ヨハネのブログー聖書の預言と希望

主に私たちの将来に希望を与える聖書の預言を説明しています

子羊のような2本の角がある野獣である北の王がイランとトルコの連合国になる可能性について検討する

 


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 啓示13章によると、子羊のような2本の角がある野獣、すなわち、北の王は、2本の角を持っているので、2つの国の連合国になる可能性があります。この記事では、中東のどの国々が、連合国の北の王となり得るかを検討してみたいと思います。
 
 
 
​(1)トルコとはどんな国か​
 
 
 
 イラン以外に、もうひとつ北の王になる可能性があるように思われるトルコについて調べてみます。
 
 
 一応、イランとトルコが北の王として、イラン・トルコ二重帝国を形成する可能性を検討してみます。トルコは、基本的にイスラム教国です。イランは、おおむねシーア派で、トルコは、スンニ派ですが、現在、イランとトルコは比較的良好な関係にあります。
 
 
 
 


​​北の王になる可能性を持つトルコはどんな国ですか​​
 
 
 
 
 
 
 トルコのコンスタティノープルの大多数は、スンニ派ムスリムです。そして、コンスタティノープル総主教は6世紀以来、広く3億人の正教会信徒の指導者として見なされていました。ところが、現在は、トルコのイスタンブールが、ギリシャ正教会の本拠地というのは、まったくの名目上で 実質上はそうではなくなっています。
 
 
 
 さらに、トルコは現在、イスラム国ということになっていますが、トルコ政府は世俗主義をとっています。聖書は北の王が、あらゆる宗教を下に見て、イスラム教でさえ、軽んじることを予告しています。北の王は、「自分の父祖たちの神を無視」することが予告されています。(ダニエル11:37)その点では、トルコは北の王の特徴を備えています。
 
 
 
 
​(2)EUNATOが啓示13章の初めの野獣になりトルコが北の王になるのか​
 
 
 
 まもなく、トルコがEUに加わろうとしています。トルコが北の王になるのでしょうか。北の王になる条件の一つは、古代の四つの帝国の領土を支配する国家もしくは国際組織に属していることです。ですから、もし、EUに加わるということは、トルコに啓示13章の前半部分の描写が当てはまるということになります。



 しかし、トルコの貿易関係を調べてみましたが、トルコは「小さな国民」によって支援されて、成長して「強大」になっているようにも見えません。(ダニエル11:23)それで、ダニエル11章にある北の王の特徴は、トルコに当てはまりません。


 また、トルコが、米国に対する攻撃の先頭に立ち、成功するのでしょうか。しかし、現在のところ、トルコは親米国です。それで、現在のところ、トルコが米国に対する攻撃の先頭に立つとも、思えません。
 
 
 
 それで、現時点では、トルコは、預言的な北の王の特徴をすべて備えているとは言えません。でも、現在、表面上、そのように見えているだけで、よく状況を観察してみると、事情は違ったりするのかもしれません。
 
 
 
 それで、現在の状況では、トルコがEUに加わっても、EUは北の王をそのメンバーとしているはずの啓示13章の初めの野獣になっているとは断言できないようです。
 
 
 
 しかし、もし、万が一、イランがEUのメンバーになるようなことが起こるのであれば、イランが北の王で、EUが啓示13章の初めの野獣ということになるのかもしれません。そして、イランとトルコが2重連合王国になるのでしょうか。
 
 
 
 でも、基本、EUは、ヨーロッパ中心の地域をひとつの国家に結び合わせることを目指しています。トルコの場合は、昔からヨーロッパとのつながりが強かったですが、イランになると、完全に中東なので、EUに加わるようになる可能性はとても低いように見えます。





EUは啓示13章の初めの野獣に発展していくのかもしれません​​
 



 さらに、イランが、現在、米国やヨーロッパ諸国に受け入れられていないので、この点からも、イランがEUに含まれることになる可能性は低いと思われます。でも、物事はわたしたちの常識的な予想を裏切る展開になる可能性はあります。
 
 
 
 そして、イランとトルコが友好国であるとは言っても、ふたつの国家が、それも離れているふたつの国家がひとつになるということはほとんど起きないように思います。しかも、両国はイスラム教の派が異なります。しかし、どちらかがどちらかを攻撃して、征服して、ひとつの国家になるということは起こりやすいと思います。
 
 
 
 イランとトルコは、イスラム教の派が異なるので、両国関係がどのように発展していくかも見ていく必要があります。
 
 
 
 最初の北の王が、南の王に対する攻撃に成功し、二度目の攻撃には、敗北し、その後、キリスト教の本拠地を攻撃し、それに成功した後に、北の王の後継者が登場することになっています。その国家は、二つの国の連合国になる可能性があります。
 
 
 
 しかしながら、トルコが必ずしも、イランと二重王国になるという確証はなく、別の国家が、北の王に併合されて、二重王国を形成するのかもしれません。
 
 
 
​(3)イランがサウジ・アラビアを併合して併合国家になるのか​
 
 
 
 もうひとつの可能性を検討してみます。ダニエル11章24節の預言は、北の王についてこのように預言されています。「彼は・・・略奪品や戦利品を分配し,防備された場所を攻めることをたくらみますが,それはひとときの間だけです。 」(ダニエル11:24新世界訳改訂版)この部分を、”New English Translation of the Septuagint” では、”he will give plunder and spoil and money to them. And he will take thought against the strong city, and his deliberations will be in vain.”となっています。
 
 
 
 わたしがNETのダニエル11章24節の後半を日本語に試訳しますと、「彼はその強い都市に立ち向かって熟慮するが、彼の熟慮は無駄になるだろう」となります。それで、北の王は、豊かな地域を攻めて、略奪品やお金を人々に分配しますが、北の王の考え抜かれた企ては、無駄に終わるようです。
 
 
 
 このことの成就として考えられることがあります。今、イランとサウジアラビアとの関係がとても悪化しています。それで、将来、イランはサウジアラビアを攻めて、その戦利品を分配することになるのかもしれません。しかし、そのようになることが預言の成就であるとしても、北の王の成功は、一時的な成功で、サウジアラビアを完全に制圧することについては、うまくいかないようです。
 
 
 
 しかしながら、現在、イランとサウジアラビアの間で、両国間の問題を平和的に解決しようとする努力も払われています。
 
 
 
 しかし、将来的に、イランがもし、サウジアラビアを一時的にでも軍事的に制圧することになると、将来、イランとサウジアラビア連合国家として、子羊のような2本の角がある野獣が出現することになるのでしょうか。(啓示13:11)
 
 
 
 ダニエル11章では、北の王の新たな政権が興ることを預言しています。この時に、北の王は、何らかの軍事的な成功を収めることになるのでしょうか。(ダニエル11:31)
 
 
 
 それとも、サウジアラビアが自発的にイランと連合国家を形成するように動くのでしょうか。啓示17章には、「10人の王は1つの考えを抱き,自分たちの力と権威を野獣に与えます。」とあります。(啓示17:13)ですから、他の王たちが北の王を中心とした政治的な実体に権威を与えることが預言されているので、その時、サウジアラビアが北の王のもとに集結するのでしょうか。 これは、まだ単なる憶測です。
 
 
 
​(4)サウジアラビアは北の王が現れるはずの領土に含まれていない​
 
 
 
 この項目は、最初にこの記事を出してから付け加えました。このことは、見落とすべきではないことでしたが、サウジアラビアは、北の王が現れるはずの領土に含まれていませんでした。すなわち、ギリシャアレクサンドロス大王の領土に含まれている地域ではありませんでした。すると、サウジアラビアは、北の王にならないはずです。
 
 
 
 すると、イランとサウジアラビアの二国が連合王国として北の王になる可能性はないことになります。申し訳ありませんでした。
 
 
 
 
 それで、現時点では、イランとトルコが将来的に二重連合王国を形成する可能性か、あるいは、イランもしくはトルコが他の国と二重連合王国を形成するか、あるいは、また、別の二国が二重国を形成する可能性を検討する必要があることになります。
 
 
 
 あるいは、イラン、あるいはトルコ、あるいはまた別の国の中で、二つの政治勢力が台頭するのか見ていかなければならないことになります。
 
 
 
 
​(5)北の王に関する預言は現在まだ成就しているようには見えない​
 
 
 
 今回は、イランとトルコが北の王になる可能性を検討してみました。しかし、全体的な印象では、まだはっきりと、北の王が現れる状況にはなっていないようです。


 イランには、現在のところ、啓示13章の前半の預言が成就しているようには見えません。それで、現在、啓示13章の初めの野獣の実体をわたしが取り違えているのかもしれません。まだ、北の王が登場する状況となっていないのではないかと思います。
 
 
 
 そして、北の王になる可能性のある国家は、他にも存在しています。また、別の解釈の可能性があるかもしれませんし、わたしたちの現在の予想とは異なる展開になる可能性も皆無ではありません。
 
 
 
 
 

 

啓示13章に基づいて北の王が二つの国の連合国家を形成する可能性

 今回、北の王が2国の連合国家になる可能性についてお知らせします。啓示13章で2番目に登場する「子羊のような2本の角」がある野獣は北の王です。「子羊のような2本の角」があるということは、北の王が、ふたつの国の併合国家になる可能性があることを示しています。このことにわたしが気づくのが遅かったことは申し訳ありませんでした。
 
 
 
 
​(1)啓示13章の「別の野獣」は「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を設立する北の王​
 
 
 
 啓示13章の後半に、二頭目の野獣が出てきます。「子羊のような2本の角」のある「別の野獣」です。(啓示13:11)この野獣は、致命的な傷を受けて回復した野獣のために「像」を作ることを提唱します。(啓示13:14)
 
 
​啓示13章の子羊のような2本の角がある野獣は致命的な傷を受けて回復する野獣のために像を作ることを提唱​


 
 
 
 ダニエル11章で「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えるのは、南の王ではなく、北の王です。(ダニエル11:31新世界訳改訂版)エホバの証人は、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えるのは、南の王だとみなしています。ですから、啓示13章の「別の野獣」は米国だと解釈しています。
 
 
 
​ しかし、ダニエル11章の文脈を見ると、キッテムの船に打ち負かされ、「聖なる所」を汚す者たちが、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えます。そのことを経験したり行ったりするのは北の王です。


​ダニエル11章によると聖なる所を汚す北の王が荒廃をもたらす像を据える​



 
 
 ですから、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を据えるのは主に北の王です。(ダニエル11:31)ですから、この二頭目の野獣は、「荒廃をもたらす極めて不快なもの」を設立する北の王の後継者だと私は解釈しています。
 
 
 
 
​(2)「極めて不快なもの」とは偶像を意味する​
 
 
 
 ダニエル11章の「極めて不快なもの」とは、a New English translation of the Septuagintでは、”an abomination “と訳されています。このNETの翻訳は、古代の70人訳に基づいているのでかなり信頼度が高いと考えられます。このabominationとは、日本語の訳語では、「嫌悪を引き起こす[ひどくきらわれる]もの[こと]」です。(小学館プログレッシブ英和中辞典 ) (ダニエル11:31)
 
 
 
 この「極めて不快なもの」と訳されているヘブライ語の原語は、ストロングの聖書用語辞典では、名詞で”Disgusting, filthy, idolatrous, an idol “と定義されています。an Idolとは、偶像を意味しますから、北の王が設立する「荒廃をもたらす極めて不快なもの」は、「偶像」であるとみなしていいことになります。(ダニエル11:31)北の王は、ある種の偶像を据えることになります。
 
 
 
 
 
 


​​ダニエル11章によると北の王とその仲間たちは・・・​​
 
​荒廃をもたらす極めて不快な像を据えることが預言されている​


 
 
 そして、啓示13章の「別の野獣」は像を致命的な傷を受けても回復した野獣、すなわち北の王を記念するものとして野獣の「像」を設立することを提唱します。(啓示13:14)ですから、ある政治指導者、あるいは、ある国家をたたえてある種の像を設立するよう唱道することになります。
 
 
 
​ ​啓示13章の子羊のような2本の角がある野獣(右側)は・・・​


 
致命的な傷を負って回復した野獣の頭の像を作り崇拝することを提唱する
 
 
 
 
 北の王の設立する「荒廃をもたらす極めて不快なもの」とは、ひとつの複合的な野獣、もしくは何らかの国際組織、すなわち、ひとつの政治的な実体であるはずです。(ダニエル11:31)北の王は、啓示13章の「初めの野獣」に対して、とりわけ、北の王を崇拝するための像を作ることを提唱するはずです。
 
 
 
  啓示13章の野獣は、過去の4つの古代帝国の領土、つまり、エジプト、ヨーロッパ、中東、中央アジア、東ヨーロッパなどに及ぶ連合国家、あるいは国際組織であると私は現在考えています。ですから、北の王は、とりわけ、その地域を中心に、北の王を崇拝する国際組織を提唱するのではないかと思います。
 
 
 
 現時点で、この北の王が設立する野獣の像は、啓示17章の緋色の野獣ではないかと考えています。ですから、この啓示13章の「初めの野獣」と啓示17章の緋色の野獣は、どこかの時点でいったん存在しなくなると考えられると思います。この点は、また別の機会に詳細に検討します。
 
 
 
 
​(3)子羊のような二本の角を持つとはとにかく北の王がキリスト教を奉じていることを意味する​
 
 
 
 この野獣が「子羊のような二本の角」を持っているということは、二通りのことを意味し得ます。ひとつは、イエスが預言的に「神の子羊」で表わされているので、羊であるということは、キリスト教の様相をしていることを意味しています。(ヨハネ1:29)ですから、北の王の後継者が、たとえ、背教していても、とにかくキリスト教を奉じているということです。
 
 
 
​(4)二本の角を持つとは北の王がふたつの民族あるいはふたつの王国によって構成される連合国家であることを意味し得る​
 
 
 
 「別の野獣」が2本の角を持つとは、この北の王の後継者が、ふたつの国の連合国家、もしくは、国内に二つの主要な民族の政治勢力を持っているということを意味すると思います。
 
 
 
 なぜなら、昔、ダニエルの預言の中の2本の角を持つ雄羊は、「メディアとペルシャの王」を意味していたからです。(ダニエル8:20新世界訳改訂版)
 
 
 
 
 


​二本の角を持つ雄羊はメディアとペルシャの王を表わしていたので・・・​​
 
 
 
 
 
 
  最初は、メディア国が覇権を振るっており、ペルシャはメディアに服属していましたが、ペルシャ帝国は、メディア王国を滅ぼして征服し、その支配下に置きました。しかし、その後もメディア人のペルシャ帝国内での影響力はとても大きいものがありました。ペルシャ帝国は、メディア王国の地方統治制度を採用し、メディア語を用いました。そして、後で、ペルシャの法律は、「メディアとペルシャの法律」と言われ、メディア人はペルシャ人と同化し区別されなくなったということです。(ダニエル6:8)
 
 
 
 
  このことは、「2本の角は長かったが,一方が他方よりも長く,長い方は後から伸びたものだった 」という聖書預言の描写と一致しています。(ダニエル8:3)
 
 
 
 
 
 
​​ペルシャ人の兵士の後ろにメディア人の兵士が立っているーイランのペルセポリス
ペルシャ帝国ではペルシャ人とメディア人の二つの民族でなる連合国だった





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 それで、2本の角を持つとは、ふたつの国家がひとつの国家を形成するようになることも意味します。さらに、国内にふたつの政治勢力を持つことを意味するかもしれません。それで、北の王がふたつの国の連合国になる可能性があります。
 
 
 
 
 
​​ 北の王はおそらくキリスト教の様相をしていて二国の連合王国となる


 
 
 
 
 わたしは、イランは北の王になる可能性があると考えています。しかしながら、イランは現在のところ、国内に主に2つの政治勢力が占めているとは言えません。ですから、現在、その点では、イランは将来の北の王になる特徴を持ってはいないと言えます。
 
 
 
 
 
 しかしながら、啓示13章によると、北の王はふたつの国の連合国になる可能性があります。次の記事で、どのような組み合わせの連合国になりえるかを検討してみます。
 
 
 
 


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​啓示13章の初めの野獣の実体と攻撃されるキリスト教の本拠地がどこかについての若干の解釈の変更​​




 啓示13章には、前半と後半で二頭の野獣が登場します。今回の記事では、その「初めの野獣」に関する若干の解釈の変更を説明します。さらに、ダニエル11章に出てくる北の王が攻撃する「聖なる所」がどこになるかについて若干の解釈の変更も説明したいと思います。
 
 
 
​(1)啓示13章の初めの野獣に関する解釈の変更​
 
 
 
 啓示13章の最初に出てくる野獣は、海から出てくる複合の野獣で、「初めの野獣」と言われています。(啓示13:12新世界訳改訂版)わたしは、以前は、この野獣について漠然とした解釈をしていました。でも、現在、「主の日」に登場する国境を超えた一つの国家組織、あるいは、国際組織ではないかと考えています。(啓示1:10)なぜなら、聖書の中では、一匹の野獣は、通常、ざっくり言うと、明確にひとつの帝国を表すからです。
 
 
 
 この初めの野獣は、ダニエル7章に登場する四つの獣の領土に登場するはずです。ですから、以前、バビロン、メディア・ペルシャギリシャ、ローマのその派生国の領土に存在する国家、もしくは、国際組織のはずです。ですから、その領土は、エジプトなどの北アフリカ、ヨーロッパの大部分、中東、東ヨーロッパ、中央アジアの一部まで含むと思います。
 
 
 
 
 
 
 


​​啓示13章の初めの獣はライオン・熊・豹・恐ろしい獣の特徴を持っていた​​
 
 
 
 


    ​​​​啓示13章の初めの野獣はダニエル7章の四匹の野獣の特徴を全部持っていた―四つの古代帝国の領土を包含しているはず​​​​
 
 
 
 
 
 
 以前は東ヨーロッパは含まないと考えていましたが、今は、含まれると考えるのは、東ヨーロッパが、ダニエル7章の四匹目の野獣のローマ帝国の派生国に含まれると言えるからです。
 
 
 
 この啓示13章に登場する野獣は、EU(European Union) である可能性もあります。EUは、「初めの野獣」が包含することを予告された領域を包含することになるのかもしれません。EUは国際的なひとつの複合国家として発展していくのかもしれません。事態がどのように進展していくのか、世界情勢を見守っていく必要があります。
 
 
 

(2)啓示13章の野獣を限定したEUあるいはNATOという解釈の方が現在の状況に合致しているのではないか


 EUNATOは密接な関係があります。そして、第二次大戦後に行われた国際紛争は、とりわけ、最近は、ダニエル7章の四つの古代帝国の領域で、しかも、その領域に存在する現代の諸国家によって行われることが多かったです。つまり、現代において、国際紛争アメリカ主導で、NATOのメンバー国が加わって行われる場合が多くなっています。


 ですから、啓示17章に登場する緋色の野獣が、EUもしくは、NATOであるという解釈の方が、それが国連軍であるという解釈よりも、より良く、この20世紀と21世紀初頭に行われた国際紛争の状況と合致しているのではないかと思います。

 
 
 
​(3)啓示13章の「初めの野獣」の七つの頭は何を表わすか​
 
 
 
 啓示13章の「初めの野獣」は、七つの頭を持っていますから、その野獣が表す領土は、主には、七つの国家に分けられることになるはずです。(啓示13:12新世界訳改訂版)
 
 
 
 なぜなら、ダニエル7章のギリシャを表わす豹も四つの頭を持っていました。この四つの頭は、国家をやはり表していました。ギリシャアレクサンドロス大王の領土は、主に将軍たちが後継者戦争をした後に、四人の将軍たちによって分けられました。
 
 
 


ギリシャを表わす豹の四つの頭はおのおの国家を表わす​​
 
 
 
 
 
   ギリシャアレクサンドロス大王の死後、シリア、バビロニアイラン高原小アジア東部を支配するセレウコス朝キプロス、エジプトを支配するプトレマイオス朝マケドニア本国を支配するカッサンドロス朝トラキア小アジア西部を支配するリュシマコス朝が成立しました。 
 
 
 
 
 
  実は、小さな国が存在して、五つ、あるいはそれ以上に分かれたと考える人もいますが、とても小さな領土の国は無視されているようです。
 
 
 
 ​ディアドコイ戦争​    
 
 
 
 
 
アレクサンドロス大王の死後その領土は主に四つの国に分裂した​
豹の四つの頭は四つの国を表わしていた

 
 
 
 
 
 ですから、豹の四つの頭は、アレクサンドロス大王の死後、派生した四つの国を表わしています。
 
 
 
 ですから、啓示13章の初めの獣が七つの頭を持っていたことは、その複合国家、あるいは、複合組織の中で、勢力を振るう大きな国家は将来、主に七つになることを預言していると思います。
 
 
 
 啓示13章の「初めの野獣」の7つの頭がどこになるかは、将来のことになり、結果的に分かることなので、現在どんな国また地域になるかは分かりません。
 
 
 啓示13章の初めの野獣に含まれる一つの国家は、致命的な傷を受けても回復することになっています。でも、今のところ、致命的な傷を受けて回復する国家、すなわち北の王がどこになるかはまだ分かりません。
 
 
 
 
​(4)ダニエル11章の預言の「キッテムの船」とはどこの地域の海軍か​
 
 
 
