ヨハネのブログー聖書の預言と希望

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祈りを聞かれたわたしヨハネの経験と世界の苦難を緩和するための祈りの重要性

​祈りを聞かれたわたしヨハネの経験と世界の苦難を緩和するための祈りの重要性



​(1)祈りを聞かれたわたしヨハネの経験​​
 
 
 
 私たちはあらゆる事柄について祈るべきです。聖書は「絶えず祈ってください」と勧めています。(テサロニケ第一5:17)
 
 
 
   わたしも、ある祈りに関しては、劇的に聞かれることを何度も経験してきました。例えば、台風などの被害が大きくならいないようにという種類の祈りは、劇的に聞かれることがよくあります。わたしは以前は台風が毎年来る地域に住んでいたので、台風についてはよく祈りました。
 
 
 
 すると、ある場合は、わたしも驚きましたが、台風が気象衛星の天気図から突然、ほとんど消えてしまったことがありました。そのことを話すと、ある人はそうなったことを認めてくださいました。また、別の時には、台風がある地域からすごいスピードで過ぎ去って被害が大きくならなかったり、ほとんどなかったりしたこともあります。
 
 
 
 


台風に関する私の祈りは聞かれることが多いです
 
 
 
 
 
 
 
 ある地域がすでに甚大な被害を受けたので、今度はそこには台風の被害がないようにと祈ると、台風がその地域をそれたりしたりしたことも何度もあります。
 
 
 
 しかし、ある祈りが劇的に聞かれるのは、台風関係だけではありません。気の毒に思う他の人々のために祈ると、それらの人々のために少しだけすぐに事態が良い方向に動いたことが分かったりします。他の個人的な事な祈りも、すぐに、あるいは、時間をある程度かけた後、聞かれたりします。
 
 
  例えば、ずいぶん前のことですが、冬のコートを春になってからセールで格安で買いました。でも、もう冬が過ぎていたので、そのコートを着るチャンスがありませんでした。


 それで、寒くなってこのコートが着れるようにと祈りました。すると、季節外れに寒くなって雪が降って、そのコートをその時に着ることができました。エホバ神は信仰を持つ人々の必要を不信仰な人々の必要よりも優先されます。
 
 
 
 わたしが捧げるある種の祈りが劇的に聞かれるのは、一応、わたしはエホバ神に専心していて、神の律法を守り、偶像崇拝や淫行などを避けているからだと思います。


 でも、わたしも不完全ですから、若い時から、完全に神の基準に適合してきたわけではなく、今もそうであるわけではありません。でも、足りない部分は、キリストの贖いの犠牲に基づいて、エホバ神に罪の許しをお願いします。 
 
 
 
 また、他の信仰を持つ人によって自分の個人的なことについて祈っていただくと、やはり、少しだけ事態が良い方向に動いていくということが何度もありました。複数で祈ると祈りが聞かれやすくなるようです。


 イエスは複数の人の祈りが聞かれやすいことを次のように言われました。「
地上にいるあなたたちのうちの2人が,どんな重要な事柄でも,同意して願い求めるなら,天にいる父によってその通りになります。」(マタイ18:19)

 

 

  

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ふたりか三人の神に是認されたクリスチャンが祈る時に神はその祈り

           を聞いてくださる

 


 
 わたしももちろん、気の毒に思う他の地域の人々のために祈ります。でも、わたしは台風などの際には、通常、エホバ神に信仰をもって祈る人がその地域にいる場合に、聞いてくださいと祈ります。それで、その災いが起きる地域の人々が自分で信仰をもって自分たちの上に熱心にエホバ神の憐みを祈り求めるのが当然だと思います。
 
 
 
 私も、世界のすべての災いについて祈っているわけにはいかないからです。四六時中あらゆることについて、祈ってばっかりいなければならなくなり、通常業務ができなくなります。でも、祈りはそうしてもいいくらい重要ではあると思います。そして、わたしがすべての重要なことについて気づいているわけではないと思います。
 
 

(2)201910月の台風19号について祈りが聞かれた経験


  追記をします。2019年台風19号が1012日に日本全体、とりわけ関東地方に向かっていました。大型の勢力の強い台風ということになっていて、最大風速が最初は50kmはあり、最大瞬間風速は、最初は75kmくらいだったと思います。それで日本全体に壊滅的な打撃を与えることが心配されていました。



 スピードがのろくて30kmでした。それで、ネットの気象情報をチェックしながら何度も祈りました。

 

 

 とりわけ、日本には過去のはなはだしい流血の罪と現在の不信仰と偶像崇拝の罪があるので、これからも私は日本人が創造者に信仰を持つよう努力をし続けますから、キリストの贖い犠牲を適用して、自分を含め日本人の罪を許して台風のダメージが大きくならないように祈りました。


 いつも衛星画像をチェックしましたが、台風の勢力は少しずつ弱まっていきました。また、台風の雲の範囲は少しずつ小さくなっていきました。12日の夜は、メディアでは、一晩中雨が降り続けて、大変な雨量になることが心配されていました。


 12日の夜は眠たくて早く寝ましたが、夜中に風が激しかったので、床で台風がスピードが速くなって雨雲と共に早く過ぎ去るようにと祈りました。たぶん、それが夜中の真夜中12時の前だったと思います。でも、その祈りは、すでにもう何度もしていました。



 夜中2時半ころ起きると、外では雨も風もなかったので、ネットで気象庁のサイトを確認しました。


 すると台風のスピードは55kmになっていました。そして、雨雲は関東地方以西からほとんどなくなっていました。夜中の131216分には関東地方への大雨特別警報は警報に切り替えられていました。ですから、エホバ神はわたしの祈りを聞いてくださって台風がスピードを出して過ぎ去るようにしてくださったんだと思います。


 台風はその時には、東北地方で豪雨を降らせていました。ですから、東北地方の人のためにも祈りました。


 もちろん、今回も何らかの死者や家屋の被害や停電被害は出たと思います。でも、祈ってエホバ神をなだめてその助けを祈り求めたので、その災いは日本が壊滅するような極端なことにはならなかったと思います。


 おそらく他にも祈った人々がいたと思います。このような経験は何度もしました。祈って台風がものすごいスピード、70km80kmくらいのスピード早く過ぎ去るということも何度かありました。それで、台風関係の祈りは、必ずだいたいある程度は聞かれます。でも、通常、おざなりな一度だけの祈りではだめで、何度も祈らなければならないです。


 でも、このことは、不信仰な人は、認めないか、偶然だと考えたり、あるいはそれが起きたことは認めても、それでも、聖書とその神に反対すると思います。聖書の中で書かれていることは、人間社会の現実で、これは、聖書時代だけでなく、このわたしたちが住む現代にも起こりうることだからです。


 というのは、1世紀もイエスがさまざまな奇跡を行われました。それで、エルサレムの宗教指導者たちは、イエスがさまざまな奇跡を行っていることを認めざるを得ませんでした。(ヨハネ11:47,48)


 しかし、それでも、ユダヤ教の指導者たちは、物事を間違って推論して、信仰がマイナスになると考えて、イエスに反対し続けました。そして、最後には、イエスを杭につけて殺してしまいました。彼らは間違った推論をしたので、間違った行動をして、ユダヤの国に災いをもたらしました。 


 それで、これからも祈るとエホバ神は聞いてくださると思います。そして、わたしも人々が神への信仰を持つように努力をし続けると思います。でも、多くの人はやはり、起きたことを偶然だと考えたり、たとえ実際にそのようになったと考えても、信仰が自分たちにとって不利になると考えたりするんだと思います。


 あるいは、他の人は神の律法を守って偶像崇拝や性の不道徳をやめて、神を認めて生活するのがいやなんだと思います。それで、ある人々は奇跡的なことが起こることを認めても、その背後におられる神を認めることをしないと思います。あるいは神が働かれたということを認めず、偶然にそうなったと考え続けられると思います。

 
 
 
(3)祈ることによる益と必要性
 
 
 祈りは万能薬ではなく、それによって世界の問題が全部即座に解決するわけではありません。サタンが世界を支配し続ける間、神の王国が支配を始めるまで、世界の苦難はエンドレスだからです。
 
 
 
 聖書は「全世界は邪悪な者の支配下にあります 」と述べています。(ヨハネ第一5:19)全世界は、「天にいる邪悪な天使の勢力」とこの地に住む「悪人」の強い影響下にあるので、それらの者たちが存在し、また、悔い改めない限り、この世界の苦難は続きます。(エフェソス6:12)
 
 
 
 
 
​悪霊たちと神の律法を守らない人々が存在し続ける限り世界の苦難は続く​
 
 
 
 
 
 
 さらに、世界中の人々は、罪を犯したアダムとエバの子孫である罪人なので、全世界の人々が年を取り、病気になったり、事故にあったりして、死に続けていくことを私たちの誰も阻むことはできません。(ローマ5:12)
 
 
 
 
 
​​      人類は罪人になったアダムとエバの子孫なので・・・

​​
 
 
The grave of movie director Ozu Yasujirō (小津安二郎) at the Engaku-ji temple, Kita Kamakura.

​​人間が死に続ける事態を誰も止めることはできない​
 
 
 
 
 
 
 
 イエスが天で王として神から権威を授けられ、イエスの天的な希望の弟子たちが集められ、神の王国の政府の成員の数が揃って、天の神の王国が実現するまでは、人類の苦難の完全な解決はないからです。
 
 
 
 
 
 その時、イエスはこの地上から1,000年間サタンの影響を排除し、仲間の天の祭司たちと協力してご自分の贖いの犠牲を人類に適用します。(啓示20:6)そのようにして、人類が健康に永遠に生き続けられるように土台を据えられます。そのように神の王国によって神の支配が完全に行われなければ、人類の苦難はなくなることはありません。
 
 
 
 
 
 


​​神の王国の千年統治が始まって初めて人類の苦難は過ぎ去ります​​
 
 
 
 
 でも、祈りは現時点で、世界の苦難を緩和し、良い方向に向けたり、わたしたちとエホバ神との関係をより良いものにするのに貢献すると思います。 そして、祈りはわたしたちがあきらめてしまわないように助けます。
 
 
 
 
 祈りはわたしたちが最後までエホバ神に忠実を保ち、「忍耐」して救いにあずかることに貢献します。(啓示3:10)
 
 
 
 エレミヤ書にはこう述べられています。「単なる人に頼り,人間の力を当てにし,心がエホバから離れていく人は,災いを受ける。・・・エホバに頼る人,エホバを信頼する人は祝福される。 」(エレミヤ17:5,7)
 
 
 
 
 


​​エホバ神に頼って祈る信仰の人々はエホバ神から祝福を受ける​​
 
 
 
 
 
  ですから、物事は、わたしたちとエホバ神との関係が良いかどうかに依存して動く場合が多いと思います。エホバ神との関係が良ければ成功につながります。エホバ神との関係がよくないと、物事がうまくいかなくなると思います。
 
 
 
 
​(4)すぐに聞き届けられない祈りについてどう考えるか​
 
 
 
 でも、私もすぐには聞かれない祈りもあります。聖書によると、エリヤは雨が降るようにという祈りを聞いていただくために、同じことを七度祈ったと考えられます。(列王第一18:42-44)それで、祈りが聞かれるまで、辛抱強く何度も祈ることが必要です。簡単に一度だけ祈っただけでは聞かれないことがあると思います。その祈りに対するわたしたちの本気度も試されるでしょう。
 
 
 
 
 
​エリヤは雨が降るようにという祈りを七回祈ったかもしれない​

 
 
  さらに、エホバ神が存在しておられて、私たちの祈りが聞かれるという信仰が求められることもあると思います。聖書は、「神に近づく人は,神が存在し,熱心に仕えようと努める人たちに報いてくださる,ということを信じなければなりません。」とあります。(ヘブライ11:6)ですから、エホバ神に対する信仰は重要です。
 
 
 
  イエスはある祈りが聞かれなかったことの理由として「信仰が少ないからです」と説明されたこともあります。そして、「からしの種ほどの信仰があるなら,この山に,『ここからあそこに移れ』と言うとしても,それは移るのであり,何事も不可能ではありません 」と言われました。(マタイ17:20)
 
 
 
 


​​祈りを聞き届けていただけために少なくともからしの種粒のような小さな信仰も必要​​
 
 
 
 
 
 
 聖書には、「神は,私たちが神の意志に沿って願い求めることは何でも聞いてくださる」とありますから、エホバ神は愛の神であり、私たちの願いに考慮を払ってくださいます。。(ヨハネ第一5:14)また、エホバ神は、確かに私たちの祈りを聞く力を持っておられます。
 
 
 
 ですから、イエスは私たちに「常に祈り,諦めてはならない」ようにと助言してくださいました。(ルカ18:1)神のご意志に調和していると考えるならば、あきらめないで祈り続けることが必要です。私自身も、願っても今の所、聞き届けていただけていない祈りがあるので、あきらめないで祈り続けたいと思います。
 
 
  しかしながら、聖書は聞き届けられなかった祈りについても記述しています。ダビデは、姦淫を犯した後、神から子供が死ぬと宣告されました。(サムエル第二12:14)ダビデは、子供のために熱心に祈りましたが、その祈りは聞き届けられませんでした。また、パウロは個人的な身体的な問題に関して祈りが聞かれなかったようです。エホバ神は、パウロに対する過分の親切は十分だと言われました。(コリント第二12:9)
 
 
 いずれにしても、二人とも祈りが聞かれなくても、エホバ神のことを悪くは思いませんでした。(サムエル第二12:16-20。コリント第二12:7-9)自分の罪深さを反省していた事と、自分の祈りの多くがそれまでに聞かれてきて、エホバ神から十分祝福されていることを自覚していたからだと思います。
 
 
 
 
 さらに、エホバ神はパウロのその祈りを聞かれない方が、エホバの力がパウロに十分に働くと言われました。ですから、その祈りが聞き届けられない方が全体的な結果はその方が良いということもあります。ふたりは自分に対するエホバ神のご意志に異議を唱えませんでした。
 
 
 
   基本的にエホバ神はわたしたちの祈りを聞き届けてくださいますが、そのようにされない時に、理由があると考えられます。私たちは、エホバ神がわたしたちのために与えてくださった命や過分のご親切の祝福を考えると、エホバ神に対して感謝と賛美の気持ちを持ち続ける理由があります。
 
 
 
 
​(5)神に是認される立場を保ち重要なことについて祈りそのために努力する​
 
 
 
 誰かが、例えば、わたしがすべての重大な物事を把握しているとは限らず、わたしも、重要なことで見落としていることがたくさんあると思います。でも、世界にはとても重要なことがたくさんあります。それで、世界で祈るべき重大なことが起きていると気づく人が、そのことについてエホバ神に祈るべきだと思います。
 
 
 
  聖書は、「あらゆる種類の祈りと祈願を捧げ,どんな時も聖なる力に導かれつつ祈りましょう。祈ることを常に意識し,いつも聖なる人たち全てのために祈願を捧げましょう。」と私たちを励ましています。(エフェソス6:18)
 
 
 
 そして、各自はエホバ神に祈りを聞き届けていただきたいなら、神の律法を守り、神の言葉に従って、エホバ神の是認が保たれるように努力することが必要です。(格言28:9新世界訳改訂版)
 
 
 
 それで、自分が分かっている重要なことの解決について、自分の力だけに頼るのではなく、エホバ神に頼ることが必要です。「心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。どんな道を行く時にも神のことを考えよ。」と聖書は勧めています。 (格言3:5,6)エホバ神は私たちの誰よりも賢く、全能者なのですから、他の何者でもなく、エホバ神にその問題を知らせて、解決を仰ぐことが必要です。
 
 
 
 そして、祈ったならば、何でもその祈りに調和した行動をすることができます。各自の祈りに調和した行動は、エホバ神がその人の祈りをより一層、聞き届けやすくします。わたしたちは、全能の神エホバ神に信仰を保ち、キリストの贖いの犠牲に頼りながら、祈り続けていきましょう。
 
 
 


 
キリストの贖いの犠牲に頼りながら祈り続けていきましょう​
 

​​​​

どうしたらエホバ神に祈りを聞いていただけますか

 


​(1)どうすればエホバ神との良い関係を築き祈りを聞いていただけますか​
 
 
 
 エホバ神の是認と助けを得るためには、個人的にも会衆毎にも、神の律法を守って、淫行や殺人や心霊術や偶像崇拝などの神の律法違反がクリスチャン会衆に絶対に起きないように努力をすることが求められます。(啓示21:8)
 
 
 
 神の律法の違反があると、神との関係が損なわれるので、神の保護を得ることができず、生存率が悪くなります。神の律法違反があると、わたしたちが神の助けを呼び求めても聞いていただけないからです。格言は、「律法を聞こうとしない人,その人の祈りさえ忌まわしい。」と述べています。(格言28:9新世界訳改訂版)
 
 
 
 
江戸村のとくぞう   伊勢神社参り
 
​​エホバ神以外の神を崇拝したり・・・​​
 
 
 
 
​死者の霊が存在すると考えて死者を崇拝するならエホバ神の怒りを買うことになります​
 
​エホバ神以外の神の崇拝を避けることが求められます​
 
 
 
 
 


​殺人・・・​
 
 
 
 


​性的な不道徳などを避けて神の不興を買わないようにする必要がある​
 
 
 
 
 
 エホバ神が、私たちの罪が許されるような備えを設けてくださっていることは、とても感謝すべきことです。わたしたちは、皆罪人で、罪を犯しやすい傾向を先祖アダムから受け継いでいるからです。
 
 
 
 また、私たちは、以前は聖書の神エホバが存在することや、そのご要求を知らなかったかもしれません。そのために、はなはだしく神の律法に違反していたかもしれません。
 
 
 
 


キリストの贖いの犠牲に基づいて・・・​
 
 
​罪の許しを祈り求めエホバ神との良い関係を保つことが必要​
 
 
 
 
 
 
 それで、罪を犯した場合は、キリストの贖いの犠牲に基づいて罪の許しを求めることが必要です。(ヨハネ第一2:2)
 
 
 
 
​(2)エホバ神は祈りを聞かれ人間生活に介入される​
 
 
 
 エホバ神は祈りを聞かれる方です。(詩編65:2)エホバ神が祈りを聞かれることによって、人間世界に起こることは異なってきます。祈りによって世界で起きることが動いている場合も多いと思います。
 
 
 
 例えば、一世紀には、まずステファノが石打ちで殉教してしまいました。(使徒7:59,60)さらに、ヨハネの兄弟ヤコブが剣で殺害されました。(使徒12:2)さらに、使徒ペテロは、一度目に投獄された時に、神のみ使いによって解放されましたが、また、投獄されてしまいました。(使徒5:18-20)
 
 
 ステファノやヤコブの場合には、エルサレムの会衆の人々は祈る時間がなかったのだと思います。
 
 
 
 ペテロは、ヘロデ王による二度目の投獄で、ペテロは無酵母パンの祭りが過ぎたら、殺される予定でした。(使徒12:3,4)それで、そのままにされていたら、ペテロは初期クリスチャンの歴史の初めに殉教したクリスチャンのひとりになっていたと思います。
 
 
 
 しかし、ペテロについては、ペテロが牢屋に捕らわれている間、会衆で熱烈な祈りが捧げられました。(使徒12:5)その結果、エホバ神はみ使いを遣わされて、牢獄にいたペテロを解放しました。(使徒12:6-11)その結果、ペテロは初期クリスチャン会衆の歴史の中で、活躍を続けることができました。
 
 
 
 
ステファノやヤコブは殉教したが初期クリスチャン会衆による熱烈な祈りは・・・




ペテロの命を救い事態を変化させた​
 
 
 
 
 
 
 
 それで、私たちがエホバに祈りを捧げる時に、神のご意志であるなら事態は変化することがあります。ですから、何事でも神に頼って祈る方がいいのです。聖書は、「何も心配せず,いつでも祈り,祈願を捧げ,感謝しつつ,願いを神に知っていただくようにしましょう 」とあります。(フィリピ4:6)
 
 
 
  わたしたち人間の力ではどうしようもないことが数多くあります。一世紀のクリスチャン会衆の人々も、牢屋に入れられているペテロのために何もできなかったでしょう。でも、祈ったので、エホバ神がみ使いを用いて、ペテロは助けられたのです。
 
 
 
 
 
  それで、わたしたちの力で何もできないどんな問題でも、「いつでも」祈ることがいいです。すべてエホバ神に頼り、願いを知っていただくのがいいのです。
 
 
 
 そして、聖書の中では、ある祈りがその人の死後に聞き届けられるという事例も書かれています。ゼカリヤの祈りはその死後に聞かれました。(歴代第二24:22,24,25)ステファノの祈りもイエスの祈りも彼らの死後に聞かれました。(使徒7:60;8:1。ルカ23:34)
 
