ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

昭和天皇はご自分のもとで行われた太平洋戦争に対し深い悔恨と反省の念を抱いておられた

(1)昭和天皇のもとで行われた戦争


 1928年に昭和天皇の即位の後、31年に満州事変、37年に日中戦争41年に太平洋戦争が行われました。天皇は軍部に押し切られた感もありますが、天皇が最高権力を持っていたので、日本がさまざまな戦争を行なってきたことにある程度責任もあったと思います。

 

 

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昭和天皇のもとで多くの戦争が行われましたが昭和天皇は深い悔恨の念を抱いておられた





 

 

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大日本帝国陸軍憲兵
戦前は日本の軍隊が権力を振るっていました





 

 とりわけ太平洋戦争前は、昭和天皇が戦争推進派の東条英機に内閣を作るように命じたのは、致命的な間違いでした。


 その結果、とりわけ、太平洋戦争は日本に壊滅的な結果をもたらしました。ですから、天皇制は日本にとってかなり悪い結果となった部分もありました。神道には、戦争を避けて平和を追い求めるという概念がなかったからです。


 明治、大正、昭和を通じて、日本はできるだけ諸国家間の紛争に中立と平和を保っていたら良かったと思います。しかし、日本はその当時帝国主義、また軍国主義でした。そして、日本の影響力を海外に拡大しようと考えており、とりわけ大勢の東アジアの人々の命を犠牲にして多大の流血を行ないました。それは、とても悪い事でした。それは、日本の天皇制と、古事記日本書紀のような神話と伝説を日本人が信じていたので刈り取った結果でした。




   それは、幾つかのヨーロッパ諸国がキリスト教の倫理観に影響されて戦争に中立の立場を保ったのとは、対照的でした。そして、それらの諸国家は、平和を保ったために、戦後比較的に苦労することなく、経済的な繁栄を享受しました。それらの諸国家は平和の産み出す実を享受したと言えます。


(2)戦後軍部に押し切られて戦争の惨禍をもたらしたことに強い悔恨を抱いたおられた昭和天皇



  昭和天皇は、実際は平和を望んでおられ、戦争を推進したいと願っていませんでしたが、戦時中にとりわけ、中国にいた関東軍などの軍部が戦争を勝手に推し進めてしまい、天皇はそれを押さえることができなかったということは、よく言われることです。実際、そのことは、戦後、軍部の関係者も認めています。しかし、そのことを昭和天皇自らそのように語っておられたことを、NHKが特集し、2019年に『昭和天皇「拝謁記」-戦争への悔恨-』という番組で放映しました。


 それは、
初代宮内庁長官田島道治が5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」に基づいています。その記述から、昭和天皇は田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現し、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことがわかりました。


 さらに、昭和天皇は、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望しておられました。当時の吉田茂総理大臣の反対で、昭和天皇が戦争に対する深い悔恨の念を抱いておられたことを示す一節が削られていたことがわかりました。その時、昭和天皇が国民の前で表明したいと願っておられたのは、次のようなお言葉です。




 「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」


 それで、昭和天皇は、平和をもたらしたいと願いもあったにもかかわらず、戦前の情勢に巻き込まれて、太平洋戦争をもたらして日本に甚大な被害をもたらしてしまったことを、個人的に強く反省し、その後悔の念のために穏やかな気持ちで食事をしたり、休んだりすることもままならなかったと述べておられます。ですから、昭和天皇は、ご自分の責任を痛感しておられたことが分かります。

  

  結局、昭和天皇日中戦争・太平洋戦争の渦中におられた方ですから、事情を一番ご存知でした。それで、なぜ、日本が敗戦という悲惨な結果を刈り取ったのか過去を振り返って深く考え苦しまれていたということが分かります。

 

 
 その当時、満州の日本軍の関東軍は本土の政府の意向を無視して勝手に行動していました。1928に中国の満州関東軍司令官は満州軍閥張作霖が邪魔になり、暗殺を計画しました。司令官の部下は張が乗っている列車ごと爆破して殺害し、そのことを中国側のせいにしようとしました。日本政府が、犯人の軍人たちを、きびしく罰しなかったせいで、のちに軍部は政府や議会のいうことを聞かなくなっていきました。

 

 

 昭和天皇は、事件をあいまいに処理しようとした当時の田中義一総理大臣を叱責しましたが、首謀者が停職になるという軽い処罰で終わり、田中内閣は総辞職しました。その後、関東軍は同種の企てを行い満州鉄道を爆破して、中国側のせいにするというあくどいやり方を再びしました。

 

 

 張作霖事件の3年後、張作霖爆殺事件の現場から、わずか数キロの地点で関東軍満州鉄道の爆破事件を起こしました。張作霖事件の関係者の関東軍の後任は、これを中国の北軍による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移りました。戦後のGHQの調査などによっても、本事件は関東軍首謀し、軍事行動の口火とするため自ら行った陰謀だったことが分かっています。

