苦難に直面した時救ってはくれないでしょう。実在していないからです。また、そのようにすることによって、まことの神エホバ神に是認されることはありません。




 まことの神はご自分について次のように言われています。「それは私エホバではないか。私のほかに神はいない。正しい神,救い主は,私以外にいない 」(イザヤ45:21)





実在される万物の創造者エホバ神を崇拝しましょう





 エホバ神は実在しない神なのではなく、確かに存在しておられる救い主です。エホバ神だけが苦難に直面したご自分の崇拝者を救ってくださいます。私たちは創造者であり至高者であるエホバ神だけを崇拝しましょう。
​​​​​​

日本の神道は世界の諸宗教の中でどのような位置にあるか​

日本の神道は世界の諸宗教の中でどのような位置にあるか​


【目次】​
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  日本は、昔、わたしたちの祖父や父親の時代に、日中戦争や太平洋戦争で、何百万人、ひょっとすると何千万人ものアジアの人々の血を流しました。わたしの父親は、存命中、戦時中の話をほとんど全くしなかったので、どこで何をしたかはまったく聞いていないのですが、太平洋世界大戦中には、若い兵士として戦地に赴きました。
 
 
 
 今生きている日本人の高齢者の中には、太平洋世界大戦中、戦地に赴いて現地の人々を殺害したという人もいると思います。また、わたしたちの世代の中には、自分の父親や祖父が兵士になって戦地に行って流血行為を行なったという人もいると思います。
 
 
 
 わたしは、現在の日本人が、自分、あるいは父祖によって流されたアジアや他の国々の人々の命の血を流したことが命の与え主に対する罪であるということを認めるべきだと思います。
 
 
 
 しかし、日本人の非常に多くの人々は、神道や仏教を信じています。また、進化論者か無神論者です。日本の宗教の信者数は、文化庁宗教年鑑』平成29年版によると、仏教系が48.1%、神道系が46.5%、キリスト教系が1.1%、諸教(神道系・仏教系・キリスト教系以外であるもの)が4.3%です。でも、これは宗教団体の回答に基づいて集計された調査です。
 
 
 
 普通、個々の国民へのアンケート調査などでは、「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人は2割から3割という結果が出ることが多いそうです。この統計の方が実情に近いと感じます。日本人の場合、仏教か神道か進化論者か無神論者が多数派を占めています。キリスト教の聖書や創造者なる神を信じる人は日本人の中では、ほんとに少数派です。
 
 
 
 日本では、学校教育でも、メディアでも、進化論について教えられることが普通です。創造説を取り上げることはほとんどありません。そのため、日本人の中で、進化論者や無神論者の無宗教な人がとても多くなっていると思います。それで、神道を信じている人でも、進化論を信じていて、本当の意味では、神道を信じていないという人が多いかもしれません。
 
 
 しかし、戦前は、日本政府により神道教育が非常に強力に推し進められたので、年配の方の中には、今でも神道を信じているという方が少なくないかもしれません。それでこの記事では、日本の宗教事情がどのような状況か、世界の諸宗教がいつごろ書かれたのか、神道が比較的新しい宗教であることを説明したいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 聖書のキリスト教は、人類は創造者なる神から創造された一組の夫婦アダムとエバの子孫であると教えています。「1人の人から全ての国の人を造って地上全体に住まわせ …ました。」とあります。(使徒17:26)ですから、神のみ前での、すべての国と民族の人々の存在の価値は平等だと教えています。
 
 
 
 
​聖書は最初の夫婦から・・・




全人類が派生してきたと教えている​
 
 

 ​ アダムとエバは全人類の全人種の先祖です。アダムとエバは白人種ではありませんでした。アダムはアラブ系の人たちのようにある程度浅黒い皮膚の色をしていたと考えられます。なぜなら、アダムという語は、ヘブライ語の「土」という語と関連があるからです。アダムとエバは全人種を産み出せる遺伝的な素質を持っていました。​
 
 
 