 ダニエル11章によると、最初の北の王は、二回目の南の王に対する攻撃で敗北します。北の王は、「キッテムの船」、すなわち南の王のキリスト教の同盟諸国の海軍 に敗北するのであろうと考えています。(ダニエル11:30)ダニエル11章には、北の王が「キッテムの船に打ち負かされる」ことを予告しています。
 
 
 
 キッテムとは、キプロスを意味します。また、昔のヘブライ語の用法の中に、キッテムという語で、キプロス島周辺、つまり、地中海沿岸地域を表わす用法がありました。キプロス島では、ギリシャ正教徒が大半です。そして、キッテムをローマ人やイタリアと訳している聖書翻訳もあります。
 
 
 
 
 
 
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Captain blood
キッテムとはキプロスを意味する
キプロスはトルコの南にありキッテムという語は地中海沿岸諸国を意味する

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 さらに、民数記の預言によると、「キッテムの沿岸から来る」船とは、アッシリアに対抗する地域なのですから、地中海沿岸諸国のマケドニア側です。(民数記24:24)ですから、「キッテムの船」とは、とりわけ、ギリシャなどのマケドニア沿岸の地中海沿岸諸国の船を表わすと考えられます。
 
 
 
 また、キッテムをローマ人やイタリアと訳している聖書翻訳もあるので、「キッテム」とはバチカン市国ローマカトリック教会の支配的な国イタリアを含む可能性もあります。(ダニエル11:30)
 
 
 
 それで、「キッテムの船」に乗っているのは、イタリア・ローマカトリック教会信徒とギリシャギリシャ正教会の信徒の海軍であると解釈することができます。(ダニエル11:30)


 
(5)東方正教会また広義のギリシャ正教会の本拠地はどこか
 
 
 
 ローマカトリック教会の場合は、バチカン市国ローマ法王が世界的な指導者ということになっています。しかし、東方正教会の場合は事情が異なっています。東方正教会の場合は、諸国家の東方正教会単立教会になっています。
 
 
 
 現在、ギリシャ共和国にある東方正教会、すなわち狭義のギリシャ正教会アテネの主教がギリシャ共和国の信徒を管轄しています。
 
 
 
 
 
 


ギリシャ東方正教会アテネが本拠地となっている​​
 
 
 
 
 
 
 
 
 北の王は、自分の失敗の原因となったキリスト教国家の拠点である「聖なる所」を軍事攻撃して、首尾よく成功することになっています。(ダニエル11:31)北の王が軍事攻撃する「聖なる所」とはどこになるのでしょうか。おそらく、ローマカトリック教会の拠点であるローマとバチカン市国、また、ギリシャ正教会の拠点であるアテネなどを攻撃して、成功することになるのでしょう。
 
 
 
 
 
 2010年現在、ロシア正教会は約9000万人の信徒数を擁する世界最大の正教会の独立組織となっています。2018年ロシア正教会コンスタンチノープル総主教庁との断絶を決定し、モスクワ総主教が統率しています。北の王が、モスクワも軍事攻撃することになるかどうかは、将来、ロシアが北の王に対してどのような立場をとるかに左右されるのではないかと思います。
 
 
 
 
 
 それで、将来、北の王、すなわち啓示13章の初めの野獣のひとつの頭は、南の王を2度目に攻撃する時、イタリアの海軍とギリシャの海軍に阻まれることになるのではないかと思います。それで、北の王は致命的な傷を受けます。

 
 
 以前は、北の王はローマやトルコのイスタンブールなどを攻撃するのではないかと考えていました。でも、イスタンブールギリシャ正教会の本拠地とは言えません。それで、北の王は、ローマカトリック教会の拠点であるバチカン市国ギリシャ正教会の拠点であるアテネなどを軍事攻撃して、成功することになるのではないかと思います。
 
 
 
 そのようないきさつで、聖書は将来全世界的に北の王がその軍事的な成功のゆえに崇拝と賛美を受けるようになることを予告しています。(啓示13:3,4)しかし、北の王の崇拝者の誰にも永遠の命の希望がありません。(啓示13:8)
 
 
 
 
 
 それで、わたしたちはこれからも世界情勢を見て、聖書預言がどのように成就していくかを見守って、聖書の神に不興を買うような振る舞いをしないように気をつけることができます。
 

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啓示13章に登場する初めの野獣はEUかNATOかGCCか​

 



 今回、啓示13章に登場する「初めの野獣」の実体を考え直しました。どのように考え直したのかを説明したいと思います。
 
 
 
 
 
​(1)啓示13章に登場する「初めの野獣」の実体は何か​
 
 
 
 啓示13章には、最初に複合の野獣が登場します。その複合の野獣は、ダニエル7章に登場する四頭の野獣の特徴を併せ持っています。このように描写されています。「1匹の野獣が海から上ってきた。10本の角と7つの頭があり,角には10の王冠があり,頭には神を冒瀆する名が記されていた。私が見たその野獣はヒョウに似ていたが,足は熊の足のようで,口はライオンの口のようだった。そして,竜から力と座と大きな権威を与えられた。」(啓示13:1,2)
 
 
 


​​啓示13章の海から出てくる初めの獣の実体は何でしょうか​​
 
 
  
 
 
​  ダニエル7章に登場する野獣は、バビロン、メディア・ペルシャギリシャとそこから派生した諸国家、ローマ帝国とそこから派生した諸国家を表わしています。(ダニエル7:2-8)



 ​ダニエル7章の四匹の獣はライオンのバビロン・熊のメディア・ペルシャ・豹のギリシャ・恐ろしい獣のローマとその派生国​




それで、わたしは最初には、啓示13章に登場する野獣とは、歴史の中で、中東、ヨーロッパ、西アジア北アフリカに登場してきた諸政府を、長い歴史を俯瞰してまとめて表しているのかと考えました。​
 
 
 
 しかしながら、もうひとつの解釈があり得ます。聖書の中では、野獣と言う場合、通常、ひとつの政治国家、あるいは諸政府の複合体の実体を明確に表わします。例えば、緋色の野獣は、諸政府の複合体です。(啓示17:3)
 
 
 
 ですから、啓示13章の「初めの野獣」の場合も、わたしが最初に解釈したような漠然とした抽象的な存在ではなく、もっと明確な実体を表わしていると解釈する方が、より正しいのではないかと思います。


 ここで、解釈の変更をするので、申し訳ありません。ここで解釈の変更をすると、聖書預言の成就はまだ先になるということになるようです。
 
 
 
 そして、啓示の書のしるしは、「主の日」に成就することになっています。(啓示1:10)ですから、この啓示13章に登場する野獣とは、とりわけ、「主の日」、すなわちわたしたちの時代に登場する政治的な複合体と解釈する方が妥当かもしれません。
 
 
 
 
 
​(2)啓示13章の初めの野獣とはEUだろうか​
 
 
 
 
 聖書歴史の中で登場してきた四つの世界強国の領域で、統一を求める機運がすでに見られてきました。そのような動きは、例えば、EUで見られます。EUとは、European Union 欧州連合で、1991年 創立されたヨーロッバの地域統合体です。この組織は、軍事的な役割と経済的な役割を兼ね備えています。しかしながら、この組織は、現在、中東や中央アジアなどの諸国家を、あまり含んではいません。 
 
 
 
 1967年、ヨーロッパ共同体(EC)が誕生しました。このECは、経済統合や外交、安全保障などの面で、ヨーロッパを一つの国家に近づける欧州連合EU」へと繋がっていきました。最近、英国がEUから離れる動きが見られていますが、EUは大きな流れとしては、拡大の傾向にあります。
 
 
 
 Wikiからの情報によると、2007年にブルガリアルーマニアが、2013年にクロアチアが加盟しました。2019年2月に、トルコ、北マケドニアモンテネグロセルビアアルバニアの5か国は正式な加盟候補国として認定されています。





Maurice07EUはこれから啓示13章の初めの獣として発展していくだろうか​
 
 
 
  EUの公式のwebsiteを確認すると、ボスニア・ヘルツェゴビナコソボは、まだEU加盟の要求が満たされていないとあります。
 
 
 
 しかし、EUが、これからさらに、発展、拡大していって、旧バビロン、メディア・ペルシャギリシャローマ帝国の旧領土の諸政府をさらに、含むということになれば、EUが、啓示13章の最初に海から上がってくる野獣を表わしているということになるかもしれません。

 
 
 しかしながら、現在のところ、EUは、啓示13章で描写されている「初めの野獣」が包含するはずの領土のすべてを網羅してはいないので、EUが「初めの野獣」を表わしているとは、まだ、断言できません。それで、EUがどのように発展していくのかを成り行きをみなければ分かりませんが、EUの可能性もあります。 
 
  
 啓示13章の「初めの野獣」が表している実体は何か、別の組織を検討してみます。
 
 
 
 
​(3)啓示13章の初めの野獣 とはNATOなのか​
 
 
 
 北大西洋条約機構(きたたいせいようじょうやくきこう)は、北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ(アメリカとカナダ)およびヨーロッパ諸国によって1949年結成された軍事同盟です。
 
 
 
 2017年時点で29カ国 です。アイスランドアメリカ合衆国、イギリス、イタリア、オランダ、カナダ、デンマークノルウェー、フランス、ベルギー、ポルトガルルクセンブルクギリシャ、トルコ、ドイツ、スペイン、チェコハンガリーポーランドエストニアスロバキアスロベニアブルガリアラトビアリトアニアルーマニアアルバニアクロアチアモンテネグロとなっています。
 
 
 
 
 


NATOはベルギーブリュッセルに本部があるヨーロッパ中心の軍事地域共同体
 
 
 
 非加盟のスウェーデンフィンランドや日本などとも協力関係にあります。2019年にマケドニアの加盟が承認され30カ国になる予定です。
 
 
 
  英語圏では、North Atlantic Treaty Organization を略した NATO(ネイトー)と呼ばれ、日本やドイツ語圏では NATO(ナトー)、フランス語圏・スペイン語圏・ポルトガル語圏等では OTAN(オタン)と呼ばれます。NATOはすでに、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争マケドニア紛争、アフガニスタン紛争 (2001年-)、2011年、リビア内戦に介入しています。
 
 
 
 しかし、NATOは、エジプト、西アジア中央アジアなど、想定される地域の諸国家が含まれていません。さらに、イラン、その他の中東諸国も含まれていません。もし、イランが北の王ということになれば、NATOは、啓示13章の「初めの野獣」ではないかもしれません。そして、イランが含まれないのは、EUも同じです。
 
 
 
  もし、北の王がイラン以外の国家であるということであれば、EUNATOが、「初めの野獣」であるという可能性もあります。しかしながら、啓示13章の「初めの野獣」が持つのは、十本の角です。普通、聖書の中で角も一つの国家、あるいは政権を表わしているので、これをどのように解釈するのかも難しいです。(ダニエル7:24;8:20-22)
 
 
 
​(4)湾岸6か国の組織である湾岸協力理事会(GCC)​
 
 
 
 湾岸協力理事会GCCが中東にあります。 GCCの構成国は、バハレーン、オマーン、カタル、サイディアラビア、アラブ首長国連邦、クウェイトです。この国際政治軍事組織はこれから拡大するかもしれませんが、まだ、啓示13章の「初めの野獣」が網羅すべき地域を網羅していません。北の王になる可能性があるかもしれないイランなどの国家も含んでいません。
 
 
 
 それで、現在のところ、どの組織が啓示13章の「初めの獣」になるのかは、事態の進展を見ていかなければ分かりません。あるいは、その地域を管轄する別の政治的軍事的な統合体が存在しているのに、わたしがその存在を知らないだけかもしれません。
 
 
 
​(5)聖書の預言がどのように成就していくか世界情勢に注目していかなければならない​
 
 
 
 わたしは、現在、啓示13章の初めの獣の頭のひとつで、致命的な傷を受けて回復するのは、北の王だと考えています。
 
 
 
   それで、EUが啓示13章の野獣だとすると、EUには、イランは含まれていないので、イランは北の王でないということになります。すると、たとえ、イランが総司令官になってロシアと中国その他の諸国家を率いて、米国を攻撃したとしても、成功することはないと言えると思います。
 
 
 
 それで、啓示13章の初めの獣がEUか、また、別の国際組織であるか、また、北の王がどこになるかをまだ聖書預言と照らし合わせてさらに考えていかなければならないということになると思います。

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日本が太平洋大戦中に犯した流血の罪の神からの許しと被害者からの許しをどのようにして得られるか​​




 わたしたちの祖父や父親の時代に、日本は、日中戦争や太平洋戦争で、何百万人、ひょっとすると何千万人ものアジアの人々の血を流しました。わたしは、日本人が、自分たちの父祖によって流されたアジアの人々の血の罪が命の与え主に対する罪であり、その罪を神に対して、また被害者に対してどのように償えるかを考えるべきだと思います。
 
 
 
 また、とりわけ、アジアの人々の命の血が流されたことを、自分たち日本人の失われた命を悲しむように悲しんで、覚えるべきだと思います。
 
 
 
​(1)すべての国の人の命が同等であるという聖書の教えと戦時中の日本人の考え方​
 
 
 
 聖書のキリスト教は、人類は創造者なる神から創造された一組の夫婦アダムとエバの子孫であつて、すべての国と民族の人々の神のみ前での価値は平等だと教えています。
 
 
 「1人の人から全ての国の人を造って地上全体に住まわせ …ました。」とあります。(使徒17:26)そして、聖書の教えでは、創造者が命の源であり、神は、他の人の命を奪うならば、その責任を問われます。(創世記9:5,6。ローマ14:12)
 
 
 
 
​人類は最初の人間夫婦アダムとエバから派生しているので …​

国籍や民族が異なってもその命の価値は同じ
 
 
 
 
 
  しかし、進化論の場合、ある民族と、別の民族は、進化の程度が異なっているということになります。上下があることになります。そして、日本人は、何千年もの間、天皇制が続いたために、戦前や戦時中は、天皇が神の子孫だと信じていました。そして、古事記日本書紀を真実の歴史だと信じていました。
 
 
 
 


​戦前の日本人はたいていイザナミイザナギの夫婦の神が日本を作り天皇は神の子孫であると信じていた​
 
 
 
 
 
 
 また、その当時の日本政府の思想教育の影響を大きく受けていました。日本人は、神の子孫によって治められている神国だと信じていたので、自国の国民が東アジアの人々よりも優れているという考え方をしていたと思います。
 
 
 
  しかも、太平洋戦争の前までは、日本は他国との戦争で連戦連勝だったので、とりわけ、自国の人々が優れているという考え方をしていたと思います。そのために、日本人は、その当時、人間は異なる国籍や民族であっても、その命は貴重でありその命の価値は同じであるという考え方をしてはいませんでした。
 
 
 
 日本人の場合、仏教徒神道信者か進化論者が多数派を占めています。キリスト教の聖書を信じる人は日本人の中では、ほんとに少数派です。そして、仏教も神道も基本的に命の与え主の万物の創造者なる神という概念がありません。
 
 
 
​(2)第二次世界大戦中のドイツのナチスヒットラーの行動の背後にあつた思想​
 
 
 
  第二次世界大戦の時に、ヒットラーは聖書やさまざまな宗教の教えについて調べました。そして、聖書の黙示録について、独自の解釈の仕方をしていました。伝統的に、ドイツは、カトリック教会の影響の強い国でしたが、その当時、ドイツ人は、ヒットラ―の率いるナチス党の思想教育に大きく影響されました。また、ヒットラーも戦争遂行のために、あらゆる手段を使って、自分が信じる思想をその当時のドイツ人に吹きこみました。
 
 それでその時代、ドイツ人はドイツ人が他の民族よりも優秀であると考え、他の国籍の人々の命を奪うことをなんとも思いませんでした。また、ヒットラーユダヤ人を劣等民族だとして、ユダヤ人を根絶するべきだと考えていました。
 



        ヒットラーの著書「我が闘争
ゲルマン民族が一番優れていて支配する立場にあると教えた
日本の神道が日本人支配の帝国を戦時中に唱道したのと似ている


 
 
 また、ドイツでは、ナチス党のヒットラーの崇拝が促進されました。いわゆる、ヒットラーの神格化が行なわれました。これは、日本の中で、天皇を神とする天皇崇拝が戦前に促進されたのと似ています。
 
 
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​日本で天皇崇拝が推進されたのと同じくドイツではヒットラー崇拝が推進された​


 
 
 また、ナチス党は、占星術やオカルトに大きく影響を受けていました。ある占星術者は、ヒトラーお抱えの預言者としても活躍したということです。


エリック・ヤン・ハヌッセン
 
 
 
 
 


​​ヒットラーの時代に心霊術者がヒットラーのお抱えの預言者として影響を与えた​​
 
 
 
 聖書は、占いや魔術などを信じないように警告しています。(申命記18:9-12)
 
 
 
​聖書は占いや魔術などの心霊術を禁じている​​
 
 
 
 
 
 
 ヒトラーの片腕であったヒムラー民族主義的オカルティストに傾倒し、配下の親衛隊と古城でオカルト行為を行っていたということです。彼は、カトリック教徒でしたが、キリスト教や聖書を退け、異教に傾倒しました。 
 
 
 
 
 
 
 
 


     Bundesarchiv, Bild 183-S72707 / CC-BY-SA 3.0
​​ヒトラーの片腕ヒムラーキリスト教を退けオカルトに傾倒して残虐行為を行なった​​
 
 
 
 
 
 
 
 また、ヒトラーは表面上こそキリスト教徒でしたが、内々の談話では「聖書がドイツ語に翻訳されたのはドイツ人にとっての不幸」「ローマ帝国が滅んだのはフン族ゲルマン民族のせいではなくキリスト教のせいである」等と聖書やキリスト教に対して否定的でした。
 
 
 
 


帝国議会ナチス式敬礼を受けるヒトラー(白い演壇の一つ下、黒い演壇で敬礼に応えている)ベルリン1941年
Bundesarchiv, Bild 183-B06275 / Heinrich Hoffmann / CC-BY-SA 3.0
​​ヒットラーは聖書やキリスト教に否定的だった​​
 
 
 
 
 
 
 ヒットラーが聖書やキリスト教を拒否し、ナチスの高官たちが、心霊術とオカルトの影響を受けたことは、ドイツ国民がユダヤ人を始めとした諸国民の大量の血を流すことにつながりました。それで、わたしたちが何を信じるかはわたしたちの行動に大きな影響を及ぼします。とりわけ、心霊術などの悪霊崇拝の影響を受けるままにするのは危険です。
 
 
 
 しかしながら、ドイツ民族は、歴史的にキリスト教から強く影響を受けていた事あり、戦後、ドイツ人は、戦争犯罪に徹底的に向き合いました。
 
 
 
​(3)日本人は自国の人々の命に関してだけでなく他国の人々の命に関しても悲しむべき​
 
 
 
 日本人は、太平洋世界大戦中の原爆や、空爆沖縄戦で自国の人々の命が奪われたことをとても悲しく思います。それは、当然のことです。しかし、エホバ神の目にとって、太平洋大戦中に、日本人によって命を奪われたアジアや米国や他の国々の何百万、何千万人もの人々の命は、日本人の命と同様に貴重なものです。
 
 
 
 創造者のみ前で、人間の命の価値が同じであるために、エホバ神が日本人の以前の世代の人々が日本人以外の人々の命を奪ったことの責任を問われるということもあると思います。
 
 
 
https://youtu.be/-z5M_MnM2VM
(わたしは韓国との領土問題についてはまだ考えていないのですが、この動画が戦争犯罪について述べることをアジア人の視点から考えてみるべきなのは正しいと思います)
 
 
 
 
 ですから、日本人は、戦時中に日本人によって他の国民や民族の人々の命が失われたことを、自国の人々について悲しむのと同じように悲しむべきだと思います。そして、贖いの犠牲に頼って、命の与え主に罪の許しを求めることが必要だと思います。


 地上の王たちは、自国に何らかの災いが及ぶ場合に、自分たちの父祖の罪の応報が及んでいる場合があるかもしれないことを考慮する必要があると思います。
 
 
 
 
(4)ダビデの時代先代のイスラエル国民が行なった流血の罪のために飢きんが続いた​
 
 
 
 日本人は戦後、戦争に関わることを避けており、戦後七十年の間、流血に関わっていません。それにも関わらず、日本人は地震津波、台風、大雨などのために、毎年のように犠牲者が出ています。


  その理由のひとつは、日本人の先祖が行なった罪が、神の目にまだ残っているために、聖書の神は、日本人が戦後、ほとんど流血の罪を犯していないにもかかわらず、さまざまな災いをこうむることを許しておられるのではないかと思います。
 
 
 
  聖書のサムエル記第二によると、昔の流血の罪のために、流血の罪を犯していないイスラエルの世代に、天災が起きたという事例が記されています。ダビデの時代に「3年連続で飢饉が起き」ました。ダビデはエホバに相談しました。するとエホバは、ダビデの先代の「サウルとその一家」にあった「流血の罪」を指摘されました。「サウルがギベオンの人たちを殺したからである。」
 
 
 
 
 
 
 


ダビデは国家の問題をエホバ神に相談して対処した​​
 
 
 
 
 
 
 それでダビデはギベオンの人たちを呼び寄せて、「どんな償いをすれば,皆さんはエホバの民のために祝福を願ってくれますか」と尋ねました。イスラエル人はかつて彼らに危害を加えないと誓っていましたが、ダビデの先代の王サウルはギベオンの人々の血を流したのです。
 