 

 

       そして、関東軍は、奉天などの都市を占領し支配下におきました。 そして1932年に、日本軍は溥儀を擁立して満州国の建国を宣言しました。そして、満州事変は全面的な日中戦争へと拡大していきました。それで、日本が太平洋戦争につき進むことになったのは、満州事変が発端になっています。

 

 

 それで内地の政府は最初は不拡大方針でしたが、関東軍は、内地の政府の方針を無視して、独断で行動していました。しかし、後になって、内地の政府も関東軍の行動を追認し、また、閣議で派兵を決定し、関東軍と協力して日中戦争に突き進む結果になりました。

 

 

 「拝謁記」の中で、昭和天皇は軍が勝手に動く様を「下剋上」と表現して繰り返し批判したと記載され、この張作霖の殺害事件を十分処罰しなかったことが発端と考えて深く後悔しておられたことが分かります。

 

 

 昭和27年5月30日の拝謁では「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ。田中内閣の時ニ張作霖爆死を厳罰ニすればよかつたのだ。」また、昭和26年6月8日の拝謁では「張作霖事件のさばき方が不徹底であつた事が今日(こんにち)の敗戦ニ至る禍根の抑々(そもそも)の発端」などと繰り返し事件に触れて当時の対応を悔やんでおられたのことです。田島長官は「御信念より相当繰り返し御主張ニなる」と記しています。 

 


 また、戦前の軍部の暴走を物語る事件として、昭和11年の陸軍の青年将校たちが起こしたクーデターである「2・26事件」は有名です。昭和25年11月7日の拝謁で、昭和天皇は「青年将校ハ私をかつぐけれど私の真意を少しも尊重しないむしろありもせぬ事をいつて彼是(かれこれ)極端な説をなすものだ」と振り返ったと記されています。昭和天皇は厳罰にするよう指示し、反乱は鎮圧されましたが、天皇の意志を無視した軍部の勝手な行動はエスカレートしていきました。


  さらに、拝謁記によると、昭和天皇は「東條が唯一の陸軍を抑え得る人間と思つて内閣を作らしたのだ。勿論(もちろん)見込み違いをしたといえばその通りだが」と振り返り、昭和26年12月14日の拝謁では「平和を念じながら止められなかった」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」と述べられたということです。

 


  わたしは昭和天皇が中国の関東軍関東軍参謀長に就任し、北方のソ連と南方の英米との双方に対する戦争を推進していることが知られていた東條英機に内閣を作らせたのは、昭和天皇が太平洋戦争を引き起こすセッティングをしたようなものだと考えていました。でも、昭和天皇は必ずしも、戦争を始めようという意図はなく、軍部を抑えようと意図があったことが分かります。

 

 

日本語: 昭和16年

October 18th, 1941

原典 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/img/1380514663.jpg

昭和天皇が戦争推進派の東条英機に内閣を作らせ軍部を抑えて平和を作ろうと考えたのは致命的な間違いでした

 

 


昭和天皇は日米開戦を決めた御前会議の時にも平和努力をするようにと言われてその天皇の意向は他の人々に確証されている

 



 しかし、昭和天皇が平和を願ったのであれば、東條英機を登用するのは全くのミスキャストで、昭和天皇の判断に間違いがありました。しかし、結局、人は完全に正しい判断と行動はできないものです。


 また、昭和天皇は、
南京事件」に言及されました。南京事件とは、1937年昭和12年)12月日本軍中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、日本軍中国軍捕虜、敗残兵、一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件のことです。

 

 

 

 

 この中で昭和天皇は「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋(そのすじ)でないものからウス/\(うすうす)聞いてはゐたが別ニ表だつて誰もいはず従つて私は此事(このこと)を注意もしなかつたが、市ケ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい。私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と述べたと記されています。


 それで、驚いてしまうのは、一国の長であり、日本軍の総責任者である昭和天皇が、南京事件の真相について少ししか知らなかったということです。それで、当時の日本は、当時の政治的な責任者であった天皇に十分の情報を知らせませんでした。さらに、確かに、昭和天皇が責任者でしたが、軍部が暴走することがこの時にも起きていたということです。



 もちろん、政治的に上に立つ人は、国民に起きていること、また配下にある人々がどのような状況なのか実情を徹底的に知るように努める必要があります。


 聖書は、「あなたは自分の羊の群れの様子をはっきり知っておくべきである。」と述べ、上に立つ人が配下の世話をすべき人々の状況をはっきり把握する必要があると述べています。(箴言27:23)