 
 ステファノの祈りのおかげで、彼の殺害に関与したサウロはクリスチャンになりました。(使徒9:3-6)イエスの祈りのおかげで、ローマの兵士やイエスの殺害に関与した祭司たちでさえ、信仰を抱く人が現れました。(フィリピ4:22。使徒6:7)
 
 
 
 ですから、たとえ、祈ったその当人が死ぬことがあっても、祈りは聞かれるのですから、祈りはとても重要です。私たちは神への奉仕として祈りしかできなくても、それはエホバへの崇拝にあって、とても大きな貢献になります。
 
 
 
 私たちはあらゆる事柄について祈るべきです。わたしも、ある祈りに関しては、劇的に聞かれることを何度も経験してきました。例えば、台風などの被害が大きくならいないようにという種類の祈りは、劇的に聞かれることがよくあります。台風がある地域からすごいスピードで過ぎ去って被害がたいしたことがなかったり、ある地域をそれたりしたりしたことも何度もあります。
 
 
 
 わたしが捧げるある種の祈りが劇的に聞かれるのは、一応、わたしはエホバ神に専心していて、神の律法を守り、偶像崇拝や淫行などを避けているからだと思います。
 
 
 
 でも、わたしも不完全ですから、若い時から、完全に神の基準に適合してきたわけではなく、今もそうであるわけではありません。でも、足りない部分は、キリストの贖いの犠牲に基づいて、エホバ神に罪の許しをお願いします。
 
 
 
​ でも、すぐには聞かれない祈りもあります。預言者エリヤは雨が降るようにという祈りを聞いていただくために、同じことを七度祈ったと考えられます。(列王第一18:42-44)


エリヤは雨が降るように七度祈ったかもしれません







 それで、祈りが聞かれるまで、辛抱強く何度も祈ることが必要です。簡単に一度だけ祈っただけでは聞かれないことがあると思います。その祈りに対するわたしたちの本気度も試されるでしょう。​
 
 
 
  さらに、エホバ神が存在しておられて、私たちの祈りが聞かれるという信仰が求められることもあると思います。イエスはある祈りが聞かれなかったことの理由として「信仰が少ないからです」と説明されたこともあります。
 
 
 
 そして、「からしの種ほどの信仰があるなら,この山に,『ここからあそこに移れ』と言うとしても,それは移るのであり,何事も不可能ではありません 」と言われました。(マタイ17:20)
 
 
 
 
 


エスは私たちの祈りによって不動の山でさえ動くと言われた​
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして、イエスは私たちに「常に祈り,諦めてはならない」ようにと助言してくださいました。(ルカ18:1)エホバ神は確かに存在しておられ、私たちの祈りを聞く力を持っておられるのですから、神のご意志に調和していると考えるならば、あきらめないで祈り続けることが必要です。
 
 
 
 
 私自身も、願っても聞き届けていただけていない祈りがあるので、あきらめないで祈り続けようと考えています。
 
 
 
​(3)神に是認される立場を保ち重要なことについて祈りそのために努力する​
 
 
 
 
 
 誰かが、例えば、わたしがすべての重大な物事を把握しているとは限らず、わたしも、重要なことを見落としていることがあると思います。でも、世界にはとても重要なことがたくさんあります。それで、誰でも、世界で祈るべき重大なことが起きていると気づくならば、そのことについてエホバ神に祈るべきだと思います。
 
 
 
 それで、各自はエホバ神に祈りを聞き届けていただきたいなら、神の律法を守り、神の言葉に従って、エホバ神の是認を保たれるように努力することができます。そして、自分が分かっている重要なことの解決について、自分の力だけに頼るのではなく、エホバ神に頼ることが必要です。(箴言3:5,6)
 
 
 
 エレミヤ書にはこう述べられています。「単なる人に頼り,人間の力を当てにし,心がエホバから離れていく人は,災いを受ける。・・・エホバに頼る人,エホバを信頼する人は祝福される。 」(エレミヤ17:5,7)それで、他の何物でもなく、エホバ神にその問題を知らせて、解決を仰ぐことができます。
 
 
 
 そして、祈ったならば、その祈りに調和した行動を何でもとることができます。各自の祈りに調和した行動は、エホバ神がその人の祈りをより一層、聞き届けやすくします。わたしたちは、全能の神エホバ神に信仰を保ち、キリストの贖いの犠牲に頼りながら、祈り続けていきましょう。
 
 
 
 
​​エホバ神に信仰を持って頼りどんなことでもあきらめないで祈り続けましょう​​
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

聖書の神エホバはどのような神ですかーエホバに従うならどのような結果になりますか

 
 聖書の神エホバはどのような神ですか。聖書の神エホバに従うなら、どのような結果になりますか。
 
 
 
(1)聖書の神エホバ神に従う時結果は良くなる​
 
 
 
 神に従う道は基本的に命の道です。格言には、「わが子よ,・・・私のおきてを心から守ってほしい。そうすれば,長く生きて平和な日々を送れる」とあります。(格言3:1,2新世界訳改訂版)さらに、伝道の書は、「真の神を畏れる人たちが良い結果を得る」と述べています。(伝道の書8:12新世界訳改訂版)

 
 
 ですから、基本的に聖書の教えに従うならば、わたしたちの命の日を長くし、より平和な日々を送ることになります。
 
 
 
  しかし、聖書は神に従う時、命が失われたり、短くなる場合があることを否定してはいません。イエスはご自分に従うクリスチャンたちが迫害され、「苦難を味わい,殺され」る時がくることを予告されました。(マタイ24:9)しかし、「困難で危機的な」「終わりの時代」にリスクのない生き方は存在しません。(テモテ第一3:1)
 
 
 
 どんな生き方をしても、落とし穴があったり、欺かれて命を落としたりする危険があります。


 エホバ神の導きや助けがない生き方をするのは、今の危機的な真っ暗な時代に、懐中電灯もなしに歩くことになぞらえられます。その生き方は、おおむね。死亡率が高いと思います。また、神からの将来の永遠の命の保証も得られません。聖書の神に信仰のない人々はそのような気の毒な生き方をしています。
 
 
 
 
 
​この危機的な時代に神の導きと助けなしに生きるのは暗い夜道をライトなしに歩くのになぞらえられる-落とし穴に落ちる可能性が高い​
 
 
 
 
 
 
 一方、エホバはご自分について、「あなたのためになる生き方を教え,あなたを導いて正しい道を歩ませる 」と言われています。(イザヤ48:17)神と共に歩むのは、小さな幼子が父親と手をとって危険な道を歩むことに似ています。経験のある父親のおかげで幼子には見えない危険や落とし穴を避けることができます。
 
 
 
 


​神と共に歩むのは幼子が子供を気遣う愛ある父親と共に歩むのに似ている
-危険や落とし穴を避けることができる​
 
 
 
 
 
  また、神の目に正しい生き方、愛に基づいた生き方をすることに、リスクが伴っても、そのような生き方をする価値があります。さらに、私たちがエホバ神に信仰を持ち、頼る時、全体的、また最終的には、生存率が高くなります。
 
 
 
 
  なぜなら、エホバ神は愛の神で、ご自分に聞き従う人々が今の時代であっても、幸福で平和な生活を送ることを望んでおられるからです。(ヨハネ第一4:8)神に仕える生き方は、将来の永遠の命につながるだけでなく、現在の生活の上にもエホバ神の祝福を得られます。
 
 
 
 聖書は、「神への専心はあらゆる面で有益です。今の生活と将来の生活が祝福されるからです。」と述べています。(テモテ第一4:8)
 
 
 
 私自身、エホバの証人として生活している間、神との良い関係を持つよう努力し、幾らかの問題に直面しながらも、神からの祝福と助けをいつも感じていました。そして、エホバの証人から排斥されてからでさえも、たとえ問題が起こるとしても、自分に対する神の祝福は、ずっと感じています。
 
 
 ですから、神に敬虔な態度で神に専心し続けることは益があります。神に全き専心を捧げるならば、エホバ神から見守られ、わたしたちが抱える問題に関してエホバ神は喜んで助けてくださるのです。(歴代第二16:9)わたしは決してお金持ちではありませんが、将来の希望があり、おおむね幸福です。
 
 
 
 そして、世の信仰のない人々が、神の言葉を知らないために、さまざまな苦難に直面しているのを見るにつけ、神の言葉を知っていることは自分が落とし穴に落ちるのを防止し、大きな益になっていると感じます。そして、わたしはどんな苦難に直面しても頼ることのできる方がいるのは、大きな強みです。
 
 
 
 でも、わたしたちが総合的に、良い結果を得るためには、エホバ神への信仰を保って、その助けをいただく必要があります。では、聖書は、エホバ神がどのような神であると描写しているでしょうか。エホバ神から祈りを聞いていただくためには、どのようにする必要がありますか。
 
 
 
​(2)エホバ神はすべての物を創造された全能者なる愛の神​
 
 
 
 日本人の場合、死んだ先祖を神として崇拝する場合が多いです。例えば、靖国神社では、日本のために貢献して命を落とした兵士や他の人々が崇拝されています。また、天皇を神の子孫として崇拝する場合もあります。また、山や木などの自然界の事物を神として崇拝することがあります。
 
 
 
 


日本人は死んだ先祖や偉人を崇拝する場合が多い​
 
 
 
 
  しかし、聖書の神エホバ神は、人間ではありません。人間は聖書の中で「死にゆく人間」が「草」や「野の花」のようにはかないと述べられています。(詩編103:15)






​​                        人は必ず死にます​​​ 


Guymartin1 
​​人間は野の草や花のようにはかなく短命で終わります
​人間を崇拝しても頼れない​




​​​

  また、聖書は人間は死ぬと「土に戻る 」と述べています。(創世記3:19)ですから、死者に祈っても、何にもなりません。土に戻っている人は生きている人間のために何もすることができません。聖書の神は、人間が死んで神になったわけではありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Toshihiro Gamo
 
原典
English: Japanese book "Asahi Historical Photographs Library: War and People
 
1940-1949 Vol.4" published by Asahi Shimbun Company. 
 
 
日本語: 朝日新聞社「朝日歴史写真ライブラリー 戦争と庶民1940-1949 第4巻」より。
 
なお、この写真は既に公表済である。 護送バスの中のA級戦犯たち
 
​​死者を崇拝しても・・・​​
 
 
 
 
​​土に戻っており生きている人のために何もできません​​
 
 
 
 
 
 一方、聖書の神は、「永遠」の昔から「永遠」の将来にわたって生きておられる方です。(詩編90:2)神は、この世界に時間が存在する前から存在しておられた方です。
 
 
 
  聖書の最初の本創世記には、「初めに,神は天と地を創造した」と書かれています。(創世記1:1)エホバ神は万物の創造者です。エホバ神は人間の住む地球や太陽系が含まれている宇宙全体を創造されました。(詩編148:3,5;146:6)
 
 
 
 
 


​エホバ神は太陽と月と星を創造された万物の創造者




永遠に生きておられる全能者​​
 
 
 
 
  エホバ神はまた天の星と地球と、その上に存在するあらゆる植物と動物と海の生物を創造されました。
 
 
 
 
                                       
 


​​エホバ神は地と海の創造者​​
 
 
 
​海とその中の生き物と・・・​
​​
 
 


​地上の動物と植物を創造された​​
 
 
 
 
 神はご自分について、「膨大な活力と驚異的な力を持っている」と言われています。(イザヤ40:26)エホバ神は、全宇宙を造られた計り知れないエネルギーを持たれる方です。全宇宙の物質のエネルギーは、エホバ神のエネルギーの一部が物質化したものです。
 
 
 
 ですから、エホバ神は「全能者」で、どんな人間も、また、悪魔サタンや悪霊たちにしても、誰もエホバ神の力に対抗することはできません。(啓示4:8)もちろん、わたし自身はか弱い人間ですが、エホバ神はか弱い人間をご自分の僕として用いてご自分のご意志を行わせることができます。
 
 
​ 
 
 
(3)エホバ神はわたしたちの命の源​
 
 
 
 
  さらに、エホバ神は、太古の昔に中東の「エデンの園」に最初の人間夫婦アダムとエバを創造されて置かれました。(創世記2:15)現在、地上に生きているあらゆる国籍と民族の人々は、アダムとエバの子孫です。ですから、エホバ神はわたしたちの「命の源」です。(詩編36:9)
 
 
 
 


​​人類は最初の人間夫婦アダムとエバから派生してきた​​
 
 
 
 


 
Tomb of Eve, photograph found in The story of a Pilgrimage to Hijaz by Nawab Sultan Jahan Begam, Calcutta 1913, p. 86-87
 
サウジアラビアのメッカの西70kmにはエバの墓とされる墳墓があるー上図は1913年の写真ーエバエデンの園から追放されてアラビアで生活したことも考えられる​​
 
 
 
 
 
​  エホバ神は、人間の体の造りと、人間が心身ともに健康に暮らせるかについて、誰よりも、人間自身よりもご存知です。ですから、人間は、将来エホバ神によって天で不滅の霊者として、また信仰のない人々は、この地上で人間として復活させられます。それで、人が死ぬのは悲しいことですが、私たちはエホバ神による死者の復活の約束があるので、過度の悲しみに飲み込まれないようにできます。(ヨハネ5:28,29)



(4)エホバ神はサタンと悪霊の崇拝に反対される 



     悪魔サタンや悪霊を崇拝しても、彼らは人間の福祉を願っているわけではないので、現在と将来の命を失う結果になるだけです。彼らは「人殺し」で人間の命のことを決して大切に考えてはいません。(ヨハネ8:44)






​サタンはアダムとエバから永遠の命を奪った人殺しで人間の幸福を願ってはいない​



 
 また、悪魔サタンや悪霊は死者が霊として生きているという偽りで人間をだまして、自分たちを崇拝させるよう取り計らっています。(ヨハネ8:44)
 
 
 


​アダムとエバは罪を犯したために老人になり死んで土に戻った​

 
​​
昔悪霊は死んだ預言者サムエルのふりをしてサウル王の前に出てきた​
意識のある死者のふりをしているのは悪霊



Tojo before the International Military Tribunal for the Far East
 
 死んだ人の霊を慰めるという目的で大勢の人を殺害した人を記念するなら悪霊を崇拝することになりエホバの不興を買う
 
 
 
 
​​(5)エホバ神はご自分を偶像になぞらえて崇拝されることは受け入れられない
 
 
 
 人間はエホバ神に近づくと、滅びてしまいます。ですから、私たち人間はエホバ神を、見ることができません。 (出エジプト33:20)ですから、何か目に見える物をエホバ神になぞらえるのはとんでもないことです。
 
 
 
 
  神をどんな物体になぞらえることができません。エホバ神は、「私はエホバ。それが私の名。私は・・・自分の栄誉をどんな彫像にも与えない。」と言われています。(イザヤ42:8)エホバ神は、偶像をご自分になぞらえて崇拝するのをきらわれます。
 
 
 
 
 
上の図は雷の神―エホバ神はご自分を上の雷の神など何かになぞらえて崇拝されることを認められない​​
 
 
 
 
 
 
 エホバ神は、霊の体をお持ちです。また、光の神とも言われています。「神は光であり、神の中に闇は全くない」と聖書に書かれています。(ヨハネ第一1:5)霊者のみ使いはエホバ神を見たり話をしたりすることができます。
 
 
 
 


​​エホバ神は天におられる光の神​​
 
 
 
 
 
  エホバ神だけが私たちの崇拝に値する創造者なる全能の神です。わたしたちはエホバ神だけを崇拝しましょう。
 
 
 

​​​​

​​ヨハネの聖書の解釈の変更のために読者を動揺させたかもしれないことに対するお詫び​​



​​​​​​
    わたしは、最近ダニエル書で預言されている北の王が南に対する第一回目の総攻撃という軍事行動をまもにまもなくとるかもしれないと考えました。しかし、聖書預言を考慮した結果、現時点では、まだ、北の王がはっきり現れる状況になっていないと考えています。それで、短期間に、自説を覆したことは申し訳ありませんでした。
 
 
 
​(1)最近のわたしの北の王に関する見解の変化​
 
 
 
  2018年のエホバの証人の年次総会で、統治体が、ロシアが北の王だと発表しました。ですから、エホバの証人は、まもなく、ロシアによる米国に対する攻撃が行われて、大患難になると考えています。
 
 
 
 わたしはそのことについて、考慮しましたが、ロシアは聖書預言の北の王であり得ないので、たとえ、中国を仲間に引きいれて米国を攻撃しても、決して勝利を得ることはないということを述べる記事を出しました。
 
 
 
 しかし、イランがロシア側に立っているふしが見えたので、もし、イランがロシアと共に行動するのであれば、ロシア側が勝利するかもしれないと述べました。それは、イランが聖書預言の中で、北の王になりうる領土の中にいる国家だからです。
 
 
 
エスと統治体の権威に関する聖書的な考察(12-1)エホバの証人の統治体の現代についての預言の解釈とそれに関する考察
 
 
 
 そのわたしの言葉を聞いて、米国に住む一部の人々は、もしかすると恐れを感じたかもしれません。でも、わたしはその時点で、北の王について見落としている聖書預言がありました。最近、啓示13章の預言を検討して、まだ、北の王に関するその預言が、どの国にも成就していないことが分かりました。
 
 
 
啓示13章の初めの野獣の頭にある致命的な傷を受けて治る野獣は北の王か南の王か
 
啓示13章の初めの野獣の実体と攻撃されるキリスト教の本拠地がどこかについての若干の解釈の変更
 
啓示13章に基づいてイランとトルコが連合国家を形成して北の王となる可能性について検討する
 
 
 
 そのために、まだ、イランははっきりと北の王とは判断できないと考えます。また、トルコにせよ、また、他の国々にせよ、どの国も北の王に関して、成就するべき預言がすべて成就している国家はありません。すると、ロシア側がたとえ、中国やイランなど他の中東の国を加えて米国を軍事攻撃するとしても、勝利を収める保証はないことになります。



 
(2)米国に住む人々に対するわたしの預言の解釈の影響
 
 
 
  そうすると、とりわけ、米国に住む人々の一部は、国外に出ようと一時的には考えて後、ほっとして考えを変えたかもしれません。それで、結果的に、わたしは一部のブログの読者を一時的にいたずらに動揺させたことになります。それは、申し訳ありませんでした。
 
 
 
 しかしながら、聖書の歴史や預言が、世界の覇権国が移り変わることを予告しているのは、事実だと思います。それで、イランが北の王でないとしても、また、北の王として強大になる状況が整っていないだけだとしても、いずれ、どこかの国が北の王として、現れてくると思います。
 
 
 

0world changing nations
​聖書の預言は世界の覇権国が移り変わることを預言し歴史は確かに移り変わったことを示している​
 
 
 
 
 
  それで、米国に住んでいる人々が、将来の北の王の軍事攻撃を考えて、米国から出ることを検討するのは賢明な事だと思います。(啓示18:4)さらに、移民として米国に移住するならば、やはり、将来の北の王の軍事攻撃に巻きまこれますから、米国に移住しない方がいいと思います。
 
 
 
 また、現在、とりわけ、米国トランプ政権は、中東や隣国のメキシコや南米などの外国の人々が移民として米国に来ることを拒んでいます。移民の外国人労働者たちが国内の米国人の雇用を奪っていると考えるからです。米国政府がそれを望まないのですから、米国への移民が米国内で良い扱いを受けることは期待できないでしょう。それゆえにも、米国に移ることは賢明ではないと思います。
 
 
 
 聖書預言からすると、米国は、いずれ、北の王による軍事攻撃で、戦場になる可能性があります。もちろん、それがいつになるかは分かりません。でも、その時がいつか訪れることになります。
 
 
 
​(3)わたしの預言の解釈に対して反米感情の強い人々が受けたかもしれない影響​
 
 
 
 
 一方、ロシアとイラン側が勝利するかもしれないという私の言葉を聞いて、反米感情を抱いている人々、あるいは、聖書預言が早く成就して欲しいと願う一部の人々は、一時的に喜んだかもしれません。しかし、その後、まだ、イランもどの国もはっきりと北の王であるとは断言できないというわたしの言葉を聞いてがっかりしたかもしれません。
 
 
 
 それで、わたしの聖書預言の解釈は、やはりそれらの人々を動揺させたかもしれません。それは、申し訳ありませんでした。
 
 
 
 ひとつには、わたしの聖書預言の解釈はまだ完成していないからです。今まで分からなかったいろんなことが新たに分かってきています。それで、新たに分かったことから、将来の見通しが異なってきます。まだ、米国が世界に覇権を振るう時代が続くことでしょう。
 
 
 
 そして、聖書の預言は、これからの世界情勢の進展について、私たちにとって指針となる有益な詳細な情報を提供しているように思います。それで、反米感情を持つ人々は、聖書預言を考慮して、慎重に行動するようにお勧めします。
 
 
 
 そして、聖書は諸国家に反米的な態度を勧めてはいません。将来、北の王は、おそらくその軍事的な成功のゆえに崇拝されることを聖書は預言しています。(啓示13:3,4)しかし、聖書は北の王もそれに従う北の王の崇拝者たちも、永遠の滅びを受けることを預言しています。(啓示13:8)