 
 
 


​​エホバ神はギベオン人の流血の訴えを考慮されイスラエルに災いをもたらしていた​​
 
 
 
 
 
 ギベオンの人たちは、「サウルとその家の人たちのこと」はお金の「問題」ではないと言いました。ギベオンの人々は、「私たちを絶滅させようとした人,イスラエルの領土では生きていけないよう私たちを滅ぼし尽くそうとした人,その人の子孫の中から7人を私たちに引き渡してください。」と言いました。
 
 
 
 それで、ダビデは、サウルの子孫7人をギベオンの人々に引き渡し、「ギベオンの人たちは彼らの遺体を山でエホバの前につるし」、7人を処刑しました。「その後,神は国に関する願いを聞き入れた。 」とあります。(サムエル第二21:1-14)
 
 
 
 それで、ダビデがエホバ神の崇拝を第一にするように努力していたにもかかわらず、イスラエルに飢きんという災いが起きていたのは、先代のサウルの時に犯された流血の罪のためでした。ギベオンの人々に対する流血のために、エホバ神はイスラエル人に不興を感じておられ、イスラエルには飢きんという天災が起きていました。
 
 
 
  それで、ダビデはエホバ神に相談して、罪を犯された側のギベオンの人々の意向も聞いて、その通りにしたところ、エホバ神との関係が改善され、エホバ神は、国のためのダビデの祈りを聞かれるようになったということです。
 
 
 
 ですから、このことは、日本人の先祖が犯した流血の罪のために、日本人の子孫に災いが起こることがあることを、示しています。もちろん、日本も、日本の周辺国家もキリスト教国家ではありません。そして、今日、罪を犯した日本人の先祖の子孫を死刑にすることもできません。


 しかしながら、少なくとも、国家に災いが起きている場合、それを緩和するためには、エホバ神中心に解決したら良いことをこの事例は示しています。
 
 
 
​(5)政治指導者がとりわけ自分と人類の神との関係を考えるべきなのはなぜか​
 
 
 
 地上の王たちは、自国が災いを経験する場合に、まず第一に自分とエホバ神との関係はどうなっているかを吟味する必要があると思います。国家の代表者としての王や大統領や首相の神との関係は、その国家の現在と将来にとても大きな影響を及ぼすからです。
 
 
 
  たとえば、ユダ王国の時代に、ユダは大きな国家的苦難に直面しました。国家全体としては、神から離れている人も多くなっていましたが、ユダの王ヒゼキヤは、エホバ神との良い関係を追い求めていたので、神はヒゼキヤの祈りを聞かれて、国家的な危難を乗り越えることができました。(イザヤ39:5-8)
 
 
 
 
​​ヒゼキヤ王は国家的な問題をエホバ神に祈って乗り越えた​​
 
 
 
 また、エホバ神はヒゼキヤの時代には、ユダの終わりが臨まないと約束されました。(イザヤ6:5) エホバ神は、ご自分を恐れたヨシア王に同じことを約束されました。(歴代第二34:23-28)
 
 
 
  ですから、国家の指導者はご自分と神との関係を吟味して、エホバ神が不興を覚えられる偶像崇拝を行って、エホバ神が自国に関する自分の祈りを聞かれない状況を造り出していないか顧みる必要があると思います。
 
 
 
 
​ その場合、エホバ神に祈って贖いの犠牲に基づいて、エホバ神の罪の許しを求める必要があります。さらに、自国の国民に対しても、エホバ神との良い関係を追い求めて祈るように勧める必要があるかもしれません。






 預言者ヨナの時代に、ニネベの王は、神を恐れてその流血を悔い改めため、自国の国民にも悔い改めることを勧めたために、ニネベの滅びは何百年も延期されることになりました。(ヨナ3:5-10。ルカ11:32)



​ヨナが宣べ伝えることを聞いてニネベの王が悔い改めたのでニネベの滅びは延ばされることになった​

 
 
 
 それで、国家の指導者が国民に勧めること、また、国家の指導者の模範は、国民全体にとても大きな影響を及ぼすことになります。神からの処罰が臨むことがヨナの時代には、何百年も延期されました。それで、国家の指導者が聖書の神を恐れて行動するなら、国家の将来に長期間に及ぶ影響を及ぼすことになります。
 
 
 
​(6)国家の代表者が罪の許しを神に願うと同時に被害者の国民に流血の罪を謝罪を行う​
 
 
 
 ダビデの時代に起こった過去の国家の流血の罪に関して起きた出来事は、そうした罪をどのように解決していけるかを示していると思います。国家の代表者が、偶像崇拝を避け、エホバ神に罪の許しを願いつつ、流血を犯した周辺国家に対して、何をしなければならないかを尋ねて、それを実行することができると思います。
 
 
 
 日本の場合、戦争賠償はある程度は行っています。しかし、まず、命の与え主である神に対してその罪の許しを願うことが必要です。(ダニエル9:15,16)しかし、聖書の神に口先で、敬意を捧げたとしても、偶像崇拝を行うなら、その祈りは、まことの神創造者なるエホバ神に聞かれることはありません。
 
 
 
 そして、先祖の流血の罪を命の与え主なる神と被害を与えた国民に、許していただくためには、そのことと、調和して、日本人の先祖が行なった流血の罪に関して、謝罪を求められたなら、何度でも謝罪をすることが必要だと思います。
 
 
 
 今日、日本にさまざまな苦難が起こることを神が許されていることは、日本の過去の罪に原因があるかもしれません。日本は、太平洋戦争中の流血の罪に対する処罰は比較的軽いものであったと思います。
 
 
 
 日本人は、ダビデの時代のように流血の罪を犯した人々の子孫を処刑することはできません。しかし、私は、中国の人々やその周辺のアジア諸国の人々に先代の日本人がもたらしたはなはだしい苦しみと流血の罪を考えれば、少なくとも、周辺諸国に繰り返し謝罪を行うべきだと思います。


 
  可能であれば、現在の天皇が中国や周辺諸国に赴いて、戦争中日本人がもたらした苦しみと流血について、謝罪をされることを提案致します。
 
 
 
 
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自国が経験する災いをどのようにみなして北と南の間との抗争から離れていることができますか

 

 わたしたちは自国が経験する災いをどのようにみなすことができますか。国家はさまざまな天災を経験したり、他国からの軍事攻撃を受けることがあるかもしれません。そうしたことがなぜ起こることをエホバ神は許されるのでしょうか。それをどのように考えて、北の王と南の王の間の抗争から離れていることができるでしょうか。

 

 


(1)流血を避けて北と南の間の抗争から離れているように勧める地上の王たちに対する聖書の助言


 南の王との同盟国の地上の王たちは、どのように行動するのが最善の結果をもたらすのでしょうか。啓示18章では、地上の王たちが大娼婦と性的な不道徳をすることをとがめられています。(啓示18:3)地上の王たち大娼婦と性的な不道徳をするということは、 軍事同盟を結んで、共に軍事行動に携わることを意味しています。




0multinational war planes

 

 left to right, a Qatari F-1 Mirage, a French F-1C Mirage, a U.S. Air Force F-16C Fighting Falcon from the 401st Tactical Fighter Wing, a Canadian CF/A-18A Hornet and a Qatari Alpha Jet, during Operation Desert Shield.

諸政府が共同軍事行動をとることは神の目に淫行とみなされる




   もし、南の王と共に軍事同盟を結んで、北の王や、関連諸国を軍事攻撃して、地上の人々の命を奪うならば、人間の命の与え主エホバ神の不興を買うことになります。


   エホバ神はこのように言われていま
す。「人が自分の兄弟の命を奪ったなら,その人に責任を問う。人を殺して人の血を流す者は,人に殺されて自分の血を流すことになる。」 (創世記9:5,6)




 神の目に貴重な人間の命を奪うならば、エホバ神はそうしたことを行う国家に不興を覚えられて、さまざまな仕方で、その国家が災いを経験するようにされるでしょう。人間の命を奪うならば、人間の命の授与者エホバ神の不興を買うことは避けられないのです。



 例えば、多くの諸国家が湾岸戦争イラク戦争の時に米国と共になって中東諸国家に対する戦争に加わりました。その結果、多くのヨーロッパ諸国は、イスラム国によるテロを経験しています。イスラム国によるテロは、もちろん、正しいことではないとは言え、ヨーロッパ諸国が流した血についてのエホバ神の応報であるとみなせます。


 わたしたちは聖書の神を崇拝し、その是認を得ようと願うならば、南の王を恐れて南の王に盲従して共に軍事行動をすることを避ける必要があります。そうしなければ、地上の王たちは、北の王から攻撃されて南の王と共に命を失う結果にもなりかねません。


 また、反対に北の王が成功するにしても、北の王に盲従して、南の王に対する軍事行動に共に携わらないことが必要です。北の王に盲従するならば、北の王と共に、「第二の死」すなわち復活のない永遠の滅びをこうむることになるからです。(啓示13:8;20:15)南の王、北の王、どちらに盲従する立場も、神からの救いをもたらしません。


  とりわけ、聖書は、大患難を生き残る「地上の王たち」に南の王が滅びる時に、同情して嘆くほど、南の王と良い関係を追い求める立場を勧めているように思います。 


 なぜなら、北と南の王との間の最後の争いである大患難を生き残るのは良い結果だからです。しかしながら、南の王との良い関係を追い求めることが勧められることではあっても、「離れたところに立つ」こと、北と南の間の抗争から距離をとって離れていることが求められます。(啓示18:10,15,17)そうしなければ、その抗争に巻き込まれて命を失う結果になるからです。



(2)国家が犯した流血行為の報いはどのようにしてもたらされるか


 エホバ神はある人や国家がもたらした罪を後の時代になって応報をもたらされることがあります。民数記には、エホバ神に関してこのような描写があります。「罪がある人を処罰しないことは決してなく,父の過ちに対する処罰を子や孫やひ孫に及ぼす神」(民数記14:18新世界訳改訂版)


 ですから、確かに、エホバ神は個人の罪に関しては、その個人の罪に応じて扱われますが、国家の罪に関しては、その子孫にもたらされる場合があります。イエスは、アベルから祭司ゼカリヤまでの流血の罪が、イエスの世代に求められると言われました。(マタイ23:35)ですから、神の人に対する応報が何百年も後になってもたらされたことになります。

 



0destruction of jerusalem

アベルから祭司ゼカリヤまでの殺害に対する責任を神は何百年も後になって一世紀に問われた
神は国家に対する責任を子供や孫の時代に問われるかもしれない





 確かにある国家によって多大な血が流された場合に、その流血の被害者になった国の人々の子孫は、何世代にもわたってその国家に恨みを抱いているということがよくあります。祖父や親は自分たちが経験した苦難を子供や孫に話して、ある国家に対して子供や孫がずっと悪感情を持ち続けるということがあります。そのため、両国の関係が改善されないで、後の世代になってから両国で戦争が起こるという場合もあります。ですから、父祖の罪に対する応報が子供や孫やひ孫の世代に来る場合があります。


  
なぜなら、過去に流した人の血に関して、エホバ神は当然の応報をもたらされ、北の王、あるいは南の王、あるいは地上の王たち、いずれであっても、「流血」の国家に対して、エホバ神は責任を問われるからです。(ナホム3:1)


 ハバクク書では、アッシリアと思われる「流血の都市」の「レバノン」で表わされたエルサレムに対する「暴力」と「血」のためにエホバ神は「カルデア人」を起こされると述べられています。(ハバクク2:12,17)ですから、アッシリアの流血に対する報いは、レバノン、すなわちエルサレムを首都とするユダ王国によってもたらされるのではなく、その当時の世界強国であった「カルデア人」、すなわちバビロンによってもたらされました。




0assyrian soldier
アッシリア人の流血と暴力の罪に対しては・・・

0babylonian empire
バビロニア帝国(緑)が台頭してアッシリアを滅ぼすようにすることによって神はアッシリアに責任を問われた





 そのエホバ神からの応報は、必ずしも自国の軍隊が殺害した国家によってもたらされるのではなく、北の王、あるいは南の王によってもたらされるかもしれません。あるいは他の形、天災という形で災いがもたらされる場合があるかもしれません。


(3)流血は命の授与者に対する罪で神はその罪を犯した人あるいは国家に責任を問われる



 例えば、日本は太平洋戦争後、基本的に長年平和国家となっています。しかし、過去に日本は、残虐にもアジアで多大の流血行為を行いました。何百万人、何千万人もの人々の血を流したと言われています。その罪は、エホバ神の目にとても、悪いことでした。本当は、日本人が殺害した人々の国家が復しゅうのために日本に戦争をしかけたとしても、不思議ではありません。


 しかし、エホバ神は、過去に日本人が行なった流血を何もなかったことのように、ただ単に見逃すということはされません。上で述べたように、エホバ神は、人間の命の血が流されると、その血を流した人の命を求めることによって、責任を求められます。(創世記9:5,6)また、「私たち一人一人は,神に責任を問われることになるのです。」という言葉もあります。(ローマ14:12)


 ですから、国家の流血は、人間の命の授与者に対する罪です。もし、わたしたち各自が流血の罪を犯すならば、エホバ神は、その国家、また、一人一人に対して命の血を流した責任を問われます。






エホバ神は・・・




地上の命の授与者であられ流血を行う国家や個人に対して責任を問われる






 

 それで、現在、その罪の報いである災いがその子供や孫である日本人の子孫にさまざまな形で及ぶということもあると思います。キリスト教国家であるかどうかは関係がありません。日本のように主に仏教や神道を奉ずる国家であっても、エホバ神は流血の責任を問われます。キリストの贖いの犠牲に頼って罪の許しをエホバに求めるのでなければ消えないでしょう。

 
 

 

 

 

 

0jesus ransom1
キリストの贖いの犠牲に基づいて・・・



0prayer for forgiveness of sin


エホバ神に罪の許しをお願いすることができる



 

 


  聖書に、「私たち一人一人は,神に責任を問われることになるのです。」とあります。(ローマ14:12) すから、国家の流血は、人間の命の授与者に対する罪です。もし、わたしたち各自が流血の罪を犯すならば、エホバ神は、その国家、また、一人一人に対して命の血を流した責任を問われます。キリスト教国家であるかどうかは関係がありません。日本のように主に仏教や神道を奉ずる国家であっても、エホバ神は流血の責任を問われます。



 民族の記憶というのはなかなか消えないものです。ですから、地上の王たちは、自国に何らかの災いが及ぶ場合に、自分たちの父祖の罪の応報が及んでいる場合があるかもしれないことを考慮する必要があると思います。


 さらに、地上の王たちは、自国が災いを経験する場合に、まず第一に自分とエホバ神との関係はどうなっているかを吟味する必要があると思います。国家の代表者としての王や大統領や首相の神との関係は、その国家の現在と将来にとても大きな影響を及ぼします。

 

 

 


 イスラエルの時代も、国民全体はかなり悪くなっていましたが、ユダの王ヒゼキヤの祈りをエホバ神が聞かれて、国家的な苦難を乗り越えたことがありました。それで、国家の指導者の神との関係は、その国家の状況に大きな影響があります。

 

 

 

 

 エホバ神が不興を覚えられる偶像崇拝を行って、エホバ神が自国に関する自分の祈りを聞かれない状況を造り出していないでしょうか。

エホバ神に祈りを聞いていただくためにはあらゆる偶像崇拝を避ける必要があ ります

 

 

 その場合、エホバ神に祈って贖いの犠牲に基づいて、エホバ神の罪の許しを求める必要があります。さらに、自国の国民に対しても、エホバ神との良い関係を追い求めて祈るように勧める必要があるかもしれません。



 預言者ヨナの時代に、ニネベの王は、神を恐れてその流血を悔い改めため、自国の国民にも悔い改めることを勧めたために、ニネベの滅びは何百年も延期されることになりました。
(ヨナ3:5-10。ルカ11:32)

 



0jonah and nineveh
ヨナが宣べ伝えニネベの王が悔い改めを国民に勧めたので神からの災いはニネベにすぐには及ばなかった





(4)終わりの時に住む神の民に勧められている生き方


  聖書は、終わりの時に住む神の民が、南の王からも北の王からも迫害を受け、さまざまな仕方で命を落としてしまうことを予告しています。大娼婦南の王は、聖なる人たちの血に酔うことが預言されています。(啓示17:6)それは、おおむね、軍事的な紛争に巻き込まれる仕方で行われるはずです。


0babylon the great7
大いなるバビロンは聖なる人たちの違反のためにその血に酔うことになる




 さらに、北の王が南の王を滅ぼすまでは、成功することになっていて、全世界で崇拝を受けることになることを予告しています。しかし、聖書がわたしたち神の民に勧めていることは、例え、南の王によって神の民が命を奪われているとしても、北の王が南の王を攻撃し滅ぼすことに成功するとしても、北の王の崇拝者となって剣をとって戦って南の王に復しゅうする者とならないことです。


 なぜなら、キリスト教徒であっても、あるいは、どんな宗教を持っている人であっても、他の人々の命を奪うならば、その責任をエホバ神から問われることになるからです。ですから、わたしたちは他の人々の命の血を流した場合、神がその責任を問われる道具が北の王になったり、南の王になったりする場合があります。また、他の形で災いが臨むことがあるかもしれません。そして、それはエホバ神が過去に流された自国による血に関して責任を問われたとみなせる場合があります。

 


 それで、自国が他国から軍事攻撃による災いを経験している場合、あるいは他の形での災いを経験していると考える場合、復しゅうをエホバ神に任せて事態の進展に任せることができます。


 「愛する皆さん,復讐してはなりません。神の憤りに任せましょう。「『復讐は私がすることであり,私が報復する』とエホバは言う」と書いてあるからです。」(ローマ12:19新世界訳改訂版)私たちが剣をとってその国家に復しゅうしなくても、エホバ神は流血を行う国家に対していずれかの形で、その応報を受けるようにとりはからわれるからです。



 エホバ神は人の命の血をとても貴重なものとみなしておられるので、わたしたちがその点で神からの憤りと復しゅうを招かないようにする唯一の方法は、ひとえにキリストの贖いの犠牲に頼ることです。(啓示7:14ヨハネ第一2:2)


 そして、聖書はこのように勧めています。「できる限りのことをして,どんな人とも平和な関係でいるようにしましょう (ローマ12:18)この言葉は国家間の関係にも個人間にも当てはめられると思います。平和な関係を追い求めるならば、平和な良い結果を刈り取ることができます。聖書は「平和を作りだす」ことができると述べています。(ヤコブ3:18)


  ですから、私たちがエホバ神の是認を得て、救いを得たいと願うならば、人間よりも神に従う必要があります。(使徒5:29)すなわち、「復しゅう」は神に任せて、殺人を避けて平和を追い求め、エホバ神の是認された崇拝者としてとどまるよう努めましょう。(ローマ12:18,19)

 

 

















 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(34)真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンはどのように不法な者の精神を避けることができるか

 
 イエスは、羊のようなクリスチャンを永遠の命か永遠の死かに分ける根拠は、ご自分の霊的な兄弟たちに愛ある協力をするかどうかだと言われています。(マタイ25:31-40)ですから、どんなクリスチャンがイエスの霊的な兄弟たちなのか、つまり、本当に天的な希望を神から与えられて、神に是認されているかを見分けることは必要です。
 
 
 
 そのことを判断するために、どんなクリスチャンが神から非とされるのかということを調べてみるなら、助けになります。聖書の中に、「不法の者」と呼ばれている実体があります。今回の記事では、この「不法の者」について考えてみて、神から是認されるためにどんな態度を避けるべきかを調べます。
 
 
 
​(1)神に非とされる不法の者とは誰を意味するのか-統治体の解釈とわたしヨハネの解釈​
 
 
 
  テサロニケ第二の手紙の中に登場する「不法な者」は誰を表わしているのでしょうか。 エホバの証人は、この不法の者を、キリスト教世界の僧職者であると解釈しています。「クリスチャンとしての生活と奉仕 集会ワークブック 2019」には、『現代の「不法の者」は,グループとしてのキリスト教世界の僧職者たち 』という記載があります。
 
 
 
 このエホバの証人の統治体の解釈は、啓示17章に登場する神から徹底的に裁かれる大娼婦大いなるバビロンが偽りの宗教の組織すべてであるという解釈とも調和しています。(啓示17:16)
 
 
 
 エホバの証人は、自分たち以外のキリスト教の指導者たちを、「不法の者」であるとみなしています。そのような考え方であると、わたしヨハネも「不法の者」の一部であるとみなされかねないと思います。わたしはエホバの証人の統治体とは異なる聖書の解釈をしているからです。

 
 
 しかし、「不法」とは「罪」ですが、わたしは神の律法に違反しないようにできるだけの努力をしていて、ほとんど神の律法に従っていると思います。(ヨハネ第一3:4)
 
 
 
 そして、わたしは実際にキリスト教の牧師たちの話も聞いています。確かにキリスト教会の牧師の中には、進化論を受け入れたり、兵士として戦うことも場合によっては、間違ってはいないと教えたり、同性愛者であっても良心的なクリスチャンがいるというような聖書に調和していないことを教える人たちもいました。
 
 
 