 それで、日本では、天皇に対する崇敬の気持ちは強いです。しかしながら、戦後、
昭和天皇人間宣言をされ、ご自分が現人神でないことを認められました。そのことにも調和して、天皇は戦時中のご自分の判断や行動に間違いがあったことを痛感しておられて、とりわけ日本を日中戦争や太平洋戦争に巻き込んでしまったことに深い悔恨の念を抱いておられました。やはり、人であれば、誰でも、間違いは避けられません。

 そして、昭和天皇は二度と戦争を推進する人々に勝手にやらせることによって、戦争を繰り返したくないと願っておられました。

 



(3)戦後諸国家への親善大使としての役割を果たしてこられた天皇一族


 
しかしながら、天皇家は、何百年ものあいだ日本の支配階級にあり、日本のために尽くしてこられ、尊ばれたきたのですから、その事実は認められると思います。そして、戦後は、諸国家への親善大使としての役割を果たして下さっています。


 日本で歴史的に政治支配者の立場の家系にあった人々がある意味日本の代表者として諸外国と平和を促進する業務を行われるというのはふさわしいと思います。また、先祖がした過ちを今の天皇家が謝罪をするのはふさわしいのではないかと思います。


 

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1960年昭和35年) 日米修好100周年記念晩餐会にて アイゼンハワー大統領夫妻とワシントンD.C.ホワイトハウスにて
今の天皇は外国との親善大使として働いてくださっています






(4)政治指導者に敬意を払うのは正しいが悪い事でも盲従して崇拝するのは間違い


   聖書は、政治支配者に「誉れ」を帰すようにと勧めています。(ローマ13:7)確かに、為政者は大抵の場合、臣民の益を考えて労を払っているのですから、敬意に値します。しかし、聖書は支配者を崇拝することは正しくないと述べています。




 聖書は国家を野獣に例えることがあります。そして、野獣などの動物が「理性がない」と述べています。(ペテロ第二2:12)人間政府の多くは、歴史を通して理性のない野獣のように戦争や流血を行なってきました。




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政府が理性のない動物のように振る舞うことがあるので聖書は政府を動物に例えることもあります



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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
支配者に敬意を払うのは正しいのですが崇拝を捧げないように気をつける必要があります





 そして、支配者が流血や殺人をするよう要求する時、それに盲従するのは、聖書のいう野獣の崇拝ということになります。(啓示13:4)エホバ神はそのことを不興を示され、野獣に対する崇拝に反対されています。人間の命は神の目に貴重なものだからです。(創世記9:7)






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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
兵士として戦い人殺しをするのは政府に対する盲従であり野獣の崇拝です





 聖書はすべての人が罪人であると述べています。(ローマ5:12)ですから、単なる人間を崇拝することを奨励するのは正しくありません。罪人であるという点では、天皇も例外ではありません。それで、昭和天皇も戦前に間違った判断をなさったのです。また、すべての人が罪を犯す者なのですから、天皇の神の律法に反する命令に従って命を捨てるということは誰にも強制されるべきものではありません。




 天皇家自体が古事記が歴史的な記録としては信頼できない部分があることを認めておられます。それで、天皇を神とみなしたり、あるいは神の子孫として過度の不当な誉れを帰すのは真理にそぐわないでしょう。


(5)私たちの崇拝に値するエホバ神


 

 

 聖書は、わたしたちにまず第一に創造者エホバ神を愛するようにと命じています。(マタイ22:37,38)エホバ神は、創造者であり、絶対の愛の神です。(イザヤ42:5ヨハネ第一4:8)この方は、私たちの命の源であり、世界のすべての良い物を備えて下さった方ですから、私たちが命を犠牲にするのに値する方です。(詩編36:9)

 





  

 

 

エホバ神は光の神

 

 

 

 




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Takeaway

エホバ神は万物の創造者である愛の神

わたしたちの崇拝に値する唯一の方




 

 

 

 

 エホバ神はわたしたちのために非常に多くのことをしてくださいました。キリストの贖いの犠牲を備えて人類が永遠の命を得られるようにとりはからってくださいました。(ヨハネ3:16)そして、聖書の中に、人類を幸福に導くための知恵の言葉を含めて下さいました。そして、この方のために、命を犠牲にすることがあっても、エホバ神は、わたしたちを復活させて命を再び与えることができます。(使徒24:15。啓示20:4)


 

 日本は戦前は、事実に基づかない神話や伝説に影響されていたので、国土が荒廃するという結果を刈り取ってしまったと言えると思います。



 私たちは、エホバを恐れて崇拝し、神の律法を守り、偶像崇拝や流血や殺人を避けるようにしましょう。天皇などの政治指導者に敬意を払うとしても、神の律法に反する流血を強制されるとすれば、それに盲従することは避けましょう。結局、良心的な政治指導者であったも、間違いは避けられないのです。敬意を払うとしても、殺人を犯すことなど、政治指導者に盲従することは避けましょう。