 
 
0king of the north8
​北の王はその軍事的な成功のゆえに世界中から崇拝を受けることになるが聖書は北の王の崇拝を避けるよう警告している​
 
 




 
 ですから、一番賢明なのは、北と南の抗争から離れていることです。殺人と流血から離れていることです。
 
 
 
 
 啓示の書は、悔い改めないで、「人を殺す者,性的に不道徳な者,心霊術を行う者,偶像を崇拝する者,偽りを語る全ての者は,火と硫黄が燃える湖に投げ込まれる。その湖は第二の死を表している」と述べています。「第二の死」とは、復活しない事、あるいは、復活して後、滅ぼされることを意味しています。 (啓示21:8)
 
 
 
 
     殺人と流血、つまり戦争に巻き込まれることを避けることが、諸国家にとっても、経済的に一番益になります。そして、戦争に巻き込まれる時、国民の死亡率はとても高くなります。
 
 
 
 
 例えば、日本でも第二次世界大戦に巻き込まれた時には、およそ三百万人の死者が出て、その時期、非常に多くの十代、二十代男子が兵士として命を落としました。戦争を始めたいと感じる厳しい状況であっても、いったん戦争を始めると、その犠牲は大きなものとなり、死亡率は非常に高くなります。
 
 
 
 
0japanese young kamikaze pilots
 
Members of 72nd Shinbu Squadron. Three of the five are 17 years old and the other two are 18 and 19 years old. The photo was taken the day before their mission.
​日本は太平洋大戦中前途有望な多くの十代の若者が殺人のために命を落とし三百万人もの死者が生じた​
 
 
 
 
 
 また、参戦して殺人と流血を行うならば、その戦争での犠牲者自体は少なくてすんだとしても、その流血行為は、命の与え主の不興を買って、必ず、後で何らかの形でその応報を受けることを覚えておかなければならないと思います。
 
 
 
  結局、聖書は過去にエホバ神の計らいによって滅びた国家は、バビロンだけではないことを示しています。同じように流血を行ったアッシリアのニネベも軍事攻撃を受けて滅びました。(ナホム3:1,5)


 ですから、どの国民であっても、北の王でも南の王でも、また、他の国家であっても、エホバ神ははなはだしい流血に反対され、その応報を受けるようにされるからです。(ローマ12:19)
 
 
 
 
0nineveh
User:Fredarch Nineveh. Mound of eastern city wall viewed from outer rampart to the east. Reconstructed Shamash Gate near center. 
流血の都市ニネベはエホバ神の不興を買って滅びてしまった
ーどの国も流血を避けてエホバ神の是認を保つことが求められる
 
 
 
 
​(4)南の王によって命を奪われてしまう神の民​
 
 
 
 啓示の書は神の民が南の王によって命を奪われることを預言しています。(啓示17:6)しかし、正確に言うと、神の民は神の言葉に従うために、また証しのために、南の王のみならず、「地の住む者たち」によって迫害を受けます。(啓示6:9,10)しかし、その主な実行者は南の王です。そのために、神の民は南の王に早く応報が臨むように願うかもしれません。
 
 
 
 さらに、聖書預言が成就するのが早ければ、それだけ、神の王国の実現が早くなり、この地上が楽園になるのが早くなるのですから、現在、クリスチャンとしての信仰を持つ人々は、できるだけ早く聖書預言が成就して欲しいと望むのは当然かもしれません。
 
 
 
 しかし、私たちは自分たちだけが救われたらいいと考えるのではなく、他の人々も救いにあずかって欲しいと望むべきだと思います。

 
 
  私たちは、悪いことを続けようとする人がいても、そのような人々が早く滅びるのを望むべきではないでしょう。そのような人々が悪い振る舞いを反省して生き方を変えることを望むべきです。エホバ神もこのように言われています。「私は,悪い人の死を少しでも喜ぶだろうか。かえって,その人が悪い行いをやめて生き続けることを喜ぶのではないか 」(エゼキエル18:23)
 
 
 
 結局、邪悪な人々が生き方を変えるのには、時間がかかるのですから、私たちには辛抱強さが必要です。
 
 
 
 そして、北と南の間の紛争ができるだけ遅く到来する方が、ひとりでも多くの人が、聖書とその神の存在を知り、救いに至る可能性が高くなります。私たちは、ひとりでも多くの人がエホバ神の側に立って救われることを望むという辛抱強い態度が正しいと言えると思います。(ペテロ第二3:9)
 
 
 
 それで、私たちは、自分がエホバ神とイエス・キリストに信仰を持つようになったなら、他の人々も同様の信仰を持つように助けるために、猶予されている時間を用いるべきだと思います。自己中心的になって、自分だけが助かればいいという態度を取るべきではないと思います。
 
 
 
  さらに、クリスチャンが神に対する忠実さのために迫害されるという事態を全くなくすことはできませんが、南の王が神の民の命に酔うほどの状況になることを緩和することはできると思います。
 
 


0babylon the great 7
 
大いなるバビロンが神の民の血に酔うほどになる事態をどのように免れることができますか​
 
 
 
 
 このような状況が起きるのは、神の民の側に失敗があるからだと思います。聖書は神の民の「軍」が「敵」の「剣」に引き渡されるのは、神の民の側の「違犯」のためであると述べています。(ダニエル8:12。詩編63:10)
 
 
 
 神に従う道は基本的に命の道であるはずだからです。聖書は神に従う時、命が失われたり、短くなる場合があることを否定してはいないとはいえ、神の律法に聞き従うならば、基本的に長く生きることを約束しているからです。(格言3:1,2新世界訳改訂版)
 
 
 
 それで、生存率を良くするためには、神の律法を守って、淫行や殺人や心霊術や偶像崇拝などの神の律法違反がクリスチャン会衆に絶対に起きないように努力をすることが求められると思います。(啓示21:8)また、罪を犯した場合は、キリストの贖いの犠牲に基づいて罪の許しを求めることが必要です。(ヨハネ第一2:2)


 
 


0no gan
​​殺人・・・​​


0flee from fornication1
性的な不道徳・・・​​


0shinto prayer
​エホバ神以外の神を崇拝する偶像崇拝・・・​​




0prayer for the dead
エホバ神ではなく死者を崇拝することなど神の律法に対する違反を避けて・・・
エホバ神の是認を保つことが求められる


 
0jesus sacrifice
​キリストの贖いの犠牲に基づいて・・・​​



0forgiveness for sins
​エホバ神との良い関係を保つことが必要​​
 
 


 
 神の律法の違反があると、神との関係が損なわれるので、神の保護を得ることができず、生存率が悪くなると思います。神の律法違反があると、わたしたちが神の助けを呼び求めても聞いていただけないからです。格言は、「律法を聞こうとしない人,その人の祈りさえ忌まわしい。」と述べています。(格言28:9新世界訳改訂版)

 
 
 
    エホバ神は、神の民を保護してくださるはずなので、神との良い関係を持っていることは、わたしたちの命の保護につながるはずです。(詩編31:23。啓示3:10)そして、エホバ神は、秘密のキリスト教を認められず、ご自分への信仰を他の人の前で表明する人を認めて祈りを聞かれる方なので、神との関係を公言することも必要です。(ルカ12:8,9)
 
 
 
​(5)いずれ聖書の預言は解明され理解されるようになりますがそれまで辛抱していただきたい事​
 
 
 
 わたしは、他の人々が、聖書預言のより正確な解釈に導かれるように努力を払っています。しかし、その私も、聖書預言の解釈の途上にあります。聖書全体がまだ分かっているわけではありません。最近も、聖書預言について、新たに気づくことが少なくないです。


    それで、わたしが生きている間、聖書預言の研究に励んで、聖書の預言の意味をできるだけ解明し、できるだけ正確な預言の解釈にしたいと思います。
 
 
 
​ ネットを見てみても、聖書預言が私たちの時代に成就することになるという信条を持っている欧米、またその他の地域の聖書研究者も多いです。Youtubeやネットでそのような新しい聖書預言の解釈は、数多く見られます。


     聖書はわたしたちの時代に聖書の知識が豊かに満ちあふれるようになると預言しています。ダニエル書には、「終わりの時」までに秘密にされていたことが、「多くの人」が「エホバの言葉」を求めて、巡り歩き,「真の知識が満ちあふれ」ることを預言しています。(ダニエル12:4。アモス8:12)


​聖書は終わりの時に聖書に関する真の知識が満ちあふれることを預言している​

 
 
 わたしの聖書預言の解釈も進んでいくと思います。でも、私も、まだ今なお、新しく解明する途上にありますので、小さな点ではこれからも調整があると思います。わたしの場合は、新しく解釈を調整する場合は、より一層、聖書的な根拠に基づいて、解釈し直します。そして、わたしが聖書の解釈を再調整する聖書的な根拠となる聖句を、逐一明示します。
 
 
 
 わたしが解釈する場合は、その聖書的な根拠が通常、他の聖書解釈者の場合よりも多いはずだと思います。それで、わたしの解釈をお調べになる場合は、その聖書的な根拠を参照されるようにお勧めします。
 
 
 
 それで、今後も聖書の解釈を調整する場合があるかもしれませんので、その点は申し訳ありません。でも、いつかは聖書全体がはっきり分かる時が来ると思います。それまで、辛抱してくださるようにお願い致します。
 
 

​​​​​

子羊のような2本の角がある野獣である北の王がイランとトルコの連合国になる可能性について検討する

 


​​

 啓示13章によると、子羊のような2本の角がある野獣、すなわち、北の王は、2本の角を持っているので、2つの国の連合国になる可能性があります。この記事では、中東のどの国々が、連合国の北の王となり得るかを検討してみたいと思います。
 
 
 
​(1)トルコとはどんな国か​
 
 
 
 イラン以外に、もうひとつ北の王になる可能性があるように思われるトルコについて調べてみます。
 
 
 一応、イランとトルコが北の王として、イラン・トルコ二重帝国を形成する可能性を検討してみます。トルコは、基本的にイスラム教国です。イランは、おおむねシーア派で、トルコは、スンニ派ですが、現在、イランとトルコは比較的良好な関係にあります。
 
 
 
 


​​北の王になる可能性を持つトルコはどんな国ですか​​
 
 
 
 
 
 
 トルコのコンスタティノープルの大多数は、スンニ派ムスリムです。そして、コンスタティノープル総主教は6世紀以来、広く3億人の正教会信徒の指導者として見なされていました。ところが、現在は、トルコのイスタンブールが、ギリシャ正教会の本拠地というのは、まったくの名目上で 実質上はそうではなくなっています。
 
 
 
 さらに、トルコは現在、イスラム国ということになっていますが、トルコ政府は世俗主義をとっています。聖書は北の王が、あらゆる宗教を下に見て、イスラム教でさえ、軽んじることを予告しています。北の王は、「自分の父祖たちの神を無視」することが予告されています。(ダニエル11:37)その点では、トルコは北の王の特徴を備えています。
 
 
 
 
​(2)EUNATOが啓示13章の初めの野獣になりトルコが北の王になるのか​
 
 
 
 まもなく、トルコがEUに加わろうとしています。トルコが北の王になるのでしょうか。北の王になる条件の一つは、古代の四つの帝国の領土を支配する国家もしくは国際組織に属していることです。ですから、もし、EUに加わるということは、トルコに啓示13章の前半部分の描写が当てはまるということになります。



 しかし、トルコの貿易関係を調べてみましたが、トルコは「小さな国民」によって支援されて、成長して「強大」になっているようにも見えません。(ダニエル11:23)それで、ダニエル11章にある北の王の特徴は、トルコに当てはまりません。


 また、トルコが、米国に対する攻撃の先頭に立ち、成功するのでしょうか。しかし、現在のところ、トルコは親米国です。それで、現在のところ、トルコが米国に対する攻撃の先頭に立つとも、思えません。
 
 
 
 それで、現時点では、トルコは、預言的な北の王の特徴をすべて備えているとは言えません。でも、現在、表面上、そのように見えているだけで、よく状況を観察してみると、事情は違ったりするのかもしれません。
 
 
 
 それで、現在の状況では、トルコがEUに加わっても、EUは北の王をそのメンバーとしているはずの啓示13章の初めの野獣になっているとは断言できないようです。
 
 
 
 しかし、もし、万が一、イランがEUのメンバーになるようなことが起こるのであれば、イランが北の王で、EUが啓示13章の初めの野獣ということになるのかもしれません。そして、イランとトルコが2重連合王国になるのでしょうか。
 
 
 
 でも、基本、EUは、ヨーロッパ中心の地域をひとつの国家に結び合わせることを目指しています。トルコの場合は、昔からヨーロッパとのつながりが強かったですが、イランになると、完全に中東なので、EUに加わるようになる可能性はとても低いように見えます。





EUは啓示13章の初めの野獣に発展していくのかもしれません​​
 



 さらに、イランが、現在、米国やヨーロッパ諸国に受け入れられていないので、この点からも、イランがEUに含まれることになる可能性は低いと思われます。でも、物事はわたしたちの常識的な予想を裏切る展開になる可能性はあります。
 
 
 
 そして、イランとトルコが友好国であるとは言っても、ふたつの国家が、それも離れているふたつの国家がひとつになるということはほとんど起きないように思います。しかも、両国はイスラム教の派が異なります。しかし、どちらかがどちらかを攻撃して、征服して、ひとつの国家になるということは起こりやすいと思います。
 
 
 
 イランとトルコは、イスラム教の派が異なるので、両国関係がどのように発展していくかも見ていく必要があります。
 
 
 
 最初の北の王が、南の王に対する攻撃に成功し、二度目の攻撃には、敗北し、その後、キリスト教の本拠地を攻撃し、それに成功した後に、北の王の後継者が登場することになっています。その国家は、二つの国の連合国になる可能性があります。
 
 
 
 しかしながら、トルコが必ずしも、イランと二重王国になるという確証はなく、別の国家が、北の王に併合されて、二重王国を形成するのかもしれません。
 
 
 
​(3)イランがサウジ・アラビアを併合して併合国家になるのか​
 
 
 
 もうひとつの可能性を検討してみます。ダニエル11章24節の預言は、北の王についてこのように預言されています。「彼は・・・略奪品や戦利品を分配し,防備された場所を攻めることをたくらみますが,それはひとときの間だけです。 」(ダニエル11:24新世界訳改訂版)この部分を、”New English Translation of the Septuagint” では、”he will give plunder and spoil and money to them. And he will take thought against the strong city, and his deliberations will be in vain.”となっています。
 
 
 
 わたしがNETのダニエル11章24節の後半を日本語に試訳しますと、「彼はその強い都市に立ち向かって熟慮するが、彼の熟慮は無駄になるだろう」となります。それで、北の王は、豊かな地域を攻めて、略奪品やお金を人々に分配しますが、北の王の考え抜かれた企ては、無駄に終わるようです。
 
 
 
 このことの成就として考えられることがあります。今、イランとサウジアラビアとの関係がとても悪化しています。それで、将来、イランはサウジアラビアを攻めて、その戦利品を分配することになるのかもしれません。しかし、そのようになることが預言の成就であるとしても、北の王の成功は、一時的な成功で、サウジアラビアを完全に制圧することについては、うまくいかないようです。
 
 
 
 しかしながら、現在、イランとサウジアラビアの間で、両国間の問題を平和的に解決しようとする努力も払われています。
 
 
 
 しかし、将来的に、イランがもし、サウジアラビアを一時的にでも軍事的に制圧することになると、将来、イランとサウジアラビア連合国家として、子羊のような2本の角がある野獣が出現することになるのでしょうか。(啓示13:11)
 
 
 
 ダニエル11章では、北の王の新たな政権が興ることを預言しています。この時に、北の王は、何らかの軍事的な成功を収めることになるのでしょうか。(ダニエル11:31)
 
 
 
 それとも、サウジアラビアが自発的にイランと連合国家を形成するように動くのでしょうか。啓示17章には、「10人の王は1つの考えを抱き,自分たちの力と権威を野獣に与えます。」とあります。(啓示17:13)ですから、他の王たちが北の王を中心とした政治的な実体に権威を与えることが預言されているので、その時、サウジアラビアが北の王のもとに集結するのでしょうか。 これは、まだ単なる憶測です。
 
 
 
​(4)サウジアラビアは北の王が現れるはずの領土に含まれていない​
 
 
 
 この項目は、最初にこの記事を出してから付け加えました。このことは、見落とすべきではないことでしたが、サウジアラビアは、北の王が現れるはずの領土に含まれていませんでした。すなわち、ギリシャアレクサンドロス大王の領土に含まれている地域ではありませんでした。すると、サウジアラビアは、北の王にならないはずです。
 
 
 
 すると、イランとサウジアラビアの二国が連合王国として北の王になる可能性はないことになります。申し訳ありませんでした。
 
 
 
 
 それで、現時点では、イランとトルコが将来的に二重連合王国を形成する可能性か、あるいは、イランもしくはトルコが他の国と二重連合王国を形成するか、あるいは、また、別の二国が二重国を形成する可能性を検討する必要があることになります。
 
 
 
 あるいは、イラン、あるいはトルコ、あるいはまた別の国の中で、二つの政治勢力が台頭するのか見ていかなければならないことになります。
 
 
 
 
​(5)北の王に関する預言は現在まだ成就しているようには見えない​
 
 
 
 今回は、イランとトルコが北の王になる可能性を検討してみました。しかし、全体的な印象では、まだはっきりと、北の王が現れる状況にはなっていないようです。


 イランには、現在のところ、啓示13章の前半の預言が成就しているようには見えません。それで、現在、啓示13章の初めの野獣の実体をわたしが取り違えているのかもしれません。まだ、北の王が登場する状況となっていないのではないかと思います。
 
 
 
 そして、北の王になる可能性のある国家は、他にも存在しています。また、別の解釈の可能性があるかもしれませんし、わたしたちの現在の予想とは異なる展開になる可能性も皆無ではありません。
 
 
 
 
 

 

啓示13章に基づいて北の王が二つの国の連合国家を形成する可能性

 今回、北の王が2国の連合国家になる可能性についてお知らせします。啓示13章で2番目に登場する「子羊のような2本の角」がある野獣は北の王です。「子羊のような2本の角」があるということは、北の王が、ふたつの国の併合国家になる可能性があることを示しています。このことにわたしが気づくのが遅かったことは申し訳ありませんでした。
 
 
 
 
​(1)啓示13章の「別の野獣」は「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を設立する北の王​
 
 
 
 啓示13章の後半に、二頭目の野獣が出てきます。「子羊のような2本の角」のある「別の野獣」です。(啓示13:11)この野獣は、致命的な傷を受けて回復した野獣のために「像」を作ることを提唱します。(啓示13:14)
 
 
​啓示13章の子羊のような2本の角がある野獣は致命的な傷を受けて回復する野獣のために像を作ることを提唱​


 
 
 
 ダニエル11章で「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えるのは、南の王ではなく、北の王です。(ダニエル11:31新世界訳改訂版)エホバの証人は、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えるのは、南の王だとみなしています。ですから、啓示13章の「別の野獣」は米国だと解釈しています。
 
 
 
​ しかし、ダニエル11章の文脈を見ると、キッテムの船に打ち負かされ、「聖なる所」を汚す者たちが、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えます。そのことを経験したり行ったりするのは北の王です。


​ダニエル11章によると聖なる所を汚す北の王が荒廃をもたらす像を据える​



 
 
 ですから、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えるのは主に北の王です。(ダニエル11:31)ですから、この二頭目の野獣は、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を設立する北の王の後継者だと私は解釈しています。
 
 
 
 
​(2)「極めて不快なもの」とは偶像を意味する​
 
 
 
 ダニエル11章の「極めて不快なもの」とは、a New English translation of the Septuagintでは、”an abomination “と訳されています。このNETの翻訳は、古代の70人訳に基づいているのでかなり信頼度が高いと考えられます。このabominationとは、日本語の訳語では、「嫌悪を引き起こす[ひどくきらわれる]もの[こと]」です。(小学館プログレッシブ英和中辞典 ) (ダニエル11:31)
 
 
 
 この「極めて不快なもの」と訳されているヘブライ語の原語は、ストロングの聖書用語辞典では、名詞で”Disgusting, filthy, idolatrous, an idol “と定義されています。an Idolとは、偶像を意味しますから、北の王が設立する「荒廃をもたらす極めて不快なもの」は、「偶像」であるとみなしていいことになります。(ダニエル11:31)北の王は、ある種の偶像を据えることになります。
 
 
 
 
 
 


​​ダニエル11章によると北の王とその仲間たちは・・・​​
 
​荒廃をもたらす極めて不快な像を据えることが預言されている​


 
 
 そして、啓示13章の「別の野獣」は像を致命的な傷を受けても回復した野獣、すなわち北の王を記念するものとして野獣の「像」を設立することを提唱します。(啓示13:14)ですから、ある政治指導者、あるいは、ある国家をたたえてある種の像を設立するよう唱道することになります。
 