 
 しかしながら、教会の牧師の中には、神の律法を守る点で、エホバの証人にとてもよく似ている人もいます。偶像崇拝や淫行を避けるように牧師自身、努力を払って、そのように教会員に教えている人もいます。わたしは、すべてのキリスト教会を知り尽くしているわけではありませんが、アメリカ人の牧師の中にそのような人たちを見ました。「罪」つまり、「不法」を避けるよう努力を払っていて、「不法の者」とは言えない教会の牧師も存在していると思います。


 
 
0church clergy2
教会の牧師が性の不道徳や偶像崇拝を退けるよう教えている場合不法の者とは言えないのではないか​
 
 
 
 
 そして、完全に真偽を確かめてはいないのですが、統治体の兄弟たちの中にも、以前、性の不道徳に陥って、その後悔い改めた人もいるという情報もネットで見ました。もし、その情報が偽りであっても、エホバの証人の会衆の長老や奉仕の僕の中には、児童の性的な虐待に陥ったことが明らかになった人たちもいます。それは事実です。
 
 
  そうであれば、エホバの証人の中では、神の律法違反が生じる確率は低いと思いますが、それでも、「不法」つまり、罪に陥る長老たちもいます。
 
 
 
 ですから、不法を避ける点で、クリスチャンの誰もが努力しなければならず、 エホバの証人も他のキリスト教会の状況も五十歩百歩なのではないかと思います。ですから、「不法の者」が、 自分たち以外のキリスト教世界の僧職者たちであるというエホバの証人の解釈は間違っているのではないかと思います。
 
 
 
 現在、わたしが理解している聖書の言葉から考えて、不法の者がどのような特徴を持っていて、いつどのように登場するかを推論してみます。結論から言うと、わたしはこの「不法の者」とは、ダニエル書に登場する北の王であると考えます。
 
 
 
 
​(2)テサロニケ第二の手紙の中で不法の者はどのような特徴を持つことが描写されているか​
 
 
 
 「不法の者」に関する描写が、テサロニケ第二の手紙2章3節から12節に見い出されます。この不法の者にはどのような特徴があるでしょうか。
 
 
 
​ 「背教が生じて,不法の者つまり滅びる者が明らかにされてからでなければ,その日(エホバの日)は来ないからです。」とあります。(テサロニケ第二2:3新世界訳改訂版)まず、不法の者は「エホバの日」の前に登場します。さらに、「不法の者」とは、「背教」と同時に、現れます。(テサロニケ第二2:3)つまり、不法の者とは、キリスト教の背教者です。​

 
 
​ この不法の者は「滅びる者」と描写されているので、永遠の死、もしくは永遠の滅びを受けることになります。(テサロニケ第二2:3)​
 
 
 
​ さらに、不法の者は、「神と呼ばれているものや崇拝されているもの全てに逆らい,自分の方が上だと考え,ついには神殿の中に座って人々の前で神のように振る舞います。」と描写されています。(テサロニケ第二2:4新世界訳改訂版)ですから、不法の者は、自らを神より上に置き、神のように振る舞います。



0king of the north8
不法な者は人々の前で神のように振る舞うことが預言されている
 
 
 
 
 将来、いずれ、「不法の者が明らかにされる」時が来ます。イエスは、ご自分の「臨在が知れ渡る時にその者を滅ぼ」されます。(テサロニケ第二2:8新世界訳改訂版)ですから、イエスはご自分の臨在を明らかにされる時に、不法の者を明らかにして滅ぼされます。
 
 
 
​ 不法の者が登場するのは、「サタンの働き」によります。(テサロニケ第二2:9)さらに、 「不法の者はサタンの力によって,あらゆる強力な行い,偽りの奇跡,不思議なことを見せ,あらゆる不正な手段を用いて,滅びに向かう人々を欺きます。」(テサロニケ第二2:9,10)さらに、不法の者は、「偽り」を教えて、背教を促進します。(テサロニケ第二2:10,11)​
 
 
 
 ですから、「不法の者」の登場には、奇跡や不思議や強力な行いが伴います。ですから、不法の者は、悪魔サタンに影響されています。不法の者は、悪魔崇拝や心霊術に欺かれているか、心霊術を行っていると考えられます。さらに、不法の者は、聖書に調和しないことを聖書の教えだと言って人々に欺きを教え、人々を滅びに導きます。
 
 
 
​ さらに、不法の者に欺かれる「人々が滅びるのは当然の報いです。」なぜなら、不法の者に欺かれる人は、「救いをもたらす真理を愛そうとしなかったからです。」(テサロニケ第二2:10)そして、神は,人々が「偽りを信じるままにします。こうして彼らは皆,真理を信じないで不正を好んだために,断罪されます。 」(テサロニケ第二2:9-12)​
 
 
 
​(3)北の王は背教したキリスト教を奉じることがダニエル書で預言されている​
 
 
 このテサロニケ第二の手紙とダニエル書と啓示の書の預言を考え合わせてみます。ダニエルの預言の中で、北の王は、もともと、イスラム教の背景からきています。
 
 
 
 なぜなら、ダニエル8章の預言によると、ギリシャを表わす「雄ヤギ」の「大きな角は折れ」、「4本の際立った角が生えて」きました。「そのうちの1本から,別の小さな角が生え」ましたが、「それは非常に強大になって」、「聖なる所の定まった場所を打ち壊し」ます。(ダニエル8:8-11)


 


0great horn of a goat
ギリシャアレクサンドロス大王の大きな角が折れて・・・



0four horns
四つの国を表わす四つの角の一つの小さな角が北の王になる
 
 
 
 
 この雄ヤギの「大きな角」はアレクサンドロス大王です。そして彼の領土から派生した四つのギリシャ系の帝国の一つから小さな角が生えてきます。このダニエル8章の小さな角は、「強大な者となる」という描写や「聖なる所」を打ち壊すという描写から北の王を表わしていることが分かります。(ダニエル11:24,31新世界訳改訂版)
 
 
 
 ですから、この北の王は、アレクサンドロス大王の旧帝国から派生した四つのヘレニズム系の国から興ります。アレクサンドロス大王の旧領土は、おおむねイスラム教ですから、北の王は、イスラム教を奉じています。
 
 
 
 北の王は、背教したキリスト教に注目することが予告されています。ダニエル11章には、北の王が「聖なる契約を破る者たちに注意を向け」ることが預言されているからです。(ダニエル11:30)「聖なる契約」とは聖書の中にある神と神の崇拝者との間にある契約です。
 
 
 
 
 
​(4)北の王はダニエル書と啓示の預言の中で最終的に滅びることが預言されている​
 
 
 
  ダニエル11章によると、北の王は、この世の終わりの時に、裁かれて終わりを迎えます。(ダニエル11:45)この世の終わりの時には、人間の政府は、諸国家の間の戦争ではなく神の王国によって、奇跡的な仕方で終わりを迎えるはずです。(ダニエル2:44,45)それで、キリストの臨在が始まるのは、大患難の時で、非常に多くの死体が地上で生じる時です。(マタイ24:21,22,27,28)再臨の後、世の終わりに北の王は、滅ぼされることになっています。ですから、北の王は最終的にイエスの臨在がはっきり表される時に、滅ぼされることになります。
 
 
 
 
 ダニエル8章の中でも、北の王が、「長たちの長」、イエス・キリストによって、「人手によらずに打ち砕かれる 」ことが予告されています。(ダニエル8:25)ですから、イエスの臨在がはっきり表されることによってキリストから直接奇跡的な仕方で、滅ぼされることになるのは、北の王です。
 
 
 
 


           0king of the north
北の王は最後にイエスにより人手によらずに滅ぼされることになってい
           るので滅びる者と言える
 
 
 
 
 
  さらに、啓示の書の預言によると、将来、「底知れぬ深み」から「バッタの群れ」が出てきます。そのバッタの群れは、「サソリ」の権威が与えられて、「額に神の証印がない人々には害を加え」ることが許されます。(啓示9:1-3新世界訳改訂版)この、「底知れぬ深み」から出てくる「バッタの群れ」とは、最初の北の王に率いられた軍勢を意味していると思います。その理由は別の機会に説明します。
 
 
 
 
​ バッタの群れの軍勢を「治める王」の「名は,ヘブライ語ではアバドンであり,ギリシャ語ではアポルオン」です。ギリシャ語アポルオンとは「滅ぼす者」、ヘブライ語アバドンとは、「滅び」という意味があります。 (啓示9:11)ですから、啓示の書の中では背教したキリスト教の指導者たちを苦しめる最初に登場する北の王が、最終的に「滅び」を経験することが預言されています。北の王は永遠の滅びをこうむることになります。​
 
 
 


0king of locusts
北の王であるバッタの軍勢の王は滅びという意味の「アバドン」と呼ばれているので不法の者が滅びる者と言われているのと符合する
 
 
 
 それで、ダニエル書の中でも、啓示の書の中でも、北の王が「滅び」をこうむると描写されているので、テサロニケ第二の手紙の「不法の者つまり滅びる者」と描写されているのは、北の王であると判断するのが妥当ではないかと思います。(テサロニケ第二2:3新世界訳改訂版)
 
 
 
​(5)北の王があらゆる神より上だと考えることがダニエルの預言の中で預言されている​
 
 
​  上に述べたようにテサロニケ第二の手紙の中では、「不法の者」は、「神と呼ばれているものや崇拝されているもの全てに逆らい」ます。「自分の方が上だと考え,・・・人々の前で神のように振る舞います。」と描写されています。(テサロニケ第二2:4新世界訳改訂版)​
 
 
 
​​ そして、ダニエル書の北の王に関しては、みずからを神の地位に置くことが預言されています。「その王は思うままに行動し,高慢になり,自分はあらゆる神より上だと考え」ます。さらに、「彼は自分の父祖たちの神を無視し,女たちの願いも他のあらゆる神々も無視して,自分は全ての者より上だと考えます。」(ダニエル11:36,37新世界訳改訂版)​​






0king of the north4
北の王も自らをあらゆる神より上だと考えることが預言され不法の者の描写と同じことが予告されている

 
 
  このことは、北の王は従来のキリスト教の権威に逆らい、それらを非難したり軍事的に攻撃してダメージを与えることに成功することによって、自ら高ぶり「あらゆる神より上だと考える」ことになると考えられます。
 
 
 
 
 ですから、北の王が将来、自らを神の地位に置くという点で、テサロニケ第二の手紙の「不法の者」の描写は、ダニエル書の北の王の特徴と合致します。
 
 
 
​(6)ダニエルの預言は北の王が背教を促進することが預言されている​
 
 
 
​​​ テサロニケ第二の手紙の中では「不法の者」は、「滅びに向かう人々を欺く」ことが描写されています。一方、ダニエルの預言の中では、北の王は、「悪を行って契約を破る者たちを,彼は言葉で欺いて背教へと導く 」ことが預言されています。(ダニエル11:32新世界訳改訂版)ですから、「不法の者」も北の王も悪を行う人々を欺くことになっています。​​​
 
 
 
 北の王は、自らが背教しているだけでなく、すでに聖書の教えに違反しているクリスチャンの中に背教を促進することが預言されています。
 
 
 
 ダニエル11章には、北の王が南の王に対する三度目の総攻撃として、「兵車や騎手や多くの船で南の王を激しく攻撃し,国々に入って,洪水のように勢いよく通っていく」ことが預言されています。(ダニエル11:40新世界訳改訂版) この時、北の王に従う軍勢の兵士たちの数は膨大な数に上るはずです。
 
 
 
 北の王は、確かに、それらの軍勢の王として、崇拝されており、北の王の軍勢の兵士たちは、北の王に対する崇拝と忠節で特徴づけられることになるでしょう。(啓示13:3,7)ですから、二億の騎兵隊は、北の王の崇拝者として行動し、彼に欺かれて滅びに向かいます。北の王の崇拝者たちは、彼らは「子羊の命の巻物 」にその名が記されていないので、永遠の滅びをこうむることになります。(啓示13:8)
 
 
 
 
 啓示9章に登場する「1万の2万倍」、すなわち二億の騎兵隊とは、その時、北の王に従う膨大な数の軍勢の兵士たちを意味すると解釈するのが妥当です。(啓示9:11)北の王は背教したキリスト教に注意を向け、背教したキリスト教に改宗するからです。啓示13章の「子羊のような2本の角」のある野獣は、北の王のはずです。
 
 
 
 なぜなら、子羊のような2本の角のある野獣は、「像」を造ることになっているからです。(啓示13:11,14)偶像は、エゼキエル書の中で、「汚らわしい偶像」と呼ばれています。(エゼキエル7:20)この「汚らわしい偶像」は、Berean Study Bible では、detestable idols、NWTでも、their disgusting idols です。そして、この語は、Strong's Hebrew 8251で、Disgusting, filthy, idolatrous, an idol と説明されています。
 
 
 
 さらに、ダニエル書では、北の王は、「荒廃をもたらす極めて不快なもの 」を据えることが予告されています。(ダニエル11:31)これは、Berean Study Bible では、the abomination of desolation、NWTでは、the disgusting thing です。このthe disgusting thing は、 Strong's Hebrew 8251でDisgusting, filthy, idolatrous, an idol です。
 
 
 
 ですから、子羊のような2本の角のある野獣の造った物も、北の王が据えた「極めて不快なもの」も、両方ともヘブライ語の原語は、同じで、嫌悪すべき偶像という意味があります。ですから、啓示13章に出てくる「像」を造る子羊のような2本の角のある野獣は、北の王です。そして、子羊のような2本の角があることは、この野獣がキリスト教の様相を示していることを表わしています。北の王は背教したキリスト教を受け入れています。
 
 
 
 ダニエル書でも、北の王は、「聖なる契約を破る者たちに注意を向け」、「契約を破る者たち」を「言葉で欺いて背教へと導く」ことが予告されています。 (ダニエル11:30,32)それで、北の王は背教したキリスト教を奉じているので、自らに従う軍勢の兵士たちを背教した偽りのキリスト教により惑わすと考えられます。
 
 
 
 そのために、非常に多くの兵士が北の王に惑わされて背教したキリスト教を信じ、エホバ神の是認を失う剣をとって戦うという道が正しいという偽りを信じることになります。そして、実際に戦って命を落としますし、さらに、永遠の死をこうむることになることが予期できます。
 
 
 
​(7)偽預言者と偽キリストが行なう大きな奇跡と不思議​
 
 
 
 イエスは、ご自分の再臨の時期に、「偽キリストや偽預言者が現れ,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大きな奇跡や不思議なことを行う」ことを予告されました。(マタイ24:24新世界訳改訂版)さらに、啓示の書では、北の王であると考えられる2本の角を持つ野獣が、「大きな奇跡を行い,人類の前で火を天から地に降らせることさえする」ことが説明されています。(啓示13:13新世界訳改訂版)
 
 
 
 この野獣は、一番目の北の王に対する崇拝を促進する二番目に登場する北の王だと思います。ですから、二番目の北の王は、「火を天から地に降らせる」という大きな奇跡を行うことになると思います。
 
 
 
 ヨブ記には、悪魔サタンが天から火を降らせてヨブの僕たちと家畜を焼き尽くしたという記述があります。(ヨブ1:12,16)エリヤとバアルの預言者が対抗した時には、バアルの預言者たちは、自らの神に天から火を降らせて捧げ物を焼き尽くさせることに失敗しました。(列王第一18:22-26)
 
 
 
 ですから、悪魔サタンが自分を崇拝している者たちを、欺くために、力を貸すということが起きることも考えられます。北の王は、自らの神に、天から火を降らせるように祈願して、悪魔サタンは、彼の請願を聞き届けるのかもしれません。
 
 
 
 
 それで、これらのことを総合的に考えると、北の王は、おそらく、悪魔崇拝や心霊術に関係しており、彼の崇拝者たちは、悪魔サタンや悪霊により、奇跡や不思議な現象を目撃してすっかり欺かれることになるのかもしれません。しかし、もしかすると、現代科学の軍事的な最新技術を進歩させて、実際に天から火を地に降らせるというようなことを人類に見せるのかもしれません。
 
 
  さらに、その北の王は、政治の長と、宗教の長を兼ね備えることになることが予期できます。啓示の書も北の王が全地で崇拝を受けることになることを預言しています。聖書は 致命的な打ち傷を受けて回復する野獣に「あらゆる部族と民と国語と国民に対する権威」が与えられ、「地に住む者」がそれを「崇拝する」ことになることが予告しています。これは、北の王を意味しているでしょう。(啓示13:3,7,8)
 
 
 
 こうしたことを総合的に考えてみると、「不法の者」の特徴は、ダニエルの預言に描写されている北の王の特徴と同じです。ですから、テサロニケ第二の手紙の「不法の者」は、ダニエルの預言に登場する北の王と判断するのが妥当です。
 
 
 
 
0king of the north7
 
不法の者とは軍事的な成功をおさめて神のように振る舞い自分に従う軍勢に背教を促進する北の王

​​

 
 
 
 
 
​(8)真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンは不法の者の特徴をどのように避けるべきか​
 
 
 
 こうした不法の者の特徴を考えると、イエスの是認を得たいと願う天的な希望を持つクリスチャンは、権力を求めて北の王のように自らを神の位置に置くようなことをしないように気をつけなければならないと言えます。このことは、罪のある自分たちに対して過度の誉れを要求しないようにすることが必要です。
 
 
0reject getting authority
北の王のように政治的な権力を持つことを退ける必要がある
 
 
 
 
 さらに、北の王に欺かれないように気をつけるために、とりわけ大切なのは、殺人を避けることです。国際的に北と南の対決機運が高まる時に、何らかの大義のための殺人は正しいと説得する圧力が、キリスト教イスラム教の中で強くなると考えられるので、このことはとりわけ重要です。また、無神論的で世俗的な考え方の中でも、神の律法や道徳基準を投げ捨てて、殺人を容認する考えが広まることでしょう。
 
 
 
 
0jesus and peter with sword
エスのように剣をもって戦うことを拒否して北の王のようにならないようにする必要がある



 
 
 さらに、イエスの霊的な兄弟たちは、心霊術を注意深く避けるように努力をする必要もあります。悪魔崇拝や悪霊崇拝に陥らないように努力をすることが求められます。オカルトや心霊術に関連した書籍やCDやDVDは処分するのが賢明です。(使徒19:18,19)また、霊媒や占いや魔術を信じて、それに頼ることにないようにすることも必要です。(使徒16:16-18。エレミヤ27:9,10。レビ19:31)
 
 
 


0occult
心霊術を避け悪魔サタンや悪霊に影響されないようにする必要がある
 
 
 
 
 なぜなら、それらの占いや霊媒や魔術の力は悪霊に由来するからです。さらに、身近なこととして、悪魔サタンや悪霊のように扮装するようなことを避けるのが賢明です。そのようなことをすると、悪魔サタンから攻撃されるすきを作ります。
 
 
 
 さらに、神の崇拝や律法を推進することは重要ですが、神への崇拝や神の律法に関係しない分野まで、自分の意見に盲従することを他の人々求めないように極力努めることによって、自らを神の地位に置かないように気をつけるようにできると思います。
 
 

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イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1-2)モーセの権威が表わしていたのは統治体ではなくイエス・キリスト

エホバの証人の統治体の兄弟たちは、荒野で反逆したイスラエル人を裁いたモーセの権威を持っていると主張されています。そのために、統治体の兄弟たちや、統治体によって任命された長老たちの権威に従わなければ、エホバ神に裁かれてしまうと示唆されます。

 

 しかし、先回の「イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1)統治体はモーセの権威を持っていますか」の中で、モーセのような預言者は、イエス・キリストであって、私たち霊的なイスラエル人はとりわけ、イエス・キリストの権威に従わなければ、イエスに裁かれてしまうことを説明しました。

 

 今回の記事では、イエスモーセのようにどのようなクリスチャンを裁かれることになるのかを説明したいと思います。イエスが啓示の書の中で、霊的なイスラエル人の七つの会衆に語っておられる音信を検討したいと思います。

 

 

(1)統治体がイエスの右手にある七つの星とは天的な希望を持つ長老たちを表しているという解釈は正しいですか


     エホバの証人の統治体は、七つの会衆に対するイエスの音信に関連して、イエスの右手にある七つの星とは、とりわけ、長老でなる天的な希望を持つクリスチャンを表しているとみなしています。(啓示1:16新世界訳改訂版)そのために、エホバの証人の統治体は、イエスの完全な制御下にあるのは、ご自分たち、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちであり、ご自分たちに従うことを求められます。



0seven stars3
エスの右手の上の七つの星とは天的な希望の長老たちですか




 では、まず、七つの会衆とはどのような実体を表していたでしょうか。イエスは、「主の日」に、天的な希望を持つクリスチャン全体に語られました。(啓示1:10新世界訳改訂版)そして、その中で、七つのタイプの会衆に対して語られています。七つの会衆とは、「主の日」の男性も女性も含む天的な希望を持つクリスチャンたちで構成されています。(啓示1:5,6新世界訳改訂版)


0seven congregation
七つの会衆とは主の日の天的な希望を持つ男女を含むクリスチャン会衆を表す





 例えば、テアテラ会衆には、「かの女イゼベルのような女性のクリスチャンが含まれていたので、七つの会衆の成員の中に女性も含まれていたことが分かります。(啓示2:20)