 そして、このような聖書の教えを歴史上著名な科学者たちも受け入れていました。地動説を唱えたコペルニクス、その教えを擁護したガリレオケプラーの法則を発見したケプラー万有引力を唱え微積分を発見したニュートン相対性理論を発見したアインシュタイン​​などすべての物を創造された聖書の神を信じているか、宇宙に高度な知性が表れていることを認めていました。


万有引力の法則と微積分を発見したニュートンは聖書の神を信じていた​


Oren J. Turnerによる写真1947年
​​アインシュタインは宇宙に高度な何者かの知性が表れていることに畏敬の念を抱いていた




 ですから、聖書の教える創造者の概念は、物事を緻密に論理的に考える科学者たちの思考にも耐えるものです。






ケプラーの法則を発見したケプラープロテスタントの信仰を持っていた​
 
 
 
 
 そして、聖書の教えでは、創造者が命の源であり、神は、他の人の命を奪うならば、殺人者にその責任を問われます。(創世記9:5,6。ローマ14:12)
 
 
 
​(2)世界の諸宗教の聖典の形成時期​
 
 
 
 日本人の多くは、日本の神道が世界でも古い宗教だと感じています。しかし、実情は、そうではありません。日本の神道聖典は、古事記日本書紀です。西暦8世紀初頭に古事記は作られました。古事記は、西暦712年、元明天皇の時に稗田阿礼が暗唱していた天皇の系譜や古い伝承をまとめてできたものとされています。
 
 
 
 
 
 
 


真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本
​日本の神道の信仰の根拠である古事記は西暦8世紀初頭に作成された​
 
 
 
 
 
 
 一方、世界で最も信徒数の多い宗教はキリスト教です。キリスト教聖典である聖書の最も古い部分は、モーセによって書かれました。創世記には神が宇宙と人間を創造された記述が含まれています。
 
 
 
 
 


​創世記はエホバ神が宇宙を創造されたことを教えている​​
 
 
 
 
 
 
 wikiによると、モーセは、紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍した人です。ですから、聖書が書き記された時期は、古事記が書き記された時期より約2000年以上は古いことになります。確かにその聖典が古ければ古いほど、人類の歴史の始まりについてより正確な記述をしているのではないかと考えられるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 仏教も神道より古いです。仏教の開祖であるインドのガウタマ・シッダールタは、紀元前5世紀前後の人とされています。仏陀または釈迦やその弟子たちの言行録が三蔵と呼ばれる経典にまとめられました。
 
 
 
 完全な形で現存する三蔵は、パーリ語経典のみで、現在、スリランカ、タイ、ミャンマーなど東南アジアの仏教国で広く用いられています。これらは紀元前2世紀-紀元前1世紀ころまでに徐々に形成されたものです。ですから、一番古い仏教の聖典は、神道古事記より、およそ九百年くらい古いことになります。
 
 
 
 
 ちなみに、仏教では創造者なる神の存在は基本的に認められておらず、仏教は、世界の成り立ちについて教えていません。仏教は世界は永遠の昔から物質世界が存在すると教えています。そして、キリスト教の方が、仏教よりも約1,000年古いです。
 
 
 
 イスラム教も神道よりも古いです。Wikiによると、イスラム教の聖典クルアーンまたコーランの啓示を、西暦610年にムハンマド(マホメット)が受け始めました。ですから、イスラム教の啓示の方が、神道古事記より約100年古いことになります。イスラム教のクルアーンに出てくる人名は、聖書と調和した人名の記述がとても多いです。
 
 
 
 
 


イスラム教はすべての物の創造者を認めているが神道より約100年古い​​
 
 
 
 
 
 
 
 ですから、神道聖典古事記は世界の大きな宗教の中でも一番遅く形成された部類に入ります。今回は、日本の宗教事情がどのようになっているか、神道が世界の諸宗教の間でどのような位置にあるかを簡単に説明しました。次の記事で、神道の教えがどのようになっているかを調べてみたいと思います。
 
 
 

​​​