 
 
​ ​啓示13章の子羊のような2本の角がある野獣(右側)は・・・​


 
致命的な傷を負って回復した野獣の頭の像を作り崇拝することを提唱する
 
 
 
 
 北の王の設立する「荒廃をもたらす極めて不快なもの」とは、ひとつの複合的な野獣、もしくは何らかの国際組織、すなわち、ひとつの政治的な実体であるはずです。(ダニエル11:31)北の王は、啓示13章の「初めの野獣」に対して、とりわけ、北の王を崇拝するための像を作ることを提唱するはずです。
 
 
 
  啓示13章の野獣は、過去の4つの古代帝国の領土、つまり、エジプト、ヨーロッパ、中東、中央アジア、東ヨーロッパなどに及ぶ連合国家、あるいは国際組織であると私は現在考えています。ですから、北の王は、とりわけ、その地域を中心に、北の王を崇拝する国際組織を提唱するのではないかと思います。
 
 
 
 現時点で、この北の王が設立する野獣の像は、啓示17章の緋色の野獣ではないかと考えています。ですから、この啓示13章の「初めの野獣」と啓示17章の緋色の野獣は、どこかの時点でいったん存在しなくなると考えられると思います。この点は、また別の機会に詳細に検討します。
 
 
 
 
​(3)子羊のような二本の角を持つとはとにかく北の王がキリスト教を奉じていることを意味する​
 
 
 
 この野獣が「子羊のような二本の角」を持っているということは、二通りのことを意味し得ます。ひとつは、イエスが預言的に「神の子羊」で表わされているので、羊であるということは、キリスト教の様相をしていることを意味しています。(ヨハネ1:29)ですから、北の王の後継者が、たとえ、背教していても、とにかくキリスト教を奉じているということです。
 
 
 
​(4)二本の角を持つとは北の王がふたつの民族あるいはふたつの王国によって構成される連合国家であることを意味し得る​
 
 
 
 「別の野獣」が2本の角を持つとは、この北の王の後継者が、ふたつの国の連合国家、もしくは、国内に二つの主要な民族の政治勢力を持っているということを意味すると思います。
 
 
 
 なぜなら、昔、ダニエルの預言の中の2本の角を持つ雄羊は、「メディアとペルシャの王」を意味していたからです。(ダニエル8:20新世界訳改訂版)
 
 
 
 
 


​二本の角を持つ雄羊はメディアとペルシャの王を表わしていたので・・・​​
 
 
 
 
 
 
  最初は、メディア国が覇権を振るっており、ペルシャはメディアに服属していましたが、ペルシャ帝国は、メディア王国を滅ぼして征服し、その支配下に置きました。しかし、その後もメディア人のペルシャ帝国内での影響力はとても大きいものがありました。ペルシャ帝国は、メディア王国の地方統治制度を採用し、メディア語を用いました。そして、後で、ペルシャの法律は、「メディアとペルシャの法律」と言われ、メディア人はペルシャ人と同化し区別されなくなったということです。(ダニエル6:8)
 
 
 
 
  このことは、「2本の角は長かったが,一方が他方よりも長く,長い方は後から伸びたものだった 」という聖書預言の描写と一致しています。(ダニエル8:3)
 
 
 
 
 
 
​​ペルシャ人の兵士の後ろにメディア人の兵士が立っているーイランのペルセポリス
ペルシャ帝国ではペルシャ人とメディア人の二つの民族でなる連合国だった





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 それで、2本の角を持つとは、ふたつの国家がひとつの国家を形成するようになることも意味します。さらに、国内にふたつの政治勢力を持つことを意味するかもしれません。それで、北の王がふたつの国の連合国になる可能性があります。
 
 
 
 
 
​​ 北の王はおそらくキリスト教の様相をしていて二国の連合王国となる


 
 
 
 
 わたしは、イランは北の王になる可能性があると考えています。しかしながら、イランは現在のところ、国内に主に2つの政治勢力が占めているとは言えません。ですから、現在、その点では、イランは将来の北の王になる特徴を持ってはいないと言えます。
 
 
 
 
 
 しかしながら、啓示13章によると、北の王はふたつの国の連合国になる可能性があります。次の記事で、どのような組み合わせの連合国になりえるかを検討してみます。
 
 
 
 


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​啓示13章の初めの野獣の実体と攻撃されるキリスト教の本拠地がどこかについての若干の解釈の変更​​




 啓示13章には、前半と後半で二頭の野獣が登場します。今回の記事では、その「初めの野獣」に関する若干の解釈の変更を説明します。さらに、ダニエル11章に出てくる北の王が攻撃する「聖なる所」がどこになるかについて若干の解釈の変更も説明したいと思います。
 
 
 
​(1)啓示13章の初めの野獣に関する解釈の変更​
 
 
 
 啓示13章の最初に出てくる野獣は、海から出てくる複合の野獣で、「初めの野獣」と言われています。(啓示13:12新世界訳改訂版)わたしは、以前は、この野獣について漠然とした解釈をしていました。でも、現在、「主の日」に登場する国境を超えた一つの国家組織、あるいは、国際組織ではないかと考えています。(啓示1:10)なぜなら、聖書の中では、一匹の野獣は、通常、ざっくり言うと、明確にひとつの帝国を表すからです。
 
 
 
 この初めの野獣は、ダニエル7章に登場する四つの獣の領土に登場するはずです。ですから、以前、バビロン、メディア・ペルシャギリシャ、ローマのその派生国の領土に存在する国家、もしくは、国際組織のはずです。ですから、その領土は、エジプトなどの北アフリカ、ヨーロッパの大部分、中東、東ヨーロッパ、中央アジアの一部まで含むと思います。
 
 
 
 
 
 
 


​​啓示13章の初めの獣はライオン・熊・豹・恐ろしい獣の特徴を持っていた​​
 
 
 
 


    ​​​​啓示13章の初めの野獣はダニエル7章の四匹の野獣の特徴を全部持っていた―四つの古代帝国の領土を包含しているはず​​​​
 
 
 
 
 
 
 以前は東ヨーロッパは含まないと考えていましたが、今は、含まれると考えるのは、東ヨーロッパが、ダニエル7章の四匹目の野獣のローマ帝国の派生国に含まれると言えるからです。
 
 
 
 この啓示13章に登場する野獣は、EU(European Union) である可能性もあります。EUは、「初めの野獣」が包含することを予告された領域を包含することになるのかもしれません。EUは国際的なひとつの複合国家として発展していくのかもしれません。事態がどのように進展していくのか、世界情勢を見守っていく必要があります。
 
 
 

(2)啓示13章の野獣を限定したEUあるいはNATOという解釈の方が現在の状況に合致しているのではないか


 EUNATOは密接な関係があります。そして、第二次大戦後に行われた国際紛争は、とりわけ、最近は、ダニエル7章の四つの古代帝国の領域で、しかも、その領域に存在する現代の諸国家によって行われることが多かったです。つまり、現代において、国際紛争アメリカ主導で、NATOのメンバー国が加わって行われる場合が多くなっています。


 ですから、啓示17章に登場する緋色の野獣が、EUもしくは、NATOであるという解釈の方が、それが国連軍であるという解釈よりも、より良く、この20世紀と21世紀初頭に行われた国際紛争の状況と合致しているのではないかと思います。

 
 
 
​(3)啓示13章の「初めの野獣」の七つの頭は何を表わすか​
 
 
 
 啓示13章の「初めの野獣」は、七つの頭を持っていますから、その野獣が表す領土は、主には、七つの国家に分けられることになるはずです。(啓示13:12新世界訳改訂版)
 
 
 
 なぜなら、ダニエル7章のギリシャを表わす豹も四つの頭を持っていました。この四つの頭は、国家をやはり表していました。ギリシャアレクサンドロス大王の領土は、主に将軍たちが後継者戦争をした後に、四人の将軍たちによって分けられました。
 
 
 


ギリシャを表わす豹の四つの頭はおのおの国家を表わす​​
 
 
 
 
 
   ギリシャアレクサンドロス大王の死後、シリア、バビロニアイラン高原小アジア東部を支配するセレウコス朝キプロス、エジプトを支配するプトレマイオス朝マケドニア本国を支配するカッサンドロス朝トラキア小アジア西部を支配するリュシマコス朝が成立しました。 
 
 
 
 
 
  実は、小さな国が存在して、五つ、あるいはそれ以上に分かれたと考える人もいますが、とても小さな領土の国は無視されているようです。
 
 
 
 ​ディアドコイ戦争​    
 
 
 
 
 
アレクサンドロス大王の死後その領土は主に四つの国に分裂した​
豹の四つの頭は四つの国を表わしていた

 
 
 
 
 
 ですから、豹の四つの頭は、アレクサンドロス大王の死後、派生した四つの国を表わしています。
 
 
 
 ですから、啓示13章の初めの獣が七つの頭を持っていたことは、その複合国家、あるいは、複合組織の中で、勢力を振るう大きな国家は将来、主に七つになることを預言していると思います。
 
 
 
 啓示13章の「初めの野獣」の7つの頭がどこになるかは、将来のことになり、結果的に分かることなので、現在どんな国また地域になるかは分かりません。
 
 
 啓示13章の初めの野獣に含まれる一つの国家は、致命的な傷を受けても回復することになっています。でも、今のところ、致命的な傷を受けて回復する国家、すなわち北の王がどこになるかはまだ分かりません。
 
 
 
 
​(4)ダニエル11章の預言の「キッテムの船」とはどこの地域の海軍か​
 
 
 
 ダニエル11章によると、最初の北の王は、二回目の南の王に対する攻撃で敗北します。北の王は、「キッテムの船」、すなわち南の王のキリスト教の同盟諸国の海軍 に敗北するのであろうと考えています。(ダニエル11:30)ダニエル11章には、北の王が「キッテムの船に打ち負かされる」ことを予告しています。
 
 
 
 キッテムとは、キプロスを意味します。また、昔のヘブライ語の用法の中に、キッテムという語で、キプロス島周辺、つまり、地中海沿岸地域を表わす用法がありました。キプロス島では、ギリシャ正教徒が大半です。そして、キッテムをローマ人やイタリアと訳している聖書翻訳もあります。
 
 
 
 
 
 
​​
Captain blood
キッテムとはキプロスを意味する
キプロスはトルコの南にありキッテムという語は地中海沿岸諸国を意味する

​​
 
 
 
 
 
 さらに、民数記の預言によると、「キッテムの沿岸から来る」船とは、アッシリアに対抗する地域なのですから、地中海沿岸諸国のマケドニア側です。(民数記24:24)ですから、「キッテムの船」とは、とりわけ、ギリシャなどのマケドニア沿岸の地中海沿岸諸国の船を表わすと考えられます。
 
 
 
 また、キッテムをローマ人やイタリアと訳している聖書翻訳もあるので、「キッテム」とはバチカン市国ローマカトリック教会の支配的な国イタリアを含む可能性もあります。(ダニエル11:30)
 
 
 
 それで、「キッテムの船」に乗っているのは、イタリア・ローマカトリック教会信徒とギリシャギリシャ正教会の信徒の海軍であると解釈することができます。(ダニエル11:30)


 
(5)東方正教会また広義のギリシャ正教会の本拠地はどこか
 
 
 
 ローマカトリック教会の場合は、バチカン市国ローマ法王が世界的な指導者ということになっています。しかし、東方正教会の場合は事情が異なっています。東方正教会の場合は、諸国家の東方正教会単立教会になっています。
 
 
 
 現在、ギリシャ共和国にある東方正教会、すなわち狭義のギリシャ正教会アテネの主教がギリシャ共和国の信徒を管轄しています。
 
 
 
 
 
 


ギリシャ東方正教会アテネが本拠地となっている​​
 
 
 
 
 
 
 
 
 北の王は、自分の失敗の原因となったキリスト教国家の拠点である「聖なる所」を軍事攻撃して、首尾よく成功することになっています。(ダニエル11:31)北の王が軍事攻撃する「聖なる所」とはどこになるのでしょうか。おそらく、ローマカトリック教会の拠点であるローマとバチカン市国、また、ギリシャ正教会の拠点であるアテネなどを攻撃して、成功することになるのでしょう。
 
 
 
 
 
 2010年現在、ロシア正教会は約9000万人の信徒数を擁する世界最大の正教会の独立組織となっています。2018年ロシア正教会コンスタンチノープル総主教庁との断絶を決定し、モスクワ総主教が統率しています。北の王が、モスクワも軍事攻撃することになるかどうかは、将来、ロシアが北の王に対してどのような立場をとるかに左右されるのではないかと思います。
 
 
 
 
 
 それで、将来、北の王、すなわち啓示13章の初めの野獣のひとつの頭は、南の王を2度目に攻撃する時、イタリアの海軍とギリシャの海軍に阻まれることになるのではないかと思います。それで、北の王は致命的な傷を受けます。

 
 
 以前は、北の王はローマやトルコのイスタンブールなどを攻撃するのではないかと考えていました。でも、イスタンブールギリシャ正教会の本拠地とは言えません。それで、北の王は、ローマカトリック教会の拠点であるバチカン市国ギリシャ正教会の拠点であるアテネなどを軍事攻撃して、成功することになるのではないかと思います。
 
 
 
 そのようないきさつで、聖書は将来全世界的に北の王がその軍事的な成功のゆえに崇拝と賛美を受けるようになることを予告しています。(啓示13:3,4)しかし、北の王の崇拝者の誰にも永遠の命の希望がありません。(啓示13:8)
 
 
 
 
 
 それで、わたしたちはこれからも世界情勢を見て、聖書預言がどのように成就していくかを見守って、聖書の神に不興を買うような振る舞いをしないように気をつけることができます。
 

​​

啓示13章に登場する初めの野獣はEUかNATOかGCCか​

 



 今回、啓示13章に登場する「初めの野獣」の実体を考え直しました。どのように考え直したのかを説明したいと思います。
 
 
 
 
 
​(1)啓示13章に登場する「初めの野獣」の実体は何か​
 
 
 
 啓示13章には、最初に複合の野獣が登場します。その複合の野獣は、ダニエル7章に登場する四頭の野獣の特徴を併せ持っています。このように描写されています。「1匹の野獣が海から上ってきた。10本の角と7つの頭があり,角には10の王冠があり,頭には神を冒瀆する名が記されていた。私が見たその野獣はヒョウに似ていたが,足は熊の足のようで,口はライオンの口のようだった。そして,竜から力と座と大きな権威を与えられた。」(啓示13:1,2)
 
 
 


​​啓示13章の海から出てくる初めの獣の実体は何でしょうか​​
 
 
  
 
 
​  ダニエル7章に登場する野獣は、バビロン、メディア・ペルシャギリシャとそこから派生した諸国家、ローマ帝国とそこから派生した諸国家を表わしています。(ダニエル7:2-8)



 ​ダニエル7章の四匹の獣はライオンのバビロン・熊のメディア・ペルシャ・豹のギリシャ・恐ろしい獣のローマとその派生国​




それで、わたしは最初には、啓示13章に登場する野獣とは、歴史の中で、中東、ヨーロッパ、西アジア北アフリカに登場してきた諸政府を、長い歴史を俯瞰してまとめて表しているのかと考えました。​
 
 
 
 しかしながら、もうひとつの解釈があり得ます。聖書の中では、野獣と言う場合、通常、ひとつの政治国家、あるいは諸政府の複合体の実体を明確に表わします。例えば、緋色の野獣は、諸政府の複合体です。(啓示17:3)
 
 
 
 ですから、啓示13章の「初めの野獣」の場合も、わたしが最初に解釈したような漠然とした抽象的な存在ではなく、もっと明確な実体を表わしていると解釈する方が、より正しいのではないかと思います。


 ここで、解釈の変更をするので、申し訳ありません。ここで解釈の変更をすると、聖書預言の成就はまだ先になるということになるようです。
 
 
 
 そして、啓示の書のしるしは、「主の日」に成就することになっています。(啓示1:10)ですから、この啓示13章に登場する野獣とは、とりわけ、「主の日」、すなわちわたしたちの時代に登場する政治的な複合体と解釈する方が妥当かもしれません。
 
 
 
 
 
​(2)啓示13章の初めの野獣とはEUだろうか​
 
 
 
 
 聖書歴史の中で登場してきた四つの世界強国の領域で、統一を求める機運がすでに見られてきました。そのような動きは、例えば、EUで見られます。EUとは、European Union 欧州連合で、1991年 創立されたヨーロッバの地域統合体です。この組織は、軍事的な役割と経済的な役割を兼ね備えています。しかしながら、この組織は、現在、中東や中央アジアなどの諸国家を、あまり含んではいません。 
 
 
 
 1967年、ヨーロッパ共同体(EC)が誕生しました。このECは、経済統合や外交、安全保障などの面で、ヨーロッパを一つの国家に近づける欧州連合EU」へと繋がっていきました。最近、英国がEUから離れる動きが見られていますが、EUは大きな流れとしては、拡大の傾向にあります。
 
 
 
 Wikiからの情報によると、2007年にブルガリアルーマニアが、2013年にクロアチアが加盟しました。2019年2月に、トルコ、北マケドニアモンテネグロセルビアアルバニアの5か国は正式な加盟候補国として認定されています。





Maurice07EUはこれから啓示13章の初めの獣として発展していくだろうか​
 
 
 
  EUの公式のwebsiteを確認すると、ボスニア・ヘルツェゴビナコソボは、まだEU加盟の要求が満たされていないとあります。
 
 
 
 しかし、EUが、これからさらに、発展、拡大していって、旧バビロン、メディア・ペルシャギリシャローマ帝国の旧領土の諸政府をさらに、含むということになれば、EUが、啓示13章の最初に海から上がってくる野獣を表わしているということになるかもしれません。

 
 
 しかしながら、現在のところ、EUは、啓示13章で描写されている「初めの野獣」が包含するはずの領土のすべてを網羅してはいないので、EUが「初めの野獣」を表わしているとは、まだ、断言できません。それで、EUがどのように発展していくのかを成り行きをみなければ分かりませんが、EUの可能性もあります。 
 
  
 啓示13章の「初めの野獣」が表している実体は何か、別の組織を検討してみます。
 
 
 
 
​(3)啓示13章の初めの野獣 とはNATOなのか​
 
 
 
 北大西洋条約機構(きたたいせいようじょうやくきこう)は、北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ(アメリカとカナダ)およびヨーロッパ諸国によって1949年結成された軍事同盟です。
 
 
 
 2017年時点で29カ国 です。アイスランドアメリカ合衆国、イギリス、イタリア、オランダ、カナダ、デンマークノルウェー、フランス、ベルギー、ポルトガルルクセンブルクギリシャ、トルコ、ドイツ、スペイン、チェコハンガリーポーランドエストニアスロバキアスロベニアブルガリアラトビアリトアニアルーマニアアルバニアクロアチアモンテネグロとなっています。
 
 
 
 
 


NATOはベルギーブリュッセルに本部があるヨーロッパ中心の軍事地域共同体
 
 
 
 非加盟のスウェーデンフィンランドや日本などとも協力関係にあります。2019年にマケドニアの加盟が承認され30カ国になる予定です。
 
 
 
  英語圏では、North Atlantic Treaty Organization を略した NATO(ネイトー)と呼ばれ、日本やドイツ語圏では NATO(ナトー)、フランス語圏・スペイン語圏・ポルトガル語圏等では OTAN(オタン)と呼ばれます。NATOはすでに、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争マケドニア紛争、アフガニスタン紛争 (2001年-)、2011年、リビア内戦に介入しています。
 
 
 
 しかし、NATOは、エジプト、西アジア中央アジアなど、想定される地域の諸国家が含まれていません。さらに、イラン、その他の中東諸国も含まれていません。もし、イランが北の王ということになれば、NATOは、啓示13章の「初めの野獣」ではないかもしれません。そして、イランが含まれないのは、EUも同じです。
 
 
 
  もし、北の王がイラン以外の国家であるということであれば、EUNATOが、「初めの野獣」であるという可能性もあります。しかしながら、啓示13章の「初めの野獣」が持つのは、十本の角です。普通、聖書の中で角も一つの国家、あるいは政権を表わしているので、これをどのように解釈するのかも難しいです。(ダニエル7:24;8:20-22)
 
 
 
​(4)湾岸6か国の組織である湾岸協力理事会(GCC)​
 
 
 
 湾岸協力理事会GCCが中東にあります。 GCCの構成国は、バハレーン、オマーン、カタル、サイディアラビア、アラブ首長国連邦、クウェイトです。この国際政治軍事組織はこれから拡大するかもしれませんが、まだ、啓示13章の「初めの野獣」が網羅すべき地域を網羅していません。北の王になる可能性があるかもしれないイランなどの国家も含んでいません。
 
 
 