0jezebel2
七つの会衆の成員にはテアテラのイゼベルのような天的な希望の不忠実な女性の成員も含まれている






 そして、イエスは、「七つの星は七つの会衆の使いたち」を表すと言われています。(啓示1:20新世界訳改訂版)証人たちは、イエスは、「七つの会衆の使いたち」を通して、七つの会衆の個々の成員に音信を伝えているとみなしています。そして、統治体は、七つの会衆の使いたちとは、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちを表すとみなしています。


(2)啓示の書のイエスの右手にある七つの星また七つの会衆の使いたちとは誰ですか


  ところが、七つの星、すなわち七つの会衆の使いたちとは、男女を含む天的な希望を持つクリスチャンであるということが、聖句を検討すると分かります。 


 イエスは、エフェソス、スミルナ、ペルガモン、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアにある会衆の使いに語りかけておられます。(啓示2:1,8,12,18;3:1,7,14)そして、どの会衆の使いたちにも、「あなた」と呼びかけて、それらの会衆の状況を知っていると述べられています。


 さらに、エスは、その会衆の使いたちに対して、忠実であることを励まされて、もし、忠実であれば、 その人に「私の神の名と,私の神の都市すなわち天の神のもとから下る新しいエルサレムの名と,私の新しい名 」を記すと約束されています。(啓示3:12)


 ですから、七つの会衆の使いたちに差し伸べられているのは、「新しいエルサレム」の一員になるという希望、つまり、天的な希望です。ところで、天的な希望を差し伸べられるのは、長老だけ、また、男性だけではありません。会衆の一成員に過ぎない女性も天的な希望を差し伸べられて、「新しいエルサレム」の構成員になるという将来の希望を持っています。



0new jerusalem2
七つの会衆の使いたちには聖なるエルサレムの構成員になるという希望が差し伸べられる
会衆の使いたちは天的な希望を持つ男女のクリスチャンを意味する






 ですから、イエスの右手の上にある「七つの星」また、「七つの会衆の使者たち」とは、七つの会衆の一部の成員を表しているわけではありません。



 「7つの金のランプ台」で表わされる七つの会衆とは、天的な希望を持つクリスチャンたちを組織を全体的に表現しています。(啓示1:12新世界訳改訂版)


 一方、イエスの右手の上にある「七つの星」と、「七つの会衆の使者たち」とは、男女を含む天的な希望を持つ個々のクリスチャンたちを表しています。(啓示1:20新世界訳改訂版)そして、イエスは、会衆の使いたちを通して、会衆の成員に語っているというよりは、会衆の使いたち自身に、音信を伝えているというのが正しいです。


0seven stars4
エスは右手の上の七つの星つまり七つの会衆の使いたちに対して音信を伝えられた
七つの会衆の使いたちとは天的な希望を持つ忠実また不忠実な男女のクリスチャン






(3)七つの会衆の使いたちは性別や長老であるかどうかにかからわずイエスに忠実であることが求められている



 しかしながら、七つの会衆の天的な希望を持つクリスチャンがすべて、天的な希望をとらえるのではありません。イエスは、「忠実」であるなら、神の王国に入ることができると約束されています。(啓示2:10新世界訳改訂版)ですから、男女にかかわらずイエスの指示に従って忠実を保つ天的な希望を持つクリスチャンだけが天的な希望を捕らえることができます。


 その点で、男性も女性もありません。パウロは、イエスの体を構成する成員としては、「男性も女性」も平等の立場にあると述べています。(ガラテア3:28新世界訳改訂版)そして、「家令に求められるのは,忠実であること」だと述べられています。(コリント第一4:2新世界訳改訂版)



 長老であること、男性であることが求められているのではありません。男女とも、第一にイエスに忠実であることが求められています。たとえ、男性であっても、長老であっても、イエスの命令と指示に不忠実ならば、神の王国に入ることはできません。ですから、大切なのはとりわけイエス・キリスト忠実であることです。


 このことを考えてみても、イエスがただ単に、聖霊で油そそがれたクリスチャンの長老たちだけを用いて通して、会衆の成員に音信を伝えたとは考えられません。イエスは、男女を含む聖霊で油そそがれたクリスチャンの個々の人に音信を与えたとみなすのが妥当です。


(4)エスはどんな聖霊で油そそがれたクリスチャンを否認されますか


 イエスの権威に逆らうならば、荒野でモーセの権威に逆らったイスラエル人のような経験をすることになるでしょう。では、イエスは啓示の書の中のアジア地区の七つの会衆にどのようなクリスチャンに敵対すると言われたでしょうか。


 それは、まず「初めの頃に抱いていた愛を失った 」者、「忠実であり続け」ることを死に直面してやめてしまう者です。(啓示2:4,10新世界訳改訂版)


 さらに、「偶像に犠牲として捧げられた物を食べ,性的に不道徳な行為をする 」者、「ニコラオ派の教えを固く守っている 人」です。(啓示2:14,15新世界訳改訂版)ですから、神の律法に違反する者は否認されるでしょう。さらに、個人に従うことを強調し過ぎて、神の言葉から離れてしまう者を否認されるでしょう。


     また、「性的に不道徳な行為をさせ,偶像に犠牲として捧げられた物を食べさせて」いる「あのイゼベルのような女性を容認している」者です。(啓示2:20新世界訳改訂版)さらに、「サタンの奥深い事柄」を 「知るように」なる者、すなわち、神の律法に違反する者です。 (啓示2:24新世界訳改訂版)


 また、「生きているといわれていますが,実は死んでい る」者、「行い」が「神から見て十分であるとは言えない」者、生ぬるく,熱くも冷たくもない」者など、すなわち、クリスチャンの責務に不熱心な者です。(啓示3:1,2,16新世界訳改訂版)


 以上のような神の律法を守らない者、愛を示す努力をしない者、クリスチャンの責務を果たすことをなおざりにする者たちは、イエスの権威に逆らっています。そのような者たちは、昔、モーセの権威に反逆した者たちになぞらえられます。


 昔神はモーセを用いて反逆者たちを裁かれました。同じようにイエスは、エホバの代表者として、以上のようなタイプのクリスチャンたちに対して敵対されます。


(5)エスはご自分に不忠実な天的な希望のクリスチャンにどのように敵対されますか


 モーセは神と自分の権威に不忠実であったイスラエル人に裁きを執行しました。では、イエスはご自分の権威に不忠実な天的な希望のクリスチャンにどのような形で敵対されるでしょうか。


   そのようなクリスチャンたちに対しては、イエスは、「ランプ台を取り去り 」、「口から出る長い剣 」で「戦い」、「病気にならせ 」、「姦淫をしている人たち 」を「大きな苦難に遭わせます。」また、「死に至る病気によって殺します 」(啓示2:5,16,22,23新世界訳改訂版)


   また、イエスが、「必ず泥棒のように来」る時に不意を打たれるでしょう。(啓示3:3新世界訳改訂版)また、イエスはそのようなクリスチャンを「口から吐き出」します。(啓示3:7新世界訳改訂版)


 すなわち、イエスは神の王国に入るという特権を不忠実なクリスチャンから奪います。さらに、聖書の言葉を用いてそれらのクリスチャンと戦います。さらに、それらのクリスチャンが霊的また身体的な病気にかかることを許されるかもしれません。


 さらに、「大きな苦難」に巻き込まれて命を失うようにされます。さらに、イエスが天で王になられる時に、不意を打たれ、準備ができていないために、やはり、神の王国に入ることができないでしょう。


 そして、このことは、昔、イスラエル人がモーセの権威に逆らった時に、さまざまな神からの裁きを受けたことになぞらえられます。ですから、モーセの権威に逆らった不忠実なイスラエル人が神の裁きを受けたことは、今日の不忠実な聖霊で油そそがれたクリスチャンが、イエスの権威に反逆するならば、イエスから神の王国の特権を奪われ、「大きな苦難」に遭わせられ、霊的・身体的な病気にかかるという形で、裁かれることを意味しています。


 基本的に、荒野でモーセの反逆して裁かれたイスラエル人の事例は、わたしたちが第一にイエス・キリストの権威に従わなければどんなことが起こるかを示しています。


 啓示の書は、イエスの権威に敵対する者たちが、荒野のモーセの権威を認めなかった者たちが、災いをこうむったように災いを経験し、命さえ失うことを述べています。ですから、エホバの証人の統治体の兄弟たちは、確かに神の言葉から語って神の律法に従うように勧めておられますから、その言葉に従わないなら、災いをこうむることもあるでしょう。


 しかしながら、第一の権威は、イエス・キリストにあります。ですから、他の天的な希望のクリスチャンや大群衆のクリスチャンが神の律法に従いながら、神の言葉に基づいて論じている場合、その人は、統治体と異なることを語っていても、イエスの言葉に従っていれば、神とイエスの不興をこうむって、神とイエスの是認を失うと言うことはありません。



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エスはみ言葉聖書によって語られ権威を行使されます


0seven stars3
統治体と論じていてもイエスの権威に従って聖書から論じていればイエスの是認を失うことはありません

 






イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(1-1)モーセの権威を持っているのは統治体ですかそれともイエス・キリストですか

  エホバの証人の統治体は、大会でも、ものみの塔の研究記事の中でも、ご自分たちの権威を強調なさいます。そのことを裏付ける聖書的な根拠として、荒野でイスラエル人を導いていたモーセとアロンの権威に逆らった一部のイスラエル人が、神罰で命を失ったことを挙げます。(民数記31:31-35)


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昔反逆者を裁いたモーセの権威は誰の権威を表していましたか





 ご自分たちの権威は、その当時のモーセとアロンの権威を表していると考えておられます。そのために、ご自分たちの権威に逆らうならば、エホバ神の不興をこうむり裁かれることになると主張しておられます。


 では、その当時、荒野で起きた一部のイスラエル人の反逆に対するエホバの対応は何を予示していたのでしょうか。わたしたちは、そのことから、どのような教訓を得られるのでしょうか。今回、シリーズで考えてみます。


 最初は、エホバの証人の統治体の兄弟たちが持たれる権威は、゜荒野で反逆したイスラエル人を裁いたモーセが持っていた権威と同じ権威を持っていると言えるかという点を検討したいと思います。



(1)権威を持つモーセが表していた方はイエス・キリスト


 モーセの権威は誰の権威を表していたのでしょうか。申命記の中では、モーセのような預言者を立てることが預言されていました。神はそのモーセのような預言者がエホバの「名によって話す」言葉に「従わない人に責任を問う」と言われました。(申命記18:18,19新世界訳改訂版)


 不従順のために責任を問われたクリスチャンは、命を失うことになるでしょう。それで、エホバ神は、モーセのような預言者に民の従順を求める権威を与えることを予告されていました。


 モーセのような預言者とは誰でしょうか。それは、イエス・キリストです。モーセは古い契約の仲介者であり、イエス・キリストは、「新しい契約の仲介者」です。(ヘブライ9:15新世界訳改訂版)ですから、モーセのような権威を与えられているのは、イエス・キリストご自身です。


0moses2
古い契約の仲介者モーセのように権威のある預言者とは・・・

0jesus new covenant
新しい契約の仲介者であるイエス・キリスト





 エスはクリスチャン「会衆という体の頭としての立場にあります。(エフェソス5:23新世界訳改訂版)ですから、わたしたち、とりわけ、天的な希望を持つクリスチャンたちが、第一に従わなければならないのは、一部の天的な希望を持つクリスチャンたちに対してではありません。イエス・キリストご自身に第一に従わなければなりません。


(2)荒野のイスラエル人は新しい契約に入る霊的なイスラエル人を表していた


 では、荒野にいたイスラエル人は、将来のどんな実体を表していたのでしょうか。イスラエル人は、シナイ山モーセの律法契約、いわゆる古い契約を与えられました。イスラエル国家は肉のイスラエル人で構成されていました。そして、イスラエル人は、その当時神と古い契約を結んでいました。



 そして、イエス・キリストは、新しい契約の仲介者になられました。(ヘブライ9:15新世界訳改訂版)新しい契約を神と結ぶ民とは、イエスを仲介者として神の王国に入る希望を持つ多国籍のクリスチャンたちです。(ルカ22:20)


 それで、荒野にいた古い契約に入っていたイスラエル人が表していたのは、イエス・キリストの到来後、新しい契約に入る天的な希望を持つクリスチャンたちを表していました。


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古い契約であるモーセの律法契約に入った肉のイスラエル人は・・・

0jesus is at the right hand of god
上記はイメージ画像
エスを仲介者としてエホバと結ばれる新しい契約に入った多国籍のクリスチャンを表す





 ですから、今日の天的な希望を持つクリスチャンと地的な希望を持つ大群衆が第一に従わなければならないのは、特定の聖霊で油そそがれたクリスチャンではありません。昔のイスラエル人がモーセの権威に従わなければならなかったことは、とりわけ、天的な希望を持つクリスチャンたちが、イエス・キリストの権威に従わなければならないことを意味しています。


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新しい契約に入るクリスチャンたちはまず第一に人間ではなくイエス・キリストの権威に従わなければならない

 

 

 ですから、反逆者を裁いたモーセによって表わされていたのは、イエス・キリストです。エホバの証人の統治体が、モーセによって予示されていたのではありません。

 

 

 エホバの証人の統治体の兄弟たちも、霊的なイスラエル人に含まれています。ですから、荒野でモーセの権威に逆らって裁かれたイスラエル人のようにならないように、気をつけなければならない立場にあります。



 エホバの証人の統治体の兄弟たちを含めて天的な希望を持つクリスチャンたちは、イエス・キリストの権威に第一に従わなければならず、イエスの権威に反逆するならば、荒野のモーセの権威に逆らったと同じことが起きることになります。イエスモーセのような預言者だからです。

 

 それで、次回は、わたしたちが霊的なイスラエル人としてイエス・キリストに裁かれてしまわないようにどんな点に気を付けなければならないかを検討したいと思います。

 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(33)イエスの兄弟たちは力ある業を行っていても不法を避けなければならない

(1)真正な油そそがれたクリスチャンには不法を避けていることが求められる


 エホバ神の真の崇拝者である真正な油そそがれたクリスチャンの場合は、そのクリスチャンが「不法」つまり、「罪」を退けていることが必要です。(ヨハネ第一3:4)


 現代は、聖書に対する信仰や信頼が弱くなっています。また、聖書の神とその律法を無視して、自由に生きたいと願う人も数多くいます。また、聖書が述べる事、聖書の預言が気に入らないという人も多いです。ですから、人々は聖書が広められることを気に入らないかもしれません。しかし、一般の人々に不人気であったとしても、不法、つまり罪を退けることを唱道することが求められます。


 つまり、淫行、殺人、偶像崇拝、心霊術、悪魔崇拝、盗み、飲酒などの神の律法に違反する業を断固として退ける努力を払うことが必要です。(啓示21:8)また、そのことが神から求められていることを人々に教えることが必要です。


 ある人がエホバ神の選ばれた者であり、イエスの霊的な兄弟であると主張していても、その人が婚前交渉、不倫、同性愛などの性の不道徳や殺人や流血、また、偶像崇拝を行っていれば、その人は、エホバ神から是認されている油そそがれたクリスチャンではありません。聖書は「偽キリスト」が存在すると述べています。(マタイ24:24新世界訳改訂版)

 

 

不倫などの性の不道徳などの罪を犯すならその油そそがれた者はイエスから退けられてしまう

 



 最初に述べたように、わたしヨハネは、神の律法に違反することは避けるように努力を払っています。エホバ神とイエス・キリストに是認されるように性の不道徳や偶像崇拝、心霊術、悪魔崇拝などの神の律法違反に陥らないように努力を払っています。


 聖書の預言は、エホバ神の律法と結びついています。世界で、災いとなるある出来事が起きることになる原因のひとつは、政治指導者たちや宗教指導者たちや一般の人々が、神の律法に違反するために起きます。ですから、聖書中にある否定的な災いは、神の律法「違犯」のために起きます。(ダニエル8:13)そのためにも、エホバ神に是認される聖霊で油そそがれたクリスチャンは神の律法の遵守が求められます。



(6)強力な行いやしるしがイエスの是認を証明するか


 油そそがれたクリスチャンが行なう強力な行いやしるしには、さまざまな種類のものがあると思います。それは、はなばなしいもので、人々の注意を引くものかもしれません。そして、聖書によるとそれは、多くの人々を死に至らせたり、あたかも天から火を降らせたりというような種類の人々の注目を集める出来事かもしれません。(啓示13:11-13)


 しかし、多くの人々の注目を集めること自体が、エホバ神の是認を証明しません。キリスト教会が是認している奇跡の中には、非常に大勢の人が目撃した奇跡などもあります。カトリック教会が公認しているようなファティマの聖母の奇跡などのように大勢の人が見た奇跡もあります。けれども、こうした奇跡は大勢の人々に目撃されたとしても、それ自体が聖書の神の後ろ盾を証明するものとはなりません。


 さらに、聖書は悪魔が天から火を下らせることができることを示しています。(ヨブ1:16)子羊のような二本の角のある野獣は、「大きな奇跡を行い,人類の前で火を天から地に降らせることさえする。」と預言されています。(啓示13:13)しかし、 その野獣は、「偽預言者」と呼ばれます。(啓示19:20)


  ですから、その業が人目を引くものであっても、人々の命を奪ったり、世界の環境を破壊したりというものであれば、それは、聖書の神の是認を得ているとは言えません。


 しかしながら、それらの油そそがれたクリスチャンによって行われる行いが人々を助けるものであったり、信仰の仲間や一般の人々に対する愛や親切を表わすものである時、それは確かに、それがイエスの是認を得ていることを示すものにはなり得ます。イエスは、ご自分の弟子たちに、仲間同士愛し合うように、また、他のすべての人に良いことを行うことを奨励されたからです。(ヨハネ18:34。テサロニケ第一5:15)


 そして、良い木か悪い木であるかどうかは、その生じる実によって見分けられるとイエスは言われました。(マタイ7:17,18)ですから、ある油そそがれたクリスチャン、あるいはあるキリスト教の組織が行なっていることが、愛や親切や平和を産み出している時、それは、エホバ神とイエスの是認を得ていることを示すかもしれません。


 しかしながら、そうした良い行いをする時に、上記で指摘したような神の律法違反を伴うことのないように努力する必要があります。例え、良い行いや「多くの強力な行い」をしていても、「不法」を働いているならば、否認される場合があると言われました。(マタイ7:21-23)ですから、良い行いをしている人たちが、神の律法に「故意に」繰り返し違反しているならば、エホバ神の是認が得られているとは言えません。(ヘブライ10:16) 


 でも、わたしたち人間は弱く不完全な罪人なので、誰もが罪を犯します。(ローマ3:23)故意に繰り返し行われる罪でない罪は、イエスの贖いの犠牲に頼って、エホバ神に罪の許しをお願いし、神とイエス・キリストに是認された状態を保つ必要があります。


 ですから、この記事では、奇跡は真正な油そそがれたクリスチャンであることを証明するものとはならないということを説明しました。ある個人、あるいはキリスト教のグループが行なう強力な行いに関しては、識別力を働かせて、判断する必要があります。


 その奇跡に見える業や力ある業が、まことの神とイエス・キリストの是認を得ているかどうかは、さまざまな条件を満たしている必要があります。その業が単に「強力な行い」であるだけでなく神の律法に調和して行われていることが求められています。

 

 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(33)イエスの霊的な兄弟たちは奇跡では判断できない

神に是認される油そそがれたクリスチャンを見分けることは必要なことです。なぜなら、先回の記事にあるように聖書の中に示されているエホバ神やイエス・キリストの感じ方や言葉を考えると、天的な希望を持つことを表明するイエスの霊的な兄弟たちにふさわしい敬意を払った方がいいと思います。


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表象物にあずかり天的希望を表明するクリスチャンにふさわしい敬意を表すのが正しい

 

 



  彼らに親切に協力するかどうかで、将来永遠の命を受けるか永遠の死を受けるかが決まるからです。(マタイ24:45,46)




イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(27)目立たない油そそがれたクリスチャンに親切にするかどうかで永遠の命かどうかが分けられる


  わたしヨハネの場合、わたしにかかわるビジネスに巻き込まれているために、奇跡を行っているとみなされる可能性があると思います。しかしながら、それは、悪魔サタンや悪霊による奇跡ではないと思います。


 わたしは、魔術やオカルトに関係した物品を持ってはいませんし、心霊術者や霊媒に相談に行ったりして、悪魔崇拝や悪霊崇拝に関わることは避けています。(使徒19:19。レビ19:31)また、偶像崇拝は避けています。 (コリント第一6:9,10)エホバ神ではなく、死者を崇拝することもしません。(伝道の書9:5)


 ですから、ヨハネに関わるビジネスは、心霊術に伴う奇跡ではありません。わたしはこれがどのようにして行われるのか十分理解していませんが、何らかの最新現代科学が関係しているのではないかと思います。


 今回の記事では、神とイエスに是認される油そそがれたクリスチャンを彼らが行なう奇跡や強力な業では判断できない事について説明したいと思います。


(1)エスや初期クリスチャンたちは奇跡を行えた


 一世紀には、エホバ神はある神の僕をご自分が是認されていることを聖霊によるさまざまな奇跡しるしで確証を与えられました。エホバ神は背後でイエスをさまざまな仕方で支援されました。(ヘブライ2:4)エホバ神は天からの言葉でイエスがご自分の子であることを語られたこともありました。(マタイ3:17)また、イエスが神の子であり、メシアであることを、さまざまな奇跡としるし与えて人々に示されました。(ヨハネ1:32-34;20:30使徒10:38)