 それで、現在のところ、どの組織が啓示13章の「初めの獣」になるのかは、事態の進展を見ていかなければ分かりません。あるいは、その地域を管轄する別の政治的軍事的な統合体が存在しているのに、わたしがその存在を知らないだけかもしれません。
 
 
 
​(5)聖書の預言がどのように成就していくか世界情勢に注目していかなければならない​
 
 
 
 わたしは、現在、啓示13章の初めの獣の頭のひとつで、致命的な傷を受けて回復するのは、北の王だと考えています。
 
 
 
   それで、EUが啓示13章の野獣だとすると、EUには、イランは含まれていないので、イランは北の王でないということになります。すると、たとえ、イランが総司令官になってロシアと中国その他の諸国家を率いて、米国を攻撃したとしても、成功することはないと言えると思います。
 
 
 
 それで、啓示13章の初めの獣がEUか、また、別の国際組織であるか、また、北の王がどこになるかをまだ聖書預言と照らし合わせてさらに考えていかなければならないということになると思います。

​​

日本が太平洋大戦中に犯した流血の罪の神からの許しと被害者からの許しをどのようにして得られるか​​




 わたしたちの祖父や父親の時代に、日本は、日中戦争や太平洋戦争で、何百万人、ひょっとすると何千万人ものアジアの人々の血を流しました。わたしは、日本人が、自分たちの父祖によって流されたアジアの人々の血の罪が命の与え主に対する罪であり、その罪を神に対して、また被害者に対してどのように償えるかを考えるべきだと思います。
 
 
 
 また、とりわけ、アジアの人々の命の血が流されたことを、自分たち日本人の失われた命を悲しむように悲しんで、覚えるべきだと思います。
 
 
 
​(1)すべての国の人の命が同等であるという聖書の教えと戦時中の日本人の考え方​
 
 
 
 聖書のキリスト教は、人類は創造者なる神から創造された一組の夫婦アダムとエバの子孫であつて、すべての国と民族の人々の神のみ前での価値は平等だと教えています。
 
 
 「1人の人から全ての国の人を造って地上全体に住まわせ …ました。」とあります。(使徒17:26)そして、聖書の教えでは、創造者が命の源であり、神は、他の人の命を奪うならば、その責任を問われます。(創世記9:5,6。ローマ14:12)
 
 
 
 
​人類は最初の人間夫婦アダムとエバから派生しているので …​

国籍や民族が異なってもその命の価値は同じ
 
 
 
 
 
  しかし、進化論の場合、ある民族と、別の民族は、進化の程度が異なっているということになります。上下があることになります。そして、日本人は、何千年もの間、天皇制が続いたために、戦前や戦時中は、天皇が神の子孫だと信じていました。そして、古事記日本書紀を真実の歴史だと信じていました。
 
 
 
 


​戦前の日本人はたいていイザナミイザナギの夫婦の神が日本を作り天皇は神の子孫であると信じていた​
 
 
 
 
 
 
 また、その当時の日本政府の思想教育の影響を大きく受けていました。日本人は、神の子孫によって治められている神国だと信じていたので、自国の国民が東アジアの人々よりも優れているという考え方をしていたと思います。
 
 
 
  しかも、太平洋戦争の前までは、日本は他国との戦争で連戦連勝だったので、とりわけ、自国の人々が優れているという考え方をしていたと思います。そのために、日本人は、その当時、人間は異なる国籍や民族であっても、その命は貴重でありその命の価値は同じであるという考え方をしてはいませんでした。
 
 
 
 日本人の場合、仏教徒神道信者か進化論者が多数派を占めています。キリスト教の聖書を信じる人は日本人の中では、ほんとに少数派です。そして、仏教も神道も基本的に命の与え主の万物の創造者なる神という概念がありません。
 
 
 
​(2)第二次世界大戦中のドイツのナチスヒットラーの行動の背後にあつた思想​
 
 
 
  第二次世界大戦の時に、ヒットラーは聖書やさまざまな宗教の教えについて調べました。そして、聖書の黙示録について、独自の解釈の仕方をしていました。伝統的に、ドイツは、カトリック教会の影響の強い国でしたが、その当時、ドイツ人は、ヒットラ―の率いるナチス党の思想教育に大きく影響されました。また、ヒットラーも戦争遂行のために、あらゆる手段を使って、自分が信じる思想をその当時のドイツ人に吹きこみました。
 
 それでその時代、ドイツ人はドイツ人が他の民族よりも優秀であると考え、他の国籍の人々の命を奪うことをなんとも思いませんでした。また、ヒットラーユダヤ人を劣等民族だとして、ユダヤ人を根絶するべきだと考えていました。
 



        ヒットラーの著書「我が闘争
ゲルマン民族が一番優れていて支配する立場にあると教えた
日本の神道が日本人支配の帝国を戦時中に唱道したのと似ている


 
 
 また、ドイツでは、ナチス党のヒットラーの崇拝が促進されました。いわゆる、ヒットラーの神格化が行なわれました。これは、日本の中で、天皇を神とする天皇崇拝が戦前に促進されたのと似ています。
 
 
​ 

​日本で天皇崇拝が推進されたのと同じくドイツではヒットラー崇拝が推進された​


 
 
 また、ナチス党は、占星術やオカルトに大きく影響を受けていました。ある占星術者は、ヒトラーお抱えの預言者としても活躍したということです。


エリック・ヤン・ハヌッセン
 
 
 
 
 


​​ヒットラーの時代に心霊術者がヒットラーのお抱えの預言者として影響を与えた​​
 
 
 
 聖書は、占いや魔術などを信じないように警告しています。(申命記18:9-12)
 
 
 
​聖書は占いや魔術などの心霊術を禁じている​​
 
 
 
 
 
 
 ヒトラーの片腕であったヒムラー民族主義的オカルティストに傾倒し、配下の親衛隊と古城でオカルト行為を行っていたということです。彼は、カトリック教徒でしたが、キリスト教や聖書を退け、異教に傾倒しました。 
 
 
 
 
 
 
 
 


     Bundesarchiv, Bild 183-S72707 / CC-BY-SA 3.0
​​ヒトラーの片腕ヒムラーキリスト教を退けオカルトに傾倒して残虐行為を行なった​​
 
 
 
 
 
 
 
 また、ヒトラーは表面上こそキリスト教徒でしたが、内々の談話では「聖書がドイツ語に翻訳されたのはドイツ人にとっての不幸」「ローマ帝国が滅んだのはフン族ゲルマン民族のせいではなくキリスト教のせいである」等と聖書やキリスト教に対して否定的でした。
 
 
 
 


帝国議会ナチス式敬礼を受けるヒトラー(白い演壇の一つ下、黒い演壇で敬礼に応えている)ベルリン1941年
Bundesarchiv, Bild 183-B06275 / Heinrich Hoffmann / CC-BY-SA 3.0
​​ヒットラーは聖書やキリスト教に否定的だった​​
 
 
 
 
 
 
 ヒットラーが聖書やキリスト教を拒否し、ナチスの高官たちが、心霊術とオカルトの影響を受けたことは、ドイツ国民がユダヤ人を始めとした諸国民の大量の血を流すことにつながりました。それで、わたしたちが何を信じるかはわたしたちの行動に大きな影響を及ぼします。とりわけ、心霊術などの悪霊崇拝の影響を受けるままにするのは危険です。
 
 
 
 しかしながら、ドイツ民族は、歴史的にキリスト教から強く影響を受けていた事あり、戦後、ドイツ人は、戦争犯罪に徹底的に向き合いました。
 
 
 
​(3)日本人は自国の人々の命に関してだけでなく他国の人々の命に関しても悲しむべき​
 
 
 
 日本人は、太平洋世界大戦中の原爆や、空爆沖縄戦で自国の人々の命が奪われたことをとても悲しく思います。それは、当然のことです。しかし、エホバ神の目にとって、太平洋大戦中に、日本人によって命を奪われたアジアや米国や他の国々の何百万、何千万人もの人々の命は、日本人の命と同様に貴重なものです。
 
 
 
 創造者のみ前で、人間の命の価値が同じであるために、エホバ神が日本人の以前の世代の人々が日本人以外の人々の命を奪ったことの責任を問われるということもあると思います。
 
 
 
https://youtu.be/-z5M_MnM2VM
(わたしは韓国との領土問題についてはまだ考えていないのですが、この動画が戦争犯罪について述べることをアジア人の視点から考えてみるべきなのは正しいと思います)
 
 
 
 
 ですから、日本人は、戦時中に日本人によって他の国民や民族の人々の命が失われたことを、自国の人々について悲しむのと同じように悲しむべきだと思います。そして、贖いの犠牲に頼って、命の与え主に罪の許しを求めることが必要だと思います。


 地上の王たちは、自国に何らかの災いが及ぶ場合に、自分たちの父祖の罪の応報が及んでいる場合があるかもしれないことを考慮する必要があると思います。
 
 
 
 
(4)ダビデの時代先代のイスラエル国民が行なった流血の罪のために飢きんが続いた​
 
 
 
 日本人は戦後、戦争に関わることを避けており、戦後七十年の間、流血に関わっていません。それにも関わらず、日本人は地震津波、台風、大雨などのために、毎年のように犠牲者が出ています。


  その理由のひとつは、日本人の先祖が行なった罪が、神の目にまだ残っているために、聖書の神は、日本人が戦後、ほとんど流血の罪を犯していないにもかかわらず、さまざまな災いをこうむることを許しておられるのではないかと思います。
 
 
 
  聖書のサムエル記第二によると、昔の流血の罪のために、流血の罪を犯していないイスラエルの世代に、天災が起きたという事例が記されています。ダビデの時代に「3年連続で飢饉が起き」ました。ダビデはエホバに相談しました。するとエホバは、ダビデの先代の「サウルとその一家」にあった「流血の罪」を指摘されました。「サウルがギベオンの人たちを殺したからである。」
 
 
 
 
 
 
 


ダビデは国家の問題をエホバ神に相談して対処した​​
 
 
 
 
 
 
 それでダビデはギベオンの人たちを呼び寄せて、「どんな償いをすれば,皆さんはエホバの民のために祝福を願ってくれますか」と尋ねました。イスラエル人はかつて彼らに危害を加えないと誓っていましたが、ダビデの先代の王サウルはギベオンの人々の血を流したのです。
 
 
 
 


​​エホバ神はギベオン人の流血の訴えを考慮されイスラエルに災いをもたらしていた​​
 
 
 
 
 
 ギベオンの人たちは、「サウルとその家の人たちのこと」はお金の「問題」ではないと言いました。ギベオンの人々は、「私たちを絶滅させようとした人,イスラエルの領土では生きていけないよう私たちを滅ぼし尽くそうとした人,その人の子孫の中から7人を私たちに引き渡してください。」と言いました。
 
 
 
 それで、ダビデは、サウルの子孫7人をギベオンの人々に引き渡し、「ギベオンの人たちは彼らの遺体を山でエホバの前につるし」、7人を処刑しました。「その後,神は国に関する願いを聞き入れた。 」とあります。(サムエル第二21:1-14)
 
 
 
 それで、ダビデがエホバ神の崇拝を第一にするように努力していたにもかかわらず、イスラエルに飢きんという災いが起きていたのは、先代のサウルの時に犯された流血の罪のためでした。ギベオンの人々に対する流血のために、エホバ神はイスラエル人に不興を感じておられ、イスラエルには飢きんという天災が起きていました。
 
 
 
  それで、ダビデはエホバ神に相談して、罪を犯された側のギベオンの人々の意向も聞いて、その通りにしたところ、エホバ神との関係が改善され、エホバ神は、国のためのダビデの祈りを聞かれるようになったということです。
 
 
 
 ですから、このことは、日本人の先祖が犯した流血の罪のために、日本人の子孫に災いが起こることがあることを、示しています。もちろん、日本も、日本の周辺国家もキリスト教国家ではありません。そして、今日、罪を犯した日本人の先祖の子孫を死刑にすることもできません。


 しかしながら、少なくとも、国家に災いが起きている場合、それを緩和するためには、エホバ神中心に解決したら良いことをこの事例は示しています。
 
 
 
​(5)政治指導者がとりわけ自分と人類の神との関係を考えるべきなのはなぜか​
 
 
 
 地上の王たちは、自国が災いを経験する場合に、まず第一に自分とエホバ神との関係はどうなっているかを吟味する必要があると思います。国家の代表者としての王や大統領や首相の神との関係は、その国家の現在と将来にとても大きな影響を及ぼすからです。
 
 
 
  たとえば、ユダ王国の時代に、ユダは大きな国家的苦難に直面しました。国家全体としては、神から離れている人も多くなっていましたが、ユダの王ヒゼキヤは、エホバ神との良い関係を追い求めていたので、神はヒゼキヤの祈りを聞かれて、国家的な危難を乗り越えることができました。(イザヤ39:5-8)
 
 
 
 
​​ヒゼキヤ王は国家的な問題をエホバ神に祈って乗り越えた​​
 
 
 
 また、エホバ神はヒゼキヤの時代には、ユダの終わりが臨まないと約束されました。(イザヤ6:5) エホバ神は、ご自分を恐れたヨシア王に同じことを約束されました。(歴代第二34:23-28)
 
 
 
  ですから、国家の指導者はご自分と神との関係を吟味して、エホバ神が不興を覚えられる偶像崇拝を行って、エホバ神が自国に関する自分の祈りを聞かれない状況を造り出していないか顧みる必要があると思います。
 
 
 
 
​ その場合、エホバ神に祈って贖いの犠牲に基づいて、エホバ神の罪の許しを求める必要があります。さらに、自国の国民に対しても、エホバ神との良い関係を追い求めて祈るように勧める必要があるかもしれません。






 預言者ヨナの時代に、ニネベの王は、神を恐れてその流血を悔い改めため、自国の国民にも悔い改めることを勧めたために、ニネベの滅びは何百年も延期されることになりました。(ヨナ3:5-10。ルカ11:32)



​ヨナが宣べ伝えることを聞いてニネベの王が悔い改めたのでニネベの滅びは延ばされることになった​

 
 
 
 それで、国家の指導者が国民に勧めること、また、国家の指導者の模範は、国民全体にとても大きな影響を及ぼすことになります。神からの処罰が臨むことがヨナの時代には、何百年も延期されました。それで、国家の指導者が聖書の神を恐れて行動するなら、国家の将来に長期間に及ぶ影響を及ぼすことになります。
 
 
 
​(6)国家の代表者が罪の許しを神に願うと同時に被害者の国民に流血の罪を謝罪を行う​
 
 
 
 ダビデの時代に起こった過去の国家の流血の罪に関して起きた出来事は、そうした罪をどのように解決していけるかを示していると思います。国家の代表者が、偶像崇拝を避け、エホバ神に罪の許しを願いつつ、流血を犯した周辺国家に対して、何をしなければならないかを尋ねて、それを実行することができると思います。
 
 
 
 日本の場合、戦争賠償はある程度は行っています。しかし、まず、命の与え主である神に対してその罪の許しを願うことが必要です。(ダニエル9:15,16)しかし、聖書の神に口先で、敬意を捧げたとしても、偶像崇拝を行うなら、その祈りは、まことの神創造者なるエホバ神に聞かれることはありません。
 
 
 
 そして、先祖の流血の罪を命の与え主なる神と被害を与えた国民に、許していただくためには、そのことと、調和して、日本人の先祖が行なった流血の罪に関して、謝罪を求められたなら、何度でも謝罪をすることが必要だと思います。
 
 
 
 今日、日本にさまざまな苦難が起こることを神が許されていることは、日本の過去の罪に原因があるかもしれません。日本は、太平洋戦争中の流血の罪に対する処罰は比較的軽いものであったと思います。
 
 
 
 日本人は、ダビデの時代のように流血の罪を犯した人々の子孫を処刑することはできません。しかし、私は、中国の人々やその周辺のアジア諸国の人々に先代の日本人がもたらしたはなはだしい苦しみと流血の罪を考えれば、少なくとも、周辺諸国に繰り返し謝罪を行うべきだと思います。


 
  可能であれば、現在の天皇が中国や周辺諸国に赴いて、戦争中日本人がもたらした苦しみと流血について、謝罪をされることを提案致します。
 
 
 
 
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自国が経験する災いをどのようにみなして北と南の間との抗争から離れていることができますか

 

 わたしたちは自国が経験する災いをどのようにみなすことができますか。国家はさまざまな天災を経験したり、他国からの軍事攻撃を受けることがあるかもしれません。そうしたことがなぜ起こることをエホバ神は許されるのでしょうか。それをどのように考えて、北の王と南の王の間の抗争から離れていることができるでしょうか。

 

 


(1)流血を避けて北と南の間の抗争から離れているように勧める地上の王たちに対する聖書の助言


 南の王との同盟国の地上の王たちは、どのように行動するのが最善の結果をもたらすのでしょうか。啓示18章では、地上の王たちが大娼婦と性的な不道徳をすることをとがめられています。(啓示18:3)地上の王たち大娼婦と性的な不道徳をするということは、 軍事同盟を結んで、共に軍事行動に携わることを意味しています。




0multinational war planes

 

 left to right, a Qatari F-1 Mirage, a French F-1C Mirage, a U.S. Air Force F-16C Fighting Falcon from the 401st Tactical Fighter Wing, a Canadian CF/A-18A Hornet and a Qatari Alpha Jet, during Operation Desert Shield.

諸政府が共同軍事行動をとることは神の目に淫行とみなされる




   もし、南の王と共に軍事同盟を結んで、北の王や、関連諸国を軍事攻撃して、地上の人々の命を奪うならば、人間の命の与え主エホバ神の不興を買うことになります。


   エホバ神はこのように言われていま
す。「人が自分の兄弟の命を奪ったなら,その人に責任を問う。人を殺して人の血を流す者は,人に殺されて自分の血を流すことになる。」 (創世記9:5,6)




 神の目に貴重な人間の命を奪うならば、エホバ神はそうしたことを行う国家に不興を覚えられて、さまざまな仕方で、その国家が災いを経験するようにされるでしょう。人間の命を奪うならば、人間の命の授与者エホバ神の不興を買うことは避けられないのです。



 例えば、多くの諸国家が湾岸戦争イラク戦争の時に米国と共になって中東諸国家に対する戦争に加わりました。その結果、多くのヨーロッパ諸国は、イスラム国によるテロを経験しています。イスラム国によるテロは、もちろん、正しいことではないとは言え、ヨーロッパ諸国が流した血についてのエホバ神の応報であるとみなせます。


 わたしたちは聖書の神を崇拝し、その是認を得ようと願うならば、南の王を恐れて南の王に盲従して共に軍事行動をすることを避ける必要があります。そうしなければ、地上の王たちは、北の王から攻撃されて南の王と共に命を失う結果にもなりかねません。


 また、反対に北の王が成功するにしても、北の王に盲従して、南の王に対する軍事行動に共に携わらないことが必要です。北の王に盲従するならば、北の王と共に、「第二の死」すなわち復活のない永遠の滅びをこうむることになるからです。(啓示13:8;20:15)南の王、北の王、どちらに盲従する立場も、神からの救いをもたらしません。


  とりわけ、聖書は、大患難を生き残る「地上の王たち」に南の王が滅びる時に、同情して嘆くほど、南の王と良い関係を追い求める立場を勧めているように思います。 


 なぜなら、北と南の王との間の最後の争いである大患難を生き残るのは良い結果だからです。しかしながら、南の王との良い関係を追い求めることが勧められることではあっても、「離れたところに立つ」こと、北と南の間の抗争から距離をとって離れていることが求められます。(啓示18:10,15,17)そうしなければ、その抗争に巻き込まれて命を失う結果になるからです。



(2)国家が犯した流血行為の報いはどのようにしてもたらされるか


 エホバ神はある人や国家がもたらした罪を後の時代になって応報をもたらされることがあります。民数記には、エホバ神に関してこのような描写があります。「罪がある人を処罰しないことは決してなく,父の過ちに対する処罰を子や孫やひ孫に及ぼす神」(民数記14:18新世界訳改訂版)


 ですから、確かに、エホバ神は個人の罪に関しては、その個人の罪に応じて扱われますが、国家の罪に関しては、その子孫にもたらされる場合があります。イエスは、アベルから祭司ゼカリヤまでの流血の罪が、イエスの世代に求められると言われました。(マタイ23:35)ですから、神の人に対する応報が何百年も後になってもたらされたことになります。

 



0destruction of jerusalem

アベルから祭司ゼカリヤまでの殺害に対する責任を神は何百年も後になって一世紀に問われた
神は国家に対する責任を子供や孫の時代に問われるかもしれない





 確かにある国家によって多大な血が流された場合に、その流血の被害者になった国の人々の子孫は、何世代にもわたってその国家に恨みを抱いているということがよくあります。祖父や親は自分たちが経験した苦難を子供や孫に話して、ある国家に対して子供や孫がずっと悪感情を持ち続けるということがあります。そのため、両国の関係が改善されないで、後の世代になってから両国で戦争が起こるという場合もあります。ですから、父祖の罪に対する応報が子供や孫やひ孫の世代に来る場合があります。


  
なぜなら、過去に流した人の血に関して、エホバ神は当然の応報をもたらされ、北の王、あるいは南の王、あるいは地上の王たち、いずれであっても、「流血」の国家に対して、エホバ神は責任を問われるからです。(ナホム3:1)


 ハバクク書では、アッシリアと思われる「流血の都市」の「レバノン」で表わされたエルサレムに対する「暴力」と「血」のためにエホバ神は「カルデア人」を起こされると述べられています。(ハバクク2:12,17)ですから、アッシリアの流血に対する報いは、レバノン、すなわちエルサレムを首都とするユダ王国によってもたらされるのではなく、その当時の世界強国であった「カルデア人」、すなわちバビロンによってもたらされました。




0assyrian soldier
アッシリア人の流血と暴力の罪に対しては・・・

0babylonian empire
バビロニア帝国(緑)が台頭してアッシリアを滅ぼすようにすることによって神はアッシリアに責任を問われた





 そのエホバ神からの応報は、必ずしも自国の軍隊が殺害した国家によってもたらされるのではなく、北の王、あるいは南の王によってもたらされるかもしれません。あるいは他の形、天災という形で災いがもたらされる場合があるかもしれません。


(3)流血は命の授与者に対する罪で神はその罪を犯した人あるいは国家に責任を問われる



 例えば、日本は太平洋戦争後、基本的に長年平和国家となっています。しかし、過去に日本は、残虐にもアジアで多大の流血行為を行いました。何百万人、何千万人もの人々の血を流したと言われています。その罪は、エホバ神の目にとても、悪いことでした。本当は、日本人が殺害した人々の国家が復しゅうのために日本に戦争をしかけたとしても、不思議ではありません。


 しかし、エホバ神は、過去に日本人が行なった流血を何もなかったことのように、ただ単に見逃すということはされません。上で述べたように、エホバ神は、人間の命の血が流されると、その血を流した人の命を求めることによって、責任を求められます。(創世記9:5,6)また、「私たち一人一人は,神に責任を問われることになるのです。」という言葉もあります。(ローマ14:12)


 ですから、国家の流血は、人間の命の授与者に対する罪です。もし、わたしたち各自が流血の罪を犯すならば、エホバ神は、その国家、また、一人一人に対して命の血を流した責任を問われます。






エホバ神は・・・




地上の命の授与者であられ流血を行う国家や個人に対して責任を問われる






 

 それで、現在、その罪の報いである災いがその子供や孫である日本人の子孫にさまざまな形で及ぶということもあると思います。キリスト教国家であるかどうかは関係がありません。日本のように主に仏教や神道を奉ずる国家であっても、エホバ神は流血の責任を問われます。キリストの贖いの犠牲に頼って罪の許しをエホバに求めるのでなければ消えないでしょう。

 
 

 

 

 

 

0jesus ransom1
キリストの贖いの犠牲に基づいて・・・



0prayer for forgiveness of sin


エホバ神に罪の許しをお願いすることができる



 

 


  聖書に、「私たち一人一人は,神に責任を問われることになるのです。」とあります。(ローマ14:12) すから、国家の流血は、人間の命の授与者に対する罪です。もし、わたしたち各自が流血の罪を犯すならば、エホバ神は、その国家、また、一人一人に対して命の血を流した責任を問われます。キリスト教国家であるかどうかは関係がありません。日本のように主に仏教や神道を奉ずる国家であっても、エホバ神は流血の責任を問われます。



 民族の記憶というのはなかなか消えないものです。ですから、地上の王たちは、自国に何らかの災いが及ぶ場合に、自分たちの父祖の罪の応報が及んでいる場合があるかもしれないことを考慮する必要があると思います。


 さらに、地上の王たちは、自国が災いを経験する場合に、まず第一に自分とエホバ神との関係はどうなっているかを吟味する必要があると思います。国家の代表者としての王や大統領や首相の神との関係は、その国家の現在と将来にとても大きな影響を及ぼします。

 

 

 


 イスラエルの時代も、国民全体はかなり悪くなっていましたが、ユダの王ヒゼキヤの祈りをエホバ神が聞かれて、国家的な苦難を乗り越えたことがありました。それで、国家の指導者の神との関係は、その国家の状況に大きな影響があります。

 

 

 

 

 エホバ神が不興を覚えられる偶像崇拝を行って、エホバ神が自国に関する自分の祈りを聞かれない状況を造り出していないでしょうか。

エホバ神に祈りを聞いていただくためにはあらゆる偶像崇拝を避ける必要があ ります

 

 

 その場合、エホバ神に祈って贖いの犠牲に基づいて、エホバ神の罪の許しを求める必要があります。さらに、自国の国民に対しても、エホバ神との良い関係を追い求めて祈るように勧める必要があるかもしれません。



 預言者ヨナの時代に、ニネベの王は、神を恐れてその流血を悔い改めため、自国の国民にも悔い改めることを勧めたために、ニネベの滅びは何百年も延期されることになりました。
(ヨナ3:5-10。ルカ11:32)

 



0jonah and nineveh
ヨナが宣べ伝えニネベの王が悔い改めを国民に勧めたので神からの災いはニネベにすぐには及ばなかった





(4)終わりの時に住む神の民に勧められている生き方


  聖書は、終わりの時に住む神の民が、南の王からも北の王からも迫害を受け、さまざまな仕方で命を落としてしまうことを予告しています。大娼婦南の王は、聖なる人たちの血に酔うことが預言されています。(啓示17:6)それは、おおむね、軍事的な紛争に巻き込まれる仕方で行われるはずです。


0babylon the great7
大いなるバビロンは聖なる人たちの違反のためにその血に酔うことになる




 さらに、北の王が南の王を滅ぼすまでは、成功することになっていて、全世界で崇拝を受けることになることを予告しています。しかし、聖書がわたしたち神の民に勧めていることは、例え、南の王によって神の民が命を奪われているとしても、北の王が南の王を攻撃し滅ぼすことに成功するとしても、北の王の崇拝者となって剣をとって戦って南の王に復しゅうする者とならないことです。


 なぜなら、キリスト教徒であっても、あるいは、どんな宗教を持っている人であっても、他の人々の命を奪うならば、その責任をエホバ神から問われることになるからです。ですから、わたしたちは他の人々の命の血を流した場合、神がその責任を問われる道具が北の王になったり、南の王になったりする場合があります。また、他の形で災いが臨むことがあるかもしれません。そして、それはエホバ神が過去に流された自国による血に関して責任を問われたとみなせる場合があります。

 


 それで、自国が他国から軍事攻撃による災いを経験している場合、あるいは他の形での災いを経験していると考える場合、復しゅうをエホバ神に任せて事態の進展に任せることができます。


 「愛する皆さん,復讐してはなりません。神の憤りに任せましょう。「『復讐は私がすることであり,私が報復する』とエホバは言う」と書いてあるからです。」(ローマ12:19新世界訳改訂版)私たちが剣をとってその国家に復しゅうしなくても、エホバ神は流血を行う国家に対していずれかの形で、その応報を受けるようにとりはからわれるからです。



 エホバ神は人の命の血をとても貴重なものとみなしておられるので、わたしたちがその点で神からの憤りと復しゅうを招かないようにする唯一の方法は、ひとえにキリストの贖いの犠牲に頼ることです。(啓示7:14ヨハネ第一2:2)


 そして、聖書はこのように勧めています。「できる限りのことをして,どんな人とも平和な関係でいるようにしましょう (ローマ12:18)この言葉は国家間の関係にも個人間にも当てはめられると思います。平和な関係を追い求めるならば、平和な良い結果を刈り取ることができます。聖書は「平和を作りだす」ことができると述べています。(ヤコブ3:18)


  ですから、私たちがエホバ神の是認を得て、救いを得たいと願うならば、人間よりも神に従う必要があります。(使徒5:29)すなわち、「復しゅう」は神に任せて、殺人を避けて平和を追い求め、エホバ神の是認された崇拝者としてとどまるよう努めましょう。(ローマ12:18,19)

 

 

















 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(34)真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンはどのように不法な者の精神を避けることができるか

 
 イエスは、羊のようなクリスチャンを永遠の命か永遠の死かに分ける根拠は、ご自分の霊的な兄弟たちに愛ある協力をするかどうかだと言われています。(マタイ25:31-40)ですから、どんなクリスチャンがイエスの霊的な兄弟たちなのか、つまり、本当に天的な希望を神から与えられて、神に是認されているかを見分けることは必要です。
 
 
 
 そのことを判断するために、どんなクリスチャンが神から非とされるのかということを調べてみるなら、助けになります。聖書の中に、「不法の者」と呼ばれている実体があります。今回の記事では、この「不法の者」について考えてみて、神から是認されるためにどんな態度を避けるべきかを調べます。
 
 
 
​(1)神に非とされる不法の者とは誰を意味するのか-統治体の解釈とわたしヨハネの解釈​
 
 
 
  テサロニケ第二の手紙の中に登場する「不法な者」は誰を表わしているのでしょうか。 エホバの証人は、この不法の者を、キリスト教世界の僧職者であると解釈しています。「クリスチャンとしての生活と奉仕 集会ワークブック 2019」には、『現代の「不法の者」は,グループとしてのキリスト教世界の僧職者たち 』という記載があります。
 
 
 
 このエホバの証人の統治体の解釈は、啓示17章に登場する神から徹底的に裁かれる大娼婦大いなるバビロンが偽りの宗教の組織すべてであるという解釈とも調和しています。(啓示17:16)
 
 
 
 エホバの証人は、自分たち以外のキリスト教の指導者たちを、「不法の者」であるとみなしています。そのような考え方であると、わたしヨハネも「不法の者」の一部であるとみなされかねないと思います。わたしはエホバの証人の統治体とは異なる聖書の解釈をしているからです。

 
 
 しかし、「不法」とは「罪」ですが、わたしは神の律法に違反しないようにできるだけの努力をしていて、ほとんど神の律法に従っていると思います。(ヨハネ第一3:4)
 
 
 
 そして、わたしは実際にキリスト教の牧師たちの話も聞いています。確かにキリスト教会の牧師の中には、進化論を受け入れたり、兵士として戦うことも場合によっては、間違ってはいないと教えたり、同性愛者であっても良心的なクリスチャンがいるというような聖書に調和していないことを教える人たちもいました。
 
 
 
 
 しかしながら、教会の牧師の中には、神の律法を守る点で、エホバの証人にとてもよく似ている人もいます。偶像崇拝や淫行を避けるように牧師自身、努力を払って、そのように教会員に教えている人もいます。わたしは、すべてのキリスト教会を知り尽くしているわけではありませんが、アメリカ人の牧師の中にそのような人たちを見ました。「罪」つまり、「不法」を避けるよう努力を払っていて、「不法の者」とは言えない教会の牧師も存在していると思います。


 
 
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教会の牧師が性の不道徳や偶像崇拝を退けるよう教えている場合不法の者とは言えないのではないか​
 
 
 
 
 そして、完全に真偽を確かめてはいないのですが、統治体の兄弟たちの中にも、以前、性の不道徳に陥って、その後悔い改めた人もいるという情報もネットで見ました。もし、その情報が偽りであっても、エホバの証人の会衆の長老や奉仕の僕の中には、児童の性的な虐待に陥ったことが明らかになった人たちもいます。それは事実です。
 
 
  そうであれば、エホバの証人の中では、神の律法違反が生じる確率は低いと思いますが、それでも、「不法」つまり、罪に陥る長老たちもいます。
 
 
 
 ですから、不法を避ける点で、クリスチャンの誰もが努力しなければならず、 エホバの証人も他のキリスト教会の状況も五十歩百歩なのではないかと思います。ですから、「不法の者」が、 自分たち以外のキリスト教世界の僧職者たちであるというエホバの証人の解釈は間違っているのではないかと思います。
 
 
 
 現在、わたしが理解している聖書の言葉から考えて、不法の者がどのような特徴を持っていて、いつどのように登場するかを推論してみます。結論から言うと、わたしはこの「不法の者」とは、ダニエル書に登場する北の王であると考えます。
 
 
 
 
​(2)テサロニケ第二の手紙の中で不法の者はどのような特徴を持つことが描写されているか​
 
 
 
 「不法の者」に関する描写が、テサロニケ第二の手紙2章3節から12節に見い出されます。この不法の者にはどのような特徴があるでしょうか。
 
 
 
​ 「背教が生じて,不法の者つまり滅びる者が明らかにされてからでなければ,その日(エホバの日)は来ないからです。」とあります。(テサロニケ第二2:3新世界訳改訂版)まず、不法の者は「エホバの日」の前に登場します。さらに、「不法の者」とは、「背教」と同時に、現れます。(テサロニケ第二2:3)つまり、不法の者とは、キリスト教の背教者です。​

 
 
​ この不法の者は「滅びる者」と描写されているので、永遠の死、もしくは永遠の滅びを受けることになります。(テサロニケ第二2:3)​
 
 
 
​ さらに、不法の者は、「神と呼ばれているものや崇拝されているもの全てに逆らい,自分の方が上だと考え,ついには神殿の中に座って人々の前で神のように振る舞います。」と描写されています。(テサロニケ第二2:4新世界訳改訂版)ですから、不法の者は、自らを神より上に置き、神のように振る舞います。



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不法な者は人々の前で神のように振る舞うことが預言されている
 
 
 
 
 将来、いずれ、「不法の者が明らかにされる」時が来ます。イエスは、ご自分の「臨在が知れ渡る時にその者を滅ぼ」されます。(テサロニケ第二2:8新世界訳改訂版)ですから、イエスはご自分の臨在を明らかにされる時に、不法の者を明らかにして滅ぼされます。
 
 
 
​ 不法の者が登場するのは、「サタンの働き」によります。(テサロニケ第二2:9)さらに、 「不法の者はサタンの力によって,あらゆる強力な行い,偽りの奇跡,不思議なことを見せ,あらゆる不正な手段を用いて,滅びに向かう人々を欺きます。」(テサロニケ第二2:9,10)さらに、不法の者は、「偽り」を教えて、背教を促進します。(テサロニケ第二2:10,11)​
 
 
 
 ですから、「不法の者」の登場には、奇跡や不思議や強力な行いが伴います。ですから、不法の者は、悪魔サタンに影響されています。不法の者は、悪魔崇拝や心霊術に欺かれているか、心霊術を行っていると考えられます。さらに、不法の者は、聖書に調和しないことを聖書の教えだと言って人々に欺きを教え、人々を滅びに導きます。
 
 
 
​ さらに、不法の者に欺かれる「人々が滅びるのは当然の報いです。」なぜなら、不法の者に欺かれる人は、「救いをもたらす真理を愛そうとしなかったからです。」(テサロニケ第二2:10)そして、神は,人々が「偽りを信じるままにします。こうして彼らは皆,真理を信じないで不正を好んだために,断罪されます。 」(テサロニケ第二2:9-12)​
 
 
 
​(3)北の王は背教したキリスト教を奉じることがダニエル書で預言されている​
 
 
 このテサロニケ第二の手紙とダニエル書と啓示の書の預言を考え合わせてみます。ダニエルの預言の中で、北の王は、もともと、イスラム教の背景からきています。
 
 
 
 なぜなら、ダニエル8章の預言によると、ギリシャを表わす「雄ヤギ」の「大きな角は折れ」、「4本の際立った角が生えて」きました。「そのうちの1本から,別の小さな角が生え」ましたが、「それは非常に強大になって」、「聖なる所の定まった場所を打ち壊し」ます。(ダニエル8:8-11)


 


0great horn of a goat
ギリシャアレクサンドロス大王の大きな角が折れて・・・



0four horns
四つの国を表わす四つの角の一つの小さな角が北の王になる
 
 
 
 
 この雄ヤギの「大きな角」はアレクサンドロス大王です。そして彼の領土から派生した四つのギリシャ系の帝国の一つから小さな角が生えてきます。このダニエル8章の小さな角は、「強大な者となる」という描写や「聖なる所」を打ち壊すという描写から北の王を表わしていることが分かります。(ダニエル11:24,31新世界訳改訂版)
 
 
 
 ですから、この北の王は、アレクサンドロス大王の旧帝国から派生した四つのヘレニズム系の国から興ります。アレクサンドロス大王の旧領土は、おおむねイスラム教ですから、北の王は、イスラム教を奉じています。
 
 
 
 北の王は、背教したキリスト教に注目することが予告されています。ダニエル11章には、北の王が「聖なる契約を破る者たちに注意を向け」ることが預言されているからです。(ダニエル11:30)「聖なる契約」とは聖書の中にある神と神の崇拝者との間にある契約です。
 
 
 
 
 
​(4)北の王はダニエル書と啓示の預言の中で最終的に滅びることが預言されている​
 
 
 
  ダニエル11章によると、北の王は、この世の終わりの時に、裁かれて終わりを迎えます。(ダニエル11:45)この世の終わりの時には、人間の政府は、諸国家の間の戦争ではなく神の王国によって、奇跡的な仕方で終わりを迎えるはずです。(ダニエル2:44,45)それで、キリストの臨在が始まるのは、大患難の時で、非常に多くの死体が地上で生じる時です。(マタイ24:21,22,27,28)再臨の後、世の終わりに北の王は、滅ぼされることになっています。ですから、北の王は最終的にイエスの臨在がはっきり表される時に、滅ぼされることになります。
 
 
 
 
 ダニエル8章の中でも、北の王が、「長たちの長」、イエス・キリストによって、「人手によらずに打ち砕かれる 」ことが予告されています。(ダニエル8:25)ですから、イエスの臨在がはっきり表されることによってキリストから直接奇跡的な仕方で、滅ぼされることになるのは、北の王です。
 
 
 
 


           0king of the north
北の王は最後にイエスにより人手によらずに滅ぼされることになってい
           るので滅びる者と言える
 
 
 
 
 
  さらに、啓示の書の預言によると、将来、「底知れぬ深み」から「バッタの群れ」が出てきます。そのバッタの群れは、「サソリ」の権威が与えられて、「額に神の証印がない人々には害を加え」ることが許されます。(啓示9:1-3新世界訳改訂版)この、「底知れぬ深み」から出てくる「バッタの群れ」とは、最初の北の王に率いられた軍勢を意味していると思います。その理由は別の機会に説明します。
 
 
 
 
​ バッタの群れの軍勢を「治める王」の「名は,ヘブライ語ではアバドンであり,ギリシャ語ではアポルオン」です。ギリシャ語アポルオンとは「滅ぼす者」、ヘブライ語アバドンとは、「滅び」という意味があります。 (啓示9:11)ですから、啓示の書の中では背教したキリスト教の指導者たちを苦しめる最初に登場する北の王が、最終的に「滅び」を経験することが預言されています。北の王は永遠の滅びをこうむることになります。​
 
 
 


0king of locusts
北の王であるバッタの軍勢の王は滅びという意味の「アバドン」と呼ばれているので不法の者が滅びる者と言われているのと符合する
 
 
 
 それで、ダニエル書の中でも、啓示の書の中でも、北の王が「滅び」をこうむると描写されているので、テサロニケ第二の手紙の「不法の者つまり滅びる者」と描写されているのは、北の王であると判断するのが妥当ではないかと思います。(テサロニケ第二2:3新世界訳改訂版)
 
 
 
​(5)北の王があらゆる神より上だと考えることがダニエルの預言の中で預言されている​
 
 
​  上に述べたようにテサロニケ第二の手紙の中では、「不法の者」は、「神と呼ばれているものや崇拝されているもの全てに逆らい」ます。「自分の方が上だと考え,・・・人々の前で神のように振る舞います。」と描写されています。(テサロニケ第二2:4新世界訳改訂版)​
 
 
 
​​ そして、ダニエル書の北の王に関しては、みずからを神の地位に置くことが預言されています。「その王は思うままに行動し,高慢になり,自分はあらゆる神より上だと考え」ます。さらに、「彼は自分の父祖たちの神を無視し,女たちの願いも他のあらゆる神々も無視して,自分は全ての者より上だと考えます。」(ダニエル11:36,37新世界訳改訂版)​​






0king of the north4
北の王も自らをあらゆる神より上だと考えることが預言され不法の者の描写と同じことが予告されている

 
 
  このことは、北の王は従来のキリスト教の権威に逆らい、それらを非難したり軍事的に攻撃してダメージを与えることに成功することによって、自ら高ぶり「あらゆる神より上だと考える」ことになると考えられます。
 
 
 
 
 ですから、北の王が将来、自らを神の地位に置くという点で、テサロニケ第二の手紙の「不法の者」の描写は、ダニエル書の北の王の特徴と合致します。
 
 
 
​(6)ダニエルの預言は北の王が背教を促進することが預言されている​
 
 
 