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エホバ神はイエスが神の子であることを証しするために多くの奇跡を行う力を与えた




 エスの奇跡やしるしを見た人は、神の後ろ盾のある人でなければ、そのようなことを行えないと判断しました。(ヨハネ3:2;9:30-33)


 さらに、イエス十二使徒たちに病気の人をいやしたり、死者を復活させたり、悪霊を追い出す権威を与えました。(ルカ3:14,15。マタイ10:8)また、イエス七十人の弟子たちにも、いやしや悪霊たちを制御する権威を与えたことが記されています。(ルカ10:8,9,19)


 例えば使徒ペテロは病気で死んだドルカスをよみがえらせました。(使徒9:36-41)また他に、使徒パウロも奇跡を行えました。(ヘブライ2:4使徒4:16;5:12;14:3;15: 12。コリント第二12:12)




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エホバ神はペテロにドルカスをよみがえらせる力を与えてクリスチャンたちに対するご自分の支持を示された






 そのようにして、エホバ神は、彼らに与えた奇跡やしるしによって、イエスの弟子たちがエホバ神の是認と後ろ盾を得ていることの証明をされました。


(2)エホバ神が奇跡を行う力をイエスやイエスの弟子たちに与えたのはなぜか 


 エホバ神がそのような奇跡を行う力をイエスやイエスの弟子たちに与えたのはなぜでしょうか。それまで、エホバ神はモーセの律法下にいた肉のイスラエル国民との契約関係を尊重しておられました。けれども、イスラエル国民は、背後に神がおられる証拠を豊富に示したイエスを殺害しました。(マタイ27:25,26)また、イエスの弟子たちのある者たちを殺害しました。(マタイ23:37,38ヨハネ19:7)そのようにして、イスラエル国民はエホバ神を退けました。

 



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イスラエル人はモーセの律法契約という神との古い契約に入った



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イスラエル人は神の子イエスを殺したため神との契約関係を失った




 そのために、神と肉のイスラエル人の間の契約で合ったモーセの律法契約は破棄されました。代わりに、イエスを仲介者とする新しい契約が神とイエスの弟子たちの間で成立することになりました。(エレミヤ31:31,32)それで、エホバ神は、その大きな変化をイエスと彼の弟子たちにさまざまな奇跡を行わせることにより、確証を与えられました。 




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古い契約は神とイエスの弟子たちの新しい契約に変えられた
    神はこの大きな変化を奇跡によって確証された




 奇跡やしるしがその当時、必要であった理由は他にもあります。一世紀当初は、まだ聖書全体が完成していませんでした。また当時は、聖書は希少な本で、みんなが十分手に入れることも難しく、また、科学も考古学も発達していないという状況でした。


 そのために、イエスの弟子たちが効果的に宣教を行うために、彼らが奇跡を行えることが必要でした。


 さらに、時間の経過と共に、奇跡的な聖霊の賜物は必要がなくなってきていました。ユダヤ教の体制から、キリスト教の体制へと移り変わったことは、イエスと初期クリスチャンに与えられていたしるしによって十分証明されたからです。 そして、イエスから奇跡を行う力と権威を与えられた弟子たちの死と共に、奇跡の賜物は、過ぎ去っていきました。


 それで、聖霊による奇跡は過ぎ去ることが予告されていました。(コリント第一13:8-11)そのために、誰が本当に聖霊で油そそがれたクリスチャンであり、エホバ神の後ろ盾を得ているかは、一世紀のように誰かが行なう奇跡で判断することは基本的にできなくなりました。


 そして、今日、エホバ神とイエス・キリストがご自分の是認される僕にどんなことを求められているかは、今まで出した記事でご説明しました。


イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(31)勘違いで表象物にあずかると証人から排斥されてコラのようにエホバから裁かれるというのは正しいか 

 




(3)奇跡やしるしや強力な業は偽預言者も行えることになっている


 今日、誰が神に是認された油そそがれたクリスチャンであるか判断する方法は一世紀と異なります。必ずしもそのクリスチャンが行なうしるしや異兆や不思議によって判断できないことを聖書は示しています。


   イエスはご自分の名によって「預言し,・・・邪悪な天使たちを追い出し,・・・多くの強力な行い」をする人々を否認される場合があると言われました。(マタイ7:21-23)預言や悪霊を追い出すこと、多くの強力な行いは神に喜ばれるように見えるのに、このイエスの言葉は不思議です。


 イエスは、そのようにしたある者たちに対して「法なことをする人たち,離れ去りなさい」と言われます。(マタイ7:22,23新世界訳改訂版このことは、真正な油そそがれたクリスチャンの場合は、「不法」つまり、「罪」を犯すことを退けている必要があることを示しています。(ヨハネ第一3:4)


   さらに、イエスは「偽キリスト」や「偽預言者」が、「大きな奇跡不思議なことを行う」とも言われました。(マタイ24:24新世界訳改訂版)ですから、神に本当に是認された聖霊で油そそがれたクリスチャンを奇跡や不思議を行なうことによっても見分けられないことが分かります。


 パウロは「不法の者」に関して、「サタンの力によって,あらゆる強力な行い偽りの奇跡不思議なことを見せ」ると述べられています。(テサロニケ第二2:10。マタイ7:23新世界訳改訂版)この聖句からも、人目を引くような「強力な行い」や「奇跡」や「不思議なこと」を見せることだけが、真正な聖霊で油そそがれたクリスチャンを証明するものとはならないということが分かります。


 なぜなら、その奇跡や不思議なことや強力な業は、「サタンの力によって」行われる場合があるからです。


(3)神の僕だけでなく悪魔サタンと悪霊たちも人々に奇跡を行わせることができる

  実際、昔から奇跡だけでは、それがまことの神エホバの崇拝であるかどうかを見分けることはできませんでした。


 悪魔サタンや悪霊たちは、エホバ神と同じように自分たちの崇拝者たちに奇跡を行わせることができます。例えば、イスラエル人がエジプトにいた時、モーセは、エホバ神の後ろ盾により、さまざまな奇跡を行いました。モーセは杖を投げて、蛇に変えることができました。(出エジプト4:1-5)しかし、エジプトにいた魔術師たちも、同じことができました。(出エジプト7:10-12)杖を投げて蛇に変えることができたのです。


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エジプトの魔術師たちもモーセと同じく杖を蛇に変えることができた







 魔術師たちは、モーセには決してかないませんでしたが、さまざまな奇跡を行うことができました。ですから、悪霊たちも自分の崇拝者たちに奇跡やしるしを行わせることができたのです。


 一世紀にもシモンという人は、魔術によって「注目」を集めるような大きな事を行なっていましたが、それはイエスの是認を得てはいませんでした。(使徒8:9-11;18-24)当然、魔術を行うことによって神とイエスの是認を証明することはできません。


 聖書は、占いなどを含む心霊術や魔術も神の王国を授けられることのできない業であると述べています。(ガラテア5:19-21)なぜなら、それらは、悪魔サタンと悪霊たちによって行われているからです。



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占いや魔術などの心霊術の背後には悪魔サタンと悪霊たちが存在する

悪魔サタンと悪霊たちも自分たちの崇拝者たちに奇跡を行わせることができる

 

 




 ですから、エホバ神は、ご自分の力によって奇跡を行わせることができますが、悪魔サタンも悪霊も自分の崇拝者たちにさまざまな奇跡を行わせることができるのです。ですから、エホバ神は、ご自分に対する真の崇拝を奇跡によって証明することはやめられました。


(4)今日奇跡やしるしが必要でない理由


 一世紀の末に聖書全体は完成したので、それ以上に奇跡的に神からの音信を付け加えることも取り去ることもしてはいけなくなりました。(啓示22:18,19)それ以降、後世のイエスの弟子たちは、すでに完成した聖書を研究することによって、聖書の正確な知識を探求できました。それで、奇跡的に神からの音信や預言が与えられる必要性はなくなりました。聖書の写本を参照すれば良かったのです。


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 一世紀の末に聖書が完成したのでもう奇跡的な音信を付け加える必要がなくなった





 また、初期クリスチャンの熱心な宣教によって、ある程度聖書から離れていましたが、キリスト教ローマ帝国の国教とされました。さらに、ローマ帝国キリスト教の団体は、熱心にローマ帝国の外に宣教活動を推し進めて、キリスト教を普及させていきました。それは、人々がキリスト教と聖書に親しむ機会を与えました。


 そして、現代は、とりわけ、聖書は身近なものになっています。聖書は膨大な数全世界で頒布されています。無料で聖書を手に入れる人も多いです。また、ネットには無料のオンラインの聖書があり、IT検索ツールなどがあるので、ネット上で聖書を読むことができます。また、望めば、お金を払って書店やネットで紙製の聖書を手に入れられます。


 また、ネットを用いて、聖書が歴史的に真実な記録であることを裏付ける豊富な情報に接することができます。それらは、奇跡的な助けの代替手段になっています。


 また、現代医学の進歩や、物流の改善によって、医療や薬や薬用植物などを手近に利用できるようになっているので、いやしなどの奇跡の代替手段になっていると思います。病気になっても、奇跡的ないやしに頼るのではなく、神に知恵を祈り求めて、病気の治療のための実際的な方策を講ずることができます。


 ですから、エホバ神はイエスや初期クリスチャンに奇跡を行う力を与えて、その後ろ盾となられましたが、聖書は偽キリストや偽預言者も奇跡を行えることを示しています。また、悪魔サタンや悪霊たちも彼らの崇拝者たちに奇跡を行わせることができるため、今日、エホバに是認される油そそがれたクリスチャンをその奇跡によって見分けることはできません。また、今日、奇跡はその代替になるものがあるために、奇跡は必要がなくなっています。

昭和天皇はご自分のもとで行われた太平洋戦争に対し深い悔恨と反省の念を抱いておられた

(1)昭和天皇のもとで行われた戦争


 1928年に昭和天皇の即位の後、31年に満州事変、37年に日中戦争41年に太平洋戦争が行われました。天皇は軍部に押し切られた感もありますが、天皇が最高権力を持っていたので、日本がさまざまな戦争を行なってきたことにある程度責任もあったと思います。

 

 

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昭和天皇のもとで多くの戦争が行われましたが昭和天皇は深い悔恨の念を抱いておられた





 

 

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大日本帝国陸軍憲兵
戦前は日本の軍隊が権力を振るっていました





 

 とりわけ太平洋戦争前は、昭和天皇が戦争推進派の東条英機に内閣を作るように命じたのは、致命的な間違いでした。


 その結果、とりわけ、太平洋戦争は日本に壊滅的な結果をもたらしました。ですから、天皇制は日本にとってかなり悪い結果となった部分もありました。神道には、戦争を避けて平和を追い求めるという概念がなかったからです。


 明治、大正、昭和を通じて、日本はできるだけ諸国家間の紛争に中立と平和を保っていたら良かったと思います。しかし、日本はその当時帝国主義、また軍国主義でした。そして、日本の影響力を海外に拡大しようと考えており、とりわけ大勢の東アジアの人々の命を犠牲にして多大の流血を行ないました。それは、とても悪い事でした。それは、日本の天皇制と、古事記日本書紀のような神話と伝説を日本人が信じていたので刈り取った結果でした。




   それは、幾つかのヨーロッパ諸国がキリスト教の倫理観に影響されて戦争に中立の立場を保ったのとは、対照的でした。そして、それらの諸国家は、平和を保ったために、戦後比較的に苦労することなく、経済的な繁栄を享受しました。それらの諸国家は平和の産み出す実を享受したと言えます。


(2)戦後軍部に押し切られて戦争の惨禍をもたらしたことに強い悔恨を抱いたおられた昭和天皇



  昭和天皇は、実際は平和を望んでおられ、戦争を推進したいと願っていませんでしたが、戦時中にとりわけ、中国にいた関東軍などの軍部が戦争を勝手に推し進めてしまい、天皇はそれを押さえることができなかったということは、よく言われることです。実際、そのことは、戦後、軍部の関係者も認めています。しかし、そのことを昭和天皇自らそのように語っておられたことを、NHKが特集し、2019年に『昭和天皇「拝謁記」-戦争への悔恨-』という番組で放映しました。


 それは、
初代宮内庁長官田島道治が5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」に基づいています。その記述から、昭和天皇は田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現し、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことがわかりました。


 さらに、昭和天皇は、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望しておられました。当時の吉田茂総理大臣の反対で、昭和天皇が戦争に対する深い悔恨の念を抱いておられたことを示す一節が削られていたことがわかりました。その時、昭和天皇が国民の前で表明したいと願っておられたのは、次のようなお言葉です。




 「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」


 それで、昭和天皇は、平和をもたらしたいと願いもあったにもかかわらず、戦前の情勢に巻き込まれて、太平洋戦争をもたらして日本に甚大な被害をもたらしてしまったことを、個人的に強く反省し、その後悔の念のために穏やかな気持ちで食事をしたり、休んだりすることもままならなかったと述べておられます。ですから、昭和天皇は、ご自分の責任を痛感しておられたことが分かります。

  

  結局、昭和天皇日中戦争・太平洋戦争の渦中におられた方ですから、事情を一番ご存知でした。それで、なぜ、日本が敗戦という悲惨な結果を刈り取ったのか過去を振り返って深く考え苦しまれていたということが分かります。

 

 
 その当時、満州の日本軍の関東軍は本土の政府の意向を無視して勝手に行動していました。1928に中国の満州関東軍司令官は満州軍閥張作霖が邪魔になり、暗殺を計画しました。司令官の部下は張が乗っている列車ごと爆破して殺害し、そのことを中国側のせいにしようとしました。日本政府が、犯人の軍人たちを、きびしく罰しなかったせいで、のちに軍部は政府や議会のいうことを聞かなくなっていきました。

 

 

 昭和天皇は、事件をあいまいに処理しようとした当時の田中義一総理大臣を叱責しましたが、首謀者が停職になるという軽い処罰で終わり、田中内閣は総辞職しました。その後、関東軍は同種の企てを行い満州鉄道を爆破して、中国側のせいにするというあくどいやり方を再びしました。

 

 

 張作霖事件の3年後、張作霖爆殺事件の現場から、わずか数キロの地点で関東軍満州鉄道の爆破事件を起こしました。張作霖事件の関係者の関東軍の後任は、これを中国の北軍による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移りました。戦後のGHQの調査などによっても、本事件は関東軍首謀し、軍事行動の口火とするため自ら行った陰謀だったことが分かっています。

 

 

       そして、関東軍は、奉天などの都市を占領し支配下におきました。 そして1932年に、日本軍は溥儀を擁立して満州国の建国を宣言しました。そして、満州事変は全面的な日中戦争へと拡大していきました。それで、日本が太平洋戦争につき進むことになったのは、満州事変が発端になっています。

 

 

 それで内地の政府は最初は不拡大方針でしたが、関東軍は、内地の政府の方針を無視して、独断で行動していました。しかし、後になって、内地の政府も関東軍の行動を追認し、また、閣議で派兵を決定し、関東軍と協力して日中戦争に突き進む結果になりました。

 

 

 「拝謁記」の中で、昭和天皇は軍が勝手に動く様を「下剋上」と表現して繰り返し批判したと記載され、この張作霖の殺害事件を十分処罰しなかったことが発端と考えて深く後悔しておられたことが分かります。

 

 

 昭和27年5月30日の拝謁では「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ。田中内閣の時ニ張作霖爆死を厳罰ニすればよかつたのだ。」また、昭和26年6月8日の拝謁では「張作霖事件のさばき方が不徹底であつた事が今日(こんにち)の敗戦ニ至る禍根の抑々(そもそも)の発端」などと繰り返し事件に触れて当時の対応を悔やんでおられたのことです。田島長官は「御信念より相当繰り返し御主張ニなる」と記しています。 

 


 また、戦前の軍部の暴走を物語る事件として、昭和11年の陸軍の青年将校たちが起こしたクーデターである「2・26事件」は有名です。昭和25年11月7日の拝謁で、昭和天皇は「青年将校ハ私をかつぐけれど私の真意を少しも尊重しないむしろありもせぬ事をいつて彼是(かれこれ)極端な説をなすものだ」と振り返ったと記されています。昭和天皇は厳罰にするよう指示し、反乱は鎮圧されましたが、天皇の意志を無視した軍部の勝手な行動はエスカレートしていきました。


  さらに、拝謁記によると、昭和天皇は「東條が唯一の陸軍を抑え得る人間と思つて内閣を作らしたのだ。勿論(もちろん)見込み違いをしたといえばその通りだが」と振り返り、昭和26年12月14日の拝謁では「平和を念じながら止められなかった」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」と述べられたということです。

 


  わたしは昭和天皇が中国の関東軍関東軍参謀長に就任し、北方のソ連と南方の英米との双方に対する戦争を推進していることが知られていた東條英機に内閣を作らせたのは、昭和天皇が太平洋戦争を引き起こすセッティングをしたようなものだと考えていました。でも、昭和天皇は必ずしも、戦争を始めようという意図はなく、軍部を抑えようと意図があったことが分かります。

 

 

日本語: 昭和16年

October 18th, 1941

原典 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/img/1380514663.jpg

昭和天皇が戦争推進派の東条英機に内閣を作らせ軍部を抑えて平和を作ろうと考えたのは致命的な間違いでした

 

 


昭和天皇は日米開戦を決めた御前会議の時にも平和努力をするようにと言われてその天皇の意向は他の人々に確証されている

 



 しかし、昭和天皇が平和を願ったのであれば、東條英機を登用するのは全くのミスキャストで、昭和天皇の判断に間違いがありました。しかし、結局、人は完全に正しい判断と行動はできないものです。


 また、昭和天皇は、
南京事件」に言及されました。南京事件とは、1937年昭和12年)12月日本軍中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、日本軍中国軍捕虜、敗残兵、一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件のことです。

 

 

 

 

 この中で昭和天皇は「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋(そのすじ)でないものからウス/\(うすうす)聞いてはゐたが別ニ表だつて誰もいはず従つて私は此事(このこと)を注意もしなかつたが、市ケ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい。私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と述べたと記されています。


 それで、驚いてしまうのは、一国の長であり、日本軍の総責任者である昭和天皇が、南京事件の真相について少ししか知らなかったということです。それで、当時の日本は、当時の政治的な責任者であった天皇に十分の情報を知らせませんでした。さらに、確かに、昭和天皇が責任者でしたが、軍部が暴走することがこの時にも起きていたということです。



 もちろん、政治的に上に立つ人は、国民に起きていること、また配下にある人々がどのような状況なのか実情を徹底的に知るように努める必要があります。


 聖書は、「あなたは自分の羊の群れの様子をはっきり知っておくべきである。」と述べ、上に立つ人が配下の世話をすべき人々の状況をはっきり把握する必要があると述べています。(箴言27:23)

 それで、日本では、天皇に対する崇敬の気持ちは強いです。しかしながら、戦後、
昭和天皇人間宣言をされ、ご自分が現人神でないことを認められました。そのことにも調和して、天皇は戦時中のご自分の判断や行動に間違いがあったことを痛感しておられて、とりわけ日本を日中戦争や太平洋戦争に巻き込んでしまったことに深い悔恨の念を抱いておられました。やはり、人であれば、誰でも、間違いは避けられません。

 そして、昭和天皇は二度と戦争を推進する人々に勝手にやらせることによって、戦争を繰り返したくないと願っておられました。

 



(3)戦後諸国家への親善大使としての役割を果たしてこられた天皇一族


 
しかしながら、天皇家は、何百年ものあいだ日本の支配階級にあり、日本のために尽くしてこられ、尊ばれたきたのですから、その事実は認められると思います。そして、戦後は、諸国家への親善大使としての役割を果たして下さっています。


 日本で歴史的に政治支配者の立場の家系にあった人々がある意味日本の代表者として諸外国と平和を促進する業務を行われるというのはふさわしいと思います。また、先祖がした過ちを今の天皇家が謝罪をするのはふさわしいのではないかと思います。


 

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1960年昭和35年) 日米修好100周年記念晩餐会にて アイゼンハワー大統領夫妻とワシントンD.C.ホワイトハウスにて
今の天皇は外国との親善大使として働いてくださっています






(4)政治指導者に敬意を払うのは正しいが悪い事でも盲従して崇拝するのは間違い


   聖書は、政治支配者に「誉れ」を帰すようにと勧めています。(ローマ13:7)確かに、為政者は大抵の場合、臣民の益を考えて労を払っているのですから、敬意に値します。しかし、聖書は支配者を崇拝することは正しくないと述べています。




 聖書は国家を野獣に例えることがあります。そして、野獣などの動物が「理性がない」と述べています。(ペテロ第二2:12)人間政府の多くは、歴史を通して理性のない野獣のように戦争や流血を行なってきました。




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政府が理性のない動物のように振る舞うことがあるので聖書は政府を動物に例えることもあります



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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
支配者に敬意を払うのは正しいのですが崇拝を捧げないように気をつける必要があります





 そして、支配者が流血や殺人をするよう要求する時、それに盲従するのは、聖書のいう野獣の崇拝ということになります。(啓示13:4)エホバ神はそのことを不興を示され、野獣に対する崇拝に反対されています。人間の命は神の目に貴重なものだからです。(創世記9:7)






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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
兵士として戦い人殺しをするのは政府に対する盲従であり野獣の崇拝です





 聖書はすべての人が罪人であると述べています。(ローマ5:12)ですから、単なる人間を崇拝することを奨励するのは正しくありません。罪人であるという点では、天皇も例外ではありません。それで、昭和天皇も戦前に間違った判断をなさったのです。また、すべての人が罪を犯す者なのですから、天皇の神の律法に反する命令に従って命を捨てるということは誰にも強制されるべきものではありません。




 天皇家自体が古事記が歴史的な記録としては信頼できない部分があることを認めておられます。それで、天皇を神とみなしたり、あるいは神の子孫として過度の不当な誉れを帰すのは真理にそぐわないでしょう。


(5)私たちの崇拝に値するエホバ神


 

 

 聖書は、わたしたちにまず第一に創造者エホバ神を愛するようにと命じています。(マタイ22:37,38)エホバ神は、創造者であり、絶対の愛の神です。(イザヤ42:5ヨハネ第一4:8)この方は、私たちの命の源であり、世界のすべての良い物を備えて下さった方ですから、私たちが命を犠牲にするのに値する方です。(詩編36:9)

 





  

 

 

エホバ神は光の神

 

 

 

 




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Takeaway

エホバ神は万物の創造者である愛の神

わたしたちの崇拝に値する唯一の方




 

 

 

 

 エホバ神はわたしたちのために非常に多くのことをしてくださいました。キリストの贖いの犠牲を備えて人類が永遠の命を得られるようにとりはからってくださいました。(ヨハネ3:16)そして、聖書の中に、人類を幸福に導くための知恵の言葉を含めて下さいました。そして、この方のために、命を犠牲にすることがあっても、エホバ神は、わたしたちを復活させて命を再び与えることができます。(使徒24:15。啓示20:4)


 

 日本は戦前は、事実に基づかない神話や伝説に影響されていたので、国土が荒廃するという結果を刈り取ってしまったと言えると思います。



 私たちは、エホバを恐れて崇拝し、神の律法を守り、偶像崇拝や流血や殺人を避けるようにしましょう。天皇などの政治指導者に敬意を払うとしても、神の律法に反する流血を強制されるとすれば、それに盲従することは避けましょう。結局、良心的な政治指導者であったも、間違いは避けられないのです。敬意を払うとしても、殺人を犯すことなど、政治指導者に盲従することは避けましょう。

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(32)大いなるバビロンの教理のために証人から排斥されるがヨハネのブログを始め聖書研究を続ける

  わたしは東京で、エホバの証人の会衆に交わりながら、聖書朗読を続けていました。エホバの証人の根幹になっている教えのひとつに、啓示の書に登場する大娼婦大いなるバビロンが偽りの宗教組織全体であるという教えがあります。しかし、わたしは東京でその大いなるバビロンが米国であることに気づきました。


 その後、実家に戻りました。そのことは、以前記事にしたので、お読みください。



イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(29)わたしヨハネは大いなるバビロンが米国であることにどのようにして気づいたか


 今回の記事では、わたしが実家に戻った後、どのようなことを行ったのかをお話しします。


(1)大いなるバビロンが米国であるという解釈を統治体に知らせる


 わたしは実家に戻って、自分の発見した聖書の預言の解釈について考え続けました。実家ではテレビがあったので、わたしは世界情勢について情報を得ることができるようになりました。また、図書館の本を借りて読んだりして自分の解釈に関係した情報を得るようにしました。



 そして、わたしは実家の会衆の長老たちに大いなるバビロンが米国であるという自分の聖書の解釈を説明した文書を作成して、提出し、何人かに読んでいただきました。何人かの地元の長老がわたしの文書を読んでくださいました。


  その時は、長老たちは最初はわたしの論議に反論しませんでした。ひとりの若い長老はその文書を何度も読んだと言われました。実家の会衆のひとりの高齢の長老兄弟はひょっとして、わたしの解釈も一理あると考えてくださっていたのかもしれませんが、わたしに良くしてくださいました。それで、聖書的な根拠を示した文書を提出したことは、排斥される時期を少しだけ遅らせることになったようです。


 わたしが大いなるバビロンが米国であるはずだということを気づいたのが、東京で、おそらく20039月頃だったと思います。それから、排斥されるまで、およそ5年くらいはエホバの証人としてとどまっていたことになります。現在、大いなるバビロンの実体に気づいてから、早くも16年も経ってしまいました。


 そして、同じような文書をその当時、米国ニューヨークエホバの証人の本部に郵送しました。 そして、さらに研究を進めた文書をニューヨーク本部を訪問して、ベテル奉仕者に渡して、統治体の兄弟たちが確実にその解釈を知ることができるようにしました。


  わたしはできれば、そのことについて統治体の兄弟たちと英語で論じたかったのですが、それはできませんでした。統治体の兄弟たちは普通とてもお忙しいので、わたしが本部に前もって連絡することもなく、突然行ったせいもあると思います。


 でも、思うに統治体の兄弟たちは、七つの星に関しては、そうかもしれないと考えた兄弟たちもいたかもしれませんが、大いなるバビロンの実体が南の王であるというわたしの見解にはついていけないと考えられたのではないかと思います。大いなるバビロンが偽りの宗教の組織であるという解釈は、エホバの証人の教理の根幹部分にあるからです。


 わたしは最初は聖句をノートに書いて研究していました。でも、後になって中古のパソコンを手に入れて、それをワープロにして自分が研究した結果を文書として作成するようになりました。さらに、ものみの塔ライブラリーのCDも利用するようになって、わたしの聖書研究は進みました。でも、最初からネットはしてはいませんでした。


(2)大いなるバビロンの実体についての理解のための背教という理由で排斥される


 ところが、ひょっとしてわたしを擁護してくださっていたのかもしれない長老兄弟は、ご高齢で亡くなってしまわれました。後になって会衆に特開者のご夫婦が派遣されましたが、その長老兄弟にわたしは文書を提出していませんでした。


 それで、特開者の長老兄弟がわたしの聖書の解釈について尋ねた時に、自分が組織とは異なる解釈を信じていることをわたしは認めました。それで、その特開者の兄弟が中心になって、わたしはその会衆から背教という名目で排斥されました。つまり、大いなるバビロンの実体の理解がエホバの証人の組織と異なっているという理由で排斥されました。そして、地元の会衆の長老たちは最後には、統治体の解釈に固くついたと思います。


 わたしはその自分の解釈は、聖書に基づいていると考えていたので、自分で聖書に基づいていて正しいと考える解釈のために、エホバの証人から排斥されることはちっともショックではありませんでした。それで、エホバ神はわたしと共にいてくださっていると考えていました。


 なぜなら、聖書は明らかに主に世界帝国の移り変わりに注目しているからです。ですから、啓示の書に預言されている緋色の野獣と大娼婦の抗争は、やはり双方とも政治的な実体であるという理解は間違いがないと思いました。

 

 

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聖書の預言は世界帝国の移り変わりにフォーカスし政治的な実体に注 目している



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                 大娼婦も緋色の野獣も両方が政治的な実体のはず

 

 

 


  さらに、世界情勢を調べて、わたしの聖書の解釈は現実の世界の情勢とも合致していると考えました。エホバの証人の統治体の解釈の方が、世界の現実と遊離していると考えました。




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米国と国連軍が血に酔っている状況は今の世界に起きている




 それは、わたしが人間である統治体ではなく、エホバ神に従うためにトラブルを経験することを意味しました。(使徒5:29)自分で正しいと考える聖書の理解を固守することは、エホバ神に喜ばれていたはずです。(ペテロ第一2:19,20)


    もし、エホバの証人の組織からわたしが排斥されると、エホバ神の目から見て正しい立場に立つ人がわたしひとりになって、エホバの証人の組織全体がエホバから非とされる立場に立つことになると思いました。



 おそらく、エホバの証人の組織にとってはわたしの排斥はマイナスになったのではないかと思います。一世紀のエルサレムの長老団は、自分たちと異なる意見を持っていたパウロを排斥しなかったからです。


 その排斥処置は、統治体の意向もあったのではないかと思います。結局、おそらく、エホバの証人の統治体はその解釈をおおむね受け入れるのが難しかったんだと思います。


 エホバの証人は、大いなるバビロンが偽りの宗教の世界帝国であるという教理がその根幹になっているからです。そのために、エホバの証人キリスト教会を初め、聖書以外の宗教の習慣を禁忌します。


   エホバの証人アメリカ合衆国について特集していた日本語の1976年年鑑の記述には、協会の二代目の会長ラザフォード兄弟が、投獄された時に、大いなるバビロンとして考えたキリスト教の僧職者たちに対して、徹底的に戦おうと考えたということが書かれています。(1976年年鑑114-115ページ)




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エホバの証人ローマカトリック教会を初めとして偽りの宗教組織が大いなるバビロンだと解釈している

確かにローマカトリック教会はぜいたくかもしれないが現在流血に酔ってはいない




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エホバの証人はラザフォード兄弟の頃から大いなるバビロンは自分たち以外の宗教組織だという解釈で自分たちの教理を作り上げている






 それで、大いなるバビロンが偽りの宗教で、いつかはエホバから滅ぼされるという解釈で、エホバの証人の聖書の解釈全体が固く塗り固められています。それでちっとやそっとの聖書的な論議では、エホバの証人のその教理を論駁することはできないと考えました。



 

(3)エホバの証人から排斥されないようにという祈りが聞かれなかったことは霊的な祝福につながる




 わたしは一応エホバの証人から排斥されないようにと祈りました。でも、その祈りは聞かれず排斥されてしまいました。200811月でした。今20198月で、排斥されてからおよそ11年ほどになります。でも、わたしは排斥されても、エホバ神に対する信仰を失わず、かえってエホバ神はわたしと共にいてくださっていると考えていました。


 証人から排斥されたので、エホバの証人として伝道したり、集会の準備をしたり、集会に出席する時間を自分の聖書研究に当てることができるようになりました。それで、排斥されたことは、わたしに聖書研究を行う時間を産み出すことになりました。そして、エホバ神に祈り続け、自分のその解釈が正しいのかどうかを聖書朗読を続けて研究して検証を続けました。

 

 

 

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排斥されたので集会や野外奉仕の時間を聖書研究に当てたため聖書の理解が進んだ





 その結果、わたしの聖書に対する理解は急速に深まりました。それで、聖書からの霊的な祝福という点では、わたしにとっては証人から排斥されたことが益になりました。それで、エホバ神への祈りが聞かれない場合に、その方が益になるということがあります。



 一方、わたしはエホバの証人の間で長年培ってきた人的なネットワーク、親しい友人たちを失ってしまいました。そして、とりわけ、エホバの証人の統治体のためにわたしが払ってきた敬意や労はすべて無駄になりました。


 親しい友人たちを失ったことは、確かに大きな痛手でした。その後、自分が困難に直面した時、それまでは実際的な助けになってくれていた証人たち、とりわけ姉妹たちからの支援は得られなくなりました


 でも、わたしが排斥された時にもエホバの証人たちの中には、わたしの解釈が正しいと感じている兄弟姉妹がいるように思いました。わたしが証人の中で、一番親しくしていて行き来していた同い年の姉妹は、わたしの意見と同じことを言っていました。でも、会衆が違っていて、私は排斥されたために、その姉妹と連絡できなくなりました。その姉妹は、もともと膠原病を患っていて体の弱い姉妹だったのですが、その後亡くなってしまいました。



  わたしはエホバの証人から排斥されているので、基本的にエホバの証人の成員と話をすることができません。また、エホバの証人の集会では、自分の理解を話すことができません。それで、集会に行っても、面白くありませんし、エホバの証人の集会に行こうという気持ちはあまりないのですが、イエスの死の記念式だけは、エホバの証人の集会に出席しています。


 なぜなら、イエスは表象物に毎週あずかるようにとは命じられませんでした。イエスは、昔の過ぎ越しの祭りの時期に年に一度だけ、祝うようにと命じられたと思います。キリスト教会で、年に一度だけ表象物にあずかるようにしている教会はありません。それで、イエスの死の記念式の時だけは、エホバの証人の集会に出席しています。


2019年主の記念式シリーズ(1)初期クリスチャンは日ごとあるいは週ごとに表象物にあずかっていましたか【新共同訳・回復訳・Biblehub



(4)聖書の研究を独自に続けて増し加わる聖書の理解という祝福を受ける


  わたしは実家にいたおかげで、部屋代や生活費を稼ぐ必要がなかったので、少し働くだけで後の時間を聖書研究に当てられたのは良かったです。そのため、私の聖書の研究は急速に進みました。仏教徒の母には感謝をしなければなりません。


 わたしは、それまで、エホバの証人の教えをそのまま聖書の教えだと信じてうのみにしていたのですが、聖書の研究を続けました。つまり、エホバの証人の教えが、聖書がほんとに聖書にのっとっているかを検証していきました。


 すると、自分が聖書の教えだと信じていたことは、ある教えは、やはり正しいと分かりました。今までもお話ししたことがあるようにエホバの証人から学んできた創造者の存在、進化論の間違い、聖書が神の言葉であること、殺人や淫行や輸血や心霊術などを避けるという神の律法の重要性、霊魂不滅説や地獄の教理の間違いなどは正しかったと考えています。そうした確信は、エホバの証人と交わっていなければ得られなかったと考えるので、その点では、エホバの証人の組織に感謝しています。



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万物の創造者が存在されるという証人の教えは真実

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聖書が神の言葉であるという証人の信念は正しい






 また、聖書の研究を続ける点で、エホバの証人の洞察の本などの出版物や、その他の出版物や集会で学んだことは助けになりました。最初は分からなかったことも、聖書全体が一貫して調和しているはずだという考え方で、解釈していくと、次々に分かっていくように思いました。


 それで、やはり、イエスが約束してくださったように、エホバ神のもとから「真理の霊」「真理を伝える聖なる力」が送られてわたしの理解を導いてくださったのではないかと感じています。イエスは、「真理を伝える聖なる力が来ると,真理を十分に理解できるように導いてくれます。」と言われたことがありました。 (ヨハネ15:26;16:13)



 旧版の新世界訳では、その聖句は、「真理の霊が到来するとき,あなた方を真理の全体へと案内するでしょう。」と言われています。それで、聖書の研究を続けて、聖書全体が調和していて、一貫していることをますます理解するようになりました。


 実際、わたしが聖書を解釈する際の手法のひとつは、聖書全体がおひとりの神によって霊感が与えられているので、互いに一貫しているはずだという信念に基づいています。そのようにして、聖書を解釈することによって、聖書の理解がどんどん進んでいきました。


 わたしは証人から排斥されたおかげで、聖書の研究に打ち込むことができたので、聖書に関する新たな宝石のような洞察をさまざまに得ることができて、エホバ神に感謝しています。わたしは自分がエホバの証人の統治体よりも、聖書をより理解できていると考えています。


 エホバの証人の場合は、聖書の各書を、たとえば、ダニエル書や啓示の書やイザヤ書などを各々別個に解釈するように、取り組んでいると思います。そうすると、聖書の各本のつながりや調和が分かりません。


 でも、現時点で、わたしもまだ聖書を完全に全部を理解できているとは考えてはいません。研究の途上にあります。


(5)エホバの証人から排斥後にヨハネのブログを作成して自分の聖書の理解を公に知らせる


 わたしは排斥されてからしばらくして、20098月に自分のパソコンをネットにつないで、パソコンで作成した聖書研究の文書をブログの形でネット上で公表するようになりました。最初は、アメブロを利用し、さらにライブドアブログなどの他のブログで、「ヨハネのブログ」を出すようになりました。


 そして、わたしはネット上の情報を得ることができるようになりました。しかしながら、わたしが実家で、ネットを利用できたのは、しばらくでした。ここでは詳述しませんが、実家に母と住んでいた元オウム真理教の弟と仲間たちは、わたしにありとあらゆるいやがらせをして、わたしの聖書研究と、世俗の仕事を妨げました。弟とその仲間たちの妨害で、わたしはネットを利用できないようにされ、また実家の固定電話も利用できないようにされました。


 それで、わたしはそのようになってから実家の外のネットを利用して、ブログを出すしかありませんでした。それで、わたしは世界情勢は、ネットではなく、主にテレビに頼って情報を得るようにしました。


(6)聖書研究を続けることによってエホバの証人の教理との乖離が大きくなる


 しかし、私は、聖書研究を続けて、他のエホバの証人の幾つかの教理の中にも、さらに聖書的に間違いがあると考えるようになりました。そのひとつはエホバの証人1914年説です。


 キリスト教会の人々は、最初から1914年説は受け入れておらず、それは正しいことでした。そのようにして、わたしは聖書について、理解を深めていきました。


 さらに、エホバの証人は、社会問題についてあまり、深くタッチしない部分もあります。選挙に参加しないからです。でも、わたしは選挙について聖書に基づいて考えてみて、聖書は選挙に参加することを否定していないのではないかと思いました。今回はその点について詳述しませんが、上位の権威は、選挙に参加して、自分の意見を表明するように勧めており、聖書は上位の権威に従うように勧めています。(ローマ13:1)そして、選挙は、神の律法に違反することではありません。

 

 

Santeri Viinamäki

戦争や暴力によって社会問題を解決するのとは違って選挙は問題を解決する平和的な方法のひとつ

 

 



 もちろん、一番大切なのは、聖書の内容そのものであり、聖書の音信を広める事です。聖書から離れて社会問題だけに、頭をつっこむのは、クリスチャンがするべきではありません。また、クリスチャンは、今の事物の体制での努力によって、今の世界の問題がすべて解決することを期待はできません。


 今の世界は、悪魔サタンの支配下にあって、問題は複雑すぎて、解決は不可能だからです。(ヨハネ第一5:19)できることは、問題を緩和することだけです。それでも、少しでも、社会問題にかかわるならば、社会問題の緩和になり、それは、親切なサマリア人のように人々に実際的な助けを差し伸べることになります。(ヨハネ第一3:18)


(7)英語の勉強をして世界の社会問題について考える


 実家では、わたしは英語の資格試験にトライしました。そして、英語の勉強のために英検準一級と一級の試験にトライしました。英検の二次の面接試験は、時事問題について考え、英文を作り質問に答えるという形式のものでした。わたしは英検の二次試験の準備をすることは、さまざまな時事問題について調べたり、その時事問題ついて考える機会になりました。


 それで、英検の資格試験にトライすることは、自分の関心をさまざまな社会問題に広げて、その対策を聖書の預言や原則を考慮しつつ考えて、自分を成長させることにつながったと感じています。英検の資格試験にトライしていなければ、さまざまな社会問題や時事問題について考えることもなかったと思います。そして、英検準一級を取得した後、私は再び英会話の講師として教え始めました。


(8)今後のわたしの目標


 わたしは聖書研究の努力を続けて、聖書全体をさらに一層明快に理解できるようになりたいです。それで、聖書の研究を自分が死ぬまで続けていきたいです。それが現在のわたしに残された人生の目的です。


 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(12-4)イランが北の王として米国を攻撃した場合予想される結果

 

(1)イランが諸国家と共に米国を軍事攻撃する場合勝利する可能性もある


 ロシアがもし、イランを総合司令官にして、連携して米国を攻撃した場合、イラン、ロシア側の勝利の可能性があります。それは、聖書預言の成就であるかもしれないからです。北の王の、一度目の南の王に対する攻撃になるかもしれないからです。



 世界情勢の流れを観察して、そのように聖書預言が成就する可能性があると考えます。イランに北の王に関する預言が成就していく可能性もあります。でも、さまざまな条件が整っていなければ、聖書預言の成就ではないということになると思います。


(2)イランが率いる米国攻撃が成功する場合どのような進展が考えられるか



 現在、イランの国政全般にわたる最終決定権を持つ 終身の最高指導者は、アリー・ハーメネイー(80)で、2021年までの任期の大統領がハサン・ロウハーニー 氏(70)です。しかしながら、両氏はどちらも反米保守の敬虔なイスラム教徒のはずです。



  しかしながら、2019613日の時点で、ハーメネイー氏は、「核兵器を製造も、保有も、使用もしない。その意図もない」という意向を日本の首相との会談で伝えられたとのことです。また、ロウハニ大統領は戦争は望んでいないとの明確な発言があったということです。



 わたしは両氏の発言が本心からのものであり、そのお気持ちが続くことを望みますが、実際、敬虔なイスラム教徒であれば、平和を望む気持ちもお持ちのはずです。


 わたしはイランが北の王であると断定しているわけではありませんが、もし、万が一、イランが将来、北の王であるということになると、イラン側が米国側と戦って勝利を収める可能性があります。北の南に対する第一回目の軍事攻撃と言うことになります。


 すると、米国側も非常に大軍である同盟軍を率いて戦うことになります。すると、米国は、多くの同盟国に共に戦うよう要請することになります。南の王の同盟軍の方が兵力としては、北の王の軍勢を上回っており、しかも強力であることが予期できます。


 なぜなら、ダニエル書には、「(北の王)は力と勇気を奮い起こし,大きな軍隊で南の王を攻めます。南の王も戦いに備え,非常に強大な軍隊で応戦します。」と予告されています。(ダニエル11:25)


  北の王の軍勢は「大きな軍隊」ですが、南の王の側は、「非常に強大な軍隊」となっています。英訳聖書 (Berean Study Bible)で確認すると、北の王の側は、「large army」、ギリシャ語の原語をBiblehubのストロングコンコーダンスで確認すると、「great army」とも訳すことができます。