​​​ テサロニケ第二の手紙の中では「不法の者」は、「滅びに向かう人々を欺く」ことが描写されています。一方、ダニエルの預言の中では、北の王は、「悪を行って契約を破る者たちを,彼は言葉で欺いて背教へと導く 」ことが預言されています。(ダニエル11:32新世界訳改訂版)ですから、「不法の者」も北の王も悪を行う人々を欺くことになっています。​​​
 
 
 
 北の王は、自らが背教しているだけでなく、すでに聖書の教えに違反しているクリスチャンの中に背教を促進することが預言されています。
 
 
 
 ダニエル11章には、北の王が南の王に対する三度目の総攻撃として、「兵車や騎手や多くの船で南の王を激しく攻撃し,国々に入って,洪水のように勢いよく通っていく」ことが預言されています。(ダニエル11:40新世界訳改訂版) この時、北の王に従う軍勢の兵士たちの数は膨大な数に上るはずです。
 
 
 
 北の王は、確かに、それらの軍勢の王として、崇拝されており、北の王の軍勢の兵士たちは、北の王に対する崇拝と忠節で特徴づけられることになるでしょう。(啓示13:3,7)ですから、二億の騎兵隊は、北の王の崇拝者として行動し、彼に欺かれて滅びに向かいます。北の王の崇拝者たちは、彼らは「子羊の命の巻物 」にその名が記されていないので、永遠の滅びをこうむることになります。(啓示13:8)
 
 
 
 
 啓示9章に登場する「1万の2万倍」、すなわち二億の騎兵隊とは、その時、北の王に従う膨大な数の軍勢の兵士たちを意味すると解釈するのが妥当です。(啓示9:11)北の王は背教したキリスト教に注意を向け、背教したキリスト教に改宗するからです。啓示13章の「子羊のような2本の角」のある野獣は、北の王のはずです。
 
 
 
 なぜなら、子羊のような2本の角のある野獣は、「像」を造ることになっているからです。(啓示13:11,14)偶像は、エゼキエル書の中で、「汚らわしい偶像」と呼ばれています。(エゼキエル7:20)この「汚らわしい偶像」は、Berean Study Bible では、detestable idols、NWTでも、their disgusting idols です。そして、この語は、Strong's Hebrew 8251で、Disgusting, filthy, idolatrous, an idol と説明されています。
 
 
 
 さらに、ダニエル書では、北の王は、「荒廃をもたらす極めて不快なもの 」を据えることが予告されています。(ダニエル11:31)これは、Berean Study Bible では、the abomination of desolation、NWTでは、the disgusting thing です。このthe disgusting thing は、 Strong's Hebrew 8251でDisgusting, filthy, idolatrous, an idol です。
 
 
 
 ですから、子羊のような2本の角のある野獣の造った物も、北の王が据えた「極めて不快なもの」も、両方ともヘブライ語の原語は、同じで、嫌悪すべき偶像という意味があります。ですから、啓示13章に出てくる「像」を造る子羊のような2本の角のある野獣は、北の王です。そして、子羊のような2本の角があることは、この野獣がキリスト教の様相を示していることを表わしています。北の王は背教したキリスト教を受け入れています。
 
 
 
 ダニエル書でも、北の王は、「聖なる契約を破る者たちに注意を向け」、「契約を破る者たち」を「言葉で欺いて背教へと導く」ことが予告されています。 (ダニエル11:30,32)それで、北の王は背教したキリスト教を奉じているので、自らに従う軍勢の兵士たちを背教した偽りのキリスト教により惑わすと考えられます。
 
 
 
 そのために、非常に多くの兵士が北の王に惑わされて背教したキリスト教を信じ、エホバ神の是認を失う剣をとって戦うという道が正しいという偽りを信じることになります。そして、実際に戦って命を落としますし、さらに、永遠の死をこうむることになることが予期できます。
 
 
 
​(7)偽預言者と偽キリストが行なう大きな奇跡と不思議​
 
 
 
 イエスは、ご自分の再臨の時期に、「偽キリストや偽預言者が現れ,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大きな奇跡や不思議なことを行う」ことを予告されました。(マタイ24:24新世界訳改訂版)さらに、啓示の書では、北の王であると考えられる2本の角を持つ野獣が、「大きな奇跡を行い,人類の前で火を天から地に降らせることさえする」ことが説明されています。(啓示13:13新世界訳改訂版)
 
 
 
 この野獣は、一番目の北の王に対する崇拝を促進する二番目に登場する北の王だと思います。ですから、二番目の北の王は、「火を天から地に降らせる」という大きな奇跡を行うことになると思います。
 
 
 
 ヨブ記には、悪魔サタンが天から火を降らせてヨブの僕たちと家畜を焼き尽くしたという記述があります。(ヨブ1:12,16)エリヤとバアルの預言者が対抗した時には、バアルの預言者たちは、自らの神に天から火を降らせて捧げ物を焼き尽くさせることに失敗しました。(列王第一18:22-26)
 
 
 
 ですから、悪魔サタンが自分を崇拝している者たちを、欺くために、力を貸すということが起きることも考えられます。北の王は、自らの神に、天から火を降らせるように祈願して、悪魔サタンは、彼の請願を聞き届けるのかもしれません。
 
 
 
 
 それで、これらのことを総合的に考えると、北の王は、おそらく、悪魔崇拝や心霊術に関係しており、彼の崇拝者たちは、悪魔サタンや悪霊により、奇跡や不思議な現象を目撃してすっかり欺かれることになるのかもしれません。しかし、もしかすると、現代科学の軍事的な最新技術を進歩させて、実際に天から火を地に降らせるというようなことを人類に見せるのかもしれません。
 
 
  さらに、その北の王は、政治の長と、宗教の長を兼ね備えることになることが予期できます。啓示の書も北の王が全地で崇拝を受けることになることを預言しています。聖書は 致命的な打ち傷を受けて回復する野獣に「あらゆる部族と民と国語と国民に対する権威」が与えられ、「地に住む者」がそれを「崇拝する」ことになることが予告しています。これは、北の王を意味しているでしょう。(啓示13:3,7,8)
 
 
 
 こうしたことを総合的に考えてみると、「不法の者」の特徴は、ダニエルの預言に描写されている北の王の特徴と同じです。ですから、テサロニケ第二の手紙の「不法の者」は、ダニエルの預言に登場する北の王と判断するのが妥当です。
 
 
 
 
0king of the north7
 
不法の者とは軍事的な成功をおさめて神のように振る舞い自分に従う軍勢に背教を促進する北の王

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​(8)真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンは不法の者の特徴をどのように避けるべきか​
 
 
 
 こうした不法の者の特徴を考えると、イエスの是認を得たいと願う天的な希望を持つクリスチャンは、権力を求めて北の王のように自らを神の位置に置くようなことをしないように気をつけなければならないと言えます。このことは、罪のある自分たちに対して過度の誉れを要求しないようにすることが必要です。
 
 
0reject getting authority
北の王のように政治的な権力を持つことを退ける必要がある
 
 
 
 
 さらに、北の王に欺かれないように気をつけるために、とりわけ大切なのは、殺人を避けることです。国際的に北と南の対決機運が高まる時に、何らかの大義のための殺人は正しいと説得する圧力が、キリスト教イスラム教の中で強くなると考えられるので、このことはとりわけ重要です。また、無神論的で世俗的な考え方の中でも、神の律法や道徳基準を投げ捨てて、殺人を容認する考えが広まることでしょう。
 
 
 
 
0jesus and peter with sword
エスのように剣をもって戦うことを拒否して北の王のようにならないようにする必要がある



 
 
 さらに、イエスの霊的な兄弟たちは、心霊術を注意深く避けるように努力をする必要もあります。悪魔崇拝や悪霊崇拝に陥らないように努力をすることが求められます。オカルトや心霊術に関連した書籍やCDやDVDは処分するのが賢明です。(使徒19:18,19)また、霊媒や占いや魔術を信じて、それに頼ることにないようにすることも必要です。(使徒16:16-18。エレミヤ27:9,10。レビ19:31)
 
 
 


0occult
心霊術を避け悪魔サタンや悪霊に影響されないようにする必要がある
 
 
 
 
 なぜなら、それらの占いや霊媒や魔術の力は悪霊に由来するからです。さらに、身近なこととして、悪魔サタンや悪霊のように扮装するようなことを避けるのが賢明です。そのようなことをすると、悪魔サタンから攻撃されるすきを作ります。
 
 
 
 さらに、神の崇拝や律法を推進することは重要ですが、神への崇拝や神の律法に関係しない分野まで、自分の意見に盲従することを他の人々求めないように極力努めることによって、自らを神の地位に置かないように気をつけるようにできると思います。
 
 

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イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1-2)モーセの権威が表わしていたのは統治体ではなくイエス・キリスト

エホバの証人の統治体の兄弟たちは、荒野で反逆したイスラエル人を裁いたモーセの権威を持っていると主張されています。そのために、統治体の兄弟たちや、統治体によって任命された長老たちの権威に従わなければ、エホバ神に裁かれてしまうと示唆されます。

 

 しかし、先回の「イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1)統治体はモーセの権威を持っていますか」の中で、モーセのような預言者は、イエス・キリストであって、私たち霊的なイスラエル人はとりわけ、イエス・キリストの権威に従わなければ、イエスに裁かれてしまうことを説明しました。

 

 今回の記事では、イエスモーセのようにどのようなクリスチャンを裁かれることになるのかを説明したいと思います。イエスが啓示の書の中で、霊的なイスラエル人の七つの会衆に語っておられる音信を検討したいと思います。

 

 

(1)統治体がイエスの右手にある七つの星とは天的な希望を持つ長老たちを表しているという解釈は正しいですか


     エホバの証人の統治体は、七つの会衆に対するイエスの音信に関連して、イエスの右手にある七つの星とは、とりわけ、長老でなる天的な希望を持つクリスチャンを表しているとみなしています。(啓示1:16新世界訳改訂版)そのために、エホバの証人の統治体は、イエスの完全な制御下にあるのは、ご自分たち、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちであり、ご自分たちに従うことを求められます。



0seven stars3
エスの右手の上の七つの星とは天的な希望の長老たちですか




 では、まず、七つの会衆とはどのような実体を表していたでしょうか。イエスは、「主の日」に、天的な希望を持つクリスチャン全体に語られました。(啓示1:10新世界訳改訂版)そして、その中で、七つのタイプの会衆に対して語られています。七つの会衆とは、「主の日」の男性も女性も含む天的な希望を持つクリスチャンたちで構成されています。(啓示1:5,6新世界訳改訂版)


0seven congregation
七つの会衆とは主の日の天的な希望を持つ男女を含むクリスチャン会衆を表す





 例えば、テアテラ会衆には、「かの女イゼベルのような女性のクリスチャンが含まれていたので、七つの会衆の成員の中に女性も含まれていたことが分かります。(啓示2:20)



0jezebel2
七つの会衆の成員にはテアテラのイゼベルのような天的な希望の不忠実な女性の成員も含まれている






 そして、イエスは、「七つの星は七つの会衆の使いたち」を表すと言われています。(啓示1:20新世界訳改訂版)証人たちは、イエスは、「七つの会衆の使いたち」を通して、七つの会衆の個々の成員に音信を伝えているとみなしています。そして、統治体は、七つの会衆の使いたちとは、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちを表すとみなしています。


(2)啓示の書のイエスの右手にある七つの星また七つの会衆の使いたちとは誰ですか


  ところが、七つの星、すなわち七つの会衆の使いたちとは、男女を含む天的な希望を持つクリスチャンであるということが、聖句を検討すると分かります。 


 イエスは、エフェソス、スミルナ、ペルガモン、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアにある会衆の使いに語りかけておられます。(啓示2:1,8,12,18;3:1,7,14)そして、どの会衆の使いたちにも、「あなた」と呼びかけて、それらの会衆の状況を知っていると述べられています。


 さらに、エスは、その会衆の使いたちに対して、忠実であることを励まされて、もし、忠実であれば、 その人に「私の神の名と,私の神の都市すなわち天の神のもとから下る新しいエルサレムの名と,私の新しい名 」を記すと約束されています。(啓示3:12)


 ですから、七つの会衆の使いたちに差し伸べられているのは、「新しいエルサレム」の一員になるという希望、つまり、天的な希望です。ところで、天的な希望を差し伸べられるのは、長老だけ、また、男性だけではありません。会衆の一成員に過ぎない女性も天的な希望を差し伸べられて、「新しいエルサレム」の構成員になるという将来の希望を持っています。



0new jerusalem2
七つの会衆の使いたちには聖なるエルサレムの構成員になるという希望が差し伸べられる
会衆の使いたちは天的な希望を持つ男女のクリスチャンを意味する






 ですから、イエスの右手の上にある「七つの星」また、「七つの会衆の使者たち」とは、七つの会衆の一部の成員を表しているわけではありません。



 「7つの金のランプ台」で表わされる七つの会衆とは、天的な希望を持つクリスチャンたちを組織を全体的に表現しています。(啓示1:12新世界訳改訂版)


 一方、イエスの右手の上にある「七つの星」と、「七つの会衆の使者たち」とは、男女を含む天的な希望を持つ個々のクリスチャンたちを表しています。(啓示1:20新世界訳改訂版)そして、イエスは、会衆の使いたちを通して、会衆の成員に語っているというよりは、会衆の使いたち自身に、音信を伝えているというのが正しいです。


0seven stars4
エスは右手の上の七つの星つまり七つの会衆の使いたちに対して音信を伝えられた
七つの会衆の使いたちとは天的な希望を持つ忠実また不忠実な男女のクリスチャン






(3)七つの会衆の使いたちは性別や長老であるかどうかにかからわずイエスに忠実であることが求められている



 しかしながら、七つの会衆の天的な希望を持つクリスチャンがすべて、天的な希望をとらえるのではありません。イエスは、「忠実」であるなら、神の王国に入ることができると約束されています。(啓示2:10新世界訳改訂版)ですから、男女にかかわらずイエスの指示に従って忠実を保つ天的な希望を持つクリスチャンだけが天的な希望を捕らえることができます。


 その点で、男性も女性もありません。パウロは、イエスの体を構成する成員としては、「男性も女性」も平等の立場にあると述べています。(ガラテア3:28新世界訳改訂版)そして、「家令に求められるのは,忠実であること」だと述べられています。(コリント第一4:2新世界訳改訂版)



 長老であること、男性であることが求められているのではありません。男女とも、第一にイエスに忠実であることが求められています。たとえ、男性であっても、長老であっても、イエスの命令と指示に不忠実ならば、神の王国に入ることはできません。ですから、大切なのはとりわけイエス・キリスト忠実であることです。


 このことを考えてみても、イエスがただ単に、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちだけを用いて通して、会衆の成員に音信を伝えたとは考えられません。イエスは、男女を含む聖霊で油そそがれたクリスチャンの個々の人に音信を与えたとみなすのが妥当です。


(4)エスはどんな聖霊で油そそがれたクリスチャンを否認されますか


 イエスの権威に逆らうならば、荒野でモーセの権威に逆らったイスラエル人のような経験をすることになるでしょう。では、イエスは啓示の書の中のアジア地区の七つの会衆にどのようなクリスチャンに敵対すると言われたでしょうか。


 それは、まず「初めの頃に抱いていた愛を失った 」者、「忠実であり続け」ることを死に直面してやめてしまう者です。(啓示2:4,10新世界訳改訂版)


 さらに、「偶像に犠牲として捧げられた物を食べ,性的に不道徳な行為をする 」者、「ニコラオ派の教えを固く守っている 人」です。(啓示2:14,15新世界訳改訂版)ですから、神の律法に違反する者は否認されるでしょう。さらに、個人に従うことを強調し過ぎて、神の言葉から離れてしまう者を否認されるでしょう。


     また、「性的に不道徳な行為をさせ,偶像に犠牲として捧げられた物を食べさせて」いる「あのイゼベルのような女性を容認している」者です。(啓示2:20新世界訳改訂版)さらに、「サタンの奥深い事柄」を 「知るように」なる者、すなわち、神の律法に違反する者です。 (啓示2:24新世界訳改訂版)


 また、「生きているといわれていますが,実は死んでい る」者、「行い」が「神から見て十分であるとは言えない」者、生ぬるく,熱くも冷たくもない」者など、すなわち、クリスチャンの責務に不熱心な者です。(啓示3:1,2,16新世界訳改訂版)


 以上のような神の律法を守らない者、愛を示す努力をしない者、クリスチャンの責務を果たすことをなおざりにする者たちは、イエスの権威に逆らっています。そのような者たちは、昔、モーセの権威に反逆した者たちになぞらえられます。


 昔神はモーセを用いて反逆者たちを裁かれました。同じようにイエスは、エホバの代表者として、以上のようなタイプのクリスチャンたちに対して敵対されます。


(5)エスはご自分に不忠実な天的な希望のクリスチャンにどのように敵対されますか


 モーセは神と自分の権威に不忠実であったイスラエル人に裁きを執行しました。では、イエスはご自分の権威に不忠実な天的な希望のクリスチャンにどのような形で敵対されるでしょうか。


   そのようなクリスチャンたちに対しては、イエスは、「ランプ台を取り去り 」、「口から出る長い剣 」で「戦い」、「病気にならせ 」、「姦淫をしている人たち 」を「大きな苦難に遭わせます。」また、「死に至る病気によって殺します 」(啓示2:5,16,22,23新世界訳改訂版)


   また、イエスが、「必ず泥棒のように来」る時に不意を打たれるでしょう。(啓示3:3新世界訳改訂版)また、イエスはそのようなクリスチャンを「口から吐き出」します。(啓示3:7新世界訳改訂版)


 すなわち、イエスは神の王国に入るという特権を不忠実なクリスチャンから奪います。さらに、聖書の言葉を用いてそれらのクリスチャンと戦います。さらに、それらのクリスチャンが霊的また身体的な病気にかかることを許されるかもしれません。


 さらに、「大きな苦難」に巻き込まれて命を失うようにされます。さらに、イエスが天で王になられる時に、不意を打たれ、準備ができていないために、やはり、神の王国に入ることができないでしょう。


 そして、このことは、昔、イスラエル人がモーセの権威に逆らった時に、さまざまな神からの裁きを受けたことになぞらえられます。ですから、モーセの権威に逆らった不忠実なイスラエル人が神の裁きを受けたことは、今日の不忠実な聖霊で油そそがれたクリスチャンが、イエスの権威に反逆するならば、イエスから神の王国の特権を奪われ、「大きな苦難」に遭わせられ、霊的・身体的な病気にかかるという形で、裁かれることを意味しています。


 基本的に、荒野でモーセの反逆して裁かれたイスラエル人の事例は、わたしたちが第一にイエス・キリストの権威に従わなければどんなことが起こるかを示しています。


 啓示の書は、イエスの権威に敵対する者たちが、荒野のモーセの権威を認めなかった者たちが、災いをこうむったように災いを経験し、命さえ失うことを述べています。ですから、エホバの証人の統治体の兄弟たちは、確かに神の言葉から語って神の律法に従うように勧めておられますから、その言葉に従わないなら、災いをこうむることもあるでしょう。


 しかしながら、第一の権威は、イエス・キリストにあります。ですから、他の天的な希望のクリスチャンや大群衆のクリスチャンが神の律法に従いながら、神の言葉に基づいて論じている場合、その人は、統治体と異なることを語っていても、イエスの言葉に従っていれば、神とイエスの不興をこうむって、神とイエスの是認を失うと言うことはありません。



0bible8

エスはみ言葉聖書によって語られ権威を行使されます


0seven stars3
統治体と論じていてもイエスの権威に従って聖書から論じていればイエスの是認を失うことはありません

 






イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1-1)モーセの権威を持っているのは統治体ですかそれともイエス・キリストですか

  エホバの証人の統治体は、大会でも、ものみの塔の研究記事の中でも、ご自分たちの権威を強調なさいます。そのことを裏付ける聖書的な根拠として、荒野でイスラエル人を導いていたモーセとアロンの権威に逆らった一部のイスラエル人が、神罰で命を失ったことを挙げます。(民数記31:31-35)


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昔反逆者を裁いたモーセの権威は誰の権威を表していましたか





 ご自分たちの権威は、その当時のモーセとアロンの権威を表していると考えておられます。そのために、ご自分たちの権威に逆らうならば、エホバ神の不興をこうむり裁かれることになると主張しておられます。


 では、その当時、荒野で起きた一部のイスラエル人の反逆に対するエホバの対応は何を予示していたのでしょうか。わたしたちは、そのことから、どのような教訓を得られるのでしょうか。今回、シリーズで考えてみます。


 最初は、エホバの証人の統治体の兄弟たちが持たれる権威は、゜荒野で反逆したイスラエル人を裁いたモーセが持っていた権威と同じ権威を持っていると言えるかという点を検討したいと思います。



(1)権威を持つモーセが表していた方はイエス・キリスト


 モーセの権威は誰の権威を表していたのでしょうか。申命記の中では、モーセのような預言者を立てることが預言されていました。神はそのモーセのような預言者がエホバの「名によって話す」言葉に「従わない人に責任を問う」と言われました。(申命記18:18,19新世界訳改訂版)