 一方、南の王の側は、「
a large great and powerful army(Berean Study Bible)」、ストロングのコンコーダンスを確認すると「as far as great and powerful (or numerous) army」と訳すことができます。ですから、南の王の側も北の王の側に劣らず、大軍であり、しかも、軍事の装備も強力となることが予期できます。



     ですから、軍勢の大きさと、その能力を考えると、普通は南の王の勝利が予期できます。以前、米国と西欧諸国が湾岸戦争イラク戦争で、イスラム教の中東を攻撃した時には米国側は容易に勝利しました。しかし、今回は異なる結果になります。


 聖書の預言によると、予想外の展開となります。「
人々が陰謀を企てるため,彼は立ち続けることができません。彼の美食を食べていた者たちが彼を倒れさせます。彼の軍隊は押し流され,大勢が殺されて倒れます。 」と預言されています。(ダニエル11:25,26新世界訳改訂版)



  ですから、南の王の近臣が南の王に対して陰謀を企てるために、南の王は戦い半ばで、命を落とします。確かに、普通は、戦争中に総司令官が死んでしまうと軍隊の兵士の士気に強く影響します。それで、総司令官がいなくなってしまうのですから、巧みな作戦を立てることができなくなり、南の王の軍隊は、総崩れになり、大勢の死者が出るということが考えられます。


 でも、普通は軍事力で勝っている軍隊が勝利を収めるはずなので、何が他に南の王の敗因となるのか、さらに聖書の説明があるかを調べていきたいと思います。


 それで、もし、北の王がイランであるということになると、日本やその他の同盟国は、米国と共に戦うと敗北することになります。その後、北の王と次の南の王は停戦交渉をし、和平を語るのでしょう。しかし、どちらの王も真の意図を隠し、偽りを語るようです。(ダニエル11:27)


 おそらく、北の王の側も兵力で劣っているので、長期戦になると不利になることが予想され、停戦にするのではないかと思います。この点、北の王は実際的な処置をとって、自軍も壊滅的なダメージを受けないようにするのではないかと思います。


 その後、「(北の王)大量の貨財を携えて自分の土地に戻る。その心は聖なる契約に逆らう。そして彼は効果的に行動し,必ず自分の土地に戻る。」と予告されています。(ダニエル11:28)


 それで、南の王の側は一応敗北ということになるので、たくさんの戦争賠償金を北の王の側に払うことになるようです。あるいは、北の王は大量の物資を略奪しているのかもしれません。ですから、その時、南の王と共に戦うと、数多くの人命を失うか、戦後、多額の賠償金を払わなければならないか、物質的な多大な損失を被ることになるのではないかと思います。


(3)わたしヨハネはイランのある政治指導者が北の王になることは決して勧めません

 

 北の王の側が勝利を収めるとしても、私自身は、イランの政治指導者たちにそのようにするようにと勧めるわけでは決してありません。なぜなら、北の王は、第一回目の米国に対する軍事攻撃に成功するとしても、神の目に非とされる立場に自らを置くことになるからです。北の王になることはおそらく、他の大勢の人々を「滅ぼす者」「アポルオン」となるだけでなく、神の目から見て「滅びる者」となることを意味します。(啓示9:11。テサロニケ第二2:3)


 ですから、北の王となることは、創造者から非とされ、永遠の死を招く立場です。イエスは、「全世界をかち得ても,それによって自分の魂を失うなら,その人にとって何の益になるでしょうか。」と言われました。(マタイ16:26)



0the king ruling the world
北の王となり・・・

0the earth
全世界を手中に収めても・・・

 

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神に復活させていただけず滅びるとしたらその人にとって何の益になるでしょうか

 



 今の事物の体制で全世界を勝ち得たとしても、永遠の命の見込みを失い、楽園での死後の復活の見込みを失うような立場に立つことは決して勧められることではありません。


 そして、啓示の書は、北の王に従って戦う大軍が、やはり、永遠の死をこうむることを予告しています。なぜなら、その大軍は、北の王の崇拝者ですから、野獣の崇拝者と言えるからです。野獣の崇拝者は、永遠の命の見込みはないからです。ですから、北の王の側に従って、戦うことも勧められることではありません。

啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(49)二億の騎兵隊には神の是認と復活がないと考えられる理由

 



(3)北の王が聖なる契約に逆らうとは北の王があらゆる宗教よりも自らを高めることを意味する


 北の王は「聖なる契約」に逆らうことになっています。(ダニエル11:28)「聖なる契約」とは、ルカによる書によると、「わたしたちの父祖アブラハムに誓われたその誓い」と説明されています。(ルカ1:73,74)神のアブラハムに対する誓いとは何を意味するのでしょうか。


 それは、聖書の中の基本的な神の契約のひとつです。エホバはアブラハムに対して彼の子孫に「カナンの地」、すなわち約束の地を与えることを誓われました。(詩編105:9-11)



  北の王は、そうした聖書の中の神の約束に逆らうでしょう。もしかすると、現在、肉のイスラエルの子孫がカナンの地を占拠していますが、ユダヤ教イスラエル人を攻撃することによって、その聖書の言葉に対する反対を表わそうとするのかもしれません。


 しかしながら、後になってアブラハムの肉の子孫のイスラエル人は、神の律法を破り、神の子とその追随者を殺害したために、神から捨てられました。ですから、肉のイスラエルの子孫に対する神の約束は無効にされました。しかし、北の王がこの点を理解するかどうかは分かりません。

 さらに、イスラム教は、アブラハムの子孫のひとりイシュマエルから、現在のイスラム教徒が出てきていると教えています。しかし、北の王は「自分の父祖たちの神を無視」することが予告されています。(ダニエル11:37)すなわち、北の王は、イスラム教も顧みないことが預言されています。しかし、このことは、とりわけ、後継者の北の王について言えるかもしれません。それで、最初の北の王にはイスラム教も影響を与えるかもしれません。


 しかし、北の王は、キリスト教イスラム教、ユダヤ教などのあらゆる宗教よりも自分を高めることが予期できます。北の王に関して、「自分はあらゆる神より上だと考え,神の中の神に向かって厚かましいことを語ります。」と預言されているからです。(ダニエル11:36)


 ですから、北の王は聖書から離れたキリスト教にしても、聖書に従うキリスト教にしても、両方に逆らい、キリスト教や聖書を悪く言うのではないかと思います。

 その時、南の王と共に戦うのはおおむね欧州その他の大陸のキリスト教の同盟軍であると考えられます。ですから、北の王は、この時にも、平和を推進しているべきキリスト教が米国と共に戦ったことを非難するのではないかと思います。そして、その非難に調和して何らかの仕方で効果的に行動することが予期できます。


 エホバ神は、ご自分の律法に違反して、殺人を行うクリスチャン、あるいはキリスト教国家に対する不興をまず表して、それらの諸国家が災いを経験することを許される可能性があります。ですから、この時、エホバ神の是認を保ち自国に災いが降りかかるのを避ける唯一の方法は、米国と共になって戦うことを避けることだと思います。


 そして、第一回目の北の王と南の王の紛争の時に、米国と共にキリスト教諸国家がかなり、敗北を被ることになるので、キリスト教はこの時点から早くも世界的に評判が落ちることになるのではないかと思います。


 そして、最初の北の王は、あらゆる宗教を顧みない王になるので、世界は、世俗的な権威が高められて進化論や無神論、創造者や聖書に対する不信仰や非難や反対が強くなるのではないかと思います。
(ダニエル8:12)また、一時的には、世界的にイスラム教の方が人気を高めることにもなるでしょう。



   北の王は、「真理を地面に投げ付け,行動して成功を収め」ることが予告されています。(ダニエル8:12新世界訳改訂版)これは、北の王が何をすることを意味しているのでしょうか。同じダニエル8章には、北の王を表わす「小さな角」が「美しい地」に力を及ぼすことが予告されています。(ダニエル8:9新世界訳改訂版)


 この「美しい地」とは、乳と蜜の流れる地であり、それは文字通りには昔の約束の地のパレスチナの地を意味する場合もあります。また、イザヤ書では、バビロンが「輝かしい王国」とありますが、これは、「美しい地」に用いられた同じギリシャ語が原語に用いられています。(イザヤ13:19)


 ですから、北の王が「美しい地に力を及ぼす」とは、エホバ神を崇拝すると唱えながら、実際はバビロンのように異教を崇拝する国家、また地域を攻撃することを意味するのではないかと思います。ですから、このことは、北の王が、とりわけ、今のパレスチナ、また、キリスト教の拠点や、キリスト教国家を攻撃して、軍事的に成功を収めることを意味しているのではないかと思います。現在は、わたしはこのように解釈しています。


 また、 北の王は、「天の軍勢に達するまでに強大になり,その軍勢と星の幾らかを地上に落として踏みにじ」ることも預言されています。(ダニエル8:10) 星とは七つの会衆の使いたちを意味しています。ですから、世界のキリスト教の天的な希望を持つ教会員が命を落とすことを意味しているのではないかと思います。

 




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キリスト教の七つの会衆の天的な希望を持つ星の多くが軍事攻撃で命を失ってしまう






 それで、多くのヨーロッパ諸国は、キリスト教を奉じる首相が政権をとって、聖書の神を崇拝していると主張しています。しかし、もし、米国とは共に軍事行動に携わって、聖書の神が禁じられた殺人をほしいままにするならば、そのキリスト教政権は、大きなダメージを受け、政権を失ってしまう可能性が高いでしょう。


 また、米国を本拠地にしているエホバの証人も、北の王の攻撃を受ける可能性はあるのではないかと思います。エホバの証人は、人々が聖書を理解するよう助けて殺人を避けて義の道を歩むように助けています。



 しかしながら、ダニエル11章には、「洞察力のある人たちは、大勢に物事を理解させます。彼らはしばらくの間、剣や炎、拘禁や強奪によって倒れることになります。」という預言があります。(ダニエル11:33新世界訳改訂版)この預言は、早くも北の王の一度目の南に対する攻撃の時に成就することになるかもしれません。



 北の王はキリスト教を蔑視することになっています。今、イランでイスラム教徒以外がどのように扱われているかをWikiで調べました。すると、「現在のイランでは・・・「憲法ゾロアスター教徒ユダヤ教徒キリスト教徒が厳しい制限つきながら信教の自由を認められて」います。


 しかしながら、今、ロシアや中国がイランと共に軍事行動をとる場合、ロシアや中国でエホバの証人が、迫害を受けていることを考えるならば、北の王に率いられた軍勢が、米国を本拠地としているエホバの証人を軍事攻撃の標的にする可能性があるかもしれません。そのようにして北の王は、聖書の真理を非難して、聖書に対する信仰を損ない、行動してうまくいくことになっています。


 わたしは、預言がそのように成就する可能性があると考えるので、ニューヨーク州の本部にいるエホバの証人の統治体の兄弟たちを心配して、前もってお知らせします。それで、今回はまだ南の王は完全に倒れることになってはいませんが、もうすでに、「私の民よ,彼女から出なさい。彼女の罪に関わったり,災厄に巻き込まれたりしないためである」という神の命令に従うのが賢明なのではないかと思います。(啓示18:4新世界訳改訂版)


 二度目に北の王が敗北した後に、北の王は「聖なる所」を攻撃します。わたしは現在のところ、その時に、ローマカトリック教会ギリシャ正教会の本拠地が攻撃されることになることを意味していると解釈しています。そのような結果になるのは、「違犯」のためです。(ダニエル8:12新世界訳改訂版)


 すなわち、殺人を禁ずる聖書の命令にキリスト教諸国家が違犯するために、そのような軍事攻撃を受ける結果になります。そして、その「違犯」の罪は、一回目の北と南の間の抗争の時にも聖書の神を崇拝すると主張する諸国家によって犯されることになります。



(4)聖書の解釈者は諸政府に戦争と殺人を避けるようにお勧めします


  預言者は、聖書の預言を説明することはできますが、基本的に諸政府が互いに争い合うように勧めることはしません。基本的に聖書は殺人に反対だからです。(啓示21:8)


 

 それで、ローマカトリック教会ギリシャ正教会の敗北をもたらすキリスト教諸国家の「違犯」は第一回目の米国のキリスト教の同盟国にも生じているのではないかと思います。


 ですから、カナダ、フランス、英国、イタリア、ルクセンブルクギリシャ、カナダ、ドイツ、スペインその他
NATO諸国のキリスト教諸国家には、米国と共に戦うことにより、エホバ神に対する不興をこうむることを避けるようにお勧めしたいと思います。



 さらに、上で述べたように、北の王は勝利を得るとは言え、それはエホバ神の是認を得ているとか、エホバ神が北の王を支援しているからではありません。北の王は非常に大勢の死者を生じさせ、自らも復活のない滅びをこうむることになります。ですから、当然、北の王に従って戦うことも決して勧められることではありません。結局、戦争はたとえ勝利を収めるとしても、勧められることではありません。


 しかしながら、諸政府の指導者たちは、必ずしも、聖書の解釈者の勧めに従って行動するのではなく、自由意志に基づいて行動していきます。ですから、世界情勢は、聖書の預言の研究者の勧めには関わりなく、自由に進展していきます。


 聖書に忠実なクリスチャンの立場は北の王と南の王の勢力争いや諸国家の紛争に中立です。(ヨハネ15:17-19;18:36。ルカ21:20,21)聖書に忠実なクリスチャンは北の王からも南の王からも迫害され、命を落とすことが予告されています。(啓示17:5,6。ダニエル8:24)ですから、どちらの側にも立ちません。また、どの政府に対しても武器をとって戦うのではなく、紛争が起こるならば、戦火から逃げるという立場になります。(ルカ21:20,21)


 

 さらに、聖書預言がどのように成就していくかを、聖書の解釈者はすべて理解しているわけではありません。また、イラン以外の国家が今から北の王として台頭してくるという可能性も皆無ではありません。ですから、わたしたちが予想だにしなかった別の仕方で、世界情勢は展開して今とは異なる仕方で聖書預言が成就していくかもしれません。


 ただ、聖書を解釈する人は、聖書の預言がどのように成就していくのかに深い関心を持ち、世界情勢を注視し続けます。(ペテロ第二1:19)

なぜもっと早く終戦にしなかったのかについての昭和天皇の考察と降伏を恥とする国民教育が行われたこと

 

(1)もっと早く戦争を終わらせたいと願っておられた昭和天皇の見込み違い

 

 

 

 昭和天皇はなぜもっと早く戦争を終わらせることができなかったのかなど、終戦時のことも田島長官に繰り返し語ったと「拝謁記」に記されています。

 

 昭和27年2月26日の拝謁では、昭和天皇が「実ハ私はもつと早く終戦といふ考を持つてゐたが条約の信義といふ事を私は非常ニ重んじてた為、単独媾和ハせぬと独乙(ドイツ)と一旦条約を結んだ以上之を破るはわるいと思つた為おそくなつた」と語ったほか、日独伊三国同盟を結んだ理由については、日本の軍閥がドイツが勝つことを信じ切っていたためだが、その予想が違ったと述べたと記されています。



 

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近衛や東條はドイツのヒットラーを過信して勝つと信じていた




  それで、実際、天皇ももっと早く終戦を迎えたいという願いを持っておられました。そして、日本の当時の政治家たちと同じように同盟国のドイツを過信して、勝利を得るという見込み違いを昭和天皇も持っておられたことが分かります。その見込み違いは、日本に悲惨な結果をもたらしました。



(2)国土が焦土になる結果を招いた日本の降伏が遅くなったことの背後にあった考え方

 

 

 昭和天皇ポツダム宣言を受け入れる、いわゆる「聖断」を行い、昭和20年8月15日に戦争が終わりましたが、昭和27年3月14日の拝謁では「私ハ実ハ無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸(ちょっと)こちらが勝つたような時ニ其時を見付けたいといふ念もあつた」と語ったと記されています。

 

 

 しかし、太平洋戦争で日本が勝利をしていたのは、最初の半年くらいで、後はミッドウェー海戦を初めとして、日本は負け続けており、そのような機会は決して訪れませんでした。それで、ドイツを信頼しきっていたことや、いいタイミングで終戦を迎えようという昭和天皇の思惑は、悲惨な結果を招きました。

 

 

 日本には降伏を良しとする文化はありませんでした。日本は儒教の影響を受けていましたが、儒教の教えには、降伏するのを恥として、死ぬまで戦い続けるのが美しいことだという教えがありました。

 

 

 それで、やはり、そのような考え方の影響が昭和天皇にもあったのではないかと思います。聖書の中には、敵国が自国に対して攻めてきた場合に、柔軟に早期に和平を図るようにという勧めがあります。

 

 

 イエスはこのように言われました。「どんな王が,別の王と戦いを交えようとして行進するにあたり,まず座って,二万の軍勢で攻めて来る者に,一万の軍勢で相対することができるかどうかを諮らないでしょうか。事実,それができないなら,その者がまだ遠く離れた所にいる間に,一団の大使を遣わして和平を求めるのです。(ルカ14:31,32)

 

 

 このイエスの勧めは経済的にもわたしたちの益を守るものです。第二次世界大戦中に、聖書のキリスト教の影響を受けたヨーロッパ各国は、中立の立場を保つかドイツが侵略して来た時に、早期に降伏しました。そのようにしてヨーロッパ諸国は後になって観光名所となった多くの建物の破壊を免れました。その結果、フランスのパリやイタリアのローマなど、日本のように焼け野原になることを免れ、後になって多くのヨーロッパ諸国は戦火を免れた建造物を呼びものにして観光産業を続けることができました。



 また、戦火を免れたことは、富を保全することにつながり、大戦後、ほとんど中立を保った北欧を初めとしてヨーロッパ諸国の経済復興は比較的に早いものでした。



0head of vichy and adolf hitler

 

Bundesarchiv, Bild 183-H25217 / CC-BY-SA 3.0
ドイツのナチスの軍勢が攻めてきた時フランスの政権はいち早く和平を講じたので。。。


0adolf hitler before eiful tower
パリの被害を最低限にとどめ後の観光収入につなげた



Bundesarchiv, Bild 183-H28708 / CC BY-SA 3.0 DE






 

 しかし、近年、ヨーロッパ諸国は、そのような中立政策や平和主義政策を放棄したために、米軍と共に中東などで軍事行動をとり、ISISなどのよるテロ攻撃を受けています。そのため、テロ事件が起きたパリなどは、経済的なダメージを受けました。ユーロモニターによると、201511月にパリで起きた事件の影響で、2016年の訪フランス外客数は前年比5%減、8440万人から8000万人に減少。さらに同社暫定データによると、パリへの外客数は4%以上減少したとのことです

 

 

 一方、太平洋戦争時に、日本ではどのような考え方が称揚されていたでしょうか。戦時中には、戦果がメディアを通して発表されました。ラジオ発表では、放送前後などに陸軍発表では陸海軍合同の戦勝発表では『敵は幾万』、敗戦発表では『海行かば』といった楽曲が流されたということです 大本営による戦果発表の前後に流された「敵は幾万」という歌詞の三番は次のようになつています。

 

 

「破れて逃(に)ぐるは国(くに)の耻(はじ)
進みて死(し)ぬるは身(み)の誉(ほま)れ
瓦(かわら)となりて残る(のこる)より
玉(たま)となりつつ砕け(くだけ)よや 」

 

 それで、戦争に負けて逃げるのが恥とされ、進んで死ぬことが誉れあることであるという国民教育が組織的に行われました。

 

 また、敗戦発表の時に流された「海行かば」という曲は、次のような意味の歌詞がついています。

 

「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、大君のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」

 

 つまり、殺人をして天皇のために戦って、死ぬことが美しいことで反省はしないという意味です。わたしは、正しいことを守るために、命を犠牲にすることは正しいことだと思いますが、天皇を崇拝して殺人をして死ぬのは、正しいことでも、美しいことでもないと思います。

 

 

 こうした考え方のために、日本人は、日本国民が大勢犠牲になり、国土が焦土になつても、戦闘を続けるべきであるという考えが吹きこまれました。また、戦争のため殺人をして死ぬことが「玉砕」として美化されました。それで、こうした国民教育のために終戦は遅くなりました。



 


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大本営発表の前後に流された歌は降伏を恥とし死ぬまで戦うことが美化されていた



 

 そのためもあり、連合国軍が攻撃してきて、日本人に降伏を勧める場合もありましたが、沖縄や中国のある地域では、降伏するのは恥だと考え方があったので、自決をしたグループも多かったのです。

 

 そして、日本は終戦末期に日本中の諸都市を空爆で焼け野原にされ、原爆を二つ落とされるという経験をすることになりました。これは、日本が柔軟にもっと早く和平を求めていれば避けられていた事でした。または、戦闘で負け始めたならば、早期に降伏する方が、後々になって日本にとって賢明な決定でした。


 
それで、昭和天皇がもっと早期に降伏をするという決定をくだしておられたなら、日本は、悲惨な結果を刈り取ることを避けられたと思います。そして、富を保全していれば、戦後の復興はもっと早く、さらに経済的な繁栄を維持できるという結果になったと思います。

 

 

 

0after bombing of tokyo



 

Torikai Lab Network

0after hiroshima atomic bomb
降伏するのではなく死ぬまで戦うのが美しいという美学のために日本の惨禍ははなはだしいものとなった