 不従順のために責任を問われたクリスチャンは、命を失うことになるでしょう。それで、エホバ神は、モーセのような預言者に民の従順を求める権威を与えることを予告されていました。


 モーセのような預言者とは誰でしょうか。それは、イエス・キリストです。モーセは古い契約の仲介者であり、イエス・キリストは、「新しい契約の仲介者」です。(ヘブライ9:15新世界訳改訂版)ですから、モーセのような権威を与えられているのは、イエス・キリストご自身です。


0moses2
古い契約の仲介者モーセのように権威のある預言者とは・・・

0jesus new covenant
新しい契約の仲介者であるイエス・キリスト





 エスはクリスチャン「会衆という体の頭としての立場にあります。(エフェソス5:23新世界訳改訂版)ですから、わたしたち、とりわけ、天的な希望を持つクリスチャンたちが、第一に従わなければならないのは、一部の天的な希望を持つクリスチャンたちに対してではありません。イエス・キリストご自身に第一に従わなければなりません。


(2)荒野のイスラエル人は新しい契約に入る霊的なイスラエル人を表していた


 では、荒野にいたイスラエル人は、将来のどんな実体を表していたのでしょうか。イスラエル人は、シナイ山モーセの律法契約、いわゆる古い契約を与えられました。イスラエル国家は肉のイスラエル人で構成されていました。そして、イスラエル人は、その当時神と古い契約を結んでいました。



 そして、イエス・キリストは、新しい契約の仲介者になられました。(ヘブライ9:15新世界訳改訂版)新しい契約を神と結ぶ民とは、イエスを仲介者として神の王国に入る希望を持つ多国籍のクリスチャンたちです。(ルカ22:20)


 それで、荒野にいた古い契約に入っていたイスラエル人が表していたのは、イエス・キリストの到来後、新しい契約に入る天的な希望を持つクリスチャンたちを表していました。


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古い契約であるモーセの律法契約に入った肉のイスラエル人は・・・

0jesus is at the right hand of god
上記はイメージ画像
エスを仲介者としてエホバと結ばれる新しい契約に入った多国籍のクリスチャンを表す





 ですから、今日の天的な希望を持つクリスチャンと地的な希望を持つ大群衆が第一に従わなければならないのは、特定の聖霊で油そそがれたクリスチャンではありません。昔のイスラエル人がモーセの権威に従わなければならなかったことは、とりわけ、天的な希望を持つクリスチャンたちが、イエス・キリストの権威に従わなければならないことを意味しています。


0heavenly kingdom
新しい契約に入るクリスチャンたちはまず第一に人間ではなくイエス・キリストの権威に従わなければならない

 

 

 ですから、反逆者を裁いたモーセによって表わされていたのは、イエス・キリストです。エホバの証人の統治体が、モーセによって予示されていたのではありません。

 

 

 エホバの証人の統治体の兄弟たちも、霊的なイスラエル人に含まれています。ですから、荒野でモーセの権威に逆らって裁かれたイスラエル人のようにならないように、気をつけなければならない立場にあります。



 エホバの証人の統治体の兄弟たちを含めて天的な希望を持つクリスチャンたちは、イエス・キリストの権威に第一に従わなければならず、イエスの権威に反逆するならば、荒野のモーセの権威に逆らったと同じことが起きることになります。イエスモーセのような預言者だからです。

 

 それで、次回は、わたしたちが霊的なイスラエル人としてイエス・キリストに裁かれてしまわないようにどんな点に気を付けなければならないかを検討したいと思います。

 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(33)イエスの兄弟たちは力ある業を行っていても不法を避けなければならない

(1)真正な油そそがれたクリスチャンには不法を避けていることが求められる


 エホバ神の真の崇拝者である真正な油そそがれたクリスチャンの場合は、そのクリスチャンが「不法」つまり、「罪」を退けていることが必要です。(ヨハネ第一3:4)


 現代は、聖書に対する信仰や信頼が弱くなっています。また、聖書の神とその律法を無視して、自由に生きたいと願う人も数多くいます。また、聖書が述べる事、聖書の預言が気に入らないという人も多いです。ですから、人々は聖書が広められることを気に入らないかもしれません。しかし、一般の人々に不人気であったとしても、不法、つまり罪を退けることを唱道することが求められます。


 つまり、淫行、殺人、偶像崇拝、心霊術、悪魔崇拝、盗み、飲酒などの神の律法に違反する業を断固として退ける努力を払うことが必要です。(啓示21:8)また、そのことが神から求められていることを人々に教えることが必要です。


 ある人がエホバ神の選ばれた者であり、イエスの霊的な兄弟であると主張していても、その人が婚前交渉、不倫、同性愛などの性の不道徳や殺人や流血、また、偶像崇拝を行っていれば、その人は、エホバ神から是認されている油そそがれたクリスチャンではありません。聖書は「偽キリスト」が存在すると述べています。(マタイ24:24新世界訳改訂版)

 

 

不倫などの性の不道徳などの罪を犯すならその油そそがれた者はイエスから退けられてしまう

 



 最初に述べたように、わたしヨハネは、神の律法に違反することは避けるように努力を払っています。エホバ神とイエス・キリストに是認されるように性の不道徳や偶像崇拝、心霊術、悪魔崇拝などの神の律法違反に陥らないように努力を払っています。


 聖書の預言は、エホバ神の律法と結びついています。世界で、災いとなるある出来事が起きることになる原因のひとつは、政治指導者たちや宗教指導者たちや一般の人々が、神の律法に違反するために起きます。ですから、聖書中にある否定的な災いは、神の律法「違犯」のために起きます。(ダニエル8:13)そのためにも、エホバ神に是認される聖霊で油そそがれたクリスチャンは神の律法の遵守が求められます。



(6)強力な行いやしるしがイエスの是認を証明するか


 油そそがれたクリスチャンが行なう強力な行いやしるしには、さまざまな種類のものがあると思います。それは、はなばなしいもので、人々の注意を引くものかもしれません。そして、聖書によるとそれは、多くの人々を死に至らせたり、あたかも天から火を降らせたりというような種類の人々の注目を集める出来事かもしれません。(啓示13:11-13)


 しかし、多くの人々の注目を集めること自体が、エホバ神の是認を証明しません。キリスト教会が是認している奇跡の中には、非常に大勢の人が目撃した奇跡などもあります。カトリック教会が公認しているようなファティマの聖母の奇跡などのように大勢の人が見た奇跡もあります。けれども、こうした奇跡は大勢の人々に目撃されたとしても、それ自体が聖書の神の後ろ盾を証明するものとはなりません。


 さらに、聖書は悪魔が天から火を下らせることができることを示しています。(ヨブ1:16)子羊のような二本の角のある野獣は、「大きな奇跡を行い,人類の前で火を天から地に降らせることさえする。」と預言されています。(啓示13:13)しかし、 その野獣は、「偽預言者」と呼ばれます。(啓示19:20)


  ですから、その業が人目を引くものであっても、人々の命を奪ったり、世界の環境を破壊したりというものであれば、それは、聖書の神の是認を得ているとは言えません。


 しかしながら、それらの油そそがれたクリスチャンによって行われる行いが人々を助けるものであったり、信仰の仲間や一般の人々に対する愛や親切を表わすものである時、それは確かに、それがイエスの是認を得ていることを示すものにはなり得ます。イエスは、ご自分の弟子たちに、仲間同士愛し合うように、また、他のすべての人に良いことを行うことを奨励されたからです。(ヨハネ18:34。テサロニケ第一5:15)


 そして、良い木か悪い木であるかどうかは、その生じる実によって見分けられるとイエスは言われました。(マタイ7:17,18)ですから、ある油そそがれたクリスチャン、あるいはあるキリスト教の組織が行なっていることが、愛や親切や平和を産み出している時、それは、エホバ神とイエスの是認を得ていることを示すかもしれません。


 しかしながら、そうした良い行いをする時に、上記で指摘したような神の律法違反を伴うことのないように努力する必要があります。例え、良い行いや「多くの強力な行い」をしていても、「不法」を働いているならば、否認される場合があると言われました。(マタイ7:21-23)ですから、良い行いをしている人たちが、神の律法に「故意に」繰り返し違反しているならば、エホバ神の是認が得られているとは言えません。(ヘブライ10:16) 


 でも、わたしたち人間は弱く不完全な罪人なので、誰もが罪を犯します。(ローマ3:23)故意に繰り返し行われる罪でない罪は、イエスの贖いの犠牲に頼って、エホバ神に罪の許しをお願いし、神とイエス・キリストに是認された状態を保つ必要があります。


 ですから、この記事では、奇跡は真正な油そそがれたクリスチャンであることを証明するものとはならないということを説明しました。ある個人、あるいはキリスト教のグループが行なう強力な行いに関しては、識別力を働かせて、判断する必要があります。


 その奇跡に見える業や力ある業が、まことの神とイエス・キリストの是認を得ているかどうかは、さまざまな条件を満たしている必要があります。その業が単に「強力な行い」であるだけでなく神の律法に調和して行われていることが求められています。

 

 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(33)イエスの霊的な兄弟たちは奇跡では判断できない

神に是認される油そそがれたクリスチャンを見分けることは必要なことです。なぜなら、先回の記事にあるように聖書の中に示されているエホバ神やイエス・キリストの感じ方や言葉を考えると、天的な希望を持つことを表明するイエスの霊的な兄弟たちにふさわしい敬意を払った方がいいと思います。


0christian taking emblems
表象物にあずかり天的希望を表明するクリスチャンにふさわしい敬意を表すのが正しい

 

 



  彼らに親切に協力するかどうかで、将来永遠の命を受けるか永遠の死を受けるかが決まるからです。(マタイ24:45,46)




イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(27)目立たない油そそがれたクリスチャンに親切にするかどうかで永遠の命かどうかが分けられる


  わたしヨハネの場合、わたしにかかわるビジネスに巻き込まれているために、奇跡を行っているとみなされる可能性があると思います。しかしながら、それは、悪魔サタンや悪霊による奇跡ではないと思います。


 わたしは、魔術やオカルトに関係した物品を持ってはいませんし、心霊術者や霊媒に相談に行ったりして、悪魔崇拝や悪霊崇拝に関わることは避けています。(使徒19:19。レビ19:31)また、偶像崇拝は避けています。 (コリント第一6:9,10)エホバ神ではなく、死者を崇拝することもしません。(伝道の書9:5)


 ですから、ヨハネに関わるビジネスは、心霊術に伴う奇跡ではありません。わたしはこれがどのようにして行われるのか十分理解していませんが、何らかの最新現代科学が関係しているのではないかと思います。


 今回の記事では、神とイエスに是認される油そそがれたクリスチャンを彼らが行なう奇跡や強力な業では判断できない事について説明したいと思います。


(1)エスや初期クリスチャンたちは奇跡を行えた


 一世紀には、エホバ神はある神の僕をご自分が是認されていることを聖霊によるさまざまな奇跡しるしで確証を与えられました。エホバ神は背後でイエスをさまざまな仕方で支援されました。(ヘブライ2:4)エホバ神は天からの言葉でイエスがご自分の子であることを語られたこともありました。(マタイ3:17)また、イエスが神の子であり、メシアであることを、さまざまな奇跡としるし与えて人々に示されました。(ヨハネ1:32-34;20:30使徒10:38)



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エホバ神はイエスが神の子であることを証しするために多くの奇跡を行う力を与えた




 エスの奇跡やしるしを見た人は、神の後ろ盾のある人でなければ、そのようなことを行えないと判断しました。(ヨハネ3:2;9:30-33)


 さらに、イエス十二使徒たちに病気の人をいやしたり、死者を復活させたり、悪霊を追い出す権威を与えました。(ルカ3:14,15。マタイ10:8)また、イエス七十人の弟子たちにも、いやしや悪霊たちを制御する権威を与えたことが記されています。(ルカ10:8,9,19)


 例えば使徒ペテロは病気で死んだドルカスをよみがえらせました。(使徒9:36-41)また他に、使徒パウロも奇跡を行えました。(ヘブライ2:4使徒4:16;5:12;14:3;15: 12。コリント第二12:12)




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エホバ神はペテロにドルカスをよみがえらせる力を与えてクリスチャンたちに対するご自分の支持を示された






 そのようにして、エホバ神は、彼らに与えた奇跡やしるしによって、イエスの弟子たちがエホバ神の是認と後ろ盾を得ていることの証明をされました。


(2)エホバ神が奇跡を行う力をイエスやイエスの弟子たちに与えたのはなぜか 


 エホバ神がそのような奇跡を行う力をイエスやイエスの弟子たちに与えたのはなぜでしょうか。それまで、エホバ神はモーセの律法下にいた肉のイスラエル国民との契約関係を尊重しておられました。けれども、イスラエル国民は、背後に神がおられる証拠を豊富に示したイエスを殺害しました。(マタイ27:25,26)また、イエスの弟子たちのある者たちを殺害しました。(マタイ23:37,38ヨハネ19:7)そのようにして、イスラエル国民はエホバ神を退けました。

 



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イスラエル人はモーセの律法契約という神との古い契約に入った



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イスラエル人は神の子イエスを殺したため神との契約関係を失った




 そのために、神と肉のイスラエル人の間の契約で合ったモーセの律法契約は破棄されました。代わりに、イエスを仲介者とする新しい契約が神とイエスの弟子たちの間で成立することになりました。(エレミヤ31:31,32)それで、エホバ神は、その大きな変化をイエスと彼の弟子たちにさまざまな奇跡を行わせることにより、確証を与えられました。 




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古い契約は神とイエスの弟子たちの新しい契約に変えられた
    神はこの大きな変化を奇跡によって確証された




 奇跡やしるしがその当時、必要であった理由は他にもあります。一世紀当初は、まだ聖書全体が完成していませんでした。また当時は、聖書は希少な本で、みんなが十分手に入れることも難しく、また、科学も考古学も発達していないという状況でした。


 そのために、イエスの弟子たちが効果的に宣教を行うために、彼らが奇跡を行えることが必要でした。


 さらに、時間の経過と共に、奇跡的な聖霊の賜物は必要がなくなってきていました。ユダヤ教の体制から、キリスト教の体制へと移り変わったことは、イエスと初期クリスチャンに与えられていたしるしによって十分証明されたからです。 そして、イエスから奇跡を行う力と権威を与えられた弟子たちの死と共に、奇跡の賜物は、過ぎ去っていきました。


 それで、聖霊による奇跡は過ぎ去ることが予告されていました。(コリント第一13:8-11)そのために、誰が本当に聖霊で油そそがれたクリスチャンであり、エホバ神の後ろ盾を得ているかは、一世紀のように誰かが行なう奇跡で判断することは基本的にできなくなりました。


 そして、今日、エホバ神とイエス・キリストがご自分の是認される僕にどんなことを求められているかは、今まで出した記事でご説明しました。


イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(31)勘違いで表象物にあずかると証人から排斥されてコラのようにエホバから裁かれるというのは正しいか 

 




(3)奇跡やしるしや強力な業は偽預言者も行えることになっている


 今日、誰が神に是認された油そそがれたクリスチャンであるか判断する方法は一世紀と異なります。必ずしもそのクリスチャンが行なうしるしや異兆や不思議によって判断できないことを聖書は示しています。


   イエスはご自分の名によって「預言し,・・・邪悪な天使たちを追い出し,・・・多くの強力な行い」をする人々を否認される場合があると言われました。(マタイ7:21-23)預言や悪霊を追い出すこと、多くの強力な行いは神に喜ばれるように見えるのに、このイエスの言葉は不思議です。


 イエスは、そのようにしたある者たちに対して「法なことをする人たち,離れ去りなさい」と言われます。(マタイ7:22,23新世界訳改訂版このことは、真正な油そそがれたクリスチャンの場合は、「不法」つまり、「罪」を犯すことを退けている必要があることを示しています。(ヨハネ第一3:4)


   さらに、イエスは「偽キリスト」や「偽預言者」が、「大きな奇跡不思議なことを行う」とも言われました。(マタイ24:24新世界訳改訂版)ですから、神に本当に是認された聖霊で油そそがれたクリスチャンを奇跡や不思議を行なうことによっても見分けられないことが分かります。


 パウロは「不法の者」に関して、「サタンの力によって,あらゆる強力な行い偽りの奇跡不思議なことを見せ」ると述べられています。(テサロニケ第二2:10。マタイ7:23新世界訳改訂版)この聖句からも、人目を引くような「強力な行い」や「奇跡」や「不思議なこと」を見せることだけが、真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンを証明するものとはならないということが分かります。


 なぜなら、その奇跡や不思議なことや強力な業は、「サタンの力によって」行われる場合があるからです。


(3)神の僕だけでなく悪魔サタンと悪霊たちも人々に奇跡を行わせることができる

  実際、昔から奇跡だけでは、それがまことの神エホバの崇拝であるかどうかを見分けることはできませんでした。


 悪魔サタンや悪霊たちは、エホバ神と同じように自分たちの崇拝者たちに奇跡を行わせることができます。例えば、イスラエル人がエジプトにいた時、モーセは、エホバ神の後ろ盾により、さまざまな奇跡を行いました。モーセは杖を投げて、蛇に変えることができました。(出エジプト4:1-5)しかし、エジプトにいた魔術師たちも、同じことができました。(出エジプト7:10-12)杖を投げて蛇に変えることができたのです。


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エジプトの魔術師たちもモーセと同じく杖を蛇に変えることができた







 魔術師たちは、モーセには決してかないませんでしたが、さまざまな奇跡を行うことができました。ですから、悪霊たちも自分の崇拝者たちに奇跡やしるしを行わせることができたのです。


 一世紀にもシモンという人は、魔術によって「注目」を集めるような大きな事を行なっていましたが、それはイエスの是認を得てはいませんでした。(使徒8:9-11;18-24)当然、魔術を行うことによって神とイエスの是認を証明することはできません。


 聖書は、占いなどを含む心霊術や魔術も神の王国を授けられることのできない業であると述べています。(ガラテア5:19-21)なぜなら、それらは、悪魔サタンと悪霊たちによって行われているからです。



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占いや魔術などの心霊術の背後には悪魔サタンと悪霊たちが存在する

悪魔サタンと悪霊たちも自分たちの崇拝者たちに奇跡を行わせることができる

 

 




 ですから、エホバ神は、ご自分の力によって奇跡を行わせることができますが、悪魔サタンも悪霊も自分の崇拝者たちにさまざまな奇跡を行わせることができるのです。ですから、エホバ神は、ご自分に対する真の崇拝を奇跡によって証明することはやめられました。


(4)今日奇跡やしるしが必要でない理由


 一世紀の末に聖書全体は完成したので、それ以上に奇跡的に神からの音信を付け加えることも取り去ることもしてはいけなくなりました。(啓示22:18,19)それ以降、後世のイエスの弟子たちは、すでに完成した聖書を研究することによって、聖書の正確な知識を探求できました。それで、奇跡的に神からの音信や預言が与えられる必要性はなくなりました。聖書の写本を参照すれば良かったのです。


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 一世紀の末に聖書が完成したのでもう奇跡的な音信を付け加える必要がなくなった





 また、初期クリスチャンの熱心な宣教によって、ある程度聖書から離れていましたが、キリスト教ローマ帝国の国教とされました。さらに、ローマ帝国キリスト教の団体は、熱心にローマ帝国の外に宣教活動を推し進めて、キリスト教を普及させていきました。それは、人々がキリスト教と聖書に親しむ機会を与えました。


 そして、現代は、とりわけ、聖書は身近なものになっています。聖書は膨大な数全世界で頒布されています。無料で聖書を手に入れる人も多いです。また、ネットには無料のオンラインの聖書があり、IT検索ツールなどがあるので、ネット上で聖書を読むことができます。また、望めば、お金を払って書店やネットで紙製の聖書を手に入れられます。


 また、ネットを用いて、聖書が歴史的に真実な記録であることを裏付ける豊富な情報に接することができます。それらは、奇跡的な助けの代替手段になっています。


 また、現代医学の進歩や、物流の改善によって、医療や薬や薬用植物などを手近に利用できるようになっているので、いやしなどの奇跡の代替手段になっていると思います。病気になっても、奇跡的ないやしに頼るのではなく、神に知恵を祈り求めて、病気の治療のための実際的な方策を講ずることができます。


 ですから、エホバ神はイエスや初期クリスチャンに奇跡を行う力を与えて、その後ろ盾となられましたが、聖書は偽キリストや偽預言者も奇跡を行えることを示しています。また、悪魔サタンや悪霊たちも彼らの崇拝者たちに奇跡を行わせることができるため、今日、エホバに是認される油そそがれたクリスチャンをその奇跡によって見分けることはできません。また、今日、奇跡はその代替になるものがあるために、奇跡は必要がなくなっています。